【WTC】グループA懐かしむスレ【JTC】
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外観はノーマルながら迫力ある走りでサーキットを熱くしたグループA。 連続する12ヶ月間に5000台の生産が義務付け。今の「市販車風プロト」のSGTと異なり、まさに我々が乗っているクルマが戦ってた、それがグループA。 1982年からETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)で採用され、日本でも1985年からJTC(全日本ツーリングカー選手権)が開催される。 最終戦インターTECは遠来のワークス来日でおおいに盛り上がった。 1987年には世界選手権(WTC)に格上げ(1年で終了、残念)、WRCもグループA規定になりこちらは永く続き、セリカ、インプレッサ、ランエボが世界チャンピオンに。 WTC終了後もJTCは盛り上がり、R32GT−R登場でその人気は頂点に。 「羊の皮を被った狼」グループAについて語ろう! >>95 85年はスカイラインでフル参戦してるぞ。 >>97 ん!? 全然印象に残ってない・・・。 検索してきたら・・・ 出てる!ww ということはグループAでも F2・GCと同じ中位あたりの定位置?w マイナーツーリングで揉まれてF2・GCに乗った人だから グループAなんかは 似合うと思ったんだけどな。。 >>85 あれ当時のMF誌の編集部員だった飯田一さんのプライベートカーだそうです。 編集後記でその顛末を書いてました。 | >>100 急遽新車で用意したばかりのローラT91-50の前輪。 \  ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ┌┬┬┬┐ ―――┴┴┴┴┴―――――、 /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || /. ∧// ∧ ∧| || ||| || [/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || ||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ. _|| lO|o―o|O゜.|二二 SUZUKA CIRCUIT.|| | ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||  ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー' 岩城氏の事件の時にカーグラのモータースポーツ欄のコラム(執筆は熊倉氏)で 「彼が有名人だということで話題になり、一罰百戒の意味も込めて罰せられた感は強いが 実のところこうした騒動は昔から珍しくもないこととして起きてきた」みたいな趣旨のことが書かれていたし、 案外「いかにも」みたいに思われる人じゃないのかも。 >>100 >>101 立ち読みなので全然正確ではないがw 当時のベテランドライバーは怖かった。 我々新人が邪魔なんてしたら とんでもないことになった。なんて話で 中谷がレビンに乗って あるワークスドライバーを抜いたら その人が走行を終えて来た。 「お前 なかなかやるな。」なんて褒めに来たのかな? なんて思ったら いきなりアッパーカットされた。 って感じの話だった。w いや、内容は俺も読んだんだがソイツは誰なんだ? それ、グループAの話なのかな? 中谷がレビンなんて乗ってたっけ? テストのときと書いてあったと思ったが、 一般の練習走行のときに自分のレビンで走ってたってこと? >>104 スタリオンでシビックを抜いたら殴られた >>104 自分のレビンって街乗りレビンとか? それでグループAを抜いたら さすがにほめられると思うぞ。w JAFのサイトを見てきたら スタリオンに乗る前に 1戦だけトランピオレビンに乗ってるんだな。 >>105 >>106 シーズンとかカテゴリーの考察がめちゃくちゃですな。 >>107 はぁ? 中谷がそのトランピオレビンで出場してるレースに中島悟がシビックで出てるじゃねぇか。 他人を批判する前に調べろ、っていうかJAFのサイト見たならちゃんと書いてあっただろ。 盛り上がってるとこ悪いけど、 中島悟の話はアッパーカットの話題の前に出てた。 スタリオンで抜いたら「車が速いだけ」とか言われたとか何とかで。 あー中嶋さんは殴るなんていう乱暴なことをするより先に そういう冷たい皮肉で返しそうな何かがあるなw。 当時のGr.Aの「ワークスドライバー」ってと 走った直後(もしくは2台ともコースアウトしてグラベルで鉢合わせした時とか)でもなきゃ思ったほど怖くはないとか 見た目ほど怖くはないっていう種類の人のほうが多そうだ。 逆に明らかにヤバげな人の多くは「Gr.Aに出てはいたけどワークスドライバーじゃない」とか。 >>108 またややこやしいのが出てきたな・・・。 >>106 >>111 105のスタリオンでシビックというのは書いてなかったと思うが、 レビンに乗ってるとき中嶋が(嶋ね)シビックに乗ってるのは確かなので、 105を信用してしまって書いたのなら致し方あるまい。 で、中谷殴ったヤツ誰も知らんのか・・・ いまそのレビンに乗ってたときのリザルト見た(85年鈴鹿300q?) いかにもやりそうなのは真○だが・・・ 真○さんはワークスドライバーじゃないじゃないですかw 45度眼鏡の御仁とかも「当時の神奈川の若者はみんなあんなカッコしてただけだよ」 ていうだけだそうだしw グループAの詳細なレギュレーションがわかるpdfとか、どこかにありませんか? 国立国会図書館行ってオートスポーツ1985年8/1号借りることお奨めする。 レーシングオン臨時増刊A伝説もいいぞ、リザルトとか細かく記載され てる。 今はっきり思う。なんでJGTC→SGTのようなレースが20年も続き、グループAのような素晴らしいレースが9年で終わったのか。 >1O2rYHNi0 ありがとうございます FIAの本家に有ったとは・・・ 他の年のレギュとかもあって助かりました >>116 117 古本で手頃な値段のが有った時にでも買ってみます ありがとうございました >>118 今更だがR32「しか」勝てなくなったのが一番の原因かと 少し前に出たムックに「敵を食い尽くした後は共食いを始めた」みたいに書かれていた 90年開幕戦のMINEサーキットに連れて行ってくれた親父には感謝している >>122 90年まではまだ西日本でMINEは91年から >>122 ワンメイクレース必至のレギュレーションだったもんな 当時は車種ごとの調整とういう考えはあまりなかったかもしれないが。 トヨタや三菱が試合放棄しちゃったからねえ…。 今のGTよりグループAの方がずっと好きだったが。 シエラが日本で買って2500万円ぐらい、M3も確か1500万円程度というところに さすがにプライベーター向けコンプリートカーで1台5500万円なんて 当時のレートでポルシェ962C買うより高いくらいの 「ある意味非常識」な車出してこられちゃったら色々な意味でどうしようもないかと…。 そこまで空気読まなくても許されるのも、その値段でもプライベーターが手を出すのも 「スカイライン」っていうプロ野球でいうところの巨人、F1でいうところのフェラーリみたいなもんだからで スープラやGTOの怪物級スポーツエボリューションを出して 仮に市販型が1千万ぐらいしても許されるだろうけどGr.Aコンプリートの提供価格が5千万とか言われたら、 さすがにそりゃいい加減にしろって言われるとw。 フォードもシエラ4×4+RS500のハイブリッド的なものを出して「もう一押し」は出来る可能性はあったけど (あと確かスコルピオ用にコスワース製の2.5リッターV6ツインカムなんてのもある) ドイツ選手権が必ずしもGr.Aの枠にとらわれない方針を打ち出して以降は 「純Gr.A規定でのサーキットレースに本気になるよりはラリーで勝つ方が大事」って立場だったんかね。 よく考えたら最後の方はGTRとM3とシビック(フェリオも出たけど)とレビンの4車種だもんな 浅野さんのとこが最後までAE92で頑張ってたのが萌えた あのレビンはホイールナットも5穴だったとか あと綜警M3の香港人トリオが怪しさ満点だった 4車種しかいないのに、あの大観衆。 世界の七不思議だな。 スーパーシルエットだって多分実質的には 日産の3台とBMW-M1とセリカターボぐらいの勝負だったんじゃ? 下手すりゃポルシェカップならぬスカイラインスーパーカップでも開催してみたところで 結構客が入ってしまったかもしれないのが当時のハコレースの恐ろしいところ…。 いま発売中の日本のレース100選、最新号は1987年インターTEC。 そこに今の日本開催のWECやWTCCがイマイチ盛り上がらないのは、WEC-JAPANにはJSPCが、 インターTECにはJTCがあったからだと。 俺もそう思う。もうSGTなんかやめてWEC,WTCCルールのシリーズやれよ。 JSPCやJTCと比べたらスーパーGTなんてと言うとレース通()っぽいのかなぁ。 親シリーズ消滅で国内シリーズ道連れだし、十分な参加台数確保できるかわからん。 Gr.Aやクラス2の頃と比べると現行WTCCはいかにもモッサリとしてカッコ悪い そもそも衝突安全基準厳格化でモッサリした外見になったベース車が悪いんだろうけど WECのプロトなんてGr.Cに比べたら醜悪過ぎ オーバーハングの最低長や顔つきの規制をして「Gr.Cソックリのプロトを作れ」と命令したい位 しかしGr.A JTCが終わった93年に生まれた子達がもう成人とは・・・ 今の子はレースカー=市販車風のガワにプロトタイプってイメージで 街中で走ってる車がほぼそのままレースに出てたなんて考えつかないだろうな 「今の子」って・・・ 最近の若い人のことかいな そもそも自動車レースに興味のある人少ないんじゃないの そもそも数からして今の子は俺らが子供だった頃の1/3 >>133 普通にその頃の話は知ってるけど、今市販車でレースする意義なんて感じないね だってレーシングカーとロードカーに求められるものって全然違うもの >>133 そもそも今年成人になった人はGr.Aは愚かSGTすら知らないんじゃね? Jリーグの観客の平均年齢が上がっているらしいが 自動車レースの観客もそうなんだろうな >>137 グループAの頃は好成績を収めるとそのベース車両の販売台数が大幅に増えて 必然的に若い世代にも知ってもらえたんだがJGTC以降市販車の面影が段々無くなって 優勝しても販売台数に余り影響しなくなちゃったんだよな >>139 それ本当か? カローラvsシビックはシビックの勝ちだったからシビックの方が売れた、とは聞かないし、 R32スカイラインは伝説に成るほど人気のある名車だとは思うが、実際の販売台数はあれだけ評判悪かったR31以下なんだよね。 スタリオンなんて… >>140 本当なわけ無いじゃん 懐古ジジイの妄想だよ >>141 そうだよな 実際にレースで勝つ度に売り上げが上がったのは大昔のNASCAR位って聞くし >>140 10代、20代の人に○○社の車はカッコイイ、高性能といったイメージを植え付ける長期的な戦略だね。 多くの人が一生のうちに何台も車を購入するわけだから。 あの当時、自動車製造会社内でどのような議論がされていたのか自動車製造会社が自動車レースにどのくらいの 効果があると考えていたのか興味あるな。 >>143 だから市販車そのものでやる必要なんかないよね IFの世界。もしトヨタが試合放棄せずスープラツインターボRのエボを出して来たら。 三菱がGTOで参戦してれば。フォードがエスコートで参戦してたら。アルファの155GTAがグループAのホモロゲ取ってたら。 日産がパルサー(orサニー)、マツダがファミリア、三菱がミラージュ、いすゞがジェミニでクラス1にワークス参戦してればな。 >>135 >そもそも数からして今の子は俺らが子供だった頃の1/3 なるほどと感心した。ならば観客数の減少も当然ではあるね。 >>145 フォードはエスコートじゃなくてシエラのままでも 最終的にはラリー用として4×4モデルまで発展したし、 さらに高級車スコルピオ用にコスワースが2.5リッターV6を用意していた (事故車や廃車のスコルピオからこのエンジンを剥いでシエラに積む向きも居たとか)ので そのコスワースV6をベースにターボ化したものをシエラ4×4に組み合わせる、でもいけたかと。 馬力や4駆のアドバンテージではR32と大差ないところまでいけるうえに ボディの小振りさとか重量バランス(V6なのでノーズが短く上がる)とかいうような面では R32と良い勝負になったかもしれない。 逆にエスコートの小柄な車体に2.5リッターを突っ込んだら 今度はパルサーGTI-R的なアンバランスカーに…。 GT-Rがあれだけ成功したんだから、パルサーGTI-Rも必ず成功すると信じていました。 >>150 そうなんだ、アンバランスなんだよ。 アンバランスの代表格がランチア・デルタHFインテグラーレなんだけど、 WBが短すぎることとかエンジンベイが狭いことも、 タイヤハウスが小さく、サスストロークが少ないこともそっくりw おまけにライバルのベース車が全て15インチリムなのに、なぜか14インチ。 Gr.Aの規定ではリムは2インチアップまでしかできないから、 ターマックラリーでは16インチリムしか使えない。 更にワークスチームでは過去のしがらみとやらで、 国際的にはWRCの主流で無いダンロップタイヤを使っていた。 そうした諸問題をアテーサE-TSでなんとか押さえ込んではいたものの、 SRユニット自体は実はターボ化するには熱に弱いし、 馬鹿でかいICがシリンダヘッドに座っているからラジエータの熱抜きが悪い。 おまけにICのせいでエンジンの重心が高くなってしまった。 少しでもエンジンにクールエアを取り込むために常時ランプポッドを取り付けることになり、 ただでさえフロントヘビーなのにますますフロントが重たい。 ランチアの場合、バランスの悪い冷却効率の良くないサスストロークの足りない車両でも、 資金力で間断なく開発してきたからあの様に名車になった。 ニッサンの場合はレース部門とラリー部門とで予算の確保、 つまカネの取り合いで泥仕合をした挙句、ラリーを引き上げることになったらしい。 ラリーを続ける予算があれば、ノーマルで14インチリムだったのが、 マイナーチェンジで15インチリムの付いたGTi-Rの市販車を 売る可能性だって考えられたかもしれないのだ。 >>152 熱く語っているところを申し訳ありませんが。。w なんかデルタが欠点だらけのクルマに聞こえるけど 当時のグループAラリーカーとしては 驚異のパッケージングの車でしょ。 何年も後にWRC用に設計されたようなインプレッサやランエボと比べて デルタは欠点だらけのクルマって言うのは無意味だ。w >>155 欠点を補うのは結局継続するための資金力の差だよ。 カネがなければデルタだって幅が広がってテールゲートに衝立はつかないw あるいは最初シエラのガワだったものが エスコートのガワ(但し一般の市販型の横置きFFとは全く違うレイアウト)にはならないw ある意味ではあれだってビッグクアトロ→スポーツクアトロ的大転換…。 グループNでは西山寛さんが乗って 確か終盤までチャンピオン争いしてた記憶が…。 (本業が忙しくてだか予算上の理由だかで終盤をパスして負けちゃったはず) GTI-Rじゃない普通のパルサー自体は 「サニーとパルサーと2種類ある日産の小型FFの中では欧州向け輸出に振った方」 (一方のサニーがアメリカ輸出寄り)って成り立ちなので 欧州市場では普通に成功した車だったと。 問題点は「ダートラの走行時間やGr.Nの改造レベルなら耐えられる範囲だけど Gr.Aにまでしてしまうと冷却周りのシステム拡張に無理がある」って辺りだったのかね。 デルタはエボモデル毎年本当に5000台も作って売ってたのか? 少なくとも日本では売ってなかったよな? ラリー用のエボは500台じゃ駄目なんだったっけ? 正確にいつ頃からだったかは忘れたけど、 少なくともフォードエスコートが出てきた頃には Gr.A基本仕様の時点で2500台に緩和されてた。 あとデルタインテグラーレの最終年生産分は全400台で、 そのうち250台までが例の「コレツィオーネ」として日本に送られたというのを考えると 単純な追加公認(「V/O」とかいう略号だったと思うけどバリエーションオプションとかの略?) で済まずに車両自体の生産でホモロゲ取り直さなきゃいけないような大きな仕様変更のたびに 見込み生産で2500作っておいて複数年使って捌くつもりだったら 半分程度は日本に送りつけても案外何とかなったのかも。 >>163 そうそう、500台生産のエボモデルはレースにしか使えない。 でもそれが適用された車両がシエラRS500コスワースと スカイラインGTS-R、スカイラインGT-Rニスモ、スープラ・ターボA、 コモドアSSぐらいだったはず。 それとデルタHFインテグラーレ・エヴォルツィオーネは初期モデルがGr.Aホモロゲモデルで、 後に出てきたエボUと呼ばれるモデルは、初期モデルよりもタービンが小型。 こっちは公認がない。 ボルボ240ターボなんてインチキもいいところだったもんな。 ボルボのヤードに未組立でクルーゲルフィッシャーやらターボやら インクラやら車に積んであるだけとかさ 笑 元になる車がホモロゲ取っていれば、エボモデルはそれ単体で5000台作る必要は無かったのでは? >>166 普通のシエラRSやスープラ3.0iターボでは戦闘力が足りなかったりとか、 スカイラインみたいにセラミックのタービンブレードでは 市街地では扱いやすかったけど、 レースではセラミックが溶けてしまいパワーが出せないとか。 >>165 それらは一応メーカーオプション的な感じで 付いてる状態で売ってくれと頼めば本来の仕様で納車はしてくれたの?w 最終型デルタインテグラーレのあの「衝立スポイラー用アダプタ」も 同梱されて出荷されてるはずなのに日本仕様には(法規の関係で仕方ないんだが) 付いてなかったとか…。 全出荷数のかなりの割合を日本仕様が占めてたと思うのにいいんだろうかw 素朴な疑問として、あれは「立てた状態で固定してしまって全高変更の改造申請を取る」 とかで大手を振るって日本の車検パスすることは出来るのかしら。 >>168 メーカーオプションなんてとんでもない。標準装備ですよ 笑 とにかく何台か完成車をでっちあげておいて、あとは未組立でヤード でガラクタ化。あとでどう処分したのやら。 あ、だからあれ頼んでもまず納車されなかったらしいよ 笑 当時ボルボって740ターボとか760ターボとか 高級車には結構ターボ付きのが普通にあった (780だったかな?当時ボルボらしからぬ美麗なクーペも確かターボ標準だし)から 240も普通にターボ選択可能なのかと思ってた…。 それこそ一時期の日産や三菱の「ほとんどの車種でターボ選択可」とか 三菱やスバルの「一部を除いて4WD選択可」みたいなもので。 レースホモロゲ仕様の裏オプションみたいなやつは 「売りたがらないけどオプションコード指定でどうしても頼み込めば売ってはくれる」 (ポリスカーベース仕様すら同じw)っていうアメリカのメーカーとは大違い…なのか。 >>171 ボルボ780はベルトーネで架装したクルマだよ。 あの時代のボルボの中では一番かっこいい。 https://www.youtube.com/watch?v=WvgjtFkNu4g このカルソR32の車載みると6速Hパターンになってんだけど なんでトランスミッション積み替えた? もしかしたら当時のGr.Aニスモキットで 使えるやつが残ってなかったために動態を維持するためにやむなく、とかではなくて? ノーマルミッションだとN1ですら2レース程度でケースごと駄目になってた (ちなみにブレーキは十勝24時間だとVスペ用ブレンボですらレース中に 「キャリパーが開いて」1セットじゃ持たなかった) というから、まさかGrAカーにノーマルミッション積むこともできないし。 JGTC初期のR32は確か4駆のままの仕様もあったと記憶してるので、 そのためにR32GT-Rの4駆仕様の車体にフィットする状態で6速化したミッションが 何らかの形で開発されてて、それの部品ならまだ残ってる、もしくは外注品や海外の既製品で 今でも手に入るからそっちに交換したとか? …フォードシエラコスワース4×4みたいにGr.Aだった時点で 既に追加公認で6速仕様が存在してた(フォードのこれはエクストラック製)というわけでもないよね? 日本で走ってたGr.AGT-Rはローバック5速ミッション ちなみにオーストラリアではホリンジャー製の6速ミッションが開発されてる 実践投入されたかどうかまでは分からない 動画見たけど R24 135 こうなってるだけじゃないの? 32は市販でもローバック5速だったのか 知らんかったわ >>173 動画の開始早々 左下のロー(一般車のHパターンの2速の位置)に入れて スタートしてるじゃん。w なぜ6速だと思う? >>174 毎度おなじみの妄想全開な考察? 乙であります。。 >>177 見落としてた。 市販車となんの関係があるの? 成る程ヒューランドパターンの5速だったのを 6速ゲートで2速発進してるように見た、ってことか…。 >>180 Gr.Aだと追加公認取ればミッションの中身は多分弄りまくり (レシオはもちろんWRCシエラみたく段数も、多分シンクロ→ドグミッションも)だと思うけど 横置きFFみたくワイヤーやロッド作動の場合は何とかなるとしても シフトレバーの真下にミッション直付けの車種で段数変わらないのにシフトパターンだけ動かすっていうのは どうやるんだろう…というのは個人的にも疑問に思った。 追加公認で弄れる範囲にミッションケースまで含まれてれば割と簡単そうだけど。 5.2.2) Gearbox An additional lubrication and cil cooling device is allowed (circulation pump, radiator, and air intakes situated under the car) in the same conditions as for Article 5.1.14, but the original lubrication principle must be retained. The gears of the additional gear box on the homologation form may be changed, provided Chat they respect the information given on this form. ホモロゲとれれば何でもありっぽい? それでWRC用のファミリアがミッションだかデフギアだかが 公認が間に合う間に合わないでモメたことがあったんだっけか…。 >>182 基本的に段数に対して1種類公認が取れる。 エスコートRSコスワースは6段と7段があって、 これはそれぞれ1種類のギア比しか公認を受けられない。 ギャランVR-4にしても、タスカ製はカスタマー仕様の5段ドグ。 ワークスは6段Xトラックという具合。 デフは自由だから、コースに合わせて選択できる。 ホールデン・コモドアって一瞬だけ強かった車があったけど、どこの国の どんな車だったか全く覚えていない GMのオーストラリア法人のホールデン社 (多分元々はオペルとかと同じで独立した会社だったのをGMが買収したんだと思う)の製品で 当時のオペル・セネターの車体にGM製V8を積んで、かつ豪州の使用環境 (悪路が多いことに加えてキャンピングカーやトレーラーを牽くことも多いため)に合わせて リアサスをリジッド化したようなクルマ、だったはず。 安いグレードだと日産の直6とか積んでる。 だから外観はオペル・セネターに近い。 インターテックに持ち込まれた2台のうちワークスカーの1台は 木本正広さんが買い取ってそのまま日本に置いていかれたそうだけど その後どうなったんだか…。 レイトンのメルセデスも確か翌年プライベーターが買い取って使ってたんだけど 大抵そういうのは人知れず朽ちていっちゃったりするものか。 レイトンのメルセデスは萩原くんを連れてったんだったよね。 >>186 いろいろ詳しく教えてくれてアリガト しかしあの車なぜあんなに速かったんだろうな >>188 木本さんが買い取ってシェイクダウンする時に 古くからの知り合いだったカーグラの熊倉氏が「せっかくだから乗りませんか」みたいに呼ばれて 初めての車だからと控えめに乗ってたら、メンテナンスの付き添いに来たホールデンのドライバー兼エンジニアの人が 「このエンジンの本領はこんなところじゃありません。なんてったってグランプリ・カムが入ってますから」 とか言われたそうで、その言葉から熊倉氏は もしかしてGM系エンジン用の往年のF5000レース辺りでも使ったようなパーツが組まれてるんじゃないかと推察したそう。 実際に高回転まで回すと、所謂アメ車のV8っぽいドロドロした音じゃなくて さながらDFVみたいな快音を響かせた、 さらにはスポーツ走行枠だったから他のツーリングカーとかも練習走行してるけど (さすがにGr.Aは居なかったもののTS1300とかN2とかその手の車両は居た模様) コーナーを遠慮がちに行ってもストレートで軽々ぶっちぎれるぐらい直線が伸びた、とか。 あと、変わったところでは(やっぱりV8が載っててフロントが滅茶苦茶重いせいか。ちなみに鬼キャン状態) 当時のレーシングカーには珍しくパワステが付いていたとか。 あとはGr.Aだとリアデフが直結で標準だったらしい…だからインターテックでは5位入賞したもう1台の車 (クロスビーとグライスが乗ってた方)が フロントホイール片側落としたのにゴリゴリ底擦ったまま最終ラップを回ってこれた? そういえばTWRが運用してたローバー・ヴィテスやジャガーXJ-Sも やっぱり大排気量エンジン(ローバーの方は確かレンジローバーと同じアルミブロックのV8、 ジャガーは伝統のV12)だし、BMWもそれらほどデカいエンジンではないまでも 3.5リッター直6の635CSi(確かGr.4時代は630CS+ボルトオンオプション扱いでM1やM635用のあのM88) を積んでたぐらいだから、 「どうせターボでも換算排気量で重くなるんだし、信頼性とパワーが両立出来る大排気量NAエンジンを デカいけど空力がそれほど悪くないボディに積んで最高速を稼ぐ」 てのはM3やシエラコスワースみたいな「小さくて空力のいいターボカー」の時代になる前は 最大排気量クラスの一つの定番的方法論だったのかも。 ホールデンも元はオペルってことで空力に関しては結構進んでる方だったと思われるし。 86年のインターテックでのジャガーは確かデフが壊れてリタイヤしてるから そういう意味ではホールデンのリア直結(で重くなるハンドルはパワステで対策)ってのは得策だったのかも…。 パワステ壊れたら大変は大変だけど、当時の水準でいえば全くレースにならない致命的問題でもないし。 そういえばTWRがジャガー2台に加えてさらに1台ローバー・ヴィテスを持ち込んで インターテックの時点で既に赤池レーシングに売却した(確かTWRの支援も受けたことで手堅く上位で完走)けど あの車もあの後どうなったんだろう…。 1987年がマシンのバラエティさと言う意味では最盛期だったんじゃね? ディビジョン2なんざBMW−M3が出てくるまではいろんなマシン(流面系セリカとか)あったけど、M3が来たらワンメイクになっちゃった。 >>190 M3はNAだよ。 それに普通デフが壊れるってのはファイナルギヤかピニオンが壊れたことを 指すのであって、デフ自体が壊れることはめったにない。ファイナルのトラブル なら直結であろうがどんなデフであろうがアウト。 いわれてみりゃM3は最大排気量クラスでもなかった…。 「最大排気量クラスでターボ車で」をボルボとシエラ以外で実践する方向にいったのは 主に日本勢(嚆矢といえるところがセリカXXにスタリオンにR30といった辺り)かな。 元々シングルカムのターボモデル「XR4Ti」でも結構良い線いってたシエラが RSコスワースに切り替えた辺りで、見れば分かるぐらい空力が(あと足の設計も古い)泣き所のボルボは いよいよ勝負にならなくなり、 さらに日本車の熟成も進んだあげく「やりすぎ」の最終兵器として GT-Rが出て来ちゃったところでゲームセット…ってところか。 いっそのことGT-RもDTMに出してみたらちょっと面白かったのかもしれないけど (もちろんアウディV8みたいな感じでハンデぎっちり載せられまくりで厳しい戦いにはなるはずだが) 「オーストラリアとかスペインとかスパ24時間はあくまで規定が一緒だから出しただけ」で、 市販車の輸出計画自体無いのに規定の違うレースに大金注ぎ込むほど物好きではない、って話になったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる