【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 60laps
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あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 59laps
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ポルシェのV12はやっつけ仕事だね まともなものではない >>717
V12はV10よりも5〜7センチくらい長くなるという話だったが
センターテイクオフなんてやったらさらに長くなるのだから駄目だよね この時代のV12なら
ホンダ>フェラーリ>>>ランボルギーニ>>ヤマハ>>>>>ポルシェ V6、V10、V12で6年連続
コンストラクターズチャンプ獲得ね >>717
ホンダがベアリングの数を増やしたってのはいつの話?教えて。 ホンダはオートバイの世界グランプリ用のV型4気筒でも
幅を詰めるためにかなり特殊なことをやってたというからね。
当時のオートバイの500ccクラスは基本的に2ストロークが主流なので
一次圧縮のためにクランクケースに混合ガスを一旦吸い込む必要があるので、
クランクケースに一定の容積が必要で、4ストロークのV型のように単純に幅を詰められない。
そこで他陣営(知られている限りではヤマハ・スズキ・カジバと市販エンジンメーカーのスイスアウト)は
旧来の「スクエア4」とか「タンデムツイン」(これは2気筒250ccの場合)で使用されたように
クランクシャフトを2本にして前側のシリンダーを前傾させる形の擬似V型的な構造にしていたのだけど
ホンダだけはクランクシャフト1本で、でも「そうしたら常識的には並列4気筒に近い幅になるはず」
という常識を破って2本クランク勢と大差ない幅でまとめてきたということで知られる。
この所謂1軸クランクはエンジンの幅(縦置きする4輪用でいえば前後長)の他に、
「4ストロークであれば一次振動が出ないはずの90度バンクであったとしても
長くなったクランクシャフト長のためにクランクを捻る方向の振動が出る」
(2軸タイプだと双方を逆回転させたりバランサーを兼ねるアウトプットシャフトを入れる方法がある)
といった課題があったというので、あるいは2輪部門からのフィードバックもあったんでは。
ホンダの場合しばしば、ちょっと前に2輪のレース部門のHRCで聞いた覚えのある名前の人が
4輪部門で仕事してたり、その逆があったりとかするし。 まさか自分が長文キチガイだと分かってないんじゃないか? その声だけデカくて頭空っぽの奴らが基地外呼ばわりしてる当該人物なのは知ってるが、
この種の技術系の話ってどーやりゃ三行で書ける? どう伝えるかより、ただ喋りたいだけの独り言クソジジイ
介護でも受けてろって感じ 書いてる事が全部どっかの記事で見た事有る様な受け売りでは技術的な話も糞も有りませんわ ポールリカール始まったね。ここの住人は懐かしいんじゃ無いかな? 89年にグージェルミンが空飛んだり90年にカペリが勝ちそうになったりやたらレイトン絡みの印象が強い 91オフのテストでマンセルが乗ったキャメル入りFW13Bの格好良さが今でも鮮烈に思い出される 発達障害だかアスペルガーだか知らないけど
もうちょっと空気読めるようにならないと ミストラルストレート〜シーニュの飛び込み
プロストvsカペリvsグージェルミン
フェラーリ641&レイトンハウスCG901 ポールリカールのレイトンといえば何かと90年が話題になるが、89年も滅茶苦茶速かったぞ。
カペリはジャッドが壊れるまで2位を快走。グージェルミンは規定周回不足ながらFLを記録 ポールリカールのレイトンといえば、空気抵抗を少しでも無くすためにエイドリアン・ニューエイの指示でリヤウイング裏側の「LEYTONHOUSE」ステッカーを剥がしたって何かの本で見た記憶がある。ウソかホントかはわからんが、高校生の俺はバリバリ信じて今に至る。 ニューエイさんもヘッドと組んで無かったら今は無かったのかな >>740
最近のムックにも書いてあったよ。
デカールのわずかな凹凸にすらナーバスになったとか。
空力オタ極まれり。 マンセルは、ミストラルストレート退屈で歌でも歌いたくなると言ってたな まあニューエイさんはレイトン時代は良くも悪くも理想をひたすら追求してたな。
891や901のモノコック断面なんかほぼ逆三角形でドライバーの足元スペースがほとんど無かったからなw 境界層の厚さより凸凹の厚さのほうが小さかったら無視できると思うんだけど本当にデカールの凹凸の剥がして効果あったんだろうか まあ無いだろな
1000キロで飛ぶ航空機でもシールだらけなのに平気じゃん >>745
境界層は折り込み済みで、基本的には左右均等に起きるけど
文字デカールの段差で変に回り込むような流れが出来るのは気に食わないと
そういう事だったんじゃないのかな。
それじゃ「どうやってもシフトレバーとの間に手が入らないから」ってことで
やむなくシフトバルジ付けた件はどれだけ不本意だったんだと。 ニューウェイは自分自身の空気抵抗を低減するために髪の毛を少なくした? 1989のポールリカール、フォーメーションラップ中にパトにマシントラブル発生し、諦めて降りた。
しかし、スタート直後の1コーナーで大クラッシュで赤旗中断。パトはTカーに乗り換えて命拾いした。
現在のルールでは認められないが、スタート数周以内に赤旗になったら、クラッシュした
ドライバーはスペアーカーに乗り換えられるルールにしたほうが面白いけどな。 現ポールリカールのミストラルストレートの間のシケインだけど、ここだけは特別ルールを
適用させてシケインを廃止して、全ストレートにしてほしいわ。
それにしても路肩の赤・青のペイントは、マシンカラーよりも目立つから意味あるのか? 28年ぶりポールリカールということで、久しぶりにNEXT契約して見てみたけど
現在のダイソン掃除機のようなエンジンサウンドだとイマイチ郷愁に浸れる感じがしなかったw
しかもシケインなんて野暮なもの設置されて、夏の高速バトル3連戦の1発目が台無しだ
やっぱV12の咆哮だよな 1990年、猿手サーキットの6kmの湯野ディエールに2個のシケインが設置されたときは面白みが半減したが、
今回のポール理科ールのミストラルストレートの間のシケインもウンコだよな。イランわ。
俺は超高速で爆走するレーシングマシンを見たいだけなのだ。 エリオの件もあるし
90年代のポールリカールはショートコースなのに対して今回のはロングサーキットだからシケインあっても対してその頃とストレート長は変わってないよ
だから我慢我慢 >>752
無駄に誤変換するのやめてくれ。読みにくいだけだ >>756
なるほど。ショートコースのミストラルストレートの合流点って
丁度シケインがあるあたりなんだ。 この当時のフランスGPはプロストが強かったからな。プロスト曰く、100%の力を出すのは
母国フランスGPとチャンピョンを確定させるレースと語っていた。 >>749
当時のルールでも赤旗中断時のTカー乗り替わりは2周目のコントロールラインに達するまでに
赤旗が提示された場合に限られたはず。
通常スタート時の車両変更の締切はいつだったかな。
88年のセナはこれに引っ掛かっちゃったんだが。
ピットスタートを条件にTカー乗り替わりがOKな場合と
意地でも本来のレースカーの方を修理しないとピットスタートでも認められない場合が
確か基準時間が違う。 >>759
2周未満の赤旗の場合はゼロからレースのやり直しになるから乗り換えができる。
赤旗が出たときに完了していた前の周の順位で再スタートということルールなので、2周目に赤旗の場合は完了していた周回は1、その前の周は0になるからね。
ダミーグリッドにつくためにピットアウトしたときのクルマがレースカーとなる。セナはダミーグリッドについたあとクルマに問題が出て乗り換えたのでアウト。 >>760
成る程そうなるとピットクローズ前でも、もうコースインしちゃった後で問題が出たら
Tカー乗り換えはNG、ピットの中で止まっちゃって押し戻したあと
重症と判断した場合にはTカー乗り換えも可能と微妙なところで明暗が分かれる訳ですね。
下手するとピットロード出口のすぐ先で止まっちゃったためにアウトとか。
少しでもおかしい兆候があればピットスタート覚悟でTカー準備した方が賢明と。 他には86モンツァのプロスト(未遂)とか04アメリカのモントーヤもそんなんだったと思ったが
リオのセナ含めていつも黒旗出されるの遅いよな
現場のお上もよくわかってないのかな? >>762
セナの場合は分かってて出すの遅らせたのでは?と言われてた。
セナの地元だから少しでも走る姿を観客に見させようと… プロスト、速さでチームメイト対決ではセナには勝ったがマンセルには敗北したな。 1990のモナコも1週目はミラボーでクラッシュ、そのまま赤旗。
ベルガーとプロストは急いで戻ってスペカーに乗り換えていたな。
当時はこんな光景が見られたから、別の意味で面白かった。 >>765
あれ、楽しかったよな
中にはシート外して歩いてたりとかで面白かった
そういうのも復活して欲しい
あとどこかの湖でメカニック手作りカニーレースでロータスだけが緑の板を置いてあるの 87年に鈴鹿GPでは、まだセナファンは少なく、金曜土曜は席もガラガラでした。
マンセルがフリー走行(だったかな?)でクラッシュしてピケがチャンピオンを決めたんだけど、熱心なファン以外はレイトンハウスのブルゾンやF1グッズのお買い物で楽しんでいた様に思います。
その後メディアの露出が増えて、古舘伊知郎や森脇あたりがセナセナセナって言い出すから翌年の鈴鹿は大混雑。
たった一年でこんなにも観客の雰囲気が変わるのか〜と、赤信号みんなで渡れば怖くない!って日本ぽく笑えました。 1990年の日本GP、スタート直後セナプロが接触リタイヤしたが、接触せずにそのままの
レースを観てみたかった。 >>773
1991年、鈴鹿でタイトルを獲ったときの会見で
セナは、スタートでプロストが前に出たら
プロストにぶつけると決めていたと言ってたよ。
本田技研の圧力もあって日本ではOAされなかったけど。 タイトル獲って有頂天になってつい口も滑らかになったんだろうな
撃墜したのはよいとして(いやよくないけどw)、それを公表するのは最低だと思ったわ >>780
89イモラの協定破りについても、セナ自身は
「プロストはずっと後ろにいた」と言ってて、それも方便ではなくマジで信じていたというし。
自分に都合がよいように記憶まで変わってしまう人だからねえ…。 89は勿論、88も総合ポイントならプロスト王者。91までチームメイトなら...MP4/6を駆る教授を見てみたかった 89年あたりはスピードの面では
セナプロの差がありすぎて
プロストがチャンプといわれてもなーって印象
まぁアメリカ、カナダ、イタリアで
エンジン壊れたのが痛いね わ、わざとぶつけたんだからね!
運転が下手でぶつかっちゃた訳じゃないからね!
だからライセンスちょーだい! 90年の鈴鹿はプロストに特攻するし、91年はベルガーに優勝を譲り、誠意ある姿を見せつけたと思いきや
世間から白い目で見られたからね。
またこんな茶番に涙ぐむ今宮も頭おかしいと思うわ。 >>782
有効ポイント制なら有効ポイント制なりの戦いをせんとな >>782
ポイント制を考慮しながらやってたからこそ、ベルギーGPレース後にプロストから敗北宣言が出たんだろと思うがなあ。
まあ、それでも実は全く諦めてなかったプロストはなかなかやるな。 ポールリカール現コース、ミストラルストレートのシケインは
ドライバーに不評、来季から廃止も検討 神を見たとか言いながらもプロストには故意に激突するのはナンダソレって思ってたけど、
スプーンから一番離れた1コーナーなら神様も見てないと思ったのか。
しかしまあ、神に守られてるから激突しても自分だけは死なないと思ってたかね。 プロストにそう指摘されてたけど、だからこそ90鈴鹿は仕返しじゃなくてスカっと勝って決めて欲しかったよね
それが出来ない自覚があったからブツけたんだろうけども >>776 そういえば外人が投稿した動画か知らんがYouTubeで90年ルマンでクラッシュしてる亜久里さんが映ってたが当時は今年のアロンソのようにルマンと掛け持ちは普通だったのかな? 当たり前だったぞ
マツダが勝った時だってガショーが乗ってたし
この時代より前ならスポットじゃなくてフル参戦もいたしな
それで事故死したベロフもいるわけだし テオファビなんかはインディカーと掛け持ちで、インディカー優先だったもんなあ。
(F1欠場のときの代役は弟のコラードファビ) >>799
普通と言うわけじゃない‥それは70年代位まで。
むしろ当時のF-1トップドライバー達は怪我されると大変だから契約時に「○○はダメ。」なんてのが普通に入っていた。
それなりのお金が入ってくる時代になったので無理に掛け持ちしなくても良いから。
ガショーは”その他大勢”の部類、ベロフはF-1では冷や飯食い系‥当時独はスポンサーとか今程F-1に力入れて無かった。
テオ・ファビも‥兄弟揃って腕は有ったがF-1では今一つ開花できなかった。 91-92年のハーバートはルマン掛け持ちしてたから、
当時はもはやトップチームと呼べるか微妙な程度だったとはいえ
ロータスはOKだったと言って良いのかな。
もちろん91年は本来全日本F3000とルマン/JSPCの契約が先に決まってるところを
ピーター・コリンズがあえて呼んだ形だから特別扱いに違いないけど。
感覚的に87年以降の時代で正ドライバーが「掛け持ち可」といえば
ロータス・ジョーダン・アロウズ・ティレル・ラルース辺りまでで、ベネトンでも微妙という印象。
フェラーリやマクラーレンは契約書が凄い分厚くて厳禁条項があったり、
もしくはフェラーリに限って「スクデリア・フェラーリの他カテゴリにおいてのみ例外」とかありそう。
一方で89〜92年くらいのルマンも確かに豪華で、
マツダのハーバートやガショーの他に、JJレート(伊太利屋GTI-RLRとかケンウッド・クレマー)、
ヨハンソン(オニクスやAGS/フットワークに乗ってる頃にマツダも乗ってる)とか
チームは中堅でも実力派や若手成長株と評価の高いような現役F1ドライバーが
結構掛け持ち出走してるね。
ワーウィックやエディ・チーヴァーも少し時代がズレるけどF1とスポーツプロトの掛け持ちしてたはず。 ワーウィック&チーバー アロウズA10/メガトロン 渋くて結構好きだったなー
いつも中嶋さんの近くにいたからな アロウズは車がまるっきり替わっても
同じような位置を同じように一緒に走っていたのは不思議だったな サウスゲートの”違う方向”へ進んでしまった設計思想の元で苦労したウォスや
その他技術系スタッフが堅実な車つくりをしたから‥新興の割にはそこそこの成績。
後、何もない一から作り上げたコンストラクター‥って訳じゃないからだと思うわ。 >>794
スタートして前に出たとき、セナがまだぶつける気でいることに気付いたプロストは
真後ろからぶつけられたらヤバいからって
1コーナーのインを少し空けて惨事を避けたのに
現役、OBを含む多くのF1ドライバーたちが
「イン側を完全にふさがなかったプロストが悪い」って言ってたな。 >>808
プロストが悪いってのは本気で言ってるのとシニカルな言い方の人がいたような。
シニカル側だと、インを少しでも開けたことでセナに突っ込む口実を与えた、という文脈だな。もちろんクラッシュはセナが悪いという前提で。 >>803
アロウズって意外と設備は悪くなかったんだよな
でも駄目だった
研究所のような雰囲気は有るが三流チームのままだった
TWR傘下「に入った時は凄く期待したが駄目だった
グスタフブルナーさんが創設の時に関わってたんだっけ?
金が無いチームで活躍した人だった ARROWS
チーム立ち上げ者たちの頭文字
フランコ・アンブロジオ、アラン・リース、ジャッキー・オリバー、デイブ・ウォス、トニー・サウスゲート >>767-768
カナダGPだな。
今もやってるのかな?
>>810-811
93年後半から、マクラーレン製のアクティブサスを搭載してからは速さはあったけど、亜久里はノーポイントだったからガッカリ。 せっかくスパではセナと並んで3列目になったのにな
日本人の勝負弱さは遺伝子レベルのもんなのかねぇ 千載一遇のチャンスだったのにな。勿体ない。
あれで表彰台にでも上がっていれば、今度こそ翌年のベネトンに乗れたかもしれん。 亜久里は実質1993で終わったよね
あんなにがっかりした年はなかった >>813-815
スパは、ギアボックストラブルか何かだったので仕方ないとしても、鈴鹿のピットレーンの出口でスピンしたのはいただけなかった。 91年に、アロウズに移籍発表したときに
20ポイントは取れる!と豪語したのに、ノーポイントだった時点で終わっていたのでは。
そこまでポイント取れるかどうかは置いておいて10ポイントくらいは取ると思ってたよ。
しかもアルボレート、ワーウィックはポイント取ってたしねぇ。 あげく自分のドライビングにクルマが合わない云々かんぬん。
単に技術の引き出しが足らないだけなのでは・・。 >>818
1992はステアリングが重いってのを連呼してたよね
いや、アルボレートは予備予選まで引き受けてくれた上に完走しまくりでポイントも上げてんだけど…って
翌年アクティブでそれ解消されても結局… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています