キリスト教
   正(聖?)なる存在   神
   罪を犯した散在     人間
   人間を救済するために犠牲となった者   神の子とされる一点の曇りもないイエス・キリスト
で、イエス・キリストの死をもって、人間の罪は神に許されたとされている。
キリスト教で贖罪を語る時、神、人間(罪を犯した者)、キリスト(救済のための犠牲者)と、三者が存在する。

で、>>890でメカテク・リスタイ禁止令により、「補助具を使用していたプロボウラーが泣いたり苦しんだりするもよし。それが補助具を使い続けた人間の贖罪」という話なんだが、
      正(聖?)なる存在   >>890>>896も定義なし
      罪を犯した存在     JPBA
      JPBAを救済するために犠牲となった者   補助具を使用していたプロボウラー
という事を書いているんだよな。

>>890>>896も、二者しか存在していない。
犠牲になる補助具を使用していたプロボウラーは、JPBAの犯した罪をあがなうために犠牲になるが、両者間は、そもそも当事者同士の関係。
加えて、救う対象がJPBAになっている。
キリスト教の教義に例えるのなら、一点の曇りもない元々補助具を使ってないプロボウラーがキリストの如く犠牲にならないと、キリスト教の教義に合致しない。

>>902
キリスト教の教義をもとにした解釈の場合としての贖罪でも、間違ってるよ。