ディーゼル機関車スレッド鉄懐版
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>>441
ありがとう。確認するけど。
「ルーバーが大型だけど、位置はエンジン部分だけ」っていうのは、
(形状の似ているEF66と911の場合で例えると)
・EF66はスリットになっているのが前から後ろまであるが、上下の幅は小さい。
・911はスリット部分が中央(エンジンがない部分)にはないが、上下幅が大きい。
っていうような形状の違い?
あと、上部ファンを作る際に気になるんだが、アレの大きさってどれぐらいなんだろう?
(上部資料がほとんどない…)それと、台車だが言われて見ると電気と液体で微妙に違うんだな。
話変わるが上の方で「素体はD型電機」と書いたが、近くの店にあったジャンク品がEF65・66だったので、
DD55(仮)はどうも「中央台車を外してプラ版などでタンクを形成」になりそう。 >>442
ルーバーはそういう感じ
EF66からなら仮称DF51とした方が良いのではないですか?
電機式DLは台車部分はモロ電気機関車
昔DD50が米原にいた時は電機と検修が同じで便利だったと聞いた事がある
>>443
実を言うと自分が自作ディーゼルを作り始めようとしたきっかけが、
「非電化区間を走行できるカーブに強い機関車が欲しい(*)」だったので、
(*…これまでは小型スイッチャーを機関車に使用してたが、重い貨車が引けないので…)
Nゲージ模型ではダミーが多いF型の中央台車は外した方が、
急カーブの脱線を防げそうなんですよ。
とりあえず電機のジャンク(パンタグラフ破損)を走らせてみて、
DF50もどきにするか、DD55にするか考えてみることにします。
本当にいままでどうもありがとうございました。 俺が勤めていた駅はDE11が入換機だけど
職場の先輩方はみんななぜだか(デーデー)と呼んでた 軸数でふと気になったんだが、
日本のモーターカー含めたディーゼル機関車で、3軸(C)の奴ってDC10・11以外あったっけ?
2軸は加藤や酒井のあれがあるし、4軸以後は腐るほどあるんだが・・・ >>447
私鉄や専用線で使用されていましたね。
汽車会社製は、DD11を片ボンネットにした感じです。
他にも協三工業・日立・三菱などの機関車がよく知られていますね。
変わったところでは三菱のB-Aの3軸とか、新潟鐵工所製の箱型ロッド式(津軽鉄道→東野鉄道)。
とりあえず"ディーゼル機関車 汽車会社 C形 3軸 "で画像検索すれば、いくつかヒットしますよ。
3軸なんて産業用や私鉄用に腐るほどあるぞ。
近年まで使われていた例では扇町の昭和電工25t新潟機とか。
B-Aは三菱のほか東洋工機でも作ってたな。 動輪数でふと気になったが、
A(1軸):片ボギー車、レールバス、ロケット号(蒸気)など
B(2軸):通常の気動車、スイッチャーに多数、小型タンク機(蒸気)など
C(3軸):産業用や私鉄用スイッチャー、普通の旅客蒸気機関車たち
D(4軸):どのタイプの鉄道車両にも多いので省略
E(5軸):DE10とその派生、BRclass28、デカポット機(蒸気)など
F(6軸):電気式ディーゼル機関車、電気機関車に多数
G(7軸):?
H(8軸):EH10・200・500など関節式機関車(蒸気でも関節式のマレーやガラットがある)
他は探せばあるけど、G型機って存在するっけ?(ディーゼル以外でも可) 通常の1エンジン気動車は1軸駆動だぞ。
日本の気動車で1機関2軸駆動が本格的に普及したのはキハ181以降。 >>455
あ、そうだったんだ。
初期のキハニ36450が2軸駆動だったもので、てっきりその頃からこれが主流かと…
>>456
2軸駆動するのに推進軸を2軸間に渡す必要がない電気式と一緒にしないでちょ。。。 戦前に2軸駆動を使った機械式ボギー気動車は、
主にチェーン連動で、でも当時の国産チェーンでオープンでの運用だから早々に切れるんで見放されるか、
まれにロッド連動で、やっぱり扱いにくくて見放されるか、で
最期には1軸駆動になっちゃってたからな。
戦前のシャフトドライブオンリー2軸駆動はギアボックスのコストが高くなるから
長岡鉄道キロ1ディーゼルカーとか、2エンジン連動の芸備鉄道キハ1のように、2台車駆動の例しかないな。 >>458
だから片ボギー車ってのがいたのね・・・うちの近所にもそいつが昔走っていたらしい。 チェーンの製造技術ってのも相当上がっているとは思うが、
いまの気動車に使用できるほどのものはあるのだろうか。
騒音と耐久性はおいといて、さ。 チェーンなんてメンテのめんどうなもの使うわけないだろ。 >>460
「気動車」ではないと思うが、レールバイクは今でもチェーン駆動じゃね?
オートバイベースの奴はちゃんとガソリンエンジンで動くし。
>>462
KATOのガソリン機関車みたく数トンのレベルならともかくだ、
積車なら20トンクラスにもなる中型ボギー気動車ともなれば、チェーンはちと不安だ。 >>463
俺は一瞬積水金属の模型にそんなのがあったのかと誤解したww>KATOのガソリン機関車 >>465
スマンww「関水」だったな。
しかし数トンもある鉄道模型ってないだろと思ったが、考え方によっちゃ遊園地とかのあれも鉄道模型なのかもな。
(普通は電気だが、物によってはエンジン動力。) DD12の警笛って、やはりアメリカンな野太い音色のエアホーンだったんでしょうか。 >>468
前に赤い旗持った人が
「どけどけ!!!DD12様が通るぞ〜〜」と ヤードマン(操車係)は現代の露払い人か…
向坂っていう機関士が書いてた著書にDD13にまつわるいろんな話が書いてあって消防ながら萌えたな。
今思えば組合関係の闘争の記述も多く際どい内容だったけど、乗務員の勤務ローテーションや貨車の組成方法、隠語の解説とか今でもヲタ的に通用しそうな内容だったような。 日本初のディーゼル機関車DC10・11に関する疑問だけど、あいつらロッド駆動だよね?
機械式の10は動力伝達構造が複雑になるのを防げるからロッド駆動にするのは分かるけど、
電気式の11もロッドで動くのはなぜ?
(この時代の電気機関車はすでに動輪1つ1つにモーターがついている。) >>471
─軸配置は1C1とされ、主電動機は2基が台枠上の先輪と第1動輪の間の位置に並べて搭載された。
これら2基の主電動機にそれぞれ取り付けられた主歯車の間に1枚の大歯車を入れて連動させ、
その大歯車の軸を左右に延長してジャック軸とし、そこからメインロッドで第2動輪に動力を伝達、
さらにサイドロッドで第1・第3動輪へ動力を分配する蒸気機関車に近い駆動系レイアウトが採用された。(wikiより)
スイスとかの電機にもあった方式だね。 アプト式ELもロッド式だったよね。
あれはちょっと違うか。
しかしDC10、11の画像無いな。
図面、イラストでもいいんだが、よく観察してみたい。 古い車両写真で見られるあの2形式は、斜めから撮った型式写真ばかりだから、図面でないと観察しにくいわな。 >>474
うちにある学研の古い「機関車・電車」という図鑑にDC10の側面図が乗っていた。
DC11はねぇ・・・ちょっと見かけないなぁ・・・ >>474
意外とメーカーにお願いするとあれば図面コピーしてくれたりする。
くれぐれも丁重にな。 「陸蒸気からひかりまで」にDC11のイラストがあった。
真横から見ると、下回りはほぼ蒸気だな。
入換用にしては大柄か?
そういや30年以上前のTMSに16番のDC11を作った奴が出てたな。
模型で気になったんだが、DD13(メーカー不明、葡萄色の奴)にあう動力ってなんかない?
(多少切り詰めるつもりで)鉄コレの12mの使ってみたらモーターが邪魔ではまらない・・・ >>479補足
ちなみに縮尺はNゲージ。
中古で買ったので細かいことは不明だが、ダイカスト製の足回りで、
元々ついているナンバープレート(ボディと一体形成)は「DD13 12」
前後のライトは飾りで光らない形式。 DD50の模型を見てた時に気がついたんだが、車体後部(通常背中合わせになる部分)の扉は何用?
反対側の車両に移るためか、それとも機関室に整備で入る際に使うのかどっち? >>482
前後の移動用
ま、検査用と言っても大きな間違いでは無いが。
>>486
>KHP222000043061.ppp-bb.dion.ne.jp<222.0.43.61>
>Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; GTB6; .NET CLR 1.1.4322) DE10の2エンド側正面って、のっぺりしていたと思うんだけど、
最近の写真見ると いつの間にか点検扉が付いてるのが多いで
すね。あれっていつの間に付いたんだろう。 >>488
勘違いしてるのは>>489の方。
貨物用500・1500番台はSGないのでのっぺりしてる。
貨客両用は点検扉がある。
>>490
SG搭載のなかったDEに点検扉がつきはじめてんの?
廃車体のボンネットを流用でもしたか。
説明不足でスミマセン。
例模型化の資料を集めていて気付いたんですけど・・・
例えば、
ttp://www.geocities.jp/akanouda/DE10/DE101603_N8701-17.jpg
だったのが、
ttp://blog-imgs-41-origin.fc2.com/g/e/k/gekiv/DPP_3716-s.jpg
になってるのが気になって、他のSG無しを調べてみると、結構扉が
増設されてるみたいなんですよ。詳細ご存知の方いらっしゃいますか?
逆に1000番代で扉が無く、のっぺりしているのもある。
例…DE101164
>>488
jtrain Vol.36の「DE10物語」によれば、ATS-P制御機を第2エンドのボンネットに設置したため、観音開きの扉が
増設されたという記述がある(53ページ)。 >>494
あーなるほど、そういう事だったんですか。
情報ありがとうございました。
燃料投下!
YouTube - 国鉄和田岬線
http://www.youtube.com/watch?v=6aKtFgCfXJY
DD13<旧客><旧客><旧客><旧客><旧客><旧客>DE10
>>497
車輌もそうだけど沿線や線路の雰囲気が素晴らしいですねGJ >>497
思い出すなあ。オハ64ってとにかく「がらんどう」な印象が強かった。
正直、旧客に乗ってる感興なんてほとんど希薄で(主観です。まだ宮原の
オハフ33もイベントや何かでよく出て来たし、客車列車そのものはまだ
元気に走ってたころに乗車したからそう思うのかもしれないが…客車自体が
よく整備されていて奇麗だったことも、殊更に非現実的な感覚を強めた)、
路線自体ののどかな、浮き世離れした印象が心に残っている。
でも懐かしいし、御礼かたがた自分の乗車時の編成表でも。
←兵庫 DE10 1054 オハフ64 オハ64 オハ64 オハ64 オハ64 和田岬→
(※DE10は兵庫方が1エンド、単機で機回しして運用。1988年6月12日) 宮原に民営化後も1両イベント用と64系の検査時予備兼ねたオハ46の電暖車がいたね。
土休日なんか走行距離調整兼ねてよく1両だけ差し替えられてた。
まぁ好きで乗りに来た乗り鉄とかイパーン人を収容するにはこっちの方が都合が良いのかも。
通勤客にも実際のとこ密かに人気だった。 私鉄DLもここでいいのかな?
鹿児島交通の最期まで動いてたDD12なんだけど、私鉄機ではこの機関車が好きだった。
DMH17系2基搭載の国鉄DD11派生形式なんだけどターボ化で500馬力に底上げ
してあって、後付けの増設ラジエーターが目立ってた。
工臨や車庫内でSL動かすくらいしか動いて無かったけど、本線で列車を牽く所を見たかった。
路線はあんな事になってしまったけど、DD12は加世田バスセンターで綺麗に塗装
されて静態保存されているから、まだ他社のカマよりはマシな扱いなんだろうな。 DD51のうち、長野機関区に配置されたカマがいたことはあまり知らされていない。 >>509
子供の頃、木曽福島から松本までDD51重連牽引の客車に乗った記憶があるから、
500番台だと思うが。 長野機関区時代の話でしょ。補機、優等用に配置されてたDF50の代替
長野運転所になってからが500番台なんじゃね 長野配置のは33−38は合っている。他には500番台が沢山あるので省略
だがピ−ク時には40両ほど配置されていた。特徴があるのは615が北海道
交通記念館で保存、717が名古屋で酒酔い運転で紀伊に突っ込み亡くなる。
その他は全て国鉄時代に死亡している。配置後数年で電化され北海道に転勤に
なったのが目立つ。資料はピクトリアル2004年12月号。
篠ノ井機関区になっても1年くらい残っていたDD51いた。 10年も経たないうちに人影の消えた操車場に「休車」の札下げて並んでただろうなw 俺は私鉄版DD11でDMH17SとかSZ積んだ仕様のエンジン音を聞いてみたかったな。
国鉄DD11の系列機なのに500馬力級とか萌えるやん。 DE50より、釧路のDE601相当の機関車こそ、国鉄借入機になってりゃなぁと妄想しちゃう。
出力/重量比がDF50の頃とは比較にならないほど向上してるんだよな。
(まぁあの時代に新形式入れるのは無理があったのは、
労組関係とかで分かっちゃいるんだが……)
あと時代遡るけど、DD51造ったときにその機関つかって純国産電気式を
造る発想さえ出てこなかったのは日本の鉄道車両史における謎だと思う。
(試作どころか検討が行われた気配さえ無い。まぁ素人のしることには限界あるが)
機関さえあれば、あとは全部電車や電機の部品と共通化出来るメリットもあるのに。
発電ブレーキで勾配区間にも強い機関車にもなったろう。
DD51・DE10・DD54と液体式に固執したのに何か理由はあったんだろうか?
(液体式は軽量廉価といわれるが、それなら何故西ドイツと日本以外では
電気式が重用され続けたのか?)
まぁDD50やDF50で電気式は重い高い使えねぇ……というイメージが幹部から現場まで
定着してただけなのもしれないが。
電気式の再評価がDF200まで掛かったのはほんとに惜しい。
保守の現場が電気式を嫌った話もあるけどね。
電気式気動車の話だが、千葉に配置された車は電気系統に問題が起きても東京近辺と言う事で電気車の経験者もいて
何とかなったが、北九州に配置された車は当時の小倉工場に電気車のノウハウが無く、お手上げ状態になったのだとか。
そんなこんなでC57と3〜4両の軽量な編成で代走したほうが手っ取り早いと言う事もあった訳だ。
幡生には電気機関車屋もいたが、管理局が広鉄と遠方の為に門鉄とは人事交流も碌に無いと言う縦割りが癌となった。
結局、現場が動力装置が2重になっていると見做される電気式への抵抗感を持ったと言う点は無視できない。
逆に、機械式や液体式ならば変速機もエンジン部品の一部と見做していたふしもある。
実際、機械式機関車や気動車は元々取扱っていた訳だしね。 >520
気動車くらいの出力だと電気式が嫌われたのも分かるんだけどね。何より重いし。
キハ44000代にしても飽くまで液体式完成するまでの繋ぎでしか無かったというし。
>北九州に配置された車は当時の小倉工場に電気車のノウハウが無く、お手上げ状態
ちょっと西鉄に頼んで整備してもらう……ワケにはイカンわなぁ。
ただ、本線用ディーゼル機関車となると先にDF50とかが或る程度普及している
状態だから、イチから電気式の整備環境造らなきゃいけないわけじゃない。
(寧ろDF50での経験や慣れが活かせる)
電化も進展してる時期だから、電気車の整備環境も無駄な投資にはならない。
まぁそんなこと言えるのは後世の部外者の見方であって
当時はDF50の「重い・高い・使えねぇ」という印象の下、
DD51(やDE10、或いはDE50)が魔法の機関車のように見えたのかもしれん。
DD54というハズレもあったけどw
よくよく考えたら技術でガラパゴスはこの国の(以下略
>521
傘歯車が作りにくいから(特殊な工作機械が必要だから)電車の直角カルダンは
普及しなかったとか云われてるけど、傘歯車なんて全ての気動車に、
またほぼ全ての自動車に入ってるんだよなぁ。
電車だけで嫌われたのが理由がよくわからん。
脱線気味の話でスマソ。 ディーゼル機関車の開発はメーカー任せの印象があるんだよな。 >>522
電車のベヘルギアとかハイポイドギアに折損が多発したのは、部品メーカーの技術力が
未熟だったのが大きいと思う。特に冶金とか表面処理の面で。
特に低回転でいきなり強トルクがかかる環境を甘く見ていた気が。
正直直角カルダンとか垂直カルダン、シャフトドライブはもう少し電車の駆動法として
見直されてもいいと思う。
三相交流モーターが普及したとはいえ狭軌で大出力狙うには不可欠な技術だと思うし、
低床路面電車やFGTといった新たな用途も現れてる。
日本のように、単機出力であまり高いところを狙わなくてもいいけど、駆動軸数を増やして
粘着を稼いだりダイナミックブレーキを効かせたい場合は電気式が一番だと思うんだよな。
液体式にこだわった最大要因の軸重にしても、低規格線での貨物営業とか入線機会が
ほとんど存在しない今日は無意味だと思う。
(問題になる線区や地上設備があったらそっちを改良した方が早いのは磐越西線見れば分かるし) 今現在の常識を当てはめても何の意味も無い議論。
当時はC12ですら速度規制受けるようなヤバい路線にすら需要があった。
本来は軌道改良等に金をかけるべき所だが、そう言う予算は殆ど首都圏か新線建設に吸い取られていた。
いきおいそのツケは車両の方に回されて、技術開発で何とかしる!となったわけだ。特に地方では。
そうなると軌道条件は放置したままで輸送力改善への近道となる液体式になるのは必然。
まあ、初期にそれなりの成功をおさめたDD11を拡大改良していくのが規定路線になった面もあるのだろうが。 >>522
電気式気動車はDF50の登場前にデビュー
電気式機関車のノウハウはなかった
小倉工場は機械式ディーゼル機関車の取り扱いは大の得意だぞ。
なんと言っても戦前からDB10形ディーゼル機関車の配置があったし、
そのDB10は戦後も機械扱いで機関換装や車体更新で80年代まで
愛用し続けたくらい機械式大好き工場だw 流れを無視するが・・・・
国鉄純正のゲテモノ、キワ90も一種のディーゼル機関車と言えないかな?
DD11の半分のパワーで、しかも軽すぎる為に死重が必要と言う間抜けな仕様だが、
どこぞのローカル私鉄のように機関車兼用の旅客車があっても良かったかもしれん。
たとえばキハ52ベースで機関をDMH17SZ(250ps)*2台にすれば500馬力級で
丙線級用の機関車としては最低限の性能を確保出来たはず。
♯C12よりやや非力なくらいか?
ついでに、北海道用はキハ22の車体延長版で。 >524
電車の話だけどシャフトドライブは低床路面電車で帰り咲いたね。
次はダイレクトドライブかな……(束的には黒歴史か)
>525
>そうなると軌道条件は放置したままで輸送力改善への近道となる液体式になるのは必然。
いや、DD11クラスまで電気式で作れって話してるわけじゃないから。
そもそもDF50が意識したのはC12どころかC57やD51であり、それなりの規格の幹線への
投入が前提。軌道条件と電気式(幹線用ね)の不利はあんまり関係ないと思う。
>528
ローカル線用機関車としてキハ52というかキハ65(を両運転台の一般型)の
ような車を使う手はあったと思うね。キハ20で貨車牽いた実績はあったわけだし。
まぁ、機関車代用に出来るほどの気動車用大出力機関が技術的に落ち着いたのが
既にその種の機関車の需要が消滅した頃であったというのはちょっと痛いが。
(DD16とキハ65の時代は微妙にかぶるけど) 島原鉄道のキハ5500だな。
島鉄は平坦線だから2エンジンの必要は無かったが、郵便列車を牽引する機関車として使ってた。
確か単行時用に1エンジンカットする機能があったはず。 DE50作成の頃は、まだパワーエレクトロニクスが発展していなかったから、電気式は無理でしょ。
国産液体式の手堅い作りを継承していたので、その活躍が見たかったな。 >>529
DD11の「系譜」ってことだよ。
そう言う意味ではDD13系、DD51・53・DD16・20・21、DE10系・DE50が該当する。
DD11は標準型気動車のコンポーネントをそのまま流用。
DD13系は戦前のキハ43000系の機関をベースにした機関に専用トルコンを新規開発。
DD51以降はDD13のスケールアップ。
この様にDD54等の例外を除けば気動車上がりの技術を応用・拡大していったのが国鉄の液体式の全てって事だ。 >>525
電気式で軽軸重のDD12
運転整備重量で47t 死重を下ろせば44t
もしかするとさらに軽量化できるようだ・・・
190psx2 380ps
スタート時の最大引張力12150kg
関東鉄道も2台エンジン車を買って、キクハをつなげる使い方してましたね。
そのために作られたのか、というと意味合いは違うけど。 >>529
>ローカル線用機関車としてキハ52というかキハ65(を両運転台の一般型)の
それが出来なかったんでポシャったのが国鉄レールバスだと思う。
あれなんかもDMH17を過大出力上等で載せて付随車や制御車、貨車を引けば
結構うまいことローカル線の合理化に貢献できたんではと思う次第。
結局当事者が意図せずに動車MT総括制御編成を本格導入したのが昔の関東鉄道なり
今の札沼線なんだろうね。
個人的にはマジメに研究した上導入したけど陽の目を見ずに葬り去られた、夕張鉄道とか
韓国国鉄ソウル近郊圏の例が日本の鉄道技術者にもう少し省みられても良かったんではと思う次第。 >535
レールバスは本場ドイツのは或る程度大きなエンジン積んで、
付随車牽いて輸送力確保してたよね。そこでケチるなよなぁ。
あと、レールバスではなくて大型気動車のMT編成の話だと
客車改造キクハ・キサハの大失敗も日本にはあるしなぁ。
まぁ重い60系客車改造だったのが失敗の原因だけど。
あれが10系軽量客車改造だったらもう少しは上手く言ったかもしれないけど、
あの時代にまだ新車だった軽量客車使えるわけもなく……。
ソウル近郊のDTTDに関しては、もともと朝鮮の客車が軽量客車だったのが
幸いだったと思う。
それから、日本の勾配だらけの路線形状だと、気動付随車は使える場面が
そもそも少なそうだ。
また、1両単位で解結する運用が当たり前で、運転台なし中間気動車(キハ18)さえ
嫌われた状況からいくと、やはり付随車や制御車は使いにくそう。
>534
平坦線かつ通勤需要のある関東鉄道のような状況なら、大出力気動車と付随車の
組み合わせを今時の新車で作っても可笑しく無さそうだけど、標準じゃないものを
入れるのは嫌なんだろうなぁ。
>ALL
気動車ネタ続いてすまん >533
DD12は名機だよな。白井昭氏も名鉄時代に扱ったそうだが、なんか凄く褒めてた。
ttp://www15.plala.or.jp/hidekih/usarmy.html
ここには電気式に対する偏見はない。
もちろん、電車メインの会社・技術者から見た評価だから、
これが全てに当てはまるわけじゃないけど。
そういえば、前にも他で書いたけど、日本の内燃車技術で
アメリカ由来のものは少ないんだよね。
1950年代の半国産電気式ディーゼル機関車は殆どがドイツやスイスとの技術提携だし。
DF50の対抗作で、台湾鉄道管理局R20のようなアメリカ製電気式ディーゼル機関車が
投入されていたらどうなってたんだろう?
(ちなみにR20は1950年代の機関車なのに、2007年当時でも現役だった)
ただ、飽くまで憶測だけど、アメリカのメーカーは日本が望む技術提携・ライセンス生産という
形には興味がなく、飽くまで完成品輸出に拘ってたんじゃないかなぁと思う。
だから日本にはDD12以降、アメリカンなディーゼル機関車技術が
殆ど入ってこなかったじゃないか……(例外がDD41と釧路DE601)。
日本の(というか国鉄の)国産品へのこだわりは良し悪しあったんだろうね。
結局、国鉄型で成功した機関車は気動車の流れを受けた車だからキハ42000の成功とキハ43000の失敗で既に勝敗を決してたな。
まあ、キハ43000の失敗は電気式だったせいではないのだが。
逆にキハ43000が成功していれば電気式を考慮する可能性はあっただろうが、DD13ですら重いと言われたショボい軌道条件じゃ大きな発展は考えにくい。
それに、電気式ならば大出力単一機関が望ましいが、これも当時の国産では難しいし中出力なら液体式で十分。
話は逸れるが、DMH17系の最大出力はDMH17SBの300psがある。
この機関は60年代前半には実用化されているから大出力だけを望むならDML30系の登場を待つ必要は無かった。
ただし、この機関は補機や配管の関係で横置きは出来ないので優等列車用には無理があった。 初代df91はエンジンがドイツ
台湾に渡ってからアメリカになったけど
>>537
> ただ、飽くまで憶測だけど、アメリカのメーカーは日本が望む技術提携・ライセンス生産という
> 形には興味がなく、飽くまで完成品輸出に拘ってたんじゃないかなぁと思う。
俺もそう思う。
アメリカ、カナダ、メキシコ向けだけで生産が追いつかないくらいのオーダーが来るのに
そんな面倒なことには手を出さなかったんだと思う。
それに、もともと、重さには無頓着な国だから、とにかく重い。
NW2やSW1200とかでも軽く100t越えるし。
ただ、当時、海外の情報として、アメリカ含む各社の機関車の研究はしてたはずだけどね。
おれは、国鉄の黒歴史な部分で、誰か(例えば島秀雄)が
「とにかくドイツを見習え! ドイツになら留学させてやる! ドイツが液体式なんだから、日本も液体式だ!」
という方針を立て、誰も逆らえなかったのではないか、と妄想してる。
北畠がキハ44000を適当にこさえたという談話から、そういう影響を感じる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています