ランドラインカジノの知りたい事全て答えてやる★69
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ランドカジノのことを語るスレです
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テンプレ>>よろ 本カジで勝ち残る方法は、一応基礎的な認識を持たねばならない
分かりやすいのでバカラを例に取ろう
バカラはシンプルで底が見えているギャンブルだが
どうせ確率1/2だから、どこに賭けても結果は同じだと思う人が多い
それは半分当たっているが、半分ははずれている
当たっている理由は、バカラは独立事象のゲームだから常に確率は約50%だから
間違っている理由は、大数の法則でやってりゃいつかはエッジ分損するから
つまり、勝率はどうせ同じだから、どこに賭けても同じと思っていれば
短期的には勝てても、長期的には必ず損をするという結論に至る
だから、他に収入がある人が遊びと割り切って
短期的な勝利感を味わうのがカジノゲームに求められる娯楽性ということになるが
当然、長期的トータル収支マイナスとなるから、プレイ料金を払う遊びに過ぎなくなる
また、そうと割り切って楽しんでいる富裕層は、カジノでは山ほど見かける
損しても楽しいんだから、私がケチをつける言われはないのだ しかしながら、勝ったり負けたりしながら、年末年度末には継続的にプラスになる人もいるのは確かだ
それにはどうしたらいいか。普遍的なそれを書けば攻略法・必勝法となる
ところが科学的にそれは完全否定されているから、明文化マニュアル化は不可能である
それでもここが大事なポイントだが、確率的に劣位を背負うからといって、ギャンブラーが常に不利とは限らない
なぜなら、客は勝ち逃げできるが、ハウスは逃げられない
客はベットサイズを変えられるが、ハウスはひたすら受けて立つだけである
そして、客はルックできるが、ハウスはそれを認めるしかない。ここで純粋確率の趨勢に狂いが生ずる
ハウスに優位な狂いもあれば、客に有利な不利もあり
もっと言えば、長期的に、必ずしも大数の法則通りの結果にならないということだ
大数の法則はフラットベットで打ち続けて初めて、確率的控除率の有利性をハウスは得られるからである
このようなハウスの死角を突いていくことは、攻略とは言えないが、ハウスと五分の戦いならできる
では、ギャンブラーは具体的に何をすればいいのか ★最重要なのは、51戦49敗以上の成績を残すことだが、これは勝率ベースの話ではない
いくら勝率が良くても、小玉勝負でたくさん勝って大玉で1つ負けたら何の意味もない
あくまで配当率ベースの51戦49敗以上、つまり分かりやすく言えば、51万勝って49万負けることだ
それは確率外のことである。なぜならば、ベットサイズを主観的に決定することは、ダイレクトに確率の支配下には入らないからである
★じゃあ、運が決めるということか、と短絡的に考えてはいけない
拮抗した勝負を意識的に行うということだ
大きなリターンは大きなリスクを伴う
だから、自分なりの勝算なくして、絶対に、ハイリスクハイリターンなベッティングは禁じ手と心得なければならない
連敗をどこで引くか、どう守って、どう攻めるか、それは確率計算しながらも、戦略であり
それは確率50%という前提条件における、最も高度な運試しであり
確信で固め抜いた上で、ゾーンで仕留める、ギャンブラー優位の勝負局面でなければならず
そうでないなら、決して手を出してはいけないということだ。これが「真の運」の正体だ
当て推量のワンショット大玉勝負とは、本質的に全く異なる運を捉え方なのだ
その違いを理解できるかどうかが、カジノにおける富の絶対的再分配を決定する ★3つ目のポイントは、ポアソンクランピングの偏りの波に決して巻き込まれないことだ
カジノゲームは十分な回数をこなすことによって、最終的には期待値通りの結果に収束する
つまり、ターンオーバー(総掛金)のうちから控除率の2%を引いたお金を確率理論的に失う計算である
ところが、実際は期待値以上にマイナスに沈んでしまうギャンブラーは少なくない
それは、大数の法則では、いつかは勝率ベースでイーブン、期待値はバカラで98%の平均配当率に沈むが
その過程で必ず生じるポアソンクランピングという極端な偏りの波に飲み込まれて撃沈する
これを確率用語で小数の法則と言う。これは負けだけでなく、波に乗れば大勝ちをももたらす
それが連続した状態を、マジックモーメントとかホットハンドと呼ばれる
気づいたら眼前に大金がうず高く積まれている。このシーンを文豪ドストエフスキーは「賭博者」の中で克明に描いている
これはチャンスであるし、一攫千金の夢でもある。あの井川会長もポアソンクランピングの波に乗り
一時は500万円の元手を億の金に変えたと言う。そして彼は破滅の道に突き進んでいった
ゲームの偏りを狙うのはギャンブラーの本懐だろうし、それは麻薬のごとく恍惚感をもたらすものだ
ただ、確実に言える一つの真実がある。小数の法則で勝利を狙うということは、持続可能性がない
継続的に勝てない。資金が切れたところで退場。連勝を倍々で狙うリスクはギャンブラーが追いきれぬ無責任なほど巨大である
だからこそ、そのような賭けをしたいのならば、確実に負けていい金を張らねばならない
つまり「勝つことありき」で絶対に勝負してはならないのだ 世の中には安定した収入によって博打を打つ「常打ち」と呼ばれる人たちがいて
彼らハイローラーはプロギャンブラーを見下すことが多い。それは身分の違いもさることながら
プロの賭け方はセコくていじましく、その割にはサバイバルできない負け犬ばかりだかららしい
これはもっともな意見ではあるが、いささか傲慢が過ぎるというものだろう
お金のあるハイローラーが捨ててもいい金で大勝負を続けることが、どれだけ偉いのか、という話だ
そんなものはカジノの中でしか栄誉はあるまい。そんな金とヒマがあるなら、もっとマシなことに使った方がよかろう
とはいえ、博打の魔力に絡めとられた人にそんな意見など何の意味もない
前置きが長すぎたが、ツラ切りは愚の骨頂なれど、太ツラ1本パーレーで取るのも、常に確率の罠が待っているということだ
そんなのルックしなくてどうするという話である ★今まで、確率的にハイリスクハイリターンではなく、期待値をわずかに超えるだけの平均配当率を狙うこと
本人の確信以外に根拠の薄弱な大玉ワンショットを50%の確率の運に賭けてはならない
出目の偏りに乗じてハイリスクハイリターンベットをすれば、持続可能性がない、ことを説明した
4点目に重要なのはルックである
ルックは、カジノギャンブルの生命線である。休みなしに賭け続けるギャンブラーは多い
そういう人たちは、1手1手にそれほど意味があるとは思っていない
だが、明らかに待つべきルックポイントは存在する。バカラは1手で仕留めるなど、サイキックでもなければ無理である
待ちに待って、勝負局面に突入したところでゾーンで狙うしかないのである
確率的に独立事象なのだから、ワンショットで取れるわけがなく、それを大玉で狙うのは話にならない
絶対的に見送るべきハンドはたくさんある
例えば、縦横ツラが走っている時に、7もくツラがそこから4手以内で切れる根拠はゼロだから
ツラをルックするのは極めて合理的な判断である
そこをルックするだけで、他の局面に集中できるし、リスクテイクも最小限に絞り込める
ルックすべきはツラばかりではない
たとえば、狙いたいポイントが、バンカー/プレイヤーどちらに転んでも、ある場合はルックが上策である
ルックするというのは、何を狙いたいか、という答えが自分の中にあるということである ★運は高望みせず、リスクを押さえ込んで平均配当率を上げて、ターンオーバーの総量に対するプラスエッジで稼ぐ
それが手堅く、負けを最大限先送りできる方法だということは分かっただろう
その確率を上げていくために、ルックが不可欠であることも(その裏付けとなる勝負局面の補足も)
地道に継続的に利を積み重ねて収益プラスに持ち込むためには、効果的な方法である
では、狙うべき勝負局面における決断、すなわちゲーム勘をどのように扱うべきだろうか
何となく適当にやるしかないのなら、それはゲーム勘と呼べるようなレベルのものではない
ギャンブラーは何千、何万回とプレーする。その時に、個々の経験を通して、何らかのパターンやジンクスを発見するはずだ
それは、もちろん百発百中のわけはないし、常にブレるだろう だが、シューがあるルートを辿ることが多い、あるいはそのルートが途中で外れることが多い
それは、何手ほど続くことが多く、何手以内に切れることが多い
さらに、そのパターンはたとえば10回に1回は予測不能の動きをするから、その時は深追いしてはならない
そのような経験則から、ゾーンで仕留めていくのがゲーム勘と呼ばれるものだ
この勘は、働かない人はまったく働かない。その理由は、おそらく無駄な予測を遮断しているためである
とりわけ科学者は無駄な予測を絶対に排除しなければ、科学者としての責務を果たせないからだ
それはかのアルベルト・アインシュタインも訓示しているものだ
「科学者は不確実性が現在の知識を越えた所に存在しているとしても科学にそれを取り込んではならない」
しかし、博打は科学ではないし、科学で攻略できるシロモノではない
利用できるものは、運もルックも直感もジンクスも確率的知識もあらゆる要素を総動員して
必現する敗北を少しでも先伸ばしにして収益プラスを目標額達成まで続けるゲームである
カジノゲームは強欲に永遠に勝ち続けることは不可能、と心得ねばならない
あなたの目標額はいくらであろうか
エリートサラリーマンの生涯年収は税込平均3億5000万円だそうである
金融庁は老後は月26万円は必要なので年金MAXで貰っている人は95才までに2000万円不足するそうだ
日経ETFの利息は2%、オーストラリアの外貨金利は3% カジノ賭博はどんなに逃げても、続けていればいつかは必ず負ける
しかし、負けるまでの間に、短期的勝利という実現可能性を積み重ねて
目標額で勝ち逃げするという一連の勝負に勝つことは、不可能ではない
破産する可能性がある以上、プロギャンブラーは存在矛盾だが
あえてそれが存在するなら、世の中には1流の現役プロギャンブラーは存在しない
勝ち逃げして完全引退したギャンブラーだけが、あの人は過去に1流ギャンブラーだったと認められる
さて、完全引退して、残りの人生をまたギャンブルで費やすのはつまらないことだが
ほかにやることもなければ「収入」の範囲内でカジノゲームを楽しむことはあるだろう
それは、もはや勝負でも何でもなく、ただのヒマ潰しであり、金を払って楽しむ娯楽である
そういうゲームは嫌な緊張感もなく、ただただ楽しいに違いない
でも、そういう身分でもない者が、その楽しい部分だけ享受しようとしたとして
負けた時は、無残であり陰惨である。それだったらやらない方がどれだけマシなことか
負けてもいいギャンブルは特権者のギャンブルであり
その特権者とて、決してギャンブルに溺れることは許されない
一方で、ギャンブルをやる以上は負けてもいいと思ってやるなと古参ギャンブラーは訓ロクを垂れるのだが
そもそも、シミュレーション上で勝ててないうちは、やはりまだ本番に臨むのは早いと言わざるえない
演習で負けるというのは本番でも負けるということである
ここでギャンブラーは2者に分かれる
研究では何も得られないから現場で運を試してやれという人
このような人たちがカジノで大いにエンジョイしているのは事実である
そして研究の成果を信じられる人は、いつかはカジノで蓮(はちす)の花と咲く
あるいはまだまだ素振りの日々が続く
プレイヤーに賭すか、バンカーに賭すか
これもまた二者択一の丁半博打なのだからカジノギャンブルとは面白い。 マカオの暑さは凄まじい
まだ6月なのに先が思いやられる
いま、香港は騒然としている
日本でもニュースになっていることと思う
香港返還が決まってから富裕層は少しずつ海外へと移住していった
私の友人もシンガポールに移住したが1年の大部分をいまだ香港で過ごす
今回のデモは実は香港人ばかりではない
大陸から一旗上げようとやってきた本省人も少なからずデモに参加している
彼らの不満は民主主義に関することばかりではなく
香港の下層民として燻っていることに対する怒りもあるのだ
金持ち喧嘩せずという諺もあるが
金持ちはトラブルに巻き込まれたくないからデモには関わらない
私の友人もシンガポールに帰ってしまった
マカオも香港の騒動の影響を受けている
マカオ人には香港人の友人知人親族が大勢するからだ
そして、香港で起きている中国化はマカオの将来にとって当然、無関係ではない
そうはいってもマカオは豊かな特別区
住んでいる人も豊かな人が多いし平均収入は日本よりもはるかに高い
どちらかといえば、日本に大型IRが続々とオープンすることの方に危機感があるから面白い
とはいえ日本にカジノに出来るのはまだずいぶん先になりそうだし
マカオのカジノは相変わらず大繁盛している 毎年のことだが暑さを愚痴ると
オーストラリアの友人が少し骨休めに来いと言ってくれた
その男とは過去にビジネスで知り合い親しくなった
ギャンブルは一切やらない人だ。シドニーに大きな一戸建ての屋敷に1人で住んでいる
いつもなら誘われても、行ってみたいもんだねと断るでもないボヤきで答えるところだが
今回は行くことにした。私は暑さに弱い
友人の誘いを受けた2日後には、私はザ・スターで博打を打っていた
平場のVIP卓のバカラは100AUDミニマム20000AUDマックス、あるいは200AUD/40000AUD
すると顔見知りのエージェントが私を目ざとく見つけて声を掛けてきた
「ミスター スズキが来てるよ」と言う
スズキという名は多いが私がシドニーのカジノで知るスズキと言えばこの人しかいない
「ヒロシ・スズキ?」
エージェントはそうだ、と言う
私は驚いた。彼は病気だと噂で聞いていたからだ
最後に彼と会ったのはもう5年も前だ。私はすぐに会いに行くことにした
鈴木博さんはプロの牌九ギャンブラーである
70年代から活躍している古参中の古参ギャンブラーである
牌九の技量は神業である。年は古希を越えている現役の老兵だ
彼は東京の進学校を卒業して大学には行かずに就職して出版社に入り
70年代に白人女性と結婚して渡英した
高校の卒業者には、鈴木さんとほぼ同世代の宮崎駿がいる
なかなかどうしてバンカラで硬派な校風で知られる 奥さんは著名な学者としても知られる
鈴木さんとは、ザ・スターがシドニーハーパーカジノだった頃に知り合った
当時の私は牌九に取り組んでいたが全く勝てなかった
なぜ勝てんのだ??
私は悪戦苦闘していたが金は磨り減っていくばかり
シドニー勤務で独身で給料も悪くはなかったが、私は牌九卓で金を溶かしてゆくばかりだった
牌九というのは特殊なゲームであり客が胴元になれる
私の金を容赦なくむしりとっていった胴元のオヤジ、それが鈴木博さんだった
鈴木さんは本当に強い牌九のプロ賭人だった
彼は自身をプロではない、毎日博打を打っているだけの人間だ、と言うが
それは謙遜であろう。彼は打ち手を見て勝てそうだと思った時だけ胴を取る
彼のカモを見抜く目は鷹のように鋭く的確だ
人間の観察力がずば抜けていた
胴を取るのだから、平場とは言ってもかなりの資金量を常に持っていた
ここぞという時に鈴木さんはカジノ小切手を取り出してディーラーに渡して胴を取る
まさしく、金の取り合い、奪い合いである
すさまじい心理戦が展開される
それは胴ではなく、客として他の客と併戦している時からすでに始まっている
カモにしようと思っている客を挑発して熱くさせてゆくのである
そして相手が完全に頭に血が上ったところで胴を取る
実にエグい戦法である。そして私は鈴木さんに蒸し鴨にされ焼き鴨にされ
ありとあらゆる調理法で食われてしまった
博打には必勝法や攻略法はないが
完全に負けるタイプの客がもしいるとするならば
その逆を賭け続ければ必ず勝てる。現にカジノはそういう方法で大儲けしている
牌九は親を取れるから負ける客を捕捉できれば皆殺しできるのである
実にエグい世界であるがエグいからこそ引きこまれる魔性のゲームでもある
牌九卓は限られるから私はしょっちゅう鈴木さんに食い散らかされていた しかし、ゲームを離れれば、さっきの敵は今の友
鈴木さんと私はだいぶ年が離れているから、友というのも語弊あるが
まぁヤンチャな先輩といったところだろうか
鈴木さんは牌九のプロだが他のギャンブルにも関心があり
たまにブラックジャック卓やバカラ卓で見かけることがあった
こちらの方はお世辞にも強いとは言えなかったが
牌九で稼いだ金を、果敢に大玉でベットしては、勝つこともあり負けることもある
しかし、その元金は私のようなカモから巻き上げた金なのである
鈴木さんは悪い大人のオジサンだったが博打を愛していた
勝てるゲームだけやっていれば金を貯めていけるのに
世界中に遠征してはバカラで勝ったり負けたりを繰り返す旅打ち道楽人の顔と
牌九で弱い敵を転がしてバカラの負けを全部取り戻すプロ牌九ハスラーの2つの顔があった
牌九に溺れていた私を引き上げてバカラに転向させたのが鈴木さんだった
しかし私は、バカラやルーレットやBJにはどうしても興味が沸かなかった
当時はサラリーマンだったこともあり、博打の収支をプラスにするという当たり前の目標がポッカリと抜け落ちていた
そんな私に鈴木さんは、最初から負ける気で博打を打つなと何度も説教をした
私の金を巻き上げておきながら、よくそんなことが言えるなと思ったものだ
ソープ嬢に説教する客のようなものである しかしそういう良心的なところも鈴木さんにはあって私も説得された
まったく才能がない牌九から足を洗うことにしたのである
バカラを始めてからは、勝ったり負けたりで
以前のように給料のほとんどが消えていくということはなくなった
ゲームとしては面白くはなかったが、私はバカラには向いていた
楽しくないからこそ冷静になれた。ゲームを離れたところからいつも俯瞰して見ていた
岡目八目である。私は鈴木さんのアドバイス通りにバカラを打つ
だが、鈴木さんはと言うと、自分がアドバイスした通りに自分は打てないのである
牌九プロの性だろうか。彼は鮮やかな快勝に常に飢えていた
客を総殺する快感のようなものに比べればバカラは地味なゲームである
それを大玉勝負で劇的なものに「演出」するのである
彼はバカラに快感を求めていたのが近くで見て分かった
それは当然、大きく勝つ時もあるし、負けることもある
そして負けた時は、牌九で私のような弱い賭人を食い散らして金を貯めると
再びバカラ卓に戻ってくる。ある意味、ギャンブル依存症である
なぜ牌九だけやっていられないのか、それはおそらく
獲物を見つけて罠にはめることばっかりしていたのでは、気分が良くなかったからなのだと思う
それが証拠に、成功のお客様であるはずの私のようなカモを、バカラに「転院」させてくれたからである 私は牌九はすっかり諦めてしまった
やはり、鈴木さんのような猛禽のような眼力はないし
胴を取って客の憎悪を一身に浴びることに耐えられるほどタフではなかったからだ
牌九というゲームは強者しか豪運を授かることはできないのである
彼のように牌九という得意分野を持ちながら
バカラを打てる人は博打を心底楽しむことができる
それは、仕事の気晴らしで牌九に溺れた私と変わるところはない
博打は生活基盤がなければ続かない
ところが鈴木さんは、その生活基盤が牌九プロであるという稀有なバカラ賭人であった
鈴木さんは、牌九については渡世人稼業であって博打ではないと言っていた
牌九とバカラの博打としての違いは、牌九を極めることが出来なかった私には今も分からない
しかし、鈴木さんにとって牌九は仕事であり、バカラは遊びである
だから鈴木さんは牌九の勝ち方については何一つ、教えてはくれなかった
そのかわり、バカラについては、彼が持ちうるすべての知識を教えてくれた
そして、さきほど言った様に、鈴木さん自身はそういう勝ち方をチョイスしなかった
つまり、生活のためのバカラなんか小便臭くてやりたくないが、勝ちたいならそれをするしかない
というのが鈴木さんの教えだったのだ
一方、私は鈴木さんのように、単純な丁半博打にはどうしても入れ込むことが出来なかった
ゲームとして詰まらないからである。賭け麻雀はレートが高くなればなるほど打ち手も強くなるから
私はどうしたって勝てない。弱い相手と低レートで博打を打っても面白くない
そこで嵌ってしまったのが牌九なわけだが
それも才能と実力がないことを認めたわけだから、私はゲーム賭博に対して冷めてしまったのだ
しかしサラリーマンの息抜きとしてカジノの魅力はやはり捨てがたく
私は鈴木さんの教えを受けながらも、師匠よりも冷静なバカラ賭人となった プロのギャンブラーというのは存在矛盾である
ギャンブルに絶対はないが、生活費は絶対である。霞を食って生きるわけには行かない
プロであるためには、絶対に勝てないギャンブルを絶対に勝たねばならない
それは不可能である。そして、他に生活基盤があるのならプロとは言えない
遊び人、アマチュアギャンブラーである。そして、アマチュアでも稼げる時は稼げる
職業人とは、稼げる基盤なくして、職業人とは言えない
私は歌手だ、作家だ、スポーツ選手だと言っても、稼ぎがゼロ、いやマイナスではプロなどと恥ずかしくて名乗れないし
そもそも、稼げないプロなど誰もプロとは認めてくれないのである
そのような存在矛盾のプロギャンブラーに、私はなることにした
退職金と貯金で私は何とか
平場のVIPテーブルの片隅に身を置き
便所裏でしみじみと咲く月見草賭人になることができた
私は生活のために1日あたり資金の0.2%を必ず勝たねばならなかった
年利計算で70%強という図々しいまでに強欲な目標額である
いつかは破綻するには違いないが
そもそも人は永久には生きられないのである
生きていても年老いて博打を打てなくなることだってある
人は最終的な破綻に向かって生きているのだから
博打という最終的に破綻するものに寄り添って生きるのは矛盾していない
私にとって1日にバンクロールの0.2%を勝つのはそれほど難しいことではなかった
それは誰だって、一度は集中的に丁半博打に取り組んだ者なら難しくはないと思う
けれども私は鈴木さんという古強者の達人から直接教わった鈴木塾の門下生である
鈴木さんの話では、門下生は多いが、大抵は博打に溺れて辞めて言ったという
私はと言うと「牌九では救いようもなく溺れたが、バカラは溺れてないね君は」
というのが鈴木先生の評価であった そう、私はバカラにまったく溺れなかった。バカラは少しも楽しくなんかなかったからである
でも、楽しくないのは私の会社務めだってそうだ。楽しくなんかない
私は金融関係の仕事でシドニー支店に勤務していたが、辛気臭い仕事だった
債権のサルベージや金持ちの税金対策の投資や
一言で言えば晴天の日に雨傘を貸して、豪雨の時に傘の返却を迫るような仕事である
手堅く勝負しているように見えても会社のある部門は
世間の人がとても信じられないような大博打を金融マーケットを使ってやっている
そして、その事業に失敗したら何百人の社員がリストラされ路頭に迷うのだ
まさしくギャンブルである。同じギャンブルなら自分でやって破綻した方がまだ納得できる
私はカジノで仕事してリスクテイクすることにした
絶対に勝てないのにプロギャンブラーを名乗るのは存在矛盾だとは承知しているが
そもそも私の仕事だっていつリストラされるか分からない
つい最近だって大学時代の友人がパイオニアをリストラされたばかりだ
私はパイオニアを買収した投資ファンドの知人ともマカオで親しくなったから
サラリーマンの命運などギャンブルでしかないと、かのファンドマネージャーの言葉を聞いて
ひしひしと感じている。最近は日本でも年金問題が話題を集めているが
年金は山分け方式なのだから、すでに年金を払ってない世代の人たちに使ってしまったのだから
どこかで財源が不足して、支払いが先細って行くわけだから
何もせずに将来国が税金投入してくれるか否かを待つのも、立派なギャンブルなのである
それはもう、ズバリ生活に影響する賭けなのだから「プロのギャンブラー」とさえ言える
無為のプロギャンブラーよりは、自分で能動的に博打を打った方がいいに決まっている そのような傲慢な結論に達したのも
やはり鈴木名人の教えを会得して、私もそれなりのバカラ賭人に成長したからである
老いた達人は私に様々なことを教えてくれた
まずルックするのはそれが負け手であることを知るからルックであり
勝負手はそれが勝ち手であることを知るからベットできる、ということ
ルックもベットも、その先にどう賭けていくかという展開図が開けなければならない
わが師は、まずは縦3もく内のシューの動きだけを追えと言った
そして3もくの支持線抵抗線を超えたらツラを取る以外に選択肢はないと言った
横ツラも同様で、3もく走ってしまったテンコはツラを取る以外にないのである
それらのツラは当然、確率で言うトレンド分散でランが走っている状態だから
「本勝負」が不調の時は、ツラのプラスで、勝ち逃げか微損で撤収のチャンスとせねばならない
そして本勝負とは、スプレッドが狭ければルックすべき所、余裕があればツラを取る以外の部分である
それは、ランの走らない縦横3もく圏内のレンジ領域での画の中で起きるパターンを注視しろ、ということなのである
鈴木さんは、そのパターンを軸にベットサイズアップで仕留めよ、しかし、それをシステムベットとして追っては負けるから
その「ゲームの仕掛ける罠」を回避する勘を働かせて、あくまでもパターンを追ってゆけと言った 勘と言うのはつかみどころのない話だが、要は、何か嫌な感じだから、そのパターンが出ても半分は追わないということだ
すべてをさらえばかならず罠にはまる。勝負を減らせば減らすほど罠にかかる確率は低くなる
そして、リスクヘッジしても儲けが残る限界線を少し越える所で、必ず勝負せよと師は言った
それはかくもしみじみとした、いじましいギャンブルとなる。期待値101%をターのオーバーの量で益出しする
だが、鈴木さんが忌避したこの方法を、私は何の抵抗もなくすんなりと受け入れられた
仕事だから別にいいのである。時給何万円の簡単お仕事などと、下劣な言い方はしたくないがそうなる
私は師匠が食うか食われるかの表情でバカラをスクイーズする様子を見て
丁半博打とは本人にとって深刻な金を一手に賭けなければ、賭博依存症は高揚感を感じられないことを知った
それは破滅と表裏一体である
そのようなシリアスな戦いとは遠い所に私はいる
少なくても私は自分の技量の範囲内の博打しか打たない。腰抜けの博打である
可能な限り、ギャンブルを博打にしないことを私は心がけている 5年ぶりに会ったわが師匠は、想像はしていたが老いを深くしていた
でも病気の方はだいぶいいらしい
元気そうだ、というほどではなかったけれど
またギャンブルをしてみたいと思えるのは、気持ちに活力が戻ってきたからだろう
「なぜまだ賭けるのですか」と私が聞くと
「そこに染み一つない緑の羅紗があるから」と答えて小さなサングラスの奥でにやりと笑った
私たちはビッグバックでほどほど勝って引き上げた
鈴木さんはもう、壮年の頃のようなヒリヒリするような大きな玉は打たなかった
師弟コンビは、小玉をもてあそびながら、バイインした2万AUDの1割をカジノから抜いてゲームを終えた
私たちはアベル・タスマン海に臨む眺めのいいレストランでビールとシーフードで昔話に花を咲かせた
もう本は書かないのですか、と私が聞くと鈴木さんは、執筆依頼がないからなと答えた
私はふと「あなたは紛れもなくプロギャンブラーでしたよね」と言った
鈴木さんはタスマン海を見ながら長い間考えていた
そしてこう言った
「俺がプロの博打打ちだとすれば俺の人生はどうしようもなく惨めなものさ。だから俺は自分がプロだとは絶対に認めないのさ」 そうなのだ。プロギャンブラーの人生など、途方もなく惨めなものなのだ
しかしそれはお金の問題というよりは、人々からの尊敬や与えられる地位や名誉に属するものだ
鈴木さんは長年それにかつえていた
プロギャンブラーは安い人間であらねばならないのだ
鈴木さんは己をそのように貶めることが許せない葛藤を抱えたギャンブラーだった
ギャンブラーは金で満足せねばならない
だから決して金以外のことにかつえてはならないのだ
そのような覚悟がないのならプロになることは不幸でしかない
それでもわが師匠の飄々とした諦観は清清しい
カジノは高揚した観光客で溢れかえっていた。私たちは彼らの敵でも味方でもない
私たちは通りすがり賭人であり、いくばくかのお金をいただいて消えるだけの渡世人という影法師なのだ。 仮想通貨
EVEOコインが
オンラインカジノで使える予定ですよ
購入するなら
今がチャンスですね パイザカジノ所在地も電話番号も開示出来ない詐欺会社でした。 バカラというのは
イレギュラーな事態が出現した時に
どのように対処できるか
その時にどう対処するかという知識と経験があるかどうかで
その局面を凌げるかどうかが決まる
そして
バカラとは単純なゲームだから
イレギュラーではないシューが続いて順調に勝っている時は
簡単に勝てるし当然利益も増えていくが
イレギュラーな現象が起きた時に
対処のすべを知らないギャンブラーはその局面を落とすまいと深追いしてしまう
その時のギャンブラーのマインドは恐怖が支配している
バカラとは、白紙のカードに恐怖の量が数字となって滲み出ると表現する人もいる
イレギュラーな局面というのは
発生頻度が低いだけで、実はレギュラーな現象であることを
知識や経験が乏しいギャンブラーはまだ会得できていない
それは存在しないと、自分の頭に壁を作ってしまうから、イレギュラーの恐怖から開放されない バカラで勝てるギャンブラーなど一握りしかいない
そういう達人には高度で豊富な知識がぎっしりと詰まっている
それは丁半博打という独立事象による縛りがあるから
1手における必勝はありえない。それは常に1/2だ
だが、シューの流れとパターンを読みきることができれば
どこをルックしてどこで撤退して、どこで攻め込むかの潮目を見切ることができるから
勝率いかんに関わらず、配当率で「5勝4敗」的な期待値100%越えを
持続的に実現することができる
それは決して知識だけでやれることではない
シューの複雑なパターンがいくつもクロスして頭に浮かばねばならないからだ
マニュアルを見ながらやれることではない
慣れていても、知識があっても、集中力を欠いたら見落とすことがある
罫線とは巨大なアイスバーグのようなもので
見えている部分は全体の一部分でしかない
しかし「氷」がそういう性質であることを知らなければ
見えるもの(自分が思っていること)が全てと誤解してしまい
ブレイクスルーすることができない 自分はどのような時に勝てたかを検証することも大事だが
どのような時に負けたかを検証することはもっと大事である
もしも、勝ちよりも負けが上回っていたら
自分では勝ち手と思っていた方法は
丁半博打特有の、偶然性を持った勝ちであり
実は間違った賭け方をしている可能性があるからである
バカラが厄介なのは
そのような偶然性を持った勝ち方が
それは曲りなりにも勝利であるために
間違ったやり方であると気づけないところである
重要なのは、なぜ負けたのか?
という、負けた理由の検証である
その理由を解き明かす邪魔になるのが
「勝ち方」との相反である 「自分は正しい方法で賭けたのになぜ負けたのだろう」
という解決できない矛盾を抱えることになる
それを克服するためには
自分が勝ったハンドはたまたまであり、負けた理由は何らかの間違った方法を
ゲーム全体において行っているからだと総括しなければ
陥った穴から這い出ることができない
気が遠くなるほどの試行回数を重ねて
思索し続ける
負けたパターンを精査する
負ける理由は決して1つではなく
それは複合的で
局面全体に渡っている
だから平均配当率をプラスにすることができない
バカラとは独立事象が続くだけの
スピードクジのような底の浅いゲームと客に思ってもらうことが
ハウスにとっては最も都合のいいことだ
それはそれで客にとっても
結果が読めないエキサイティングな楽しみがある
不可測に賭するからこそ
バカラは面白い
これだけは絶対に断言できるか
勝ち方が見えてくれば
バカラは一転して憂鬱なゲームになるだろう
なぜならその人にとってバカラは「ギャンブル」ではなくなるからだ
それはミスが許されないビジネスとなる
ギャンブルを心から楽しめるということは
運にすべてを任せるギャンブラーだけに与えられた特権なのである。 残高に5千ドルあれば毎日+100とか余裕だけど浅いかな? カジノからハイローオーストラリアのバイオプに変更して30秒TURBOをテクニカル分析で購入したら連敗しても2回くらいまででカジノみたいに10連敗とかありえんからマシだぞ
投期が来るまで画面に張り付いてるのが面倒くさいが1000円開始で1時間ほどで1万円は行ける。 これだけははっきり言える
オンラインカジノのテーブルゲームは
スロットの出玉調節に似た
バイアスが掛かっているから
乱数が出ることを前提としたメソッドを使ったら
必ず負ける
マーチンゲールを始め、あらゆるシステムベットは
ランダムありきの手法だから
オンカジでテーブルゲームをやるなら禁じ手となる
実際、乱数前提のメソッドでは長期的かつ持続的に勝つ事は絶対に勝てないからな
控除率50%の宝くじを引くような感覚で
特に規則性もなく
(例えばサイコロを3つ投げて出た目の合計が偶数なら黒とかバンカーと決める)
(その数字の合計点によってベットサイズを決める)
出鱈目に賭け続ければ、偶然性で一度的に勝つこともあるだろうし
クジを引くような楽しさは味わえるかもしれないが
テーブルゲームは大当たりがないから
やはりオンラインカジノはスロットにした方が有利だろう ランドカジノで勝つためには
確率の隙間、つまり少数の法則と大数の法則がせめぎあう時に現れるノイズを
着実に拾っていく鞘取り法しかないと思われる
(これはオンラインカジノでは通用しない)
その最もオーソドックスなのが
あらゆる種類にツラに張っていって、ツラのランが起きた所で
(つまり少数の法則により出目が偏った所をパーレーで取って)
ストップするという方法だろう
だが、この方法を私はもう使っていない
私には合わないメソッドだからである もう1つは2もく目に狙いを定めて
いわゆるダンゴツラに張るかテレコに張る方法がある
ダンゴツラのランもテレコのランも縦ツラのランに比べれば
MAXで伸びる力が弱い
(つまり例えば10もくダンゴ以上や10もくテレコ以上の発生率は縦ツラ10もく以上よりも低い)
縦ツラが10もく出て、そこから切りに行くのは危険な行為だが
10もくダンゴツラを切りにいけば、縦ツラ切りよりは危険は少ない
これは経験則に基づくものだ
だが私はこの方法をもう使っていない
なぜなら、この方法は過渡期の手法であるからだ ランドカジノで長期的かつ持続的に収支をプラスにするためには
「自在に動く」ことができるかどうかがキーである
マーチンからいきなりパーレーにドテンする
ツラ切りからいきなりツラ乗せにチェンジする
AのメソッドからいきなりZのメソッドに鞍替えする それを、ただの気まぐれで行うのではなく
計画的かつ、根拠を持って行うことで、数学的確率論的な罠から身をかわすことができる
それができるようになるには座学だけでは絶対に駄目なのだ
ロジックを構築することは当然重要だ
だが、ギャンブラーは戦略家であると同時に兵隊でもあるわけだから
兵隊は、経験則でアジリティを発揮しなければならない
そのためには、たゆまぬ経験を積んで行くしかないのである
ロジックでは勝負シグナルが出ている
(シグナルを出せるのは戦略的なスキルである)
司令官からは勝負サインだ
だが、兵隊であるもう1人の私が、経験則から、それを拒む。そこが重要なのだ ランドカジノは複眼的な思考が必要だ
理屈と、理屈ではない部分の共生である。その片方だけでは勝てないのである
「私はそのシグナルを出すが、私はそのシグナルには従いたくはない」
なぜ、従いたくないのか?
それはきっと、確証などはない。シグナル通りに賭けていれば
勝てていることも多いだろう
だが、それで勝ちを逃したことを惜しいと思ってはならないのだ
決して、惜しいと、思ってはならない
なぜならば、その勝ちは往々にして、皮一枚の勝利でしかないからだ
考えに考えて出した結論的戦略
プロのギャンブラーは、その核心部分が粗末では話にならないが
経験が決定的に不足しているために
戦略に対して駄目出しできる現場におけるジンクスを皮膚感覚で反応できなければ
やはり、いつかは確率の罠にはまってしまうのである 私はそのことに、実は最初の頃に気づかなかった
だから、戦略的な結論部分だけを教えれば
その通りに勝てるだろうと思い
友人たちにゲーム勝ち方(すなわち戦略的ロジックの部分)を教えてやった
カジノゲームの経験は浅い人たちだ
彼らは確かに、短期的には成果を上げた
だが、やはり勝ち越せないのである
その原因は2つあり、1つは儲けが増えたために、オールイン的な博打をして
負けたケース
※これについては私は禁止していないので自由に楽しめばいいと思っている 問題なのはもう1つのケース。忠実にロジックを守っているのに負け越した人たち
私は彼らの賭け方を観察して、あっと目から鱗が落ちる思いだった
「そんな基礎的なことも1から教えねば分からないのか」という驚愕である
これは野球に例えれば、毎回フライを落とすような些細なミスである
だが、慣れた者にはやはり当たり前にできるだろうと思うことでも
経験の浅い者にはフライ一つ取れないのは当然のことだったのだ
私は記憶を深いたぐり寄せた
過去のメモも読み返してみた
そして思い出したのだ。私自身もかつて、些細なことに不安や恐怖を感じながら
ゲームをしていたという事実を 不安の元こそが、この経験則の不足だったのだ
私は毎日時間さえあればトレーニングしながら、ロジックやメソッドを考えていた
もちろん本カジでやることもあったが金がかかると不安は感じていた
不安を感じなくなってきたのはロジックが固まってきたせいだと思い込んでいた
そうではなかったのである
膨大な無意識の経験則が集積されていたことに気づいていなかったのだ
自分はロジックのシグナルのみに従っていると思っていたが
確かに、無意識に自動的にルックする頻度が高くなっていった
それは、ロジックの反復回避によるリスクヘッジというロジックではあるのだが
回避した理由は決して、機械的なルックではなかったのである それはロジックとしては見なしてはいなかったので
無意識の行為であり、言葉で説明できるような類のものではない
こちらに賭けたいではなく、こちらに賭けたくない、という無意識の判断だ
だから、そこはルックだし、あるいは賭けたくない方の逆に小さく賭ける
その的中率の高さが、私がフルロジックと思い込んでいたメソッドを
少なからずサポートしていたのである
具体的に言うと、ロジックで追い込まれている時に
損失を少しでもカバーしたいと思った時に
そこで取り戻しのベットを掛けるのは運任せでしかない
しかしながら、経験則から、結果論として、少しでもカバーできていたのである そういう小さなカバーの積み重ねは、本勝負をずっと楽なものにしてくれる
私が教えた彼らは、ロジックを用いていい所までは勝ってくれる
だから、欲をかかずに勝ち逃げしなよ、と言った私のアドバイスを聞いてくれた人は
儲けは少ないが、ちゃんと勝ち越してくれたのだ
だが、経験則のない賭人はロジックだけでは、やはり長期的には凌げないのである
私はずっと、自分なりに疑問を持っていたことがある
科学的に丁半博打は、いつか必ず負けるという確信である
だから、丁半博打のスキルというのは、負けるまでの間に、どれだけリードし
資金を蓄えられるかなのである そういう小さなカバーの積み重ねは、本勝負をずっと楽なものにしてくれる
私が教えた彼らは、ロジックを用いていい所までは勝ってくれる
だから、欲をかかずに勝ち逃げしなよ、と言った私のアドバイスを聞いてくれた人は
儲けは少ないが、ちゃんと勝ち越してくれたのだ
だが、経験則のない賭人はロジックだけでは、やはり長期的には凌げないのである
私はずっと、自分なりに疑問を持っていたことがある
科学的に丁半博打は、いつか必ず負けるという確信である
だから、丁半博打のスキルというのは、負けるまでの間に、どれだけリードし
資金を蓄えられるかなのである いくら勝ちが続いたからといって、残高が増えた分、ベットサイズを上げていったら
大勝ちできるチャンスはあるけれど
負けた時は、今までの勝ちをすべて吐き出すことになる
だから私は、少なくとも資金が10倍になるまではベットサイズは上げない
こうすることによって、負けても、何度でもやり直しが効く
短期的に勝ちたいというのはギャンブラーの身勝手な事情であり
それはギャンブルには通用しない
負けても立ち上がれる賭け方で、時間をかけて積み重ねるしかない
時間をかけるという意味も、よくよく考えなければならない
時間をかければ、運も平均化されてゼロになる
運任せで勝つ事はできないということだ 時間をかけて勝つということは
安定的に勝てるかどうかであって
残念ながら、あらゆるロジックは確率に支配されているから
ロジックだけで安定的に勝つことはできないのである
言うまでもないが、安定的に勝つとは、勝ち続けるという意味ではない
勝ち負けを繰り返しながら、残高がほぼ右肩上がりで安定的に増えていく状態を指す
ロジックはもちろん効果的でなければならない
だがロジックには限界があるから
それを補完する皮膚感覚の経験則が絶対的に必須だったのである そういう経験則は理屈ではないから自分で何百万回とプレーして会得するしかない
有体に言えば、近道はないということだ
合理的に考える人たちは、近道は何かとまず考える
成功した人から聞くのが一番だし、教科書やマニュアルがあるなら
それを学ぶのが一番の近道だ
だが、経験則は教科書で学べるたぐいのものではない
本を何百冊読んだってフライを取れるようにはならない
カジノゲームは完全に知的なゲームではない
そこにプラスして、感覚的肉体的とも言えるような要素があるため
それは頭だけでは到達することができないのである
ゆえに、近道をしなかった者、遠回りをした者の方がむしろ
先に目的地につけるという不思議な現象が起きる 器用な連中は近道を見つけて、大概のことは得をするし楽に生きられる
だが、丁半博打だけは、どんなに器用さを発揮しても近道を見つけられない
近道なんてないからである
不器用に愚直にやり続ける者の方が先に目的地につけるのには理由があり
それだけ無駄に長い間、トランプの札を切り、サイコロを振り
そういう積み重ねの中でしか発見できない
様々な経験則を「無意識のうちに蓄積していくという経験」を得るからである
それまで5年10年かかるかもしれないが
試行で長期的かつ持続的に勝てなければ本番でも結果は同じだし
運とは最終的に平均化されてハウスエッジの分だけ負けていくから
カジノギャンブルは、ちゃんと勝てる準備ができる前にいくらやったところで
カジノの収益にされてしまうだけなのである
だが、ちゃんと準備が整ったのなら、1年で、遅れはすべて、一気に取り戻せる カジノゲームはしょせん、娯楽だから
そこまで考えて遊ぶ人なんて、世の中にはほとんどいない
当たったり、はずれたり、それで大いに楽しめるものだ
はずれたって、カジノゲームは面白い。次は当たるかなという希望が芽生え
何せ確率は約1/2なのだから、その希望はちゃんと叶えてくれる
大いに楽しんで、手元に何もなくなっても、満足は残る
ギャンブルで大金を確実に稼げるなんて誰も信じていない
運が良ければ、ツいていれば、短期間に大金をを稼げるかもしれない
みんな、そう思っている
でも事実はこうだ
運に左右されることなく着実に勝つためには
時間をかけるしかなく
長期的なトライに耐えられる知識と能力のみが求められる
自身の知識と能力は常に検証可能である
結果が出ないからといって
地道な検証から目をそらしても
長期的・持続的に収支をプラスにすることはできない カジノゲームはしょせん、娯楽だから
そこまで考えて遊ぶ人なんて、世の中にはほとんどいない
当たったり、はずれたり、それで大いに楽しめるものだ
はずれたって、カジノゲームは面白い。次は当たるかなという希望が芽生え
何せ確率は約1/2なのだから、その希望はちゃんと叶えてくれる
大いに楽しんで、手元に何もなくなっても、満足は残る
ギャンブルで大金を確実に稼げるなんて誰も信じていない
運が良ければ、ツいていれば、短期間に大金をを稼げるかもしれない
みんな、そう思っている
でも事実はこうだ
運に左右されることなく着実に勝つためには
時間をかけるしかなく
長期的なトライに耐えられる知識と能力のみが求められる
自身の知識と能力は常に検証可能である
結果が出ないからといって
地道な検証から目をそらしても
長期的・持続的に収支をプラスにすることはできない カジノゲームの攻略法というのはコロンブスの卵なんだよな。物理の公式じゃない
科学的な方法論なんてない
だから、攻略法を科学的にいくら考えても、答えはないんだから探しても無駄
カジノゲームで勝つってことは、卵の底をブチっと潰して無理やり立たせる方法と同じ
ちゃんと潰せるのか? ちゃんと立つのか? そんなこと言っても仕方ない
ツルツルした卵は、科学的には、絶対に立たないんだから
要は、51勝49敗で卵を立たせる技術があればいい
何も毎回、卵を卵を立たせなくても勝てるのだから、完璧な公式なんか要らない
要らないし、完璧な公式は存在しない
確率論を突き詰めた後で科学から離れるしかない
メソッドは定型化できない
半分は理詰めだが、半分は理詰めじゃないからだ
まずは理詰めの部分で到達しなくてはならないが
それだけじゃ勝てない
何百万回とプレーして経験則を皮膚感覚で感じられるようにならないと 発想とロジックの融合があって
さらにジンクスが融合して、反射神経的に決断ができるということ
考えないといけない部分と、反復によって会得できるフィジカルな部分がある
人に教えるために、どう教えればマスターできるか
考えをまとめて、文書に起こして、参考書的なものを作っているのだけれど
自分でも、どうしてその状況でそう打つのか、その根拠がどうしても分からない
そういう部分が出てきてしまい、とまどっている
「そこはこう打つんだ」と思うけど「なぜ?」と聞かれたら答えに詰まる部分がある
そこはもう最後の詰めの部分だから、勝つためには絶対に必要な項目だ
ある所までは、知識として説明できる
しかし、その先の部分は完全に個の能力で本人でさえ分からない部分だ
将来、もしも腕が鈍るようなことがあるとすれば
自分でも説明できない部分がワークしなくなった時だから
あくまで、誰にでも勝てるメソッドの部分だけで勝てるようにしておきたいと思う
自分が今、こう感じる勘(それは勘のような不確かなものではないのだが)が鈍っても
勝つためには、こうしたらこう打つという理由を細かく言語化しておこうと思う
この「自覚化」の作業は大事だと思う
自覚することなく上達する者もいるだろうが
自覚がなければ、間違った方法を取るようになっても気づかないこともあると恐れる
進化は必要だが
どう進化したのか、説明できる方が、安定的にステップアップできるし
自分を見失った時でも、自覚のプロセスを文書化して残しておけば
リカバーできる よく走りやすい縦ツラやテレコのランを切るのは愚の骨頂だが
比較的繰り返しやすいバターンは逆らわずに
逆に、繰り返しにくいパターンは損切りとの兼ね合いも考えながら
適切に処理せねば勝てない
こう来たら、こう賭けるという方法論は確立されていなければならないから
現場で迷っているうちはとても勝てないだろう
だが、バカラは方法論だけでも勝てない
ピンチを切り抜けられるのはやはりアジリティの高さ以外説明できない
豪腕などと形容する人もいるが
やはり瞬発力だろう
反射神経と素早い判断力と経験とスキルが融合した何かだ
丁半博打の歴史は数千年
ブレーズ・パスカルがルーレットを発明して380年
丁半博打の必勝法は一冊たりとも存在しない
丁半博打は知的に勝てるものではないことだけは証明された
これを、いまだに飲み込めない人間が多い 人は、体を用いないゲームは知的なものであるという思い込みがある
だが、例えばドローンウォーという映画は見たことがあるだろうか
ドローンの操縦はトレーラーのような移動式のコンテナのような場所で行い
Gはかからないし筋肉もほとんど使わない
ボタンを押す、レバーを引くだけ
だが、この操縦によってリーパーが正確に爆撃を行うわけだが
判断力も含めて明確にスキルの差が出る
いくら勉強してもいくら訓練してもその差はうまらない
将来は野球ロボットが誕生するだろうが
やはり、これを操縦する人によっては
全盛期のイチローと最近のイチローぐらいの差は出るだろう 丁半ギャンブルとは筋肉を使わないスポーツなのである
だから、知識で勝つ事はできないし
スポーツと同じように、必勝法も攻略法も存在しない
だが、プロのスポーツ選手が深い専門知識と豊富な練習量をこなしているように
ギャンブルも知識とトレーニングが足りなければ
プロどころかアマチュアにもなれない
知識と練習量が十分でも才能がなければプロにはなれない
丁半ギャンブルは鍛えられ柔軟性に富んだ筋肉を必要としない
しかし、優れたフィジカル以外のほとんどすべて必要とされるゲームだ
知力・判断力・自制心・瞬発力・反復動作によって得た高度な適応動作(慣れ)
ゴルフは反復動作によって得た高度な適応動作がなければ空振りする
丁半博打においても、この空振りに似た現象は不慣れな者に顕著に見られる
BJで18以上すべてヒット、バカラでツラ切りマーチンゲールは知識上のミスだが
そうではなく、丁半ギャンブルにもゴロをトンネルするような
フィジカルライクなミスを、知らずにやっている
そのミスはゲームの性質上、本人も周囲も気づかないことが多い
だが、丁半博打における空振り問題が
ギャンブラーの足を引っ張っているのである 丁半ギャンブルは口頭で述べられる戦術と
適応動作の2つが、一種のファインプレーとなって期待値以上の結果を残す
バカラはスポーツだという認識がなければ
絶対にバカラで勝つ事はできない
バカラは、囲碁将棋チェスではない。頭で完結しない
スポーツからフィジカルをそぎおとしたものがバカラでありルーレットなのだ
慣れること(練習すること) 自覚すること(間違いをただすこと) 創造すること
この三位一体が才能なのだろう
スポーツなんだから練習(演習)してゲームに熟達しなければ話にならない
トレーニングから、間違いを自覚できなければ進歩はしない
才能がなければ創造はできない ゲームに慣れると考えるを延々と繰り返していけば
何かが生まれてくることもある
スポーツは卓越した身体能力がなければ実現できないが
丁半ギャンブルはそれは求められない
だから、適応・思考・創造ですべては完結する
野手がライナーを取れるのはただの運か?
違うと言うだろう
だが、バカラでもしばしばライナーが飛んでいることは信じられるか
それをある確率以内に捕球できないのは
運ではなく下手糞だからという事実を受け止められるか?
ゲームの波も潮目も可視化できない
可視化できないから、それには対応できないというのは
野手が「ライナーなんか取れませんよ」と言うようなもの
言い訳は通用しない
丁半博打の波や潮目がたとえ可視化できなくても
ゲーム中に「波も潮目も見えなかったから負けた」は通用しない
可視化できなくても「ライナー」をキャッチする適応能力を持たねばならない バカラギャンブラーの多くは
ゲームのあまりの簡単さを見てあなどり
十分すぎる練習をせず、考えに考えることをせず、クリエイティブでない
丁半博打は適応7割、思考2割、創造1割で完結する
・100万回のゲームも見ていないなら何も見ていないも同じ
・何度見ても、何も頭に残らないのなら、何も考えてないのと同じ
・創造性がなければ才能はない。才能がなければ有利に戦える発見はない
ただ、気休めとも言えるのが
丁半博打は基本的に難解なゲームではないということだ
難しいから分からないは理由にならない
単純すぎて考える余地がないというのも理由にならない
これだけは言えるが、忙しい人は丁半博打に何千時間も費やせない
知識だけでは勝てないし、その知識すら誰も教えない
それが表に出たら、今度はルールが厳しくなって勝てなくなるだけだから
BJのカードカウントがほとんどのカジノで対策済みと同じ道を辿る
自分だけ存分に練習して知恵を絞りゲームに卓越して自分なりの勝ち方を創造する
それによってカジノのお金を独り占めすることはできないが
年間何十兆円と飛び交うカジノのお金のほんのひとしずくでも手に出来るのなら
まぁ目立たぬよう、す巻にされて始末されぬよう
コソコソと、緑の羅紗からお金を掘り起こした方が身のためだ だれか教えてください。
jbanqの口座を作って通貨を日本円でワイジャンにして、日本円でjbanqに入出金すれば為替の波がなくて得なの?
たったの200円で75万円までなら出金できるってことかね?(ジャパンネット銀行だと振り込みに毎回54円かかるから細かく言うと254円)
今までクレカで5%とか手数料とられてたからjbanqとワイジャン日本円が一番いい気がするのですが。 乱数とは何かということを
皮膚感覚で理解できるかどうかで
丁半博打のセンスが決まる
確率論的ロジックを
それで補強する以外に勝つ道はない
頭だけでも感覚だけでも、サバイバルできない こういうバカは大数の法則を上回れると思っている 何を言っても無駄 長文書いてるが、何の意味もないwただの初心者の戯言
そのうち気付くだろ 億単位のジャックポット引いた奴も、数年後には溶かすのがカジノ
長文おじさんは大数の法則を上回るとは思ってなくて、勝てる時に大きく賭ける、ということを言いたいらしいのだ。
そんで「勝てる時がいつか」は練習で身に着けるそうだ。この2行で終わる内容を毎回何十行もかけて書くんだ。
こんなところに長文書いてる時点で勝ててないんだろうなと思うのだが、
そんなに練習が大事なら、長文書くより練習すれば良いのに、といつも思ってる。
>勝てる時に大きく賭ける
残念ながらこれは不可能なのだよ
常に確率は一定 負ける確率で一定なのである
罫線 ベット法 直観 などアホそのもので コントロールすることは不可能
仮にあるとすれば イカサマを見抜いて 負ける場面を回避 もしくはそれを逆手に取る方法
これは存在すればの話
>>285
正解
100人いればそのうちの95人は 確率によって負ける勝負だと知っている
馬鹿馬鹿しい これが普通
だから全然人が参入してこない
負ける確率だが運だめし 精々この程度
しかし中には真のアホがおり 確率に打ち勝てると妄想を抱える
脳味噌が妄想で埋まってるため 何を言っても聞かない
自ら破滅し その時初めて納得するしかないのである
要はお前らは勝てないことを
確率のせいにしているだけ
自分の下手糞さに向き合えないから勝てないのよ >>287
その通りです。知的レベルはかなり低いですよ。 必勝カジノなんか参考にしたらアカンよ。コメントしている奴ら死んだ方が世のため人のためレベルの排泄物未満だからな。 >>289
例えば >>290の ID:jEBjcloL
知能レベルが小学生の為 書いた通りの悲惨な思考回路になる
呆れるくらいアホである
リアルにこんなのがいたら敬遠するレベルである
未だに 確率は常に100%未満 のギャンブルに
ベット法 罫線 波 直感 確率の偏り 収束 腕 etc... などで独立事象の完全確率に打ち勝てると思ってるアホは早く算数から学習しろ
明日土曜日はジパングカジノがフリースピンの日イベント日だな。
ダメ元だがいちお自分も権利は獲得しといた。
ダメ元で美容室の待合室で暇つぶしにひょろいマネージャーに投票したどどんぱカップがまさかの1着で50ドル当たったしな。
人生なにが起こるかわからんもんだ。 >>292
あそこ昔はちょっと痛い奴だなって思うのはよくいたけど
最近はもう本当の馬鹿しかいなくなったな
自分がやらかしてるのに一方的にカジノ側が悪いとかそんなのばっか
人が増えて完全に無法地帯と化してる >>296
それわかる。何でも自分を正当化してカジノの対応を批判してるけど、結局バカは自分ってことなのにな。かみパパとか、じいじいって連中のことな。 >>297
かみパパはやべぇよな。悪態ついて、結局チュートリアルってのが糞過ぎる。
じぃじぃはどの面下げて批判してんだっつうくらい頭悪いわ笑
海外のオンカジには関わっては駄目な奴だ。生きてても何の価値も無いクズだわ。 ベラ最近出金が遅くない?以前なら2〜3
時間で処理されてたのに 下手糞のヒステリーはホント見苦しいよな
ゲームに向いてないならさっさと潔く辞めればいいものを
ゾンビになってクダ巻いてる
無様だよ 丁半博打はランダムな出目が延々と続いてるだけなのに
そこに法則性なんかあるわけないじゃん
時間の浪費なんだよ。目を覚ませ ホームトレーダーとして莫大な財を成した与沢翼に
どうしてシンガポールまで行ってカジノやるの?
日本でハイローラー向けオンラインカジノやれば楽でしょ?
と聞いたところ
答えは
続きはYoutubeで まず海外からの送金は税務署に監視されてるから
税金の問題があるし、オンカジにはコンプが無く
負けた顧客に各種無料サービスをすることも無い
オンカジは取ったものを還元せず搾取するだけ 科学的なアプローチではバカラは勝てない
なぜならただの乱数列から未来の出目を当てることは科学的に不可能だから
バカラは、例えるならスポーツ
単純な頭脳戦ではない。経験則なのである。確率はお呼びではないのである
確率の知識は、不利なことはしない、そこまでしか役に立たない
そこから先に必要なのは、科学ではない。科学じゃないから当然、確率は関係ない
バカラで勝とうとして確率から一歩も離れられない人は
そこがもう、賭人としての限界なのである。残念 >>305
君みたいな常識人が丁半博打で勝つのは無理だろうね
もし勝つ方法があるとしたら
短期的にはワークするメソッドで短期的なセッションを少し勝ち越してリードを広げ
次に負ける分を吸収して
勝ち負けを繰り返しながら、わずかなリードでも塵も積もればで
つまり、1%でも0.5%でも平均配当率をプラスにして
ターンオーバーの量と大数の法則で長期的に儲けを出すしかないんだよ
だから、乱数の轍に入った賭け方を長く続けていけば
ゲームの期待値通りの結果になって必ずマイナスの収支に沈む理屈は分かるよな?
この轍から抜け出す方法は狂気の世界だろうね。常人には土台無理な話
常人はどんなシステムベットを使おうと長期的には確率的数学論的轍に嵌るから
科学的に最も有利な方法は1年間にギャンブルで使える金を
年に1回、1回勝負でルーレットを除く丁半いずれかにオールインすること
カジノにハウスエッジを取られないし約50%の確率で必ず勝てる
なぜ1年に一度かと言うと税申告の問題があるから
常人がカジノゲームをやるのは楽しみたいからだろうが
儲けることを第一に考えたら、結論的に言えばコレが最も有利な方法なのは事実
それ以外の方法を常人のままで模索するのは科学的に不可能
数学的確率論的に丁半博打で勝つ方法なんてないんだよ
さて、君は狂気の世界に足を踏み入れるだろうか?
それはないだろうね。なぜなら、常人は常に常人であり
常人は常人の轍から一歩もはみ出すことはできないから。だろ?
博打とはそもそも狂気の世界なんだよ。君はノーチャンス >>307
変態に「おまえは露出狂にはなれない」と言われた気分でしかない 309 名前:三連単7−4−3[] 投稿日:2019/09/17(火) 13:18:16.97 ID:TLdfWYxu
バカラなんて簡単に勝てるけどな
まぁいいや
知能レベルが小学生以下 学歴は高卒以下確定
そして経験も浅いアホ だと こういうレスをかまし アホ丸出しになってしまう 全てのギャンブルにおいて 確率、期待値
そして単純な算数すらできない 数字に弱い オツムの弱い奴は 終わっている 致命的
養分になる運命
自分の行動によって出た結果が
不利な勝負で 負けたのもなのか? 勝ったものなのか?
確率の高い勝負で勝ったものなのか? 負けてしまったものなのか?
アホだとこれらの計算ができない為 論理的に説明することはもちろんできず 妄想モードに入るしかなく
勝ったから正解 負けたら間違っている
と それまでの結果で〇×の判断を下す
するとどうなるか???
負ける勝負をやっているにもかかわらずそれに気づかず 負けて負けて だめだこりゃ〜 となり また違うやりかたを探し始める
計算ができない為に すぐに次のアホ手法に引っかかり また同じループに入る
最後は負けに負けて 勝てない! イカサマだ!!!! で終了
いやいや君 カジノの勝負は最初から客が負ける確率の仕組み 当たり前よ
アホは
テーブルゲーム カードゲーム スロット
を 普通に勝負して勝てると思っている
ベット法 罫線 直感 風を読む といった自分の腕があれば勝てると思っている
長文並べている奴がそれ
頭が悪すぎてどうにもならない
こういう類は どうやっても金を貢ぎ続けて 終わる運命
いつまでたっても こちら側の勝ち組にはなれない オンラインのライブカジノは駄目なんですか?
実際のカジノと勝率変わるとか何か違いがありますか? ほんのわずかだが49.3%のプレイヤーの平均勝率を50%に上げる方法はある
これがエンジン
マネーマネジメントがターボ
両者は主従関係にある 期待値をプラスにできる一般的な方法なんていうものは無い
永久機関のようなもので真面目に論じるだけ無意味 近代経済学の祖ケインズは
その経済政策手法の長期的有効性について聞かれ、こう答えた
「長期的にはどうでもよい。なぜなら、長期的には人間はみんな死ぬのだから」
さて、彼の言うとおり、経済学で貧困国は救えなかった
とりわけ、中南米諸国はアメリカの新自由主義の洗礼を受けて最新の経済学が投入されたが
結果は無残なものだ
そして、一部には、突発的に豊かになっていった国々が存在する
その国の1つが日本である
敗戦後の日本は、GHQの施政下に置かれ、ほぼ社会主義的な経済政策が実行された
それでは豊かにはなれないと、アメリカの経済学者が思っていた方針である
だが、アメリカは元より、日本が豊かになることなど求めていなかったし想像もしていなかった
一方で、アジアの共産主義革命は猛威を振るっており
日本を赤化させないためには、飢えをなくすために富を均等に分配するしかなかった
これがドッジラインである まず、ハイパーインフレに襲われていた日本は
財政規律を立て直すことが急務だった
そのため、国富の流出を食い止めるために
為替の管理(1ドル=360円の単一為替相場の設定)を導入する
財閥を解体して農地を解放し国税を抜本的に変革する
これは事実上の富裕層を潰すものだった
銀行を強化するために融資を厳しく制限し
最低賃金法を導入して賃金を高位で安定化を図った
インフレを抑制するために物価統制の強化も同時に図る
枯渇していた外貨を確保するため輸出産業のための資材の割り当も行う
そして重要国産品及び工業製品の生産を増やしていった
餓死者を抑制するための食糧対策はその要とされる
GHQが行ったのはまさに荒療治であり
経済の緊急救命措置であったと言える
それによって日本が豊かになることを意図した経済政策ではない
これは瀕死の日本経済が「一命を取り留めるための」緊急蘇生措置だった
ところが、日本経済は逞しく復興していく
欧米の経済学者の多くが割目した
なぜなら、国が豊かになるために必要な経済政策とは真逆のことを行い
出血覚悟の激しい構造改革を日本は乗り越えたからである
日本は成功し、現在は世界最多の外貨準備と海外保有投資残高を持つ
ところが、日本は急速に貧しくなりつつある これが、ケインズの言う「短期的な成功」なのである
経済政策は長期的有効性はない
ギャンブルも同じである。長期的有効性はない
ギャンブルにおいてギャンブラーが考えるべきなのは
「短期的に勝つこと」だけである
長期的に勝つことを考えても仕方がない。また、長期的に勝つ事は何ら保証されていない
「長期的にはどうでもよい。なぜなら、長期的には人間はみな死ぬのだから」
ギャンブラーは思い違いをしてはならない
長期的に必ず勝つ方法があれば、それはギャンブルとして成立しない
ギャンブルとは、ギャンブラーとギャンブラー(胴元も含む)の合意の略奪闘争なのである
短期的にライバルの金を合法的に奪う
ライバルが誰かは常に明瞭ではない
だが、勝てば「短期的に」誰かに勝てたということである
ギャンブラーの成功を定義するなら「短期的に勝利した後に資産を守る行為」となる
戦い続ける限り、ギャンブラーの成功は保証されない
ギャンブラーとして成功したいなら
目標を定めて、そこに到達したら、未練を残さず引退することである
博打のメソッドとは、それを実現するためのものだ
永久に勝つ方法を模索するものではない
そこを勘違いしては、話にならない 短期的に勝つにはどうすればいいか?
ギャンブラーはその点のみにフォーカスして考える
つまり、いちいち、その手法の欠点をあげつらって駄目だししている行為が駄目なのだ
欠点だらけの手法を利用して「短期的に」勝つ
博打と言うサバイバルで一時的に活用して「捨てる」のが手法だ
もしも、サバイバルの必要がないのなら
給料を貰って安定した暮らしをすればよい
だが、ギャンブルというサバイバルの場において、安定した暮らしや方式がない
からといって、甘えてはならない
そんな言い訳は通用しない
ギャンブルは、給料を貰って安定した暮らしをするような道はないと心得よ
心得え違いをしてはならない
ギャンブル学とは短期的に勝つことだけに特化した分野だ
長期的有効性がないのは当然の話である。ギャンブルなのだから 少しでも腕に覚えがあるのなら
カジノで見かける下手な博打について、その陰惨な結末に色々と思いはあるだろう
「なぜ彼は(あるいは彼女は)下手な博打を打つのだろう?」
そして思い至るはずだ
あのような博打を打っている原因は
「博打から学べるものは何もないと割り切っているから」だと
博打なんて、所詮、寺銭を取られて負けるだけの遊びであると
それなら博打をしなければいい
他の、ビジネスに関心を向ければよかろう
だが、博打から離れられない。これを「我執」と言う
博打における我執ほど無意味なものはない
なぜなら、ギャンブルとは短期的に勝つ方法であり
それは、結果論的な運や結果論的な手法が融合した最終生産物にすぎないからである
これを我執で否定することは不可能である
世の中には、
短期的に勝ち逃げする(あるいは、上がる)ギャンブラーは間違いなく存在する
我執は孤独でしかない
ギャンブラーの生き方は、目標を成就する生き方と成就しない生き方しかない
誰もが成功できるわけじゃない。当然だ。ギャンブルなんだから
博打は勝者と敗者しかいない さて、運任せに大勝ちを狙いたいなら、宝くじを買うしかない
自分は、宝くじは買わないし、そのような頭抜けた幸運を信じていない
また、ギャンブルで勝率を高める方法を会得できていないのは
努力が足りていないからと断言できる
では、なぜ努力できないかと言えば
その最大の理由は「腕を磨くという」基本中の基本、根本の部分を信じていないからである
信じていないことに情熱を傾けられないのは当たり前である
自分は最近、こういうことを、なるべく目立たぬところに書こうと努めている
「カジノゲームで勝つ方法はある」という事実を
ほとんどの人は知らなくていいとさえ思っている
何なら、自分はカジノで、勝ち方を聞かれることは何度もあるが
いつも「ツイてただけですよ」と答えている
相手にそう言うのは、勝てない人たちに対する礼儀からである
だが自分はここで、本音を記している
「勝つ方法はある。あなたが実行してないだけ」
本音を記す理由は、先の読めない孤独な試行を繰り返していた過去の自分への語りかけだ
とても苦しかった頃に、誰かに言って欲しかったこと
あるいは聞きたかったことの答え
「方法は教えられないが勝ち方はある」
それを、過去の自分に向かって(あるいは過去の自分たちに向かって)、語りかけるためである NGするからコテ付けろ長文改行君
お互いにwinwinやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています