ディーゼル機関車スレッド鉄懐版
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>>488
勘違いしてるのは>>489の方。
貨物用500・1500番台はSGないのでのっぺりしてる。
貨客両用は点検扉がある。
>>490
SG搭載のなかったDEに点検扉がつきはじめてんの?
廃車体のボンネットを流用でもしたか。
説明不足でスミマセン。
例模型化の資料を集めていて気付いたんですけど・・・
例えば、
ttp://www.geocities.jp/akanouda/DE10/DE101603_N8701-17.jpg
だったのが、
ttp://blog-imgs-41-origin.fc2.com/g/e/k/gekiv/DPP_3716-s.jpg
になってるのが気になって、他のSG無しを調べてみると、結構扉が
増設されてるみたいなんですよ。詳細ご存知の方いらっしゃいますか?
逆に1000番代で扉が無く、のっぺりしているのもある。
例…DE101164
>>488
jtrain Vol.36の「DE10物語」によれば、ATS-P制御機を第2エンドのボンネットに設置したため、観音開きの扉が
増設されたという記述がある(53ページ)。 >>494
あーなるほど、そういう事だったんですか。
情報ありがとうございました。
燃料投下!
YouTube - 国鉄和田岬線
http://www.youtube.com/watch?v=6aKtFgCfXJY
DD13<旧客><旧客><旧客><旧客><旧客><旧客>DE10
>>497
車輌もそうだけど沿線や線路の雰囲気が素晴らしいですねGJ >>497
思い出すなあ。オハ64ってとにかく「がらんどう」な印象が強かった。
正直、旧客に乗ってる感興なんてほとんど希薄で(主観です。まだ宮原の
オハフ33もイベントや何かでよく出て来たし、客車列車そのものはまだ
元気に走ってたころに乗車したからそう思うのかもしれないが…客車自体が
よく整備されていて奇麗だったことも、殊更に非現実的な感覚を強めた)、
路線自体ののどかな、浮き世離れした印象が心に残っている。
でも懐かしいし、御礼かたがた自分の乗車時の編成表でも。
←兵庫 DE10 1054 オハフ64 オハ64 オハ64 オハ64 オハ64 和田岬→
(※DE10は兵庫方が1エンド、単機で機回しして運用。1988年6月12日) 宮原に民営化後も1両イベント用と64系の検査時予備兼ねたオハ46の電暖車がいたね。
土休日なんか走行距離調整兼ねてよく1両だけ差し替えられてた。
まぁ好きで乗りに来た乗り鉄とかイパーン人を収容するにはこっちの方が都合が良いのかも。
通勤客にも実際のとこ密かに人気だった。 私鉄DLもここでいいのかな?
鹿児島交通の最期まで動いてたDD12なんだけど、私鉄機ではこの機関車が好きだった。
DMH17系2基搭載の国鉄DD11派生形式なんだけどターボ化で500馬力に底上げ
してあって、後付けの増設ラジエーターが目立ってた。
工臨や車庫内でSL動かすくらいしか動いて無かったけど、本線で列車を牽く所を見たかった。
路線はあんな事になってしまったけど、DD12は加世田バスセンターで綺麗に塗装
されて静態保存されているから、まだ他社のカマよりはマシな扱いなんだろうな。 DD51のうち、長野機関区に配置されたカマがいたことはあまり知らされていない。 >>509
子供の頃、木曽福島から松本までDD51重連牽引の客車に乗った記憶があるから、
500番台だと思うが。 長野機関区時代の話でしょ。補機、優等用に配置されてたDF50の代替
長野運転所になってからが500番台なんじゃね 長野配置のは33−38は合っている。他には500番台が沢山あるので省略
だがピ−ク時には40両ほど配置されていた。特徴があるのは615が北海道
交通記念館で保存、717が名古屋で酒酔い運転で紀伊に突っ込み亡くなる。
その他は全て国鉄時代に死亡している。配置後数年で電化され北海道に転勤に
なったのが目立つ。資料はピクトリアル2004年12月号。
篠ノ井機関区になっても1年くらい残っていたDD51いた。 10年も経たないうちに人影の消えた操車場に「休車」の札下げて並んでただろうなw 俺は私鉄版DD11でDMH17SとかSZ積んだ仕様のエンジン音を聞いてみたかったな。
国鉄DD11の系列機なのに500馬力級とか萌えるやん。 DE50より、釧路のDE601相当の機関車こそ、国鉄借入機になってりゃなぁと妄想しちゃう。
出力/重量比がDF50の頃とは比較にならないほど向上してるんだよな。
(まぁあの時代に新形式入れるのは無理があったのは、
労組関係とかで分かっちゃいるんだが……)
あと時代遡るけど、DD51造ったときにその機関つかって純国産電気式を
造る発想さえ出てこなかったのは日本の鉄道車両史における謎だと思う。
(試作どころか検討が行われた気配さえ無い。まぁ素人のしることには限界あるが)
機関さえあれば、あとは全部電車や電機の部品と共通化出来るメリットもあるのに。
発電ブレーキで勾配区間にも強い機関車にもなったろう。
DD51・DE10・DD54と液体式に固執したのに何か理由はあったんだろうか?
(液体式は軽量廉価といわれるが、それなら何故西ドイツと日本以外では
電気式が重用され続けたのか?)
まぁDD50やDF50で電気式は重い高い使えねぇ……というイメージが幹部から現場まで
定着してただけなのもしれないが。
電気式の再評価がDF200まで掛かったのはほんとに惜しい。
保守の現場が電気式を嫌った話もあるけどね。
電気式気動車の話だが、千葉に配置された車は電気系統に問題が起きても東京近辺と言う事で電気車の経験者もいて
何とかなったが、北九州に配置された車は当時の小倉工場に電気車のノウハウが無く、お手上げ状態になったのだとか。
そんなこんなでC57と3〜4両の軽量な編成で代走したほうが手っ取り早いと言う事もあった訳だ。
幡生には電気機関車屋もいたが、管理局が広鉄と遠方の為に門鉄とは人事交流も碌に無いと言う縦割りが癌となった。
結局、現場が動力装置が2重になっていると見做される電気式への抵抗感を持ったと言う点は無視できない。
逆に、機械式や液体式ならば変速機もエンジン部品の一部と見做していたふしもある。
実際、機械式機関車や気動車は元々取扱っていた訳だしね。 >520
気動車くらいの出力だと電気式が嫌われたのも分かるんだけどね。何より重いし。
キハ44000代にしても飽くまで液体式完成するまでの繋ぎでしか無かったというし。
>北九州に配置された車は当時の小倉工場に電気車のノウハウが無く、お手上げ状態
ちょっと西鉄に頼んで整備してもらう……ワケにはイカンわなぁ。
ただ、本線用ディーゼル機関車となると先にDF50とかが或る程度普及している
状態だから、イチから電気式の整備環境造らなきゃいけないわけじゃない。
(寧ろDF50での経験や慣れが活かせる)
電化も進展してる時期だから、電気車の整備環境も無駄な投資にはならない。
まぁそんなこと言えるのは後世の部外者の見方であって
当時はDF50の「重い・高い・使えねぇ」という印象の下、
DD51(やDE10、或いはDE50)が魔法の機関車のように見えたのかもしれん。
DD54というハズレもあったけどw
よくよく考えたら技術でガラパゴスはこの国の(以下略
>521
傘歯車が作りにくいから(特殊な工作機械が必要だから)電車の直角カルダンは
普及しなかったとか云われてるけど、傘歯車なんて全ての気動車に、
またほぼ全ての自動車に入ってるんだよなぁ。
電車だけで嫌われたのが理由がよくわからん。
脱線気味の話でスマソ。 ディーゼル機関車の開発はメーカー任せの印象があるんだよな。 >>522
電車のベヘルギアとかハイポイドギアに折損が多発したのは、部品メーカーの技術力が
未熟だったのが大きいと思う。特に冶金とか表面処理の面で。
特に低回転でいきなり強トルクがかかる環境を甘く見ていた気が。
正直直角カルダンとか垂直カルダン、シャフトドライブはもう少し電車の駆動法として
見直されてもいいと思う。
三相交流モーターが普及したとはいえ狭軌で大出力狙うには不可欠な技術だと思うし、
低床路面電車やFGTといった新たな用途も現れてる。
日本のように、単機出力であまり高いところを狙わなくてもいいけど、駆動軸数を増やして
粘着を稼いだりダイナミックブレーキを効かせたい場合は電気式が一番だと思うんだよな。
液体式にこだわった最大要因の軸重にしても、低規格線での貨物営業とか入線機会が
ほとんど存在しない今日は無意味だと思う。
(問題になる線区や地上設備があったらそっちを改良した方が早いのは磐越西線見れば分かるし) 今現在の常識を当てはめても何の意味も無い議論。
当時はC12ですら速度規制受けるようなヤバい路線にすら需要があった。
本来は軌道改良等に金をかけるべき所だが、そう言う予算は殆ど首都圏か新線建設に吸い取られていた。
いきおいそのツケは車両の方に回されて、技術開発で何とかしる!となったわけだ。特に地方では。
そうなると軌道条件は放置したままで輸送力改善への近道となる液体式になるのは必然。
まあ、初期にそれなりの成功をおさめたDD11を拡大改良していくのが規定路線になった面もあるのだろうが。 >>522
電気式気動車はDF50の登場前にデビュー
電気式機関車のノウハウはなかった
小倉工場は機械式ディーゼル機関車の取り扱いは大の得意だぞ。
なんと言っても戦前からDB10形ディーゼル機関車の配置があったし、
そのDB10は戦後も機械扱いで機関換装や車体更新で80年代まで
愛用し続けたくらい機械式大好き工場だw 流れを無視するが・・・・
国鉄純正のゲテモノ、キワ90も一種のディーゼル機関車と言えないかな?
DD11の半分のパワーで、しかも軽すぎる為に死重が必要と言う間抜けな仕様だが、
どこぞのローカル私鉄のように機関車兼用の旅客車があっても良かったかもしれん。
たとえばキハ52ベースで機関をDMH17SZ(250ps)*2台にすれば500馬力級で
丙線級用の機関車としては最低限の性能を確保出来たはず。
♯C12よりやや非力なくらいか?
ついでに、北海道用はキハ22の車体延長版で。 >524
電車の話だけどシャフトドライブは低床路面電車で帰り咲いたね。
次はダイレクトドライブかな……(束的には黒歴史か)
>525
>そうなると軌道条件は放置したままで輸送力改善への近道となる液体式になるのは必然。
いや、DD11クラスまで電気式で作れって話してるわけじゃないから。
そもそもDF50が意識したのはC12どころかC57やD51であり、それなりの規格の幹線への
投入が前提。軌道条件と電気式(幹線用ね)の不利はあんまり関係ないと思う。
>528
ローカル線用機関車としてキハ52というかキハ65(を両運転台の一般型)の
ような車を使う手はあったと思うね。キハ20で貨車牽いた実績はあったわけだし。
まぁ、機関車代用に出来るほどの気動車用大出力機関が技術的に落ち着いたのが
既にその種の機関車の需要が消滅した頃であったというのはちょっと痛いが。
(DD16とキハ65の時代は微妙にかぶるけど) 島原鉄道のキハ5500だな。
島鉄は平坦線だから2エンジンの必要は無かったが、郵便列車を牽引する機関車として使ってた。
確か単行時用に1エンジンカットする機能があったはず。 DE50作成の頃は、まだパワーエレクトロニクスが発展していなかったから、電気式は無理でしょ。
国産液体式の手堅い作りを継承していたので、その活躍が見たかったな。 >>529
DD11の「系譜」ってことだよ。
そう言う意味ではDD13系、DD51・53・DD16・20・21、DE10系・DE50が該当する。
DD11は標準型気動車のコンポーネントをそのまま流用。
DD13系は戦前のキハ43000系の機関をベースにした機関に専用トルコンを新規開発。
DD51以降はDD13のスケールアップ。
この様にDD54等の例外を除けば気動車上がりの技術を応用・拡大していったのが国鉄の液体式の全てって事だ。 >>525
電気式で軽軸重のDD12
運転整備重量で47t 死重を下ろせば44t
もしかするとさらに軽量化できるようだ・・・
190psx2 380ps
スタート時の最大引張力12150kg
関東鉄道も2台エンジン車を買って、キクハをつなげる使い方してましたね。
そのために作られたのか、というと意味合いは違うけど。 >>529
>ローカル線用機関車としてキハ52というかキハ65(を両運転台の一般型)の
それが出来なかったんでポシャったのが国鉄レールバスだと思う。
あれなんかもDMH17を過大出力上等で載せて付随車や制御車、貨車を引けば
結構うまいことローカル線の合理化に貢献できたんではと思う次第。
結局当事者が意図せずに動車MT総括制御編成を本格導入したのが昔の関東鉄道なり
今の札沼線なんだろうね。
個人的にはマジメに研究した上導入したけど陽の目を見ずに葬り去られた、夕張鉄道とか
韓国国鉄ソウル近郊圏の例が日本の鉄道技術者にもう少し省みられても良かったんではと思う次第。 >535
レールバスは本場ドイツのは或る程度大きなエンジン積んで、
付随車牽いて輸送力確保してたよね。そこでケチるなよなぁ。
あと、レールバスではなくて大型気動車のMT編成の話だと
客車改造キクハ・キサハの大失敗も日本にはあるしなぁ。
まぁ重い60系客車改造だったのが失敗の原因だけど。
あれが10系軽量客車改造だったらもう少しは上手く言ったかもしれないけど、
あの時代にまだ新車だった軽量客車使えるわけもなく……。
ソウル近郊のDTTDに関しては、もともと朝鮮の客車が軽量客車だったのが
幸いだったと思う。
それから、日本の勾配だらけの路線形状だと、気動付随車は使える場面が
そもそも少なそうだ。
また、1両単位で解結する運用が当たり前で、運転台なし中間気動車(キハ18)さえ
嫌われた状況からいくと、やはり付随車や制御車は使いにくそう。
>534
平坦線かつ通勤需要のある関東鉄道のような状況なら、大出力気動車と付随車の
組み合わせを今時の新車で作っても可笑しく無さそうだけど、標準じゃないものを
入れるのは嫌なんだろうなぁ。
>ALL
気動車ネタ続いてすまん >533
DD12は名機だよな。白井昭氏も名鉄時代に扱ったそうだが、なんか凄く褒めてた。
ttp://www15.plala.or.jp/hidekih/usarmy.html
ここには電気式に対する偏見はない。
もちろん、電車メインの会社・技術者から見た評価だから、
これが全てに当てはまるわけじゃないけど。
そういえば、前にも他で書いたけど、日本の内燃車技術で
アメリカ由来のものは少ないんだよね。
1950年代の半国産電気式ディーゼル機関車は殆どがドイツやスイスとの技術提携だし。
DF50の対抗作で、台湾鉄道管理局R20のようなアメリカ製電気式ディーゼル機関車が
投入されていたらどうなってたんだろう?
(ちなみにR20は1950年代の機関車なのに、2007年当時でも現役だった)
ただ、飽くまで憶測だけど、アメリカのメーカーは日本が望む技術提携・ライセンス生産という
形には興味がなく、飽くまで完成品輸出に拘ってたんじゃないかなぁと思う。
だから日本にはDD12以降、アメリカンなディーゼル機関車技術が
殆ど入ってこなかったじゃないか……(例外がDD41と釧路DE601)。
日本の(というか国鉄の)国産品へのこだわりは良し悪しあったんだろうね。
結局、国鉄型で成功した機関車は気動車の流れを受けた車だからキハ42000の成功とキハ43000の失敗で既に勝敗を決してたな。
まあ、キハ43000の失敗は電気式だったせいではないのだが。
逆にキハ43000が成功していれば電気式を考慮する可能性はあっただろうが、DD13ですら重いと言われたショボい軌道条件じゃ大きな発展は考えにくい。
それに、電気式ならば大出力単一機関が望ましいが、これも当時の国産では難しいし中出力なら液体式で十分。
話は逸れるが、DMH17系の最大出力はDMH17SBの300psがある。
この機関は60年代前半には実用化されているから大出力だけを望むならDML30系の登場を待つ必要は無かった。
ただし、この機関は補機や配管の関係で横置きは出来ないので優等列車用には無理があった。 初代df91はエンジンがドイツ
台湾に渡ってからアメリカになったけど
>>537
> ただ、飽くまで憶測だけど、アメリカのメーカーは日本が望む技術提携・ライセンス生産という
> 形には興味がなく、飽くまで完成品輸出に拘ってたんじゃないかなぁと思う。
俺もそう思う。
アメリカ、カナダ、メキシコ向けだけで生産が追いつかないくらいのオーダーが来るのに
そんな面倒なことには手を出さなかったんだと思う。
それに、もともと、重さには無頓着な国だから、とにかく重い。
NW2やSW1200とかでも軽く100t越えるし。
ただ、当時、海外の情報として、アメリカ含む各社の機関車の研究はしてたはずだけどね。
おれは、国鉄の黒歴史な部分で、誰か(例えば島秀雄)が
「とにかくドイツを見習え! ドイツになら留学させてやる! ドイツが液体式なんだから、日本も液体式だ!」
という方針を立て、誰も逆らえなかったのではないか、と妄想してる。
北畠がキハ44000を適当にこさえたという談話から、そういう影響を感じる。 >541
国鉄の黒歴史、絶対にあると思う。
蒸機に関してはある時代からこの種の事例が明らかにされるようになってるし。
(おっと、近年だと205系製造時の経緯も黒歴史だったな。如何にして末期国鉄は
軽量ステンレス車技術を手に入れたかという話は。まぁこっちは割と早く
晒されたから黒歴史というのは気の毒だけど)
キハ43000の黒歴史も笑えるぞ。
ttp://drfc-ob.com/wp/?p=899
満鉄ジテ1の話だけど、それ以上にキハ43000が黒歴史w
>重さには無頓着な国だから、とにかく重い。
アメリカンDLが重いと言っても台湾のR20は78噸。軸重13噸は優秀な部類だよなぁ。
DD13より軽いし、DE10と変わらない……軽く作ろうと思えば軽く作れるのがアメリカの工業力。
そこに軍用DD12と同じ系譜を感じる。
ちなみに台湾での対抗作、R0(DF91初代)は84.5噸もあった……。
台湾や韓国にアメリカンDLが入ったのは「完成車輸出」だったからじゃないかと見てる。
>542
いや、ここってチラ裏か神田古書会館の便所の落書きだしw
あそこの落書きは濃くて面白かったが。 >それに、もともと、重さには無頓着な国だから、とにかく重い。
>NW2やSW1200とかでも軽く100t越えるし。
列車長6キロなんて運行するならアホほど軸重は必要
無頓着じゃなくて必要だから
効率をあげないと会社が潰れる
>そこに軍用DD12と同じ系譜を感じる
44t以下の機関車なら一人で常務できるから
DD12はアメリカで作られた
たまたま使いかってが良かったから軍が注文しただけ
軍用てのはオマケ
経営の効率化で会社を潰さないため作られた
民生品です
車両用ディーゼル開発の遅れは、ショボい性能の、しかも空冷の戦車用エンジンで満足してた帝国陸軍と、馬鹿みたいにデカい決戦用潜水艦ばっかり作ってた帝国海軍のせいでもあるとも言える。 キハ43000の不幸は技術的未成熟もあるが、同時期にキハ42000という名車がいたのが大きいと思う。
その性能は戦後のキハ47系批判にまで引き合いにだされた程だしね。
キハ43000がパワーウェイトレシオとコスト、それに信頼性でキハ42000に全く太刀打ち出来なかった辺りで電気式を「パワーの割に重くて高価、しかも整備が面倒」と見切ったのではないかな?
安治川口事故はそれこそキハ42000の黒歴史だが、問題点は後のディーゼル化で完全に克服したとも言える。 >>544
> それに、もともと、重さには無頓着な国だから、とにかく重い。
> >NW2やSW1200とかでも軽く100t越えるし。
>
> 列車長6キロなんて運行するならアホほど軸重は必要
> 無頓着じゃなくて必要だから
無頓着でも大丈夫だった、というのが解釈としては正しい。
「軸重○ポンド」が必須条件なら死重積むはずだが、そういった機関車はない。
一方、DDA40Xみたいな、4軸台車のものまで出てきている。
もっともコイツはさすがに横圧が問題になった。
で、NW2やSW1200はスイッチャーで、本線を走らない。
入換時にはこいつらの出力で十分で、その証拠に、
Bユニット(ブースター)を伴った「カウ・カーフ」の両数は少ない。
6kmもの列車長なんてのは、それらを作った時点では存在してない。
つか、いまのアメリカでも6kmなんて列車あったっけ?
> 44t以下の機関車なら一人で常務できるから
> DD12はアメリカで作られた
> たまたま使いかってが良かったから軍が注文しただけ
> 軍用てのはオマケ
>
> 経営の効率化で会社を潰さないため作られた
> 民生品です
違う。GEはその程度の機関車しか作れなかったんだよ、その頃は。
一方、戦時中から保護されてたEMDを中心に、ボールドウィンやアルコなど
各メーカーは大型機関車を作ってた。
GEがその分野に乗り出したのは1960年。
その「Uボート」のコンセプトが受けて、ようやく機関車メーカーと認められた。
EMDに猛反撃食らい、思ったほど売れなかったけどね。
そして、その頃(1960年以降)は、44tとかそんなちっぽけな機関車などほとんど製造していない。
アメロコとアメリカの機関車産業の発達史を日本の国鉄史観でねじ曲げないでくれ。 >>543
> 国鉄の黒歴史、絶対にあると思う。
> 蒸機に関してはある時代からこの種の事例が明らかにされるようになってるし。
折しも鉄道雑誌スレで、RFの石井幸孝氏のキハ181礼賛記事に批判がw
島〜北畠は糞、ってのがDLスレでの認識だったと思うけど。
蒸機は…戦前に国鉄を出て行った人たちが作った機関車を見ればわかるよね。
でも、そういうことを書くと「国鉄蒸機を貶めるな!」という反発がものすごいらしい。 >>548
>つか、いまのアメリカでも6kmなんて列車あったっけ?
ある。 ようつべ探してみそ
>>550
↓の記事(最初の広告はスキップすべし)に貼り付けてある動画の事だろうけど
内容読む限りはこりゃ1回こっきりのDPUのテスト(DLは計9輌)みたいだぜ
http://www.popularmechanics.com/technology/engineering/extreme-machines/4345689
記事中の比較表にはこの時のテスト編成長が18,000ft≒5.5kmで、一般的なUPの編成は
平均6,500ft≒1.95kmとある
このテスト(本年1月実施)の記録は各国の最長編成列車のwikipedia記事↓にも、UPの最長編成記録として載っている
http://en.wikipedia.org/wiki/Longest_trains
BNSFの方の記録は↑にも載っているが、↓の通り去年7月の3.6kmが過去最長だと
http://www.railwaysafrica.com/blog/2009/08/long-bnsf-trains/
米国の法規には編成長の制限は無いようだけど 要するに、ID:LSFix6mkは出直してこいってことだな。 つか、ええのん持ってきたら採用するよ〜
と声かけて持ち込まれたのが悉く90トン超じゃあねぇ。
DF200と変わらない重さと大きさで、出力はDD51以下じゃ萎えるっしょ。やっぱ。
おまけに舶来品で値段は割高だし。
で、DD93は70トン級で出力がDD51よりちょっと落ちる程度って言うんだから、こんな旨い話に引っかからない訳が無い。
・・・・・で、エラい目に遭う、と。
個人的な感想だが、DD51系統って保険だったと思うんだよね。
本線用液体式、ついでに凸型と言うと冒険に見えるけど、国鉄から見れば実際は地味な後術の積み重ねの延長でしかない、と。
結局、他に適当な本命が出てこなかったので表舞台に引っ張り出されたのが真相ではないかと。
DD51は西ドイツの幹線用DL:V200(1953〜)をベンチマークにしたんだよ
全長18m前後/出力1100ps x2/車重80t(日本の幹線向け軸重は14t以下だからB2B配置にして84t)
と、車軸やコンポーネンツの配置以外は、図ったように同じスペックだ
イギリスもV200と同じEg.&変速機を買って同スペックのDLを作った(type42 "Warship"/1958〜)
国鉄では上記のスペックを国産コンポーネンツで実用化するのを、幹線用DL開発計画のゴールとしたんでしょ Voith LT306r
MAN 12 V 18/21
電気式への再評価というと、1982-84年ころの動力集中式DMU試案も
電気式前提にしてたの思い出した。
(液体式と比較して、電気式有利という結論)
つまり、あの頃には電気式へのアレルギーはなくなってたことが推測できる。
※参考は「幻の国鉄車両(JTB2007)」名著!
もしもだけど(例えば貨物輸送の落ち込みが現実ほど酷くないとか、
或いは電化が順調に進まず、羽越線や日豊線あたり非電化のままだったら)、
DD51の後継機があの時代(1980年ころ)に開発されていて、
電気式になった可能性はあるかも。試作か、何らかの検討は行われたんじゃないか。
オイルショックがあったのが1970年代
トルコン使ってると燃費悪いから
燃費がマシな動力集中電気式にしない?てのもありそう
かりに液体式を選択しないで電気式にしてたら
どの位ガス代が違ったのかな? 直流直巻+抵抗制御、だったらその大きさ、重さから実現してないんじゃないの?
>>557
燃油価格が極端に高騰する場合は余程の長大非電化幹線でない限り、電化(&CTC化)
した方がトータルで安くつくのでそれは無い。
電気式はDD51を超えるクラスならそれなりにメリットもあるが、残された需要はそれこそ
函館本線系や根室本線くらいだろう。
まあ、北陸本線米原〜田村間でも使えるか。 国鉄最後の20年はELですら新設計ゼロ。いわんやDLをや >561
前提くらい読んでくれや、かなりありえないレベルのif話だから。
ちなみに電機はマジでED94/ED63は設計段階に入ってたし、
その辺の事情は1980年ころの趣味誌でも報道されてたよ。 ガスタービン車を電気式でやろうとしなかったのは何でですかね
嵩張るから? >563
これも検討されてたよ。一番笑え、そして感心したのはクハ455へのガスタービン発電機搭載で
MM’ユニットへの電源供給による非電化区間直通プラン。
ガスタービンに関しては、おおよそファンの妄想レベルのことが本気で検討されていたみたい。
ただ本流本命のキハ07901〜キハ391で機械式に拘ったのはどうかと思うけど。
ガスタービンの特性的(定速度の回転が効率よい)には電気式の方が
相性いいと思うのになぁ。 >>564
そりゃ軽いからだろ。
ガスタービン車を計画したのは高出力も魅力だったが、なんと言っても機関直結のメリットが大きかった。
クラッチ不要の直結でギア比は固定で済むから逆転機だけあれば良い。
それで機関本体も小型軽量って言うんだから飛びつきたくなるのも当然だった。
それをわざわざ重い電気式にしようなんて言うのは一種の思考実験の範疇だろう。
件の455系改は恐らく営業屋が要望を出してはみたものの、技術屋は「一応話として承って置きます」って事だろうね。
まあ実際は小型軽量の筈だったのが、給排気系が複雑化・巨大化した上、燃料バカ喰いしたのが計画の命取りだったが。
>>563
電気式=重い
という言葉が頭に張り付いていたからだったら 笑える
>>559
エンジン一定回転のうえ、抵抗制御だと思ってたよ。。。
帰って調べたら違った。
というか、制御方法が書かれていたのは『ディーゼル機関車ガイドブック』くらいで、
あれだけ細かく書かれているwikipediaにもないのな。 地上の乗り物で、ちゃんと稼動してる量産ガスタービンエンジンはM1戦車のそれだけじゃないかな
あれのパワーパックを使った鉄道車両というのは良いアイデアかも知れないな。すぐ丸ごと交換できるし
出力はたしか1,500hp。但しメンテのインターバルがどの位かは知らない
ガスタービン+電気式DLファンの皆さんは↓をオカズにどうぞ
http://wonderful-russia.net/russian-technology-industry/most-powerful-gas-turbine-electric-locomotive-gtel/
出力11,100hpとなってるが、これは1輌単位の数値なのかは不明
車軸配置BBB+BBBで、他のシベリア鉄道の貨車やDLの数値から見て軸重25tはあるだろうから1輌あたり150t?
まあLNGが井戸水のように湧いて出る国だからこその企画だな >>568
T-80も近代化改装受けてない奴はガスタービン。
あとマイクロガスタービンは産業機械なんかで結構導入されてる。
機関車でも小田急相模大野の入換動車ほか実例あるな。
ターボトレインはアルストームが実用化の域に高めたけど、結局騒音と部分負荷時の
燃費の悪さはどうしようもなかったのが実情。 >568
ムチャクチャうまいオカズでした。有難う。もともとロシア機萌+ガスタービン萌なのに、こんな画像見たら……。
ロシア(ソ連)は1950年代に液体式DLも何形式か作ってたけど、ほぼ失敗に終わってるよな。
まぁアメリカに行ったドイツ製液体式DLほど悲惨じゃないが。
>569
アルストムのは機械式だっけか。
電気式だと部分負荷の問題がなく、ベストな条件で使えそうなもんだけど。 RTGは液体式
upのGTELだとアイドリング燃費が全開と同じだった
部分負荷がつらい・・・
今はどうなのか? >523
遅レスだけどディーゼル機関車は国を問わず概してメーカー主導なんだな。
アメリカでもEMD(EMC)がせっせと開発して鉄道会社に持ち込んでいた。
小松&三菱がディーゼル機関車部門を立ち上げていれば電気式の芽があったかも。 >>572
三菱は私鉄用に液体式やってたがな
小型〜中型機だが >573
つーか、三菱がDF50&DD54の生みの親なんだが。
国労動労って三菱嫌いだったのだろうか。 日本だと新潟鉄工のスタイルがアメリカのDLメーカーに近いと思う。
個人的にコマツには汎用DLの自社一貫開発やってほしいとこ。 三菱の私鉄・専用線向け液体式DLは萌える。
なんたってDML17系+TC-2*2で500馬力以上叩き出すんだぜ。
両運転台型キハ55に組み込めばローカル私鉄向け機関車代用になりそうだ。 かつて南筑に石油発動車というブタ鼻の機関車があったが、
輸送量が増えると蒸気機関車に更新された。外観は蒸気機関車に似せてあった。
内燃機関はいわゆる焼玉式エンジンだった。ローカル線に内燃機関の車両を導入するという方法は
アメリカなどでも行われており各種の車両が導入されている。
一例としてMcKeen Motor Car Companyのガソリン式気動車があった。
船舶用の機関と機械式変速機を使用する車両で全米各地のローカル線で使用され、
オーストラリア等でも使用された。現在のレールバスの魁とも云える存在だった。 >>568
東京駅の近くをガスタービンバスが走ってたと思ったけど、もう廃車になった? >>577
南筑は最期まで主力のブタと一部ガソリンカーだけ
どこか他所と間違えてるだろ >>581
有田鉄道が一時焼玉機関車使ってて、非力でSLにしたよ。 Ref. 鉄ピク私鉄車輌めぐり第II輯 第7分冊P67有田鉄道ノート青木栄一
>T3.10福岡鉄工所製B型2.5t機 (珍しい3.6ft機)
>T4.5.26認可(開業時 SL1号機と2機体制)
>T6.6.15 播州鉄道へ売却認可(T5.7.31 SL2号機入線させて余剰売却)
このSL2号機も水管缶式シングルドライバーとかで、また珍しい機関車だったそうです >>582
しかし、南筑では無いな
南筑の場合は矢部川沿いの緩勾配しか無いから非力は問題にならなかった Wiki見ると、そもそも南筑は蒸機が走った事ないのね。
馬からいきなり内燃になって、その後で廃線。 >>584 の「脳みそ空洞」君へ
>>581 :回想774列車 :2011/02/15(火) 20:19:16 ID:qayn9PcJ
>>577
>>南筑は最期まで主力のブタと一部ガソリンカーだけ
>>どこか他所と間違えてるだろ
このレスの「どこか他所と間違えてるだろ 」に適合する候補地を挙げてやっただけだ。
ブタロコの話ではあるが、南筑のことなんぞに言及した気はない。 >>586
何をわめき立ててるんだねキミわ?
そもそも、南筑の話からいきなり遥か遠くの有田がどうのとか言い出すのが意味不明。
大体、南筑は例外中の例外で特異な存在だから、朝倉でも何でも挙げて行けば大抵は当るだろ。
>>587
ここのスレタイを10000回読め。
それから586の内容を10000回読め。
「ディーゼル機関車スレッド鉄懐版」
スレタイ沿わぬ書き込みをした覚えはない。
かんじがよめないなら、しょうじきにいえ。にほんごがよめないなら、ぼこくへかえれ。
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