【F1】1976〜1986年のF1【鎖国〜開国】1lap
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
どなたかKE009帰国の話、詳しく教えてください! 84年ティレルの水タンク事件についての詳細って案外無いんだな
ブランドルとベロフの成績抹消くらいで。 ザウバーの名義変更という形でアルファロメオが復活するとはな ウイングカー特集面白かったなあ
特にずっと信じていたロータス79>78の図式
マリオ自身が78のパッケージを評価してたとはなあ
子どものころは空気抜きのためのインボード化なんて当然優れていると思ってたけど
そりゃ確かに冷却の問題とか出るよなー 1982年のF1世界選手権
・開幕戦でドライバーの契約問題からストライキが決行される
・FISAとFOCAの対立が原因で第2戦に開催予定だったアルゼンチンGPがキャンセル
・第2戦では優勝と2位が車両重量違反(いわゆるブレーキ冷却水タンク事件)
・これに反発したFOCA系チームがサンマリノGPをボイコット
・そのサンマリノGPでフェラーリに歴史的チームオーダー事件勃発
・続くベルギーGPの予選中にG・ビルヌーブ(フェラーリ)が事故死
・カナダGPではD・ピローニ(フェラーリ)に追突したR・パレッティ(オゼッラ)が死亡
・ドイツGPではこの時点でポイント首位のピローニがA・プロスト(ルノー)に追突して再起不能に
・前年の王者N・ピケ(ブラバム)はこの年から搭載したBMWターボの初期トラブルに悩まされ不調
・前年2位のC・ロイテマン(ウイリアムズ)はフォークランド紛争の余波で引退
・チャンピオン争いは優勝者11名、うち初優勝5名と歴史的混戦になる(3勝以上のドライバー不在)
・ちなみに初優勝はR・パトレーゼ(ブラバム)、P・タンベイ(フェラーリ)、E・デ・アンジェリス(ロータス)、K・ロズベルグ(ウイリアムズ)、M・アルボレート(ティレル)
・タイトル争いに残ったのは、2勝のJ・ワトソン(マクラーレン)と1勝のK・ロズベルグの二人
・結局、地道にポイント獲得を重ね続けたK・ロズベルグがスイスGPの1勝でドライバーズタイトルを獲得
・コンストラクターズタイトルはシーズン終盤、M・アンドレッティが搭乗したフェラーリに戴冠
(M・アンドレッティはC・ロイテマンの代走として第3戦にも出場)
・なお、この年N・ラウダが2シーズンぶりにマクラーレンからカムバックしている
・シーズン終了後にはロータスの総帥・C・チャップマンが54歳の若さで逝去
・FISAが翌年からのフラットボトム規定導入を発表、グラウンド・エフェクト・カー時代の終焉
ここで問題です。ストライキにボイコット、失格騒ぎに開催キャンセル、死亡者2名・重傷者1名、
チャンピオンチームのフェラーリのドライバーは開幕戦と最終戦で二人共異なっているという
このシーズンを、最近のチーム、ドライバーに例えるなどして平成のF1ファンにわかりやすく説明して下さい。 白い巨塔の東教授で寺尾聰が出てたから、そういえば昔、寺尾聰3曲ベストテン入りとかあったな、
ルビーの指輪以外は覚えていないけど、と思ってググったら、3曲の中の1曲とニキ・ラウダでヨコハマタイヤのCMやってたんだね
https://www.youtube.com/watch?v=p0wJeblhUqo
81年だからラウダの浪人時代か 当時のタイヤ屋さんは良いCM多いわね。
ヨコハマはユーロF-3とかR・ハードとかまで出してきたり。
ブリジストンは欧州F-2や若い頃の故J・ガートナーとかね。
‥車屋はもっと前の川越ベンツのサーティースや悪魔の梯子段のアンダーソン位しか知らん。 超今更ラッシュ/プライドと友情のBDを借りたが、レースシーン短めなんだね
クライマックスであるフジのレースシーン、CGの出来がレトロゲームみたいで残念 四天王のことで、切れ目が難しいのか、1986年以前のことでも「1987年〜1993年」のほうで語られていることが多いのでアゲてみました。
四天王のことではありませんが、1983年のパトレーゼ(ブラバム)は、どうしてあんなにリタイアが多くて、結果が残せていないのかどなたかご存じですか?
待遇に差があっただろうことはわかりますが、チームメイトのピケはドライバーズチャンピオンになったチームなのに… ピケのためのチーム、ピケのための車‥な上に不運の年。
登り調子であろう時期に、シャドウ‐アローズに長居しすぎたのかも(サウスゲートとのお付き合い?)。
”鉄人”と言われても”地味に粘り強く不調の車を騙しながら上位でゴール”とか”荒れたレースに強い”でなく、
かと言って”ここ一発の速さ”な人でも無いので、まあしょうがない‥としか。
そのかわり長期、それなりのとこ(ユーロアルファ辺りは除く)でそこそこの成績残して
大きなケガも無く去ってゆく‥なんで、それで良しとするしか。 かたやチャンプ、かたや…のケースだと
85年ラウダが真っ先に頭をよぎる >>749
ポニーキャニオン1983年総集編ではピットでデ・チェザリスに頭をどつかれていたw>パトレーゼ
イモラでは優勝目前で自爆
ブランズハッチではスタートからトップ走行も11周目、デ・アンジェリスに突かれて大きく後退 >>752
イモラは確か、トップでのファイナルラップでクラッシュしたとかいうやつですかね。
「1987年〜1993年」のほうでも、さんざん言われてることだけど、パトレーゼって、単に持ってないとか、噛み合ってないわけでもないよね。 保守ついでに77年のピーターソン仕様が来日してた
【F1】”6輪F1”ティレルP34が鈴鹿を走行 サウンド・オブ・エンジンが開催
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1573993346/ ↑ちょっと曰く付きタイプのプロジェクト34ですな。 この頃の事、詳しく書いてほしかったわね‥この後、解説で忙しくなったんかね、純ちゃんは。 >>758
ピエロルイジマルティニはですねー
実はジャンカルロミナルディの甥っ子なんですねーぐふふ
みたいな感じですかね 今日の鈴鹿のF2第4戦は中嶋が勝利。今季3勝目。まじF1行って欲しいな。日本人にはF1無理なのかなあ…。
今季からホンダエンジンの星野の不振が気になるが。
同日開催のF3、勝てなかったけど鈴木亜久里と片山右京応援してるんだ。今日は亜久里4位だったが。スカイラインRSの日産FJ20エンジン使ってるんで応援してる。珍しい名前だし二人ともハンサムだし。
何の根拠も無いけどこの二人将来はF1行くと確信してるんだ…。笑わば笑え。 当時はF1に行く、ということも現実味がなかったよね
月に行くようなもの コンストラクターやメーカーはともかく
ドライバーなんて想像だにしなかったというか、変に身近になった様な気がして
夢の世界から現実に戻されたと言うか、素直に喜んでいいのか妙な複雑な思いが‥の世界。 最近ずっと家にいて、最近全然見なくなったF1の昔の映像をようつべで見て懐かしんでここに辿り着いた。
以前は一部しか映像で見た事がなかった70年代後半から80年代のレースをフルで見られるのはいいね。
何かこのスレ過疎ってるみたいだけど、87年〜93年も合わせて書き込んで行くよ。 >>760
星野は開幕戦でトラブル出るまでぶっちぎり、今回はフリー走行で全損クラッシュだから不運には違いないけど、特にスランプという訳でもなかろう。
そもそも去年から中嶋は何故かスタートがド下手になってるし、次にノートラブルだったら星野が勝つだろw
それとFJ20はF3用には重過ぎだけど、定番2T-Gはもう旧式だから、タイトル狙うなら今年が最初で最後のチャンスだな。
亜久里や右京以外にも去年最多勝wの山田とかカート上がりの佐野も居るから日産勢には期待か。 84年をリアルタイムで見てた人いる?
ラウダは予選ではプロストに殆ど負けていて、ポールもゼロ、プロストは3回なのにチャンピオンになるんだから凄い。
ピケなんて9回もポール取ってるのに、車が壊れまくってポイントは全然だし。
この当時は不確定要素が多く、特にターボは良く壊れるしガス欠も時々あって、完走率も低くて面白い。
マクラーレンはこの時も後のセナプロ時代もクソみたいなチームオーダー出さないのがいいね。
しかしプロスト、81年は前半リタイア続きで仕方ないにしても、82、83、84は十分に可能性はあったね。 ↑TBSでハイライトの時代じゃリアルタイムは大変やな、現地行くとかでもしないと。
日本じゃ米基地向けのスポーツニュースで取り上げてはいたが。
当時は本場英仏で欧州ラウンドをTVで全て見る‥だけでも大変なはず。 1984年、TBSは結構取り上げてたと思う。ダラスでホンダ勝ったし。
デトロイトGPに休暇を使って石井アナが見に行ったりしてた。
録画テープ有ったんだけどね。ダラスの時、間瀬さんがセナ(つかダ・シルバ)に一瞬触れて絶賛してた。
個人的には84年は2輪のGP/全日本にのめってた。500も良かったけど、250が熱くてそこで踏ん張る福田さん応援してた。 (えんとん・せんな‥とか言って無かったと‥)
後にTV解説で‥そのまま悪声だら喋りでF-1のずんちゃん、ボイストレーニングして臨んだらしいFIM-GPの福田照夫。
まあ勝負になりませんわなあ‥青年誌ではボロクソ言われてたりして‥そして2019の最後までそのままだったと言う‥。 1985年6月16日
今日筑波でやったレースにマッチが出たんですよ。「日本一速い男」星野一義と組んで日産ワークスのスカイラインで。
で星野かスタートからぶっちぎってリードしてマッチに交代したら3周でリタイア。まあマッチ出す時点で日産にも本気で勝つ気は無かっただろうが。優勝はBMW。マッチの追っかけギャルで筑波サーキット開設以来の大混雑。テレビ局のカメラも来てたな。夕方のニュースでやったのかな?
前座レースのF3に鈴木亜久里と言う選手と片山右京と言う選手が出てて、2位と5位に。この二人将来F1行くぜ。俺が保証する。 >>567
F1映画で面白かったのは1971年モナコグランプリのジャッキースチュワートに密着して撮影したドキュメンタリーのウィークエンドチャンピオンだな。
ホームビデオでもいいから誰か他に似たような映像撮ってる人いたら編集して映画にしてくれないかなぁ? >>765
大藪春彦「アスファルトの虎(タイガー)」を読んでみるといい
開幕戦でPPのデ・アンジェリスは景品として子豚をもらっていたとか
まだまだ牧歌的な時代だったんだな 0837 神様仏様名無し様 2020/07/01 21:31:48
日産も耐久本気だぞ。V6ターボ投入。今月カリフォルニアのリバーサイドでシェイクダウン。星野も渡米してテストするそうた。打倒ポルシェが実現するか?28日の富士500マイルでデビュー。
ホンダのF1エンジン積んだウィリアムズも先月デトロイトで勝ったし、トヨタもル・マンで初出場初完走したし、日本のメーカーもモータースポーツ力入れてきたな。
ヤマハも松本恵二にF2エンジン供給するしな。
あ、そうそう、月末の8耐。平がキングロバーツと組んで参戦するが、スポンサーが資生堂テック21だってな。かっこ良さそう。 0878 神様仏様名無し様 2020/07/07 21:34:34
今日の鈴鹿F2で星野今季初勝利!星野のホンダ初勝利でもある。ここから中嶋に逆襲して欲しいな。
週明けにはアメリカのリバーサイドに渡って日産の耐久用V6ターボテスト。忙しいね。
月末の富士500マイルでデビュー予定。このレースの前座にマッチも出る予定。
同じ日の8耐も平/ロバーツのテック21ヤマハ、期待だな。カラーリングすっげカッコいい。とんねるずより平だよ。
ジョニー・ダンフリーズ死去 飛び去るマ〜シンと〜煙の中に〜♪
あの頃の〜セナが〜いた〜♪
オ〜オ〜ジョニー♪
君は今〜♪
オォ〜オ〜ジョ〜ニー♪
天国にいるの〜か〜♪
https://www.youtube.com/watch?v=une4_l14MJI 何となくブレンドン・ハートレイと同じように優しそうで
生存競争が厳しいF1では生き残れそうにない顔してるなw
https://formula.hu/uploads/oufhtoyhvuf78o1fpmyk.jpg 御貴族様の子息だしね
でもヘルメット見てわかるようにスコットランド系なんでワイルドな面もあると思う
イタリアならアンジェリスみたいなもん。 ルノーが挑戦しなくてもどこかが排気量半分のスーパーチャージャーに挑戦しただろうか
それとも3リッターNAがずっと主流ままだったんだろうか? 70年代後半にターボチャージャー付エンジンでGr5や6に挑戦していたのがルノーとポルシェとBMWくらいだしね… とあるレース漫画でポルシェ935ターボがストレートでF1のタイレルP34を
ぶち抜いたという話が紹介されていてポルシェターボ凄いな〜と思ったら
最終回辺りでF2王者の飛鳥ミノルと共にポルシェがF1にターボマシンで
参戦してデビュー戦でいきなりトップを走ってたのを見てビックリした ルノーがターボマシンでF1に参戦した当初はエンジントラブルで
バルサンしてたからイエローポットとか言われて笑われてたな >>784
とあるレース漫画とぼかしてるんだから主人公の義兄とかにしなさいよ
最終回は79年のGPだからターボが初優勝する年ではあるんだよな 自然吸気エンジンは3000ccなのに過給エンジンは1500ccというF1の過酷なルールを
恐れず技術者魂を燃やして茨の道を選び二年間の苦闘の末に優勝したルノーは偉い ルノーのターボマシンが初優勝した時に一番注目を集めて賞賛されたのが
もう一台のルノーと死闘の末に二位に入賞したフェラーリだった・・・ 挑戦したのが偉いのではなくて、勝つ見込みを計算出来たのが偉いのだよ
見込みなしに挑戦するのはドン・キホーテだからさ
おそらく勝つ見込みを立てられた会社はいくつかあるだろうけど、莫大な予算がかかを投入できたのはルノーだけだったんだろうね 5をミッドシップにしてラリーに出たり、エスパスにF-1の載っけてみたりする会社だから‥
それも公社時代に ルノーがF1に参戦する時、NA W9型も考慮していたとAT誌1979-10号に記述あり。 ウイングカーに普通のV8エンジン乗せれば簡単に優勝出来たのに ロータス79は78年途中で投入されて79年はもう周りについて行けなくなってたからそんな簡単なものじゃないだろう 簡単に優勝出来るウイングカーを作る方法
サイドポンツーンにスカートを付けてシールドして
マシン後部に排気ファンを付けてマシン下部の空気
を吸い出して後ろに吐き出すようにする(走る掃除機) ロータス79は成功したけどその後が失敗続きだったな 優勝も82年まで遠ざかるんだっけ
もし88が実戦投入されていたらどうだったろうか? Pヘッドのインタビューだとウイングカーについて深く理解していない仕上がり具合と、車両の工作精度が酷いとか言ってるのを読んだ記憶 まあブレーキやらシャーシ剛性の問題もあったんじゃないかな 俺はウルフWR1がコンパクトなスタイルで好きだったな ロータス79は現在の空力F1マシンの基礎を築いた歴史的名車として
また美しい姿からブラック・ビューティーと称賛されたし圧倒的な
速さを誇ったが決して完璧なマシンでは無く致命的な弱点もあった
ロータス78はモノコックにアルミハニカムを使って剛性を高めてたが
ロータス79は空力重視で細長いモノコックにする為にアルミハニカム
は一部だけ使い殆どはアルミの一枚板で作られた為に車体剛性が低下
また車体後部がボディワークで覆われていた為に各部の温度が上がり
エキゾーストパイプが破損したりブレーキキャリパーの温度も上がり
ブレーキフルードに気泡が入ってブレーキが効かなくなる事もあった ロータス79をコピーして尚且つ問題箇所も改良して
完璧なマシンにしたのがウィリアムズFW07 本来ならCチャップマンがやるべき仕事をPヘッドがやってちゃっかり成功した ヘッド→堅実なテクニカルディレクター
チャップマン→マッドサイエンティスト チャップマンより実戦的なマッドサイエンティストがゴードン・マレー チャップマンのウイングカーよりマレーのウイングカーの方が凄かった マレーはファンだったりハイドロ車高システムなどあれだけアイディアを出したのに
83年以降グラウンドエフェクトの追及をパタッととやめるんだよな 83年はグラウンドエフェクトカーが禁止されたから
ダウンフォースの発生は前後のウイングのみに頼った
そしてウインドトンネルを確保する必要が無くなった為
サイドポンツーンは殆ど無くして空気抵抗を減らした
見た目がまるで矢のようなのでアローシェイプとか
何となくイカっぽいのでイカボディとか言われてたなw
https://pbs.twimg.com/media/E0GZWVHUcAYE3Fg.jpg チャップマンは79のアップデートよりも80の開発の方を最優先して
理想に邁進しすぎた80が結局使い物にならないと判断するのが遅かったのも フラットボトムルールでもグラウンドエフェクトが稼げるとわかった84年以降も消極的だった
86年のBT55でもディフューザーついてないんだぜ >>806
Ronのブラバム特集を見てたら、BT-44BはF1で最初のベンチュリ−カーだとマレーさんが言ってるな 間違えた グランドエフェクトを取り入れた最初の車 だった。 グランドエフェクトを取り入れた最初の車はロータス78
というのが世間一般の認識なんだな。 >>811
と言われてもどこを指してベンチュリーカーだと言ってるのかさっぱり見当も付かないけどな >>811
マレー直筆の図解が載ってたな
個人的には元々はリフトを嫌って入り込んでしまう空気対策が負圧を生んだんじゃないかと推測してるのだが >>813
アンドレッティによるとエンジントラブルに足を引っ張られなければ
ロータス78で世界チャンピオンを獲る事が出来たらしいな。 85年もリアルタイムだったら終盤にかけて盛り上がったんじゃないかな
あと86年ドイツもリアルタイムで見てみたかった >>816
ロータスのDFVはコスワースチューンで攻めまくったチューニングエンジンとか
正直F1チームのDFVはワークスチューンかどこのチューナーかGPCarやRonでも触れてほしいよね >>816
普通のDFVを搭載してたらロータス78でマリオが世界チャンピオンになって
史上初のグランドエフェクトカーであるロータス78は歴史的名車として
輝いていたのに美味しい所をロータス79に持って行かれたのねw 速さはロータス78+アンドレッティが1番だったがチャンピオンになったのは
ロータス78より遅いが信頼性が高いフェラーリ312T2+ラウダだった ロータス79もチャップマンは攻めたギアボックス積もうとしてたけどアンドレッティが反対してコンサバ路線でいったとかなんとか
ここでアンドレッティが反対してなかったら72がロータス最後のチャンプマシンだった可能性もあったかも 凄いなこんなスレあるんだ
ここの爺さんなら知ってそうだから聞くが海外製作で日本でもどこか多分NHKで放送されたマクラーレン時代のニキ・ラウダの特集みたいなのって見た人いる?
うろ覚えなんどさだがラウダと若手ドライバーの走りを比較してラウダを持ち上げる内容なんだがその時の若手ってアラン・プロストですかね?
見てた人居たら教えて欲しいな チャップマンの辞書にはコンサバという言葉は存在しないんだろうな
普通は成功したロータス79の弱点を直した発展型としてロータス80
を開発するはずなのに変な方向に突き進んで自滅してしまったw チャップマン生存説が流れた頃カーマガジンだかに載ってた記事で
亡くなるころにはもうF1への関心が無くなっていて、他のビジネスへ移るつもりでいたとか書かれてたね。
デロリアンへの出資も生存していたら訴訟されていたかもしれないとか、晩年ネタも色々豊富なCチャップマン 体感、ツインカム6
チャップマンが亡くなる前にロータスとトヨタが提携してトヨタの
高級スポーツカーのCMにチャップマンが起用されたりトヨタの車の
部品をロータスの車が多数採用したりトヨタの高級スポーツカーの
足回りのセッティングをロータスのスタッフが担当していたらしい
https://i.pinimg.com/originals/77/cc/b2/77ccb2c52fb8c4432e77e3d3d5822ffb.jpg >>826
こういう仕事はスゲー適当にやってる感じもあるw ハンドリング・バイ・ロータスはジェミニのZZで
セリカのスタイリッシュクーペはTTEでWRC
適当な仕事といえば、その名前と違って宅配便がやけに遅かったフットワークで
その金を当時、財政悪化の穴埋めにした?”P”‥という事で。 F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
https://www.youtube.com/watch?v=HFiH6w1rCBw
F1マシンでも言える事だが高性能な車であるほど
正確な思想がなくてはならない。
170馬力を完全にコントロール出来るセリカには
その見事な凝縮がある。
全開ツインカム6スーパー・グランド・スポーツ
セリカ・ダブルエックス。 F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
今、新セリカと語り合う(プロトタイプ)
https://www.youtube.com/watch?v=n1-xgyAzJEs
英国ノーフォーク・ロータステストコース
体感ツインカム-6 CERICA XX
スーパー・グランド・スポーツ誕生
コングラチュレーションズトヨタ
ワールド・スーパー・スペシャルティーズ
世界、新CELICA
発表会は7/11土12日 この変貌を誰が予想したか?F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
彼が新セリカと最初に語り合ったラッキーな男だった
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1230438644671926272/pu/vid/720x540/SX6NigJWdUMLR0H1.mp4
体感ツインカム-6 CERICA XX
スーパー・グランド・スポーツ誕生
コングラチュレーションズトヨタ
ワールド・スーパー・スペシャルティーズ
世界、新CELICA
時代はTOYOTA だが角田のキャラと若さで応援はめっちゃしてるしおまえらもしてやれよ温かい目で
中の色々があるのかもしれんなはたから想像する以上に
が通用するのも残り数戦までだ
中盤あたりでもこの感じなら何も言うことはねーわ 1970年台に欧州で年数戦行われてたノンタイトル戦が面白そうだよね
MAKIF1も完走したというDFV搭載車祭りで、時にはF5000も混走とか。 セオドールでケケが勝ったり、アゴスティーニが出たり。
オーロラシリーズにはティフ・ニーデルがシェブロン唯一のF1 B41で走ってた。 >>823
日本のタレントが数千万円ぐらいだから同じくらいだろう サーキットの狼F1編を読み返したら「ジャックラフィー開幕から二連勝」てバーンと描かれておった
ラフィーがいちばん輝いていた時だ(この年2勝止まり) JS11かあ デパイユが足骨折しなかったらまだ勝ててたとも言われてるけどねぇ メカにも強く、開発にはうってつけ‥だったラフィーが車仕上げられなかったという事よ
グランドエフェクトカーの時代だった‥もあるかもしれん
デパイエはその辺り超一流だったしね、レースじゃ無茶な事結構するんだけど。 オートスポーツに掲載されたラフィー1986年初頭の翻訳インタビュー記事で、不調だったウィリアム時代について「ケケは変な車でも乗っちゃう」と語っていた
何のことかというと、早めにステアリングを切るラフィーが、超オーバーステア好みのロズベルグに合わせた車に乗せられて苦労したという話 >>823
トヨタは太っ腹だから一億円ぐらい払ったをじゃないかな >>826
チャップマンとオベ・アンダーソンのコラボってかなり豪華だな
アンダーも後年トヨタでF1に関わるし 1970年代前半にT.T.E.つくった(トヨタがつくらせた)のO・アンダーソンだから、結構古いんよ。
日本でも80年代前半位か?スターレットで悪魔の梯子段のCMが有名
(後は川越ベンツのサーティースとか) ラフィーも1年だけ乗ったウイリアムズが全然ダメだったね
後にリジェイに復帰して両足複雑骨折した時に、保険屋に二度とF1に復帰しませんという署名をさせられた話は泣ける… FW09B+ドッカンホンダターボはF1の歴史上ケケじゃないと扱えない説
またはジルも含む ロズベルグはこの後マクラーレンに移籍してラフィーみたいにスムーズにコーナーを曲がるプロストとチームメイトになり、プロスト向きの車に乗せられて不満を抱くわけだ ロズベルグはオーストラリアGPでプロストにチャンピオンを獲らせる為に
ウィリアムズの二人をオーバーペースに巻き込んで潰してやろうと目論み
後先考えず飛ばしトップを快走するがタイヤが持たずバーストしてしまう
そしてリタイアしてマシンから降りた自分の前をプロストが通り過ぎる際
にグッドラックと親指を立てて奇跡の逆転優勝を狙うプロストを応援した ダブルタイトルを逃してホンダは悔しかったことだろう >>826
チャップマンがトヨタのツインカム・エンジンに深い関心を持ったという話が本当なら
彼が生きていればF1でロータスにトヨタがエンジンを供給する事もあったのだろうか?
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/002/764/265/...
チャップマン「高性能なクルマには、高性能な思想がある」新技術-時代はTOYOTA
モータースポーツの頂点F1のレーシングカーでも言える事だが、ハイパワーの
追求以上にそれを支えるマシンづくりが大事だ。サスペンション、フォルム、
シートなど車を構成する全てのファクターがパワーを生かす為に結集する。
それが真のスポーツカーを誕生させる為の欠かせない要素だ。170馬力
を完全にコントロール出来るセリカには、その見事な凝縮がある。言わば
「170馬力の思想」を持った車と言えるだろう。私は一人のレーシングマシン
設計者として、セリカのこの高性能な思想に限りない拍手と熱い称賛を贈りたい。
170馬力の思想。WORLD SUPER SPECIALTIES SUPER GRAND SPORT TWINCAM 6 CELICA XX 本当にチャップマンがトヨタのエンジンなんかに興味を持ったのかな? まかり間違えばロータス・ホンダではなくロータス・トヨタになっていたのかな? チャップマンが死んだ後だけどロータス・エリーゼは一時期トヨタエンジンだったな >>852
最近の記事だとトヨタの偉い人達がOKを出さなかったという風に書かれているね F-3が一時、ノバの2TGだらけだったんでどのチームでも興味は持つやろ‥ってヤマハか トヨタのツインカムエンジンと言えばヤマハ
ヤマハと言えばトヨタのツインカムエンジン
トヨタとヤマハは同じ東海地方企業で仲良し タイミングベルトのカバーとかに普通にYAMAHAのロゴ付いてるしね、隠そうともしてない 名車トヨタ2000GTもヤマハの企画にトヨタが乗った合作
トヨタアンチはヤマハ2000GTと呼んでいるらしいw トヨタがヘクトール・レバークからロータス78を買って自製の1.5リッターターボエンジン載せて
当時レース浪人のガンさんが東富士のテストコースで走らせてた・・・・・・
そんな話が当時はまことしやかに・・・・・・。 ロイテマンが消化器出血を患って入院してたんだけどとうとう集中治療室に移ったね ”鷹の眼を持つドライバー”ロイテマンもピンチか‥。 >>852
新聞にも広告を出した体感、ツインカム6
F1の神と呼ばれる男を擁して、セリカは世界へ発進する。
現代F1マシンの天才的設計者、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン。
世界のモータースポーツ界に今も大いなる啓示を与えてやまない、この「F1の神」が
新セリカのエンジニアリングに、熱い賞賛を送った事をまず報告したい。エンジン、
サスペンション、シート、そしてスタイリング。それらセリカを構成するパーツの
一つ一つに、このF1設計者の鋭い視線が注がれたのだ。「コングラチュレーションズ」
新セリカを体感した、この彼の言葉にスーパー・グランド・スポーツの魅力の全てが
あると言っていいだろう。「F1の神」を擁して今、新セリカは世界へ発進する。
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/014/813/408/44564da99a.jpg
体感、ツインカム6。 精悍スーパー・グランド・スポーツSELICA XX 世界へ発進。 >>863
X SELICA XX
〇 CELICA XX >>852
世界のモータースポーツシーンで活躍するTOYOTAツインカムに
チャップマンの心が動きパワーソースとしての完成度を見た。3レースは
オーバーホール不要という不朽のツインカムに強い関心を持ったのだ、だってさ。
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0204/users/
8699ececa311dcf1dca96fc567762b41b874f8df/i-img1200x883-1618275423gugckt1468.jpg 市販車でもトヨタはラッシュアジャスター付きツインカムでメンテナンスフリーにしとな。 三菱もトヨタの真似してDOHCエンジンにラッシュアジャスターを
付けたまでは良かったが異音がするとクレームを受けてた >>870
ディスカバリーチャンネルでやってる名車再生でディーラーのマイクが
入手した199年式三菱GTOのレストアを元F1メカニックのアントに依頼
したらやはり不具合箇所の一つにラッシュアジャスターの異音があった
そこでアントは三菱が作った改良パーツを早速手に入れて交換してたな GTOが発売されてすぐにエンジンからカチカチ異音がするとクレームがあったらしい インテークマニホールドを外すと三菱製ラッシュアジャスター付き24バルブDOHCエンジンが現れる
ロッカーカバーを開けるとロッカーアームの下に小さなパーツがありコレがカチカチ音を出す原因
専用の工具をカムシャフトに引っ掛けて力を加えバルブスプリングを押さえるとロッカーアームを
簡単に外せるし24本のラッシュアジャスターも取り出せるし問題点の先端の小さな穴も確認出来る
小さな穴にカーボンが溜まり固着しオイルの流れが制限されロッカーアームが降りた際にカチカチ
音がするので三菱は穴を大きくしてオイルの流れ制限されないようにしオイルの膜で異音を防いだ
アントは改良版ラッシュアジャスターを一晩オイルに漬けたのでスムーズに取り付ける事が出来た 子供の頃にGTOを見たアントはイタリアのスーパーカーだと思ったらしい フェラーリの出来損ないというかパチモンにしか見えない 中身は横置きFFベースの4WDだもんな、ボディのフォルムはフェラーリみたいでも横から見ると
タイヤとフェンダーの隙間が大きく最低地上高も高いんでなんちゃってだと分かる フェラーリ348tbを参考にしてデザインしたのかな? リトラクタブル・ヘッドライトはどんどん消えてしまったな 余計な物は省いた方が良いシンプル・イズ・ベストだから 対人衝突で飛び出してるライトが人を引っ掛けるんで安全性が問題視されていたのと
HIDやLEDライトでライトユニットを小さくできるようになったのとで使われなくなった
今はもう法規で禁止されてるから生産車に採用されることは無い それに夜間走行する時に空力的に障害になり得るってのもあるな。 絶滅させられたリトラクタブル・ヘッドライト車が怒りの逆襲
憎っくき固定式ヘッドライト車に八つ当たりの目潰し攻撃
クィーン
リトラクタブル〈注〉のヘッドランプかい・・・
カエルの目玉みてえなのを出しやがって
カチッうっまぶしいライトを上向きにしやがったな
うわあーっへ ヘイユー!こ こいつ・・・・・・!
https://www.sukima.me/bv/t/gomabooks0000180/v/3/s/2/p/18
〈注〉リトラクタブル・ヘッドランプ=開閉式の前照燈のこと モーターが故障したらライトが出て来なくなって夜間危ないな。 子供の頃マセラティ・ボーラの運転席に座らせてもらった事があるけどライトの開け閉めは
モーターじゃなくてダッシュボード下にあるレバーをガッコンと引いて持ち上げる仕掛けだったw シトロエン傘下だったのでLHMという専用油圧システムを搭載ブレーキサーボやシート高上下
やペダルの位置調整やリトラクタブルヘッドライトの開閉にこの油圧システムが用いられていた
https://kuruma-news.jp/vague/wp-content/uploads/2020/09/c20200916_maserati_bora_012.jpg そしてハイドロ車トラブルの定番オイル漏れが唯一の弱点になった。 ボラは通常のラック・アンド・ピニオン式ステアリングだが
カムシンやメラクなどは油圧式パワーステアリングだった。 信頼性が低いハイドロ機構が嫌な人は買わない方が無難だな。 1975年に親会社がデトマソになり信頼性が低いハイドロ機構を止め
コンベンショナルな方式に変更した車を買った方が賢明だな。 シトロエンのハイドロ機構とシトロエンSMのエンジンを搭載したメラクは
ヤバそうだけど普通の機構にしてエンジンをパワーアップさせて改良した
メラクSSは良さそうだからか知らんが池沢さとしも一時期乗っていたな マセラティはフィアット傘下に入るまでとにかくぶっ壊れる車の代表格って印象が強い
今なお細かいトラブルは壊れた内に入らないそうだし >>902
レプリカでもティレル公認だとシリアルナンバーも続きになるだろうから高値が付くだろうね ロータスがサイドポッド内で路面に吸い付けてるって世間にバレたのはいつ頃?
79年には79フォロワーが出てるから78年には大抵の事が知られてた事になるよね? >>891
デトマソ時代に発売したマセラティビトゥルボは高性能で豪華な内装を誇る
スポーティクーペとして大ヒットしたがやはり信頼性が低かったらしいな >>904
ティレルがLotus 79を製造した外注工場からデーターを買ってTyrrell 009を作ったね >>904
周りはすぐに気づいてたよ。
トラックから車体降ろすときなんか、カメラマンが下に潜ってバシバシ写真撮ってたし、
その光景を見ていたチャップマンはニンマリご満悦の様子だった。 77年にロータスは既にベンチュリーカーを参戦させてたからな サイドポンツーン内の仕掛けにまず気付いたのはウルフで、WR5で
同じように
ウイング状にしていたが、完全には理解してなく結果はイマイチだった。
ブラバムは別のアプローチでシャパラルがやっていたファンカーを導入(BT46B)したのは
エンジンがアルファロメオのボクサー12気筒なためサイドの気流面で不利だったためか 1977年に登場したF1界初のウイングカーであるロータス78は速いマシンで
アンドレッティによるとエンジンの信頼性に足を引っ張られなければ
チャンピオンを獲れる戦闘力があったのに勿体なかったそうな 早く気付いた、でも今一つだったH・ポスルスウェイト
‥どうかはしらんが、面倒そうだしインチキ覚悟で手っ取り早い方法、サクションカーを選んだG・マレー
最後まで曲解して2枚構造にまでして失敗のT・サウスゲート
アローズ低迷だけでなくシャドウ、社長死んでいなくなったシェブロン、そのF-2に乗ってキャリアつぶしたB・レイホール
が餌食となる
安上がりの方法‥サイドに底面とっぱらったがらんどうの箱くっ付けただけで僅かながら効果得たのはマーチのR・ハード
デザイナーそれぞれの性格の違いが出てて面白い。 ドゥカルージュがデザインしたリジェJS11はJラフイーが何戦か勝った成功作だったね ウイングカーを作る際に重要なのは適切なウインドトンネルを設ける事と
それをシールするサイドスカートなのだがエンジンがウインドトンネルの
邪魔にならないV型である事も重要でコスワースDFVはちょうど良かった
ボクサーエンジンのアルファロメオを使うブラバムはウインドトンネルが
設けられないので仕方なく排気ファンマシンで優勝したが1戦だけで禁止
ところが同じボクサーエンジンのフェラーリは何とデザイナーが無理矢理
ウインドトンネルを設けて強引にウイングカーを作りチャンピオン獲得w 排気ファンカーを禁止されたブラバムは翌年アルファロメオに頼んでエンジンを
水平対向からV型に変えて貰い普通のウイングカーを作るがエンジンの大きさや
重さやポーパシングに悩まされて低迷し終盤にはアルファロメオとの関係も破局
アルファロメオのV型12気筒エンジンからコスワースのV型8気筒エンジンに変更
するが逆にこれで戦闘力が上がり翌年はウイリアムズとチャンピオン争いを展開
その翌年はハイドロニューマチックサスペンションの威力でチャンピオンを獲得 >>912
ありゃちょっと微妙〜な車、デザインも他所と違って仏ぽい?って言えばそうだし、カラーリングもシンプルでなかなか良い‥
でも、デパイエ離脱したとはいえ、ラフィーも車の仕上げに関しては評価高かったのにね‥急降下でして。
開幕直ぐの感じじゃぶっちぎりでタイトル取っても不思議じゃなかったのに。 それだけドゥパイエの開発能力が高かったとも評価できるわな。
ミシュランvsGYのタイヤ戦争のとばっちりで戦闘力ガタ落ちになった
タイレルP34(77年仕様)を何とか持ちこたえさせたり、翌80年に移籍したアルファロメオでも
序盤は予選で下位だったのをトップ10あたりにまで
引っ張り上げてた。 ティレルの6輪車の公認レプリカいいな。
コスワース搭載車ならいくらでも作れるね。
90年代にカーグラフィックでコジマF1の再生記事があったけど、あれも
ロールバーとペダルの前の隔壁だけ再利用して、モノコックは新造してたな。 >>917
近年だとローラT70やデイトナコブラにジャガーDとか再生産扱いでFIA公認のヒストリックカーレースに出場できるから良いよね リジェはマトラの糞重たいV型12気筒エンジンから軽量なコスワースの
V型8気筒DFVエンジンに変更した事で30sも軽量化されて戦闘力が
アップしたらしい(ブラバムと全く同じ)がロータスの真似をして
ウイングカーにした為強烈なダウンフォースが車体にかかり
徐々にリベットが緩んで車体剛性が落ちていったそうな 背中に”リジェと言えばマトラV12と‥”なエスカルゴ背負ったら、11の車体よりそっちの方が大きかったりして
>リベットが緩んで
そうなるわなあ‥新品用意したらまた早くなったりして‥ちっこくてシンプルで綺麗な車だったのに、
もったいない残念な2シーズンでした。 中矢さんがフランスのコンストラクターの造った車は
イギリスのコンストラクターのと比べると明らかに見劣りするって言ってたね。
特にリジェはドラシャにクロスジョイント使ってるの腐してた。 フランスのコンストラクターと言えばルノーだな
1977年にシャシーもエンジンもガソリンもオイルも
タイヤもドライバーもスポンサーも全てフランスだらけ
オールフレンチ体制で参戦したがレギュレーションで不利
なターボエンジンで参戦した為トラブルでリタイアし捲った
1979年のフランスでGPでジャブイーユが初優勝したが2位を
争ったアルヌーとヴィルヌーブの方が注目を集めてしまったw アルヌーとヴィルヌーブのバトルはF1史上最高のバトルだと
高く評価されF1ファンの間では今も語り草となっている。 F1の歴史に残る壮絶なバトルを繰り広げたアルヌーとヴィルヌーブはマシンから
降りると攻撃的な走りとはイメージが違い二人共に小柄で優しそうな青年だった。
https://i.pinimg.com/originals/6e/56/70/6e56706357d0c0fca6e144ff403e274c.jpg 女性問題でエンッオの怒りを買いフェラーリを首にされたけど、
エンッオ死後のフェラーリ創設60周年記念の式典では、しっかりと呼ばれてるから関係は修復してるんだよな。
プロストが参加しなかったから、出席したのかもしれないけど。 優勝者が悲しそうな顔で後に妖怪通せんぼ爺と日本限定で
呼ばれる事になる3位の人が嬉しそうな顔してる表彰台
https://pbs.twimg.com/media/D-YzvrkXkAAtjJ2.jpg 優勝した自分より2位や3位の奴の方が注目を集めたら悲しいわな。 >>927
アルヌーとプロストの遺恨話は中々面白いな
アルヌーのフェラーリ離脱で搭乗できる車の差が開く一方で、通せんぼおやじなるのは必然だったな >>922
1977年から1979年まで2年間ターボ・エンジンが
ぶっ壊れバルサンし捲りイエロー・ティーポットと
バカにされてたが母国で遂にポール・トゥ・ウィン!
残念ながら2位は派手なバトルの末にフェラーリに
奪われてワンツー・フィニッシュとはいかなかったが
3位に甘んじたルノーのドライバーは満足気に笑顔だった
https://www.youtube.com/watch?v=HZ4jDAMCduQ ルノーは前戦のモナコからギャレット製シングルターボから
KKK製ツインターボに変えてターボラグを改善した事が
功を奏してフランスでの好走に繋がったんだろうな しかもアルヌーにとって初ポイントと表彰台がこの79年フランス このフランス以降の8レースでのアルヌーはオーストリアとオランダの
予選でポールポジションを獲りフランスで3位イギリスとアメリカで
2位オーストリアで6位と活躍する一方リタイアが4回と多かった この頃ルノーの1500ccのV6ターボエンジンはフェラーリの
3000ccフラット12エンジンと互角の510馬力に達していた ジャブイーユは仏人ぽくない謙虚な人だから‥
パニスやコマスはその系譜 そういえば一部の例外を除いてフランス人F1ドライバーは性格に問題がある人が多いな このスレ的に言うとPタンペイは良い話しか聞かなかったね >>940
え?オンナ癖の悪さには定評があったけどw
まあピケには敵わないか 80年代以降の問題児フランス人F1ドライバー
ピローニ:ビルヌーブを裏切り事故死の一因となる
アルヌー:80年代後半に妖怪通せんぼジジイに劣化
プロスト:ホンダを批判し日本人ドライバーも差別
ガショー:タクシードライバーに催涙スプレー攻撃
グロージャン:マシンに乗ると人間ミサイルに豹変
オコン:メルセデス援護の為に他車をミサイル攻撃 >>940
結構ワンマン‥っての書いてあった記憶がある、雑誌名は忘れた >>942
ジャブイユ、タンベイ、デパイエ、ラフィー、ジャリエはまあそうやろ
ピローニはまだ若すぎの時期、アルヌーはチビ そういえばTAGというとマクラーレンのイメージがあるが最初にスポンサーとして付いたのは
ウィリアムズだったっけ。
ウィリアムズのツイートに黙祷文とか出ると御大のことかと思ってあせるんだがw
個人的にはテクニーク・ダバンギャルドと聞くとスペースシェリフギャバンを思い出すが サウジアラビア航空繋がりでウィリアムスが最初
(でもそれ以前どこかに、小さなステッカー一枚位のスポンサーとしてついてたような気もする、ドライバーの個人スポンサーかも)
まあTAGも要は仲介業みたいなもんだし、武器屋さんだった創業者の隠れ蓑みたいなもんでしょ。 TAGエンジンを制作したポルシェが所有しているF1用ターボエンジンがポルシェの社内展示用の1基しかないとなんかで見た
それもRデニスから感謝の意味で後に送られてきた個体だそうで
その辺りの契約が厳格に行われた模様 >>947
TAGが付く前のホイヤー(時計メーカー)じゃねそれは?
それならジョー・シフェールが個人スポンサーとして最初に持ち込んだらしい。 ホイヤ、モータースポーツとは古〜くからの関係で、広告看板なんかじゃ下手するとファンジオが走ってた頃からなんで
‥レガさんのティソとかスイスのドライバーは時計メーカーと縁が深いけど‥TAGだけホイヤだけ時代は違うと思うわ
>>948 当時、エンジニアのJ・バース(バルト)だったかがインタビュー記事で
「ウチが請け負ったけど、ありゃ正式にはTAGターボ」‥使用後も結構無関心だったのね、本人達。
3代目?宇宙刑事シャイダー‥アニーにお任せ‥ 質問ですが、ラウダとプロストの走りは似ていると聞きますが唯一違いってありますか?(チームメイト同士のトラブルは除いて) 中東スポンサーを獲得した新興弱小チームがロータス79を
研究した末コピーに留まらず欠点を直した完全版ロータス
79で連勝して2位に躍進し翌年チャンピオンチームとなる
https://pbs.twimg.com/media/EflO3JcWsAARk99.jpg >>951
プロストは晩年でもフランスグランプだけは予選からリスクを負う走りをしたとか
マクラーレン時代のラウダにオーストリアGPでリスクを負った走りをした話は聞かないからその辺りか違いかも >>952
FW07が特別美しいなんて言われてないからJPSカラーは偉大だな >>954
ホンダ第2期F1活動総監督だった桜井氏がホンダ本社の最高意思決定機関である
専務会の場でF1エンジンの2チーム供給を上申した際にロータスの監督が用意
したJPS・ロータス・ホンダの予想図を見せたら大好評で承認されたらしい ブラック&ゴールドのカラーリングなんて今でも通じるし、ロータス以外似合わないよね。 >>951
ラウダは’75〜’76前半なんか、ジャーナリスト連中が「あいつは水の上も歩けるんじゃないか」言う位早かったらしい
でも基本、ライバルは仲良い知り合いや弟子(無類の女好きが多い)、違うのはフィッティパルディ(実際どんなのかよく知らん)と
何考えてるか分からんが早いマンセル?←この手のはやり易かったかも
後、同チームのドライバーに嫌われんよね、助けてもらう方が多い位だし
プロストはその点ライバル、チームメイトが自身と同じような”性格難であり早い”の人だったから、後期ラウダみたいな
”しぶとく生き残って点を取っていく”は分っててもできんかったかも
チームやチームメイトから嫌われる事も多かったし。
走りの違いなんて分からんよね、こちとら素人だし、雑誌でも読むのが一番早い‥特に当時の。 >>955
これを見せられたホンダの首脳陣がカッコいいと
喜び予算を倍増し2チーム供給を即承認したんだな
ホンダは第1期F1活動でロータスにエンジン供給を
ドタキャンされ急遽シャシーも自作する事になった
遺恨があったがそれがどうでも良くなる程カッコいい
https://pbs.twimg.com/media/C223EtFUAAAHDDj.jpg >>962
スポンサーにオリンパスがいれば完璧だった オリンパスはサイドポンツーンのDeLonghiの部分に85年まで付いてたね。 >>951
プロストはかたくなに飛ばしシフトでシフトダウンするけどラウダはどうだっただろうか? >>963
ブラックビューティーを愛するオールドファンとしては
やはりオリンパスのステッカーが無いと物足りないな
https://pbs.twimg.com/media/Ef3uou1WkAEhHHR.jpg カラーリングだけでお腹一杯。カラーだけでロータスって分かるから。マクラーレンだって世間的にまだマルボロカラーのイメージ付いてるし。 オリンパスと来たら次はキャノンだろうと思ってたら
ウィリアムズにキャノンが付いて日本のカメラ対決
と思ったらオリンパスが居なくなってしまった
日本のカメラ対決は僅か一年で終了した その後フジカラーがジョーダンだっけ?カメラ関係だと。 オリンパスも1978年はロータス78-79とヘスケス308Eに付いてたけど、
欧州の子会社のか本社主導なのかどちらがスポンサーを始めたんだろ? >>963
似たデザインとカラーリングとオリンパスのステッカー
どう見てもロータスのパチモンに見えるのは俺だけか?
https://pbs.twimg.com/media/CjeUBVkUoAAMmF3.jpg この頃はラウダやハントやフィッティパルディやシェクターなど
世界チャンピオン達が遅いマシンに失望して引退してたな 昔は命の危険性もあったし給料も安かったからな
アロンソやライコネンが40過ぎて下位チームで走っている現代とは違う グッドイヤーがエイボンの親会社のクーパータイヤを買収。
旧車イベント用タイヤもグッドイヤーロゴにしてくれ >>969
タバコ吸わないけどJPSのパッケージだけ欲しくて買ったことがある
中味は喫煙する友人にあげた >>962
70年代に日本人オーナーのチームがJPSをスポンサーにして日本のエンジンと
日本人ドライバーをF1にデビューさせてたらカッコ良かっただろうと妄想w
JPS・Team Ikuzawa・MUGEN HONDAに乗って日本のF2チャンピオン
がF1参戦ブラック&ゴールドマシンと日本人ドライバーカッコいいw
https://pbs.twimg.com/media/EljgnhkU0AEq9f5.jpg 日本のF1ファンでJPSカラーのF1マシンを見た人はほとんど居ないんだろうな ヒストリックカーイベントで、近年
JPS MK.3 ロータス78 とか ロータス 91 走っているハズですよ。
https://f1-stinger2.com/f1_news/78_2 イベントで何となくダラダラ走ってる姿を見ても何かイマイチなんだよな
JPSカラーの格好いいロータスが実際にレースで走ってる姿を見た人というと
スーパーカーブームに熱狂してた頃の日本で初めてF1が開催された時だろうか?
雨の富士でロータス77に乗るアンドレッティがポール・トゥ・ウィンを果たし
翌年の今度は晴れの富士でロータス78に乗るアンドレッティがまたポールを獲るが
決勝は出遅れクラッシュしフェラーリのヴィルヌーブも・・ってのをTBSが放送してた
https://i.pinimg.com/originals/f5/25/8c/f5258cec5597fc7e701921fc3d841593.jpg >>991
サイドスカート外さないとサーキットで走らせてもらえないから全開は無理 鈴鹿でやったやつ
Fia Masters historic formula one championship
じゃなかったんだな 何かのデモ走行か何かで佐藤琢磨がロータス78を走らせてたな 佐藤はロータスの大昔のマシンをクラッシュさせた前歴があったから
もう乗せてもらえないんじゃないかなと思ったがそうでもないのか 佐藤はロータス49Bに乗ってモナコのヒストリックGPに出場してたな CORNSに回すなって言われてたのに412T2をオーバーレブさせてた このスレッドは1000を超えました。
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