全日本F2・全日本F3000を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
グループA、グループCなどはありますがフォーミュラ回顧スレは無かったので立てました。 HEY GUYS
漏れをリスペクトしているなら
ワンパターンは止めて気の利いたカキコを汁!>>806.
COMING SOON。 HEY GUYS
マウラー、マルテイニ、トールマン、ラルト、サーテイズ、ロータス、GRD。。。
これ等のマシンは今どぉなっているんだろ?
COMING SOON。 マウラーがグスタフ・ブルナー
トールマンがロリー・バーンだったっけ シェブロンとかも現存マシンあるんすかね?
B35/40、 B40、B40/42、B42、B48とか
GCのB19、B21、 B23、 B36とか >>818
結構前になるけど B19 は
JLMC のサポートレースに出ていたね HEY GUYS
シェブロン追加
B21P:ExワークスTOYOTAの鮒子田氏がシェブロンから買ってきた元ワークスカー
B23/26:風戸氏がマーチ/BMWの禁を破ってM12/6を搭載した。
でもシェブロンはB19からB36まで殆ど外観が同じですな。
COMING SOON 松本恵二、容姿もヘルメットもカッコ良かったな〜。
サウンドオブエンジンとたかでたまだまだ見たかったな〜。。。 F2の頃に出たと思われる恵二さんのドラテク本を読んだ事があるけど
峠で速く走るなら反対車線も使えとか書いてて笑ってしまった >>822危ないなw
ガキの頃、早逝した父親を慕ってくれてた方がF2観戦で西日本サーキットに連れて行ってくれたな。
その時のエントリーすげーよ。
星野一義、高橋国光、や中嶋悟が走ってた。
その後、二輪でレースやったけど、すり鉢とS鉢はタイヤマイヤ注意されたし注意した。 >>822危ないなw
ガキの頃、早逝した父親を慕ってくれてた方がF2観戦で西日本サーキットに連れて行ってくれたな。
その時のエントリーすげーよ。
星野一義、高橋国光、や中嶋悟が走ってた。
その後、二輪でレースやったけど、すり鉢とS鉢はタイヤマイヤ注意されたし注意した。 >>822
あの手のドラテク本は ほとんど清水和夫が書いていたという噂がww >>824
大事なことだったんだねw
80年前半くらいかな?
タイヤマイヤって何? >>826ゴメン夜勤明けで寝ながら書いてたw
タイヤマネジメントって書く積もりがw オカモトスペシャルが売りに出てる件…。
ヒストリックレーシングカーイベントでちょくちょく走ってたやつだよなコレ。
http://page24.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q138956370 とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
3OOE9 ハセガワのF3000プラモ類を見ていての疑問。
フナキレーシングのクラブアングル・レイナード89Dは
ボックスアートや箱・説明書の実車写真でもエンジンカウル非装着、
説明書の指定でもエンジンカウルは不要部品扱いで、カウル装着時用のデカールが
一切付属しない状態(インダクションポッド部に貼るデカールがある仕様)ですけど、
実際全くエンジンカウル付けて走ったことって無いんですか?
「開幕前のテストでは付けたけど、外した方が何らかメリットがある、もしくは
あってもなくても空力面で差が見受けられないと判断したので、ならば軽い方が良いと外した」
とかいうのは、ローラT89-50は無いのが標準だったから考えられない話ではないけど。 型番上は存在すると聞いていたが姿を見たのは初めてだ…。
http://www.dlg.speedfreaks.org/archive/cars/ralt/autos/4539.php
ディテールを見ると、「猛烈に無個性」というのはまあ置いといて
88年型だと思ったら想像以上に良く出来てるし、それまでのラルトから思えば驚くほど細いw
問題はこんなん作ってたにも関わらず、その次のRT23と24が何であんな太ましいものにry ちなみにこっちのサイトに売り物と詳細画像が。
http://indycompetition.com/a1gpgp2f300indylights.html
それにしてもフォーミュラニッポン・スイフトまで持ってる人がアメリカに居るのかい。 星野・高橋健二・ジェフリース・中島悟らが走ってた頃のPOTENZAのCMがかっこよかったな。 コンディションは幾らか残念なものの外観仕様が興味を引くこのマシンは
現役当時は誰の乗ってたやつですかね。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b330579537
多分これムーンクラフト製アップデートエアロキット装着車の1台ですよね?
元ギルバート・スコット車と思われるトリコロールカラーの車両
(そもそもアレはT92-50だし)は蓮池レーシングサービスにあるようで
http://hrs-car.co.jp/
かつ出品車両は比較的モノコックの車番が早い方で、数少ない93年型のMCSキット施工済み車。
ということはまさかのexホシノレーシング車とか? ホイールにserumoって書いてある?
コスモオイルカラーっぽい気も… 93年のコスモオイルならアーバイン!?
と、思いきやwikiを見ると93年はT92だったらしく、翌94年の黒沢たくや車? 94のセルモ黒澤はT92⇨T94…だったと思う
あと考えられるのはステラの93ラッツェンバーガー⇨94AGスコット車かな
これもMCSカウル
あと94年途中にステラがもう1台T93+MCSカウルを出してた(和田久)
このヤフオクの個体はミッションがT93純正の横置きなのが鍵になりそう(自分で出しておいてアレだがステラはT92の縦置きに換装してたはずなので) ホイールと色からしてセルモじゃないの?
93に投入予定がいいセットが出せず結局使わなかったとかそんなんで… T93の初期評価は「これならT92の方が上」で前年車両を継続使用してたチームが大半だった気がするが。 マルティニが「ギア入らない」って激怒して、フレンツェンは器用なので
スムーズにギアシフトをする方法を発見することは出来た。
だが本質的な問題はもうそんなレベルじゃなかった、っていう最初のシェイクダウンの時の顛末思い出した。
スクーデリアイタリア・ローラ・フェラーリに使ってるケーシングと同じやつで、
F1用だと6速のギアが入るべきところにスペーサー突っ込んであるとかいう卒倒レベルの無茶設計で、
だからF3000用としては幅広過ぎるうえに重くて使い物にならない、
ましてやF1用としても「F3000で既に重いようなものがF1で使い物になるわけがない」っていう。
その上でシーケンシャルなのに入りが悪いとなると、そりゃもう何考えて仕事したらそうなるんだとw
結局手っ取り早い対策はT92-50用の縦置きに交換すること
(レイナード89D→90Dの例と同じで、縦置きと横置きのミッションとデフの位置関係の違いから
長さが変わる件に関してはオイルタンクかなんかを間に入れて翌年の仕様変更の準備はしていたらしく、
不幸中の幸いでホイールベースの辻褄合わせは比較的容易に解決した)ということで
売却済みとかの理由で車体ごとT92-50に戻せない事情のあったチームの多くは急遽それで対応。
でも代理店たるノバはそれをやっちゃうわけにはいかないし、
「ギアボックスごとの交換」を敢行出来ないお客さんへのサポートも当然の義務ということから
ローラの尻叩いて対策品のきちんと軽量化されたミッションケースとか、
コツを必要とせずに操作できるシフトドラムとかを用意した、てな顛末だったと。
で、T94-50以降も基本仕様はこのT93-50用改良版の横置きが標準仕様だけど
ホシノレーシング辺りは横置きシーケンシャル自体に決定的に信用無くしてたんで
オプションで縦置き仕様のT94(こっちがT94-51)という仕様も用意されることになったんですと。
ちなみに欧州F3000がワンメイク、全日本がマルチメイクのまま継続されるようになって以降は
欧州用が-50、全日本標準仕様(横置きシーケンシャル)が-51、縦置き仕様が-52とのこと。 ちょっと翻訳してみるわw
T93は横置きミッションがF1と共用でデカくて重いので、T92のものに換装するチームが続出。
代理店のノバは対策しつつ純正品を使用。
翌年以降はオプションで縦置きシーケンシャルとH型6速もオーダー可能になる。
こんなところかw そういえば「売却済みで旧型に戻せないパターン」で思い出した。
92年の開幕戦はローラ勢は全員新車が間に合ってなくて
(オーダーが早かった極一部のチームには渡ってた説もあったけど使われてない)、
全員がT91-50かT90-50で臨んだ(童夢からF103を受領して持ち込んでたヒーローズも最終的に前年の右京のローラを使用)
という所で、何故かヴァイドラーの車が前年の最終戦で優勝した時の自分の車じゃなくて
急遽伊太利屋ハヤシレーシングから前年後半にジェフ・リースがジャッドエンジン(KVの先行開発型にあたる
外観はBVのままボア×ストロークだけ弄ったものだった模様)積んで使ってた車を回してもらったんですと。
最終戦で優勝したわけだし別に壊しちゃったってことは多分無い。それに91年まではTカー使用可だったので
T90-50も手元に残ってたっておかしくないのに何故というミステリー。
ノバの3台目として金石勝智がデビューしてた(スポンサーのライベックスの経営破綻で序盤限りで撤退)けど
ヴァイドラーが乗ってた分がこっちに回ったって訳でも無いですよねぇ。
そういうことならよっぽどルーキーの金石車の方が他から回してもらった車だったり、
もし手元にあればT90でも構わないって話になるところなので
やっぱりヴァイドラー車が売却されて残ってなかったオチかと。 さらにはムーンクラフトも、やっぱり92年型の新車(こっちは最終的にレイナードを導入)が
間に合ってなくて2台ともローラだった訳ですが、
前年の後半時点では確かトステムカラーの中谷車がMCSカウル付きT91-50(前半は同種の改造をしたT90-50)、
PLUSカラーの服部車も後半からMCSカウル付きになる(中谷車と入れ替えたのかカウルだけ用意したのか不明)ので
当然前年の最終戦時点で使ってたMCSカウル装着済みの2台が揃うものと思いきや、
ブラバムからのF1デビューが頓挫して急遽ムンクラの2台目として全日本F3000を継続することになって
プレシーズンテストに臨んだ中谷の車両が無塗装カーボンブラックのノーマル新車のT91-50だったという。
このノーマル新車のT91-50自体がそもそもどこから出てきたのかが不明なのはもちろん
開幕戦でトステムカラーに塗られて出てきたその中谷車はMCSカウル未装着のままという
「去年使った車体はおろかカウルもどこ行ったんだ」の何重にも重なるミステリー。
「MCSカウル施工済みの中古のT90やT91」というのは、英国や豪州までは確認していないものの
少なくとも日本国内では誰も使ってないし。
なおのこと運の悪いことには、新車で確保したばっかり。だから開幕戦を終えたら高く売れたであろう車が
あのレース終盤の大事故でたった1レースで全損になってしまったという点でもあり。
ヨコハマタイヤのOBだった人が東京R&Dの協力で立ち上げたんだったアド・レーシングは
早々にレイナード92Dが手元に届いたうえに前年使った91Dも手元に残してあって、
でも結局は新車の方を使ったんだったはず。91年もレイナードとローラT90-50の2台揃えだったかと思いきや
程なく財政難で畳んでしまうという、結局金があるのか無いのか分かんないチームだった。 書籍に掲載された統合失調症「支離滅裂な思考・発言」という吹き出し付きイラストをパロディー化し、セリフ部分を改変するインターネット上の「遊び」が、出版元による注意喚起から1か月以上経ってもやまない。
書籍は統合失調症に関するもので、「支離滅裂な思考・発言」は統合失調症の一症状を紹介したイラスト
「支離滅裂な思考・発言」が示しているのは、ナツメ社(本社・東京都千代田区)が出版した『図解雑学「心の病と精神医学」』に掲載されたイラスト。
統合失調症の症状として、シンプルな描線の人物が「今日は晴れですね。晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?」と話す吹き出しが付けられている。
この一コマがシュールかつ汎用性が高いなどとして、セリフや人物を改変する「大喜利」がツイッターをはじめネット空間で横行。
2018年6月ごろから目立つようになり、タイムラインをのぞくたびに一度は見かけたというユーザーもいるだろう。
だが、過熱するユーザーはこうした呼びかけにもパロディー画像を返信。「フリ?だよね?」などと悪ふざけする人さえある。
あるツイッターユーザーが2018年11月6日、「【 使わないで下さい 】 支離滅裂な思考・発言 の画像 出版元より声明文が出ています」と呼びかけ、
ナツメ社の発表文のスクリーンショット画像も添付。2万5000回以上リツイートされるなど注目された。
ナツメ社の注意喚起が「患者やその家族への配慮」を求めるものであるため、
「統合失調症と闘っている患者と家族がいるんだから、『支離滅裂な思考・発言』コラの使用は慎んでくれっていう旨のツイートにこういうリプしてるやつら本当に胸糞悪い」
「このリプ欄でも分かるがキッズは注意したところで止めないし、沈静化するのを待つしかないだろうな」
と、そのメッセージを受け止めたり、過熱するパロディー投稿に不快感を示したりする向きもある。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181111-00000002-jct-sci&p=1 >>846
まあ補足しますと、「F1と共用で本来6速対応」だったからサイズが嵩むって方はともかく
(当時ヒューランドのお品書きでは歯車そのものは「TPT」ってタイプがF1用と3000用の
横置きミッション向けでは共通。リバース+5組か6組かの違いだけ)、
それが並みのF3000用より重いってことの方が問題だと思うんですw
ホントにF1用だったらそれこそ高価な素材使って薄皮1枚みたいなもん作ってでも
凄い軽いのに高剛性ってのが出来るんじゃないかと。
もちろんそれがF1だと何レースともたない(トップチームは1〜2レースで捨ててたとか聞いた)
として、F3000なら大事故で割ったりしない限りは
出走・購入台数分にスペア1個あれば足りるんで、その点では決して理不尽に高くつかないはずです。 してくださいw
私の頭じゃ「幾ら1段多かったからってF1用のギアボックスがF3000用より重い」
てのがどう考えても理解出来ないし、F1用の要求性能クリアしたらF3000で使う分には
クラッシュとか内部構造の破損による所謂「破裂」みたいなやつとかで割っちゃった場合を別として
普通に使ってる限りにおいてワンシーズンどころじゃなく持つだろ、としか思えないんで。 一般に言われてるところでは当時のF1が700馬力でレース距離300km強、車重500kg、
F3000だと480馬力前後で車重540kgでしたっけ?
ただ日本の場合はタイヤの関係で駆動系のストレスはF1と大差ないほど掛かってる説もありましたが。
で、F1の場合はチームの財政状況にもよるけどケースからドラシャから全部1レース使い捨てでも良し、
F3000だとクラックチェックとかをして使える物は継続使用することもあるので
ミッションケースみたいな大物は破損がなければ1シーズン使いますよね。
中谷選手のレイナード92Dが外れモノコックでミッションケースにストレスが加わる傾向があって、
剛性が落ちたように思うのでとレイナードにスペアがあるか問い合わせたらたまたま在庫が無かったとか。
そういえば91Dの時はエンジンとミッションの間を繋ぐ補強ブレース状のパーツがあって、
チームによって付ける付けないの違いがあった(チーヴァー車が無し、ミカ・サロ車が有り)
なんてのもあったので、92年のムンクラがどうしてたのかも謎ですが。
無しで使うことも出来るってことは、モノコックの個体差やらタイヤの相性やら色々な要素によって
そこで調整しろって種類の物なんだろうし。 ハセガワの1/24スケールF3000プラモシリーズが順次再販中。
リリース済みとかアナウンス済みがキャビン(ローラ・レイナード両方)・伊太利屋・ワタナベ・
PLUS・スピードスターといった辺り。
煙草ルールをクリア出来そうにないキャメル・EJR(キャビンは終売になったからセーフの模様)
と、需要的に微妙なポールスチュワートの国際F3000の2チーム分に加えて
ワコール童夢(ローラ・レイナード)といった辺りが見送りで他は大半出る感じか。 JT、セゾン、トステム、サントリー、PLUS、ワコール、いい時代だった。
1990年
鈴鹿ラウンド CBC(TBS系) 4戦
富士ラウンド テレ朝、テレビ大坂(テレ東)2戦、TBS
西日本 山口放送(日テレ系)
菅生 東日本放送(テレ朝系)
今じゃ考えられない…。 >>859
なんでバラバラのままだったんだろうね。Fポン直前にようやくフジに統一されたけど。
なにより駄目なのはTBS系は全国ネットとは言えなかったからな。TBSこそ頑張って
全国ネットすべきだったのに。 西日本の日テレ系がよく解らないけど
鈴鹿は SMSC
富士、菅生は ViCIC が主催者だよね。
あと時代的に 地方は 民法2局で
テレ朝が無かった可能性があるね。 放送内容は鈴鹿地元のCBCが一番堅実で見応えあったけどな。
フジとかF1ブームに乗っかったミーハーイメージしかないwww 言われてみりゃCXはフォーミュラニッポンになるのが決まったところで
シーズン丸ごとの放映権買ったけど、
それまで全日本F3000放送したことがまるで無いどころか
F1以前にモータースポーツイベント自体を放送したこと自体がかなり稀有なような。
日テレは富士スーパースプリント(2輪)を放映して、若き本間利彦に早くから注目したりと
意外にもモータースポーツとの関わりは長いし、
TBSは76年の富士で開催したF1グランプリだって放映してたり
系列局のTBCが2輪のシーズン最後のお祭りレースの冠スポンサー&TV制作・放映したりと
モータースポーツ慣れしてる。インディ500も長いことやってたし。 90年代のTV中継だと、
テレ東?12ch?も結構やっていなかったっけ? そういえば昔は、鈴鹿の場内放送って
CBCのアナウンサーじゃなかったっけ? >>862
だからこそTBSはちゃんと全国ネットやるべきだったんだよね。
そういやウチの所にまだテレ朝系が出来てない時なので直接は見てないが、
テレ朝の初F3000中継の時、フォーメーションラップで各車ウェービングやってる時
実況アナが「4輪ドリフトですね!」とほざいたそうだなwww さースリップストリームからーサイドバイーサイドー!
シュワンツ前に出るか!おっとレイニー押さえた!これは凄い凄い!
2台がもつれ合う/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\最後の130Rへ!激しいブレーキング競争
さースリップスト| うるさい黙れ |バイーサイドー!これは福田さん
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\_____ _/ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∨ (゚Д゚ )
<⌒/ヽ-、__ノヽノ |
/<_/____/ < < モーターランド
モーターウイークリー
ハヤシ サウンドストリート 90年の鈴鹿F3000開幕戦2&4のCBC、高田純次のバラエティと化して最悪だった。 でも89年までは関東は1週もしくは2周遅れの録画だったんだよね。
90年に当日深夜になり(5月はインディがあったから翌日)、91年から当日昼間録画。
92年は小河さんの事故を半ライブで見ることに…。 90年のモタスポメディア事情
F1 当日深夜録画
WSPC BSでナマもしくは1周遅れ録画。地上波で周遅れダイジェスト。
WRC BSでダイジェスト
インディ 500はTBSでナマ。他のシリーズはBSで録画。
IMSA 日テレで深夜にダイジェスト。
JSPC 富士と鈴鹿はテレ東で周遅れ録画。菅生は宮城テレビ(日テレ系)で当日深夜録画
JTC レースドニッポン周遅れ録画(テレ東)、インターTEC当日昼録画。
インターF3 フジで当日深夜録画 昔 CBCラジオで日曜日の午後9時半くらいから
モータースポーツ番組やっていたとおもうんだけど
番組名何だったっけ >>861
山口にはTBS系と日テレ系の局しかなかったんじゃなかったっけ
西日本がMINEに改名されてからテレ朝系の局ができたけど
おかげでFポンになっても地元の放送局がないもんだから
・イベントの問い合わせ先 広島のテレビ新広島
・中継スタッフ フジからの派遣
・実況アナ フジからの派遣or九州かどこかから派遣
とかごちゃ混ぜな感じになってた モータースポーツダイジェストという名番組を忘れてはいけない… プレイドライブとレーシングサービスワタナベがスポンサーだったな。モタスポがメジャーになってきた1986年頃終わった。 ワタナベと言われて自動車教習所の方かと思った。
っていうかあの松本恵二さんのスポンサーしてた教習所って
未だにどこにあってどんだけ儲かってたのかも知らない。
今思えば幾らバブルの頃ったってF3000とGCの1年分かよと。 ヨコハマタイヤのCMに
昔のF2の映像が使われてるね。 しかし国内トップフォーミュラーが大盛況だったのは、バブルの一時期だけだったのでは?
客、スポンサー、エントラントが。
おれ80年代前半は知らないのだが、F2はけっこう盛り上がってたの?国際性はあったから。
確かスポットで欧州勢来日してたんだよな? ジャコメリっていわれてライフで予備予選落ちまくってた人と思ったり
アルヌーって言われて妖怪通せんぼじじいと思ったりするのがモグリってレベルだわw
しかし型番からいえば当然あるはずだとは思ってたけど
リザルトから見るにコジマKE008ってのは、76〜77年時点で作られたと思われるものが
78年時点でまだ優勝するレベルで走ってるってことは結構成功したF2マシンなんですね。 優勝は番狂わせだったと思う
星野脱落、中島トラブルか
あの当時はシャシー設計寿命は長かった。
国内だと傑作マーチ742が長年走った後で、基本設計が同じNOVAシリーズも長寿。シャシーがヘタったら国内でマーチレプリカを作っちゃったらしいし。
革新的だったマーチ782も国内ではすぐには結果が出ず。
だから、確か77年から参戦したKE008でも設計は問題なかったかと。
79年からウイングカー本格参戦で前年設計は毎年陳腐化するようになった。 ジャコメリ : タイヤトラブル
パトレーセ : オーバーヒート、失敗作シャーシ
ピローニ : 操作性に問題、(フットボックスが狭かった?)
アルヌー : エンジントラブル
ワォーイック : 中嶋に追突
星野 : トップ走行中、ドライブシャフト折損
中嶋 : 体力不足(中盤まで2位で後方を抑えるも、最後はあっけなく陥落) ほぼ全員F1トップクラスで活躍した豪華メンバー
アルヌーににしたってルノーではプロストより格上だったような
F2上位は全員F1進級が普通だった時代
F3からF1に行ったプロストが珍しかった
ルマン商会が保有マシンに積極的に外人を乗せてたよき時代 記憶よりも日本人少ないのな
外人がいないと寂しいレベル と言われても
中嶋 VS 招待外国人(アルヌー除く)を軸にレース進行して
最後に 国さんが持って行った。
って印象しかないもん。 国さんはこの頃は、ポール取ったりトップを走ったり優勝したりはほとんどなかった。このときも走り勝った印象ではなかったよね。 このレースで国さんは低迷から抜け出したんだと思う。
KE008のホイルベースの問題とか色々有ったからね1978年は。
あのレース今宮さんも西山さんもとても高評価をしているよね。
国さんの写真集の後ろに記載の解説を読むと生で見ていないのが本当に残念。
翌1979年はまた調子が悪くなってしまうけど(exジャコメリ車を手放したあたりから)
GCのインター200でスピードスターGC1(KE008+13B)でまた復活。これはテレビ観戦していたんで
長谷見MCSとのバトルは見応え有った。 ニューヒーロー! ナカジマ!
老戦士! 高橋国光! 70年代後半〜80年代前半はモタスポ暗黒期。まあ今も変わらんが。
まだ当時俺はヲタじゃなかったが、それでも80年代前半の鈴鹿F2はカルト人気はあって、
世間の話題にはならん割には客は入ってたんだろ?当時はF2もまだ国際カテで招待外人いて。
同じ頃富士GCはガラガラで、そのくせ入り口には珍走団が集まって来ていたと。 そういえば86-87年のポストシーズンテストでは
ホンダとBSが持ち込んだ、86年シーズンの中嶋/サックウェル車(乗り替わりでシェアしてるので1台)だったとされる
ラルトRT21/無限RT386(エンジンテスト用に途中から387だった可能性も)
は日本に送り返されて走ってるんですが、
マーチ傘下の「新生ラルト」になってレイトンハウスとか中企とか比較的多くのチームに使われた
91年のRT23以降を別として、それまでのラルトのF2/F3000マシンってのは日本で実戦に使われた例はあるんですか?
F3だとあまりに時代遅れになり過ぎてダラーラに取って代わられるまで定番車種だったのに
トップフォーミュラでの戦績は意外と聞かないので。 >>891
盛り上がりは小さかったけど暗黒期という印象ではないな
バブル崩壊で一気に沈んだショックみたいのがないから RT-1は77年だったかに持ち込まれ、いつから参戦してかは忘れたけどその年のJAFGPにカプリコン1カラーのD.サリバンが乗ってた。
戦績は高原さんや桑島さんが乗ってもさっぱり。
干されていたとこを和田さんが78年のG20に借りだして速さを引き出した事が有った。それが和田さんの転機に。
RH-6は81年の2&4に中嶋さんが一度だけ参戦。次戦からマーチ812になってお役ごめん。走行シーンはつべのキヤノンAE-1プログラムのCMで見られる。
82年のG20、GPにヨーロッパからファクトリーが参戦するまで国内F2では走って無いはず。
記憶が曖昧ですまんが83年は記憶なし。84年のJAFGPには最後のユーロピアンF2チャンピオン凱旋で参戦してた。
84年は生沢さんのとこがD.スコット/T.ニーデルがラルト走らせていたけど
パッとしなかった。 F2 以外では
FP で RT-1、RT-4、F3 で RT-1、RT-3
GCに RT-4 シャーシが使われたことがあったと思う。
i&i が使用した RH-6 80 は
後に 81 風のカラーリングにして展示していた。 https://youtu.be/9H7abbMpGks?t=565
FPのラルトRT-1
83年のGCで長谷見ラルトRT-4って小さいんでつるしのMCSカウルじゃなくって少し小型のワンオフだったなあ >>891
70年代中盤がオイルショックによる暗黒期で
70年代後半は立ち直り始めて
池沢さとしの漫画”サーキットの狼”がヒット>スーパーカーブームが
モータースポーツの飛び火した感じだったと思う。 つまりはライバル陣営もアルミツインチューブモノコックで当たり前って時代には
F2でも少数が使われたこと自体はあって、基本的にはあまり成功しなかったので
少数派のまま終わっちゃったって感じですか。
その後はF1とトレンドを同じくして三角断面アルミハニカムモノコックになり
F2最後期→F3000初期ともなるとカーボン/アルミ混成やフルカーボンまで移行するので
旧来の形のままだったラルトをあえて使おうというチームが出てこなかったというくらいに。
GCなら使えるってのは空力的な問題はカウルで対策できるってところなのかも。
F3では全く使い物になってなかったRT36/37系の極太カーボンモノコックも
ウィングカー規定で使われる北米フォーミュラアトランティックでは各々RT40/41として
傑作に列せられるというし。
F3000の話に戻ると、91年に事実上チームルマン運用のマシンが
レイナード91Dはチーヴァーの1台しか無いのに、ラルトRT23は2台あった
(ハーバート車と、第4戦鈴鹿まで伊太利屋のジェフ・リース車、第5戦でサントリーのシューマッハ車になり
本来ならシーズン最後までシューマッハが乗るはずだったもの)というのも不思議な話。
そういえばシューマッハ兄弟は「自分が今まで乗ったマシンはコレクションする主義」ってことからいうと
菅生で乗ったラルトも後にお買い上げになったのかどうかと。
ラルフの方は日本で乗ったレイナード持ってるそうなので。 80年代前半 世間的盛り上がりは皆無でも、星野vs中嶋、来日外国勢でヲタの間では盛り上がる
80年代後半 F1ブーム、バブル景気で国内トップフォーミュラも空前の盛り上がり
バブル崩壊以降現在まで 超絶不人気が30年続く。存続してるだけ偉いが。 いや90年代前半というか半ばくらいには
イケメンガイジンレーサーブーム的な感じで意外と女性ファンに盛り上がってた部分がw
当時雑誌にイラストや漫画投稿してた人の何人かが実は一流の同人作家の人だったと後に知って驚いた。
F1は年に一回の鈴鹿以外は観に行かなきゃいけないけど
国内選手権なら観に行けちゃう上に、彼らがファンサービスに結構熱心だったせいもあるかもしれない。 >>902
イケメンって誰ですか
興味なかったので全く知らなかった 一般的なレベルでカッコいい方に入るかどうかは別として
チーヴァーは孤高の雰囲気込みで人気があって、
ハーバートやアーヴァインは普通にカッコいい枠扱いだった記憶。
ジェフ・クロスノフも人が良いんで人気、ミカ・サロはブロンドが綺麗で人気とか
クルム伊達マイケルさんだって若い頃はカッコいい枠に含まれてたんだぜw
そんなくらいだからジャック・ヴィルヌーヴに至ってはもう大人気よ。 >>904
ありがとうございます
よくわかりました
まあ、白人はドライバーじゃなくても六本木でモテモテですしね
それも報酬の一部と考えて滞日してくれれば盛り上がるしいいことですね あるイベントにて
司会者:最近ドライバーの間で釣りが流行っているですってね。
どこに行くんですが?
黒琢:六本木
司会者:釣るものが違いませんか?
M伊達・DXロサ(動揺)
司会者:なんかあったの?
M伊達・DXロサ:女の子に人気がある店としてJ・MENS を教えられて行ってきた。
(日本語に翻訳される前に 場内大爆笑)
司会者:私と黒琢、何やり取りしていたかわかってる?
M伊達・DXロサ は日本語を勉強することにしたとさ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。