【WTC】グループA懐かしむスレ【JTC】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
外観はノーマルながら迫力ある走りでサーキットを熱くしたグループA。
連続する12ヶ月間に5000台の生産が義務付け。今の「市販車風プロト」のSGTと異なり、まさに我々が乗っているクルマが戦ってた、それがグループA。
1982年からETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)で採用され、日本でも1985年からJTC(全日本ツーリングカー選手権)が開催される。
最終戦インターTECは遠来のワークス来日でおおいに盛り上がった。
1987年には世界選手権(WTC)に格上げ(1年で終了、残念)、WRCもグループA規定になりこちらは永く続き、セリカ、インプレッサ、ランエボが世界チャンピオンに。
WTC終了後もJTCは盛り上がり、R32GT−R登場でその人気は頂点に。
「羊の皮を被った狼」グループAについて語ろう! レーシングオンは買いましたか?
R32GT−R特集ですよ。 なんでそんな一番面白くないのを買わなきゃならんのよ。
全デリバリー車両のヒストリー(現存状況込み)でも書いてあるっていうなら別として。
タイサンの最初の1台が東南アジアシリーズのSINGHA-TAISANカーらしいけど
プライベーター向けデリバリー1号車とされるピューミニ(後のナポレックス?)がどうしたとか
そういう車両自体の履歴は多少は気になったとしてもね。
ぶっちゃけワークス系の車両なんてグシャグシャ潰してんだろうし。 テストしただけで終わった車の特集があればいいんだけどね。 FIAスーパーツーリング規定になってからのJTCCではそういうの幾つかあったけど
Gr.A時代にもあったの?
草創期のカオス期には車作っちゃったんなら出しちゃえ的な妙な勢いがあった一方
成熟期には競技向きじゃなさそうな車は試そうともしない感が。
ラリー用にホモロゲ取った車がレースで使えるか試した例があるかどうかとか、
あとは70スープラの2.5リッター型や三菱GTO辺りが試されたかどうかとかそういう? その辺の実験的な車種はN1耐久で多かったな
ファミリア、ギャラン、プリメーラ、エボが出る前のランサーGSRとか >>537
本も買わずに変な妄想を膨らませているから
スタリオンの2600ccがどうのこうのって言い張って いくら間違いを指摘されても
間違いを認められずに 引っ込みがつかなくなったりするんじゃないですか? >>541
マクラーレンF1特集の時は「現況」までは追えないまでもおおまかなデリバリー履歴は書いてたけど
(当時の記録ではヒトツヤマが最初に購入したロングテールは元DPRの中古車と明記されていて、
後年海外のサイトで、予備にストックされていた打刻済み最終号機が完成車に組まれて新車として
ヒトツヤマに納車された旨が記載されてたけど、レーシンゴンではDPR→ヒトツヤマの方は追ってない。
ガルフカラーにレストアされて国内に現存する車両がこの個体の模様)、
それじゃR32GT-R特集にはそれ書いてあるの?YesかNoで。
「妄想」とかいうけど当時の雑誌で2.6リッター版とする記事が存在してたんだよ。
それがそもそも誤記だったのかもしらんけどね。 これ以上は夏コミで
スタリオン2.6とスープラ2.5Rがバトルするエロ同人出すしかないな 織戸みたいにシングルタービン600馬力仕様にするか、3LのNAにスーチャ入れて600馬力にするか、どっちがレース的にいいんだろうか? 三菱はGTO出す気無かったかんね?
CMコピーはずいぶん挑発的だったが 中身は100%ディアマンテだったからレースは無理だろ ディアマンテはドラシャ折れちゃうからなw
ちなみにうちの兄さんも3リッター新車で買ったら折れた。 「スポーツはライバルがいるから面白い」
…と言いながらライバルにならなかったのがGTOです。 なお北米仕様にはあのナリでシングルカムのFFという神すら震撼するグレードがあった模様。
まー1.4tで162馬力だそうだからスープラの1G-GE仕様並みと思えば排気量任せも案外あなどれねぇ。
スタリオンのNA(2リッター、キャブ仕様、後輪リジッド、初期型なのにボンネットインテーク無し)は
日本仕様だけの設定だったらしいのでマジで何のために作ったんだコレ…。
2.6のNAならまだサファリラリーとか象牙海岸とかアクロポリス辺り出るのに使えそうだが。 >なお北米仕様にはあのナリでシングルカムのFFという神すら震撼するグレードがあった模様。
なん…だと…? いちおーGTOの場合は98年型以降(姉妹車のダッジ・ステルスは最初っから)だけねw
https://en.wikipedia.org/wiki/Mitsubishi_GTO
NAツインカムのFFってのは最初っからあるけど、これはこれで軽い分だけ神のGTOより速い可能性。
エクリプスと違って流石にターボとFFの組み合わせは無いわな…壊れそうな気しかしない。 >姉妹車のダッジ・ステルス
こ、こんな姉妹車が存在したとは…名前の如く存在感が無いですねw
世の中は広い…己の無知さを知りました。 >>554
後期の固定ヘッドライトのNA AT に知り合いが新車からずっと乗ってる。 GTOのATのNA乗ってる。先月免許取得して中古探しに行ったら見た瞬間に即決した。
カッコイイ、マジで。そして速い。アクセルを踏むと走り出す、マジで。ちょっと感動。
しかもスポーツカーなのにATだから操作も簡単で良い。NAは力が無いと言われてるけど個人的には速いと思う。
ターボと比べればそりゃちょっとは違うかもしれないけど、そんなに大差はないって店員も言ってたし、それは間違いないと思う。
ただ坂道とかで止まるとちょっと怖いね。ATなのに前に進まないし。
速度にかんしては多分ターボもNAも変わらないでしょ。ターボ乗ったことないから知らないけどタービンがあるかないかでそんなに変わったら
アホ臭くてだれもNAなんて買わないでしょ。個人的にはNAでも十分に速い。
嘘かと思われるかも知れないけど東関東自動車道で140キロ位でマジで34GTRを抜いた。
つまりはGTRですらGTOのNAには勝てないと言うわけで、それだけでも個人的には大満足です。 このコピペ見たらシングルカムのFFって一体どんな代物だよと思うけど
軽い分だけ意外と速かったらどうしようっていう…。
ま、カマロやファイアバード(ナイトライダーの代の1986年型まで)には2.5リッターの直4があったし
FOXマスタング(IMSAとかでも見かけたあの四角いやつ)も安いやつは2.3リッターの直4、
2代目プローブも2リッターのやつは4発(多分カペラの安い方のやつ)だったっていうから
もしかしてアメリカの若者の集まる街では張子の虎たちの激しいバトルが繰り広げられていたかもしれない。
なお70スープラの北米仕様はそもそも3リッター仕様(7M-Gのターボとノンターボ)
しか無かったそうなので、このメンツの中ではGTOの前期〜中期型と並んで
ベースグレードでも結構速い方だなw これだけ見ても素人には分かんないけど
シャーシナンバーから当時のユーザーのオブジェクトTか販売元のニスモに問い合わせれば
分かるのかもしれないな。
しかしシャーシナンバー末尾にRが振ってあるってマクラーレンF1みたいだな。
1001と38Rの間に一桁分スペースがあって穴開けてあるのは
ロードカー用モノコックとの判別(さらには転用防止)とかそんな事情なのかとか。
ピューミニはプライベーター用放出の最初の1台だった記憶があるんで
モノコックや車両丸ごとの入れ替え無しで最後まで使ってたとは考えづらいけど、
各チームが2年程度で入れ替えてるとすれば、ヘッドライトがこのタイプになった以降の分だけで
38台程度あってもおかしくないなとも思ってしまう。 トランピオのGT-Rってレーシングパレスに展示してなかった? 影山選手の談によると、ある年のプレシーズンテストの時にカルソのマシンを全損させちゃって
急遽前年の車を引っ張り出すことになったら物凄く剛性が落ちてて苦しいレースになったとのことなので
(これはどの年か忘れたけどオートスポーツの開幕戦の号にあった)、
あのレベルのヘビー級の車はチームの資金状況にもよるけど1〜2年で替えるんだと思う。
正確にオブジェクトTの最終運用車かどうかはフレームナンバーで照合するしかないけど
内容物の何割かが本物のニスモ製Gr.Aパーツだとすればニスモコンプリートの1台なのは
多分間違いないとは思う。
レーシングパレスにあったというならその車両も詳細が確認出来ないと何ともいえないけど
オブジェクトTが歴代使ったうちの1台という可能性はあるんだろうし。
あそこも元々レイトンカラーだったトヨタ86C-Lをミノルタカラーにしちゃったとかいう例はあるけど
(確か別のオーナーに渡ってまた元に戻ってる。引き渡し時点で直したのか購入後に直したのかは不明だが)
さすがに全く縁もゆかりも無い色にもしないだろうし(トヨタ86C-Lの場合トムス運用の他の個体でミノルタカラーで走った車両はある)、
「全く関係無い色にしちゃえ」っていうならカルソとかリーボックとかだろうからね。
もしくは案外そのレーシングパレスにあった車両→売却されてBeeRのデモカー→今ココ、ってか? 正直、欲しいですw
でも、金があっても維持が困難orz http://www.bee-r.com/main/usedcar/gr-a.htm
たぶんここから買ったんじゃないかな。
BP時代の色の部品も写ってるし間違いないかと。 高いんだか安いんだかさっぱり分からんが
安いんだろうなたぶん 競技車両としては多分モノコック剛性とか終わっちゃってるとかいう意味も含め
昔だったら大した値段のつかなかった時期もあるだろうけど
今は逆にヒストリー賃が乗るから「値を戻す」って流れになってんだろうね。
欧米とかオセアニアとかみたいにこの手のレーシングカーが
往時の姿にレストアされて、レースするかどうかはともかく頻繁に展示走行する機会があって
「オリジナルに近い状態に戻ってれば戻ってるほど価値が高い」みたいな環境だったら
こういうふうに「元に戻せないような改造はされてないし戻すパーツもだいぶ残ってる」
ってのは相当なお値段になるんじゃないの?
前にイオタガレージで売りに出てたタイサンGT-Rはアレ幾らくらいで売れたんだろ。
あっちは千葉オーナーの手元で原型そのまんま保管だったから
元ワークスカーの次くらいに珍重される存在だったと。 で、そーいえばシエラRS500(ロードカーの方は数台程度あるらしいが)って
国内に何台くらいあるんだろ。
最近のイベントで確認されてるのは黄色のSIMZシエラだけど、
一昔前にはFETのやつがよく出てきてた。
あっちはオーナーさんがサーキット走行中にクラッシュさせちゃったとかいう噂が立った以降
姿を見てないんだけど。
ピューミニシエラは90年代中頃のマカオグランプリやズーハイの地元ドライバークラスの記事で登場してたので
(ジャックスカラーのグランドシビックやランドマークカラーのAE92等も居た)
その時点で既に香港辺りのオーナーに売却されていた模様。
運が良ければ現地でコレクターさんが保存してたり、クラシックレーシングカー好きな国の愛好家が
保護してるかもしれないが。 >>561
市販1号車は>>568の言うタイサン号。
オブジェクトT号も91年の車だけどね。
92年に新車を入れたけど、
同年の鈴鹿でクラッシュして急遽91年車に箱換えしてるから、
ヤフオクの説明のヒストリーが正しいとすれば91年車を最後まで使ったんだろうね。
>>564
カルソニックの件は93年開幕前テスト。
第5戦で新車を再製作するまで旧モノコックを使ったとあるから、
それが90年車だとしたら通算で実質2台。
ハセミも90年〜と92年〜の2台のはずだからトップチームでもそんなものかと。
実戦で使われた車両は10数台じゃないのかなぁ。 んじゃもしかするとR付きフレームナンバー自体は
同時リリースされたN1コンプリートとかも込みの数だったり…。
いずれにせよ91年製作車両だったら凄く沢山の戦歴のある貴重な車両ということで。 >>561
むかしの雑誌でも見てれば
>市販1号車は タイサン号。
みたいな話が載ってて どのマシンも何年も使われて
何チームも渡り歩いたなんてこともあると分かっていること
それが長文がいつもの妄想をはじめて
>PUMINI→AXIA→TRAMPIOと歴史を刻んできた車両で、
オーナーがこう言っているのを嘘だと決めつけ
>各チームが2年程度で入れ替えてるとすれば、ヘッドライトがこのタイプになった以降の分だけで
38台程度あってもおかしくないなとも思ってしまう。
こういう狂ったことを言い始める・・・ 「市販」(ニスモコンプリートとして値札付き5500万円で売ったやつ)はその通りかもしれないけど
1990年のシーズン終盤からオブジェクトTがシエラからGT-Rに替えたの覚えてない?
確か黄色ピューミニカラーのやつ。
買ったか借りたか知らないけど、「カスタマー供給車両」の最初の1台はアレで、
その頃はまだ後のニスモコンプリートと違うプロジェクターヘッドライト仕様じゃない?
台数が増えてシエラがほぼ駆逐される(有力チームで最後に残ったFETも最終戦で替える)
のは翌91年の話ね。
タイサンGT-Rは座間に保管されてるのとイオタガレージ経由で売却されてるのと
現存が知られている分だけで2台あるけど、これはどっちがどっち?
「古い方がサポート込みでタイに売却されてSINGHA TAISAN GT-Rとして東南アジア選手権に参戦してた」
というのもリアルタイムの方ならご存知の話でしょ?
座間にあるのが「初代(91年型)」ならアレが戻ってきてレストアされたのかね。
いずれにせよ、この時点ではタイサンは1年で車替えてんの。
2台目にあたる車をその後何年使ったかは知らないけどねぇ。
参戦初期の少量生産仕様に対して量産スペックのニスモコンプリートが物凄い頑丈になって
事故らなければ国内の路面・タイヤ環境で箱替え無しで平然と数年もつようになったのかしら。
あと、「昔の雑誌でも見てれば」の件だけど、
レーシングオンのQ&A欄で「GT-Rのヘッドライトが2種類あるんですがこれは」
みたいな質問あったの覚えてる?
「基本的にはコンプリート販売された車両が角型で、それ以前に製作された古い車両が
プロジェクターランプ装備です」ですと。
もちろん共食い整備とか修理・アップグレード(角型の方が軽くて安価なので)とか色々で
必ずしもこれに一致しないケースはあるし、ロードカーでも91年7月発売のタイプN1で
この仕様が設定されてるから答えとしては単純すぎるんだけど。 そーいやGr.AコンプリートでもN1コンプリートでも「ハコだけ替え」でホワイトボディをオーダーした場合
ニスモからはどういう状態で来たのかね。ロールケージや補強は施工してあるけど
番号無しで来るのか、xxRの最新番号振られて来るのか、破損交換なら前のと同じ番号でも買えるのかと。
あと
>オーナーがこう言ってるのを嘘だと決め付け
別に決め付けはしてないけど(チームに複数車両があれば運用上の理由で入れ替わることはあるのを否定もしないし)
Gr.Cスレで話題になってる、某オークションに出品されて2億円弱で落ちたR90CK
(これは無論購入者も分かり切ったうえで買ってるはずだが)のヒストリーの件は
全く逆の話になってるぜw
そもそもが「93年Gr.A最終戦で優勝したオブジェクトTのあの黄色いGT-Rだった」
という事実からしてどうこうを言ってんじゃないし。
よくあるレーシングカーのシリアルナンバープレートみたく製造年まで書いてありゃ分かりやすいが
(無論コレもモノコックタブ替えしても旧番号/製造年引き継ぐ場合があるのはポルシェ956/962C等でおなじみ)。 ごめん、オブジェクトTは90年からだったね。
ただあれは清水氏が追浜から直接引っ張って来たようだから、
サポートの程度に差はあれど、市販コンプリートよりはカルソ、ハセミに近いんじゃない?
市販コンプリートを買ったタイサンの千葉氏は別物みたいに言ってるようだし。
それで92年からはニスモ運営にしたと。
いずれにせよ毎年新車にしていたような話は聞いたことがない。 あー、イオタガレージ経由で売りに出た車両がニスモコンプリート1号車との説明になってますね。
https://jota-garage.com/stock/st5/stptaisangtr.html
で、この車のシャーシナンバー表記はこうなってる。
https://jota-garage.com/stock/_src/9455/dsc01999.jpg
ニスモコンプリートGr.A仕様で買うとこのプレートが付いてくるということだと
件のオブジェクトTの車(#38R)は何らか違うデリバリー形態で来た可能性のある車と。
プレート付きなら箱替えしても引き継げるけどモノコック直打ちナンバーは
変動することは無いですからね。92年にコンプリートか箱替えかはともかく新車を導入したのにプレートが無いということは、
ホントに90年受領の準ワークスデリバリー車そのものか、もしくはオブジェクトTが「コンプリートの新車で買ったことが無い」と? 一方でタイサン号は都合2台か3台あることになる
(千葉オーナー所有の91-001と座間保管庫所在の1台、さらに東南アジア選手権のチームに売却されたといわれる
SINGHA TAISANカー)
っていうのがこれどういう割り振りなんだろうと。
こっちが日産所有の方。
http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=389
#91-001の方は内装まで黒く塗ってある
(確かニスモコンプリートの当時の広告では塗装までオーダー出来たので不自然な事ではない)
のに対して、日産が持ってる方が外側以外(内装はおろかホイールアーチの中まで)
全部白いってが何か不可解な…。
92年からワークス運営にして一旦空いた001をタイのチームに売ったか貸したあとで
向こうで役目を終えたところで戻してもらってレストア→今ココなのか
プレートだけ外してたのをニスモメンテになった2台目に付け替えたのか分からないけど、
いずれにせよ日産ヘリテッジのやつが怪しい…。
実は向こうで白塗装で走ってた元々の001を93仕様風にレストアしたまさかの入れ替わりオチかね。
いずれにせよ千葉さん自身は全く縁もゆかりも無い車両をヒストリー無視でレストアした例って無いし。
手持ちの962Cの1台をシェルカラーにした時も何か理由があってそうしてたはず
(ヴァイザッハに送り返してレストアした時にほぼ双子に近いスペックになってたからだか何か)だし。 イオタに出てた001って93年風のカラーリングだよね?
ってことは91年参戦→タイ→返却されて93年カラーにされたのではなかろうか。
日産がレストアするならニスモ参戦の92年〜の車両を使うだろうし。 みんからのやつか
更新ないと思ってたら売っちゃうのね 今のSGTをdisるわけじゃないが、今のGT500はプロトなのか?ツーリングカーなのか?
市販車のパーツはほぼなく、つながりも皆無。レース専用車。もはやプロトとも言える。
でもル・マンに出れない。
市販車に似てるからツーリングカーなのか?いずれんしろ中途半端だな。
個人的にはツーリングカーはツーリングカー、プロトはプロトとはっきりしていたグループC、A時代が大好きでした。 R32大好きだが、公平にレースとして面白かった時代はR31スカイライン、スープラ、スタリオン、シエラの4つ巴だった88年では? 結局70系スープラ最終型の2.5リッター仕様(JZA70、だっけか)は
何で実戦投入される気配もなく終わったかね。
MA70は換算排気量から算出される最低重量の区分があまりに重すぎたのが問題で、
「重量から計算して一番能率の良い排気量を逆算したのがGT-Rの2.6リッター」とのことだから
それじゃ2.5リッターのスープラは僅かに少ないけど悪くはない。
シエラは軽いとはいえやっぱり絶対的な排気量が少なすぎる(あれだけ速くても2リッターでしかない)
てのがネックだったんだから、それなら空力的には悪くないボディと2.5リッターの組み合わせなら
GT-Rにどれだけ拮抗出来るかはともかくシエラより速く走れる可能性はあったと思うんだが。
で、プライベーターに供給してくれればGT-Rよりは運用コストの安い選択肢になりうる。
本来このスレの話題じゃないけど2.5リッタースープラの公認取っててくれれば
N1耐久でも使えたし、そうなるとブレーキ容量や重さに起因する各部の耐久性がネックになってた
GT-Rと比べて、長時間ラウンドでは信頼性を理由に選択肢になりうる存在だったんでは。
同じ事は海外のGr.A本格耐久イベントでも言えてくるし。 うろ覚えですまないが、7M 3.0 turboAを追加してあれだから、1JZにしたところで出るだけ無駄と上層部の判断ではなかったか?
BNR32の登場がとどめを刺したしな。
>>584や>>585の意見と同じで、BNR32が何もかもを変えたと思う。
それだけ、日産の本気度が凄かったのだろうけどね。 クラス1ばかりが脚光を浴びがちたけど
グループAでトヨタが鎬を削っていた相手はホンダだったと思うんだ
スープラよりレビンの方にリソースを割きたかったのではないかと サニー(パルサー)、ミラージュ、ジェミニもワークス参戦してほしかった。 EF9 Gr.A車両の価格が1億円くらいだったから、AE101に注力したのかもね。
熱い戦いを繰り広げてたな。 カーグラの91年初頭くらいの号で、GT-R(カルソ)やシエラ(シティライフ)から
EF9(出光)やAE92(土屋Eg)まで多数のGr.Aカーを集めて試乗する特集記事があったけど、
無限ワークスのEF9は足回りも削り物のスペシャルだったりして確かに高価そうに見えたけど
そうはいってもアレ1億もしたの?
JTCC用のアコードはホントにそれくらいしたともいわれてるけど。
カスタマー仕様のEF9は1500万円くらいと当時のTV中継で言われていて、
シエラはカーグラの当該記事では「日本で買うと2500万円程」とか言われてた記憶。
M3は初期の頃の現地価格では2千万切るくらいのお値段ではなかったかな。 約1億円は間違いない。
BNR32 Gr.Aが5,500万円、それより高額だったのが衝撃的で覚えてる。
ただ、内訳の記憶が曖昧でB16A Gr.A仕様に注力した話だったと思う。 つまりやっぱワークスマシンはバケモノと…。
過去レスの話の、タイサンの千葉オーナーの「GT-Rもやっぱりカスタマー仕様とニスモ仕様は違う」
ていうやつみたいなもので、公認が要る部分のパーツ以外の仕様は違っていたり
開発目的で調整範囲の広いパーツを組んだりとか色々。
カーグラのその特集号でいうと、一方の土屋エンジニアリングのAE92の方が
えらく質素というか質実剛健というか、いかにも古き良き職人の手造り感で
「性能に関わらないところはシンプル」というのも印象的だった。
Gr.Aといえばサイド出しが多いところが土屋AE92はセンタートンネルの途中辺り、
ちょうど元々の燃料タンクがあったくらいの位置に排気口が付いてて、
ドライブした熊倉氏曰く「ボディ側の穴は入念に塞いであるそうなのだが、どこからか入ってきて
排気の匂いがする」とのこと。
何でそんな位置にと当時は思ったものだけど、今思うと例えば騒音規制があるのなら
IMSAのレーシングカーが床下排気にしてるように、「上に被さる車体に遮音効果がある」で有利だとか、
もしくは横に曲げるよりストレート排気にした方が抵抗が少ないはずだという
エンジン屋さんらしい発想だったのかな。スズケイさんなら「煙いのは我慢すりゃいい」言いそうだし。 レーシンゴンによると、タイサンは91年はカスタマー仕様使ったが、ワークスと差があるので、
92年からは実質ニスモにスポンサードと言う形で参戦と。 PP
BMW635 1回
R30スカイライン 8回
シビックE-AT 2回
ボルボ240 1回
スタリオン 2回
ジャガーXJ−S 1回
フォードシエラ 7回
R31スカイライン 7回
R32スカイライン 29回 とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
MMZRT AE86カローラ 2勝
BMW635 2勝
シビックE-AT 1勝
ボルボ240 2勝
R30スカイライン 2勝
スタリオン 3勝
AE82カローラ 1勝
フォードシエラRSコスワース 1勝
MA70スープラ 1勝
フォードシエラRS500 8勝
R31スカイライン 6勝
R32スカイライン 29勝 >>597
ハマーが何故かエコカー補助金・税制の対象になった
(というのはあんなデカいガソリン「乗用車」が普通は存在しないレベルなので)
という話は別として、アメ車みたいなもんで高速をトップギアでクルージング走行してる時とか
低回転で大人しく走ってる分には「全力のうち指先でつまむ程度」だから猛烈に燃費が良い、
とかそういう種類の話で?
今時の気筒休止モードまで掛かるようなやつは確かに燃費良いと聞いた覚えもある。
要人向け前提のV12高級車は防弾防爆仕様+ストレッチリムジンで緊急回避行動をする場合に
並み以上の動力性能を確保するところまでを前提にしてのパワートレイン選択なので、
標準の4ドアボディで全シリンダーが稼働することも、ましてやフルパワーに達することも
極めて稀な事態なのですと。 >>601
エンジンマネージメントが普通のと別物だから要注意な。 あー、なんかGr.Aに出てた頃に出てた、見た目には「AMGよりは地味でロリンザーくらい」
って感じのエアロが付いたジャガーって感じのコンプリートカーのやつ。
あれ、AMGやキャラウェイがそうであるような感じでジャガーのディーラー行くと普通に買えたのか
TWRに直接行って商談するのかが素朴な疑問だった記憶。
なお、こんなサイトを見つけた。
http://rs500owners.com/
http://rs500owners.com/index.php?/topic/891-dunlop-jtcc-andy-rouse-group-a-rs500/
シミズシエラでロールケージが鉄ジャングルジムのバージョンってあったっけか?
書いてある履歴自体は辻褄が合ってるようにも見えるので(ワークスコンプリート#007カーだとか
橋本コレクションの1台だったとか)ヒストリックカーレースに出るためにレストアも兼ねて組み直した?
正直なところ、お金が有り余ってるなら、「一度海外に出たからには通関証明でゴニョゴニョ」
なんてのも込みでいえば欲しいけど、それなら貴重なGr.Aスペックを損なうより
ロードカー仕様の売り物買ってレプリカ作る方が良いか。今ならラッピングで出来るし。 しかし一昔前にしばしばイベントに登場してたFETシエラも最近全く見ないし
(トランピオはもっと前に売却済みらしく、香港のオーナーがマカオGPとかで使ってた)、
シミズシエラも日本に無いとすると、もう国内に当時物のレーシング・シエラは1台も無い?
この手の物は日本でスクラップにしてしまった場合を除けば
最後は大抵オーストラリアに流れ着く法則があるらしくw
(「オーストラリアではレーシングカーは動ける限り引退しない」ともいわれる)、
それなら90年代に退役早々に売却された車両を中心に、シャーシナンバーと突き合わせたら
意外な車がイギリスやオーストラリアのイベントで走ってたりするのかもしれないけど。
ピューミニトランピオは香港でどう使われたかによっては現地で寿命を終えたか、
運が良ければそのお金持ちのガレージとかお店とかに綺麗にして飾られてるかね…。 オブジェクトT9勝
オートビューレック2勝
無限1勝
エッゲンバーガー2勝
ニスモ7勝
ラリーアート3勝(HKS1勝、ノバ2勝)
トムス2勝
RAS1勝
サンテック2勝
ホシノレーシング16勝
ハセミマータスポーツ10勝
チーム国光1勝
HKS1勝 最近テニスとか他のスポーツイベントで良く見る
ANZ(オーストラリア・ニュージーランド銀行)カラーのアレですね。
ちょっと脱線になるがこの当時のモタスポで良く見たLIQUI MOLYのロゴマークも
ウィンタースポーツの大会でよく見る…そんな儲かってんのかと思うのもさることながら
やっぱりあの手のイベントはクルマで来る人が多いからか。 正直、この時代に比べ「市販車に似ているプロトタイプ」でしかない今のGT500に、思い入れを持てない。 同感だけど、大勢は残念ながら違う
決定的に地味だよね FIA-ST(日本でいうところのJTCC)は日本での集客はさっぱりだったけど
レースの成り立ちとしては何か理解出来るものを感じた。
もちろんNASCARとかIMSA-GTみたいに「スピード的に安全上の理由からそうせざるを得ない」
ってことでそうなった(元々はそれらのカテゴリも市販車の骨格使ってた時代はあった)
というのなら理解せざるを得ない面もあるけど、
やっぱり「補強や切り貼りを認めても市販車のモノコックをベースにする」という範囲を出ちゃうと
ハコ車のレースは形骸化しちゃうってのは無視できないと思う。
元々パイプフレームストックカーが文化みたいになってるアメリカだって市販車改造のカテゴリは多くあるし、
欧州でもスーパー2000とかで開催されてるシリーズは多くある。
それに対して日本ではスーパー耐久とスーパーGTの間が離れすぎてるね。
で、スーパー耐久はマシンだけはFIA-GT3でも出走できるし、その下のカテゴリも
Gr.Aに近いようなのが出てきてるのに、OSAMUさんが亡くなったあの事故の時に
運営がとんでもなくアマチュアなことが露見しちゃったし。
例えば富士チャンピオンシップレースにスープラターボAとニスモコンプリートR32Gr.Aと
シエラRS500が各々数台単位で出てきてガチレースするくらいのトンデモをやってたんだ、と
あの時気付かされた。 TY 9勝
YH 7勝
BS 24勝
PI 3勝
DL 15勝 オレ的好きなR30
85ニスモ (第1戦〜第4戦)
85リミットPダッシュスカイライン(第3戦、第4戦)
85PMCSPダッシュスカイライン(インターTEC&マカオ)
86ニスモ
86トミカPダッシュスカイライン
86クラリオンスカイライン
87アドバンスカイライン
87レイトンハウススカイライン
88リーボック(開幕戦鈴鹿) 日産ファンだがミノルタスープラかっこいいと思った。 まだフルカーボンじゃなかった時代のGCマシンとかF3000
(マーチ87Bは一応下の方1/3くらいがアルミハニカム)とか、あげくは
アルミハニカムだった時代のトヨタの4発Gr.Cもポルシェ962C(レイトン時代に1年だけ乗った)も知ってた関谷さんが
「あんなに怖い車は無かった」って言ったあのスープラですねw
でも確かにアレは好き。例えば規定重量がもうちょっと軽くなったりタイヤ周りの規定が緩和されれば
もうちょっと簡単にレースを進められたのかもしれないけど、
手持ちの車でこの規則で戦うんならブースト上げるしかねぇべという潔さみたいなものが。
ただ、それゆえ2.5リッター仕様が出た時に何でもう1回公認だけでも取り直さなかったのかとか、
「FIA-Gr.A/N、JAF-N1いずれかの公認があれば使える」とされたN1耐久で
GT-Rが耐久性で音を上げる可能性のある、一方で馬力が意味を持つイベント(例:富士6耐)
とかに持ってこなかったのは個人的には疑問。
なにも富士じゃなくてもテクニカルコース以外なら爆発的にブースト掛ければ
ポールポジションだけでも持っていけば十分に敵の鼻を明かすに十分だったのに。
だってご承知の「Gr.Aコンプリート5500万円」の他に、N1用も確か1500万くらいしたんで
N1ならそこいらのトヨタ系ショップが、最低限ボディだけ(必要ならエンジンも)トムスに作ってもらって
いっちょやってみっかっていうには最高の車じゃないですかw。
「Gr.Aのフルバージョンが2500万で買えた」のフォード・シエラにしても
向こうではGr.N仕様というのが普通に流通していて(FIA公認取ったロールケージがあるのでボディはガチ組み出来た)、
だからBMW M3のそれと同じ要領で、エッゲンバーガーやラウスみたいな有力ビルダーに
日本のN1のルール伝えて作ってもらえば、こっちはGT-Rのブレーキが厳しいような
筑波9/12耐みたいなラウンドで一勝負、それ以外でも身軽さとFRの操縦性で
GT-Rつつき回すには面白い車だっただろうと思うのだけど。 当時のN1耐久のクラス1はGTRだけで10台以上出ていて
一応80スープラやGTO、FDのRX7に初代WRXも同じクラスで走っていたが全く歯が立たず
そもそも上位はニスモの息のかかったチームばかりだから、GTRじゃないと無理という空気があった N1耐久の場合だと、いくらかでも積極的だったのは三菱くらいで
(一応はケガニレーシングはテスト&サービスの実質ワークスサポートだったり、
MRが事実上エボリューションモデルにあたる)、マツダは国内でのツーリングカーレースに
そもそも積極的でなかった上にFD3Sはロータリーの換算係数絡みの問題もありだったと。
ラリーなら定番排気量の2リッターターボ系はターボ換算係数の関係で
2.5リッター超クラスに入ってしまうために軽量以外のメリットが無いといった具合で。
初期の一時期にBG系ファミリアGT-Ae(所謂雪の女王)とか全日本ラリーでおなじみの
ジェミニとか出てて、この辺は2.5リッター以下枠で良かったんだったっけかな。
ただ、基本ラリー用のパーツしか無いので、インプレッサ同様サーキットだと
クラッチとかミッションが厳しかったように記憶。
E30 M3は、アレは当時実際に出走してたカーグラの塚原氏の説明では
BMWモータースポーツに注文入れるとFIA-Gr.Nコンプリートのオプションみたいな感じで
コンプリートで組み上がったクルマ(基本色1色塗装込み)作ってくれるという
非常に協力的な体制だったそうです。Gr.Aも同じように対応してもらえたようなので
まさにツーリングカー界のポルシェ962C。 いつかWEB CGを見ていたら、ポルシェジャパンの広報部長の「塚原」さんという方の写真が載っていて、
熊倉編集長時代の若い頃のイメージしかなかったので、時の流れを感じたよ
彼は定年まで、そこに居るのだろうか MA70じゃなくて、MA60からトヨタももっとまじでやってればね。R30やスタリオンと面白い勝負できたんじゃない?
@86年。
この年ボルクとC-ONEとサードが出たがボルクはすぐに86にチェンジ。いいとこ無かったな。
MA70は88年スパで5位完走。トムスをもっとまじに挑戦させれば面白くなったのに。R32が出たらもう終わりだったけど。 >>621
しかしこれがどうも本物じゃないらしいという…。
確かそのまま永久保存しておきたかったけれどもテストカーに転用してしまったのだとか。
その後でそのテストカーそのものをレストアして元に戻したのかは不明。 ゼクセルスパ優勝車はレプリカ。
だから同じように86チャンプR30とか、リコー&カルソニックR31とか作って欲しいな。 >>622
>>623
あれ、本物じゃないのorz
つい先日、実物を見れたと思ったが本物ではなかったのだな。 日産は最近レプリカ作ってる。と言っても知ってる限り2台だがw
ゼクセルスカイラインと、86年ル・マン初出場のR86Vニチラを作った。 実は日産に残ってたHR31GTS-Rは大森のニスモのゲートガードになってた
リコーカラーの1台しか無かったので、現日産ヘリテッジのリーボックカー自体は
あの車をレストアしたものと当初言われてた記憶が…。
リコーカー自体も87年用と88年用で2台あって、1台は後年JSSでエンドレスが使うために購入して
つい最近までその状態で残ってて、ニスモ時代の担当メカさんだかが現在レストア中でなかったかと。
他にはナウ・モータースポーツがJSSだったか初期のJGTCで使ってたのが、
どっかのスカイライン専門店に引き取られて、これはまだ残ってる。
これと同じくJGTCで使われてた外国屋スカイライン(これも元JSSカー)が、
正確な内訳が記憶にないけど、どっちかがカルソでどっちかがリーボックのはず。
ヨーロッパ選手権で使われてたGTS-Rの方は現地法人に本物残ってた可能性があるので
送り返してもらったなら本物かと。
あと、BTCC仕様のプリメーラは、ありゃー確か本物のチャンピオンカーは英国日産にあって
日本にあるやつはチームメイトの車の方だったはずだけど、
こういうのは例えばF1マシンで中嶋車をセナ車にカーナンバーとドライバー名だけ貼り替えた程度のもの。 当時のレーシングオンの質問コーナーでGTS-RのJSSでの転用先が載ってたけど四半世紀前の記事なので失念
カルソニックはカラーリングほぼそのままで袖山選手、リーボックは都平選手だったような
それにしてもJSS懐かしいな。ああいうカテゴリーはもう無理だろうな 外国屋は元カルソニック号だった気がする。室内も青色だったし。 JSSに転用されたやつ、元のリコー号やカルソニック号に修復できないもんかねえ? 某国でJTCCランティスが発見されたらしいな・・
しかもマツダがレストアするらしい・・
糞遅いKFXじゃなくてプロドライブモンデオのコスワースチューン載せてくれw GT300で1998年まで走ってたムラウチスカイラインは元都平号? >>629
リコーの1台(後のエンドレス)は現オーナーと思われる
ニスモ時代の担当メカの人が今やってる最中らしいけど。どこまで進んでるかは不明。
バーフェン外した内側から色あせたリコーカラーの塗装が出てきたという画像は
何かで見たので、本物なのは多分間違いない。
でも、結局JSSカーやGTカーに改造するためにオーバーフェンダーを入れる場合っていうのは
当然にしてそうしないと入らない太いタイヤを入れる、もしくは外側に出すのが目的なので
(これはハコスカやケンメリの標準車とGT-R及び「Rルック」のリアフェンダーの違いみたいなもん)、
元のホイールアーチは車体強度に影響しない最大限で切り飛ばしちゃってるから、
そこを元に戻すのは当然大仕事になるし、そもそも車体の塗色からして違う、
各部の部品もセミ耐久用からスプリント用に換装されてる(さらにGT用に転用されたものはまた別)。
そういうのを全部やり直すってのは個人レベルでは凄く難しいこと。
本来だったら「当時の本物」の所在が掴めた時点でメーカーが手伝ってくれても良いところだと思うんだけど。
使い道もなく倉庫に転がってるスペアとかあったらそれは格安で提供してくれても良いだろうとかね。 そういえばJGTCのGT1に参戦してた「第一世代」のカルソとJECSのR32は
各々Gr.A最後のシーズンに使ってた車そのものを改造したやつじゃなかったかな。
幻のICL用の試作車に作ったR32ベースの1号車(ジョンソンカラーか何かのやつ)は
確かニスモの緑色の共石カラーのを改造したやつ。
それにしても日産ヘリテッジでレプリカ用に使い回された車がえらくあるということは
少なくともR32に関しては、「本来のカラーリングではないけど現存する」車両は
結構あるかもしれないということかな。
分かる人は座間に行ったりイベントで見てボンネット開けてシリアルナンバー見たら
現役当時の本来の仕様と照合できるのかもしれない。
そこはスポーツプロトタイプでも同じ
(R86Vの他にローラ日産とか、あと現存唯一のLM04Cとか)だけど。
「テストカーに使い回された」と聞いてるスパ24耐仕様のゼクセルが、もしかしたら奇跡的に
別の車のレプリカに化けて現存してるのかもしれないし。
日産ヘリテッジ所蔵のタイサンGT-Rも色の辻褄が何かおかしいような気がするし(内側が白い)、
何台か怪しいのがある。
そういえばザウルスドリームGT-Rだっけ?いわれてたワインレッドっぽい色のやつは
なんか「5500万円で販売開始します」の広告写真に載ってたあの車そのもののような気がする…。
ちょうど良いタイミングで出来上がったからカタログ写真撮影用に使ったとかかねw >>633
ハセミ号は新しくJGTC用に作られたんだと思うけどなぁ。当時のビデオにGr.-A車(93年カラー)と並んで映ってるシーンもあるし。古い車を使い回したのかも知れないけど。
あとザウルス号はFETにが買って91年最終戦から使った。 筑波サーキットの目の前に、ペリエカラーのグループA VWシロッコの残骸があるんだけど、
復活させてほしいな。ていうか動かなくてもいいから綺麗にしてほしい。
誰も興味ないかもしれないけど、VWシロッコ好きなんだよな。ああいう姿を見ると悲しいわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています