>>447 >>440です
これは「釈迦に説法」だと存じますが、ISO規格に限らず、私企業をはじめとする「組織体」が、
製品及びサービスを供給するうえで遵守せねばならない「法令」を含め、すべての要求事項を満足させる
ための「業務標準(スタンダード)」というものは、「それが適用される範囲における最低限度の常識
を記述してあるだけ」だと理解しないと、製品及びサービスの供給者が当然実現すべき最低限の「品質」が
担保できません。

御説にある、「日本企業の美徳的文化」は確かに貴重なものですが、「組織体」が「和」を最重点に
ものごとを考えて「要求水準」を上げ過ぎますと、それ自体が暴走して、例えば「不適切なルール」や
「二重帳簿作り」などを招く危険性が高くなります。

昨今話題の「企業品質不祥事」を鑑みますと、「組織体」内部における「管理監督者の暴走」、即ち
「ルール違反の常態化」が、主因のひとつになっています。これを未然かつ有効に防止する「手段」の
ひとつが、「ISO式の品質マネジメントシステム」でいうところの、内部監査なり、第三者認証機関
による適合性審査になり得ると考えます。

また、世代交代による「文化」の盛衰ですが、従前の「文化」を「金科玉条」として死守するだけでは
時代の変化に対応することができません。現場実務のベテランが持つ経験をすべてマニュアル化することは
とても難しいでしょうが、誰が現場実務を担当しても、最低限同じ「品質」の製品及びサービスの供給を
実現するには、どうしても「業務のドキュメント化」という、「手段」に訴えざるを得ないと思います。

ここで押さえるべきは、人間の行動に「完璧性」を求めないというのが大きなポイントになると考えます。
つまり、人間が為す行動には、どうしても「不完全さ」が存在します。それをきちんと認めておかないと、
「現場実務」と、ドキュメント化された「業務スタンダード」が乖離する事態を招くことになりかねません。
そのような事態に陥らないためには、「業務のドキュメント化」の精度を「継続的に改善」する必要がある
でしょう。当然これにはベテランからのフィードバックが有効なアイテムになると存じます。

そういうわけで「組織体のトップマネジメント」が、「ものごとの理非善悪や正邪曲直」をきちんと別けて
考慮及び精査し、「主に国際間取引における最低限の常識を規定しているISO規格認証」の取得のみに
こだわらず、「組織体」の必要に応じた、「客観的な自己分析のための経営ツール」を自主的に導入する
とともに、それを適切に維持運用させることは、狭義の「業務改善」ではなく、旧来の日本企業の文化に
なかった「イノベーション」だと位置づけるのが望ましいと思うのです。