女子体操総合スレ PART33
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女子体操について広くマターリ語るスレッドです。
これからもみんなで応援しましょう
日本体操協会 | Japan Gymnastics Association
http://www.jpn-gym.or.jp/
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女子体操総合スレ PART32
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/gymnastics/1692658411/
次スレは>>980が立てる>>980過ぎたら次スレが立つまでレス控えて下さい 跳馬競技が終わった後に村上茉愛が岡村真を叱りつけていた。 第17位:村上 秀斗(1)74.850
村上弟の演技がみたいけど、どんな顔かわかんね 村上茉愛って離婚した方が良いよね
あんな性格に難がある女
目上の人に対して思い知ったかはない 村上茉愛って可愛くないと思う目はクリクリしてるけど口元キモいし鼻でかいし顔もデカい レオタード姿が美しくないね
太ももが異様に太く尻がデカく短足
平岩みたいに均整でなく
畠田みたいにスレンダーでもなく
杉原みたいに胸があってセクシーでもない もう笑うしかない
笠原と画面に出てアナウンサーも紹介したのに
突如画面が変わり、男子へ… もう笑うしかない
笠原と画面に出てアナウンサーも紹介したのに
突如画面が変わり、男子へ… 1年ぶり復帰の笠原
段違いと平均台の2種目演技したみたいだね
段違いは落下?平均台はまずまずの点数 鯖江高校の団体の勝ち方面白いね。
皆が全種強い必要がないってお手本のようだ >>13
行かないと言っていた
相好でこのまま続ける 愛子ちゃんの引退後は私のお嫁さんが確定しております
それまで悔いの残らないように戦ってください^^ 愛ちゃんはオレの不倫相手だお⊂二二二( ^ω^)二⊃ 速報:
20代の未婚女性のうち、今まで一度も異性と付き合ったことがない人は29・8%で前回調査(24・3%)から増加。30代は25・3%(前回調査23・0%)、40代は26・5%(19・9%)。
産経新聞 2023/12/12 15:56
https://www.sankei.c...4DBBI5MBMYB4SCVRFQA/ 渡部葉月選手はオリンピックは無理ですか?可能性はありますか? 手術してから全日本まで8ヵ月しかないから
選考会に出られるかも微妙
上位に入るのはかなり難しいかと
5月に手術した山口さんは全力疾走はしてる
半年経って技の練習に入ってるとのこと
まだ着地はやってないみたいだが 渡部選手の情報、ありがとうございます。m(__)m
なんとかまにあうといいのですが。。 渡部選手の情報、ありがとうございます。m(__)m
なんとかまにあうといいのですが。。 笠原は手術から1年後団体戦で復帰したけど
段違いと平均台しか演技してなかったな パリ五輪代表はNHK杯の上位4人+貢献度1人
個人総合は全日本予選決勝NHK杯2日間の4試合の合計
貢献度は4試合中上位3試合の平均
(ベースの得点は個人総合で選ばれた選手の上位2試合の平均) 井岡さん(離婚して旧姓に戻ったみたいだけど)再犯しちゃったのね
他の男性コーチ二名って、名前載っていないみたいだけど、前にも処分(連座で)された人かな?
カウンセリングとか受けていなかったの?
ただ何年か経っただけで処分解除したらダメなんだよ
アンガーマネジメントできるような治療が必要なんだよ
あれは一種の依存症なんだから 報知は他二名も実名出たんだ
産経ではなかったけど、男性は前にも処分された人か、もう一人は娘さん?
処分だけじゃなく治療も受けてほしい
二度目だから復帰は無いかもしれないが
関西方面の育成強化に穴が空きそうだが
小林先生は、もういないのに 全く意味不明なカキコやな
一度医者に行ったほうがいいで 復帰なんてないでしょ
永久追放って書いてあるよ
あとの2人もどうだかな 永久追放って正式な処分名なの?
除名じゃないかと思うんだが
再度登録できないように各都道府県協会に通達出るのかな
もう一人の男性コーチも前に処分された時は、単なる連座だったみたいな報道だったが
共犯関係の従犯だったってこと?た 元関係者のXで、永久追放なんて意味ないって言っている
NTCには入れないけど、自分のところの体育館で指導はできるし
最悪フロアに降りられないだけで、客席に座っているって
選手本人や親が暴力受け入れていたら、どうにもならないんだよ
ディナモ亀岡の時は、教室ごと資格停止したけど、選手はディナモの他の教室に移籍して試合には出られたからね
チェーンの場合は、それで処分回避できるんだよね 全日本出場有資格者リストに疑問が
24番目に桝井美咲さんが載っているけど、全日本シニア棄権している
アジア大会代表だから、協会推薦ならわかるんだけど
大会のスコア並べた順位だと該当しないと思うんだが レスがほしいからって元関係者Xのカキコやめれ
レス乞食は、一度医者に行ったほうがいいで 芸スポにスレ立ってたけど
杉原選手の新レオいいじゃん
下を一分丈レギンスにしたようなヤツ
女性体操選手は昔からどの国の人も座り方が奔放だったり
開脚技のうつし方とか観てるこっちがヒヤヒヤしてたけど
あのレオなら解消される事ありそう
うつし方も配慮がされるようになったし 練習着じゃん短足に見えるし
日本の選手には厳しくない? 渡部葉月のインスタを見ました。ひょっとしたら間に合うんじゃないかなと思いました。 村上さんなんでこんなに嫌われてるんですか?性格良さそうなのに。 アジア大会で跳馬競技が終わった後に、村上茉愛が岡村真を叱りつけていた。 >>42
何か理由があって叱ったんだろ。意味もなく自己都合でヒステリックになる性格ではないだろうし 中学生の頃、近所に住んでいたお姉さんが体操競技の選手だった
といっても、それを知るのは後になってから
当時は、たまにすれ違うと明るく挨拶をしてくれる程度の関係
ただ、背が高くてスラッとしていて、女優さんのような美人だった
可愛いというより美人、中学生から見ると凄く大人っぽかった
中学1年の夏前、2階の自分の部屋から外を見るとお姉さんの家の2階の部屋が見えた
道路と2軒分くらいの空地を挟んだ場所にある家で、部屋には人影が見えた
ドキッとした
当時としてはお洒落な作りの家で、部屋はほぼ全面が窓で、ブラインドがかかっていた
それがきっちり閉められていなくて室内が見えたのだ
当時の僕は天体観測が好きで、双眼鏡もいくつか持っていたので、それで覗いてみた
すると下着姿のお姉さんが床に座って、テーブルに置いた鏡を見ながら何かしていた
しばらく見て、腋の毛を抜いているのだと気づいた
きれいなお姉さんの生々しい部分を見てしまい、妙に興奮した その夜は、すぐにパジャマを着て電気を消してしまったが、それから毎晩、部屋をチェックするようになった
もちろん、ブラインドが完全に閉まっている日もあるが、3日に一度くらいは、ほぼ完全に見える角度だったり、かなり見える角度だったりした
僕は、几帳面な部分があり、下着が見えた日は色をノートに記録した
くっきりとしたオレンジ、白、ちょっと子供っぽいイチゴのイラストが描かれたもの、ピンク、水色…白は形が違う複数あった
大きめのを履いている時は生理なのだろうと想像した
よくストレッチをしていたし、やたらムダ毛処理の場面を見た
鏡に向かって笑顔の練習もしていた
当時は年齢差も考えたことがなかったのだが、僕が高校に上がると同時にお姉さんは大学に進学した
その頃、親から、お姉さんが体操競技で注目されている選手で、強豪大学に進学したのだと聞かされた
地元の新聞に載ったり、NHKで放送されたりしていたそうだ 子供だったから、興味のないことは全然知らなかったけど、けっこう有名な選手だった
というか、わりと近くにある高校が近隣県ではトップの強豪校で、お姉さんがそこに通っていたことも初めて知った
それからは、たまにお姉さんの動向を調べるようになった
一度、大会のテレビ中継で競技をしているのを見かけて、うわぁ!お姉さんだ!とドキドキしたことがある
ただ、大学に進学してからは実家の部屋に明かりがつくことはなくなり残念ではあった
とはいえ、いつか帰省する日もあるだろうと毎晩チラッと確認するのは日課になり、だから電気がついている夜を見逃すことはなかった
下着が大人っぽくなっていた
レースの量が増えて、ツルツルした素材のように見えた
何より色が、黒とか濃い目のピンクとかだった、白もあったけど
スキンケアをしているところ、腋の処理をしているのも見た
結局、自分の大学進学で地元を離れるまで見続けた
卒業して、就職して、数年後に地元へUターンで転職、実家の隣町に引っ越した
久しぶりに実家に帰ったら、お姉さんが小さい子供を連れているのを見かけた
やっぱりスタイルは良いし美人だった ありがたいことに、お姉さんの名前で検索すると、それなりの量の写真が出てくる
名前でなくても「無名のキレイな選手」みたいな感じで出ている場合もある
盗撮などの規制が厳しくなる前だったこともあるのかもしれない
今になって、腋の処理を一生懸命していた理由もわかった
大学ではそこそこ?活躍し、競技は引退して、それからどうしたのか知らないが、しょっちゅう子供をつれて実家に来ているようだ
見かけるたびに、中学生の頃、寒い冬でも窓を開け、部屋の電気を消して双眼鏡を構えていた日々を思い出したりする
まぁ、やっていたことは変態的な行為だけど、僕にとっては思い出だ
そして、それ以来、体操競技に関心を持ち、お姉さんの高校、大学を中心に追いかけ、今では幅広く応援するようになった なおやが4歳のころ、預かってもらっていた知り合いの家から姿を消した
預けられた人に黙って体育館に来たのだ
大騒ぎになって、みんなが心配している時に、なおやがひょっこり体育館の玄関に現れた
メスブタは、なおやの頬を叩いた
なおやを叩いたのは後にも先にもこの時だけ
なおやは泣いた だから「母親にも豚れたことないのに」と、なおやは言う資格なんてなかった 【快挙】岡村真「日本過去最高!笑顔の銀メダル」【アジア大会 中国・杭州】体操女子個人総合 決勝ハイライト
https://youtu.be/yQeKfNsslcU 【日本勢初の銀メダル】芹田未果子「トップバッターで圧巻の演技」【アジア大会 中国・杭州】体操 女子種目別 段違い平行棒 決勝ハイライト
https://youtu.be/CFawcPoILGs https://www.facebook.com/photo/?fbid=215865591820870&set=a.135462733194490→2011年12月10日22:52
https://twitter.com/horisoichi/status/346450815692718080→2013年6月17日11:14
2020年五輪決定→2013年9月7日(日本時間8日)
総合企画委員会 委員長→2013年9月10日
「これでいいのか2020東京オリンピック」→2013年10月10日
「体操コーチとの裁判闘争に勝利」→2014年3月10日
「女子強化本部長に千恵子氏が復帰」→2014年12月13日 17:25
https://twitter.com/thejimwatkins 「これでいいのか2020東京オリンピック」
https://japantopleague.jp/archives/1485
日本トップリーグ連携機構 2013年10月10日
時事通信OB
日本体操協会の総合企画委員長
オリンピックの取材経験
モントリオール(1976年)
ロサンゼルス(1984年)
ソウル(1988年) 「体操コーチとの裁判闘争に勝利」
https://japantopleague.jp/archives/1623
日本トップリーグ連携機構 2014年3月10日 第34回 世界選手権 [ 天津 / Tianjin ]
1999年 10月 9日 − 10月16日
川井 亜希子 ( 京都ジャンピング体操クラブ )
団体総合:13 位 (予選)
https://gfcj.org/shiryo/f_siteall >>57
京都の跳馬泥棒の件か
2014年3月というと栗東で跳馬盗難して問題化した頃だな
翌年にディナモでも暴力事件起こして、除名にできたんだっけ
シドニーの頃に暴力プラスセクハラして問題になって、ようやくだけど
でも暴力コーチに依存してついていくジュニア選手がいると、結局そいつは指導を続けてしまうんだ >>58
そのコーチだった人ね
明名さんも被害にあったのか、時事通信の記事では大畠さんは被害にあったみたいだ >>57
2014年4月に発覚した京都体操協会の幹部の跳馬盗難事件
同じ奴がシドニーの頃に暴力プラスセクハラで問題起こしている
シドニー五輪女子強化委員を外されている
で、なんで2014年3月になって、時事通信がコラム書いたかというと、同じ奴が跳馬盗難事件起こしたからろうなと
2000年頃、シドニー五輪女子強化委員の河合稔之が暴力プラスセクハラ問題→強化委員辞任
2013年12月栗東の体操クラブで、跳馬盗難事件
2014年3月時事通信のコラム
2014年4月栗東の跳馬盗難事件で河合稔之逮捕→協会が除名処分→河合側から不服申し立て
跳馬盗難事件は示談成立して不起訴処分
2015年河合が福知山のディナモで暴力指導で協会が除名処分 >>58の書き込みじゃ、暴力指導や跳馬盗難したのが明名(旧姓川井)さんみたいだからね
問題起こしたのは、1999天津で川井さんのコーチだから
河合稔之が暴力指導でシドニー五輪女子強化委員を辞任したのは、マスコミ報道あったからね
関係者じゃないオタでも知っている >>61
訂正
2015→2017年、福知山→亀岡ディナモ
だった 【体操】銀メダルに輝いた華麗な美技!【女子団体 決勝】ハイライト
https://youtu.be/Sp74gFUK-tc >>62
盗難事件じゃなくて窃盗事件では?
やたら不自然な日本語だよな アスリート・マーケティング株式会社
2018/8/27
30回 世界選手権 ドルトムント
1994年 11月15日 - 10月20日
新井 由可 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合: 9 位 (予選) 渡部葉月はオリンピック前の大会に間に合いそうですか?よろしくお願いします。m(__)m 私は中学1年の時に、中国人の陶先生とロシア人のセルゲイ先生に習っていたんです。
陶先生は厳しいので殴ったりもするし、選手を雑に扱う時もありました。
https://www.ninomiyasports.com/archives/63153
スポーツコミュニケーションズ
2016年11月10日 第26回 世界選手権 [ インディアナポリス]
1991年 9月 6日 - 9月15日
新井 由可 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合:13 位
第28回 世界選手権 [ バーミンガム ]
1993年 4月
新井 由可 ( 朝日生命体操クラブ )
第29回 世界選手権 [ ブリスベン ]
1994年 4月
新井 由可 ( 朝日生命体操クラブ )
個人総合: 新井 由可 29 位
第12回 アジア大会 [ 広島 ]
1994年 10月 3日 - 10月 6日 広島グリーンアリーナ
新井 由可 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合:2 位
https://gfcj.org/shiryo/f_siteall 第30回 オリンピック [ ロンドン ]
2012年 7月28日 - 8月 7日
鶴見 虹子 ( 日本体育大学 )
団体総合:8 位
段違い: 鶴見 虹子7 位
第43回 世界選手権 [ 東京 ]
2011年 10月7日 - 10月16日 東京体育館
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合:7 位
個人総合: 鶴見 虹子15 位
段違い: 鶴見 虹子7 位
第16回 アジア大会 [ 広州 ]
2010年 11月13日 - 11月17日
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合:2 位
段違い: 鶴見 虹子3 位
第42回 世界選手権 [ ロッテルダム ]
2010年 10月16日 - 10月24日
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合: 5 位
個人総合: 鶴見 虹子21 位
第41回 世界選手権 [ ロンドン ]
2009年 10月12日 - 10月18日
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ)
個人総合: 鶴見 虹子3位
段違い: 鶴見 虹子2 位
平均台: 鶴見 虹子6 位
第29回 オリンピック [ 北京 ]
2008年 8月 9日 - 8月19日
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ )
団体総合:5 位
個人総合: 鶴見 虹子17 位
平均台: 鶴見 虹子8 位
第40回 世界選手権 [ シュツットガルト ]
2007年 10月12日 - 10月18日
鶴見 虹子 ( 朝日生命体操クラブ )
個人総合: 鶴見 虹子15 位
https://gfcj.org/shiryo/f_siteall 採点絡みで揉めたのは、91年秋の全日本の女子の採点でのこと
採点に不服を申し立てたチームが2日めの自由演技をボイコットしたんだ
最終的に女子の監督だった塚原夫妻が協会役員をやめることに
この件で二年くらいかけて採点を精査したが
91年全日本については採点に不審な点はなかったと報告された
大体、採点がおかしいとまで言い切れるのは
落下したのに相応の減点がないとかいうレベルまでいかないと
不正と断言するのは難しい
ただし塚原夫妻が監督やめるのは、バルセロナの団体出場逃したから、
当然というか世界選手権終わった時点で辞表出していたら
騒動にはならなかったのかも 1988年ソウル五輪女子団体12位の最下位
その年みつおは男子強化のオファーを断る
ちえこだけが女子の指導をやっていれば騒動にはならなかったのかも
↑
おばちゃんの本がソース 体操選手恋愛経験ゼロ
渡部葉月
畠田瞳
畠田千愛
芦川うらら
杉原愛子
宮田笙子 すみません私のきき方が悪かったですね
どこの学校でしょうか? なんかとてもかわいいので 2022年と2023年に成年が着てた
深沢と宮田のサムネ画像が出てくる
深沢インスタにもあった
他の選手だったら>>80のショートではなくデカイ動画にもあった 2024.1.28 15:40
八王子にバディ塚原体操センター完成!
おめでとうございます♥
宮川紗江がハラスメントであると訴えた事件は、宮川サイドに踊らされたメディアが興味本位に塚原コーチが悪いという論調で取り上げました。
しかしその後、宮川紗江が速見コーチから激しく殴られる映像が流れると、メディアはぴたりと報道を中止。
第三者委員会でも宮川サイドはあいまいな証言ばかりで、最終的に塚原さんは「シロ」となりました。
しかしメディアは、そのことにはほとんど触れませんでした。
さらに、これが引き金となって、朝日生命は体操事業から撤退。
塚原夫妻にはその悔しさもあったのでしょう。
夫妻は自らの財産もなげうつ形で運動保育を推進するバディーと組んで、八王子に土地をみつけ二階建ての体操専用体育館を建設しました。
本当に身も心も痩せる思いだったったと思いますが、この不屈の精神には感服します。
子どもたちを指導するのが大好きという夢と「なにくそっ!」という根性が詰まった体育館。
これから子供たちの歓声が響き渡ることでしょう。
八王子の方々が羨ましい。 2024.1.28 17:39
私は現場にいたので知っていますが、この記事を書いた人も玉木さんも、全くわかっていていませんね。
この記事は記者が塚原さんを攻撃した後で、宮川がぶん殴られる映像を見てどうしてよいかわからなくなり書いたものですね。
塚原夫妻は会見をしたくても朝日生命がそれをブロックしていました。
宮川は速見コーチと結託して人を貶めようとしたのですから許されません。
なにがあっても選手が正しいという考えは間違っています。
18歳は大人です。
名誉毀損で訴えられても不思議ではありません。 2024.1.28 20:19
この件は、速見コーチの暴力的指導を知りながら、多くの人が見逃していたのが、漸く表に出てきた事件ということだと思います。
体操の指導者と選手の問題はこのほかも、門外漢の私の耳にも入っていました。
ただ、この件は、メディアだけではなく、塚原夫妻側も対応の仕方にも問題があったような気がしています。 2024.1.28 21:11
早見コーチの暴力指導に気づいて、千恵子コーチは、それを体操協会の中で問題にしようとした。
そうしたところ宮川がコーチに言いくるめられてか塚原攻撃に出たという形です。
なぜ塚原さんたちが自分たちの考えを早めに表明しなかったのか、実はその話も千恵子コーチとしました。
宮川の会見の後、塚原さんたちはすぐに記者会見をしっかりしたいと思っていたようですが、 朝日生命の縛りがあって思うようにできなかったようです。
いずれにせよ、体操競技のような「採点競技」のバックグラウンドにあるクラブ間の軋みや人間関係の軋みが出たのだと思います。
速見コーチはかなり宮川に吹き込み、それを宮川は信じ切っていたということでしょうか。 >>57の時事通信コラムを読んで思ったことは、ジュニア選手達は体操競技が嫌いになってないか気になったからどす レス乞食の性格もやり方も好きではない
ただこういうやり方はビジネスでは時々やっている
スケオタ板もマヲタやハヌーやデーオタとかオタ抗争だらけで儲けている
でもコーチや選手の立場から見たらどうなんだろう?
協会が決めたことなんだから従えってか?←イマココ 2013年11月27日 ·
【常識】は
多数決で決まる。
意見が多い考え方が
正しいとされる。
嘘、偽りを繰り返してでも
味方をたくさん作った人が
正しい、又は常識がある
と思われる。
嘘、偽りでごまかして
味方を作る人、
正直に正々堂々と
正しいと思うことを貫く人、
残念ながら
味方を作った人が正当化される。
少数派はいつも不安になるけど
でも、
何か成果を出した時に
認められ
それが多数派になる。
もっと自由に
[自分をだしてもいい]
と少数派の僕は思うんどけどな。
多数のうわべの付き合いより
少数の深い仲。
こんな長々述べといてなんだけど
この長文は、たった一人の考え方。笑 いつかの試合の解説で「顔かわいいッスね」とかぬかしてた奴誰だっけか? 山口はあと1ヵ月くらいで復帰戦みたいね
何の試合だろ? 1988年ソウルオリンピックに出場した3選手は、日頃民間スポーツクラブで練習
全国高体連の大会には学校名で出場
ところが1990年にはその3選手が突然転校
全国高体連の参加出場規定に抵触
東京都の高校総合体育大会に出場できなくなった 全国高体連の規定の中に「転校後6か月未満の者は大会に出場することはできない。
ただし、一家転住等やむを得ない事由のある場合は、当該都県の会長の許可があればこのば限りではない」
という一項があることから、民間スポーツクラブ側から理由書が提出された 東京都高体連は特別な理由は示されておらず、この事由にはあたらないとして出場を許可しなかった 東京都高体連は理由書を出した民間スポーツクラブ指導者の態度と行動について
「規程があって残念ながら出場できない。
他の競技大会で全力を尽くそう」
というのが指導者のとるべき態度だろうと指摘 「民間スポーツクラブの指導者は規約・規則をしっかり把握し守らなければならない
選手に不利にならぬよう心掛けることが必要
学校はその選手に理解を示し協力するようにお願いしたい
喜ぶのは選手であり、悲しむのも選手なのだから」
と間に立つ高体連の役員らは指摘 学校側からすれば、民間スポーツクラブ側の都合で選手を転校させておいて大会には出場させようとしたことに対して違和感があったのだろう 高校野球もそうだよ戦前
春の選抜で投げていた投手が夏は別の学校のエースとして甲子園に
それで転校後は一年間は対外試合には出られなくなった
例外は認められていません 突然転校した学校と選手3名
日本女子体育大学附属二階堂高校→藤村女子高校
信田美帆 瀬尾京子 真田マキ子 森村さんの件か、日女体が早稲田進学を妨害したので、森村さん体操やめちゃったから
付属の二階堂に朝日生命が不信感を持って、選手引き上げ
それとは別に大塚製薬に選手のデータ取る便宜図った件もあって
まあ後一年だったし、信田瀬尾真田の三選手は、そのままにして
下の世代は東女体系の藤村に切り替えというわけには、いかなかったのかね
この件で得をしたのはインターハイに団体で出た品川かね
例年、インターハイの団体を朝日に持っていかれていたからね
あと、日体大は信田瀬尾を獲得したから漁夫の利かも
そのままだと日女体に進学していただろうからね
某夫妻を日体大あたりが煽って、選手引き上げさせたのかもと妄想しているよ
結果的に品川も日体大も得をしたから 日女体の付属が二階堂、それまで朝日の選手は二階堂高校から日女体に進学していた(森尾さん望月さん)
森村さんは早稲田に進学を希望、ところが高校が推薦に必要な書類にミスがあって、受験に失敗
書類がきちんとしていたら合格していた可能性があった
ソースは週刊時事(今は廃刊)
そこへ「日女体に行けばいい」と言って、ショック受けて、森村さんは体操やめて故郷に帰ってしまった 仙台育英陸上部の集団転校、震災特例と認めず 高体連
https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0513_Y2A220C1000000/
↑
この仙台育英駅伝部しか知らんかった
体操も陸上もなんか選手が気の毒な感じだぬ 週刊時事って出版社が時事通信社やんか
学校同士のゴタゴタに巻き込まれた連盟の職員も気の毒
↓
東京都高等学校体育連盟
「東京都高体連50周年記念誌」
1999年がソース 0681ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 14:39:56.68ID:OJm121Se
NHK杯とか世界選手権とかどこかでアーカイブ見られないのかな
オリンピックはサイトあるけど 0682ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 15:28:50.94ID:Y6yDo5Qo
協会の広報が無能
あるわけ無い 0683ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 15:50:26.63ID:QcUzRpRt
協会ゆうつべは男子新体操推し
五輪競技でもないのにね 0684ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 15:53:21.97ID:QcUzRpRt
女子はバディの選手が選ばれたら五輪の放送がある
選ばれなかったら可能性ゼロ 0685ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 15:56:06.26ID:QcUzRpRt
協会幹部が元五輪幹部
立飛HD幹部
ナオヤの上司
中国と友好関係 0686ジム名無しストさん
2024/02/04(日) 16:02:28.41ID:QcUzRpRt
NHK元アナが立飛幹部
ナオヤの上司
元杉原のコーチがナオヤ
去年の全日本でインタビューさせた運営が塚原派
時事通信記者とグルで順大選手をsage 「白い巨塔」と似てる
教授は協会幹部
助教は協会部員
勤務医は体操コーチ
町医者は審判員
看護師はトレーナー
MRはマスゴミ
患者は体操選手
くれない会は体操ファン
愛人は広報←New! 0692ジム名無しストさん
2024/02/05(月) 10:14:40.74ID:pLsQO9KT
>>119
あまり関係ないよ
同時進行している他競技次第
柔道や競泳でメダル有望なら、そっちにいくでしょ
男女とも団体決勝の放映権は、今まで通りならNHKだけど
東京では女子団体決勝テレビ放送したよね
朝日の選手いなかったけど
まず団体決勝に残ることから、だね
個人戦は、クジ引きだからね
まあ今のバディの選手は、五輪に届きそうな選手いないみたいだが >>123=杉原スレに書いたレス乞食のコピペ
いーっつも選手の悪口書くのが特徴
それともバディの選手の悪口を書いたらレス乞食だとバレないとでも思ったんだろう >>122の広報じゃ別の人になる
今は運営の仕事か
「白い巨塔」と似てる
教授は協会幹部
助教は協会部員
勤務医は体操コーチ
町医者は審判員
看護師はトレーナー
MRはマスゴミ
患者は体操選手
くれない会は体操ファン
愛人は運営←New! 2020年2月15日は広報だった
2021年12月25日は広報ではない
なんで運営なんかやってんのー? みんな宮田について教えてくれない?
結構情報ないからわかんない 波風立てるのはいつも指導者。たまに保護者だね。
選手は板ばさみにあってかわいそうなだけ。
破門されソウルで代表逃し、泣いていた森尾(補欠→正選手)と望月に対して
「自業自得」と取材に応えた非情さは、彼女の人格そのものかもしれない。
その後のボイコットも朝日指導陣に千○子先生がいなかったら
もう少し丸く収まっていたかもしれない。
ただ、戸田も京Jも大人のエゴで選手を傷つけたし、
ボイコット事件だって「選手のため」という建前だけで行った
指導者たちの愚行だからね。 心配で仕方ない母・周子さんが、試合会場で何度も「調子はどう?」と聞いた。 日本女子は団体の出場権を取れず、個人戦のみに出場。 しかも、現地入りする直前練習の段違い平行棒で両足すねを強打、4針縫った。 高3の夏に踏んだ大舞台は、痛くてほろ苦い味がした。 1学年上で主将を務める上村美揮とは、小学生のときから同じ朝日生命クラブの体育館で過ごしてきた。 「下の子たちと同じ練習メニューを2人でヒイヒイ言いながらこなしています」 「米国に行って、英語や体操指導者の勉強をしたい」。 「天才少女」という呼ばれ方に、15歳は即座に反応した。 4時間半の練習を終え、帰宅したのは午後10時ごろだった。 宿題に取り組む前のわずかな時間のやり取りのなかで、少女が急に言葉を強めた。 となりで話を聞いていた母親の育子さん(42)が目を細めていた。 父母の指導のもと体操を始めた小学1年のときから、目標は2000年に据えられた。 シドニー五輪に手が届くようになった成長は、家族で取り組み乗り越えてきた結果であることを本人は実感している。 だから「天才」という呼ばれ方は、家族の努力を否定するように聞こえてしまう。 「天才」への拒絶は、やるべきことを積み重ねてきたからこその強い自信の裏返しでもある。 先月の第2次選考競技会を3位で通過した佳奈は27、28日に金沢市で開かれるNHK杯兼五輪代表決定競技会に臨む。 団体メンバーとして銅メダルを持ち帰ったロサンゼルス五輪の1984年秋、佳奈は生まれた。 父は引退と同時に大和銀行を退社し、岐阜大教育学部に教員として赴いた。 国際審判の資格を持つ母は、恭二さんと日大の同期で、体操選手だった。 鉄棒やマットが並ぶ体育館は格好の遊び場として、いつも目の前にあった。 「気がついたら、ごく自然に体操が生活のなかにあった」。 本人と、そして両親にとっても、体操に打ち込むために何かを犠牲にしているという意識はない。 こつこつと積み上げていく地味な練習を繰り返す生活が、3人には当たり前に染みついている。 ここまで条件がそろえば、よくある二世選手の話を思い浮かべるかもしれない。 しかし、山脇一家の物語は、エリートやスパルタという言葉とは無縁だ。 小学1年の佳奈が体操をやりたいと言い出した当時、恭二さんはむしろ、消極的だった。 けがに悩まされた苦い体験を子どもにも強いることになる。 指導者としてのノウハウを持ち合わせているわけでもなかった。 何より、自分の意思でやりたいといっているのか、確信が持てなかった。 体操を始めてすぐの冬、鉄棒の練習中に左腕を骨折した。 やめさせる機会と考えた恭二さんに、佳奈は「続けさせてほしい」と涙ながらに訴えた。 それまで、煮え切らない思いを残していた父がコーチという役割を受け入れた。 佳奈の選手としての出発点は、父であり、指導者である恭二さんの3つめの顔、研究者としての出発点と重なる。 メダリストである自分自身、幼少期に体系的な指導を受けたことはなかった。 技を身につけるのに苦労した体験から、体操選手としてベースとなる体づくりの大切さを痛感していた。 世界のトップである旧ソ連との違いを知りたいという研究者としての欲求と、娘の体操をやりたいという気持ちが重なり合って、一緒に五輪を目指す気になった」 小学生から中学生にかけて、2人は「動ける体」づくりに徹底して取り組むことになる。 つり輪にぶら下がらせて体を回したり、トランポリンで宙返りをしたりした。 そのたびに、恭二さんは「体のどこを使って、どう動かした?」 「回っているとき、何がどう見えた?」と問いかけた。 脳の約90%は6歳までにできあがるため、体操選手に不可欠な神経系の発達は、幼いうちに決まるといわれる。 遊びを通じて、佳奈は運動感覚を研ぎ澄ましていった。 競技会で手っ取り早く勝つために、日本では技の習得にはやる傾向が強い。 指導者が顔を合わせれば、「あの技はおいしいD難度」などと技を巡る情報交換ばかりだ。 山脇親子の五輪への取り組みは日本体操界への問題提起であり、挑戦でもあるのだ。 「ただの器用な選手で終わるのか、本当にすごい選手になるのか。 新緑のまぶしい今月初め、訪ねた岐阜大の研究室で、父親は戸惑いの表情を浮かべながら切り出した。 話は4月の第2次選考競技会の10日ほど前にさかのぼる。 左足首を痛めていた佳奈は「これでも、私はちゃんとやっている」と言い残して、自宅に逃げ帰ってしまった。 練習で泣いたことはあっても、投げ出したのはこのときが初めてだった。 娘を大学の体育館に連れ戻しながら、恭二さんは体と精神の成長のギャップを感じたという。 こちらが指示したことを機械みたいにやってくれた方がいいと思うこともあるけど、避けては通れない道でしょうから」 高校進学に伴い、この春から環境は少なからず、変化した。 母親が担当していた練習場への送り迎えはなくなり、学校も練習もバスを使ってひとりで通っている。 体脂肪が増えたため、日課だった朝食後のケーキも自らやめた。 でも、集中力と、自分の表現することが大切だと最近感じてます」 写真撮影に訪れた学校で、出会ったのは、練習で決して見せない底抜けの笑顔だった。 142センチ、28キロの小さな体のなかで、少女は成長を続けているのだろう。 9月、春を迎えるシドニーで、どんな山脇佳奈に会えるだろうか。 千葉の体操クラブで、小学生だった鶴見虹子(こうこ)がマットで跳びはねて遊んでいた。 夫の仕事の関係で日本にいた陶暁敏(タオ・シャオミン)は当初、本格的に体操を教えるつもりはなかった。 北京体育大学でコーチ論を学んだ陶の目は確かだった。 中学3年生になった鶴見は今年、9月の世界選手権で日本女子を3大会ぶりの五輪へと導いた。 89年末、北京のナショナルトレーニングセンターに体操の上手な少女たちが全国から集められた。 だが、出血すると止まりにくい体質だったこともあり、3カ月で地元・浙江省にかえされた。 陶と同じ時期、雲南省から来た和雪梅(ホゥ・シュエメイ)も北京の体育館にいた。 15歳で92年バルセロナ五輪に出場し、団体4位に輝いた。 その後、来日した和は日本人と結婚、姓は「高堰(たかせき)」になった。 20代後半で体操を再開、昨年春には日本国籍を取得した。 18年前、北京で出会った2人の女性は、それぞれの思いを胸に北京を目指す。 楊威(ヤン・ウェイ)(28)は、五輪にいい思い出がない。 だが本命視された個人総合では、わずか0.113点差で金メダルを逃した。 雪辱をかけて臨んだ個人総合決勝は、鉄棒から落ちた。 「練習で出来ることが、なぜ試合になると出来なくなるのか」 元体操選手で、シドニー五輪に一緒に出た楊雲(ヤン・ユン)さんだ。 国家チームの選手は、北京市内のナショナルトレーニングセンターに住む。 なかなか会えない恋人に近くにいてもらうために楊威は3年前、北京にマンションを購入。 2匹の愛犬には、体操選手としての復活を願うような名前がつけられた。 完全復活を果たしたエースに、中国メディアの期待は過熱気味だ。 団体総合、個人総合ともに「金メダルに疑いの余地なし」とする。 本番を控え、いらだつ彼がちょっとしたことで声を荒らげることもある。 「金メダルが、2人の結婚の記念になるとは思わない。 北京五輪が終わったら、海辺で豪華な式を挙げる予定だ。 体操のNHK杯が6日に終わり、北京五輪代表の男女各6選手が出そろった。 団体総合連覇を狙う男子には、世界選手権3連覇中の中国が立ちはだかる。 日本は弱点種目のあん馬、つり輪のレベルアップが鍵となる。 27歳の冨田洋之(セントラルスポーツ)に次いで、19歳の内村航平(日体大)が2位に入った。 塚原光男・北京五輪強化委員長いわく「10年に1人の逸材」。 冨田も「僕が苦手なゆかと跳馬が得意なので心強い」とたたえる。 弱点克服のため、日本協会は今回、この2種目に傾斜配点した「種目別ポイント制」を選考方法に導入した。 個人総合9位に終わった鹿島丈博(セントラルスポーツ)が代表に入ったのも、2次選考会を含む4日間すべてであん馬で1位を取ったから。 つり輪でポイントを稼いだ中瀬卓也(徳洲会)も滑り込んだ。 五輪の団体総合決勝は、各種目を3人ずつが演技する。 冨田に加え、あん馬で鹿島、つり輪では中瀬がいても、あと一枚が必要になる。 その役割を期待できそうなのが21歳の坂本功貴(順大)だ。 つり輪は技の難度を抑えたため点数が伸びなかったが、「元々能力はあり、練習では高難度の技も出来ている」(森泉ヘッドコーチ)。 もう1人、種目別ポイントで入った沖口誠(コナミ)はゆかと跳馬のスペシャリスト。 体操ニッポンの伝統を受け継ぐ跳馬の大技「ロペス」。 体操界では、五輪や世界選手権で初めて成功させた選手の名前が、そのまま技の通称になることが多い。 源流は五輪で合計九つのメダルを取った塚原光男さん(現・日本体操協会副会長)にある。 1970年の世界選手権で披露した「ツカハラとび」だ。 側転跳びで跳馬に着手し、後方に宙返りして下りてきた。 「人が出来ないことをやるのがおもしろくて仕方なかった」 という塚原さんがその後、鉄棒の下り技で「月面宙返り」を編み出したのはあまりにも有名だ。 ツカハラとびを改良して空中でひねりを1回入れたのが、笠松茂さんの「カサマツとび」。 それ以降は、「アカピアン」「ドリッグス」「ロペス」(いずれも選手の名前)と、さらにひねりが加わった。 ロペス選手が「伸身カサマツとび2回ひねり」(ロペス)で初めてきれいに着地したのは95年、福井・鯖江での世界選手権だった。 現在、日本の北京五輪代表選手の多くは、ロペスよりもひねりが半分少ないドリッグスを跳ぶ。 沖口のロペス習得は、文字通り「けがの功名」だった。 岡山・関西高2年の時に出た02年の国体で、ドリッグスの着地に失敗。 「どうせなら後ろ向きに着地できるロペスをやろう」。 こうして、さらにひねりを半分加えた大技の練習が始まった。 「練習でも着地で立てないことが多かったけど、行ったれ、という気持ちで思い切り助走に入った」。 脚力の強さと優れた空中感覚を持つ沖口が、世界で戦える技を手に入れた瞬間だった。 沖口は今、ロペスに加えて、難度点が同じく7.0ある「ヨー2」に挑戦している。 北京五輪にも出場予定の李小鵬(中国)が編み出した「リーシャオペン」は7.2。 沖口が所属するコナミの加藤裕之ヘッドコーチは、「ヨー2でも立てれば、決勝でも上位に入れるのではないか」と期待を込める。 個人総合で世界一を狙える冨田洋之も、あん馬に強い鹿島丈博も。 まずは団体総合決勝で、強豪中国を倒して連覇を果たす。 この種目でメダルを獲得すれば、日本人では84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司(現・日本男子監督)、森末慎二(同点で2人とも銀)以来となる。 5度目の五輪は初めてドイツのレオタードを身にまとう。 映画「カリブの海賊」のテーマ曲にのって、ゆかの上を舞った。 10代が女王争いの中心にいる女子体操界では異色の33歳、1児の母だ。 息子のアリーシャ君(8)が02年、白血病に侵された。 ドイツ・ケルンの病院で、アリーシャ君は治療を受けた。 ケルンのクラブで体操を始め、町の大会で優勝したこともあるという。 女子団体総合予選で日本女子は8位に入り、決勝へ進んだ。 また、種目別決勝の平均台に、鶴見虹子(朝日生命ク)が進出。 4種目の合計点は、昨年の世界選手権より5点も伸びた。 苦手の跳馬で、ひねりを半分増やす技にみんなで取り組んできた成果だった。 世界選手権では、誰もきれいに決められなかった技だ。 84年ロサンゼルス大会以来の入賞を確定させて、8位で決勝進出を果たした。 「男子は強いのに、なぜ女子は弱いのかと言われた時期もあった。 跳馬以外の3種目でチーム一の高得点を出し、エースの責任を果たした。 主将の上村は「今度こそノーミスでチームに貢献する」と涙をふいた。 「この舞台に立てなかった人の分まで全力でやりたい」と大島。 開幕直後、国際体操連盟(FIG)のグランディ会長が唐突な批判を選手に向けた。 10点満点から上限なしへと採点方法が変わって初めての五輪で、その新採点方法が物議を醸している。 得点の上限をなくしたことで、簡単にいえば、大技をより多くこなせば得点は伸びることになった。 選手は完成度を後回しにして、演技に大技を詰め込む。 「難度を求める部分と出来栄えを求める部分とのバランスをどこで取るかという難しさに、頭を悩ませることになった」。 全種目をこなす個人総合で68、72年と五輪を連覇した元王者はさらに「単種目化の傾向が進むのではないか」と心配する。 12日の男子団体決勝(全6種目)は、1チーム6人から各種目3人を選んで演技し、3人の合計得点で争われる。 新採点方法同様、この競技方法も、種目ごとのスペシャリストを育てる、ここ10年の流れを加速しかねない。 オールラウンダーとして8個の金メダルを手にした加藤氏は「体操が陸上競技のように細分化されていくのではないか」と寂しげだ。 団体予選を首位で通過した中国は、バランスよくスペシャリストを採り入れてきた。 一方、日本では、全種目をこなす総合王者を評価する風土がまだ根強い。 その分、スペシャリスト育成という世界の流れに後れを取るジレンマを抱えながら、団体決勝で中国の背中を追いかけることになる。 「国民のみなさんには、しかられてしまうかもしれませんが」。 日本が頂点に立ったアテネ五輪後、体操界では大改革があった。 それぞれの種目に難しい技をふんだんに盛り込まなければ、勝ちにくいルールになった。 決勝は6人のメンバーのうち、各種目にたけた3人ずつが演技する。 6種目すべてをこなせる選手を伝統的に育成してきた日本では種目ごとの専門家が育ちにくく、不利な採点制度となった。 最終種目の鉄棒が始まる前、米国にも抜かれて3位にいた。 かつて黄金期の体操ニッポンを支えた塚原光男・北京五輪強化委員長は言った。 「中国とは、力の差がそのまま点差に出てしまった」。 「だけど、日本の競技レベルが世界のトップクラスということは証明できた」 チームを支えたアテネ組の冨田、鹿島に加え、21歳の坂本、19歳の内村ら、次世代も着実に育っている。 北京五輪体操会場の観客席は赤く染まり、つんざくような中国への声援が続いた。 チーム最年少の内村航平(19)は動じることなく、伸び伸びとした演技を見せた。 最終種目の鉄棒を終えると、満足げに右手を上げ、笑顔を見せた。 「太平洋を渡って、世界に通用するように」と両親が願いを込めた名前通りの活躍だった。 具志堅幸司監督は「次のロンドン五輪は彼がエースでしょう」と太鼓判を押す。 長崎県諫早市で両親が開く体操クラブで3歳で体操を始めた。 父和久さん(47)は高校総体優勝経験者で、母周子さんも体操とクラシックバレエも教えている。 内村は「跳ぶ、回るが昔から好きで、高いところからよく飛び降りていた」という。 体操の技は、「ピンクパンサー」のキャラクター人形でイメージした。 片手でつかめる大きさで、ゴム製なので長い手足を自由に曲げられる。 内村はソファでくつろいでは、「シュー」と効果音を口で出しながら、空中で人形を動かし、難しい回転技やひねりを再現していた。 周子さんは「そうやって集中している時は声もかけられなかった」と振り返る。 しょっちゅう触っていて、手あかで汚れると、自分で洗う。 中学校時代は試合用バッグに入れて持ち歩き、高校時代は寮の部屋に置いていたという。 アテネ五輪金メダリストの塚原直也選手の大ファンで、「直也さんの所に行きたい」と高校から東京の朝日生命体操クラブに入った。 小学生のころに塚原選手と一緒に写った写真は、実家の体操クラブに今も飾ってある。 「日本製のおいしいチョコじゃないとやる気が出ない」とクランチチョコレートを40個持参した。 9日の予選は「朝起きて、ゲームやって。昼食はチョコプリン」と自然体で臨み、個人総合4位につけた。 ほぼ完璧(かんぺき)に近い演技で、銀メダルをたぐり寄せるのに貢献した内村。 14日の個人総合決勝は、冨田洋之(27)とともに挑む。 10日の予選を8位で通過し、24年ぶりの入賞を決めていた。 試合前、主将の上村を中心に、いつも通り6人の輪ができた。 演じる3人の中で最年長の大島は「私たちで日本のいい流れをつくろう」。 4種目めの平均台から鶴見が下りてくるまで、日本のいい流れは切れなかった。 あん馬での2度の落下以外、内村はほかの5種目をほぼ完璧(かんぺき)に演じてみせた。 「個人総合は決勝に残れればいいかな、と思っていた。 3歳の時から実家のトランポリンで遊び、空中感覚を身につけた。 「跳んで、ひねっているときも、自分の体がどう傾いているのかわかる」。 4月の国内2次選考会では、長年、日本のエースを張ってきた冨田にも勝った。 10点満点制が廃止されて迎えた初の五輪で、世界王者を決める決勝の舞台は、荒れた展開になった。 鉄棒に絶対の自信を持つハンビュッヘン(独)は、手放し技「コールマン」で落ちた。 新しい採点法は、技の難度を評価する演技価値点(A得点)と、出来栄えを評価する演技実施点(B得点)の合計が点数になる。 このため体操界はどんどん難しい技を盛り込む方向に流れている。 だが、銀メダルを首にかけて表彰式から戻ってきた内村は、ひょうひょうとしていた。 近年の日本の精鋭たちが、挑んでは敗れた五輪の個人総合の舞台。 その表彰台で笑ったのは、あどけなさが残る若者だった。 「最後まで痛かったけど、なるべく集中して忘れようと思った」。 あのつり輪さえなければ、間違いなくメダルに届いていた。 特に『ああすればよかった』という考えが浮かんでこない失敗なので、悔しいというより仕方ない」 体操競技で今大会初めて、中国以外に金メダルをもたらした。 父ワレリーさんは、88年ソウル五輪にソ連代表として出場し、金二個を含む四つのメダルを取った体操選手。 鉄棒が得意だった父の手ほどきで、段違い平行棒は演技価値点が7.7もある難しい構成を完成させた。 最後のゆかでもすべて着地を止めて、同じ10代のライバルたちを振り切った。 娘の優勝を見届けたワレリーさんは、「世界中のどんな父親よりも幸せです」。 個人総合の決勝に挑んだ日本の2人は、それぞれ1種目のミスに泣いた。 鶴見はゆかで最後の着地が止まらず、ラインオーバー。 大島は平均台に飛び乗った直後にバランスを崩して落下した。 「一緒に回った選手がうまい人ばっかりで、ちょっと弱気になっちゃった」と17位に終わった鶴見。 19日の種目別平均台の決勝に向けては、「達成感を味わえるように頑張る」と切り替えた。 20位で2度目の五輪を終えた大島は「今回は楽しめた。体操の楽しさを感じられました」。 子どものころからトランポリンで遊んで空中感覚を磨いた内村にとって、ゆかは一番得意な種目だ。 個人総合でも日本人で24年ぶりのメダルとなる銀を取った。 最後の最後に出たミスは、きっと、今後さらに強くなるためのいい薬となる。 冨田は一つ一つの技をかみしめるように、馬体の上で旋回した。 決勝に残った8人の中で、技の難度を表すA得点は一番低い。 空中を遊泳し、聖火台に火をともしたのは、李寧氏だった。 中国では五輪、世界選手権、ワールドカップを「世界級大会」と呼ぶ。 80年代に世界を席巻し、計14個の金メダルを取った李寧氏は「体操王子」と呼ばれた。 その記録を超え、母国の五輪で「新・体操王子」になった。 12日の団体総合を制して、李小鵬は「世界級大会」15個目の金メダルを手にしていた。 スポーツ用品メーカー「李寧」を国内最大手にまで成長させた。 身にまとった赤と黄色が基調の李小鵬のユニホームは「李寧」社製だ。 「メダルの数では超えても、偉大な彼を超えることはできない」。 手術の際、米国では、中国から移住した別の元体操選手夫妻の家にホームステイした。 アテネ五輪の選手村に四日に入ったソフトボール、体操などの日本選手団などの荷物の一部が届かず、混乱していることが分かった。 五日からは各競技とも練習を開始するだけに、影響が懸念されている。 ソフトボールの宇津木妙子監督は選手村に到着後「スーツケースが30個ぐらい来ていないので心配」と明かした。 体操の米田功(徳洲会)も「僕のスーツケースが届いていない」と不安顔で話した。 一行はフランクフルト(ドイツ)からギリシャ北部のテッサロニキを経由してアテネに到着。 日本選手団の本部は、荷物がアテネに届いているかどうかの確認作業を続けている。 選手たちは決戦の地に到着早々、出はなをくじかれる格好となっている。 スレ埋めるだけ埋めて次スレも立てられないとかほんと無能だな 体操女子で強豪の朝日生命クラブが24日、2020年東京五輪などを見据え、東京都世田谷区の体育館で有望選手を発掘する公開オーディションを開催した。 異例の試みに約70人が集まり、塚原千恵子監督は「うれしい限り。(東京五輪が決まった影響は)あると思う」と喜んだ。 9〜13歳未満が東京五輪、13歳以上が16年リオデジャネイロ五輪の対象という。 塚原監督が「メダルを目指せるような選手を自分で見つけて育てたい」と発案し、ダンスによる表現力やダッシュによる脚力など、日本選手が弱い部分を重視してテストを行った。 参加した小学4年生の岩崎夏芽さん(10)は「(東京五輪に出たい気持ちは)すごく強いです」と目を輝かせた。 日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長は26日、2020年東京五輪に向けた選手発掘のオーディションを実施する考えを明らかにした。 競技経験は不問で小学5、6年生と中学1年生を対象とし、5人程度の合格者に強化指定選手の資格を与える方向で検討している。 3月の常務理事会で承認されれば、初の試みになるという。 塚原強化本部長は東京都内で強化本部会議に出席後「長い目で見て、好素材を探す必要がある」と話した。 2020年東京五輪に向け、体操女子に初のオーディション開催プランが急浮上した。 2月26日の日本体操協会の強化本部会議で、4月から正式に指揮を執る塚原千恵子・女子強化本部長(67)は「東京に対してオーディション的なことをやっていこうと思っている。 東京はそういう中から(代表が)2〜3人出てきたらいい。 女子の体操は、ロンドン五輪金メダリストの内村航平(26=コナミ)や“ひねり王子”こと、3日に神奈川・岸根高を卒業した白井健三(18)を擁する男子に比べ、スターが不足気味。 昨年10月の世界選手権も団体で8位と低迷し、5年後を見据えてダイヤの原石発掘が急務だという。 オーディションの実施は過去に例はなく、慎重な声も上がっている。 しかし塚原氏は「技ができなくても走ったり、ジャンプしたり、基礎トレーニングをしたら分かる」と話し、身体能力があれば参加資格も問わない方針。 女子の競技力のピークを高校1〜2年生と想定し、逆算して小学校5年から中学1年くらいまでを選考の対象にしたい考えだ。 指導先の朝日生命ではすでにオーディションを2回行い、好感触をつかんでいる。 オーディションだけではなく、新体操など他競技を視察し、スカウトしていくことにも意欲を示した塚原氏は「なんといっても素質。 個人総合の表彰台は何となく落ち着かなかったけれど、段違い平行棒の銀メダルを首からぶら下げて、今度は実に堂々としている。 「超、びっくりです」から一夜明け、立て続けの快挙に「すごい、びっくりです」。 あどけなさの残る17歳の瞳は一層、力を帯びていた。 同じグループで回ったルーマニア選手の段違い平行棒を見て、圧倒されて、試合はボロボロだった」。 2度目となるこの世界選手権、個人総合決勝では、予選7〜12位のグループに組み込まれ、「何も考えないようにした。 新たな精神コントロールの技術を会得したのかもしれないし、強豪選手と接しても気後れしないほど、実力が備わったのかもしれない。 いずれにしても、鶴見は節目に立つと、必ず収穫を得ている。 3年後のロンドン五輪に向けて、これで胸を張り、「目標はメダル」と宣言できる。 不本意な成績に、瞳は深い悲しみをたたえているように見えた。 15日の体操女子予選の種目別・跳馬に挑んだウズベキスタンのオクサナ・チュソビチナ選手(29)。 滑り止めを手のひらにすり込むと、跳馬台へ駆け込んだが、1本目は転倒。 2本目も着地が乱れ、平均得点は8・800点にとどまった。 得意の跳馬に絞り込んで臨んだ個人出場の今大会で、決勝進出の夢は断たれた。 最初に経験したのは、17歳で迎えたバルセロナ五輪で、ソ連崩壊後、旧ソ連合同チーム(EUN)の一員として団体戦で金メダルを獲得した。 だが、旧祖国の崩壊と新母国の成立は、トップアスリートに試練を与えた。 強化資金は十分とはいえず、多くの選手たちが国外に移った。 そうした中、チュソビチナ選手は恋人のレスリング代表、バホディル・クルバノフ選手とともに新たな母国で競技生活を続ける道を選ぶ。 アキレス腱(けん)を断裂し、選手生命の危機に直面。 シドニー五輪後の2002年には、一粒種のアリーシャ君(現在4歳)がリンパ性白血病にかかっていることがわかった。 だが、治療のためには、10万ドル(約1100万円)を超える費用が必要になる。 足の調子は万全にはほど遠かったが、チュソビチナ選手はスポンサーを募るために、競技を続け、金メダルを取ろうと決意した。 昨年8月に米国・アナハイムで開かれた世界選手権は、跳馬で念願の優勝を飾った。 スポンサーもつき、「チュソビチナ基金」も設立された。 「息子は、みなさんのおかげでだいぶよくなっている。 10月には、また検査を受ける」と、今大会でも本番前の練習では、にこやかな表情を見せていた。 長男の病の完治を祈りながら、メダルを目指した戦いは終わった。 シドニーにつながる五輪ロードが残り1種目となった時点で首位に立っていたのは24歳の“プロ選手”原田だった。 得意の床運動で9.500とこの種目の最高点スタート。 結果的には、平行棒で9.000にとどまったのが響き最後の鉄棒で逆転されたが、笠松との首位争いは見応え十分だった。 派手さはないが98年アジア大会、99年世界選手権で主将の大役を務め上げた人望の持ち主だ。 今年4月に水泳の金メダリストの鈴木大地さんら五輪スイマーを輩出したセントラルスポーツが男子体操部を新設。 月々の給料はあるが一般社員がもらうボーナスはない。 五輪代表になったり、メダルを獲ったりした場合にだけ臨時ボーナスが出る契約を結んでいる、実質的には“プロ選手”。 練習の集中度では人に負けない自信はある」と胸を張った。 あん馬と平行棒が苦手なのは、上腕部と後背の筋肉がつき過ぎだからと指摘されることもあるマッチョ君。 苦手意識がいけないんですよ」と言い訳を拒む実直さもある。 「勝負はNHK杯です」塚原直也を中心とした日本体操界が、本番へ向けていよいよ活気づいてきた。 約270人のシドニー五輪日本選手団で最も小柄な“ミクロちゃん”山脇の演技には断トツの難度とスピードがあった。 アップの時に調子が上がらず、降り技をスーパーE難度に相当する「伸身新月面」からDの「スワン・ダブル」に変更した。 難度は物足りなかったが、スピード感あふれる演技は審判へのインパクト絶大。 五輪種目別で同じ点が出れば金メダルも可能な9.800という超高得点が表示された。 だが、垂直跳びが昨年の48センチから52センチにアップするなど力がついたのは間違いない。 恭二さんがロサンゼルス五輪男子団体銅メダルを獲得した直後に誕生した二世選手。 シドニー五輪には塚原と笠松も二世選手として出場するが、新技を申請しているのは山脇ただ1人。 今大会選手団最年少の竹中美穂(15)=東海テレビ東名ク=は3日の跳馬の練習中に起きた左ふくらはぎ肉離れ挫傷の影響で欠場。 スタンド観戦となり「歩くのも痛かったくらいで、まだ平行棒の練習しかしていない。 そのケガが完治したばかりのアクシデントとあってショックは大きかった。 男子体操の最終合宿は塚原の本拠地である朝日生命体育館で始まった。 床、鉄棒、平行棒、あん馬の4器具はシドニー五輪で使うオーストラリア・アクロマット社製が運び込まれ、本番ムードがひしひし。 つり輪と跳馬は日本製だが、これはもともとオーストラリア製との違いはほとんどなく、問題はない。 塚原は「仙台合宿(6〜16日)でかなり頑張ったので少し疲れが出ているけど、痛いところもないし、順調です」と笑顔を浮かべながら以前痛めた右手首を軽く回してみせた。 注目の演技構成はE難度以上11個という豪華内容で固まった。 床運動の最初のシリーズには初めてスーパーEの伸身新月面宙返り(ムーンサルト)を入れた。 最も得意な平行棒には完成度の高いモリスエを2回入れる。 昨年の世界選手権男子個人総合で塚原を小差でかわして優勝したロシアのエース、クリュコフが3月の右アキレス腱損傷の影響で個人総合のメンバーから外れる見込みになった。 塚原を指導するアンドリアノフ・コーチは「クリュコフは団体には出るが、個人総合には出ないだろう。 ナオヤのライバルはネモフ、ボンダレンコらだ」と母国からの情報を明かした。 表彰台のド真ん中に立つイメージはでき上がっている。 「光が差しすぎて何位にいるかは見えないんですよ」と言う以上手にするメダルが金色なのは間違いない。 6月の採寸で作った日本選手団公式ブレザーが小さすぎることが判明し、急きょ作り直すこともこの日決定。 体がますます大きくなるなど充実一途の塚原に死角はない。 2日まで行われる最終合宿では3度の演技会が行われる。 26日は9月16日の団体総合予選を想定して本番同様に跳馬からスタート。 28日は予選1位通過を想定して鉄棒から演技をスタートする。 最後の演技会となる30日は個人総合と種目別決勝を想定。 ここでも予選1位通過を想定して床運動から入ることにしている。 平田コーチは「ケガに注意をしながらもできるだけ本番に近い状態で演技をし、体調を上げていく」と話した。 体操女子の五輪代表が30日、滋賀・栗東体育館で試技会を行い、エース山脇佳奈(15)=ビット体操クラブ=が4種目とも9点を割る演技で本番に大きな不安を残した。 最初の床で再三バランスを崩し、8.750と低調な得点に終わると、平均台、段違い平行棒とも落下し得点を伸ばせなかった。 演技終了後は約2時間を超える居残り練習を行ったが、出発までの1週間で調子を取り戻せるかどうか気がかりだ。 最終演技の段違い平行棒で、下の鉄棒から上に移るC難度の移行で思わず足が地面につく。 普段なら容易に上の鉄棒に移れるところが、体の動きが鈍く手が届かなかったのだ。 冷静さを取り戻そうと少し間を置いてから鉄棒に戻ったが、1度切れた糸を修復することは不可能だった。 元五輪メダリストの父・恭二コーチ(42)が盛んに首をかしげて思わずつぶやいた。 「選手交代だな」もちろん、そうなっては大変だが、この日の内容が続けば冗談ではなくなる。 補欠の藤原が平均台で9.5を出すなど3種目で山脇を上回った。 国内最後の演技でなぜ、今までできたことができないのか。 「やるのか、やらないのか」という父の怒声で始まった居残り練習は2時間を超えた。 午前中まではよかった練習のリズムが「跳馬で足が合わないところから、テンションがどんどん下がっていった」と恭二コーチ。 わずか20人ほどの前で影響が出るなら、観衆が何十倍にもなる五輪の舞台は到底踏めない。 当初は跳馬で世界の強豪にも対抗できる新技「ロンダート2分の1ひねり屈伸前宙返り1回ひねり」に挑戦するつもりだった。 しかし、万全の状態でも成功率が低い大技に、五輪の舞台で挑むことは極めて難しい。 9月1日に16歳を迎えるエースに、じわりと本番の緊張が迫っている。 もう一人の代表、竹中美穂(15)は右ふくらはぎを痛めているため、床では難度を落とした演技。 しかし跳馬、段違い平行棒では9点台とまずまずの出来だった。 「テーピングすれば大丈夫ですけど、少しセーブした」と不満そうだったが、笠松コーチは「出発するまでにケガは治る。 本番会場に入ればもっといい練習ができる」と直前のプラスアルファに期待していた。 体操の五輪代表7選手が7日夜、成田空港からシドニーへ出発した。 金メダルを狙うエース塚原直也=朝日生命=はあと10日を切った本番(16日団体予選)へ「技の変更はありません。 いつも通りの気持ち」と平常心を強調したが、ややうつむき加減な表情で不安をのぞかせた。 先月中旬の仙台合宿で体中に発疹(ほっしん)が発生。 その後の回復具合が心配されたが「少し治りました」と全快宣言はなし。 合宿続きの日程から今月に入って個人調整となり「納得できないところを集中してできた」と技の修正はできた様子だが、練習量を一時期減らしたことによる体力面の不安は残っていそうだ。 父子2代のメダル獲得が期待される塚原直也=朝日生命=ら体操代表男女7人が8日朝、シドニーに到着した。 塚原1人に12人もの警官らがつく厳重な警備に「こんな経験は生まれて初めて」と日本のエースも苦笑い。 夕方からは五輪公園付近のレジェント公園の練習場で約2時間体を動かした。 このところ調子を落としているが「来る前にだいぶ練習ができたのでもう大丈夫です」と復調を宣言。 本番まではライバルのロシア、ルーマニアと同じ練習場で調整することになったが「いい刺激を受けるでしょう。 こっちの方が(技が)上だと分かれば自信になる」と村上監督は余裕たっぷり。 スクリプトなの?
それともいちいち書き込んでるの? ルーマニアの失敗を見届けた米国の最初の選手が演技した。 着地と笑顔のロス五輪の再現を狙っているのか、それとも日本のミスを待つためだったのか。 85年の世界選手権の鉄棒で銅メダルを獲得した彼は、88年のソウル五輪最終選考会まで代表圏内の7位に付けていた。 運命の鉄棒、2回目のトカチェフで大きく宙を舞った彼の手はバーに届かなかった。無難にまとめていれば彼はソウル五輪代表としての名が残った。 彼、渡辺光昭とは保育園から中学まで同じ学校に通った。 被害妄想的な愛国心がこだまする会場で日本の3選手が鉄棒に飛びついた。 最後の冨田が着地した瞬間、渡辺のことを思い出した。 私が初めて五輪を見たのは1976年、モントリオール大会だった。 テレビに食い入るように見入った初体験の五輪で、最も印象に残ったのが体操だ。 ケガ人が出た「傷だらけの金メダル」で男子団体総合は五輪5連覇を達成。 モントリオールを最後に団体総合の金メダルから遠ざかった体操男子のアテネ五輪代表6人が決まった。 塚原直也(26)はシドニー五輪の挫折を経てたくましくなった。 昨年の世界選手権で金2個を手にした鹿島丈博(23)のあん馬は本当に美しい。 逆転で代表入りした中野大輔(21)の才能と大技はとても個性的だ。 団体金メダル奪還の期待が懸かるメンバーがそろった。 しかし、6人の中でやはり注目したいのは冨田洋之(23)だ。 だが、世界の流れがスペシャリスト有利に傾く中、全6種目に苦手のないオールラウンダーを追求する姿勢に郷愁に似た共感を覚える。 冨田の体操は個々の動作、演技のつなぎ目、体の線のすべてがち密だ。 目を見張る大技やガッツポーズはないが、ため息が出る美しさで観衆を魅了する。 体操の技の難度は人間の限界近くにきたと言われている。 スペシャリストが増え、オールラウンダーが減っている1つの要因だ。 その中で美しさとオールラウンダーを目指す冨田のこだわりは世界的にも「これぞ体操」と認められている。 そしてそれは76年当時、体操王国ニッポンが追求していた体操本来の美しさにも通じている。 60年ローマ五輪から78年世界選手権まで19年間の団体総合10連覇である。 中でも紫綬褒章を受章した加藤教授は、オリンピックだけでも日本人最多の8個を手にしている。 この“バブル”がはじけたのが85年世界選手権とすると、10位に沈んだ96年アトランタ五輪をどん底にして、昨年まで19年間の金なしデフレ時代があった。 折しもバブル経済崩壊後の長いデフレ脱出の機運にある日本経済に呼応しているようだ。 体操ニッポン約20年周期説をアテネの金メダルラッシュで証明してほしいもので、その兆しはある。 昨年の世界選手権で鹿島丈博が獲得した種目別の金2個だ。 日本を相手にしなかった外国の指導者たちが「日本の力が年々上がっていると言い始めた。 きちんとした丁寧な演技を評価できる」と国際体操連盟技術実行委員でもある加藤教授は分析する。 安易な失敗で世界選手権出場を逃したことが身に染みたはず。 だから「団体、個人の金に値打ちがある」という考えがある。 種目別も金に変わりはなく、6個もあるのを狙わない手はない。 満遍なく6種目に演技をするオールラウンドな選手育成より、必殺技の高難度スペシャリスト6人をそろえる方が手っ取り早いという考え方だ。 その1人、鹿島が昨年あん馬で金を獲った時、加藤教授は卒倒するほど驚いた。 そればかりか、32年ロサンゼルス五輪に初出場した日本選手は「初めて見た本物のあん馬演技に腰を抜かした」とか、東京五輪個人優勝の遠藤幸雄でさえ、あん馬で尻もちをついたなど、自慢できない語り草が残った唯一の苦手種目。 それを「まだ力がそろっていない」(加藤教授)と注目しなかった鹿島が獲った。 五輪初出場から数えて72年目でやっと日本に6種目の金がそろったのである。 鹿島はあん馬と平行棒、中野は平行棒と床の狙撃手だ。 団体、個人の総合戦の主力は米田、冨田、塚原、水鳥。 この20年間、ずっと追いかけてきて、やっと世界トップに並びかけた。 鉄棒の離れ技など独創的高難度の新技が出尽くした感があり、アテネでは出来栄えの良さが勝負になること。 加藤教授はしきりに日本選手を「きちんと丁寧」「線がきれい」「きちんと止まる」と評した。 このスタイルこそ無敵を誇った現役時の“王者・加藤”の型。 同じ技でもきれいに演技する伝統の味が戻りつつあるのだ。 「点数にならないところをいいかげんにし、ルールをかいくぐって点を取ろうとして、本来のダイナミックさをなおざりにした時代が長かったので、完全には取り戻せていない。 原因は「王座を保つには変化や流れを見失ってはいけない。 ソ連も日本から王座を取り戻すのに20年かかり、チトフ監督が、やっと戻ったと言った。 ロシア、中国に肩を並べ、さらに抜け出すには独創の新技開発と選手が国際性を持つこと」と黄金時代復活への課題を期待を込めて話した。 中学、高校の在校生約3300人が校庭を埋めた朝礼に米田、鹿島は後輩のつくる騎馬に乗って登場。 団体金のほか鉄棒で銅メダルの米田が輝くメダルを胸に「苦しい時に頑張ってこそ夢がかなう」と話し、同じくあん馬銅の鹿島が「何かに向かって努力する過程が大切」とエールを送った。 それに対し、平岡英信理事長は「北京(五輪)には在校生を送り込みたい」と次代のスター誕生を期待していた。 この後、2人は冨田洋之(23)=セントラルスポーツ=とともに大阪府知事公館で太田房江知事から、知事賞詞を受けた。 スペシャリストに門戸開放した“一芸選考方式”でアテネの星が誕生した。 体操のNHK杯兼五輪決定代表競技会最終日が3日、東京・国立代々木競技場で行われ、個人総合7位の中野大輔(21)=九州共立大=が得意の床、平行棒、鉄棒のポイントで逆転で代表入り。 米田功(26)=徳洲会=が総合計トップで初代表に選ばれ、NHK杯も6年ぶり2度目の優勝。 女子は優勝した石坂真奈美(18)=朝日生命ク=ら2人が代表に選ばれた。 現役世界唯一の着地技、月面宙返りに中野が果敢に挑んだ。 ややグラついたがスーパーEの大技は9・700の高得点。 前日は控えた秘密兵器で中野がアテネ切符を引き寄せた。 この日も3種目時点で9位だったが、平行棒で7位に上がった。 数分後、新選考方式による代表入りが決まると歓喜の抱擁を繰り返した。 84年ロサンゼルス五輪鉄棒金メダリストで、中野を3年前から指導する森末慎二氏(46)が「天才」と話す逸材だ。 「世界に出さないのは日本の損失」とまで言う才能に足りなかったのは、強い意志と筋力だった。 「五輪に行きたいじゃなく、絶対に行くんだ」と気合を込め、昨年から徹底的に筋トレを課した。 バネを生かした床、鉄棒のスーパーE・コールマンの美しさ。 五輪の目標は「平行棒、鉄棒、床の種目別でメダルを獲りたい」。 アテネの団体戦では米田、冨田、塚原、鹿島の4枚エースを得意の3種目で後方から支える。 二十八年ぶりの「金メダル」を射止めた日本のエース、冨田洋之と、中野大輔の出身校、洛南高校(京都市南区)で二人を指導した体操部顧問の辻野朝晟さん(六〇)は、京都市内の自宅のテレビで、次々と難度の高い技を決める演技にくぎづけになった。 「もちろん(メダルは)期待していたが、金メダルだなんて」と興奮気味に話した。 体操部には、冨田が三年のとき、中野が新入生として入部してきた。 性格面では、無口な冨田に、目立ちたがり屋の中野と対照的だったが、「二人とも能力の高さは際立ち、五輪に対する強い思いがあった」。 普段は寡黙な冨田だったが、こと体操となると“雄弁”に。 「(体操をしているとき)あいつは全身でしゃべっていた」。 一方の中野は、着地の美しさを辻野さんがほめたとき、「僕には四本、足があるんで」と返答するなど物おじしない態度に、辻野さんがまごつく場面もあったという。 一方、米田功、鹿島丈博、冨田洋之の三選手が幼少期から体操を学んだマック体操クラブ(大阪市阿倍野区)の谷利行理事長は、「クラブの歴史にまた一つ、輝かしい軌跡を残してくれました」と破顔。 マック体操クラブは、ソウル五輪団体銅メダルの西川大輔や池谷幸雄らを輩出した日本屈指の名門クラブ。 最終演技の鉄棒で三選手が次々と高得点をたたき出し、鮮やかに逆転すると、「久しぶりに鳥肌が立った」(谷理事長)という。 米田、鹿島両選手の母校、清風高校(大阪市天王寺区)も喜びに沸いた。 二人を指導した体操部顧問の吉田和史教諭(四二)は「米田はとにかく練習嫌いだった。 シドニー五輪に出られずつらい時期もあっただろうけど本当によく頑張った。 鹿島にはいつも難易度の高い演技を求めたが、五輪では最高の演技をしてくれた」と語った。 また、水鳥寿思(ひさし)の母校、岡山市の関西(かんぜい)高校では、難波泰朗校長が「若い卒業生が、『関西魂』で世界のトップに立ったことは素晴らしい。 体操部の藤原佳市監督らは強化合宿で上海にいるが、この朗報に喜んでいることだろう」と笑顔を見せた。 最終種目、鉄棒の米田功(二六)、鹿島丈博(二四)、と冨田洋之(二三)の三選手を指導した恩師、城間晃さん(五一)は「三者三様。特に米田はやんちゃだ」と明かす。 ソウル五輪で活躍した同じ体操クラブの先輩、西川大輔、池谷幸雄が米田の前で平行棒を演技した。 城間さんが小二の米田に「同じことできる?」と冗談交じりで聞くと、米田は同じ技をこなしてしまった。 城間さんは「こんな天才がいるのかと思った」と振り返る。 「天才」は高校に入ると「練習すると調子が悪くなる」が口癖となり、大学時代は暇があれば、くわえたばこでパチンコ台に向かった。 「練習なしでできるから、しなかった」(城間さん)というが、そんな甘えを吹き飛ばしたのが昨年の世界選手権。 努力を覚えた「天才」は鉄棒の一番手として着地もピタリと決め、「これまで味わったことがない達成感。感激です」と喜びを爆発させた。 試合前の城間さんへの電話を欠かしたことがなく、いつも「期待していないから頑張ってこい」と送り出していた。 鹿島は、教えがいのある選手で「こんなのやってみろ」と言っただけで、できるまで練習に専念。 「金」を獲得した後のコメントも「米田さんが決め、冨田が最後はやってくれると信じていた」と、仲間をねぎらった“優等生”を感じさせるものだった。 重圧のなか、いつも通り涼しい目で鉄棒に臨んだ冨田。 だが、とにかく声が小さくあいさつができずよくしかった」(城間さん)。 中学の大会で、演技の際、「お願いします」というところを、緊張のあまり「ありがとうございました」。 アテネで「演技中に初めて鳥肌が立った」と笑みを浮かべた日本のエースにも、普通の人と同じような少年時代の「失敗」があった。 元体操選手の両親のもとに生まれた「体操一家」の二男、水鳥寿思(二四)は六人兄弟で最も体が硬く、父、一夫さん(五五)から「やっても無駄」と指導してもらえず、「父にすごいといわれたい」との一心で体操を続け、高校で開花した。 「派手なことが好き」という中野大輔(二一)は茶髪で現れ、監督に張り倒されたことがある。 アテネでの快挙にも「プレッシャーはなく、自分を信じてやった。 モントリオールの体操団体で金メダルを取ったメンバー六人のひとりで、新潟大教育人間科学部教授の五十嵐久人さん(五三)の話 「体操は低迷していた期間が長かっただけに、金が決まった瞬間は二十八年前を思いだした。 体操の団体は個人の調子の良しあしが勝敗のカギとなるが、今回は選手のミスがとにかく少なかった。 チーム内での競争が激しいことが(団体としての)全体のレベルアップにつながったと思う。 五輪経験者の塚原がベテランとして引っ張り、若手とうまくかみあった。 今回の金メダルは、『体操ニッポン』の復活を世界に印象づけた。 これをきっかけに、個人総合や種目別にも積極的に臨んでほしい」 金メダルを獲得した体操の男子団体総合、冨田洋之選手(23)を指導した洛南高教諭で体操部顧問の芳村健さん(50)は「予選で1位だったので、勝つ予感がしていた」と声を上ずらせた。 「先輩のこんな姿を見る機会はめったにない」と部員にも特別に観戦を許可した。 無口でこつこつ練習に取り組む選手だったという冨田選手。 最後の演技で金メダルを決めると「感動で鳥肌が立った」と振り返る。 このスレッドは1000を超えました。
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