0903投球者:名無しさん
2018/03/26(月) 01:07:07.12ID:4iIbsPcL正(聖?)なる存在 神
罪を犯した散在 人間
人間を救済するために犠牲となった者 神の子とされる一点の曇りもないイエス・キリスト
で、イエス・キリストの死をもって、人間の罪は神に許されたとされている。
キリスト教で贖罪を語る時、神、人間(罪を犯した者)、キリスト(救済のための犠牲者)と、三者が存在する。
で、>>890でメカテク・リスタイ禁止令により、「補助具を使用していたプロボウラーが泣いたり苦しんだりするもよし。それが補助具を使い続けた人間の贖罪」という話なんだが、
正(聖?)なる存在 >>890も>>896も定義なし
罪を犯した存在 JPBA
JPBAを救済するために犠牲となった者 補助具を使用していたプロボウラー
という事を書いているんだよな。
>>890も>>896も、二者しか存在していない。
犠牲になる補助具を使用していたプロボウラーは、JPBAの犯した罪をあがなうために犠牲になるが、両者間は、そもそも当事者同士の関係。
加えて、救う対象がJPBAになっている。
キリスト教の教義に例えるのなら、一点の曇りもない元々補助具を使ってないプロボウラーがキリストの如く犠牲にならないと、キリスト教の教義に合致しない。
>>902
キリスト教の教義をもとにした解釈の場合としての贖罪でも、間違ってるよ。