【Gr.C】グループCを語るスレ其の25 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/f1/1464011533/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured デフロックという言い方はちょっと。もとからただの棒だw 917の開発時にデフロック率を変えてテストしてたらロック率上げる程早くなるんで
結局デフ要らないねってことになった >>58
そうスキッドパッドテストで得た結論だとポールフレール著「レーシング
ポルシェ」に書いてあった。 でも相当乱暴な話で、ていうのはスキッドパッドで定常円周回して、タイムを
出するときって
最大Gをかけ続けてる状態ってことになるから、リミテッドスリップデフの
効能の一部しか評価してないんだよねw アンダーと言えばモノコック剛性不足も
原因だとか、アルミハニカムの962GTiとか
クレーマーのカーボンモノコック
シュバンのアルミにカーボンを被せたもの
とかどうだったの?
あとRLRのハニカムモノコックの市販版
トンプソンって、どのくらいのプライベーター
が使ってた? それについてはレーシングオンの特集号にほぼ知りたいことが
書いてある。バックナンバー取り寄せて読むのが得策。 左右直結はユノディエールの直進性向上だとか片輪バーストしてもミッション傷めずピットまで戻れるからだとか色々話があるけど、
総合的に判断した結果なんだろう。開発初期にはLSD付けてたらしいけど
>>61
モノコック剛性高めてもリアセクションが貧弱なままで捩れてたからハンドリング改善の効果は大してなかった >>57
NASCARじゃあるまいし独立サスペンションなのに
昔のプラモの駆動軸みたいに歯車付いたただの棒じゃ困るだろw
けど実際どうなってんだろ。ミッションからの入力を受けて横向き変換する
ベベルギアから、左右のハーフシャフトの受けになるCVジョイント付きシャフトの生えた
コマみたいな形したものがデフケースの中にゴロっと1個入ってるという感覚で良い?
後々962に発展させてデイトナで運用させることまで想定してたかどうかは分からないけど
流石にスタッガーセットはしないまでも(インフィールドセクションでは右にも曲がるし)
1周の大半で差動掛かりっぱなしではリミスリぶっ壊れる可能性がある、
かといってオープンデフでは走れたもんじゃないというところまで考えると
ソリッドアクスル標準であることはデイトナでも効果的だったかもねぇ。 956の透視イラスト探して見て御覧。どんなもんか描いてあるよ。 >>64
透視図なんてそっこら中に掲載されてんのに一体何行書いてんだよ… 91年のルマンの905ってヘッドライトついてたよね?
レース序盤はライトが黒いままだったけど、あれは途中でライト付きのカウルに変えたの?
それとも序盤はライトに黒いカバーなりを着けてたの? ジャガーはXJR−14の24時間仕様カウル持って来なかったね。 レギュレーション上はライト無いと駄目だから
少なくとも外側2灯は付いていて、天候急変時とかには
スモークのカバーなりテープから透けて光るというJSPCでよくある仕様で
夜までもったら4灯カウルに替えるという腹積もりだったのでは?
>>71
そもそもXJR-14のナイトラン用カウルというもの自体が存在したのかどうか…。
MX-R01に付いてたアレがそのものずばりだったら
そりゃーマジでストラウドの出番は実戦でマイナートラブル出るまで
マジで無かったわけだわ。 >>46
767Bは3台あって各々の車体番号までは分からないけど
・スターフィールドが所有してるやつ(元静マツTrident767B)
・89年にフィニッシュラインカラー(白)でルマンでクラス優勝した後
赤池レーシングに放出されてDFR換装されオートラマフォード767B
→退役後にタイサンに渡ったとされる車両
・主にチャージカラーで使用されて90年のルマンでクラス優勝、
その後マツダが所有し続けていたとされる車両
…という内訳なので、古くから海外置きっぱは基本的に無いんじゃない?
みんな基本的に退役後に一度は日本に戻ってきてる。
スターフィールドの1台以外のどちらかが放出されたってことでは。 ジャガーXJR−14は、元々決勝走らせるつもりがない車だから
プジョーは905しか持っていないから
これで出走せざるおえない。 http://www.racingsportscars.com/covers/_Le_Mans-1991-06-23e.jpg
ジャガーは XJR-14 のドライバーに
XJR-12 の 1・2ドライバーを起用していることからも
走らせる気のなさをうかがわせる。 当初「一応決勝出て最初のピットストップまでは走らせる」って言ってたのが
「やっぱり決勝出ない」になったもんね<XJR-14 「本当にトップタイムが出てポールポジションを取れればスタートはするよ」
じゃなかったっけか。
デイトナの場合(というかIMSA全般)は出走登録さえしてあれば
割とフリーダムに途中乗り替わりOKな規則になってたけど、
ルマンの場合その辺はどうなってたんだっけか。
88年のルマンで#23が終盤でリタイヤした後で鈴木亜久里が#32に乗り替わりした例はあったけど
入賞圏外だったうえに終盤の短時間だったからこれはポイント計算上は関係無い事例として。
レース中の乗り替わりが問題無いのであればXJR-14が壊れたり撤退したあとで
最も調子の良いXJR-12に乗り替えてポイントが貰えるだけの周回数を回れば良い訳だよね。 XJR14 から乗り換えさせるのであれば、
XJR12 には 3・4ドライバーとして登録するはず 90年のルマンでブランドルが3号車に乗り換えてサラザールから
ルマン優勝を奪い取っただろw
ウォーキンショウの贔屓じゃないドライバーに対する冷遇振りは鬼レベル エースドライバー、セカンドエースの力量を生かすために
1stカー、2ndカーのドライバーを
控えの 3rdカー(以降)の3rdドライバーに登録する。 >>81
手元のル・マンの1990年のプログラムと年鑑に載ってるのだと
ブランドルは1号車のドライバーでクルーはアラン・フェルテとデビッド・レスリー
3号車はジョン・ニールセン/プライス・コブ/エリセオ・サラザールになってるぞ
ルマン恒例の車に乗ってのパレードの写真でもそうなってるからエントリーは
上記ので間違いない。ブランドルは1号車がリタイアしたから乗り換えたんだよ 1978 ルマン
http://www.racingsportscars.com/photo/Le_Mans-1978-06-11.html
イクスを生かすために 本来の #5 936 のほか 乗り換えた #6 936 の他に
#43 935 に listed, never drove(補欠登録?) って、、、935 乗ってもしょうがないと思うんだけど。
#5,6 各6名登録
78鈴鹿耐久だと、正副ドライバーの他、補欠1名
補欠は他の参加車両の正副ドライバーと登録していても良い
となっていたようだけど、ルマンは、いったい何人登録できたんだか 88年のWEC Japanはブランドルがチャンピオン獲得のために2台ともエントリーしてた気がする。
そして90年頃のSWCでそれをやったら失格になったことがあったような記憶が。 もしかして予選だけ乗ったりしたんじゃ?
で、3人に何かあった場合の乗り替わり要員として確保してあったと。
デイトナ24時間での92年のニスモのオロフソンみたいな立ち位置。
91年もNo.55の3人が逆にNo.18とか他の車にも登録してあったりしたはず。 >>85
栄光のルマンのころは確か
同一チーム内で乗り換え自由
じゃなかったかな。 ルマン 偉大なる耐久レースの全記録 (1999年発刊 桧垣和夫著)を見ると
1970年以降は、
・1台に搭乗できるのは3名
・同じチームの他のマシンへの乗り換え可(ただし2台まで)
となっている。 >>90
おおあの本か
持ってるわw
99年のレポートの最後にその後のルマンを暗示するようなことが書いてあったよなぁ https://youtu.be/MjACTkTFmHU
92年ル・マンの車検の模様だけど
マツダMX-01のドライバー出入り口って
24時間レース用に、ドア式に改造しなかった
ンですね。ローラのジャッドエンジンと
マツダが使用したジャッドエンジンは
91年にスクーデリア・イタリアが使ってた奴? MX-01 のベースになった ジャガーXJR-14 のモノコックを見ると
ウインドウ近くまでモノコックの高さがあるから
3.5L 規定になる前の世代の Cカーのようなドアはつかないでしょ。 MX-R01のエンジンはジャッドGV10をベースにマツダが改良した代物
ブロックも設変加えてるしGV10そのままではない TWRジャッドでマツダとはね。まあTWRフォードでジャガーだったけど。 IMSA仕様のバドライト・ジャガーはあの「取り外し窓」にヒンジ追加してるけど
あれは確かIMSA-GTPの規定に合わせるために
ルーフインテークの形状を大幅に変更したのとセットだったはず…。
「インテークがルーフの高さを超えてはいけない」という規定に合わせるために
最初はインテークを切って低くしていたのを
屋根そのものをバブル状に膨らました両側にインテークを生やす形状にしたことで
ヒンジを付けるスペースが出来たのでは。
その必要のないMX-R01にはフィードバックされなかったんだろうね。
逆にIMSA-GTPではルーフより高い位置にシュノーケルダクト付けたら駄目ってことは
Trident767B(現スターフィールド所有のあの個体)のあの仕様は
厳密にいうとマズいことに…まあ音量規制関連とかも含め
本家IMSAとFIAやJAFのGTP規定は厳密には同じでない部分があるようだが。 >>94
92年の「F1大百科」によれば
「アンドレア・モーダが91年日本GP時点で見せてくれた見積書で ジャッドV10買い取り価格=27万5000ドル」だったそうだ
当初見積もりの35万ドルを27万5000ドルまで値切って契約した模様
マツダはいくら払ってたんだろうね >>100
実際にはアンドレアモーダは踏み倒してたか焦げ付いてたかで
どっかの段階でジョン・ジャッドがキレてECU渡さないっていう非常事態になってた記憶が…。
で、ブラバムのスペアを借りたかなんかして当該レースを乗り切ったという話になってたはず。
「だったはず。
のでは。
だろう。
ようだが。」
の手の話を親の仇のように嫌悪する人がどう言うかは別としてね。
氏の方がおそらく当時のF1やSWCのテールエンダーのヘッポコぶりを知らないよ。
今思うとアキュラ・スパイスって排気量弄って無ければ3リッターそこらだったはずで、
カテ1のプライベーター共のヘッポコ振りを考えたら
参戦登録さえしておけばルマン24時間で悪くはない戦績を残せたのでは…。 R'on の Cカーシリーズ、マツダはまだ出てないよね。
(GTPが多いというツッコミは無しよ) 717C,727C,737C,757,767,787,MXR-01 マツダ マーチ ターボ、MCSグッピー 、ローラ
番外編で シグマMC と シェブロンB16
結構あるな 737Cまでのムンクラ設計のやつとグッピーマツダ、ザリガニローラがC2カテゴリで
マーチ84Gマツダターボが(おそらく唯一の)C1カテゴリか…。
オートラマフォード767Bはありゃマツダ車に含めて良いんかね…。
クラス分け上はあれFIAカテゴリー1扱いになる? IMSAしか走っていないから、このスレの対象外かもしれないけど
北米マツダかなんかの RX792 もあるな。
あとコンストラクター系の車がありそうな気がする。
>105 オートラマフォード767B
2つのマニュファクチュアの合成だからね。どっちなんだろう
エンジンメーカー優先なのかな。 昨日暑くて寝付けなくて、ニコ動見てたら1991年富士1000kmあった。
最高に燃えたレースだったな。ナマで見れてほんと良かったレース。
おまえらの心に残るCカーレースは? 89年の富士LDシリーズはシーズンを通して好きだけど、
1000km 春・秋、
90年の 富士1000km 秋 85年富士500マイル 鈴鹿1000km WEC-JAPAN
88年富士500マイル
90年富士500マイル
91年鈴鹿1000km 菅生500マイル 90年富士500マイルって、Jハーバートが
英国オートスポーツの年間ベストドライバー だかに
選ばれる理由になったレースだったか 和田や長谷見の事故に居合わせた人が居るのか…
自分は、金曜の練習走行でニッセンの事故があってレイトンの1台が欠場になることを日曜の朝に現地で知ったよ
88年だったと思うけど ハーバートがマシンから降りて 和田孝夫を助けに行ったレースなら1991年かな。
あれが今のSGTだったらペースカーランの途中で周回数の調整をしたかな? >>113 グラスタで、突然まわりが絶叫しているので、1コーナー見たら
YHPが dでいた…
>>109 91年鈴鹿1000`
暗闇の1コーナー、優勝目前の23が火花&スキール音で止まるのを
目撃。 >>114
すまぬ。ご指摘の通り 91年でした。
89年の富士500マイルでも転倒大破があって
最速アマチュア バリラ と 続いてフーシェ が安否を気遣い停車 ※
その後追い上げ フーシェ組 2位、バリラ組 3位
トップがチェッカーを受けても誰も拍手しない
2位、3位が揃って最終コーナーに姿を現すと一斉に拍手したのが印象に残っている。
勝てなかったのは残念だけどファンの拍手で満足。次は勝つからね。
そして次戦 富士1000km は、この2チームが優勝を争うのであった。
※無人のバリラ車が動き出し2次事故が起こったらどうすんの?
と、物議をかもしだす。 誰の事故だか書いてもらわないと判らん、もう昔のことだから
「アーッ、外逝っちゃった!」の富士でのディケンズの事故もあったけど何年だったか
和田や長谷見の頃はもう1コーナーの拡張工事の後だったから大事に至らなかったけど、
それ以前はそうもいかなかったなぁ >>116
エンジン切ってギア入れて止めてりゃ動かないんじゃない? >>118
それをやらなかったから問題になったわけ >>117
91年富士1000km。
記憶に残るクラッシュはあと86年富士500マイルのイクザワ86C。 そのイクザワに搭乗してたのは誰?
あと、マツモトケイジがCカーでフワリしたのって何年? >>119
でも、本当はそこを文句言うならお前らも助けに行けよだし
(で、かつ停めてる状態に問題がある車が居たらそこを直しておく)、
オーガナイザーも即フルコースコーションなり赤旗ってところだと思うんだけど。
WSPCのモントリオールのマンホール事件の時も
映像見ると直接は事故に巻き込まれてないと思われるポルシェの人が
1人救助に走ってるけど
https://www.youtube.com/watch?v=hMcGuAgySDI
直後に赤旗振られてる。
言っちゃーアレだけどコース上はほぼクリア
(奥の方でスピンしてるハイドロアルミニウムカラーのブルン以外は全部ランオフに居る)で
あとは危険個所はマンホールの外れた穴のところだけなので
日本の感覚だったら「ここだけ黄旗」でレース続いちゃいそう。 >>109をスルーして>>119にレスするあたり、
やっぱり>>122 はリアルタイムで当時のレース見てないんだろうなぁ… エスケープロード というか 旧コース部分でクラッシュした車に
赤旗なんかださないよ。 >>128 うまく貼れていないので
スポーツカー耐久 500mile 500マイル 800km で検索すると 18件
富士 1977-1992
鈴鹿 1978,1979 (1000kmの代替イベント、79年は夜間走行あり)
SUGO 1991
マツダエンジン搭載車7勝(ただし、Gr.C 以前)
ポルシェ7勝
Gr.C以前はマツダ、Gr.C時代はポルシェが一時代築いていたとが言える。
片山 義美 4勝(ただし、Gr.C 以前3勝)
佐藤 文康 3勝(ただし、Gr.C 以前)
V.シュパン 3勝 1985年 日産VG30デビュー
1986年 ル・マン完走日産凱旋 トヨタ3S−Gデビュー
1987年 ル・マン7位マツダ凱旋
1988年 トヨタ88C−Vデビュー
1989年 日産R89C国内デビュー
1990年 ル・マン5位日産凱旋
1991年 ル・マン優勝マツダ凱旋
主催者発表で7万も入るレースだった …となると観客動員が失速し始めたのってどの辺り?
「日本車がポルシェに挑戦して勝てそう→時々勝てる→ついに勝った」
って辺りは明らかにピークとして、
逆にポルシェ勢が完全にノーチャンスとなって撤退が相次いで
国産ワークス勢+型落ちサテライトだけになり台数減少が止まらなくなった
…とかいう辺りからかな。
興行として成り立っていてメーカーやスポンサーのPR効果も維持出来てる状況なら
うまいことコストをコントロールしながらサテライト向け供与台数や供与価格で配慮することで
参戦台数を維持してシリーズを継続させるのが不可能でないところ、
93年にはIMSAより1年早く崩壊に至るからね。 ノバEngが「7台目の日産R90-CK(ローラR90C-07、もしくはT90/10-07)」を
自ら購入して日産エンジンの供給を受けて運用していたということは
R90CKシャーシそのものと、最新スペックとは言わないまでもVRH35エンジン自体は
ある程度の量産は効いたと考えて良いのかね。
ならば例えばNPTI仕様みたいに鋳鉄ブレーキ+PFC社製カーボンメタルパッドの組み合わせとかで
ある程度低コスト運用出来るパッケージをカスタマー向けに設定したり、
NPTIの開発してた3リッター仕様を「それならIMSA-GTPクラスに編入されます」ということで
(マツダワークスは91年一杯でGTPクラスから、92年一杯でJSPCからも撤退表明してるので
静マツ含めマツダスピードから中古車を放出される可能性のあるユーザーとの利益調整さえ出来れば良い)
さらに低予算パッケージは作れるということに。
それでも3リッターターボ車は重量面で2リッター級ターボ車(例:4気筒系トヨタ車)とか
ロータリーエンジン車とは各々違った重量区分になるし、
「Gr.C混走カテゴリでのGTPカーの燃費規制」には縛られることになるから
いざGTPクラスに編入されることになったからといってR90CK無双となるとは限らないわけだけど。
古臭い4発トヨタもマツダロータリーと同程度の重量に削減して良いとなれば話は違ってくるし。 結局JSPCは「その後どういう企みがあったにせよカテゴリとして続ける意図がなかったし
ワークス以外のエントラントの思惑なんか考えちゃいなかった」これに尽きるね。
ポルシェだって「プライベータークラス」はGTPに編入しちゃう手があって、
「C1」は日産とトヨタのワークス各2台とサテライトカーと、
「市販車」でもあえてC1に出ようという何台か、という都合数台でも成立しうるし。
それならGTPクラス込みで10台くらい、何ならアメリカに倣ってGTSやGTUが混走しても
果ては昔のGCカーが出てきても良い。要は「危ない程の速度差が無いクルマ」は居ても良いと。
鈴鹿1000kmのRSカテゴリの例を見ればご承知の通り。
まさかストレートで追突するようなドアホウがC1クラスに出る訳があるまい。
「幻のICL」第一世代の時に賑やかしで作ったR32GT-RとS13シルビアのGr.5モドキみたいのは
結局JGTCが始まってからプライベーターに二束三文で売る程度の価値しかないくらい
やる気のない代物だったし。アレが今どこで朽ち果ててるのか知る由もないわ。
…程度からいえば例のチェイサーみたいな形のNASCARの出来損ないと大差ない。 あ…いや、第一回の十勝24時間耐久に出たカーグラの某記者が、
「ワークスのGT1マシンで出てるのに周回遅れのN1マシンをナイトセッションで
脅し紛いに煽ってくるドライバーが居た」って編集後記で書いてるの思い出した。
あえて実名こそ明かさないものの、ほぼ誰だか推定できるような形でね。
そんな連中だったら最高速400km/hを誇るマシンで
相応の速度の出るストレートで格下クラスのマシンを紳士的に処理する方法を知らずに
常識外れた事故を起こす可能性は十分に考えられるか。
そうしたドライバーの「質の劣化」を考えると
止め時だったかもしれんなー…。件のドライバーと思しき人物は既にGTからも引退してるはずだが
そんな連中だとGT500でも過ぎた玩具だ。
実際ペースカーで人殺しかけた(というか選手生命的には殺した)
「元耐久王」も居るくらいだし。 Group C Cars Racing at Spa-Francorchamps with 3D Binaural Audio!!
https://www.youtube.com/watch?v=nAooPmwR1m0
バイノーラル録音だからヘッドホン使ってな また長文かよ
以前いた ”Cカー列伝” 投稿者氏みたいに
自分のスレ立てて持論をてんかいしたらぁ >>132
VRH35はコスト度外視で高価な素材使ってて、部分的には後のYR40Tに性能で優れていた。
例えばカーボンが排気系に一切付かない程のリーンの燃調(≒超高温の排気温度)でもピストンが溶けないなんて一体どんな素材だったんだか。
工数的には知らんが、GTのポルシェ程の数ならともかく量産ライン組む訳じゃないし。
グループC末期のポルシェはスプリント仕様はエンジンライフ短いから1レースで1基必要だけど
日産はル・マン仕様で一台あたりシーズン二基(ル・マン用とその他でそれぞれ一基)あれば最低足りるから走らせてる台数の割にはエンジン作ってないかもね。 その前のVRH30ってやつ(R88Cの初期型に載ってた?)は
無論性能的には落ちると思うけど、R89Cに引き継ぐ直前のR88CがVRH35に換装してたようなので
ある程度形状互換なのかもしれないけど、それも含めればある程度は数出ないかなとか…。
あとは何しろNPTI製のVRH35改3リッター仕様(92年のデイトナ24時間仕様。最低でも3台分+スペアがあったはず)
というのがどういう内容だかがこれまた分からないし…。
ニスモ製の89年仕様の「無印VRH35」と90年以降の「35Z」で仕様が違うらしい
(というのは日本語版Wikipediaの当該項目)
というのに加えてNPTIでもメンテナンスや排気量ダウンまで含めた開発環境があったとすれば
型落ち用パーツやらNPTI製3リッター/3.5リッター型と色々組み合わせれば
結果的にある程度の「量産環境」は確保出来たんではないかなと…。
NPTI自身はデイトナ以外では91年/92年共にR90CKを使っていないので
(基本的にNPT-90系+VG30。92年の後半はVG30改2.5リッター型も投入)
自社のレース活動に加えてさらにVRH系ユーザー2〜3台+スペアの面倒見る余裕はあったかと。
さらに自社のレース活動を休止した93年には、NPT-90を売却したジャンピエロ・モレッティのチームや
カニンガム・レーシングの300ZXのエンジンの面倒を見てたから
それこそ3リッター型にせよ3.5リッター型にせよ数台単位でいけたんでは。
それに加えてニスモと、「信頼できる外注屋さん(東名とか)」まで含めれば
何台分のVRHを用意出来たかは分からないってなりますね。
トヨタにしてもTRD・トムス・トリイレーシング・松浦と総動員すれば
結構な数作れそうだし。 バブルが弾けたの知らんの?
弾けたままで四半世紀。 「弾けたなりの予算で開発ペースを落とした状態でレースをやる」
ってんじゃ駄目かね…。その時点で400m/h出るクルマにはなってたことだし。
CARTなんかはフォードワンメイクになった最後の2〜3年程はオーガナイザーとの相談で
「ブースト少し上げたかわりに回転数をだいぶ落とす」って形で耐久性を維持したエンジンで
コストダウン図るアイデアで2000年代初頭まで基本構成変えないまま繋いでた。
カスタマー向けに多少簡略化したエンジンを幾らで出すことが出来たかというのもさることながら
エンジンレスのR90Cが1台幾らで入手出来たのか
(ノバは7号車を購入したということだから、何らか条件を満たせば買うことは出来た可能性がある)
って話にも。
もしくはマツダに787Bの新車(003同等車もしくは+α)オーダーする人が居たら
売ってはもらえたかどうかとか。
アルミハニカム時代のトヨタCカーはトムスに頼むと新車すら作ってもらえたから
物凄い数がある(米山二郎さんみたいにトヨタ積まない目的で作ってもらった例すらある)よね。
図面とかはあるんだから90年代に入ってアレ下さいっていうのも可能でしょ。
途中からハニカムパネルになってるから安全面では962GTI辺りと変わらんし。
で、コスト落とすとなれば件のCARTの例みたいに燃費に加えてブーストや回転数の上限を設けたり
カーボンディスク禁止したり、とか幾つか方法はある。
何だかんだでルマンでそうしてたみたいに最低でも94年くらいまでは
もたせられたんじゃないかね。
ワールドスポーツカー混走可とか言ったら千葉さん辺り333SP持ってきたり
郷さんがGT選手権に愛想つかせてWSC95持ってきたりとかやりそう。 88C まで いわゆるトヨタ系Cカー※って
トムス・童夢の車であって、トヨタの車じゃないんだよな。
どのエンジンをトヨタを積むか、コスワースを積むかは
ユーザーの選択。
※サード、MCSを除く WSCスポーツカー や Gr.Cスポーツカー(だったかな)ではなく
GT路線を支持したってことは
だれもやる気がなかったってことでしょ。
せいぜい マツダ(寺田氏)とかなり後になって
童夢、無限、一つ山くらいで >>140
WSC最初の年って大メーカー皆無だったから狙い目だったんだよね。なのでデザイン持ち込みで零細コンストラクターで車作るとこまではやってみたw ←アホw >>142
ローラ日産みたいなもんで「あくまでトヨタの依頼で作ったもの」であって
トヨタにお伺いを立てなければ売っちゃいけないのかと思ったら実際は案外アバウトだったと…。
ルマン商会のLM0x系も日産エンジンの供給絶たれた最終モデルはトヨタ積んでたし
初期の頃は適当だったのかな。
もっとも米山さんはコスワースを積むからOKが出たのであって、
日産やマツダを積むつもりのユーザーからの購入希望だったら問題出たのかもしれないか。
そこは「DFRを積む予定だから767Bを売ってもらえたのか、何を積んでも良い条件だったのか」
みたいなもので。
そういう縛り全く抜きでエンジンは自由に選びたいという話になると、
それこそプライベーターが選びうる現実的な選択肢はそれこそスパイス辺りしか無かったかな。
GTP用とFIA-C1用でどこがどう違うのか未だに分からないけど(空力規定の違いに合わせた程度?)
F1用カスタマー3.5リッターV8から、確かランボルギーニ(QVXやコンラッドとは別。F1用V12)とか
フェラーリ(F1用のV12では当然なく、確か348かなんかの量産エンジン)、NSX用V6に加えて
アメリカンV8の搭載例もあって各々それなりにバランス取れて走ってるから。 >>140
IMSAワールドスポーツカー初年度って
大半はとりあえず既存のGTPカーをフラットボトム化したうえで屋根叩き斬っただけじゃなかった?w
ターボカーは「リストリクターハンデが非常に厳しかった」というだけで
IMSAのシリーズにも別に出てはいけないというわけではなかった由。
マツダがR26Bか13Jかに関わらず4ローター→3ローターに退化したのは何故かね…。
これもリストリクターとか制限重量とかで折り合わなかったのか、
もしくは92年一杯でメインストリームから撤退したから対応出来なかったということか。
RX-792Pも「93年以降も続けたかったけど唯一日本からの供給に頼っていたエンジンだけが
確保出来なかったために止めざるを得なかった」的なことが
↓の英語版Wikipediaの記事にはあるし。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mazda_RX-792P
北米マツダ自身は予算を確保していて「ただ足りなかったのはエンジンだけだった」
というならなおのこと惜しい…。「そんじゃ最低限必要な物と手の空いた人間を送るから
全部そっちでやってくれ」とでも言ってくれれば…。 深夜になると沸いてくる…。よほどつらい私生活をおくってるのだろうな。 >>146
赤池号w
あれのシャシーナンバーいくつだったんだろう? トムスのCカープロジェクトは、
童夢にシャーシ設計、トヨタにエンジン供給を依頼したプロジェクト。
トヨタがWRC用エンジンのテストの一環として受けた。
トヨタから供給を断られた時の保険として DFL の搭載も考慮している。
ただ、あまり周知されていないし、無視されたレギュに、
マニファクチャー名を強調するため、ネーミングはマニファラクチャー名を先にする。
というのがあるので車両名は トヨタ・トムス(もしくは 童夢)84C 等になる。
日産のように、長谷見や星野に運営を依頼したのとは全然違う。 >>150
3台あってスターフィールドにあるやつが元静マツ号、マツダ所有のは
最後までワークスカーだった個体のようだから消去法だろうね。
割とおなじみなここの資料だと767Bフォード→001 Trident767B→002だけど、
http://www.asahi-net.or.jp/~ip3t-nksn/Pages/B-grc/HIS-767B.htm
Wikipediaのマツダ767の記事にあった現スターフィールド号のコクピット画像を見ると
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/85/Cab_of_767B.JPG
「767B-001」というようにも読めるから001と002は売却先が逆の可能性も。
それだと767Bフォードの方が002では。
それより先だってオークション記事に出てた個体の来歴
(シャーシナンバー003、片山義美さんが引退レースで使った、JSPCで6位入賞等)を見る限り
https://carnny.jp/4157
https://carnny.jp/4157/2
こっちがマツダにあったやつかよ…。 自分の長文に対して 自分で長文のレスをする・・・。
もう末期ですね・・・。 ところで30年前のCカーに夢中になった連中ってことはこのスレの住人はアラフィフだろ?
30年後には死んでるぞw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています