F1 新ルール ドライバースワップ案について
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より公平でエンタメ性のあるドライバー間の競争に満ちたF1を目指すスレ 2006年の記事
FIAのマックス・モズレー会長が、自身が雑誌に解説しているコラムで仰天の『ドライバー・スワップ案』を示していることがわかった。
それによれば、全F1ドライバーがシーズン中、それぞれチームを交代していくというもの。
12チームが参戦してシーズンに18戦あった場合、それぞれのドライバーが全チームのマシンに1戦ずつ乗ると最初の12戦で24人のドライバーがひとまわりすることになる。
その後の残りの6戦については、この時点で上位のドライバーから自分が乗りたいマシン(チーム)を順番に指名していくというもの。
実現すればかなり面白いものにはなりそうだが、モズレー会長自身「こんな案が全チームの賛同を得て実現する筈なんてないな」と、自嘲気味だ。 >>4
上案をオマージュした案がこちら
新ルール ドライバースワップ案
例 現行の10チーム20人のドライバーの場合
1.ドライバー数とGP数を同じ数にする
※ドライバー20人なら20GP
※チーム数が増えた時には「GP数」=「チーム数」×2=「ドライバー数」となるよう設定する
※最近のGP数の増加傾向をこのシステムで抑えることができる
2.ドライバー20人全員が全10チームのマシンに2回ずつ乗って20戦のチャンピオンシップを戦う仕組みにする。どのGPにどのマシンに乗るのかは事前(シーズン開幕前)に抽選で決める。
※エンタメ性を考慮し前半10戦で10チーム全てのマシンに1度は乗るルールにする
3.全20戦の合計ポイントでドライバーズチャンピオン、コンストラクターズチャンピオンを決定する。
※ポイントランキングシステムは現状のものとする
4.ランキング下位のドライバー2名はF1を去り、別カテゴリーから2名新ドライバーを入れて、ドライバーの流れを促す
※チームがドライバーを雇用する仕組みではなくなるので、ドライバーの流れを生み出す新たな仕組みが必要となるため
※新ドライバー2名には、参戦初年度のみ
「ルーキープロテクト」(下位2名になってもF1追放とはならない)が適用される
経験値の差と新ドライバーの育成を考慮したルールである >>5
この案についての意見感想をドシドシと。
賛成派と反対派の割合がどのくらいかをまず知りたい。 もっとコンストラクターに魅力あるフォーマットじゃないと撤退するだけじゃ。年間百数十億以上出してるのは誰なのか
それとも全額とは言わないけどfia持ち?
ドライバーもチームも得意不得意なコースがあると思うけど、どう公平にする?誰もモナコでウィリアムズには乗りたくないだろ
まあ、速いドライバーじゃなくて速い車が見たいので、もっと開発の自由度が欲しい >>8
俺も開発自由度によるサイバーフォーミュラがみたい ドライバー偏向のルールだからダメだよ
F1はあくまでもチームの総合力が問われるわけだからね
そこに基礎を置かないルールは台無しにしてしまう >>5
面白いけどF1じゃなくてF2でやったら楽しそう 総合スレで繰り返すも相手にされず、年をまたいで遂にスレを立てたか
どうしても認められたいのに誰も分かってくれない
それは何故なのかってのにいい加減気付こうぜ >>1
本気で検討すべき
モータースポーツの運営が「わかる人にだけわかればいい」なんてやるのは自慰行為に等しい >>1
本気で検討すべき
戦力均等化のためなら大いに価値がある F1商業権所有者は米国企業のリバティ・メディアになったから>>1の案の実現性が出てきた
アメリカはスポーツビジネスも大真面目にやっているから「スポーツビジネスで収益を最大化すること」が至上命題になるわけ
サラリーギャップ、FA制度、ドラフト会議なるものを生み出した国だから、弱いものいじめして毎回同じようなところが勝利する見世物を米国人がありがたがるわけがない
特にアラバマ州、アラスカ州、アイダホ州、カンザス州、ミシシッピ州、ネブラスカ州
ノースダコタ州、オクラホマ州、サウスカロライナ州、サウスダコタ州、テキサス州、ユタ州、ワイオミング州などといった
共和党支持層が多い保守的な州では絶対流行らない
だから、現在のF1はアメリカの価値観に合わせるために大幅にメスが入れられている
要するにスポーツビジネスで収益を上げるために
興行優先、エンターテイメント優先に梶を切るということ Q:
スーパーGTってどうしてウエイトハンデなんてやってるの?面白さは増すけど必死になって新車開発する意味無いじゃん!
A:
「やるお金がどこから出ているのか」を考えれば、答えは自ずと分かります。
結局「エンタテインメント」なんですよ。いや、これはGTに限らずF1だってそう。客を入れたり放映権を売ったりしているということ は、それがエンタテインメント・コンテンツだから成り立つこと。 だから、「スポーツ」と「エンタテインメント」のバランスを“どこで、どのように”取るかがキモになってくるワケです。
実際、'88年のF1だって、マクラーレン・ホンダ「しか」勝たないようなシーズンだった為に、世界的に見ればテレビ視聴率が落ち た(←日本ぐらいが例外)というくらいですから、やはり「競って勝」たなきゃ見る側の興味は湧かないんですよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316312683 アメリカはサラリーギャップ、FA制度、ドラフト会議、「贅沢税制度」なるものを生み出した国だから
弱いものいじめして毎回同じようなところが勝利する見世物を米国人がありがたがるわけがない
特に共和党支持層が多い保守的な州では絶対流行らない。
だから、リバティメディアという米国企業の息がかかったF1は劇的に改革が進んでいる
つまりアメリカの価値観に合わせるため、収益を稼ぐため、レギュレーションに大幅にメスが入れられるている
どういう風にメスが入ったかといえば
「結果の不確実性」「競争状態の維持」を担保することとなる。予算に上限をかけるのもこの2つの状態を維持して価値を上げるため。
行間を読んだら、趣旨はこう。
『今のままドライバーとその身内とその取り巻きのカーマニアだけしか盛り上がらないんじゃ、運営やってるメリット無いから終わっちゃうよ?!』
『F1が今以上に速くなっても面白くならない。F1で観客が見たいのは白熱したカーバトルであって、より速いマシンや、迫力のあるエキゾーストノートでは無い。』
『F1が速くなって面白いと感じるのはマニアだけだ!』
スーパーGTは重量ハンデやリストリクターがあるので、「プロレス」だの「やらせ」「インチキ」「八百長」だのとマニアから批判されています。
しかし現代のスポーツイベントにおいては、戦力均衡は必須です。戦力均衡はライバルを生み出し、ファンの数と市場を拡大します。
そのうちF1グランプリにも、重量ハンデやリストリクターが必要になるかもしれません。 アメリカは多民族国家であり、建前上では階級とか不平等を嫌っています。
スポーツにおいては、戦力均衡化というのを重視してします。
アメリカを象徴するモータースポーツはNASCARですが、NASCARのレギュレーションは徹底的に「戦力均衡化」を重視して興行として成立するようにしています。
トム・クルーズ主演で、NASCARを舞台とした「デイズ・オブ・サンダー」という映画があり
この中で隣のライバルチームの押し掛けをピットマンが手伝うというシーンがありますが、これが象徴的で・・・
「相手のコンディションが自分たちより落ちているのに勝ってもしょうがない。トップコンディションで正々堂々と叩きのめしてこそ真の勝利」
・・・だということです。だから、ライバルが困っていたら手を貸すのは当然だと思っているのです。
相手の足を引っ張って勝つなど言語道断と考えているアメリカのファンにとって、勝つためにはインチキをやって相手の足を引っ張ることが許される
(と保守的なアメリカ人は思っている)F1やサッカーが大して人気がないのは当然です。 モータースポーツの歴史は、様々なカテゴリーが栄えては衰退して…を繰り返してきた。その理由は「真剣勝負」「ガチンコ」以外の何物でも無い。
勝利のために、メーカーが威信をかけたマシンを送り込んだ結果、シリーズが制圧されてしまい、対立するメーカーやチームが撤退してしまう。
あるいは、開発競争に拍車がかかりすぎてしまい、とてもメーカーがまかないきれないマネーゲームになってしまう。
その結果、シリーズそのものが衰退する。世界各国で、こんなパターンは繰り返されてきた。特に90年代中盤ごろはこの動きが顕著で、ご多分に漏れず、日本のレースシーンでもそれは同じことだった。
では、それを食い止めるには、どうすればよいか。
一つめは、「ワンメイク」と呼ばれる手法。タイヤやエンジン、果ては車体まで統一してしまうことで、競争を抑えてしまう。
もう一つは、独自のルール解釈を加え続けながら、「絶対王者が現れないようにする」こと。
言い換えれば、参加者同士での「八百長」「ヤラセ」を、ある程度許容してもらうことだ。
大抵、この「ヤラセ」「八百長」は極めて難しいので、近年のモータースポーツはワンメイク化が進行している。
だがしかし、この「八百長」「ヤラセ」を、実に25年以上に渡って行い続けているレースがある。それが、日本の「SUPER GT」だ。
もちろんマニアからはムチャクチャ評判が悪い
http://hayashiminoru.com/20080317/
だが、F1ですらも人気が下落した現代でも、スーパーGTは観客動員数を増やし続けている。 信頼関係のないチームの車で300キロで走るなんて無理だろう 乗るマシンはあみだくじかダーツで決めて、当たりはパジェロ、ハズレはたわしで1レース休みとか。 >>25
今後、リバティ・メディアの圧力で導入されそうなF1の新レギュレーションはドライバーの人事になる。
今までF1レーサーの人事は不透明なもので「ペイドライバー」なんてのが「ゴロゴロいたが、これを問題視するわけにする。
「金持ちのボンボンのマシンの運転技術が上手くない下手くそがカネだけでチームに入って、
マシンの力だけで早く走っても観客は白けるだけ、熱狂するのはカーマニアだけだ!」と・・ >>25
「サラリーギャップ、フリーエージェント制度、年俸制、ドラフト会議の導入」なんてどうだ?
優れた才能を持つ若手ドライバーが新興チームに入るハードルを下げて戦力均等化をする
こうすることでF1は興行的に面白い内容になる >>24
スポーツなのに道具のテクノロジーばかり強調されてるようではキモちわるいオタクだけしか集まらんよ。一般人、特に女、子どもが関心持つのは人間だからね。 >>24-25
バーニーエクレストン解雇の原因は「戦力均等化」で対立してF1から追い出されたのだと推測されている
リバティ・メディアの思惑としてはF1の極端すぎる分配金の構造を修正し、チーム間の戦力を均衡させ、競り合いの多いスペクタクルなレースを視聴者や観客に提供してF1の収益性を上げたいたいと考えているようです。
バーニー・エクレストンはF1から去っていく自動車メーカーを数多く見てきましたから、戦力均衡策に反対したのだと思います。
「戦力集中をある程度容認してやらないと、自動車メーカーはウンザリしてF1から去っていくということを熟知していたのでしょう。
リバティ・メディアはアメリカの企業ですから、NASCARやインディ500などを参考に、「F1でも戦力均衡策を!」と考えているのかもしれませんが、自動車メーカーは「カネ」だけしか頭にないからドライです。
戦力均衡策で勝ち星が分散するようなことになれば、自動車メーカーの態度は激変するリスクがあります。バーニーはこれを怖れてリスクの高い案へ踏み込めなかったのでしょう。
戦力均衡策の導入を巡りリバティとバーニーは対立し、バーニーはF1から追い出されたのではないでしょうか。 これメチャクチャ面白いと思うけどドライバーの報酬を誰が誰にどれだけ払うかとかドライバーの入れ替えとか難しそう コンストラクターズのようにポイントランキングで支払うのがよろし
まずはラスベガス戦だけスロットで決めよう ドライバーもチームもスポンサーも誰も喜ばない案で酷いなw
見る側だって毎回どの車に誰が乗ってるのか把握するの面倒くさい >>34
戦力均等化のため、「興行」のためなら大いに価値がある >>34
戦力均等化のため、「興行」のためなら大いに価値がある
毎年同じチームが勝ちまくるんじゃ見てると白ける コレやられたら本当は誰が速いかバレちゃう?
いや遅いのがバレちゃうほうがマズいか… >>38
これを言ったら「F1はモータースポーツと言えるのか?!」「モータースポーツは本当にスポーツなのか?」「F1グランプリの実態はスポーツのフリをしたショー?!」という議論が必要になってしまう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています