【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 66laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 65laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1551631261/
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 英語も話せない癖に独特の言い回しで優位性を示そうとするわファーストネームわ呼ばわりするわ人の話に割り込んで手柄を横取りするわ醜悪な人間性ですよ GTOという言葉を聞いた場合に
・GT Overall
・Great Teacher Onizuka
・とりあえず北米後期のNAシングルカムでFFでATのを逆輸入して神を倒しにかかる
…どれに該当するかで世代と嗜好がわかる。 しまった。ギルフォードテクニカルオフィスが必須なのに入れるの忘れてたわw
アレは確かマクラーレンがF1(ロードカーの方)作る時に買い取ったっていうから
現マクラーレンオートモーティヴの社屋って事でよいのか。
なお、こやつはDOHCだけど前輪駆動のやつ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/White_Mitsubishi_3000GT_front.jpg >>774
俺はジャットをジャドーに違和感あったよ。 あれだけ軽く作りゃー、ってなるけど
ティレルに載ってた92年はそこそこ完走率が高くなってたんで
出走初年度のレイトンハウスの印象が強すぎるんじゃない?
マーチの方もモントリオールでヴェンドリンガーの渾身の走りに応えたくらいだから
やっぱり2年目以降(その後ザウバーに載る→最終的にメルセデスエンジンになる)は
良くなってたんだと思う。
ティレルとマーチの2チーム体制だった92年に関しては分からないけど
94年のザウバー(こっちはもうメルセデス)/パシフィックの2チーム供給の時は
パシフィックの方はハイニ・マーダーに移管されてた模様。
インディでもイルモアだけで面倒見切れない分はペンスキーやジム・ホールのところに外注してたというから
この種のアウトソーシングはイルモアにおいては珍しくないようだけど。 マクラーレンMP4(マクラーレンプロジェクト4)
ウィリアムズFW(フランクウィリアムズ)
ジョーダンEJ(エディジョーダン)
はわかるけどマーチCGのCGはなんのイニシャルですか?
フットワークFAはF特の「セピア色の追憶」という記事でようやくわかった。 カペリのマネージャーだかしてた、チェザーレ・ガリバルディの
略だったかな? リジェのJSはジョー・シュレッサーなのだけど
彼の名を冠した車が最後に無限ホンダを積むことになり、
そしてその最後の2シーズンが久々に輝かしいものになるという歴史の皮肉。
>>790
フェラーリのGTO系ってのは一応その「GT Overall」に由来してると思ったのでw
そしたら違って「Omologato」の方なんすね。 >>781
発想の端々に糞貧乏が垣間見えるんだよな >>782
オモロガートが無いのはなんで?
モータースポーツファンなら最初に出る人が多いだろ。 >>791
チェザレ・ガリボルディ
カペリのマネージャーだった人だっけ。
亡くなった翌年から採用された記憶 >>793
なるほどね。
でもまあ、フェラーリなら1960年代の250GTOから続く名前でもあるのよ… >>782
GTO神が降臨した時(か、その直後)
オレGTOスレにいたわ。
歴史の目撃者になった。 アロウズは90-91年にフットワークになって暗黒期だったな。92年から多少持ち直したけど。 90年は前年健闘した中堅チームが外したイメージがある
アロウズとかブラバムとか 約30年も前のF1のことに、これほどの書き込みが今もあるというのは驚愕だね。
いかに今のF1がつまらなく、この頃のF1が面白かったかという何よりの証拠なんだろうな。 もし、この時代のチームやマシン、トップドライバーほか、実力派の個性あふれる中堅ドライバーもごっそりそのまま持ってきてF1をやるといったら(全く過去を再現するという意味ではありません)、喜ぶ人間もかなりいそう。かくいう自分もそうだけど。 >>799
設計に取り掛かってたかどうかはともかく
とりあえず93年の開幕時点ではCG911Bをさらに93年規定に合わせて再改造したもの
(CG911C?)で臨む予定になってた。
茂木にあるティレル020ホンダが一時期BS製のタイヤセットで走ってたことがあるんで
車体側を全く改造しないで93年以降ルールの細幅リアタイヤ付けても
危険じゃないレベルで走行自体は可能。なので予算の都合で最悪そのレベルってのはありうる。
それでもキャラミにはエンジンが届かなかった(英語版)だか、「車両すら来なかった」(日本語版)だかで
走らずじまいに終わったと、Wikipediaの各々の記録にある。 >>803
当時はマクラーレンですら年間予算は50億位と言われてたからね。
新規チームの参入も多く、新しい血の多い分野ほど活気があるのはどのスポーツも同じ >>804
そうなんですか。
どうやら'93シーズン開幕後も、イギリス?にあるファクトリーに、前年のまま、マシンは放置されてたっぽいですね。
ドライバーはキャラミに来てたらしいですけど
次のブラジルGPで、マーチはF1撤退を表明したらしいので、その後のマシンは破産管財人により処分されたんでしょうね… 90年代になって2年落ちシャシーを継続使用するのって、余程開発費が無いのかと思うくらい
マゾとしか思えん。(ティレル020Cが最後か?)
マーチはまかりなりにもF3000やインディなどでシャシー販売とかもしてたけど、
この頃はもうフォーミュラからは撤退してたのかな? >>807
この頃のマーチはF1しかやってないですね。 そしてセナの2レース分のギャラ相当で年間予算を賄えて
(そのうち結構な比重がベイリーとバーテルスの持ち込み)
3ポイント獲得出来てしまったチームロータスの奇跡…。
ヨーロッパラウンドでは貸切バス取って、トランポの運転手さんを別とすれば
ドライバーやチーム首脳陣から下っ端のスタッフまで全員揃って和気藹々と移動していたという。
92年のマーチにしても、フライアウェイ先のホテル代とか飯代にまで事欠く惨状なのに
モントリオールでヴェンドリンガーが2ポイント獲得してみせるし。 >>809
'92マーチの末期は、毎戦綱渡りしてる感じでしたね
スポンサーを現地調達してたようですし
あと、マーチを辞めたスタッフが、'94からシムテックに参加していたような事を聞きました。 まあこのころはチームの貧乏エピソードだけでもスレ埋まりそうな感じ。
91年ラルースも「だってこれ燃えたら次乗る車ない」と亜久里は最終戦でクラッシュでぶっ壊すまでその焦げあとの残ったマシンを使い続けましたとさ。 カナダあたりであまりの極貧ぶりに地元の篤志家が同情して無料で飯を振る舞ったり、
スポットスポンサーの呼び掛けがあったとは聞いた。だからカナダ以降、超小口スポンサーが増えて
耳無し芳一状態になるも、それでも何とか継続参戦ギリギリだったと >>807>>808
レーシングカーとしての名称使用権をレイトンハウスに売却してしまってたので
(だから一時的に「レイトンハウス・マーチ」になってた)
元々市販レーシングカーをやってたマーチグループの方はラルトを買収して
ラルトのブランドで車売ってたという状況。
92〜93年にF1やってた方のマーチは組織や人員の連続性からいうと
旧レイトンハウスの現地部隊の人達で、これは当時全日本F3000に出てた
ハギワラレーシング(要はスタッフの再就職先が見つかるまでの間、
萩原光選手の弟さんの任さんがチームを引き継いで運営してた)みたいな感じ。
一方で92年時点で、結局実車は出来上がらずじまいで
御覧の通り風洞実験モデルまでで終わった、SWC用の「マーチ92S」という車が発表されてるけど
http://www.mulsannescorner.com/march92s.html
プロジェクト自体はおそらく量産レーシングカーをやってたマーチグループ側で進行していたとして、
この時点で名称使用権関連がどうなってたか
(旧レイトンハウス側にも引き続き許諾はしつつも権利自体は取り戻してたのか、
実際に量産にこぎつけた時にはラルト名義で売る事になったのか)というのは不明。
フォーミュラ以外はマーチ名義で売ってよかったというならそもそも問題にならないけど。
インディライツ用ワンメイクシャーシの「ワイルドキャット」(F3000用の86Bがベースで92年まで使用)は
CARTとの供給契約の都合もあるだろうけどマーチブランドのまま継続してたし。 >>812
いいね、カナダのマーチのそれこそ小さいスポンサーロゴペタペタ。
それで4位に入るとか堪らないっすね ピケとマンセルがタイトルを争い、予選でクラッシュしたマンセルが悲痛な顔をコクピットから覗かせていたあの年はほとんどセナを知る人はいなかった。
3日間あった予選のさすがに木曜日は行けなかったけど金曜日からは堪能したよ!
観客数も金曜日が3万人で土曜日でも4万人と、その翌年とは比較出来ないほど空いてた。
マスコミに作り上げられたセナ現象のせいで、予選中に場所を変えての観戦もできなくなった。 >>815
ウソこくなよ
ホンダのエースで中嶋の相方だぞ 1986年時点で、「ホンダとマクラーレン以外」で何とか追いすがってこれたのが
ロータスのセナとベネトンの新鋭ベルガーくらい、という状況だったんだから
ある意味よっぽどなニワカじゃなきゃ知ってるレベルだったでしょ。
中嶋さんも「年齢的には下だけどF1では尊敬してる先輩だ」っていって、
チーム内事情的にはいくらか面白くないことはあったにしても
公式な場ではきちんとエースドライバーを立てる側に回ってたし。 >>806
エンジン無しの状態で最終のを売りに出してる画像が出てくるね
どこかの金持ちのお城みたいな階段の下の広いロビーに置いてあって
中はエンジン無しでマフラーが排気の部分だけでアンダーパネルにくっ付いてて
レイトンカラーに塗られたままのスポンサー無しだね
それでもかっこいいんだよね、あれ
ギヤーボックスとコイルさ明日ペンションが又なんか良いのよね〜
走って欲しかったな〜と思ってしまう最後で ミナルディが1年浪人しようとしたセナに、年棒払えない代わりにマシンを君の好きなカラーリングにしていいからどう?ってオファーした話が好き。セナも契約はしなかっものの嬉しかったみたい。 セナとミナルディの話はよく出てくるね。
いつもミナルディのモーターホームで美味しい物食べさせてもらったセナが、
最後の1年はミナルディに乗ると約束してたって話とか。
もしセナが生きていてこの約束を果たしたとしたら97年くらいになって、
もしかしたら右京と組んだって可能性もあるのかな? バブル崩壊後によくディスカウントされてたなレイトンハウス
F1ショップでもティレル、ラルースと並んで安売り対象だった
一方スポンサーのヒューゴー・ボス、トミー・ヒルフィガーはその後さらに人気ブランドに レイトンハウスって名前だけは残ってたのか、田舎のイオンで
レイトンブルーじゃない普通のトレーナーとか売ってたなw まあ、地上げ屋だしな。
モータースポーツでスポンサーするにあたって耳当たりの良いレイトンハウスという言葉を作って、
不動産屋では格好が悪いからアパレルを始めただけだし。 >>802
思い出効果だろうね。昔の事は懐かしく良い思い出として残る。現代F1はつまらないと
言われているが、今のF1を見ている高校生や大学生も30年後は楽しくネットで
書き込みしてるはず。 思い出効果もあるだろうけど
イベントとかで当時のマシンのサウンド聞くと
やっぱり違う。
今のF1は音がとにかくしょぼい。思い出効果だけではないと思う。 音だったら2000年代のV10時代の方が好きだがな 今のF1は小排気量の低回転V6ターボなうえにMGU-Hで排気のパワーを吸い取られているからそうなるわな 1986年 V6ターボ 直4ターボ 過給圧無制限最後の時代 >>806>>818
現地に来てて当座のエンジン代が払える状態だったら
ザウバー用に持ってきてるスペアから2台ギリギリだけ融通するとかいう形で
イルモアも対応したんじゃないかな。
で、エンジンレスでも車両そのものは現存してるってことなら
ジャッドGV積むか、イルモアも後年には古いやつを売ってくれるようになったようだから
(CARTマシンとかはオリジナルエンジンで動態保存されてるのもある)、
後々動態でレストアされることもありうるし、状態の良いまま退役したものの中には
実際その状態で残ってるやつもありそう。
マーチ時代まで残ってたやつは更新されないまま丸2年使ったために
最後はもうティレル020Cどころじゃなく酷い事になってたようなんで。 仮に93年にそのボロマシンでマーチが出てたら、スクーデリア・イタリア(ローラ)に予選で勝てたかな? ティレル020Cがズタボロでも勝てたくらいだから
マーチCG911C(仮)でも動きさえすれば勝てただろうな。
ドライバーは確かラマースとジャン・マルク・グーノンで予定してたはずだし。 >>826
そうかな?
当時は日本がやっと坂の頂上に立てたって達成感に酔いしれてた時代。
その上F1=FIAの構造なんて誰一人知らなかったから夢見れたでしょ
1960年代中期にゃ人類は月にすっごいロマン持ってたじゃん
それが今じゃ中国が月の裏の詳細を知らせて来てもニュースのトピック扱い
そういうもんでしょ
またここのスレタイ「1987−・・」ってのがいかにもニワカくさい
せめて1976くらいにしろよ、日本人F1元年なんだから この時代だとランボルギーニV12がマルチシリンダー&ショートストロークゆえに
凄い良い音がしてたという評判を聞く。
>>833
1976〜86年ってのは別にスレがある。 スレ年代という意味では、
-86よりも、
-87(1000馬力モンスター時代の終焉)
または
-88(ターボ時代の終焉)
のほうが流れとしてしっくり来るよね。
フジテレビを切れ目にするのは、レースそのものを語るにはちょっと変かなとは思う。 >>832
ティレルのドライバーって誰だったけか? あぁ、右京とチェザリスか
あのティレルも酷かったな
右京曰く、剛性が無くなってて、真っ直ぐ走らないとかなんとか 実力者のチェザリスですらポイントを獲得できなかった時点でお察しって感じやな。020Cと021は。
チェザリスは88年リアルでもポイント獲得するほどの力あったのに。 まあなんとかマーチが走れていてもロゴもないレイトンブルーのマシンがかえって目立ってただろうね。
もっともこの年はヤマハ離れたジョーダンもかなり青息吐息だったろうな。
あんまり騒がれずにデビューしたバリチェロのまさかの活躍もあったけど。 >>839
でもサソルやバークレイ付いてたし、持ち込みのアリスコとかマルボロもあったしそこまで青息吐息ではなかったと思うぞ
セカンドドライバー取っ替え引っ替えで常にお金は入ってきてたんだろうし ニキの死亡を聞いたジョバンナアマティの反応が気になって夜も眠れる そしてそんな「決して潤沢ではない予算でも速い」って辺りや
はっきり貧しいチームが時々驚くような走りを見せる一方で
リジェやスクーデリアイタリアの資金やリソースの無駄遣いっぷりってのがry
どこをどう間違えばあんな失敗出来るんだと。 >>842
金に困らないから、スタッフも真面目にやらないんだろ ミナルデイは毎年資金難で撤退話が出てたのに 最後まで乗り切った。 ダラーラはホイール系列のところに作らせてたけど形がおかしいとグッドイヤーのスタッフの指摘あったのに直さなかったとか言われてたな。 リジェは国が絡んでで労せず金が集まるから半分道楽みたいなもので
本気度が足らない(断言
>>839
ジョーダンぐらい臨機応変に金を集められれば生き残れたかもな。
古舘がいみじくも「あなたの色に染まります。ジョーダンヤマハ」って紹介してたけど
カラーリングひとつ取っても拘りを捨てたほうがスポンサー受けはいいと思う。 >>846
91年から93年まで、ドライバー二人、エンジンメーカーまで同じ年が無かったくらいだからね。
それくらい臨機応変にしていかないと成功しない世界なのだろう ラルースのマシンも、基本設計は5年くらい同じだよね? リジェもルノーV10搭載した92年はダメダメだったね
なぜか93年になってようやく入賞の常連になった
JS37と39でそんなに進化あったかな?
ドライバーが仲良くなったから? >>849
93年は、ウィリアムズ製の型落ちセミオートマを搭載してたのと、空力的にもウィリアムズの真似をして効果が出た
あと、フランスGPはアクティブサスペンション搭載により、ウィリアムズ2台に次ぐ、予選3.4番手獲得 同じ年のフットワークFA14も、マクラーレンのアクティブサスペンションを搭載するようになってから、予選シングルグリッド常連になったけど、決勝では結果が残せなかった >>850
あれって、フジの総集編が間違えてるだけで、ウィリアムズ製のセミオートマだけじゃない? >>847
チーム消滅までメインスポンサーが途切れた年がなかったもんね
やっぱりエディジョーダンはやり手だ
>>850
エンジンもウィリアムズと同等のRS5だったしな アクティブは搭載してなかったな
してたらルノーエンジンにブラブラコンビで鬼金だった >>852
やっぱり、アクティブサス搭載はガセでしたか…
ホームコースだから、予選セカンドローに2台付けたまでのようですね >>849
92年もダメダメではなかったでしょ
前年比でエンジンを変えただけであそこまでいけたんだから
森脇氏も同じ事を語ってたけど、今宮氏は「かなりガッカリした」と言っていた
ロータス、ティレル、フットワークと互角に走れたんだから上々でしょ リジェは92年からなんちゃってウィリアムズなフォルムだと思ったが 87年のAGSはフライアウェイのホテル代をモレノさんが一旦立て替えたら
それをそのまんま踏み倒しかねない騒ぎだったからモレノさんですらガチギレしたってくらいに
金に困ってたというのにギ御大は一体w 93リジェはアクティブじゃなくてトラクションコントロールがウィリアムズから流れてた 確か93年リジェは、ウィリアムズ製のセミオートマとトラクションコントロールを搭載。保証付きとかいう代物。
余談だが、93年フットワークも後半戦にマクラーレン製のアクティブサスペンションを搭載して、予選がTOP10の常連に。 >>849
フランク・ダーニーの設計したJS37を、ドゥカルージュが手直ししたのがJS39だったはず。
JS37は確か失敗作で、プロストがテストしてみてリジェ入りを止めたマシン。 ワーウィックも2年ぶりにF1へ帰ってきたらセミオートマが搭載されてて
後半からはアクティブサス搭載だもんな
色々大変だったんじゃないかと思う >>862
鈴鹿の予選で、亜久里がフィニッシュラインを超えた時ガッツポーズをしていたのがあったんだけど、会心のラップだったんだろうな。
確か暫定で9番手くらいに着けたんだけども、そのちょっとあとでワーウィックがあっさりそれを上回るタイムを出して、その時の亜久里の何とも言えない表情を今思い出しました。 >>863
よくそんなの覚えてるなw
確かにコンマ5秒も負けてる。かなりの差。 >>863
亜久里よりも、右京があのマシンで13番手の方が遥かにすげーと思った 伊達にルノーワークスに呼ばれちゃいないな
しかもイギリス人でだぜ >>850
あれ?
リジェは確かアクティブ使ってなかったんでは?
マニクールはフラットな路面だからアクティブなしでもあそこまでいけたんでは?地の利もあるけど。
しかしマニクールは本当に恐ろしく評判悪かったな。 >>858
でもモレノは髪を逆立てて怒ってはなかったね、間違いなく。 面白いコースが次々消滅していったのもこの頃の特徴だな… エステルライヒリンクとかポールリカードとか五角形シルバーストンとかじゃないか? この時代、ハンガロリンクは抜きどころがないミッキーマウスサーキットなんて言われてたけど
今や抜きどころがあるサーキットのほうが少ないという >>863-864
車載カメラ映像だったよね。
その後、ワーウィックに更新されるというオチがついて、笑った記憶がある。 けど、1年間ニートやってて、翌年余裕で予備予選突破からの3位表彰台まであるんだから、大したもんだった
それも、NA3.5になったのに
まぁ、そこがチーム最後のピークなんだけど 87年に表彰台に二回も上がってるのに翌年参戦できないなんて厳しいですね。 >>872
ハンガロリンクは他のオールドサーキットと違い、安全対策の名の下の大規模な改修が行われていない(元々グネグネだからというのもあるが笑)ため、
最近は比較的抜けるサーキットになっているのが皮肉
2010年-2012年あたりは2コーナーとか4コーナーとか12コーナーみたいな、
このスレの時代ならぶつけてしまうようなコーナーでバトンやアロンソがスイスイ前を抜いていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています