僕が最初にミスをした瞬間から、周囲の人が徐々に背を向け始めるのを感じた。
冬のテストでクラッシュし、そこでシーズンは終わってしまったんだ。
そして最初の苦しい2レースが終わり、メディアは僕を叩き始めた。
発言は全て捻じ曲げられて言い訳とされ、誰も僕を庇おうとしなかった。

車は常に不完全だったけれど、それでも毎週末なんとかしようと努力した。
これは僕の視点だけれど、レッドブルにいる間僕はちゃんとサポートされず、
もうひとりのドライバーと同等には扱ってもらえていないように感じていた。
それは僕にとっては受け入れ難かったよ。
毎週末身を粉にしてチームのために働いたけれど僕が良くなるために必要な機材は提供されなかった。
問題を提起したりもしたけれど僕の意見は聞き入れられなかったし、実際に解決されるのに数週間かかったりもした。

様々な理由があったけれど、結局僕のシートはあそこにはなかった。どっちにせようまくいかなかった。

僕はメディアを通じて批判したりアピールするタイプの人間じゃないよ。
なぜならずっとサポートしてくれて、チャンスをくれたレッドブルには本当に感謝しているからね。
でも真実だけは話したかった。

これが全てだよ。これが実際に起きたことだ。

ブタペストでアントワーヌに別れを告げた後、僕は夏休み期間に入った。
その前に、僕はチーム代表のクリスチャン・ホーナーに電話をして
「レースで結果を残すために僕はどうすればいいか、何かできることはないかこちらのガレージにも目を配ってもらえないだろうか」
と伝えた。クリスチャンはやれることはやると言ったが、それだけだった。

僕は前進したいし、チームがうまくいくようにしたい。

しかしヘルムート・マルコは夏休み中の僕に電話で
「君をアレックスと交代してトロロッソに戻すよ。これは決して我々の関係の終わりじゃない。
しかしメディアの騒ぎを考えるとそれがベストだと我々は考えた」
と言ったんだ。