富士GC-2
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そうそう!
そんな、ある意味いい加減な時代よかったね!プライベーターのアイデア勝負みたいな。風戸さんもなくなったときはシェブロンだったけど、開幕前のテストでは後輪にカバーつけたりしてマシンにも個性がある時代だったね 当時BMW M12は壊れまくってけど後には最強エンジンになったね。コスワースBDAを圧倒したからね。13Bペり出るまではライバルなし。BMW特にケンマツウラチューンのBMW R39B、純レーシングエンジンだったんで素性は良かったのに・・・・・・然るべきチューナーが弄ってたら
もっと良いとこ行ってた気がする。
L18改はボアピッチを始めとしてちょっと厳しかったね。
13Bが無双してた頃、FP用L14にターボを出さないかな〜とか夢想してたなぁ。
ちょんちょんぎさんのFVAターボは純プライベートかなり苦労してたけど
追浜ならなんとかとか。 HEY GUYS
R39Bは高原タスマン遠征や鈴木板金にも貸し出さず
国内GCやF-2のみだったのが惜しまれる。
ギャランベースと偽って'72年欧州F-2にデビューしていたら
BMWのM12に対策が終了するまではぃぃ勝負が出来たと思うけど...
COMING SOON。 たしかに、R39Bを、ケンマツウラ、東名、近藤あたり、はたまたヨシムラとかがいじり倒したらおもしろかったかも。しかし松浦さんはM12をいじってたからその先が開けたかもしれない お前なあ、銭取ってる芸人じゃないんだから、なんか面白い話聞かせろはないだろ
具体的に言え、具体的に M浦さんチューンのエンジンは排気量が大きい疑惑があったとか? >>裏話 すみません。なんか怒らしたみたいなんで
もういいです。なにも言わなくていいです。 78年だったかに、星野さんのM12/7が2.2Lじゃないかの噂が有りましたね。
この時は噂で立ち消えとなりましたね。
余談80年代半ばタイに流れたモノポストのGCマシンのM12/7が2.2Lだった。
そう言えば片山さんの13Bだけ特別だという噂が流れたことが有って、グチグチ言うなら関係者立ち会いでバラしてやる!何て気色ばむコメントが出たり。
同時期F1でもパトレーゼが新興アローズで速さを見せてたとき、DFVの3.3Lを使ってんじゃ無いのか?
そんな話が有ったなぁ。 そんなもんフレッシュマンレースですらある
それで実際大きくて失格ってのもある
速けりゃどこでもあるんだよ
だって負けたら遅い言い訳したいじゃない ほー、へーと聞く所でマウント取りに行っても面白くないyo >>251
ゴメンゴメン、マウントに見えちゃったか
全然気づかなかったよ(笑) >>249
裏話って根性を据えて語らなきゃならないですよね。
それを安易に他人に求める時点で人間性に大きな問題があると言うか。
GさんのGC事件も根性抜きには語れないと言う感じ。 HEY GUYS
ベルコのシャシーでル・マン挑戦の計画が持ち上がって耐久用に補器を追加したR39Bが
搭載されたけど三菱がOKを出さなかったと記憶しているけど。。。>>244
COMING SOON。 >>255
ベルコ72Fに搭載してグラチャンに出た
本邦初のグランドエフェクトカー HEY GUYS
初のグランドイフェクトカーはシャパラル-2Jだと漏れは思っている。
COMING SOON。 >>249
片山が「関係者立ち会いでバラしてやる」と言ったのが一つの答えだな
エンジンをバラして排気量を確かめる検査の現場は一般には見られない
検査役から「問題なかった」と発表されたらそれでお終いなんだよな
検査役にどこかから圧力がかかっている可能性もあるが
そこから先は鉄のカーテンで確かめられないんだよな
だからこそ片山は「関係者立ち会いで」と言ったんだろう
誰も口には出さないがHーローズ(H野)とM浦には今でも疑惑があるよ Hン駄のV6だって
N嶋に供給されたのとH野やK光に供給されたのは違う疑惑がある
Pロストが「Sナのと違うんじゃないか?」と訴えたのに対し
Hン駄は全面否定したけど俺は違っていた可能性もあるんじゃないかと思ってる
たとえ違っていてもHン駄が認めるわけがないしなw ちょっと話がぶれてすまんけど、JTCCの末期のエンジンって凄いよね。
市販ブロック2Lの4発に8500のレブリミットで、馬が340以上なんて信じられん。
2LのF2/GCの時レブ青天井の純レーシングエンジンV6で馬390だって口あんぐりだったのに。
故伊藤義敦氏が導入したハイデッガーBMW M12/7が332hpってマジかいと当時思った。
HKS 286E(曖昧)の目標出力が340hpだったっけ。 >>259
長谷見さんは「エンジンを多数揃えOHも頻繁だから他のチームより回せる」て言ってたよね。
排気量の件は藪の中なのかあ。
>>260
ナンバーワン?に良いエンジンが渡ると言うのは有りそうだよね。
片山さんの話もそう言う所から出たのかな? そういえば、昔ロータリー乗りだった、赤池卓はなんかやらかして消えたんだっけ?なにやったんだろ。 HEY GUYS
1)ヒーローズ搭載のパワーユニット疑惑は出光石油スペシアルガソリンの公算大。
2)プロストの文句はHONDAが著名モタスポジャーナリストにモンザのタイムアタックのテレメーターを見せて
プロストのアクセル開度がセナより狭かったらすぃことがCG誌に有ったよ〜な。
3)マカヲGPでの国内遠征組がカーリン琢磨のMF214からストレートで置いて行かれたのは
遅い香具師の何時もの言い訳w
COMING SOON。 クズ糞コテは相変わらず意味不明な書き込みだなw
何の反論にもなってない
糞ガンに3回当てられて糞ガンと共に焼氏しろ クズ糞コテが拘ってるR39Bも結局はアホン駄のV6と同じく限定供給しかできなかっただろうな
BMWみたいに市販することは不可能でカテゴリーを破壊して終わり
結局は技術力がないんだよ、M菱もアホン駄もw HEY GUYS
またHONDA-V6が供給されなかった事を恨む香具師が現れたなwww。
まぁ2L-V6だってBS,DUN,YHのTOPチームには供給したし
欧州でもF-3000、F-3、やCARTにも供給したから桶だろう。
多分>>267>>268はHONDAやYAMAHAのユニットも供給されなかったチームか
初期HONDA F-2マシンに乗せて貰えなかったF-3チャンプの某●●木の関係者か?www。
COMING SOON。 クズ糞コテの論点そらしw
糞ン駄は市販すると言っておいて結局は最後まで市販しなかったウソつき会社
F2というカテゴリーを破壊してトンズラ
間違いばかり垂れ流すクズ糞コテは殺●犯にぶつけられて氏ねw 佐々木 秀六(ささき しゅうろく、1947年3月14日 - )は、日本の元レーシングドライバー。現役時代は「マムシの秀六」と呼ばれた。息子はレーシングドライバーの佐々木孝太。wikipedia >>271
こいつはこれを100回繰り返してるんだが
ヤマハも供給してたから問題ないだろ ホンダがF2を破壊したのは事実でしょ。
F1も一時的に席巻したけれどその後にこてんぱんにやられて今に至る。
三菱R39Bがあの頃海外に出てたらどうだったんだろうね。 R39Bがそこまでのびたかな?結局、開発が進まなかったと思おうぞ。そういえば漆原さん、GCにヨシムラチューンR39BのっけたLolaで参戦してたね。 HEY GUYS
市販ブロック採用が純レーシングエンジンOKのレギュレーション変更に乗じて参戦しただけじゃねぇ?
参戦初年度からBMWを圧倒していた訳じゃないからね。
コンスタントに結果を残した漆原氏のR39Bのメンテがヨシムラだったとは今知ったよ。
そ〜言えば彼のマシンにはヨシムラのロゴが有ったよ〜なw。
COMING SOON。 73年に清水正智さんが使ってたBMW M12/6がモリワキでメンテナンスだったのを近年知ってびっくりしたなぁ。
初期型M12/6、1気筒辺り3プラグだったけどコレより多いマルチプラグエンジンは有るのかね?
以前SAABがピストンヘッドを外部電極にしたプラグというか点火システムを公表してたけどモノに成らなかったね >>277
>>73年に清水正智さんが使ってたBMW M12/6がモリワキでメンテナンスだったのを近年知ってびっくりしたなぁ。
俺もオールドタイマーで読んでびっくり。ヨシムラだけではなくモリワキも!
正智さんのGCの事故がきっかけでモリワキの4輪チューンは終わったらしいけど、
その後も佐々木秀六さんのFJなんかをやってたとか意外だった。 HEY GUYS
Please Mr.清水氏はGC初期から参戦していた数少ないアマチュアドライバーですな。
COMING SOON。 >>278
当時のエンジンメンテは2輪勢の方が進んでたのかも
4バルブの純レーシングエンジンのメンテなんて71年のFVCからだろうし R39Bに幻想を持ちすぎだと思うけどね
社内でメンテしてワークスドライバーだけが乗る前提での設計でしょ
市販とか広く供給はそもそも考えてないし、対応するキャパもないっしょ
BMW並の性能があったとは経験の差から考えにくい
BMWは市販して大幅な赤字にはなってないはずだけど、三菱は少数作るならともかくそこまでの技術はない
サポートに割く人員なんて全然ない
ヨシムラメンテっておれには信じられないけどね
三菱が第三者にエンジン開けるのを許すなんて ちなみに日本のレース100選の永松インタビューを元に妄想を膨らませると、
70年のJAFグランプリで1600ccで3位に入った永松の話を聞いた三菱重工重鎮らしき老人の肝いりで、大三菱の威信をかけて急遽2000ccのR39Bがかつてない大予算で開発されて71年に勝利、目的達成後の開発はなし
というストーリーで広く供給とか路線が違いすぎる >>278
あれは吉村(森脇)南海子氏の意識が面白かったな
2輪も大切だが4輪が無ければヨシムラは終わってたという
'60年代末から'70年代初めのヨシムラは4輪メインだったもんな
>>280
メンテはともかくチューニングってのは頭がおかしくないとできないからなw
そういう意味では吉村オヤジは良くも悪くも狂ってる人だったから
ちなみにヨシムラだって4バルブをいじったのはかなり後になってからだぞ >>282
結局は三菱もアホン駄も市販して広く供給なんてできなかったんだよ
BMWなんかと違って哲学もないし技術力もないからさ
三菱は市販とか言わなかったからまだいいが
アホン駄は「市販します!」とか大ウソこいたからなw POPはプリンスのS20をどう思っていたのかなあ。
あのころ唯一の市中に出回ったに気筒4バルブのエンジンだよね。
POPが自ら弄った気筒4バルブエンジンはGSX400Eかね? >>283
>>'60年代末から'70年代初めのヨシムラは4輪メインだったもんな
「モリワキも4輪コンストラクターとして進みそうだった」とか書いてあった。
なみこさんや森脇さんの4輪チューンの話に「へえ!」の連続だったな。
>>285
ホンダと関係が深かったからS20は手を出せなかったのかな?
ホンダから虐められた話も予想とは違うみたいだし。 HEY GUYS
S20は直6気筒がネックで
誰もレーシングカーに搭載しなかったよ。
COMING SOON。 S20は70年頃で200hpを確実にコミットしてた。単体で200kgは如何にも重いけどね。
ロータリーエンジン、広島は何でドライサンプにするのがあんな遅かったんだろう。
リバーサイドが72年頃に独自にドライサンプにしてたのに。
余談 後にホイール屋になったリバーサイド。1979頃ファン形状のホイール出してて今でもちょっと欲しい。 HEY GUYS
モノポストは誰も積まなかったょ。
COMING SOON。 釜塚さんのショップはKnight。リバーサイドは関西で伊丹さん。 >>294
リバーサイドって純レーシングカーを何か作ってたような薄っすらとした記憶 そういえば、2000ccのレーシングエンジンってなんでみんな直4なのかな?若干重量的に不利になるかもしれないけど、V4のほうが長さも短くなるし、冷却もいいと思うけど。バイクはV4あるよね。 >>291
篠原孝道さんいわくS20はメンテに莫大なお金がかかるんだとか。
俺も意外だったけど篠原さんはハコスカGT−Rのイメージだけど、
GT−Rでレースした期間は短くて大半は240Zだったんだとか。 >>296
F2が終わった後の2000ccのレーシングエンジンだと
F3とか2リッターツーリングカーの市販ブロック4気筒ベースの
レギュレーションの物ばかりだしね >>296
Vはメンテやチューンの手間と費用が2倍位になるし、
吸排気系が2系統で複雑だからでは?
4気筒なら長さの差も大きくないしね。
2輪のV4はエンジン単体は小さいけど吸排気の取り回しが大変で、
補器類(特にマフラー)を含めると直4とサイズがあまり変わらないらしいし。 >>296
二輪だと、色んなデメリットあるけど、幅を狭く出来ると言うメリットが大きいが、四輪だと、幅がちょっと位狭まってもあんまりメリットないと言う事では? >>295
リバーサイドNo.2やNO.5が有名ですね。
自動車用V4、フルヴィアとかの狭角ものぐらいかな。
ホンダのナカサンが戦時中にB29の機上補助エンジンだったV4にえらく感銘して
軽四輪として試作して走らせたんだよね。世に出たら面白かったと思う。
スバルがリショルム付きの2stV4をモーターショーにだしたくらいか。
昔、パンヨーロピアンST1100って縦置きV4のバイクがあってエンジン周りは結構コンパクトに見えた。
あのエンジンでミニフォーミュラー出来たら面白かったかも。シャフトだし。
2輪エンジンのフォーミュラ隼はイマイチブレイクしなかったね。駆動系のトラブル多いみたいで大変そうだった。 フォードが1960年代に1.2〜2リッターのV4を作り
独フォードのタウナス12M/15Mや英フォードのコルセアやゼファーに積んでた
もともと米本国で企画された、VWビートルなどに対抗するFWDの世界戦略車の計画から生まれたエンジン
2ストロークエンジンでは排ガス対策が困難なことから
サーブはフォードから縦置きFWDだった12M/15M用のV4エンジンを買って96 V4を作った >>304
Saab96。忘れてたなぁ。アントが直してたのディスカバリーchで見てたのに。
GCにV型というと川本さんが図面を引いたという2.5L SOHCV6が世に出てたら面白かったと思う。
三橋久善さんが持ち込んだポルシェはダメだったけど、ツインインダクションポッドは今見ても格好いい。 ZAZ・ザポロージェツというウクライナの自動車メーカーの車に
1960-1994まで積んでたというからある所にはあるんだね自動車用V4 >>301
開発当初は振動が酷くてカウンターウェイトを載せて解決したんだっけ
しかし、そのV4が仇になってかパフォーマンス向上に苦労したみたいで、新規にV6を開発してたようだけど v4は、となりあうシリンダーが2つだけなので、熱的に直4より水路設計で攻めることができそう。で、かなりコンパクトにできそうな気がする。また、回転も直4よりあげられるのかな?わかんないけど。 GCって、74年の事故まではみんな毎年新車買ってたイメージだけど、74年以降ほとんどニューシャーシみないよね。国産の一部を除いて。マーチは失敗作で一度限りの76S以外は、74Sで打ち止めだし、シェブロンも風戸さんの26まで。LOLAも新車なし。 マーチ74Sの出来が良くて、以降はパーツだけ買ってシャシーはコピーを作って使ってたから
あと3社とも空力が富士には全然合わなかった
マーチにしたって売れてりゃフルモデルチェンジするんだろうけど売れてないからね
それでマシンバラエティの魅力は全くなくなっちゃったよね
73年あたりはローラ、シェブロン、マーチの最新型が揃い踏みして、国産もいくつかあってと華やかだったよね 石油ショックによる経済的な混乱も影響してたりしてな HEY GUYS
ローラはT-290は良かったけど一段とシェープアップされFISCO向きと思われたT-292はイマイチだったし。
その後ローラの2Lスポーツは柳田選手が新車で出て来たのかな?
マーチのF-2の742はとも角752は駄作で782が出るまで待たなければならなかったよ。
COMING SOON。 個人的な意見ですが、76年にG5、G6の規定が変わってから2Lツーシーターは一気に衰退したかと。
精力的にヤってたのはオゼッラぐらいじゃなかった? 後は古いローラT294とか。
3Lもカドネさん以外はパッとしない。
イギリスだとSJ/RJみたいなチープ(失礼)なS2000が結構人気があってマーチとかも80年代半ばぐらいまでは作ってた。
それにしてもレーシングオンは何時になったらシングルシーターカンナムを取り上げるのだろうか。
LOLAなんてあのカテゴリーがなかったらとっくにつぶれてたと思う。
実際B51でしくじったシェブロンは畳んじゃったし。
柳田さんのT390、新車だったっけ?
GCのドライバーさん、マーチ派とシェブロン派が居るよね。
コレ結構興味深い。 >>390
ボアピッチが広くとれそうですよね。
クランクも180°/360°どっちが良いのか興味深い。
今はクランクケースの減圧してるんですよね。 >>314
76年以降の欧州だとポルシェ936やアルピーヌ422とかのターボカーと
やガルフGR8の様なDFV車と初めは混戦していたのですよね? GCも2000CCではなくて、3000CCにしてたら、みんなDFVだったと思う。そこでDFVをマツウラさんやらコンドーさんあたりが早い段階でチューンしてたら、F1に絡みやすかったと思う。 ティレルやシャドウのの中古シャーシにGC挑戦のノウハウ組み込んだDFV(つるしのDFVでなくて)で勝負したらどうなってたか >>316
https://www.racingsportscars.com/photo/Nurburgring-1976-04-04.html
ここなんかは混走してますが
racingsportscars.comもG6が走るメイクスタイトルがかかっていないレースは
全部網羅してないみたいで良く分からないですね GCが3000ccにしていたら殆どエントリーがなかった筈w >>320
同意。2シーターの2リッターは予算的にも性能的にも絶妙だったと思う。 >>317
1973年の為替レート、1ポンド700円やで!石油ショックでスポンサーないし、新宿駅ではまだ傷病軍人のおっさんがアコーディオン弾いてた貧しい時代で、2Lスポーツですら良く買えたと思うよ。 そのニワカっぽい荒唐無稽なところがいいんだよ
おれなんかリアルタイムだからこんなこと思いつかん 1970年代中期にはコスワースBDAもレース合わせのペースでメンテしてるから
その当時にコスワースと部品供給の正規ルートが出来てたのかな?
そこをクリア出来ていれば国内でもDFVを津勝田競技が行えたのかもね
上に書かれてるコスト面を無視すればだけれど… コスト面だけではなく性能面でも2シーター2リッターは絶妙だったと思う。
高過ぎず速過ぎずだから台数も確保しやすかのでは? HEY GUYS
3LのGr.6はポルシェ、フエラ、アルファ、フォ-ド他が有ったけどメーカーは簡単に市販はしないだろうし
DFVが搭載車出来る市販マシンは高原氏のローラT280 1台しかエントリー出来なかったからね。
風戸氏が908Uを持ち込んだけど、あれは長距離用だからGCには向かないし
欧州で2Lの選手権が始まったから主催者もそれに合わせたのじゃねぇ〜の?
COMING SOON。 >>317-318は言っちゃ悪いが典型的なF1至上脳だよな
レースってのは速けりゃいいんじゃなく
ある程度の台数が出場して競り合わないと面白くないんだよ
2000cc縛りにしたのは>>326の言う通り絶妙
GCを2座席レーシングスポーツで2000ccにまとめた裏方は誰なんだろうな
本田耕介あたりか、それともいろんな意見が入ってるのか 大排気量のアメリカン路線から、2Lスポーツカーへの転進は
徹さんのなぜ俺だけしかに書いてあった。加藤真さんの兄が電通にいてテレビ等の根回しし
徹さんがヨーロッパの動向を伝え、FISCO側に折衝した感じだったかな。
客を呼べる選手として徹さんとかグラチャンのスタマネすごかったらしいね。 情報サンクスです
生沢の話もウソじゃないんだろうけど違う証言もありうるからな
いろんな話を聞きたいけどこの辺の時期でも物故者が多いなあ 大排気量車に乗ってた酒井や高原は明確に文句を言ってたからね
いろんな意見が出て来たと思うよ
その中で2000ccの2差籍スポーツカーに決断した人間は
結果論かも知れないけど頭が良かったと思う 高原がT280を注文した段階ではまだ2リッター路線決定ではなかった。高原の予想外に72年中に2リッターを買う人が増えていったんだよね。
グランプリ中止以降、方向を見失ってたレース界が一気にそっちに向かって行ったね。 酒井や高原は大排気量車だからトップを走れてテレビに映る
そういうメリットでスポンサーを集めていたのに
チャンピオンシップが2000cc以下になって困ったんだよなw
1974年に完全に2座席2000ccに変わるまでいろいろ混乱してたわな 高原は選手権は2リッターって知ってて280にしたんじゃなかったかな
でも、テレビが2リッター中心に写すと知って慌てたんじゃなかったっけか
それで酒井と共謀して2リッターに割り込んでゆっくり走ってテレビ画面に収まったと 酒井正さんWikiのページないですね
日本GPで活躍
GCチャンピオンで国光、長谷見を抜擢したオーナードラなのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています