【Gr.C】グループCを語るスレ其の25 [無断転載禁止]©2ch.net
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/f1/1464011533/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 星野はグループAが怖かったとかなんかで読んだ
ダウンフォースほとんどないのに600馬力とかだから富士だと300超えちゃう >>639
いくらパワーなくてもリベット造りのアルミモノコックだぞ
ベロフにウィンケルホック、ガルトナーと死人も結構出てるし十分怖いわ >>641
絶対的にはね
相対的には1500馬力とは比べ物にならないと思う
ポイントは星野、長谷見が怖かったと言ってることだよ
怖いなんて言ってたらドライバーやってられないから、聞いたことない https://youtu.be/i1ECE3oT-Z8
まあ、これ見れば怖いと言うのもわかる
3ペダル ノンパワステ 1000馬力のウイングカー+当時のタイヤ >>633
>それより星野、長谷見以外は後年になっても怖かったって言ってないのが不思議。
なにが言いたいんだ?? 星野と長谷見は下手くそだからCカーにビビってた
って言いたいのか?w >>644
わからない
怖いとは感じなかった
怖くても言わなかった
ひょっとしたらやってることやマシンが違った Cカーではないが、服部はインディは「下手すりゃ死ぬかも…」と思っていたそうな。 実際アンディアルチューンだった最後期のトラストポルシェなんかは
予選でブースト上げてる時にちょっと踏み方間違うとエンジンの方でドカンって逝ったそうだけれどね。
むしろポルシェっていうと、テレ朝でダイジェストで見たデイトナ24時間の時に、
ジャガーや日産(R90CK)なんかはもうカーボンになってるって分かってたから
それと互角のペースでぶっ飛ばすポルシェ勢が、もう頭ぶっ壊れてるようにしか見えなかった。
実際壁にぶつかるとそのあと裏返ってズザーッって下に落ちてくるし。 当時グループCカー乗ってた者だけど別に怖いと思ったことはないよ。
だって当時はそれが普通で当時の当たり前の安全装備がついてたから。
たしかに現代の安全装備を見てから当時のグループCカーを見たら怖くなるかもしれない。
でもそんなこと言ってたらCカーよりもっと昔の体むき出しでシートベルトなしのF1マシンなんて怖いレベルではない。
ハロやらなんやらついた今の安全に見えるF1マシンも30年後にはよくあんな危険なマシンで走ってたなと語られるかもしれない。
セーフティの歴史ってそういうものなんだよね。
星野さんも長谷見さんも現役当時は怖いなんて一言も言ってなかったよ。
最近になってから当時は怖い、生きてて良かったねって言ってるけどそんなこと思ってなかっただろうと思うよ。 一般 サンデードライバーの漏れとしては
Cカー は
前方視界良すぎ、後方視界悪すぎ で怖そう 後方視界といえば最近のレーシングカーはモニターで見れるから随分進歩しましたよね 手元にある古いカーグラフィックにちょうどマセラッティ・ボーラの試乗記
(担当は若き日の田辺のおぢさん)があって、後方視界は「スリットから覗くようなもの」
とか書かれていたし、マクラーレンF1だってドライバー真後ろはエアインテークがあって見えない。
ましてや今でこそバックビューモニターがあるけど、箱荷台のトラックとか冷凍車とかは
そもそも後ろの窓が塞がってて見えないのが当たり前なものだったんだから
実は「少なくとも前に向けて走ってる限りは真後ろは見えなくてそんな問題にならない」
ってもんでは。
最新のレーシングカーでバックビューモニター付いてるのも、
どんな時にチェックしてるもんなんだろう。接近戦の時とか周回遅れになる時とか? >>648
おお、これはすごい
体験者なんですね
そうですか「怖いと思ったことはなかった」んですね
ただ、事実関係に誤りがあって、星野長谷見は当時に二人で生きててよかった、と言い合っていたそうです。現役が他人に言うわけ無いです。
また、安全装備の話じゃなくて1500馬力(とカーボンブレーキと4トンものダウンフォース)が怖い、つまり絶対スピードとその加速減速の話です。 レーサーってたいがい2ちゃんねらだけど
たぶん利男ちゃんか亜久里かな グループCドラって書いてるだけでニッサンドラなんてどこにも書いてないだろw 森本あきおさんとか和田孝夫さんだったり
和田さんて、B110もフォーミュラもGCもなんでも速くてカッコよかったけど、Cカードライバーのイメージ
顔は不良とかヤンキーぽいけど、かなり背高くてスタイルいいからCカーの時のレーシングスーツも似合っててかっこよかった >>657
ロランド・ラッツェンバーガーかジェフ・クロスノフかもしれない ネット上で見たことがあるといえば静マツの757/767に乗ってた某氏
(さらに757の方をひところ所有されてた方も)が有名かなw
仮にマツダだとして、「空力データは757の時点でポルシェより良かった」と言われるくらいだし
767Bだったら自然吸気で予選ブーストが掛からないというだけで
吊るしのポルシェとは案外遜色ないのかもしれないくらいにはそりゃー速い。
「片山学校」関連だと他にもLENOX757ドライブしてた人達もそうだったり、
他にもGr.C経験者って静マツの白鳥課長とか、さらに米山二郎さんとか、
ワークス以外でもかなり数多いと。
トラストが2台走らせてた時期(確か日石カラーのを962GTIに替えて余った吊るしの962の方を
自社カラーに塗り替えて走らせてたことがある)もあれば、グッピーユーザーや
グッピー→ポルシェのステップアップやら、さらには4発時代の型落ちトヨタは
さほどトヨタと密接なコネクションの無いチームにも供給されてたりもしたから
スポット参戦とか、公式・専有テストとかでガチの走行機会を与えられたという人まで含めた総勢では
ホントに物凄い数のドライバーが参戦してそう。 長谷見や星野が怖いと言ったのは、あの強烈なパワーとスピードで何かあったら死ぬな…
と冷静に考えていたってことでは?
ドライビングしている最中はそんなこと考えずにアクセル踏んでくんじゃないかと。 初期のポルシェやマツダはそれほどでもないが89年辺りからの予選用1000馬力超えは流石に怖いってことでは? 日産で1LAPアタックの担当が星野、長谷見
つまりVRH35のフルパワーを味わった事あるのは日本人ではこの二人だけ
2速からトップまで加速変わらず旧富士の狭い1コーナーエスケープ目掛けて400kmで突っ込んで来いって言われたのは日産エースドライバーだけ!
水野さんも罪な事したよね?
ちなみに決勝は700hpくらいにしていたそうで >>664
91富士1000キロでは、ポールの長谷見から予選7位の和田、岡田まで1秒7差。日産2台、トヨタ3台、日産サテライト2台。ここらあたりは同じような経験してるんじゃないですかね。
ちなみに水野さんはエンジンはレース界の常識に反して、4台分完全部品互換整備互換でやったと言ってた。予選用は別とかいうマイルールがあったかどうかは知らん。 つまりルマンで使ったあのQFスペックエンジンはホントに1機こっきりしか無かったと。
24Tの車両自体は今は無きracingsportcars.comほか過去のネット上の資料で確認した限りでは
どうやら座間には無くて海外のコレクターが所有するうちの1台(10年以上前に海外で売りに出てた)
のようだけど、そのQFスペックのエンジン自体はどこにあるのか、果たしてもう廃棄されちゃってるのか。
「レース界の常識に反して」とはいうけど、データ取るために台数走らせてるんだったら
予算上の理由(サプライヤー側であれチーム側であれ)でもなければ
全部一緒の方がむしろ都合が良いというか、むしろ「別々にしちゃったらその車のデータは使えなくなっちゃう」
ってことになるかと。
F3000のケン松浦も原則同じスペックで、「お客さんのエンジンじゃなくてリース品ですから。
もしスペックに疑問があるなら立ち合いの上で交換してもいいです」っていう。
無論、予算の無いチームとかから安く組んでくれと頼まれたなんてのは別メニューで
旧スペックの余りパーツで組むとかライフ重視で組むとかもご相談だろうが。
余談だがコレクターさんとかの買取用も別途ご相談との話だった。 そういえばポルシェも原則としてはカスタマーレベルでエンジン弄っちゃいけない契約で
(実質サテライトのヨーストだけが例外で圧縮比弄ったりとか認められてた)、
初期の2.65リッター型とか3リッター型、3.2リッター型とか全水冷、
さらにIMSA仕様の空冷3リッターシングルターボ、
マネジメントもクーゲルフィッシャーかボッシュ・モトロニックかとか
「お品書きにある組み合わせの中から選んでください」だったでしょ。
リビルドする場合はヴァイザッハか、もしくはアメリカで公式チューナーとしての承認を取り付けた
(これは初期の北米代理店を務めたホルバートとの繋がりもある模様)
アンディアルのいずれかに送り返せというルール。
ヴァイザッハ仕様より独自改良の入ったアンディアル仕様の方が性能的に優れるということで
後期のJSPCではトラストはアンディアルの方を使ってた。
エンジン内部は不明なものの、レーシングオンの特集記事で962GTIに積まれている外観を撮影した限りでは
タービンが違って(ギャレット製の「ハイブリッド式」という、排気タービン側とコンプレッサー側のサイズが違うタイプ)、
過給の追従性においてとりわけ優れるとのこと。 日本人ドライバーで、マシン・エンジン・タイヤ・コース・気温など全く同じ条件でCカー走らせると速かったドライバーって誰なんだろう
90年ルマンでは星野より速い予選ラップを出した長谷見?
それとも星野?WECでポール出した和田?小河等や岡田秀樹や鈴木亜久里?
色んな議論が出そうではあるけれど・・・ 俺は岡田秀樹に一票
88年のWECではワークスポルシェ差し置いてポール
と思ったら今思い出した
ワークスポルシェに誘われた藤田直廣だ
シュパンに遅いって言ったのは流石だw さらにウェットコンディションなら中子修、中嶋悟、国さんだと思う。 最初から最後まで全力で走って壊れなくて燃費がもつようになってからは完全に星野だったな。 誰がベストと言われると困るけど
鈴木利男 が上がっていないね。 プログラムを見ていて アレ?っと思ったのですが
ミノルタ トヨタ 89C-V 3.6 って出走したことあったっけ?
デンソー は見たことあるけど >>677
関谷はF3000 GCで勝てなかったドライバーで
ドライバーとして星野中嶋長谷見亜久里クラスからワンランク落ちるじゃん
岡田秀樹なんてさらにその下だろう・・・ ↑間違ったw GCと勢いで書いてしまった F2と書きたかったw
といっても関谷さんはF2はスポットで一戦出ただけだったか >>682
関谷さん、確かに速さの点ではワンランク下かもしれないけど
実績として ルマン24時間 優勝 があるからね。 岡ピーみたいにシングルシーターだと目立った成績を残せてないのに
屋根付きだと何故か速いって人も居るんで、
モノポストでの実績云々は必ずしもGr.Cでのそれに直結しないという面もあるかと。
だいたいが「同じ条件」つって何出してくるのが公平かとかいう問題になってきそう感が。
ま、BSタイヤ仕様のR92CPならだいたい誰が乗っても速いと思うけど、
それを凄い台数揃えてIROCみたいなレースをやれば決着がつくかといえば、
その時にはもう小河さんはこの世の人ではなかったり、和田さんは91年の富士で怪我して
全盛期が過ぎてたりするんで、R92CPを増殖させるマジックに加えてタイムマシンまで必要になる。 そんな判り切った事を差し引いて皆んなで楽しく話してるんだろ この話題は特に長文野郎は向いてないな
お前はメカのタラレバでも語ってろよ タラレバ系は意外と興味無いな。ある意味イーグルトヨタの最終型とか
マツダRX-792P(熱害問題が解決してきた終盤に確か2位だか入ってる)とかが
「日本のGr.Cより進化した車体に同じエンジン積んだらどうなるか」っていう歴史のIfを
証明しちゃった部分ってあるでしょ。
NPTIが「それじゃ92年のデイトナ用に3リッター化したR90CKのアンダーボディを改造して本格的にやるか」
とかいう方向に行かずに矛を収めちゃったのは、一説には当時日産もCART参戦を目指していたため
(結果として参戦開始時期が遅れたこともあってインフィニティブランドでIRLに参戦するに至るに、
もう心IMSAにあらずという状況だったとも聞くけど。
しいていえば北米マツダ側では計画されてたといわれる、もっとスプリント仕様に振ったR26Bを
RX-792Pに組み合わせた幻の93年仕様とか、カスタマー供給の話とか(AMATIブランドでロードカーの計画まであった)が
実現してたらどうなったかというくらいの、「当時計画はされてたけど頓挫した」
ってレベルの話がそのまま進行してたらどうなってたかだな。
規定上はダウアーみたいなもんで、そのAMATI仕様のロードカーをベースに
希望するお客さんが居たらマクラーレンF1やらR390GT1やらダウアー962みたく
ルマン出られた可能性あるってことでしょ。
ジャッドマツダMV10の方も量産計画があったというし、それじゃロータリーは打ち止めかと思いきや
787C計画が存在してたってのも後で聞いたし。 そのカスタマー供給92年仕様の93年から見て一年落ちなのか、93年マツダ仕様と建前上同じなのかとか、
マツダ名義なのかジャッド名義なのかとか気になることは多い。 >>690
10年以上前からこんな感じで支離滅裂だぞ、こいつは この御仁、知識の蓄積はそれなりなんだけど
理系的解釈のセンスがないから著作業には
向いてないと思うの
フロントウイングでタイヤの前を真空引きとか
昔、言ってたときはアホかと思ったぞ というか勝手に連想ゲームし始めている時点でライターとしてはアウト こういうのは知識とも言わないだろ。雑誌レベルの誰でもアクセスし得る情報を羅列してるだけ。
ライターやジャーナリストに求められる取材能力や編纂能力や解説能力ももちろん無い。 無いな。タミヤの山に埋もれてブヒブヒ古本漁ってるだけ… >>691
ジャッド名義のカスタマー供給は92年時点で既にユーロレーシング(ローラT92/10)
に対してやってるんで、「マツダMV10のカスタマー仕様としての供給」だったんじゃないかね。
さすがに最新型はマツダワークス用で、一般供給されるのは92年仕様ベースになるんでは。
マシンの方も改良型が作られる可能性があったというんで、改良の内容次第では
5台もあるMX-R01のうち一部は今までJSPCでそうしてきたように
放出された可能性もありかと。
もう一点気になってるのは、93年のルマンはC1-1990の出走が解禁されて
プライベートポルシェ勢の他にサードとトラストも出走したけど、
旧IMSA-GTPやロータリーエンジンの扱いがどうなってたかという点。
C1-1990編入で900kgだったら出ないだろうけど、90年規定の800kgなり
91年規定の830kgで出ても良いよと言われたら、
93年もマツダがスポーツプロト活動継続ということなら787B/CなりRX-792P(793P?)が
出走することもありえたのか、等々ね。 お前らがワクワクしてサーキット向かったCカーレースはどんなのありましたか?
俺
・1988年富士500マイル トヨタ88C-Vデビュー
・1988年WEC 初めて行った世界選手権。急遽ワークスポルシェ来日。メルセデス初来日。
・1989年WSPC鈴鹿 初めて鈴鹿行った。初めての鈴鹿WSPC。
・1989年富士500マイル 日産R89C国内デビュー。前夜からワクワクだったが、未明の3時に婆さん死んで行けなくなった…。
・1989年インターチャレンジ富士 ル・マンで大活躍の伊太利屋ヨースト来日。
・1990年富士500マイル ル・マン5位日産R90CP凱旋。
・1991年菅生500マイル 急遽ジャガーXJR-14参戦。夜行で仙台行った。
行ってないけど(当時免許無かった)、1985年の富士500マイル(日産VG30デビュー戦)、1985年WEC行ければうきうきしたと思う。 >>699
マツダ名義だと他の自動車メーカーがスポンサー付いてるチームに供給できないんじゃ。
エントリー名とカムカバーのロゴの問題だけだから供給が具体化した段階で決めればいいことだけど。
VRH35は100オクタンガソリンで決勝仕様のリーンで800馬力、リッチで1500馬力だからPN200/300トリプタン燃料使えばリーンで1600馬力、リッチにすれば2400馬力、と夢のある話をしてみる。
サイバーフォーミュラに最も近づいた時代かも。 >>702
IMSAでは普通にロータリー供給してるし、そのアメリカの場合には同じように
シボレー(IMSA GTP用のV8の方)とかビュイック(ターボ付きとかGTPライト用とか主にV6)
とかもバッジ付きで供給してたから、その感覚でいえば問題にならないんじゃないかな。
SWCでもDFZ/DFR勢の他にコンラッド・ランボルギーニ(まーウォルター・ウルフが間に入ったそうだけど)
とか居たから、どうせ優勝供給だったら値段次第ではマツダエンジンだからといって問題になることは
特にないんじゃないかな。場合によっては「看板代割引」が期待出来ることもあるし。
自動車メーカーがバッジネーム買いするとすればNA3.5リッターの使えそうなやつで
枠が開いてるのはイルモアしか無いとして、
「自動車メーカーと関わりの近いグループ会社とかがスポンサーに付くからメーカー色のあるエンジンは使えない」
的な大人の事情系のところはジャッドGVの方を選択する手があるってことで。 長文さんはソース出してね
〜じゃないかと
推定が多いですよ 当時の本の受け売りだとすぐ喝破出来るほど熟読されていたご立派な知識であれば
どこに何が載ってたくらい覚えてんだろ? >お前らがワクワクしてサーキット向かったCカーレース
こういう話題に長文キチは100%参加しない
何故でしょうね〜 1992年の鈴鹿1000kmにニスモが出るならワクワクするな、って思ってた。デイトナウィナーとル・マンウィナーの直接対決と言うことで。でも実現しなかったな(´・ω・) >>710
マジレスするとGr.C当時はギリギリで乗り物の免許持って無いんで
TV観戦と文献漁りがメインになる。 乗り物の免許持ってるか持ってないかという年齢なのが
そう簡単にバイトで軍資金でも捻出できるとでも?
幾らGr.C全盛期がバブル全盛期と重なってたってそういうのは条件が揃って出来る事よ。 >>715
まあそんなに深く掘らんでも…
その言い方だと、
「沖縄や北海道なんかの離島からでも行けるけど?」
って話しにもなるよ。 >>666
なんで日産ワークスのやり方の話ししてんのに、ケン松浦という業者の例を出すんだ? 同時期にホンダF1の桜井、後藤組が同じやり方に変えたと言ってた。異論があるなら実例を出してくれ。 >>719
うろ覚えだけど
セナ・プロ時代のホンダエンジンに関しては
後藤治氏の F1解剖講座 だったか 快走F1メモ あたり
ケン松浦 ではなく東名 だと思うけど
本間氏 ラルフシューマッハを扱った本からじゃないかな >>719
サテライトやカスタマーユーザーにも供給して台数を出す理由が、
商売だとか「カテゴリが潰れないための方策」とかいう理由ならデチューン版でも型落ちでも良いけど、
「データ収集」だったら、せっかく数を増やしたのに「増やした分のデータの意味が無くなる」
ってそういう例として、ケン松浦が通常料金で請け負ってる分は全部同じ仕様って例を引いたんだけどね。
たとえば23番を勝たせたいなら23番だけ良いエンジンにすればいいけど、
それだと24番(もうちょっと前なら32番)のデータが使えなくなっちゃうでしょ?
逆に23も24も、さらにルマンやノバやテイクワンも同じエンジン&ミッションでやれば
パワートレイン系のデータは共有できる。
90年のルマンで「同じ車体使ってる同士(NMEとNPTI)はタイヤが違うし改良内容の横連携が無い、
同じタイヤ使ってる同士(NMEとニスモ)は車体が違う」とかいうアホやらかしたのに
懲りて無かったらそりゃ相当だよ。
NPTIの車は6速ミッションになってるっていうけど、これもいつ改造されたものなんだか。
IMSAの規定に合わせて3リッター化(日産純正のVRH30とは別)てのは92年のデイトナ用の変更だけど。 四輪の癖に俺のZZRニンジャと同じ加速するのか、そいつはすげえや >>721
「増やした分のデータの意味がなくなる」なんて理屈は訊いてない。そのほうがいいのは、同型車の2台目を作った昔から当たり前のことだろ。少量生産のレース用エンジンでやるのは難しいから、やってなかっただけ。
いつの時点からメンテ互換がスタンダードなのか、まだそうでないのかも知らないが、レス付けるなら事実について見たことか専門家の発言を引用してくれ。 >>720
ホンダエンジンに関しては後藤さんの著書に書いてありますね。勘と経験の積み上げたレース技術はかなわないけど、生産車メンテ技術を入れて追い抜いたとかなんとか。
東名の件は知りませんでした。F3000開始当初のマーダーエンジンが、利用状況に合わせて部品寿命を調節して節約していたそうで、チューンはともかくメンテは日本のほうが合理的に贅沢にやってた、というのを読みました。 >>724
本間氏の著書は、エンジンの管理の話ではなく
ラルフが服部より性能の低いエンジンが回ってきていると思い込み
服部とエンジンを交換したものの結果は変わらず、
走行データを比較し、自分のエンジンの使い方が悪かったことを理解して
エンジン屋に誤りに行った。といった要旨の話。
同じような話は後藤氏か桜井氏の著書にも出てくる。
ただ逆もあって、高木虎之介が F3000 時代使っていたエンジンみたいに
オーバーレブさせないから、部品の強度を落とすかわりに軽くして
回転を上がりやすくしていた。なんていうのもあったようだから
全員に同じエンジンが回っていたいた。というのも違うみたいね。 日産の開発史を扱った書籍だと
林 義正 氏 ”世界最高のレーシングカーをつくる”
他に何があるかな。 >>702
指圧増加分に対するレシプロ系のWt増加やPsf増加、動弁系の変化分を無視しすぎw >>727
そういう難しい話ではなく
ゲームで車を改造する感覚しかなくて 物が壊れるって感覚がないのだろうな・・・ まーBMW M12/13なんかはマジでその倍々ゲームかと思うような事をやってたんだけど
アレどんだけ頑丈だったんだとw
ビュイックの「リーガル・グランナショナル」V6も、インディ用モデルはメナーズが開発を引き継いだ後に
燃費やドライバビリティはともかくパワーだけならイルモア・メルセデスのスペシャルエンジンに比べてすら
大きく引けを取るものではなかったというし、結局IRL初年度の96年まで改良を繰り返して使われる。
相当耐久性重視で頑丈に作られていたという点ではそれらと似た要素もある
VRH35Zの場合に、ホントの限界値は実際どんなもんだったのかね。
1000馬力だか1500馬力から先は「社内に測れるベンチが無かったんで推定値だった」
とかいう話が何かの文献で触れられていたと記憶するし、
当時のままのコンディションを維持してるユニットはほとんど残ってないだろうと考えると
実際に試すのはもう不可能だろうけどね。
材料とかが用意出来たとしても「試すだけのために新造する」ってのが意味があるかという話になるし。 航空レシプロエンジンならこういう話もあったのを踏まえたネタ。
http://stanza-citta.com/bun/2008/06/14/92
1941年Grade100/130燃料の1150馬力から1944年にはGrade200/300燃料で、2700馬力と。
当然内部もかなり手を入れて改良してるはず。 BMWのF1エンジンは過給圧を上げていくとガスケットがヤられてエンジンが壊れるので、
「ヘッド」と「ブロック」を「溶接」した。
その元ネタは、同じく「直4+ターボ」の「ハート」エンジン。
じゃなかったっけ? ウェイストゲートがあるべき場所にフタ付けて走らせたってのは予選の話じゃなかったかな。
86年に直立型を使ってたベネトン時代の体験談としてツガーさんが明かしてる。
ユニット数が充分に無いと溶接はキツいんでないかな。力の逃げ場が全く無いところに
バカブースト掛けちゃうと歪むじゃ済まなくて腰上丸ごと爆発しかねないってことになるから
さすがにそれはエンジン以上にモノコックと運転手を幾ら用意しても足りない。
かえってガスケットがヒューズになってくれた方がまだ安全だってなるかと。
そっち系の話でいうと、確か86年のルマンでは、トムスの方の86C-Lは
ウェイストゲートの不具合でガスケット吹き抜けたのがリタイヤ原因だったと。 >>753
R89Cを90CPに改造していた奴涙目だな。
カルソニックとゼッケンを変えればYHPになるし、改造すれば92CPになる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています