障害者保護の理由に多様性を理由に使うのは間違い
多様性は勘違いされている。
多様性とは災害やパンデミック起きた時の予防装置。
色んな能力を持つ人がいないと人類は永存できない。
だけど、独りで生きていけない、生活できないような奴はどの時代でも役に立たないだろ?
勉強できないけど運動できる
勉強できるけど運動できない
学業できないけどサバイバル能力は高い
学業できないけど芸術の世界の能力は高い
こういう連中は多様性理由に保護され活躍の場があるけど、
そうじゃない連中に多様性理由に優しくする必要はない。
無理に活躍の場を設ける必要はないと思う。
自立できない障害者を保護する理由は憲法の生存権のみで十分。 進化の途中では単なる欠陥でしかない状況もある
そこをどうにか突き抜けて別な構造へと辿り着いて多様性になるってな
そんな遺伝子の変化途中が含まれてるかもしれないので多様性で正しい 自立できない重度障害者は多様性の枠外
多様性っていうのは
見た目の悪い奴、性格の悪い奴、変な奴とか
普通の社会では受け入れられてないけど、自立する能力は持っている奴
そういう連中はどこかで役に立つよねって話で
社会で守っていきましょうって事
自立する力のない重度障害者は多様性とはまた別の話だと思う 多様性って今や個人のわがままを正当化するための言葉になってる