【F1】1994〜2000年のF1 6laps down
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
クルサードが速かったのか遅かったのかの真相は闇の中
でも間違いなく年間通して最速でいられるほどの集中力はないとリアルタイムでみて感じた
当時言われてたのがクルサードは春先頑張って後はダメとか
契約更新したら働かないとかだったけども あの殴りこみ事件があったあとモンツァで二人で話し合って和解してたけど
ロガー云々は記憶に無いな >>330
あったよ。
クルサードはブレーキペダルを踏んではいなかったので、FIAとしては処分せず。 あの豪雨のレース中にレコードラインでアクセルオフしたら駄目だよね
あの事件で一番褒めたいのは、怒鳴り込みを的確に撮影し放送した運営側やな(´・ω・`) スロットル戻してたらその時点で公表していいと思うけどしなかったんだな
なんでだろ? クルサードがF3のときプロストの再来と言われたほどシュアでうまかった。
ウィリアムズ時代はヒルから速い、チームに残れたらチャンピオンになれただろうと言われたほどだ。
しかしマクラーレンではどこかハングリー精神に欠けていた。それは推測だけど、ズバリ金と女に溺れたのではないかな? ウィリアムズでテストドライバーやってた頃からもう彼女はいたよ クルサードなんて実力以上のマシンに乗り続けられただけのゴミやろw
あれがブランドルだったらチャンプだわ DC飛行機事故の後は人が変わったかの様に速かったよな
あれが一年維持できるならタイトルのチャンスもあったんだろうけど
右京もガン告知の後は速かったし
やっぱメンタルって重要なんだなと クルサードは2000年は勝負強さはあったけど
スパのハッキネン優先のドライタイヤ交換に始まり
モンツァでは例の多重クラッシュで消え
インディアナポリスでフライングをとられて尻すぼみになった
2001年もモナコでストールこいてそれからダメだった
ハッキネンやシューマッハみたいにシーズン巻き返すことが出来ないドライバー クルサードは速い事は速かったと思うんだが、強さは感じなかったな
本人に100パ^セントの自責点が無かったにせよ、95アデレードでピットまでたどり着けなかった時点で
自分の中ではネタドライバーとしてのポジションが決定的となった ヒル>ハッキネンとか言ってる奴、正気?
シューマッハ>ハッキネン>>>>>>>ヒル 1997シーズンは最高だった
ウイナーも7、8人いたし
父親失った直後でのベルガーのラスト優勝は泣いた >>304
98スパのヒルは衰えじゃなくて
再スタート前にドライ寄りにセッティング変更したのが裏目に出た やっぱこのスレで語れるレベルの連中からするとブランドルって評価高いの? >>345
93ウィリアムズには乗せてみたかったし、ひとつは勝たせてあげたかったね
あと、この人が乗るとコンスト6位以下だったチームがコンスト5位になる印象
実際のデータは知らないけどw 自分が年取ったと思うこと
マーティン、マーク x ブランデル、ブランドルの組み合わせが一瞬で出てこなくなった
ブラバムとリジェ時代の成績も拮抗しているからたちが悪い >>345
未勝利ドライバーの中ではかなりレベル高い部類 >>345
1987〜のスレでもそうだけど、ここらの住人はやたらブランドルの評価が高いよね。
俺はあんまりピンと来ない。 予備予選の覇者ブラバムBT58のドライバーの印象が強い、ブランドル
モデナも速かった >>345
83年のイギリスF3では最終戦までセナとタイトル争いした逸材。
運転技量はセナと同等と思うが、F1ではいかんせんチーム(マシン)に恵まれなかった。
運転技量が優れていても闘力能力が劣マシンでは活躍できない。
俺にとっては、F1ではとにかく運に恵まれなかったドライバー。 ブランドルはセナのライバルって言われてたけど
雑誌じゃセナが勝つかリタイアかの破天荒な戦い方してて
ブランドルはコツコツポイント獲得してやっとタイトル争い出来るレベルで
純粋な速さはセナの方が間違いなく速いとは言われた 初表彰台はわりと早い段階で登りながら、チームの失格で取り消されたために最も遅い初表彰台記録になってしまったしな
そういうところでも持ってないドライバーなんだろうな マーク・ブランデルはル・マンのドライバーって印象
f3000止まりのトムクリが最多勝だからね。
トムクリ大好きだけど。 ブランドルはティレルでの水タンク事件と怪我が彼の運命を決めたと思うな…
それがなければ新人の成績としてはセナと同等だったと思う 新人が2人も乗るのはリスキーだから1人ベテランが必要だろと
ジョーダンに猛アピールしてたブランドル・・・ ブランドルは予選遅かったのがねぇ
予選がもうちょい速ければ、もっと良いキャリア歩めた気もする WC級の一発はないけど
遅いって言うほど遅くも無いんだよな まあ実力でF1ドライバーになれる人だったら巡り合わせもあるからねえ
下手したらタルキーニがWCになってる世界もあるかもしれないし まあ、総じて地味だよブランドルは。
そんなブランドルを好む気持ちも解る。 地味さはヘルメットのデザインにも出てる気がしなくもない
ブランドルとかモデナとかタルキーニとか チームとマシンとの巡り合わせだよなあ。
まさかアレジが1勝で終わるなんてデビュー当時は誰も思わなかっただろうし。 ブランドルvsタルキーニvsマルティニvsモレノさん
地味な実力派ドライバー対決 またニックが忘れられてると思ったら、このスレの年代のドライバーでは無かったか(´・ω・`) 1994(16戦) シューマッハ8勝 ヒル6勝 ベルガー・マンセル各1勝
1995(17戦) シューマッハ9勝 ヒル4勝 ハーバート2勝 アレジ・クルサード各1勝
1996(16戦) ヒル8勝 ヴィルヌーヴ4勝 シューマッハ3勝 パニス1勝
1997(17戦) ヴィルヌーヴ7勝 シューマッハ5勝 クルサード2勝 フレンツェン・ベルガー・ハッキネン各1勝
1998(16戦) ハッキネン8勝 シューマッハ6勝 クルサード・ヒル各1勝
1999(16戦) ハッキネン5勝 アーバイン4勝 シューマッハ・クルサード・フレンツェン各2勝 ハーバート1勝
2000(17戦) シューマッハ9勝 ハッキネン4勝 クルサード3勝 バリチェロ1勝 上記でブランドルは地味ドライバーと書かれているが、会社の俺みたいだわ。
成果だしても低評価、失敗すれば悪い事が目立ちすぎてしまう。 >>320
クルサードの下半身はピケの再来だから
ある意味セナの再来よりも男の勲章 ブランドルタイプのドライバーは今のF1にはいない
ペイドラが起用だされてからブランドルタイプは生き残れなくなったな シートが少ないしチームのスポンサーも少ないからな
ただ、今のペイドラはこの当時のペイドラとは比べ物にならないくらいレベル高いけどさ
この当時なんか下のカテゴリーでチャンピオンどころか勝ってもいないのもいたし、タキなんかは表彰台にすらあがってないからな >>364
スレタイ年代の最終年にプロストからデビューしたね<ニック
なお成績は(´・ω・`) ニックの一年目は正直コイツ本当にマクラーレン乗せるのかと不安になったわ でもあの年のマシンは結構ドイヒーだったと思うんだけど
アレジも手を焼いてた覚えが ニックについてはルノーエンジニアだった徳永直紀が
やっぱり長年勝てない人は良い訳も多くて、ここ一番での速さも無いことが
多いんですよとか言ってたのが笑らえた。 おいおいウィリアムズで走った2004年?かは良い走りしただろ
なにニックが平凡なドライバーだった印象操作してんの 2004年もドイツフォードの支援でぎりぎりジョーダンで走れたんだよな
ウィリはテストでBMW採用が2005、バトンがウィリは終わってるから
多額の違約金支払って移籍しなかった >>374
卵が先か?鶏が先か?みたいな話ではあるな ハイドフェルドか。
パニスはいぶし銀の走りだったと思うが。 国際F3000チャンピオン
85 C.ダナー(ドイツ)
86 I.カペリ(イタリア)
87 S.モデナ(イタリア)
88 R.モレノ(ブラジル)
89 J.アレジ(フランス)
90 E.コマス(フランス)
91 C.フィッティパルディ(ブラジル)
92 L.バドエル(イタリア)
93 O.パニス(フランス)
94 J=C.ブイヨン(フランス)
95 V.ソスピリ(イタリア)
96 J.ミューラー(ドイツ)
97 R.ゾンタ(ブラジル)
98 J.P.モントーヤ(コロンビア)
99 N.ハイドフェルド(ドイツ)
00 B.ジュンケイラ(ブラジル)
01 J.ウィルソン(イギリス)
02 S.ボーデ(フランス)
03 B.ビルドハイム(スウェーデン)
04 V.リウッツィ(イタリア)
パニスもハイドフェルドも国際F3000チャンプなんだよね 確かコマスはF1のオファー断ってもう一年残ってチャンプ取ったんだよな 国際F3000チャンピオンは大成しないというジンクスあったね
GP2に変わってからはロズベルグとハミルトンはF1でチャンピオンとったけど チャンプとれないってのはF2時代からのジンクスだからな
ジンクスを打ち破ったハミルトンは素直に凄いと思う アロンソやライコネンなんてf3すら走ってないからね
ベッテルはディレスタに惨敗してたしね。 カペリにもっと早く良い車を与えたかったな。背が高いからベルガーのチームメイトならよかっただろう(厳しかったかもしれんが)。 カペリなんてバリチェロにるフルボッコやったやん
レイトンで速かったけどあれドライバー違えば普通に勝てる車だったろ >>379
F1チャンピオンになった者が一人も居ない…
つーか、F1で優勝した者すら稀じゃないか。 カペリの93年はもうダメ。90年活躍して91年によい車に乗らせたかった。
モントーヤはチャンピオン格だったと思うのだが何かが足りなかったな。 >>379
この中でF1で最も勝利を獲得したのはモントーヤかな。 セナもそうだったけど、南米出身のドライバーってハングリーなんだろうかね?
フィッティパルディはお坊ちゃんだけど。
それを考えるとメーカーの支援を受けてしかF1に乗れない日本人ドライバーが成功しないのは当然とも思える。 モントーヤ(7勝) 307pt
アレジ(1勝) 241pt
パニス(1勝) 76pt
=優勝の壁=
ハイドフェルド(2位8回) 259pt
カペリ(2位2回) 31pt
モデナ(2位1回) 17pt
モレノ(2位1回) 15pt
=表彰台の壁=
リウッツィ 26pt
フィッティパルディ 10pt
コマス 7pt
ボーデ 6pt
ダナー 4pt
ブイヨン 3pt(5位1回6位2回)
ゾンタ 3pt(6位3回)
ウィルソン 1pt
=入賞の壁=
バドエル
=決勝出走の壁=
ソスピリ
=F1参戦の壁=
ミューラー
ジュンケイラ
ビルドハイム
年代によってポイントの基準も数値も違うけど
とりあえずそのドライバーが獲得したポイントをそのまま載せた >>390
ヤル気やパフォーマンスの波が激しいラルフと予選でトントンだったんだったのは意外だった セナの場合はハングリーというよりサイコパスかなと。
イモラの紳士協定事件もセナの主張では、プロストが追い越しを仕掛けてきたから応戦した、ということらしいし。
セナはいい家のボンボンで、成功しなければならない訳でもなかったからね。
南米=貧乏=ハングリー
というプロットで語るのはどうかなあ。 >>386
アロンソはインターナショナルF3000に参戦してたんですが、それは 生きていればポールワーウィックはチャンピオン候補になっただろう。R.I.P どっちかというと銀かと思ったら黒かったという記憶が 銀は銀だったけど錆びついてたというかメッキが剥がれて黒になったというか ザウバーはデビュー前の評価がめっちゃ高かったな
満を持してF1見参みたいな 1997年のハンガリーかな。アロウズのヒルが最終ラップにマシントラブルが発生して、
禿げに抜かれて結果、2位になった。
このときだけはアロウズ・ヒルに優勝してほしかったな。残念。 コンセプトバイメルセデスって看板は潜在能力を感じさせたなあ。
真っ黒なマシンというのも当時は斬新だったし。
93年シーズン前から4強の下ぐらいの前評判はあった。 非アクティブ勢の中では上々じゃない?
ハーベイとガスコインが残ってたらまた違ったかも
そうなったら翌年のティレルは散々だろうが…
でもあの二人はチームカラーに合わないな、多分 いぶし銀というか・・・
この年代はメルセデスに捨てられてフォードに捨てられた時代やからなあ・・・ テスト走行で好タイム連発した。期待が高まったよね。 一方でパトレーゼはテストでスピン連発
不安を残したままシーズン入りしたが20pt獲得してランク5位、得意のハンガロリンクでは二位表彰台を獲得した
ただ、このレースでパトレーゼが快走した印象が全くない 前年のブランドルがおよそ倍の38pts獲得してるから、パトレーゼは物足りなかった
てかパトレーゼならシューマッハに対してブランドル以上にやれると思い込んでいた 95ザウバーはゼテックRでフィレンツェンが頑張ったよ。ただストレートは遅かったな。何度か片山にやられたかな。 フィレンツェンって亜久里かよw
FIRENTZENなら分かるけど、FRENTZENだよ 津川さんはフィレンツェンて言ってたけどね。
当時のフジが付けた呼び名は何か言い難くてあんまり好きじゃなかったな。
ジャックヴィルヌーブとか。
ジルの時代みたいに、ビルニューブでいいじゃんて思ってた。 イタリアのフィレンツェに引っ張られちゃってたんだろね フィレンツェンにブイヨンとか美味しそうな名前のコンビだったな > 95年 F1総集編でもフィレンツェンって呼ばれた時期があった気がする
もしかしたら当時のイタ飯ブームの影響だったのかも知れないけど 昔グラ特で今宮の嫁がネタにしてた
フレンツェン「ボクはハインツのケチャップです」
ブイヨン「ボクはマギーブイヨンです」
この日「ザウバークッキングチーム」というあだ名が付けられた
だったかな 1995って最初ヴェンドリンガーとフレンツェンだったよね ヨッヘン・ニアパッシュが育成したメルセデスジュニアだな
ベンドリンガー、フィレンツェン、シューマッハ
ニアパッシュBMW時代のがベルガー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています