ディーゼル機関車スレッド鉄懐版
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ここじゃぬるすぎる話しかできないと思うぞ。
路車板へドーゾ。 ポンポンポンはMANじゃなくて
Sulzerだったな…orz >>240
いいじゃないか、俺も試作機好きだからぬるく語り合おうぜ。
赤ブタ連中にはない温かみがあっていいよな。 ふと思う。
DD50の2連組、背中の出入口に渡り板みたいなの付けて、
運用していたのですか?
あるいは、普通は通らない非常口みたいな扱い?
何方か御教示を。 >>245
ここに連結部の画像があります
ttp://www.geocities.jp/koubou625/625/tamura/tamura.html
これを見る限りでは車両間の往来はあったのではないでしょうか >>246
ありがとうございます。
貴重な写真ですね。
正面〜斜め前からの写真では、わからない部分でした。
…思い出した。
直方機関区でDD13の142号機を見た。確か77年頃。
ちょうど、「DD14の補機として製造された」とか覚えたばっかりだったので
何でここにいるのか不思議だった。
後にピクの特集の車歴表で確認したが
直江津(72.10.4)→品川(77.10.5) と記載されている。
見間違いだったのかなぁ。 >>249
昭和も50年代になると初期型のDD13が老朽化してきたので、各地の余剰機が初期型が多い東京に集まりだした。
142号機も品川か汐留で見た覚えがある。
「DD14の補機として・・・」とあるが、もしや特殊装備があったりして。
そういう機関車は現場で嫌われ、各地をたらいまわしされる運命にある。
初期型DD13が多かった田端区も、161、172、235、329、347号機が転入してきた。
329号機は旋回窓付きだったが、やはり嫌われたらしくすぐに転出した。 >>250
142・143号機は、DD14と連結して総括制御される装備があったそうだ。
ピクの特集('07-12/No.797)によると、後に撤去されたとの事だが。
当時(小坊)のバイブルだった、RF'77年5月号(ディーゼル機関車特集)に142号機の事を
赤ペン(w)で記入していたから、その頃見たと思うのだが・・・短期間だったのだろうか。
…国鉄末期、廃車になったDD・DEがズラッと並んで色あせていくのを見るたびに
涙が出そうになったなぁ。 参考
1979年DD13配置
品川区 計40両
DD131、3〜6、10〜14、16、70、71、74、75、77、78、84、93、97、98、142、160、167、170、185、189〜194、206、211、219、223、240、354、366
田端区 計23両
DD1317〜21、23、25〜33、35〜37、113〜116、133
新鶴見区 計20両
DD13207、220、246〜249、259〜263、301〜305、346、348、355、365
連番で配属されているのがおそらく新製配置されたものだろう。
田端区はまだ古いカマが多く残っている。
小海線にDD13が入ったことなんてあるのかしら?
#ありえないとは思うのですが、、、 秩父鉄道のディーゼル機関車にて、40両の貨車を引き出す様子を見たが、
15‰程度の勾配上での起動で、ガラガラガラガラ〜とエンジンを吹かすが、
動輪がレール上でスリップし、空転を噛ましすぎて、5分も空転しっぱなしのまま
なかなか起動できないでいました。そして喘ぎ喘ぎとエンジンを断続的に吹かしつつ、
やっとこさ起動できたときはほっとしました。 >>253
小海線にDD13は無理だろう。
DE10も無理。
っていうかどこにそんな事書いてあるの? やっぱ、あるはずないですよね。。。
いや、そういう会話をしているのを耳にしただけで、
もちろんその人たちの知識も俺から見てもアレなんですが、
もしや、と思いまして。 >>257
DE10も入れなかったから、DD16造ったんじゃなかったけ?
>>258
そのはずなので、だからこそおかしいことも自明なんですが、
いくつも鉄道書を書いている人の発言でしたので(苦笑
そのあとの会話もDD13についてだったの言い間違いではないはず。
単に勘違いして覚えているんでしょう。 コヒのDDもそろそろ未更新機が絶滅してしまうから更新してあるやつを
原色にもどしてくれたらいいのに。そうすれば訪問する気も出てくるけどw 池◆◆◆田◆◆◆大◆◆◆作の本名はソ◆◆◆ン・テ◆◆チ◆◆◆ャク。
小◆◆泉◆◆純◆◆一◆◆郎、小◆◆沢◆◆◆一◆◆朗は朝◆◆◆◆鮮◆◆◆人。
9◆◆◆11では小◆◆◆型の水◆◆◆爆が使用されている。
http://r◆◆◆i■ch◆◆◆ardk◆◆◆osh■im◆◆◆izu.at.we◆br◆y.in◆f◆o/
創◆◆◆価の◆◆保◆◆◆険金殺◆◆◆人事◆◆◆件。
オ◆◆◆ウ◆◆◆ム事◆◆◆件は、統◆◆◆◆一・創◆◆◆◆価.北◆◆◆朝◆◆鮮の共◆同犯行である。
C◆◆◆I◆◆Aが監◆◆修している。
http://www15.o◆◆cn.ne.jp/~oy■◆◆ako■◆◆don/kok_web■site/ir■ig◆◆◆uc■hi.h◆◆◆tm
与◆◆◆◆党も野◆◆◆◆党もメ◆デ◆◆◆ィ◆◆アも全◆◆部朝◆◆◆鮮◆◆◆人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■◆◆bs/read.c◆gi/ne◆◆◆ws/20■◆◆92/11◆◆57◆94◆■13◆◆06/
2◆◆チ◆◆◆ャ◆ン寝るは「■とう◆◆◆◆一■教■■会■」が 運◆◆◆営して「個◆◆◆人じ◆◆ョ◆う◆ホ◆◆う」を収集してる。
駅◆◆前で「■手◆◆◆◆◆相を見せてください」 と「カ◆ン◆ゆう」してるのが「■と◆う◆◆◆一◆◆■教■■会■」。(カ◆◆◆◆ルト宗■教)
ユ◆ダ◆ヤ権◆力の◆子◆分→2◆ち◆ゃ◆ん運◆◆◆◆営=「とう◆◆◆一◆教◆会」上層部=層◆化◆上◆層◆部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝◆鮮◆人ハーフの政治家=金◆正■■日(キ◆ム・ジ◆ョン◆◆◆イル )=読◆◆売サ◆ン◆ケ◆イ=小◆◆◆沢◆十◆朗。
毎◆日■■■新聞◆◆◆スレを荒◆◆◆らしてる◆奴◆◆らも「◆とう■■■一■教■■■会◆」。
荒らしは洗◆◆◆脳するために「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などのレ◆◆ッテ◆ル◆付◆けレ◆スを何◆千◆◆回もする。
現◆◆◆実には「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などは存◆◆在し◆◆ない。
http://c◆ha◆ng◆◆◆i.2ch.net/te◆◆st/r◆ea◆d.cg◆i/m◆◆s/12◆30◆36◆◆◆33◆8◆5/ 今でも簡易線とか特甲線なんて区別のしかたってあるの? 今は1級線から4級線と呼び名は変わってるけど、実態は大差ない。
何せ、橋梁の荷重上限とかがこれ前提で定まってるから、大きく
変えようが無いとも言える。クーパー氏E系列にせよ、KS系列に
せよ。 30kgレールでも低速なら軸重13tぐらいは大丈夫かな? >>264 さんがいうように、レールだけの問題ではないらしい。
小説「盲人重役」で鉄道にお召しを走らせるためにC12を導入する
段になって、橋梁のKS規格がどうのという生々しいくだりが出てくる。 JRでも、未だKS-10のプレートガーダーとかあるしな…。
>>268
30sレールでおまけにいくつもの枕木が腐って中空状態になっている名鉄の側線でも
国鉄DE11(軸重14t)が入換に低速で入っても大丈夫だったよ
ミシミシ言っていたが >>272
ただ入線するだけなら大丈夫さ。
30キロレールは側線によく使われていた。
C62やD52だって平気で入っていたよ。
機関区で撮った写真を見ると、線路がやたら貧弱なのがわかると思う。 >>273
あのさ>>272は大丈夫だといっているのに
なに反論してんだよ 捕捉には読めても、反論には読めないんだけど。おまえこそ大丈夫?w 捕捉って・・・「補足」だろ 間違えるな
アンカーが>>268なら判るがどうみても補足しているようには文面には感じられない 単なるアンカーミスじゃないの?
マッタリいこうよ。 >>272
30kgレールにて、キハ65系を無理に入線させて、試験的に
80km/h付近まで加速したら、それこそがたついてたまらないと思う。 >>276
2ちゃんで誤字指摘カコ(・A・)イクナイ!! >>278
スピードが出せないのは30kgレールだからじゃない。
ほとんどは道床が原因。スラブ軌道に30kgレールだったら
キハ65くらいの重量なら最高速で走ってもなんともない。 国鉄DD13の総括制御型って70両近くも作られたけどロータリーの後押し以外にそれを必要とする仕事があったの?
ふと疑問に思ったもので。 DD14と重連で貨物引いたり・・・ってのはレアな例か。
汎用性を求めたんじゃないか? >>281
広範囲で重連での貨物列車牽引を考えていたんじゃないの
その後はその役目をDE10に取って代わられたと・・・ 911が検測車牽いて160km/hで実走行するのを見たかった…
登場当時世界最速のディーゼル機関車だったそうな。
2台機関で6軸駆動ってのにも萌え〜
輸出向きにおんなじの作ってどっかの国で走らせてくれないかな? なんで今更40年以上前の機関車を作らにゃならん。
どこもいらんぞそんなもんw そりゃまぁ国内向けにも交流駆動の電気式しか作ってないしな。はい次〜 DD54はMaybach社製のディーゼル機関に、Mekydro社製のトルクコンバーターが使われていた。
エンジンや変速機はドイツの機械メーカーのライセンスで製造された。
しかし、当時の日本は海外製の車の整備が未熟であったことが災いし、合わない推進軸を使用したため、
エンジントルクの大きい点が災いして、推進軸が折損し、線路に突き刺さって脱線する事故が2件あった。
また、エンジンやミッションの冷却器の送風機が故障して、トルコンのミッションオイルの油温が上がりすぎて
オーバーヒートを起こしたこともあったし。
もし、キハ40系で、Maybach社製のDMH18HZエンジンを使っており、Mekydro社製のDW11を使っていたとしたら・・・。 >>287
末期は貫通扉も埋められて本当に哀れだったな >>284
911の登場後に仏で計画された高速鉄道用機関車=TGV原型はガスタービンだったね。
あの頃は架線集電技術の上限から内燃機関化の方向へ向いていたようだけど。 来年度にはDEの後継が出てくる。DDの後継は5年以内くらいには
出てくるだろうか? 北海道以外のDD51使用線区ってどれだけ残ってるでしょうね?
J北が樫とかを残すためにDF200新製もしくは
J貨に運転委託するかどうかが気にかかります。 ぱっと思いつくのんって、城東貨物線と関西本線四日市近辺くらい。 >>291
DDの後継は多分DF200をベースにして出力を抑え旅客会社にも使い勝手の
良いものになるんだろう。もちろんエンジンの出力を有効活用できる電気式だな。
DEの後継は、もはやヤードもなく、ローカル線での小運転もない現状では
モーターカーに毛が生えた程度のものになるのでは。 >>295
DF200に寝台車牽引対策を施したのを鷲別に配置して
貨物共用で寝台特急に貸出運用するのがオチではないかと 九州はしょーもない理由からDE10が手放せなくなってる。
孤立してる筑肥線の103系&303系を小倉工場へ回送するのに唐津線を経由
してるので、そこそこパワーがあって軸重が軽めのDLは必須。
電車は重いし、ビミョウに峠越えだし、幹線じゃないし。
唐津線を電化するよりは新製するなり中古を買うなりした方が安いよね。
余談だけど、姪浜以東を廃止したのは思い切り良すぎ。
当時より沿線人口は激増して西鉄バスを喜ばせただけだった。
しかも元私鉄だけあって、当時の配線は鹿児島線と干渉しないから博多駅構内まで
直流電化可能だったのにね。
最近まで1番線は非電化のまま放置されてたくらいだし。 もう唐津線って、し鴨は第2種免許返上してしまったんですかね?
痛違いかもしらんけど、記録するのは後継車が決まってからじゃ遅いかと。 >>298
あれくらいの路線があるんだし
使いやすい大きさのDE10なら持っていても役に立つだろう DE10、DD51にて、「フォーン!!」と言った感じの綺麗な音で吹鳴できる警笛は少なく、
対外は「ホーッ!!」とか「ピィーッ!!」などの感じの出ない甲高い警笛。 >>301
別にDD51・DE10に限った話じゃないが、DL・ELはタイフォンじゃなくてホイッスルだからだろ 電機はホイッスルとタイフォンついてるのあるけどね。 民鉄の機関車でタイフォンだけのやつがあるが、違和感がのこる。 DLといえば、肥薩線の真幸>矢岳行きのトンネルの中でオハとオハユニの2両を牽いた
DD51がエンジン全開にしながら今にも止まりそうな速度であえいでいたのにビックリした。
SL時代に酸素マスクが必要だった話が理解できた。 >>305
それは大げさ杉w
DDに客車2両なんて空荷みたいなものだ。トンネルでアイドリングくらいの
エンジンの音がでかく聞こえてただけじゃない。 >>306
そんなもんですか…
小学生の頃の記憶なんで…
車内が排気で超ディーゼル臭くて夏だったのでかなり暑かったっすね。
オハ後端から見ると、トンネル内の保守白熱灯がカゲロウになってて、結構迫力ありました。
オハユニは61でした。 【アニメ】機動戦士ガンダム THE ORIGIN アニメ化決定!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news7/1233725724/
>の熱意に折れ、安彦良和氏がトータルビジュアルディレクターとして参加する。
>フルハイビジョン制作、音声5.1ch。最高のスタッフと制作環境で
>あのファーストガンダムが甦る。 鉄道大好きバスツアー『扇形機関庫のDE50とキハ28国鉄色みまさかスローライフ号』の参加者募集中です。
http://www.kintetsu-bus.co.jp/news/topics.cgi?no=334
このたび当社ではみまさか鉄道近代化遺産を訪問する日帰りバスツアーを企画いたしました。
1.出発日・集合時刻 5月10日 近鉄上本町駅2階バスセンター 7:00集合
2.旅行代金 大人 6,500円 小学生 6,000円
3.今回のポイント
(1)旧津山機関区の扇形機関庫を訪問し、庫内に保存されているディーゼル機関車を見学。
・1両のみ試作されたDE50型の1号機…美しく再塗装されました
・DD51型1187号機…特急出雲を牽引するなど山陰で活躍した機関車です。
・DE10型1号機…JR四国からの貸し出し車。5月で展示終了し返却される予定です。
(2)みまさかスローライフ号に乗車
・なつかしの国鉄急行型キハ28系を使用した因美線の臨時普通列車で、例年春と秋の数日しか運転されないイベント列車です。
・途中駅の長時間停車を利用して、地元の方による行事や出店を楽しめます。
(3)高速運転が自慢の第3セクター「智頭急行」に乗車
(4)姫新線で3月にデビューしたばかりの最新鋭ディーゼルカーキハ127系に乗車 DE10 1は貸し出しだったのか。津山にずっと置いておけばいいのに。
あちこちにバラバラと保存するより一箇所にまとめて保存してほしいぞ。 この前不要になったDD19なんかも廃車になったDD51の台車に振り替えて
DD17として置いてほしかったな。自走できなくてもいいんだしw DLの動態保存は難しいだろうね。
止めればオイルも下がるし、鉄道車両としてはエンジンが精密機械過ぎるし。
良く車好きの兄さんがエアフィルタをブローしたり、交換したりするけど、大型トラックや鉄道車両ではギリギリまで行わない。
理由はフィルタチャンバーを開けると、開けた時のホコリがエンジンに入るから。
実際、通常の商用エンジンではエアフィルタの下に「開けた時のホコリをキャッチする」フィルタがもう1つ着いていたりする。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
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〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
ちょっと気になることなんですが・・・
アメリカのディーゼル機関車には、流線型で片側運転台の奴がありますが、
ディーゼル機関車をわざわざ片側運転台にするメリットは何なのでしょうか?
流線型でも両側運転台にすれば、終端での転車台などによる方向転換の手間が省けるし、
現にアメリカ以外の国はそれが普通(*)なんですが。
(*…ICEみたいな固定編成で、両側に機関車が付いているのは除外。) >>315
アメリカのディーゼル機関車は重連運転が主なため、片運転台でもの足りる。
折り返し時の貨車や客車の付け替えは機回し線を使うか、プッシュプル運転を行うが・・・。 長さ500m越え当たり前、1km編成すらあり、
無線操縦で編成内中間にも機関車を組み込む事例あり、
先頭本務機直後に運転台無しのブースター機を繋ぐなど、とかくスケールが違うからね、アメリカは…… >>316
あ、なるほど。そういえば日本でも、重連前提のDD50は四角いけれど片運転台式だったなぁ。
峠越えの後部補機なんか向き関係なく繋げてるしな。
まぁ碓氷の63も横川側に乗務してたけど。常紋は進行方向の運転台使ってるね。 素朴な疑問。
DD50は重連の写真しか見たことがありません。
なぜ2車体連結電機のように「DH50」とは呼ばれなかったのですか? 一応1台で動けるから。
EH10やEH200、EH500はブレーキ装置やコンプレッサ、MGが1台だけで片側だけじゃ動けないんだよね。 >>319
あれは向き関係なくというより、安全上の問題みたい。
勾配が日本一きつくなった大井川鉄道の井川線では本務機・補機ともに下流側に接続するが、
客車に比べて機関車は重いので麓側に置いた方が安全らしい。
実際、英国唯一のラック鉄道で有名な「スノードン登山鉄道」では、開業初日に「ラダス」という機関車が
ラックレールから外れる事故が起こって、そのまま暴走したラダスはカーブを曲がり切れず脱線→がけ下に転落。
しかし、客車はラダスの道連れを免れ、(連結が外れたこともあって)自動ブレーキ作動で助かった。
(ちなみにこのあと後続の列車も同じ事故を起こして、今度はラダスの客車に助けられたそうな。)
逆につないでいたら、この場合機関車に巻き込まれて一緒に落ちていただろうな。 その勾配に対応したブレーキを持ってる機関車が下からささえるのは
普通でしょ。客車は特殊なブレーキを持ってないんだから。 少し前、富山市内の国道41号線で、「D351」と書かれた、
機関車のボンネットを二つ載せたトレーラーが南下して行った。
何だったんだろう? 入れ替え作業で思い出したんですが、
「英国国鉄クラス08(*)」は、エンジンがでかくて前方の視界が蒸気機関車以上に悪そうなのですが、
入れ替え作業では前後の視界確保が大切なはずなのに、なぜにこのような形状になったのでしょうか?
(実際、これ以前の旧タイプはL字型のが多かったし。)
大量に作られたところを見ると、別段欠陥機とかじゃなかったようなんですが。
(*…日本人には「きかんしゃトーマス」の「ディーゼル」の形状というと分かりやすいか?) >>326
英国は最近まで前照灯を持たない機関車や電車があったところを見ると、前方視認は
それほど重視されていなかったのではないかな。
もともと前が見えにくい蒸気機関車時代からの伝統というか 鉄道では、前照灯は自身の存在を示す物であって、視界を照らす物ではない
ことになっている。実際全然よく見えやしないよ。
だから片方タマ切れで走っていても、規則上何の問題もない。 >>328
図鑑にも書いてあったとおり、
「列車用の前照灯は、列車の存在を示すためのものであって、
自動車用の前照灯とは異なり、視界を照らす役割はない。」
ただ、トンネルではある程度坑道が見えるし、夜間の運転時に、
標識がかろうじて見える程度である。
また、二重のフィラメントが入っており、1つのフィラメントが切れたとしても、
明るさは半分失うものの、いっぺんで明るさが消えないようになっている。」 >>320
DD50は単機で四国で営業列車を牽引した事があるよ
つまり2車体の永久連結ではなく片運転台の単機で普通に運転できるから テンダー蒸機がざらに走っていた時代だから、同じようにターンテーブルで回して使えたんだよな。
それと、当時の土讃線あたりの運用は比較的短編成で、DD50程度のパワーでも一応は使えたって事だろう。 DD50を四国以外で単機で使ったことあるのか?
聞いたことないんだけど。 >>332
それでも使用成績が芳しくなかったみたいで、すぐに北陸本線に戻されたと聞いた。 思ったのだが、普通に背中合わせに重連するのではなく、英国のHSTのように客車を
挟む込むようなことは考えなかったのだろうか?
もちろん重連総括制御用の引き通しは客車には必要だが、中間の客車は20系の固定
編成にすれば、キハ82よりパワフルなディーゼル特急になるんでないか?
>>334
DD50-4の土讃線運用はあくまでピンチヒッターだったというぞ。
>>335
日本では軸重とそれに伴う速度制限がネックになったろうし、床面積を機関車部分に喰われるから当時の国鉄では嫌ったろう。
それにDD50出現時点では、
後年のDD54に積まれたマイバッハクラスのごとき桁外れの大出力エンジンが得られてなかった。
DMH2エンジン仕様の優等気動車で長編成を組んでパワーと動軸数を稼ぐのが
せこせこしてはいるが国鉄の技術力の限界を思えばまだしも得策だったのは否定できまい。 >>335
その通りの使い方も考えられたようで
実際に北陸線新ルートが出来た後ローカル線となった柳ヶ瀬線で
DD50+客車2両+DD50という運用があったよ
レイルロードのDD50という本にその写真も載っている >>335
馬力/重量を見るとそんなに効率よくないかも・・・
(イメージ的にあなたのいう特急に近い形状のキハ43000の付随車が約30tだったので、重量が近いナハ20を使用と仮定する。)
DD50プッシュプル急行
・900×2(PS)/63.4×2(=126.8)+29.1×客車数(t)
(ナハ20:1両64人乗り)
で、比較用に年代の近い準急形気動車キハ55(の初期形)を例にとると。
・160〜180×2(PS)/36.2(t)
(キハ55:1両84人乗り)
馬力/重量が同じぐらいの場合が、おおよそ客車2〜3両(全部で4〜5両編成)
ぐらいなので、これが満席だと乗客数128〜192人乗り。
一方キハ55だと3両編成で252人乗せられる(機関車がない分全長も短い)ので、
この急行のメリットは薄いような・・・。 >>337
その運用、RMの三八豪雪の回想記に出ていたけど、通常のDCだと除雪抵抗が大き過ぎて車重の軽さ故空転してしまい運転できなかった為の緊急避難的措置みたいだね。
重量の重いDD50で強引に雪を押しのけていく様な。
後ろの機関車はエンジンはかけっぱなしだっただろうけど駆動していなくて単なる死重だったみたいだけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています