【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 75laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 74laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured B192に至ってカラーリングも黄色と緑でサッパリしていて
極彩色のイメージだった時代と完全に決別した感があったな セナが自信過剰だったから、マニュアルシフトにこだわり続けたから、新車の投入が遅れたんだろ?
「俺のシフト捌きとクラッチワークに、ハイテクは勝てねえよ」みたいな >>147
モンツァのマンセル会見はね...
イギリスのチーム(エンジンはフランスだけど)からイギリス人のワールドチャンピオンが出たのに、
カーナンバー1付けること無く引退とは、イギリス内でウィリアムズは相当叩かれたんじゃないかな?
ウィリアムズは元々チームマネジメント上手くない印象だったけど。 散々ホンダパワーで勝ってきて他チームがハイテクで
勝ち出したらハイテク反対!と言うのは虫が良すぎだと思った 92年ルノーV10とホンダV12を載せ替えてみたかった。そしたらマクラーレンが速くなるのか、ウィリアムズが遅くなるのか。接戦になるかもしれないwww ホンダが開発してたアクティブサスを実戦で見てみたかったな >>164
実際ルノーがニューマチックバルブをモノにしたことで一気にブレイクスルーが起こってV10高回転化と車体バランスを両立させることになったしな。
90年代は勝ちまくったし、21世紀の激しい自動車メーカーの争いでも、Vバンクの角度の対決になったが、
早くからワイドバンクのエンジンを入れて苦労の上にタイトル取ってるし >>170
セナが'92の初戦で負けた時にそれ言ってたよな ルノーのニューマチックバルブもだけどエルフの特殊燃料の効果も大きいとみるよ。50馬力は上がったよね。同じエルフのベネトンも速くなったし。 >>175
それはホンダ陣営も言ってた
それでシェルに依頼して燃料競争に参入 >>175
88年のロータス・ホンダは真逆だったな。ホンダエンジンと燃料の相性悪くて。 ベルギーGP 中嶋はエンジントラブルを起こし
他の3台に情報提供
テストドライバーぶりを発揮するのであった・ ロータスとコマツが開発中の8速ATも見たかった
トリプルクラッチ 完全シームレス
94年投入予定だったけど結局お蔵入りだったのか <<176
燃料の差って結構あったんだろうな
フェラーリエンジン載せたミナルディが使ってたのはアジップのレベル7、おそらくカスタマー用。
ある時不憫に思ったアジップのミナルディ担当がフェラーリが使ってる燃料(レベル32)を
こっそり持ってきてくれたのでブレンドしてフリー走行で試しに使ったら最高速がフェラーリを
大幅に超えてしまい即バレ没収というのをどこかで読んだ >>162
あったよ
でなけりゃRS3に勝てないよ
RA122Eはその延長だから >>175
ベネトンがエルフにした頃はもう特殊燃料に規制かかっていたと思ったけど >>155
>>161
RA122E/Bも、イモラあたりからは、かなりパワーが出てたように見えた。
実は、ルノーV10と4~5kgしか重量も変わらなったしね。 >>181
それは91年の段階ね 92年になると重たいエンジンと高燃費による鈍重な運動性能覆すパワー差無かったでしょう
それができたのはストップ&ゴーのカナダ予選ぐらい
スタート直後の燃料満タン時には燃料の軽いウイリアムズ
に離され挙げ句の果てにベネトンに突っつかれる始末 >>184
92年でも南アフリカとメキシコ2戦限定の話なら車体の頭打ちで馬力負けには見えなかったけどな メキシコはパワーサーキットでなおかつ燃費関係無い予選ですらV8ベネトン2台に遅れてなかったっけ >>186
ガチガチの脚でインフィールドで制御不能になるような車でな だから運動性能に悪影響な大きく重たく高燃費のデメリットを覆すほどのパワー差はなかったって話 まあ当時のマクラーレンのシャーシ自体がウイリアムズと比べると前時代的だったのもあるんでしょ ホンダからフォードになってもそこまで戦力ダウンしないで戦えたのは笑った フォードなんてコンパクトだけどローパワー過ぎて論外ってイメージだったのに 長らくホンダパワーとドライバーの能力におんぶに抱っこだったから
シャシー性能の向上が鈍化していた 92年の開幕戦って完全な新車を持ってきたのってフットワーク、ダラーラ、リジェ、フェラーリ、ヴェンチュリ、ジョーダンの6チームだけだったんだな。
あとは全部前年改良型のマシンばっかり。 >>190
>>191
実はホンダパワーが凄かったんじゃなくて
セナが凄かっただけかもな セナがベネトンに居たら、凄く面白いレース見せてくれたような気がするな。 確かバーナードがフェラーリ戻った時に
V8にしねぇか?って希望出して蹴られた覚えがあるんだが
車体的には実にオイシイのだろうな
>>194
セナ関係ないやんけ >>193
何だかんだで勝っていることの油断でシャシー開発が他より遅れたと思う
当時見ていてもマクラーレンは空力デザインが直線的で野暮ったいと思ったな MP4/7Aを見た瞬間、素人目にも「この車じゃウィリアムズには勝てねぇ…」と思ったわ >>199
わかる
特にフロントウイングの形状が前時代的だと思ったなあ
中堅チームですら空力を意識した流線形なデザインだったのに ハッキネンによるとMP4/8でも空力的に間違えていたという。当然MP4/7Aはもっとだと思う。 ロンデニスが自信満々だった印象
革新的なフライバイワイヤー制御とカウル内の
エアフローまで計算された空力性能を誇らしげ
に語ってた デニスはデザイナーの発言力が多くなるのを嫌ったのでバーナード離脱になったんだと思う
マレーもロードカー部門に転出
ウィリアムズがドライバー軽視なように、デニスはデザイナー軽視なんだよ フライバイワイヤーって、何らかの貢献あったのたのかな?
他のチームが使った記憶ないけど >>188
空力と姿勢制御の遅れをカバーする程のパワーがなかったんだよ
開幕2戦は3チームとも旧車の改良型だぞ
ビークルダイナミクスや燃費効率の力関係が前年からそうそうひっくり変えるとは思えんな >>199
非常によくわかる。まずパッと見でカッコ良くなかったし、重そうだったもんな。 92年のマクラーレンはピット内にオーバーヘッドコンソールとかいうシステム設置して、そん事より他にする事(マシン開発)あるだろうって揶揄されてたな。 雄→雌だから仕方がないのだがノーズ横が黒くなくなったのが残念だった
すぐに慣れたけど 雄雌の違いが未だに分からん
高卒でも分かるようにおしえて >>199
F1ハンドブックで森脇さんも酷評してたな ハンガリーなどを見ると直線でウィリアムズがマクラーレンを抜けなかったのでV12がパワーでは勝っていたように思う。しかし中間域のトルクやエンジン重量、そして燃料消費量など考慮するとV10が最適だったんだろうなぁ。 当時はバブル期でとにかくホンダ=POWERとのイメージを世界的に何としても定着させたかった
>>216
プロストの真似で政治的駆け引きだろ 話はそれますがV10ってのは、そもそも自動車のエンジンとしては邪道だったんですか?
V8とV12の間で、素人目にバランス良さそうなんですが?
実際、ルノーを見るとバランス良かったですし なんかマクラーレンはセナがいたからこその2年連続のダブルタイトルでその後の2年連続のコンスト2位もセナのおかげという気がする。
そしてセナの人生最後の勝利からもさらに低迷は続きあの最悪なセンターウイングまでやらかしたりでデビクル加入2年目まで迷走は続いたのか。 そう考えると、セナって生涯の間で、楽勝マシンにそんな乗ったことなかったよな…
MP4/4とMP4/5くらいか >>216-217
計画より前倒しで投入してるから、ブラジルやスペインあたりでは、確かに、パワーが足りてなかった感じ。
イモラ、モナコあたりからパワフルになり、ハンガリーでは、スリップストリームに入られているのに抜かれないぐらいのパワーになっていた。 いやハンガロリンクのストレートは700mしかねぇからw圧倒的にスピード差がないとそうそう抜けない
しかしヒルの97年の飛び込みは凄かった >>217
去年、もてぎで無限ホンダの坂井さんがトークショーをやってたんだけど、V10はF1の車体の大きさに合ってたって言ってたよ。
F1にV12はデカ過ぎるって。 >>220
クルサードが加入した頃にニューウェイが加入している。
マクラーレンがいい成績を残せたのはバーナード、マーレイ、ニューウェイがいたからで
抜けた後は彼らの遺産で騙し騙しやっていただけ。
遺産を使いきった結果がセンターウイングであり、それから約20年後にホンダでコケてルノーに載せ変えた直後も最下位争いを続けるという
恥ずかしい姿である。 「V12の欠点を補う程のパワーにおける優位は期待できない」
「V12では理想的なシャシーは作れない」
マクラーレン以外のデザイナーはみんなこの見解。
パワーで圧倒して勝つ事にこだわったホンダの失策がV12 >>221
MP4/5も、シャシー単体だと、フェラーリ640の方が上と言われていたわけで。 >>204
マクラーレン以降、どこのチームも電子制御のフライ・バイ・ワイヤーになったんじゃない?
亜久里曰く、コーナー脱出時に、アクセルペダルを100%踏んでもエンジン側のスロットルが50%しか開かないように設定できたり、疑似的なTCSみたいに使ってたらしい。 マクラーレンは結局16戦15勝の成功体験から抜け出せなかったんだと思う 16戦15勝のどのくらいがマシンのおかげで
どのくらいがドライバーのおかげなんだろうね
マンセル・ベルガーでも16戦12勝くらいは出来たかな マンセル、ベルガーで12勝しても
チャンピオンはプロストだったりして… ベルガーに一度チャンピオン争いしてもらいたかったな…。 >>219
高回転化が難しい、エンジンの振動などバランスとしては8気筒12気筒の方がいい。ある意味異端だった。市販車でも8発12発搭載のクルマはいっぱいあるが、10発は限られた車しかないでしょう? ルノーの技術がV10を良くした >>225
MP4/4 を作ったスティーブニコルズも入れてくれんかな。
ニコルズは元ハーキュリーズのエンジニアでカーボン素材のエキスパートですな。
ハーキュリーズは、マクラーレンがMP4/2Bの途中までカーボンモノコックの製造を依頼していた会社。マクラーレンがモノコックを自製に切り替えた頃に引き抜いた人材。
ニコルズはプロストがマクラーレンを去ると一緒にフェラーリに移籍しちゃったけどね。ホンダ+セナよりプロストを選んだ人。 88年はウィリアムズにも引き続きホンダが供給されて
ドライバーがピケマンセル継続だったら激しい四つ巴が展開されたんじゃないかと夢想する 結局V12ではメリットがデメリットを上回れない
って認識を多くの関係者が持つようになったのが何時なのか?って感じなんだけど
>>228
結局フライ・バイ・ワイヤもオーバーヘッドコンソールもあの後主流になってるよね
FBWは直接速さに繋がらなくてもセッティングの容易さや信頼性の向上に役に立ってた
>>219
シリンダの本数の関係で振動が大きいとかエンジンとしては色んな意味で中途半端と思われてた
実際NA初年度にV10投入してきたのホンダだけだし
ただあの時代のエンジンとしての最適解はV10
>>226
フェラーリさんの意見が聞きたいw >>237
NA初年度はルノーもV10で参入だよ
ホンダはいずれ採用するV12への橋渡し的だったけど
ルノーは当初からずっとV10勝負だった
最初からトータルパッケージ思想があったのも慧眼 >>237
初年度というのが(1988ではなく)1989のことを言ってるならルノーもV10でしょう
1987の割と早い時期に、ルノーはV10で作ってるとの情報は流れてたよ V12ってか12気筒はレースエンジンのロマン枠だから仕方ない >>237
>V12ではメリットがデメリットを上回れないって認識
やっぱり、92年のウィリアムズ・ルノーの大成功と、93年からのナロータイヤのレギュレーションあたりからじゃない? >>234
石原慎太郎から排ガス処理を厳しく言われるまでは
国産商用車メーカーはNAでV10の大型トラック売ってた。
それもバンク角は90度。 あぁルノーさんスマソ
>>238
>ホンダはいずれ採用するV12への橋渡し的だったけど
ホンダの中の人によって言ってることが違うのね
開発者の中でもV10に優位性を見出し勝つために採用したと当時も今も言ってる人いるんだわ
近年(と言ってもここ10年位だったと思うけど)の雑誌のインタビューでも語ってた
名前忘れちゃったけど
端から既定路線としてV12移行があったとは思えないんだよね V12が軽く小さく作れるようになる。ならはV10よりもポテンシャルがある。難易度の高いV12に挑むのがホンダのやり方みたいな感じだったと思う。
しかし重く信頼性はあったがトータル的には… V12は本田宗一郎の夢だからやるのが当然という空気だったんだろ
あの爺さん、かなり頻繁に顔だして口出してたらしい
どの程度意見が通ったかしらんけど フェラーリも、意地や伊達といった理由でV12以外はダメだったと誰かがインタビューに答えてたな。
ホンダもそういうところがあったんだろう。 V12はエンジニアにとってのロマンってことやな。
現実路線を突き詰めるならV10で コスワースDFRってのは非力の代名詞みたいだったけど、今思えば多くの新興・小規模チームを助けてくれたし、時として輝くレース演出したよね。 第2期ホンダのスタッフが、「V12をやったことは失敗だったかもしれないが、エンジニアの性としてどうしてもやってみたかった」みたいなこと言ってたな そうだね。DFR→HB→ZetecR
と最終的にはチャンピオン獲ったし。
ホンダV12もチャンピオンエンジン。
92年は過激な軽量化バージョンも考えていたそうだが穏便な仕様に終始したとか。 90年にフェラーリV12がチャンピオンになっていたらルノーもひょっとしたら…。フォードはすでに開発に着手していたわけだし。全メーカーV12。あるわけないかw フェラーリのプロストが予想してた
V12にすると必ず問題が生じるよって
プロストもフェラーリでV12に苦労させられたんじゃ デザイナーなんて
エンジン無しでも走るんならあんな重くて邪魔なものいらねぇ
くらい思ってそう
>>241
自分もそんな認識だけど
結果的にV12の選択は誤りだったと言う話で
当時の主流やデザイナーを無視して強引にV12を推し進めて失敗した訳じゃないよね
って事になるかなと
>>249
結局それだと思うんだよね >>254
ナロータイヤでドラッグが減って、ストレートスピードは上がってしまった。
あと、ハイテク化で、ラップタイム向上。
FIAの思惑どおりにいかないのは、今も昔も一緒。 >>235
ニコルズってフェラーリ移ってからの情報がないんだが知ってる人いる? 俺のニコルズ最後の記憶はジャガー
02年位だったかな >>256
95年にマクラーレンに戻って、2000年頃までアドバイザーを務めた(ハッキネンが強かった頃にモロ被り)。
2001年にジャガー入りしたけどその年限りで辞めたみたいね。
今は趣味で古いクルマのレースをしてるとのこと。 内容はともかくチャンピオンになれたからホンダV12成功でいいんじゃね マクラーレンはニールオートレーだよ。MP4/8はオートレーだよね。 そういやジャガーって微妙に賞味期限が切れたデザイナー雇ってはクビにしてたなぁ
でもメインデザイナーじゃなければ優秀なんだよなぁ、多分
ジョーダン199本のインタビュー、フレンツェンに断られたんだね
ジョーダン時代の話はしたくないとか
古くはグージェルミンが似たような事やってチームから嫌われてたよな
チームの風土なのかドラ側の言い方やり方なのか… >>262
あの本面白いね
ヒルが遅かった理由が左足ブレーキができなかったからとか初めて知った。
じゃあ199が右足ブレーキできる車だったらヒルはどのくらいいけたんだ?とか想像しちゃう。 >>263
カート出身ではなくて、バイク出身だから、左足ブレーキが苦手なのかな?
このスレと時代がずれるけど、バリチェロがフェラーリ加入当初、ミハエル車は2ペダルで、バリチェロ車は3ペダル(右足ブレーキ)だったような記憶がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています