DD54も性能的に安定してたら○○番台(寒地向け)、△△番台(重連型)、□□番台(SGなし)
なんてバリエーションが存在してたのかな?まあ所詮夢物語だけど…。

DD51では輸送力過剰になる線区向けであったはずなのに、結果的にはそのDD51に置き換え
られてるあたりに、当時の国鉄の車輌増備自体の計画性の無さを感じる。
おそらく予算要求すれば、たいした査定も無く予算化されてたんだろうな。
DD51やDE10が過剰増備だったことは昭和50年代後半に露呈する訳で…。

いずれにしても昭和40年代という蒸気の淘汰が急務という時代の中で生まれ得た仇花的存在
だったんだろうな。