>>28
>86の終わりの時点でフランクがホンダをただの部品屋と考えているってわかって
>契約の有る87は供給するが88は供給しないって話だったと記憶
まあ、ホンダの(桜井氏の)見方ではそうかもね。
ただ1986年に、ホンダは(ホンダの意向で獲得した)ピケを残したまま、88年に中嶋悟をウィリアムズからデビューさせるように交渉したのだから、交渉開始の時点では88年以降もウィリアムズと組むつもりだったように見えるんだよね。
実際に88年のウィリアムズはホンダに縁のあるジャッドを使い、そのエンジン費用はホンダが負担したわけだから、契約上も88年はウィリアムズがホンダを使うはずだったんじゃないかと思う。

ウィリアムズが中嶋悟を拒否したことを、ホンダに協力的ではないと桜井氏が思ったのかも知れないけど、ウィリアムズはドライバー二人をホンダが決めることはウィリアムズの自立に反すると感じたわけで(これはフランクウィリアムズが認めている)、それは見解の相違だよね。

その次の話として、ロータスは中嶋悟を受け入れることにしたけど、それならすぐ翌年(1987年)からホンダを使わせろ、中嶋悟もセットでいいと言ったわけですな。

1年前倒しの参戦になったことで、中嶋悟は国内レースとヨーロッパF3000を急遽掛け持ちすることになったんだろうなと思うね(これは俺の感覚)。