反差別運動の最大の問題は、彼らが糾弾する側にまわることで、
あたかも自分には人を差別する心が全くないかの如く振る舞い、
その実確実にある自分の中の差別心と向き合わない態度のやりきれなさにある。
それにより反差別をめぐる言説は常識による歯止めを失う。
糾弾する側はもとより、差別されている当人にも差別する心はある。
さらに言えば、差別している側にも戒める心や相手を理解しようという気持ちがある場合もある。
ことほど左様に差別をめぐる状況は複雑で、善悪二元論でかたがつくものではない。
まずは自分の中の差別心を認め、現れとしての差別を許容すること。
その上で双方が歩み寄れる地点を模索することの中からしか、
過剰な差別心を落ち着かせる穏当な解決策は出てこない。