【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 65laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 64laps
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デビューした頃は生意気な事で有名だったけど
ロータスで辛酸を舐めさせられて次第に丸くなった >>402
現存のKE007はクラッシュした車体から流用したパーツがあるかも不明だそうらしい
ですよ。 真っ直ぐ走らない原因は治具なしで新造アルミモノコックにリベット打った
ときの歪み修正が出来なかったのも原因だし。
小嶋さんの話聞いてもったいないと思ったのはパワーボートにシフトする時007のパーツ
や治具その他諸々すべて廃棄したんだって。 >>400
フェラーリを追われたバーナードが突如アロウズに加入してクルマを手直ししたのも大きい。 >>400
ヒルは場の雰囲気に順応するタイプだから周り次第だと思う
97アロウズは徐々にチームの雰囲気が上がった >>397
デーモン・ヒルも同い年なんだな、日本流に言えばセナは早生まれだから
1こ学年上だが デーモンは9月17日生まれだからヨーロッパでもセナの方が学年が1年上だね。 >>406
空力ではスレタイ末期には完全に過去の人になったけど
メカニカルグリップとかトータルバランスなんかの得意分野では
相変わらずトップクラスの人だとわかった。 97ヒルが優勝してたらアロウズはもう少し生き残れたかな?
なんだかんだバーナードで金を使い込んでしまった開発費で研究室が回らなくなったとか
部品が駄々あまりだったと 97ヒルとかスレチだろボケ
97ハンガリーは惜しがるのに
もっと劇的な16ルマンは惜しまないのは
本当に日本人なのか? F1GPニュースの再見てるけど、野崎さん老けたな
もうおじいさんの域じゃん 30年経ってるからな
見てるほうもおじさんなら
出てるほうはおじいさんよ 確か川井もセナと同い年。
そろそろ痩せなきゃ、いろんな病気が出てくる頃だなw
セナも生きてりゃ、デブでハゲのおっさんになって高血圧や
高脂血症に悩んでたかもな。 ヒルはデビューしたころは62年生まれと表記されてたんだよね。
あとで本人がごまかしてたの認めて訂正されたけどこっちはいきなり2年早く生まれたことになってて??だった。 野崎昌一は既に63歳で、今はフジ職員でなくて(株)ネクステップの執行役員
なんだね。1987年から32年経過してるから、そりゃ薄毛や白髪になっていてもおかしくない。
川井は58歳だけど、まだ若々しいね。体がオイリー(油)だからかな? >>419
女優と結婚したからだろw
すぐに終わったけどwww >>419
川井ちゃんは管理職じゃなく現場仕事だからかな 一時期F1観戦から離れてて久々に見たら
川井ちゃんが巨大化してて驚いたな 昔、森脇さんは中年太りしていたが今は痩せている感じ。
川井と浜島は、昔は普通だったけが今は巨大化してる。 野崎アナ、F1実況やっていた頃新婚だったけど、今は別れたんだね >>425
新人女子アナをアルコールでふらふらにさせて中出ししてデキ婚という
人間の姿をした鬼だからな、野崎は。
いきさつを考えると長くもった方だね。 当時まだ小学生だったから、91年あたりのハッキネンの異様に高い評価が不思議だった。基本テールエンダーだったし。関係者の目は凄いんだなと感じたなぁ。
余談だけど、アレジと互角以上で、ブーツェンより速い国際F3000チャンピオンコマスの方が上だと思ってた。
実はアレジもブーツェンも二流だったんだと、後に気づいたが。 ハッキネン‥泣き虫、怒鳴り込んでいくくらいだったらF-1いって直ぐにトップドライバー。
アレジ‥出会い頭の一発‥否、一年・初年、で直ぐフェラーリ入ったおかげで終了。
ブーツェン‥あくまでも地味な”まだ々居るぞ”のバイプレーヤー。
コマス‥それまで仏人多すぎたので飽きられた、又は国あげてのバックアップ分散で席が無かった、地味すぎた(Bも同じ)。
な感じですか。 マカオで直接対決したときはハッキネンのほうがシューマッハより
有望に見えたな 当時は、ドイツF3よりイギリスF3チャンプのほうが遥かに格上だった。 >>383
ワッティはMP4を導入した81年のモンツァで大きなクラッシュをやらかした。
この時モノコックとワッティが無傷だったことがカーボンモノコック導入を推し進めるきっかけになった。 >>433
モンツァでやってましたね
あれも相棒の方と勘違いしてました >>428
それは長坂哲夫よりも酷いことしてるな。 >>432
お互いに敵地に遠征して勝ったのはハッキネンだったものね。 ハッキネンがシューみたいなピットストップ3回のショートストロングストラテジーをやって勝てる程のドライバーにはとても見ないニューウェイのマシンありきって感じ ですが実にいかにも不自然にインサイドを開けてみたら「案の定」入ってきたヴィルヌーヴに
返す刀で反対側のグラベルベッドまで吹っ飛ばされる可能性とか、
モータースポーツよりスキーの方が危険な可能性とかは予想出来ない時点で
人間の器というものは決まるものです。 そういやプロストもスキーしてたけど
もう止めたのかな >>429
ミカはレース初めて全てのカテゴリーで無敵の速さだったからデビュー前から脅威の新人だったんだよ
エアトンの再来みたいな扱いだったマカオの勝者マイケルよりも評価は高かったはず ナチュラルな速さではハッキネンのほうが上だけど
レースマネジメント含めた強さではシューマッハかな ハッキネンは例の事故が無ければ、もっとすごい成績残せてたと思う しかし最初の勝ち星2つをクルサードに恵んで貰わなかったら、自信がつかないままパッとせずに終わったかも知れんw ハッキネンは過大評価かもな
98〜99のマクラは相当なアドバンテージがあったと思う >>439-440
プロストって、スキーウェアのCMやってたよね。 マイケルというとそっちじゃなくて
どうしても「インディアナポリスからやってきた男」の方を。
親子二代でチャンピオンというわけにはいかんかったね。
というかマイケルの方は正直アメリカではなかなか強かったのに
インディアナポリスだけはどうやっても勝ち損ねてる。
フォードXBの初期トラブルに泣いた次はマンセル旋風やペンスキーの勢いに呑み込まれ、
その後はホンダの台頭に呑み込まれてるうちに、
若手の台頭やインターナショナル化の波に呑み込まれて見事に勝機を逸しちゃった感じか。
親父さんよりだいぶ若く引退した気がするが、もしあの年まで頑張っても
よっぽど荒れたサバイバル展開になったところで勝てるかどうか。 当たり前のように話題の流れだけでなくスレそのものから外れた書き込みをするね > インディアナポリスだけはどうやっても勝ち損ねてる。
> フォードXBの初期トラブルに泣いた次はマンセル旋風やペンスキーの勢いに呑み込まれ、
> その後はホンダの台頭に呑み込まれてるうちに、
マンセルのCARTチャンプは1993で、その時
君の言うマイケルはマクラーレンにいたのでINDYには参戦していない
1995はジャックとコスワースが優勝、XB、マンセル、ペンスケ関係ない
ホンダの活躍は1996からでINDYでは開催されていない
嘘はいけない いや、1995年はスコット・グッドイヤーが例の謎判定で勝ちそこなっただけで
ホンダが非常にまともに走った最初のシーズンになりますね。
93年にトゥルースポーツの遺産RH001で大失敗した翌94年にホンダ試したレイホールが
全くダメだったのは確かですけど。
その後しばらくすると双方が空気読んで日程組むようになって
両シリーズへの参戦可能になるでしょ? >> 453
> ホンダが非常にまともに走った最初のシーズンになりますね。
つまり嘘なんじゃん
>> 447
> その後はホンダの台頭に呑み込まれてるうちに、
この文章と、どう整合性取るの? まあ、>>390 も文章の流れならM30のこと書けばいいのに全く無関係な話で返すからな。
実際にレースを観てないからその当時のリアルタイムな記憶で返せなくて、書籍で見た少しでも共通の単語が入っているだけの話題を得意げに書き写すんだろう。無関係な話なのに。 勝手に一人で連想ゲームを始めてどんどん論旨から離れていくよね。
取り止めない話で何を伝えたいのかはっきりしない。
依存症患者の独白の場じゃないんだから、頭に浮かんだことをそのまま書くのでなく
内容を一旦吟味してくれ。 ジョナサン・パーマーってブランドルやベロフが暴れた後、アレジが出現するまでティレルで走ってて地味な存在だけど、振り返ってみると87年7得点、88年5得点挙げたのは結構凄いな。89年限りF-1去ったのは少し残念だった。 今みたいにf1がマニアのものではなく、この時代は社会を巻き込んでたよね。
いつから駄目になっていったんだ まあこの頃だと日本スポンサーもめちゃくちゃ多かったし。
あのトラックのフットワーク?あの薬の会社?とかなんか意外にフットワークがチーム持ってることわかってない人が周りにいた。 >>459
(俺は、ヨメサン・パーマン。)
懐かしい。確か医者でもあった記憶が。
1989は、けっこう中嶋とやりあってた記憶が。 >>459
そもそも87年限定のNA部門タイトル取ったドライバーだぞw >>書籍で見た少しでも共通の単語が入っているだけの話題を得意げに書き写すんだろう。無関係な話なのに。
凄く納得した >>463
クラーク杯ににチャップマン杯だっけ?
ネーミングセンスがいいのか悪いのかいまだに判断に困る >>461
ミケーレだったか忘れたけど日本に来た時に街中に沢山フットワークのトラック走ってるの見てビックリしたらしいね F1ドライバーのCM出演は、自分が知っている限りではこんなん。
当時はF1ドライバーのCM出演は普通に観られたが、今の時代は皆無だね。
セナ、プロスト、ハッキネンは昭和シェル
マンセルはCanon
プロストはルノー
中嶋はエプソン
鈴木亜久里はゲオ
ハッキン、ハーバートは塩野義製薬(ポポンS) ジョナサン・パーマーの1987年の名言「最速のイギリス人が誰であるか来年は証明してあげるよ」→結果マンセルで今までと変わりなしでした。
この逸話からパーマー嫌いになった。 ホンダのCMでバトンのヘルメットを被っていたのは実はアンソニー・デビッドソン。 ウィリアムズFW15Cのハイテクに辟易したというのがプロスト引退理由の一つだし >>467
セナ ホンダプレリュード
プロスト フェニックス(スキーウェア)
中嶋 キャメル・キリンラガービール・太陽誘電・ジョンソンカーワックス・ホンダアコード・ポッカ缶コーヒー
亜久里 東芝
右京 トヨタカローラレビン キャビン
アルボレートとカフィ フットワークグループ
あと雑誌広告でシューマッハのユーセン440
「シューマッハの横っ腹」「シューマッハの音楽」 パーマーはティレルに拾われる前、当時走ってた弱小チームのメインスポンサーを
自分の移籍先に同時に移らせる‥みたいな事をやろうとしてF-1村のなかで、ちょいと嫌われた。
速いドライバーではあったんだが。
もともと英ではこの手のインテリとか、繊細・控えめ系ドライバーは人気が出ない。
一見ガサツで、何処か頭のネジが飛んでる感じじゃないとダメなんよね‥さすが紳士の国だけの事はある。 >>472
TVのCMではないけど、セナがHONDAのバイク(VT250spada)の雑誌広告に出てた記憶がある
よく月刊オートバイの裏表紙なんかで見たような
キャッチコピーは『セナの休日』だったかな? 当のセナが乗り回していたバイクはドゥカティなんだけどな。 けっきょく中嶋悟のF1ドライバーとしての全盛期って89年だったんだろうか 西ドイツGPのごぼう抜き&CM開けのリタイヤですか? >>473
パーマーは89年シーズンの終了後にマクラーレンのテストドライバーになってた記憶が
鈴鹿での一件以降セナの処遇が不透明だったため、出場停止になった時の備えとして
テストドライバーになったのでは?目論見は外れて引退に追い込まれたけど。 >>455
94年→ペンスキーが1000馬力のメルセデスイルモア・プッシュロッドスペシャルで圧勝
マイケル:レイナード94I・フォード(2位ヴィルヌーヴと同じ組み合わせ)で2周遅れ6位
95年→タスマン・モータースポーツとの共闘でシーズン序盤から勢いに乗るホンダが
メナード・ビュイック勢のエース2人に続いてスコット・グッドイヤーがフロントローの一角の予選3位。
レースの大半を支配し、トップでゴールするものの最終盤のペースカー追い越し判定で降格扱い、
レイナード・フォードのジャック・ヴィルヌーヴが優勝。マイケルは77周リタイア(25位)。
まあペンスキー黄金時代に呑み込まれちゃったり、そのペンスキーがしくじった翌年には
ホンダとレイナードが台頭してきた時期にローラに乗り替えた(というか古巣に戻った)とか
ローラがどんどん失速していった時期にはスイフト乗り換えたけど
やっぱりレイナードほどには良くなかった、とか
F1行く前にはリトル・アルと覇を競っていたものがどんどん負のスパイラルいっちゃったのは事実ですね。
で、「CART最後のモテギ」の時は実質3カー体制のチームグリーンの中で
いち早くローラ乗り換え実験台になってみたら、欠陥品のベアリングが壊れる前に
リアウィングが壊れるとかいうコントみたいなレースの失い方するし。
後にIRLの方に転身した時にはもう完全に全盛期は終わっていたという
間合いの悪すぎる歴史に翻弄されたサンプルみたいな人だ。 >>469
あー何か「名ばかりGTは、道をあける」「比べることの無意味さを、教えてあげよう」
とかそういう自虐広告ですねわかります。 広義においてはサイドバルブ系以外のレシプロ4ストローク機関は
オーバーヘッドバルブに含まれることになりまして、
つまりはヤマハやテックフォード・ジャッド等の5バルブDOHCであろうと
ホンダの楕円ピストン8バルブDOHCであろうと、
「オーバーヘッドバルブであり、かつオーバーヘッドカムでもある」と言える訳であります。
ってな話は置いといて、理論上はニューマチックバルブのさらに異常進化したようなもので
カムすらなくて自由自在のバルタイで開け閉め出来ちゃうシステムなんて
そのうち誰か思いつきそうな勢いだったもんだけど、来なかったなそんな未来はw
そういうカムもロッカーアームも存在しない謎バルブ作動機構が出現した日には
やっぱコレは弁そのものの存在位置に基づいてOHVだって言われんだろうか。 >>469
典型的な自虐ギャグ提供してくれているだけで
嫌いになる要素皆無だが
なかなかマンセル持ち上げて笑いを取るギャグをできる腕のお笑い芸人は
パーマー以外に世界中探してもほとんどいないぞw マンちゃんはパトレーゼにも「どちらがNo1かはコースの上で決める」とか言われてんだよなw
実際コースの上で決まったけどな
なめられてんね >>486ブーツェンもマンセルにシートを奪われるのは納得いかないとか勘違い発言をしていたね。そりゃアルヌーに悔しかったら7勝してみなって言われるわwwwwwww そういえばMobilの敵はMobilだのCMで、マンセルとピケの走行中の映像が使われている。
当時はCMにF1の映像を使用しても良かった時代か。(映像の使用料は払っていると思うが) >>479
オフのFIA対セナのゴタゴタの影響で、90年のエントリー締切時、記載されていたマクラーレンのドライバーはパーマーとベルガーだったのだが。
セナがFIAに詫びを入れる形でスーパーライセンスを認可され、改めて彼のエントリーが認められることになる。 中嶋さんは87年、1000馬力のマシンをもて余してたって良く言われるけど、走りにくいなら過給圧抑えて走る事は許されなかったのかしら。その年のシーズンオフのテストでは高速のオステルライヒリンクでも2・5bar仕様でよっぽど良いタイムが出たと言うし。 >>490
「F1走る魂」によるとシーズン終盤から1ラップの中で細かくブースト調整してたそうよ >>467
亜久里は、ダイナブックもやってた。
>>477-478
89年って、いいレースをいっぱいやってた。
高速3連戦とか、エストリルや鈴鹿、そして、あのアデレードなど。 2台のフェラーリがきている、2台のフェラーリが来ている >>494
88年のメキシコも惜しいレースだったよね(すっとぼけ) 馬場さんは、奇をてらった言い回しをしなくても
印象深い味のある実況ができるお手本のようだった。
後に続くアナがそれを踏襲しなかったのが残念で仕方ない。
上からの指示もあったのかもしれないが。 古舘は片山右京のヘルメットの横っ面が映っているオンボードカメラを見ても
それが右京って分かんなかったときから嫌いになった。いやバルバッツァとか
そのあたりだったら分かんなくても仕方ないかなと思うんだけれど。 >>487
ダサいベルギー人だったよな。
リジェに移籍したらいきなりノーポイントだし次の年はコマスに特攻して評価下げまくってて笑ったわ。 >>498
開発セッティング能力についての評価が低かったらしいよね。 でもハンガリーで優勝して帰ってきたら…っていうのはいくらなんでも酷すぎる おめでとう!もファックスで送られてきただけとか読んだことあるな >>486
脊髄痛めて鎮痛剤を常人の7倍飲んでF1マシンを乗りこなして
タンブレロで事故ったマシン全てを乗りこなすぐらいの超人なのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています