【Gr.C】グループCを語るスレ其の25 [無断転載禁止]©2ch.net
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/f1/1464011533/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 昨日暑くて寝付けなくて、ニコ動見てたら1991年富士1000kmあった。
最高に燃えたレースだったな。ナマで見れてほんと良かったレース。
おまえらの心に残るCカーレースは? 89年の富士LDシリーズはシーズンを通して好きだけど、
1000km 春・秋、
90年の 富士1000km 秋 85年富士500マイル 鈴鹿1000km WEC-JAPAN
88年富士500マイル
90年富士500マイル
91年鈴鹿1000km 菅生500マイル 90年富士500マイルって、Jハーバートが
英国オートスポーツの年間ベストドライバー だかに
選ばれる理由になったレースだったか 和田や長谷見の事故に居合わせた人が居るのか…
自分は、金曜の練習走行でニッセンの事故があってレイトンの1台が欠場になることを日曜の朝に現地で知ったよ
88年だったと思うけど ハーバートがマシンから降りて 和田孝夫を助けに行ったレースなら1991年かな。
あれが今のSGTだったらペースカーランの途中で周回数の調整をしたかな? >>113 グラスタで、突然まわりが絶叫しているので、1コーナー見たら
YHPが dでいた…
>>109 91年鈴鹿1000`
暗闇の1コーナー、優勝目前の23が火花&スキール音で止まるのを
目撃。 >>114
すまぬ。ご指摘の通り 91年でした。
89年の富士500マイルでも転倒大破があって
最速アマチュア バリラ と 続いてフーシェ が安否を気遣い停車 ※
その後追い上げ フーシェ組 2位、バリラ組 3位
トップがチェッカーを受けても誰も拍手しない
2位、3位が揃って最終コーナーに姿を現すと一斉に拍手したのが印象に残っている。
勝てなかったのは残念だけどファンの拍手で満足。次は勝つからね。
そして次戦 富士1000km は、この2チームが優勝を争うのであった。
※無人のバリラ車が動き出し2次事故が起こったらどうすんの?
と、物議をかもしだす。 誰の事故だか書いてもらわないと判らん、もう昔のことだから
「アーッ、外逝っちゃった!」の富士でのディケンズの事故もあったけど何年だったか
和田や長谷見の頃はもう1コーナーの拡張工事の後だったから大事に至らなかったけど、
それ以前はそうもいかなかったなぁ >>116
エンジン切ってギア入れて止めてりゃ動かないんじゃない? >>118
それをやらなかったから問題になったわけ >>117
91年富士1000km。
記憶に残るクラッシュはあと86年富士500マイルのイクザワ86C。 そのイクザワに搭乗してたのは誰?
あと、マツモトケイジがCカーでフワリしたのって何年? >>119
でも、本当はそこを文句言うならお前らも助けに行けよだし
(で、かつ停めてる状態に問題がある車が居たらそこを直しておく)、
オーガナイザーも即フルコースコーションなり赤旗ってところだと思うんだけど。
WSPCのモントリオールのマンホール事件の時も
映像見ると直接は事故に巻き込まれてないと思われるポルシェの人が
1人救助に走ってるけど
https://www.youtube.com/watch?v=hMcGuAgySDI
直後に赤旗振られてる。
言っちゃーアレだけどコース上はほぼクリア
(奥の方でスピンしてるハイドロアルミニウムカラーのブルン以外は全部ランオフに居る)で
あとは危険個所はマンホールの外れた穴のところだけなので
日本の感覚だったら「ここだけ黄旗」でレース続いちゃいそう。 >>109をスルーして>>119にレスするあたり、
やっぱり>>122 はリアルタイムで当時のレース見てないんだろうなぁ… エスケープロード というか 旧コース部分でクラッシュした車に
赤旗なんかださないよ。 >>128 うまく貼れていないので
スポーツカー耐久 500mile 500マイル 800km で検索すると 18件
富士 1977-1992
鈴鹿 1978,1979 (1000kmの代替イベント、79年は夜間走行あり)
SUGO 1991
マツダエンジン搭載車7勝(ただし、Gr.C 以前)
ポルシェ7勝
Gr.C以前はマツダ、Gr.C時代はポルシェが一時代築いていたとが言える。
片山 義美 4勝(ただし、Gr.C 以前3勝)
佐藤 文康 3勝(ただし、Gr.C 以前)
V.シュパン 3勝 1985年 日産VG30デビュー
1986年 ル・マン完走日産凱旋 トヨタ3S−Gデビュー
1987年 ル・マン7位マツダ凱旋
1988年 トヨタ88C−Vデビュー
1989年 日産R89C国内デビュー
1990年 ル・マン5位日産凱旋
1991年 ル・マン優勝マツダ凱旋
主催者発表で7万も入るレースだった …となると観客動員が失速し始めたのってどの辺り?
「日本車がポルシェに挑戦して勝てそう→時々勝てる→ついに勝った」
って辺りは明らかにピークとして、
逆にポルシェ勢が完全にノーチャンスとなって撤退が相次いで
国産ワークス勢+型落ちサテライトだけになり台数減少が止まらなくなった
…とかいう辺りからかな。
興行として成り立っていてメーカーやスポンサーのPR効果も維持出来てる状況なら
うまいことコストをコントロールしながらサテライト向け供与台数や供与価格で配慮することで
参戦台数を維持してシリーズを継続させるのが不可能でないところ、
93年にはIMSAより1年早く崩壊に至るからね。 ノバEngが「7台目の日産R90-CK(ローラR90C-07、もしくはT90/10-07)」を
自ら購入して日産エンジンの供給を受けて運用していたということは
R90CKシャーシそのものと、最新スペックとは言わないまでもVRH35エンジン自体は
ある程度の量産は効いたと考えて良いのかね。
ならば例えばNPTI仕様みたいに鋳鉄ブレーキ+PFC社製カーボンメタルパッドの組み合わせとかで
ある程度低コスト運用出来るパッケージをカスタマー向けに設定したり、
NPTIの開発してた3リッター仕様を「それならIMSA-GTPクラスに編入されます」ということで
(マツダワークスは91年一杯でGTPクラスから、92年一杯でJSPCからも撤退表明してるので
静マツ含めマツダスピードから中古車を放出される可能性のあるユーザーとの利益調整さえ出来れば良い)
さらに低予算パッケージは作れるということに。
それでも3リッターターボ車は重量面で2リッター級ターボ車(例:4気筒系トヨタ車)とか
ロータリーエンジン車とは各々違った重量区分になるし、
「Gr.C混走カテゴリでのGTPカーの燃費規制」には縛られることになるから
いざGTPクラスに編入されることになったからといってR90CK無双となるとは限らないわけだけど。
古臭い4発トヨタもマツダロータリーと同程度の重量に削減して良いとなれば話は違ってくるし。 結局JSPCは「その後どういう企みがあったにせよカテゴリとして続ける意図がなかったし
ワークス以外のエントラントの思惑なんか考えちゃいなかった」これに尽きるね。
ポルシェだって「プライベータークラス」はGTPに編入しちゃう手があって、
「C1」は日産とトヨタのワークス各2台とサテライトカーと、
「市販車」でもあえてC1に出ようという何台か、という都合数台でも成立しうるし。
それならGTPクラス込みで10台くらい、何ならアメリカに倣ってGTSやGTUが混走しても
果ては昔のGCカーが出てきても良い。要は「危ない程の速度差が無いクルマ」は居ても良いと。
鈴鹿1000kmのRSカテゴリの例を見ればご承知の通り。
まさかストレートで追突するようなドアホウがC1クラスに出る訳があるまい。
「幻のICL」第一世代の時に賑やかしで作ったR32GT-RとS13シルビアのGr.5モドキみたいのは
結局JGTCが始まってからプライベーターに二束三文で売る程度の価値しかないくらい
やる気のない代物だったし。アレが今どこで朽ち果ててるのか知る由もないわ。
…程度からいえば例のチェイサーみたいな形のNASCARの出来損ないと大差ない。 あ…いや、第一回の十勝24時間耐久に出たカーグラの某記者が、
「ワークスのGT1マシンで出てるのに周回遅れのN1マシンをナイトセッションで
脅し紛いに煽ってくるドライバーが居た」って編集後記で書いてるの思い出した。
あえて実名こそ明かさないものの、ほぼ誰だか推定できるような形でね。
そんな連中だったら最高速400km/hを誇るマシンで
相応の速度の出るストレートで格下クラスのマシンを紳士的に処理する方法を知らずに
常識外れた事故を起こす可能性は十分に考えられるか。
そうしたドライバーの「質の劣化」を考えると
止め時だったかもしれんなー…。件のドライバーと思しき人物は既にGTからも引退してるはずだが
そんな連中だとGT500でも過ぎた玩具だ。
実際ペースカーで人殺しかけた(というか選手生命的には殺した)
「元耐久王」も居るくらいだし。 Group C Cars Racing at Spa-Francorchamps with 3D Binaural Audio!!
https://www.youtube.com/watch?v=nAooPmwR1m0
バイノーラル録音だからヘッドホン使ってな また長文かよ
以前いた ”Cカー列伝” 投稿者氏みたいに
自分のスレ立てて持論をてんかいしたらぁ >>132
VRH35はコスト度外視で高価な素材使ってて、部分的には後のYR40Tに性能で優れていた。
例えばカーボンが排気系に一切付かない程のリーンの燃調(≒超高温の排気温度)でもピストンが溶けないなんて一体どんな素材だったんだか。
工数的には知らんが、GTのポルシェ程の数ならともかく量産ライン組む訳じゃないし。
グループC末期のポルシェはスプリント仕様はエンジンライフ短いから1レースで1基必要だけど
日産はル・マン仕様で一台あたりシーズン二基(ル・マン用とその他でそれぞれ一基)あれば最低足りるから走らせてる台数の割にはエンジン作ってないかもね。 その前のVRH30ってやつ(R88Cの初期型に載ってた?)は
無論性能的には落ちると思うけど、R89Cに引き継ぐ直前のR88CがVRH35に換装してたようなので
ある程度形状互換なのかもしれないけど、それも含めればある程度は数出ないかなとか…。
あとは何しろNPTI製のVRH35改3リッター仕様(92年のデイトナ24時間仕様。最低でも3台分+スペアがあったはず)
というのがどういう内容だかがこれまた分からないし…。
ニスモ製の89年仕様の「無印VRH35」と90年以降の「35Z」で仕様が違うらしい
(というのは日本語版Wikipediaの当該項目)
というのに加えてNPTIでもメンテナンスや排気量ダウンまで含めた開発環境があったとすれば
型落ち用パーツやらNPTI製3リッター/3.5リッター型と色々組み合わせれば
結果的にある程度の「量産環境」は確保出来たんではないかなと…。
NPTI自身はデイトナ以外では91年/92年共にR90CKを使っていないので
(基本的にNPT-90系+VG30。92年の後半はVG30改2.5リッター型も投入)
自社のレース活動に加えてさらにVRH系ユーザー2〜3台+スペアの面倒見る余裕はあったかと。
さらに自社のレース活動を休止した93年には、NPT-90を売却したジャンピエロ・モレッティのチームや
カニンガム・レーシングの300ZXのエンジンの面倒を見てたから
それこそ3リッター型にせよ3.5リッター型にせよ数台単位でいけたんでは。
それに加えてニスモと、「信頼できる外注屋さん(東名とか)」まで含めれば
何台分のVRHを用意出来たかは分からないってなりますね。
トヨタにしてもTRD・トムス・トリイレーシング・松浦と総動員すれば
結構な数作れそうだし。 バブルが弾けたの知らんの?
弾けたままで四半世紀。 「弾けたなりの予算で開発ペースを落とした状態でレースをやる」
ってんじゃ駄目かね…。その時点で400m/h出るクルマにはなってたことだし。
CARTなんかはフォードワンメイクになった最後の2〜3年程はオーガナイザーとの相談で
「ブースト少し上げたかわりに回転数をだいぶ落とす」って形で耐久性を維持したエンジンで
コストダウン図るアイデアで2000年代初頭まで基本構成変えないまま繋いでた。
カスタマー向けに多少簡略化したエンジンを幾らで出すことが出来たかというのもさることながら
エンジンレスのR90Cが1台幾らで入手出来たのか
(ノバは7号車を購入したということだから、何らか条件を満たせば買うことは出来た可能性がある)
って話にも。
もしくはマツダに787Bの新車(003同等車もしくは+α)オーダーする人が居たら
売ってはもらえたかどうかとか。
アルミハニカム時代のトヨタCカーはトムスに頼むと新車すら作ってもらえたから
物凄い数がある(米山二郎さんみたいにトヨタ積まない目的で作ってもらった例すらある)よね。
図面とかはあるんだから90年代に入ってアレ下さいっていうのも可能でしょ。
途中からハニカムパネルになってるから安全面では962GTI辺りと変わらんし。
で、コスト落とすとなれば件のCARTの例みたいに燃費に加えてブーストや回転数の上限を設けたり
カーボンディスク禁止したり、とか幾つか方法はある。
何だかんだでルマンでそうしてたみたいに最低でも94年くらいまでは
もたせられたんじゃないかね。
ワールドスポーツカー混走可とか言ったら千葉さん辺り333SP持ってきたり
郷さんがGT選手権に愛想つかせてWSC95持ってきたりとかやりそう。 88C まで いわゆるトヨタ系Cカー※って
トムス・童夢の車であって、トヨタの車じゃないんだよな。
どのエンジンをトヨタを積むか、コスワースを積むかは
ユーザーの選択。
※サード、MCSを除く WSCスポーツカー や Gr.Cスポーツカー(だったかな)ではなく
GT路線を支持したってことは
だれもやる気がなかったってことでしょ。
せいぜい マツダ(寺田氏)とかなり後になって
童夢、無限、一つ山くらいで >>140
WSC最初の年って大メーカー皆無だったから狙い目だったんだよね。なのでデザイン持ち込みで零細コンストラクターで車作るとこまではやってみたw ←アホw >>142
ローラ日産みたいなもんで「あくまでトヨタの依頼で作ったもの」であって
トヨタにお伺いを立てなければ売っちゃいけないのかと思ったら実際は案外アバウトだったと…。
ルマン商会のLM0x系も日産エンジンの供給絶たれた最終モデルはトヨタ積んでたし
初期の頃は適当だったのかな。
もっとも米山さんはコスワースを積むからOKが出たのであって、
日産やマツダを積むつもりのユーザーからの購入希望だったら問題出たのかもしれないか。
そこは「DFRを積む予定だから767Bを売ってもらえたのか、何を積んでも良い条件だったのか」
みたいなもので。
そういう縛り全く抜きでエンジンは自由に選びたいという話になると、
それこそプライベーターが選びうる現実的な選択肢はそれこそスパイス辺りしか無かったかな。
GTP用とFIA-C1用でどこがどう違うのか未だに分からないけど(空力規定の違いに合わせた程度?)
F1用カスタマー3.5リッターV8から、確かランボルギーニ(QVXやコンラッドとは別。F1用V12)とか
フェラーリ(F1用のV12では当然なく、確か348かなんかの量産エンジン)、NSX用V6に加えて
アメリカンV8の搭載例もあって各々それなりにバランス取れて走ってるから。 >>140
IMSAワールドスポーツカー初年度って
大半はとりあえず既存のGTPカーをフラットボトム化したうえで屋根叩き斬っただけじゃなかった?w
ターボカーは「リストリクターハンデが非常に厳しかった」というだけで
IMSAのシリーズにも別に出てはいけないというわけではなかった由。
マツダがR26Bか13Jかに関わらず4ローター→3ローターに退化したのは何故かね…。
これもリストリクターとか制限重量とかで折り合わなかったのか、
もしくは92年一杯でメインストリームから撤退したから対応出来なかったということか。
RX-792Pも「93年以降も続けたかったけど唯一日本からの供給に頼っていたエンジンだけが
確保出来なかったために止めざるを得なかった」的なことが
↓の英語版Wikipediaの記事にはあるし。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mazda_RX-792P
北米マツダ自身は予算を確保していて「ただ足りなかったのはエンジンだけだった」
というならなおのこと惜しい…。「そんじゃ最低限必要な物と手の空いた人間を送るから
全部そっちでやってくれ」とでも言ってくれれば…。 深夜になると沸いてくる…。よほどつらい私生活をおくってるのだろうな。 >>146
赤池号w
あれのシャシーナンバーいくつだったんだろう? トムスのCカープロジェクトは、
童夢にシャーシ設計、トヨタにエンジン供給を依頼したプロジェクト。
トヨタがWRC用エンジンのテストの一環として受けた。
トヨタから供給を断られた時の保険として DFL の搭載も考慮している。
ただ、あまり周知されていないし、無視されたレギュに、
マニファクチャー名を強調するため、ネーミングはマニファラクチャー名を先にする。
というのがあるので車両名は トヨタ・トムス(もしくは 童夢)84C 等になる。
日産のように、長谷見や星野に運営を依頼したのとは全然違う。 >>150
3台あってスターフィールドにあるやつが元静マツ号、マツダ所有のは
最後までワークスカーだった個体のようだから消去法だろうね。
割とおなじみなここの資料だと767Bフォード→001 Trident767B→002だけど、
http://www.asahi-net.or.jp/~ip3t-nksn/Pages/B-grc/HIS-767B.htm
Wikipediaのマツダ767の記事にあった現スターフィールド号のコクピット画像を見ると
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/85/Cab_of_767B.JPG
「767B-001」というようにも読めるから001と002は売却先が逆の可能性も。
それだと767Bフォードの方が002では。
それより先だってオークション記事に出てた個体の来歴
(シャーシナンバー003、片山義美さんが引退レースで使った、JSPCで6位入賞等)を見る限り
https://carnny.jp/4157
https://carnny.jp/4157/2
こっちがマツダにあったやつかよ…。 自分の長文に対して 自分で長文のレスをする・・・。
もう末期ですね・・・。 ところで30年前のCカーに夢中になった連中ってことはこのスレの住人はアラフィフだろ?
30年後には死んでるぞw 20年後に死亡か。20年前はCカーすでに死んでたな。 我らが Gr.C プロトタイプ は永久に不滅です! >>157
ピンピンしてるのはせいぜい10年とか15年。
残り時間計算しなきゃな。 グッドウッドでクラッシュした767B
カウルは修理最中だけど、11月にオーストラリアでのテスト走行向けて色々弄ってるみたい 長文キチガイについて語るスレ出来てるじゃんwww
有名人スゲーwww
でも死ね 鈴鹿1000kmのリザルトを調べていて思ったのですが
80年代のポルシェすごいね。
エントリーが無い1レースを除いて2敗
935,956,962C がいかに強力だったか判る。 グループC自体が956ありきで出来たんだから当然と言えば当然 貴重な(?)PDKサウンドが聴けるぞ
ありがたいとおもいなさい。
あとみんなの好きな757もいるし。
http://hoslotfrance.free.fr/?p=1643 >>167
ディーラー行って「ちょーだい!」って言ったら誰でも買えたんだよな。 アストンマーチンAMR2がもしできてたらどうなってたんかね
変わった車だったし、いきなりシリーズ6位っていうのはすごいと思うよ >>170
一応審査があった(レース出走計画、支払い能力等)とは聞く。
あと伊太利屋の林さんによると935はミツワでは扱ってなくて海外のルートを経由したというし
956/962Cは日本ではノバ・エンジニアリングが代理店。
今でもカップカーとか買う場合はポルシェジャパンじゃなくてCOXに頼むみたいなもんかと。
北米ではかなり昔から、少なくとも飛行機事故で亡くなるまでアル・ホルバートが
代理店業務を行っていたそうだけど、
原則的にはポルシェのモータースポーツ部門のあるヴァイザッハに直接お問い合わせでは。
インディカーやIMSA用のビュイックV6ターボとかNASCAR用のメーカー別キットパーツとか
挙げ句はコルベットC5Rの組み立てキットに至るまでディーラー行けば買えちゃう、というのは
むしろアメリカの話。 頻繁にヒストリックGr.Cに出てる方(普段は#203をつけてる)なら
元片山レーシング車の#104だったと思うんだが…。
あと#001と思われる煤けた#202カウルを纏った個体はアメリカマツダにある。
http://www.asahi-net.or.jp/~ip3t-nksn/Pages/B-grc/HIS-757.htm
現役当時に実際に#202を纏って走っていた履歴に基づいて仕上げたということであれば
元静マツNWBの#103の可能性が高いね。 てーことは外装パーツが完全には戻ってない状態で半分くらいまで仕上げてた
あの国内のオーナーの人が手放したっていうか、そのスイスの人がその先を引き継いだわけだ。 >>177
仕上げ仕上げるっせーよ
長文キチスレに行っとけカス 前にここの過去スレに日本時代のオーナーさん来てたじゃん。
真っ白で前後カウルが無い状態で持ってた人。
車体周りは一通り仕上げててエンジンの手配もついてるって言ってた覚えはあるし
ミラーも当時の本物と同じの(ヴィタローニのベビーターボ。蛇腹抜き)を調達して直してた。 あ、呼んだ?
もう10年以上経ってるし、ストーリー書き残してもいいよね。
757-103は当時勤めてた車屋の社長が車モノ書きにそそのかされてエンジンレス、フロントカウルレスで引っ張ってきた。
モノ書きの最初の目論見は、他のエンジンを載せて云々というものだったけど、ルマン初一桁入賞個体だったので担当になった私が強硬に反対してレストア路線に軌道修正。
マツダ方面に協力を打診したけど静マツで廃棄処分にされた筈の車という理由やなんやでNG。
エンジンのありかを探し当てて、カウルの目処がつくところまでやったけど、総予算が当初予測を相当上回ったためにレストア凍結。
その後しばらくして私は他の車屋に。
757-103は、私が辞めてしばらくしてから大阪方面の私の知り合いが(実際の買主の代わりに)購入。
で、レストアしたいから協力してくれと話がこっちに飛んできた。アレが復活するならいいよということで、オリジナルユニットが眠ってた静マツOBのショップに繋いだ。
そのショップでオリジナルユニットを載せて、フロントカウルも757を作った当時のカウル外注先に作らせてレストアは一応完成してた。一時はその買主さん個人が757-103のHPを作ってたね。
>>176の最後の動画にもリアカウルの上面の静マツ時代に付けた膨らみが映ってるから757-103で間違いないよ。
9/24は見に行くかな。 >>175
001は787Bのディスプレイモデルに化けてどっかに貸し出してたのを元に戻したの?
マツダには4ローターテストベッドになった757E(757-002)も残ってるはずだけど。 >180
やろうと思えば出来るんだ!まあ、熱意とお金が(^_^;) >>184
そう、事情が許せば…だったけどプライベートでも色々あった時期でどうにもならんかった。
当時色々調べた静マツのチーム解散時以降のネタは、横文字でさらっとまとめて今のオーナーさんに富士で渡そうと思ってる。 >>183
トムス83Cのレプリカみたいだね
よく見ると横のハザードランプの形状が本物と違うみたいだし SUPER DETAIL FILE「MAZDA 787B」
http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=9734
Cカームック本ついに登場、モデラー向けだねこれ 問題はそれ、002の現況だけを取材して良しとしちゃってるのかどうかという問題だと…。
ご承知の通りというか91年当時と現在ではかなり違う点があるので。
今履いてるタイヤが代替品で、後輪のサイズが少し大きい
(ポルシェ屋敷のピアマン氏の962GTIと多分同じ。003がスパッツ付かないのもそのせい?)
というのはレーシングオンに載ったレストア特集でも言われてたけど
91年当時の取材に基づいて作られたタミヤのプラモの色指定/No.18仕様のカルトグラフデカールだと
アンダーパネルの縁の部分がケブラー混成かプリプレグGFRPみたいな黄色なのが
現状は合板製に交換されてる、とかね。
003のフロントカウルも当時付いてたやつはライトカバーの不透明蓋は取り外し式のカバーで
なおかつ裏側のハウジング部分は切り飛ばしてあったような記憶が…。
だから当時撮影された写真とか、さらには001号車の現オーナーのところまで取材行ってくれないと
787Bの実像って分かんない部分が多いと思うよ。
001は売却の時に取り外されたり組み替えられた部品があるとも考えられる一方で、
その後は基本的に静態保存だからある意味では売却当時の状況は留めてるはずで。 >>189
特に不満は無いがもう少し文章が欲しかったな
TS010辺りで次回作を希望 グッドウッドでクラッシュした767B、修理が終わった上にタイヤも新品に替えたみたいだね >>189
買ったよ
まあ悪くないんじゃない?
この手の本にしては安いしね 今年のサウンドオブエンジン、去年と比べて小粒だなあ 外人は古い車でも全開でレースするからええわ
今もようつべのliveでGT40がガンガン走ってる >>196
去年はメインテーマがグループCだったからね
それでも走るだけ有難い
ていうかランチアLC2は海外から? 伊太利屋が使ってたLC2が、あれは買い取ったのか借りてたのかだけど。
ただ、それをまだ林さんが持ってて今回出してくるんだったら同型車の写真なんて出さないよねぇ。
「ランチア・フェラーリ」ってわざわざ言ってるってことは多分91年のルマンに出てきた
プライベーターさんの赤い車(この時エントリー名義がそうなってる)じゃないかと思うんだけど…。
でも、そうだとすればカーナンバー15のこの車は「同型車」じゃなくて「そのもの」なような…。
ムサット製作のシャーシナンバー0009番だそうで。
ちなみに伊太利屋のは「LC2/84-0001」(ワークスの83-0001を84仕様に改装したもの?)とのこと。 うん。それじゃ以下の通りダラーラ製・ムサット製あわせて9台あるらしいうち
http://www.racingsportscars.com/type/photo/Lancia/LC2.html
今回「ランチア・フェラーリLC2」の名で持ち込まれるのがどれなのか
確度の高い予想が出来たら教えてよ。
赤いのはムサットが使ってた0008とムサット製作でヴェネトが使ってた0009(公式サイトの「同型車」)
の2台しか無いし、ワークスマルティニ時代に「ランチア・フェラーリ」の呼称は一般に用いて無いんじゃ? おまいら見るならこっちだろ。
http://www.ultimatecarpage.com/sn/248/Lancia-LC2.html
林良至さんちが走らせてたのは#0001だけど遅くとも林コレクションの放出時に海外に出てる。 180だけど…
757のオーナーさんちのメアドを発見したのでストーリーを発射しておいた。
最初は英語で送ったんだけど、直後にオーナーさんがドイツ語しか解さないことが発覚。慌てて機械翻訳で悪いけどって断ってドイツ語バージョンを送った。
でもって757-103はスズカのSOEにも走るみたいな話も出てるよ。 オーナーさん、やけに慣れてると思ったら昔ブルンで走ってたとか。いいオーナーさんとこに行ったもんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています