【F1】1976〜1986年のF1【鎖国〜開国】1lap
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
あの頃のF1は・・・どんなだったの?
・76年F1日本初開催,翌77年観客死亡事故により鎖国
・くさび形〜ウイングカー〜フラットボトム
・3000cc〜1500ccターボ〜給油・タイヤ交換作戦〜燃料規制
・不死鳥ラウダ,壊し屋ハント,円熟ピケット,韋駄天プロスト,成り上がりロズベルグ,新星セナ,暴れん坊マンセル
・そして念願の鈴鹿開催,中嶋レギュラーシート獲得,フジテレビ全戦放映決定で開国へ
F1そのものが過渡期で技術的・商業的にまだ未熟な面も多々ありましたが、良くも悪くもそれが各チームの
マシンやドライバーの個性として光輝いていました。
日本におけるF1認知度はものすごく低く、リアルタイム情報なんぞ皆無に等しくTVはたまにモナコGPがやるだけ、
AS誌やAT誌などで1〜2ヶ月遅れでレース結果を知るのがやっとの時代でした。
本元スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう【バブル時代】22lap
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/f1/1321318840
派生スレ
【F1】1994〜2000年のF1【バブル崩壊】3laps down
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/f1/1320543000
自分がF1見出したのは79年からで、ジル・ビルニューヴとエリオ・デ・アンジェリスとルネ・アルヌーのファンでした。 87年以前はTBSで定期的にF1やWRCひとまとめにした番組やってたよな プロストは開国後プロフェッサーって今宮が呼んで広まったけど
鎖国中はグラウンドアストロノーツって言われてた >>4
すいませんグラウンドアストロノーツてどういう意味なんですか?
今ちょこっとググったら初音ミクとか出てきて訳分かりませんでした… 1982年〜1988年までGroupCにてWEC JAPANやっていたけどね
来年24年ぶりに復活するし AS編集部に電話してリザルト聞いたな。6位から教えてくれたよ! ルノーが復帰するときにW9エンジンを考えていたという記事が
AT誌79-10に載っていたのに、気がついたのは30年近く過ぎてからorz
>>4
いったいおいくつですか?w
1984からF1観てる俺でも初耳でしたわw プロストは82年にはプロフェッサーと呼ばれていたぞ。
プロストがプロフェッサーなのは無理をしないからではなく
当時の他者との比較において、圧倒的に走りが正確で且つ速かったからだ。
今では信じられないが、昔はチャンピオンクラスでも毎周ラインが違ったり
ブレーキングポイントが違うことは珍しくなかった。
プロスト=無理をしない円熟の走り=プロフェッサー
このイメージもフジTVが広めた誤った情報のひとつ。
まあ、フジの放送が始まった頃は実際にそういう感じではあったのだが。 >>11
あれは良い
>>12
30年持ち続けて、それを再見していることの方がすごい. プロストといえば、82.83.84と3年連続チャンピオン取りそこない、失笑されていたな。 >>17
BT52かっけー! 52Bのネガポジ反転させた紺ベースの色も良かったな BT52は1983東京モーターショーに展示されてたな プロストはなんか日本との接点が薄くて
86年までは興味の対象ではなかったなあ。
>>15
家が壊れそうなくらいあります>雑誌
78年のロータス79は他を圧倒するほどの大成功だったのに、なんで翌年はサッパリだったんだろう?
それと79年のフェラーリも312T4がタイトル取ったはずなのに、翌年のT5はシェクター予選落ちだし…
そして、79年にフェラーリからわざわざ移籍したのに、前年とは比べ物にならないほどダメなロータス80に乗ることになり
古巣がチャンピオン取ってしまったロイテマンは…なんてツイてないんだ。 この時期フォークランド紛争もあったよね
ロイテマンはそのあおりをモロに喰らっちゃった。
F1鎖国時代の日本ではINDY500の生中継をTBSがやってた。
今宮がその中継に関わっていたとかどうとか >>23
ロータス80はウィングカーのコンセプトを進めすぎたとか?
元々312T4自体がウィングカーに向かないパッケージで、'79当時も低速コーナーは良かったが高速コーナーは見劣りしたみたい。
T5はそのコンセプトを踏襲したから相対的に他チームとの差が大きくなったのかも。
>>20
倒壊しませんように… うちにフォークランド紛争を取り上げた世紀の糞番組WAR GAME(日テレ)のテープがある。
あれ今だったら実況で大変だろうな・・・
それはさておき、TBSは83年からでしたねindy500。
あの頃F1もF2、GC TBSだった。
東京のスタジオと生BAND(ナニワエキスプレス)は黒歴史・・・。
80?-82はINDY500、テレ朝だったとおもう
79年のロータス79Bの不調、タイヤのサイズ変更(タイヤハイト)等が雑誌に載ってましたが
真相は??
ロータス80、スペインで3位になってこれは〜と思ったんですけどorz
>>23
パトリック・ヘッドがFW07を設計した時、こう言ってました。
ロータス79を「A」とすると、皆はそれを真似て「Z」を狙って作った。
けれど、私は「M」か「N」辺りを狙って作った。
ロータス80やアロウズA2は究極を狙った「Z」ですね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%BBA2
80にちゃんと制御されたアクティブサスが存在していれば、
もっと有効な武器になれたかもね
スカートの動作不良とかホイールベース長すぎとか、
不振の原因はポーパジング以外にもたくさんあったわけだけど
アロウズA2は凝りすぎ >>23
シェクター予選落ちはマシンもあれだけど
チャンプとって満足して全くやる気無しで豚になった本人に問題が >>23
確かロータス80は最初、前後ウィングが無かったからな、先進的すぎてダウンフォースが
足りなかったんだろうなw この時代はロマンチックだったよ。予選22.23位からワンツーフィニッシュとか、非力なタイレルでターボをやっつけたり、フロントウイング上下逆さまに着けて勝ったり、ズルも横行してさ。毎年死人も出て、そういう何でもありな世界感がたまらない魅力だったね。 マンセルがトラウマを追った頃のアクティブサスって
どれぐらいの代物だったんだろう?
99Tからはそれなりに資料があるけどそれ以前の物は
どういうレベルに達していたのかもよく分からない プロストはぐじぐじ言い訳多いし、チーム批判ひどくて人気なかった。フランス人でさえ嫌ってた。アルヌーやラフィーの方がリスペクトされていたな。
>>36
全くあのプロストって奴はムカつく野郎ですね。
俺はあんたの方を応援しますよ、アルヌーさん!! ttp://img.wazamono.jp/car/src/1321968760012.jpg
ルネが自宅でミウラをレストアしてるリポートや、ケケがコブラのレプリカ乗ってるレポートなんかも小僧の俺にはたまらなかったなあ。 別の本だが、プロストがルノー時代アルピーヌA310に乗らされてた話があったな。
嫌々乗ってたが、大雨の日にフロントシールドから一気に室内に水が流れ込んで
ついにブチ切れたとかなんとか。 >>39
ハイドロサスですね。
フェラーリが圧力かけてスカートの上下動禁止+地上最低高6cmルールが施行されて
ブラバムのは2種類のスプリングの組み合わせでダウンフォースで自然に車高が下がる
スマートな機構でしたが、他車はメンドいのでレバー操作で上げ下げしてましたね。
ハの字になったサスがすげ〜カッコ悪く見えました。
この頃からサスがどんどん硬くなっていって翌82年にはゴーカートみたいにほとんど
動かなくなってタンベイが脊髄やられちゃったりしたんですよね。 サスがほぼ固定レベルになったのは80年頃から出てた傾向じゃね? アルファロメオが、どうせ硬いんだからいっそ固定にしてしまえと179のリジットサス車を試したのが80年のオフテストだったと思います。
ロータスも乗り心地を考えたツインシャシーの88を81年に用意したのを見ると、その傾向は80年からでしょうね。
ただ、80年のマシンではサスの硬さの数値を見た記憶がないんですよ。
81年は1500ポンド/インチ,82年は4000ポンド/インチという数値を見た記憶があります。
多分サスを1インチ縮ませるのに1500とか4000ポンドの荷重が必要という意味だと適当に思っていますが。
80年まではサイドスカートの上下動がOKだったはずなので、硬いながらもサスは多少は働いていたのではと思います。
81年からサイドスカートが固定になってサスの動きに対するスカートの逃げが少なくなったためにサスがさらに硬くなりましたが、表彰台で
倒れるドライバーはいなかったはずので、まだ許容範囲だったのではないかと。
Fウイングを1枚翼にして高い位置に置いてポーポシング対策をしながらダウンフォースも得ようとしてましたし。
翌82年はFウイングはレスかただの整流板みたいに薄くなって、ダウンフォースをグランドエフェクトのみで得ようとする傾向が大きくなり、
サスもそれに耐えるべく数倍の硬さにする必要が生じて本来の機能を完全に失い、表彰台でピケが気を失ったりタンベイが欠場を余儀なく
されたりして、ドライバーの身体に大きな影響が出るような歪んだ化物マシンになってしまったのではないかと思います。
もう30年も前に雑誌で見ただけの事を記憶だけで書いているので間違っていたらスミマセン。
>>40
AS誌でアヒルを抱いてるルネの写真とかなかったですか?
>>45
> AS誌でアヒルを抱いてるルネの写真とかなかったですか?
あー、あったあったw
田舎の農家風の家だったな、そこでミウラを弄ってたw 80年代始めは、フランス人ドライバー多いな。ルノー、リジェ、タイレルと仏系が多いからか。会長がフランス人だからか。期待はずれのデレク・ワーウイックに涙した・・・・ クラッシュテストが始まったのはいつごろ?
前面と側面で違いがあったと。
>>48
F1F3000F3のモノコックはカーボンで作りなさいってFIAが通達した頃だから80年代後半かな >45
ロータス80時点でマリオが背中痛めてなかったですかね?
>ルノー、リジェ、タイレルと仏系が多いからか
???? 俺は85年WEC星野優勝でレースヲタになり、毎号(今まで欠かさず)AS買うようになった。
丁度この頃F1でホンダが強くなってきた頃で、86年のレース後の朝は毎レース毎ASにF1の結果電話で訊いてたw
そのころすがやみつる先生のボイスメール速報が出来、F1速報(予選・決勝)訊けるようになった。
このようなF1情報難民も翌年フジ全戦中継で救われるようになったわけだ。 77年日本GPは消防の時、当時スーパーカーブームで興味持った(76年は見てない)。
レースは事故も起きたし(番組ではそんな深刻に捕らえてなかった記憶が)、日本シリーズ見てた方が正解かと思った(巨人負けたけど)。
ゴメン、タイレルは英国だけどエルフのプッシュでフランス人ドライバー乗せてた印象強くて。でも80年代始めはキャンデーやベネトンに変わったから、仏系とは言えないね。 自分は厨房の時の新聞配達で配達先の自動車修理工場にHONDAかBSか忘れたけど
G・リース81年ヨーロッパF2チャンピオンのポスターが貼ってあって、赤いペガサス見てた
から少々知識があったので本屋でAT誌の81年総集編号を買ってみたのが始まりでした。
HONDAが83年にF1復帰してだんだん強くなっていき、日本でもF1をって声が出始めて
でも、鈴鹿は看板問題で誘致が難しくいつも消滅。
中嶋がEgテストしたり86年からF3000参戦したりしてそろそろ来るのかなぁと思い始めた
矢先に87年鈴鹿開催が唐突に決まってビックリした。
カメラマンの間瀬さんが
「長年憧れ続けた女性が目の前でいきなり全裸になったような!」とその喜びを語った。
ティレルは元々マートラだからフランス資本で支えられていた。
ボイコットのときもティレルだけ出てたし。 ティレルがマトラ?と思って調べてみたら66年のMS5とか67年のMS7があったw
ttp://f1-facts.com/overview/product/2133
よっとこさルノーターボを手に入れるまでティレルはずっとDFVだったし
タミヤのラジコン買った時からずっとマトラはリジェだけだと思ってた
82年サンマリノはティレルも他のFOCA系に同調してボイコットしたかったけど
スポンサーにImola ceramicaが付いた直後だったんで仕方なしに出場したんじゃなかったっけ? トヨタがロータス79を購入して研究中という思わせぶりな記事がオフシーズンになると載ったな。 詳しいヒトいる? >>58
79ではなく78でしたね。
袋井で1.5リッターターボの78をガンさんがテストしている・・・。
78はロータスとしては売ってない→レバークから?等
外紙でも話題に・・・
81年には市販車で提携し、F1用と思われる軸流式スーパーチャージャー+ターボのV6を研究したとか・・・ どもです!エンジンだけでグランドエフェクトは手付かずなんだ。ガンさんがテストドライバーだったのかあ! >>58
Candy(イタリアの洗濯機メーカー)がスポンサーに付いてたから、イタリアのレースは
ボイコットできなかったんでしょう。 >>60
ロータス経由でルノーターボを横流ししてもらって、トヨタがターボエンジンを極秘開発
してるって言う噂があったな、本当かどうかは知らんけどw 流れを無視してメルツァリオとガッビアーニ
ttp://www.youtube.com/watch?v=d3MWr1kzprc 1988年からロータス・トヨタとか言われていたな。
国内の自動車雑誌でもそんな記事よくあったな。 ハンス・レバーク!いかがわしいチームが存在出来た80年代! 消防の頃おやじの買ってた自動車雑誌を見てF−1に興味を持ったのはスチュワートやフィッテ時代
厨房に成るとラウダが出てきて76年はTVで観戦してたな
それまで本でしか見た事無かったマシーンが富士を走ってるのだから興奮したもんだ
そして漫画で赤いペガサスを見、中村良夫氏の「グランプリ」やAS、ATを貪り読んだのも良い思いで
でも80年代に入った頃から段々と夢が覚めて来てフジTVでF−1中継始まる頃にはどうでも良いやと
これも免許取って自分でラリーやダートラとかモータースポーツ始めたからだったなぁ
まだ鈴鹿でオールスターダートラしてた時スピリットホンダにテスト走行のチケットを配ってたので
まだ寒い時期に鈴鹿まで見に行った事が有ったが立ち上がり加速にビックリしたのは覚えてる
で、お昼休みに鈴鹿ランドの中歩いてたらJ、ラフィが釣堀で通訳の人と釣りしてた
それに60年代のF−1が遊園地の片隅の青空テントの下で展示されてたけどだれも見てなかったな
おかげでタップリと写真撮影出来たけどね
>>67
「抜けてみて初めて分かる。髪は長い友達」 まで読んだ >>45
グニャグニャスカートは
可動式スカートと同じような効果あったんじゃないの? お約束のジャック・ラフィー
ttp://www.youtube.com/watch?v=Q5c0IWXM44s 四輪では、ホンダにモータースポーツのイメージが全くない時代でしたよ!改造車は日産、見映えのトヨタ、ラリーはいすゞ・三菱、ロータリーのマツダ、スバルはエンジンをFJに供給してた >>69
スカートの硬さが数種類あって、路面追従的には柔らかい方が良かったらしい。
でも柔らかすぎるとスカートが折れたり曲がったりで外から空気が入ったりしてサイドポンツーン内の気密を保てなくなるから
天候や速度に合った硬度のスカートを探す必要があったとか。
「今日はスカートが硬くて(柔らかくて)ドライビングが難しかった」ってドライバーのコメントがあった。
82年のリジェJS19はリヤ後端までスカート付けるつもりで設計したら、スカートはホイールベース内だけしかダメって言われて
バランス狂って中段に沈んだ。
ttp://f1-facts.com/overview/product/1902
この年代の車はドライバーの着座位置が極端に前だ。
ttp://www.flickr.com/photos/antsphoto/5195895444/in/photostream/
ttp://www.flickr.com/photos/antsphoto/5195752550/in/photostream/
ttp://www.flickr.com/photos/antsphoto/5195895444/in/photostream/
ttp://www.flickr.com/photos/antsphoto/2155163564/in/photostream/
さんざん既出だけど鎖国時代の熱い名勝負
ttp://www.youtube.com/watch?v=j3tXJm9tYGM
現在に至るまでこのデッドヒートを超えるレースはないっす ベンディングスカートってどんな材質でできてたの?
路面との接触部はセラミックだった気がするけど
スライディングスカートに比べると動き悪そうな気がするなぁ スカートはアルミ板にコルクバネがいっぱい付いて上下するだけ。接地面は削れるから、木かブラシだったよ!マジでデッキブラシの奴。 今模型でブラバムBT46の表面冷却車を作っているんですけどいい資料ないですかね?
今あるのはF1モデリングの44号とヒロの46本、オートスポーツ77-10−15の3冊です。
あと模型板で頂いたオートスポーツのスキャン画像があります。
特にリアウイングの裏側の画像が皆無でマーキングや支持方法が解りません。
ご存知の方よろしくお願いします。 >>80
Brabham BT46 Alfa Romeo Surface Coolers
でググれば幸せになるかも >>81
散々ググったんですがリアウイング裏は見つける事が出来ませんでした… プレス発表しただけのマシンだから資料は少ないかも
Tameoの模型写真とかだとリアウイング裏は
フラップにあるMARTINI RACING文字以外は真っ赤だった
ttp://www.research-racing.de/bt46-2.htm
ttp://www.flickr.com/photos/bluegtv/3009934249/in/set-72157607005248330/ おっ
ではついでに、フェラーリ643とF10の詳細画像、どこかにその当時の写真とか無いですか?
レストアされた643はかなりのパーツが違うのでその当時のが欲しいです
F10は800仕様の特殊のが欲しいです
どなたかプレスの方、御願いしますっ >>83
模型スレでもタメオキットの事は言われたんですけど確証がないんですよね…。
時期的にBT45と同じウイング支持だろうという事も言われたんですけど。
当時のオートスポーツに詳細画像があったらしいんですけど何号なのか…。 真夜中にこんなスレ発見
コテハンじゃねーけどウチも80年代のASやACと87年からのグラ特で部屋が
やばい事になって書庫2階から1階に移動させたわ。
あまりの重労働で腰がイカれるかと思ったw >>86
ttp://www.forix.com/8w/6thgear/brabham-bt46.jpg
この実車写真を見るとリアウイングは中央の1本柱だけで
支えてあるからTameoキットは正確に出来てると思うよ >>88
とりあえず1本なのは分かってたんですけど詳細が解らないんですよね…。
シルバーストーンのテスト時の写真だと隣のBT45と同じに見えるのでこれにしようかと思っているのですが。
http://i601.photobucket.com/albums/tt97/dtcollins/MISL%20F1/BT46-18.jpg
タメオのキットはオンボードジャッキのBT46なのにジャッキスタンドが付いていたり、
メーターは1個のはずなのに3連メーターになっていたり
表面冷却の形が違う、ステアリングに実践バージョンのパッドが付いている
と考証が…です。
なのでマーキングも「MARTINI RACING」かどうかも怪しいですね。 BT46表面冷却車って真冬のシルバーストーンをゆっくり2周走っただけでエンジンオーバーヒートしたんだよね。
真夏のブラジルとかでまともに走らせようとしたら、2階建てバスぐらいの表面積が必要って全く使い物にならない。
あのゴードン・マレーが何考えてこんなん作ったんだか、ハデな事やってスポンサーの気を引こうとしたのか
もし本気だったとしたらあまりにひどい計算間違い。 そのあたりの事はレーシングオン・ブラバム特集号の
マーレーインタビューに詳しく載ってます 表面冷却車が成功していたらグランドエフェクトに対抗できていたかもと想像してみる。
空気抵抗が少ない分、直線は恐ろしく早かったと記事に出ているから
コーナーのグランドエフェクトvs直線の表面冷却って感じで抜きつ抜かれつに…なんないかw。 >>90
おそらく熱交換率100%で計算したと思われる ロータス88の評価って結局どんなもんなんでしょ
媒体によってかなり異なってますけど
テストでかなり速かったから他チームが警戒してアウトになったとか
やりすぎてあんまし速くなかったんじゃないかとか
アンジェリスの談だと二つのシャシーがそれぞれ別々の方に行こうとして怖かったとのこと
カラーリング含め、88Bはかっこいいですね
導入自体はハイドロニューマチックサスとどちらが先でしたかね? 79年は、フランス人ドライバー8人も出場してる!2位も意外な国籍だよ。 >>94
ストレートと高速コーナー以外ではダウンフォース不足になること必至 確か今、F1にフランス人ドライバー一人もいなくて...
って言うかF1自体開催してないなフランス。 つか 一時はF−1以外でもフランス人ドライバー多かったよなぁ
なぜかジャンーピエールーなんとかさんばかりw F1界の仕切り人そのものがジャン・マリーなんとかさんだった位だしな。 >>99には申し訳ないがF-1カッコ悪いw
オッサン丸出し。 正直そーいう変な拘りの方がカッコ悪いんじゃないかと私は思う訳で >>111
ドイツのテレビ局の解説やってるんじゃなかったっけ? チャップマンもピーター・ウォーも嫌いだったけど、ロータスのドライバーって好きな連中が多かった。
正直クラークとかリントは全然知らないけど、ピーターソンとかニルソン、マンセル、アンジェリス、セナは僕のカリスマ(マンセル以外は不幸にも死んでる)
時代はずれるがハッキネン、ハーバートも好き。
だけど、マリオは好きではなかったな。何でだろ。 マリオはどちらかと言うと生粋のF1ドライバーじゃ無く
インディカーとかアメリカのドライバーてイメージが有るからじゃ無いのかな
自分はそんなイメージだったからロータスにマリオ?て違和感が有ったよ >>116
フェラーリだよ、それでいきなりポール獲ったんだw マリオがあんまり好きでないのは、きっと「ピーターソンの方が速くて強い」と思っているからだろう。
ピーターソンもアンジェリスも凄いのは、後に続くドライバーが、彼らのヘルメットをモチーフにしている所かな。
ピーターソンはアルボレートで、アンジェリスはアレジか・・・ マリオってアメリカ人ですからね。
欧州の牧歌的雰囲気をF1の魅力の一つに感じてたのなら
少し違和感があるってのも分かる気はします。 確かにアメリカ人ドライバーって、好きなのいないな。
だから、エディ・チーバーも好きじゃなかったんだ。 >>123
含むインディ500の記録じゃないかwww >>124
全く交流無いのに世界選手権だからといって組み込まれてたもんなw >>120
ユーゴスラビアに自分の生まれ育った街が敗戦で併合されたから、アメリカに移住。
息子は英語風にマイケルだが、孫は血のとおりマルコ。 ウイングカーのサイドスカートの進化?は
単なるブラシ→板バネによるスカート部の可動
→コイルスプリング?による強制的可動
んで6a規定導入で軟質素材によるスカートの懸架ってとこでしょうか このスレと時代は違うけど、マイケルってF1の中でも最高のジョークの一つだろ。
アマティと同じくらいのジョーク。87年の中嶋ってのもチームメイトと比べるとジョークの一つ。 マンセルのインディもある意味ジョークだったけどね。
予想はしていたけど、あっさりチャンプになっちゃうんだもん。
「インディって、やっぱり『壮大なる草レース』なんだな・・」と実感しちゃった。 この時代で好きだったのは、
特1位 アンジェリス
1位 マンセル
2位 ピローニ
3位 アルヌーかな。 この時代は小学生だったし情報がなかったんで人物よりチーム(マシン)だったな ロータス(JPS)がなぜかヤンキーチックで人気だったな スレタイの期間の最初しか活躍してないけどトム・プライスって
物凄いドリフト走行だったんだね。映像見る限りロニー以上 トム・プライスの走りってそんなに覚えていないけど、最期は壮絶だった。
あれは酷かったよ・・・・
一番悲惨だったのは、リアルでは見ていないけど73年オランダGPのロジャー・ウィリアムソンかな。
今宮はあれがデビューだったんだよね。 >>137
俺も最初は事故死したシーンしか知らなかった
けど雨のモナコで全コーナードリフトしてる動画見て不謹慎だが
この男は死なない方がおかしいと思った。ジャリエを圧倒してたみたいだし
あの不運が無ければ凄い活躍してたと思う >>140
だがそういう人は普通ジャックの親父とかみたいな感じで死んじゃうもんであって
あの死に方ってのはいくらなんでもないだろ…。
まあ「死んでも全開」だったっていえばそうなんだが…。 レース中の事故に貴賎はないけど、
マーシャル(素人の子供)が出てきて、撥ねて、消火器に当たって亡くなるって、不幸の極地。
残酷な死は結構あるけど、真っ当なレースで亡くなったほうが幸せだと思う。
セベールとかコイニクのように屠殺死のほうが救われるのかな。セナやジルのような単独事故は幸運な部類。 「マーシャル(素人の子供)」のくだりがわけわからん ジルはマスに接触した事故だから単独じゃないか、そういえば。
やっぱり「崇高な事故死」はセナかな。トップのまま誰の後塵も浴びないまま単独事故だし。 >>144
オレの記憶だと、20歳そこらの子だったから。違うっけ? >>143
あの、ヴァンビューレンとか言うマーシャルは子供だったの? >>145
崇高な事故死とかバカバカしいにも程がある。 >>143
あの事故って、アカバの事故より前だっけ? >>146
コースマーシャルがなんで素人の子供なのかが分からん… 要はあんまり練度の高くなかったと思われる(=状況判断が未熟だった)若者ってことかね。
あれはやっぱり先に向こう側に渡ってた人が後から来るマーシャルに指示出すか
ルマンみたいにもっと手前側のポストの人が連携してドライバーに先の状況知らせる必要があったってことか。 >>150
「赤いペガサス」は78年か9年、この事故は77年。 というか、あの場所が悪かったのもある。
登ってから下る途中だからマーシャルからはマシンが見えにくい。
さらに、プライスはシュトックの後ろについてたのも不運だったわけだし・・・
シュトックは見えたから間一髪避けられたが、プライスはシュトックが避けた直後にマーシャルが見えたわけで・・・
色んな不運が重なって起きた事故だったからなんとも言えないわ・・・ 死亡事故って大抵不運。「幸運な死」って存在しないでしょ。
生き残ったけど、ピローニも悲惨だった。
失神しないで、炎に捲かれる恐怖を抱きながら、マーシャルが「足を切断しないと助けられないな」と言うのを聞いている。
彼は「ヘルプ、ミー!」と叫んだらしい。 >>155
折角生還したのに違う競技で死ぬとは本当に不運だよな
あとデビッド・パーレイも ジルのフェラーリの下敷きになって平面ガエルのぴょん吉みたいに
ペッチャンコになって死んだ人が一番悲惨
34年経った今でも自分の死体が物扱いされてズルズル引きずられていく
映像が世界中に公開されているし >>154
プライスはおそらく自分が亡くなったことに気づいてないような…
いまだにキャラミ走り回ってると思う…。 >>157
あれは立ち入り禁止の危険区域に自分から入り込んだ大馬鹿者だからなあ・・・。
>>159
所が何故かジルが批難され、それっきりF1も開かれなくなる日本って。
富士でF1やらなくなったってのは、赤字という要因もあるね。
77年のときは小学生だったけど、後味の悪さを覚えている。
ハントは表彰台に出ないし、ジルは件の死亡事故だったし。
カメラマンも可哀相だけど、危険区域に入っていた自業自得な面があった。
けど、そういう輩を排除するための警備員が亡くなったのは気の毒。 ’77日本GPのDVDって当時の放送のまま収録だから放送枠終わったあとは現場ノイズのみなんだね >>161
当時のTV中継は途中で終わったし雑誌は専門誌ぐらいしかなかったのによく覚えてるね フジTVの特番で森脇基恭が武勇伝として語っていたけど、
「当時のF1富士は自分がバーニーと交渉して、チャーター機などもJALの安いのを手配し、
箱根、御殿場周辺のホテルを自分が抑えて、とにかく大変だった」
と語っているが、ホントなの? 事務局次長だったのは本当らしいけど、そんなに彼が奮闘したの?
バーニーに「よかったらオレの秘書にならないか?」と言われたのは、ウサンくさいとは思っているけど。 F1modelingの76、77日本GPにもその話出てたよ。 この頃「アローエンブレムグランプリの鷹」ってF1アニメがあったな。
巨人の星やタイガーマスクばりに実在の選手が出てきて。 グランプリの鷹のコミカライズがあって何度も繰り返し読んでいた
当時は何しろ小1とかだから赤いペガサスは読んでも理解できなかったと思われる
しかし調べると作者が違う2バージョンある。自分のはたぶん土山よしき版 リジェJS31の燃料タンクの設計思想がよくわからんなあ〜 後ろが駆動来てないっていうのはどっちだっけ、と言おうと思ったが
少なくともウィリアムズのほうはミッションとの位置関係からいって3列目の車輪は回ってるだけだなw AJがテストしたFW07Dは加速がすごいってんで引退宣言下げて
現役続けようか悩んだとかだからリヤ2列とも駆動してると思われ
両方駆動してないとあまり意味をなさないんじゃない? 確かどっちか一方が「完全にスポンサー向けのアドバルーンで作ったもので2輪駆動だった」
って聞いたような覚えが…。
リアのグリップ不足でオーバーステアなことに対しては非駆動の後輪でも接地面積が増えれば効くだろうけど
(あるいはタイレル6輪的に小径化したことでの空力的効果は得られる)
駆動輪がふたつのまま小径化するとトラクションは逃げちゃいそうだなぁw
一方で後ろ4輪駆動の場合って前後輪と後後輪の間でタイトターンブレーキング現象的なものが
(軸距が短いだろうから僅かだろうけど)起きそうだけど、それはどう吸収してたのかしら…無視していい程度だった?
トラックの場合でも悪路走行用以外の後2軸車ではあんまり6×4や8×4って無いし。 >>178
マーチの6輪は後ろの駆動系入ってないとか言われてました。
当時、ウイングがより後方にマウントされるんで、空力的にメリットがあると言われてました。
ttp://i56.servimg.com/u/f56/11/46/01/93/elf_2_10.jpg
昔、こういうウイングマウントが流行した時期が・・・
>>181
1974年にオーバーハングはリヤ車軸から1,000mm以下 とされるまでは無かった もう見られないけど、乗ってる方はジャッキー・スチュワートじゃね? 昔はドライバーズ選手権だけでコンストラクターズ選手権はなかったのかな? >>190
コンストラクターズは1958年から始まった 昔は他チームからシャシーを購入しての参加も可能だったから
チームではなく製造(コンストラクターズ)チャンピオンシップに参加できるのは自制作シャシーのチームだけだった。
FOCA(F1製造協会)がスポット参戦のプライベーターを追い出す形で現在の通年参加を義務付けるルールが出来た。
その一因とも言われてるのが76年の富士でいきなりいいタイムを出したコジマだと言われてる。 それは無いだろ
ホンダが強すぎてターボ禁止になったというのと同じぐらい無い >>192
レギュレーション化まで随分と時間をかけたんだなw >>195
この記事自体が明確なソースのない筆者の思い込みじゃないかwww この記事以外でも多数の関係者が証言してる。
それこそホンダが強すぎてターボ禁止になったというのと同じぐらい有名な話。
まあF1を自分で取材できる立場の人間なんて日本にそんなにいないだろうから所詮は他人の記事だけど。
ID:oDSBTIUA0だって自身で取材なんてしたことないだろ? >>この記事以外でも多数の関係者が証言してる
脳内関係者ですかね。
>>それこそホンダが強すぎてターボ禁止になったというのと同じぐらい有名な話。
ターボ禁止に至るまでの道程はホンダが常勝エンジンになる前からの規定路線だったんですけれど。 単発ID乙
この手の話に明確なソースを示せという方が無理。 ソースの無い作り話を盲信してるだけってことね。
Autocourseでも読み返しながら、もうちょっと自分の頭を使って時系列的に判断できるようになってください。 >>195
当時のスポーティングレギュレーションに盛り込まれたのか? >>195
選手権安定化だろ
何台出走するか分からないのでは
テレビ屋が高い値段で放映権を買ってくれないだろ 87年のコローニなんかも2戦限りのスポット参戦じゃなかったっけ。
別にそれでペナルティだ欠場罰金だってのはどうやら無かったと思われるのは
翌年以降普通に参戦してたことから推測できる。
それより分からないのは開幕前に2台を上限に各チーム参戦台数を登録しているはずなのに
84年だかのATSとか87年のラルースとか途中から2台目が(賞典外扱いらしいとはいえ)
出てこれちゃったっていう点なんだけどw。
これは「1カーチームの場合は選手権ポイントが認められないだけで2台目を追加してもいい」みたいな例外規定があった?
CARTの場合は1チームで3台出す場合(確かペンスキーとかギャレスとかが時々やってた)には
「出してもいいけど3台目の分はフランチャイズチームとしての議決権や利益配分が得られませんよ」だったらしいが。 名車列伝vol.5、このスレだとミナルディM185とリジェJS11が範囲か。
JS11は今でもよく取り上げられるけど、21世紀になってM185の写真を
こんなに見られるとは思わなかったわw ベルヌがアレジ仕様ヘルメットでモナコに挑むんだそうだ
ってことは、間接的にアンジェリス仕様ってことになるな
よし応援するぞ! アンジェリスねえ・・・・
アンジェリスもアルボレートもレース中ではなくテスト中に亡くなったのが
印象的だな。アルボレートのメットはロニー・ピーターソンのデザインを
拝借してたな。取り敢えずロータスが戻ってきたのはオールドファンには
嬉しいな・・・・ >>208
マジ?それは初耳。
ケケとジル、もしかしたらピケとジルのコンビも見れたのか。 '83は ウィリアムズへの移籍が決まっていたと 当時のASの中矢メカ(ウィリアムズ)のコラムで読んだ記憶が… ケケ&ジルは面白そう・・・・
どっちもマシンを力でねじ伏せるタイプだし・・・・・
ただどっちの息子も親父と走り方が似てないんだよな。 ところでチーム内はどうだったんだろう?
もちろん83年のことだからジル生きてた前提だけど、だったら多分シリーズ2位だっただろ(ピローニ優勝)
となると、3位〜と想像されるケケと、どっちを優先させるか。
ロイテマン&ジョーンズで解放された問題にフランクが直面したと思うな そして最終戦ではホンダエンジンが載るわけで・・・。 ジルとケケが凄く不仲になったりしなければこのコンビは暫く続いただろう
な。となるとマンセルは日の目を見ないでF1人生を終えたかもしれない・・・
かえってピケ&マンセルコンビよりか上手く行ったんじゃね? >>215
ttp://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51374049.html
こんな破天荒な兄ちゃんがベルガーにイタズラ攻撃されるなんて…w
あるいは部屋に忍び込んであんなことやって平気だと思ってたってことは
ベルガーはバーンを結構気に入ってた? ブラバムBT46の電子式メーターって写真で見たこと無いんだけど試作試走すらしてないのかな?
普通のタコメーターの上のデジタルメーターの写真はあるけどそれは違うんだろうな…。 ステアリング内に表示される予定だったから結局採用されてないと思う ステアリングにデジタルメータが付いたヤツなら
レーシングオンのブラバム特集号に写真が載ってた >>222
今なら、自転車に付いていそうな代物だな。
それにしても、でかい掃除機だなぁ。 ロータス78、79て日本人が所有してるの?最近国内サーキットのイベントで見るけど… BT46といえば初めてオンボードジャッキ装備したF1だけど動作してるとこ見た事ないなあ〜 F1にオンボードジャッキって、不要な重量物を積んでいる気がするのだが、どうなの? エア作動ならシリンダー、ホース、コネクター位しか部品いらないから10kg以下で作れると思う。
後はジャッキマンの代わりに使うメリットと信頼性の確保ができれば有効じゃないかな。
今でもインディ、ル・マン、GTなんかで使ってたような気がする。 ウルフWR1から流行したチューブ(パイプ)タイプのリアウイングステー、
スターターのエアタンク兼ねたという記述を見たんだけど本当かな? >>229
ロータス80とかはOILのキャッチタンク兼用でしたが・・・
エアタンクは眉唾かな?
英国のクラッシクF-1シリーズにLOTUS78(79?)でエントリーしているJAPANESEが居た筈だけど。 >>234
いや、全く違うけど、N田さん以外にいないっしょ? つーか、N田さんが昨年亡くなられてた事を今知ったわ・・orz
1978年ぐらいにチームロータスがセミATのテストをしていたよね。
ピーターソンがカートのクラッチをどうにか応用できないかとチャップマンに提案したことで作られたものみたいだ。
そのチームロータスのセミATのを見てフェラーリがセミATを実際に作ってジルにテストさせたというのを
オートスポーツ誌で見たな。
その約10年後、バーナードがその図面を引っ張り出してこれは使えるんじゃないかということで1989年にセミATが投入されたらしい。
記憶が曖昧で正確かどうか分からんがジルがテストして気に入らなかったというのはちゃんと記憶している。 タンベイ、ラフィー、ジョーンズ、ケケ、スレール等なんて、
'87以降のF1ファンと話すと、「誰やねん それ?」で終わってしまうから悲しいww
F1「しか」見てないと確かにそうなっちゃうのかな…。
アラン・ジョーンズはトヨタからGr.Cに出てたり
タンベイはパリダカとか出てたりするから他カテをかじってた人なら分かるところなんだろうけど。
あるいはホンダがF1で優勝争いできるようになった時期をある程度知ってればケケも分かるし。 >>241
すみません。
俺にとってタンベイはパリダカのシトロエンのドライバー
ケケはDTMのオペルのドライバーです。
そういえば、タンベイの息子がDTMで走ってるな ホイールベースがそれほど長く感じられず
4つのタイヤの中心にドライバーの頭がくることが
クルマらしさ・クルマの延長線上にあるものとして感じられる条件なんだな。
その条件から外れてくるとクルマとはかけ離れた別の乗り物に見えてくる。 70年〜80年でチャンプとして認めていいのはリント、ジャッキー、シェクターだな
あとの奴らはチームメートに速さで負けてた時代あったり一発屋だったり大したことない シェクターだってチームメイトには速さでは負けてたんじゃないか?
で、フィッティ、ラウダは無視か。
少なくとも、チャンプになった年はチームメイトに速さで負けてはいなかったと思うが。 フィッティはピーターソンに速さで負けてた
ラウダはレガッツォーニやワトソンなど地味キャラといい勝負
してたしプロストやピケには負けてた >>247
>プロストやピケには負けてた
80年迄の話じゃないの?
80年代の話しならばそりゃそうだが。 >>245
リントはマクラーレンやサーティースに予選で負けてますが・・・
シェクターもフル参戦2年目のジルに予選で負け越し・・・ >>245
何か、この釣り臭さが某コテを連想させる。 シェクターなんて、ビルニューブの献身的アシストで何とかチャンプになれた
けど、史上最低に近いチャンプじゃね?
星野さんにデッカい事言って、まんま言った事をやり返されてるどアホだしね (^^) 史上最低はフェラーリ共倒れタナボタのケケか、圧倒的速いNo.2に助けられてのシェクターか? イグノーベル賞とかゴールデンラズベリー賞とかダーウィン賞とか見てると
そうやってネタにされて思い出されるレベルの連中は最悪ではないのかもしれない。 ケケは、フェラーリの二人がいなくなったラッキーがあったけど、年間通じて
コンスタントに上位に入ってたし、たった1勝しかしてないけどもうちょっとで
勝てそうな惜しいレースも2つほどあったし、急にエースがいなくなったチームで
上手く立ち回って取った価値あるチャンプだと思うねw 時代的に少しスレ違いかもだが、ヨッヘン・リントの事故車が現存していて驚いた
ttp://livedoor.blogimg.jp/team_lotus/imgs/8/3/83226c9b.jpg >>255
それは記憶に残るクラッシュスレの方が合ってるな >>241
>>タンベイ、ラフィー、ジョーンズ、ケケ、スレール等なんて、
>>'87以降のF1ファンと話すと、「誰やねん それ?」で終わってしまうから悲しいww
'89年からのF1ファンですが、書籍や雑誌を読み漁ったので
その辺りのドライバーは「レジェンド(準レジェ?)」として認識しとりますです。 40代中間管理職だけど、
30代の部下とF1談義しても、過去の凄いアルヌーを知らずに「妖怪通せんぼジジイ」のイメージのみ。
30代とはナニーニが境界線かな。ファビは当然に知らない。
自称F1マニアの20代の子ですら、ロズベルクは当然にニコで、親父がF1チャンプだったことは辛うじて知ってる程度。
オーストラリア人は、ウェバーが最初にF1ドライバーになっていると思っている模様。 >>259
とりあえず伝説のディジョンのビデオを見せるといいんだと思います。 >>260
それはツベで見たらしい。
「昔のF1って、ゴーカートみたいですねww」だそうだ。
『アンダーカット』って下の毛剃っているような変な英語(川井命名?)時代のF1を見ていると
あんなバトルは絵空事なんだろう。 >>261
おれならそいつの査定を思いっきり下げていじめるなw 「よし今年の社員旅行はFドリーム平塚でレンタルカート大会だ」とか。 >>259
30代前半だけど、ファビは知ってるし当然ジャック・ブラバムだって知ってるぞw
つか、小学生の頃にはすでに知ってたがwww レンズ歪み・遠近法分を差し引いてもリアタイヤのサイドウォール分ぐらいはあるな。
一見モノコックはそんなに違うように見えないからサスアームだけで調整してる?
スポーツカーノーズ→ウィングノーズで空力パッケージ自体が変わったとかいうのもあるんだろうか。
一方メルツァリオがオーナードライバーとして参戦した時のクルマは
田中むねよしによれば随分短かったというし、この頃はやっぱりレギュレーションの自由度も高いし
技術的にも試行錯誤期だったりであまり一定してなかったのかね。 DFVだとモノコックとエンジンの間にスペーサー入れて調整してたなんて記事見た事あるんだけどね。 コジマKE007のリアバルクヘッドが削り出しだったとかいうし
(現所有者によれはそれが僅かに歪んでたのが本物の証とか)
当時のモノコックの剛性レベルからいえば後ろに厚いブロックを入れればそれでも足りるのか…。 う〜んモノコック→エンジン以外にサブフレーム的な物で補強してたのかな? モノコック自体の剛性があまり高くない段階では
リアセクションもさほどの高剛性が要求されないだろうから
DFVみたいにストレスマウント前提のエンジンなら平気じゃない?
アルミモノコック時代のF3ではアルミブロックのMF204でもストレスマウントOKだった
(カーボンモノコック初期になるとエンジン部分で捻れるようになってサブフレームを必要とした)し。
ブラバムの場合は当時水平対向のアルファロメオエンジンだっけ?
だとすればサブフレームマウントだと思うけど。
…今気付いたけど手前側のBT46のフロントホイールかっこいいw コクピットのボタン押すと表面冷却パネルが外側にポップアップしてウィングになるのかw しかしこの頃のブラバムは格好いいな。ミニカー探すかなー 1976年の日本戦はグランプリの冠が付かいない世界選手権の1戦だった訳だけど
1950年以降で(非公式戦以外で)グランプリが付かなかった事ってあるのかな? ある意味、インディ。
F1グランプリでは無いが、ポイントは付いた。 >>279
モータースポーツは’87から始まりました。
それ以前は原始時代です。
エフわん以外は底辺で観る価値もありません!
ってヤツか?? いや、70年代のF1は好物だよ。
でも、どう考えても>>278のスレはいらんだろ。伸びると思ってんの? >>281
そうかスマンかった。
スレ建て主じゃないけど、個人的には欧F2まで範囲広げてくれればソコソコ伸びると思うんだが。 ブラバムBT46の初期型(表面冷却)のリザーバータンクなんだけどなんで2つしかないのかね?
http://farm9.staticflickr.com/8350/8181033556_2280e8ccee_b.jpg
標準型はブレーキ(前、後)とクラッチの計3つあるんだけど初期型には無い。
まさかクラッチがワイヤー式だったとか?バルクヘッド内には整備性が悪くなるから無いと思うんだけど。 >>285
真ん中の黒いのがジャッキ?
その隣のバルクヘッドに意味深な蓋があるようだけど、
この中にあったりしてw 海外の画像掲示板やブログには
この時代の高解像度のF1画像が多くあっていいね。
夢のようだ。 ネルソンピケが勝ち始めた当時のブラバムって速かったんだよね
フェラーリはジルで押してて、でも三流ぐらいのテクニックだった
ジャックらフィットが事故でジョナサンパーマが駆けつけた当時
ジャコメシがアルファーロメオで穴に突っ込んでリタイア
ニキラウダが復活してゲル状に成った皮膚を露にしてレースへ望んだ
プロストが必ずポイントを上げて政治的と揶揄される
アルヌーが何故か速かった時代
知らない間に走ってたパトレーゼは四番手
タイヤがバイアスで走ると膨らんでまるでアニメ
しかも網がコースに張ってあってそこにぶつかるカメムシ蜘蛛の巣状態
ああ、ああ野麦峠
この頃見てた人は高校三年生いまでぶおっさん >>290
ブラバムはエンジンをアルファからDFVに替えたら見違えるように戦闘力が
上がったんだよね、DFVはウィングカーに合ってたから。 >>291
DFVがウイングカーに合ってたというより水平対向(180度V12か?)エンジンがウイングカーに向いてないという方が正しくね? >>291
この頃のブラバムってかっこいい
あのDFVエンジンが剥き出しでカラーリングが赤とかのストライプのもかっこいい
BT48だったっけ
無骨な感じだけどピケの豪快な抜き方にかっこよさがある BT46表面冷却にはかなわない。かっこよさだけなら…。 >>296
薄型スポーツカーノーズの標準型BT46もあれはあれで
味があって良い。 ウルフのWR1系の車体
何年か前に大阪豊中の某外車ショップで見たんだけれど(まだあるのか不明)
あれのシャシー番号てWR1かWR2かWR3かWR4のどれなのだろう? >>294
DFVは79年のラスト2戦から投入したBT49ですね
BT48でウィングカー化したため、水平対向から普通のV12に代わったのだけどダメでした。
この年V12からDFVに変え結果を出したリジェを習ったものですが、タイトルは水平対向の
フェラーリがとるという皮肉なシーズンでもありました。 最近の国内ヒストリックカーイベント(タイムマシーンフェスとか)でも
ウルフWR1系の車両が姿を現していたように思うから
所有者は変わってるかもしれないけどまだ日本に残ってはいるんじゃない?
タミヤにあるやつは走行展示とかを行う前提での維持はされてないだろうし
(タイレルP34に至ってはダミーエンジンらしいし。ロータス102Bは贈呈当時は走行可能な完品) ロータスにグンナー・ニルソンっていたじゃない?
マリオのセカンドというか、イメージ的に地味で癌で死んじゃった人。
F3から上がって来てデビュー3戦目で表彰台。
31戦全てロータスで優勝1回、表彰台4回、ファステスト1回って
今思うと充分凄いよね。 ロニーとニルソンが逝った年は、自国のファンにとっては地獄のような秋だったんだろうな。 ロータスの78年シーズンは、No.1マリオ、No.2ニルソンで行くはずが、
ニルソンが癌で辞めるんでNo.2にロニーが来たんだっけ?
その前の76年第1戦ブラジルGPに、マリオとロニーがロータスから出走
しているんだけど、どっちがNo.1扱いだったんだろう? >>298
で、翌年ネルソンがDFVで獲るBT50
これもかっこいいですよね
渋い走りが多い時代で、今の様なカートレースみたいない動きは無く
ドスンと構えたような走りが見てて命がけなのが見えてくる
ピケの走りって独特ですよね
流れるような走りではない、なんて言うんだろう?
立ち上がり重視一点業火というか >>302
ロニーでしょ。
マリオはパーネリーと契約してて、このレースはスポットで乗ったんじゃなかったっけ?
まぁ次の南アフリカでは二人ともロータスに乗ってなかったんだがw ちょwwwオーストリアGP(旧)ってハンパねえなwww
見渡す限り壮大な芝生に囲まれてるし急斜面の丘がそのまんま観客席になってるし、
牧歌的ってのはこういうのを言うんだろうなぁ。自然そのまんまのスタンドからはコースの遥か先まで見てとれて、
レイアウトはモンツァやホッケンハイムをも凌いでんのにもかかわらずエスケープゾーンなんか殆ど無くて、
バンピーでうねりくねっててバリエーションに富んでてまさにジェットコースターそのもの。
本当に惜しいんだけど87年のアレが有ろうが無かろうが翌年以降開催しないのは既に決定事項だったん? >>305
インディでは今でもそんな雰囲気のサーキット使ってるよね >>306
マンセルとかザナルディ(ホンダターボ)無双時代は俺も観てたなぁ
飛行機の滑走路をコースにしたりね
しかも分岐点あって選択できたりしてワロタ >>304
76年第1戦ブラジルGPのロータスはロニーが#5、マリオが#6だったんだね。
http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/race/1653.html
ロニーもロータスで辛抱していたら、79で78年にチャンピオンになれた?
それとも開発能力がないからダメ? >>306>>307
多分そんなこともあってCARTのロッキンガム遠征はイギリスのファンを魅了し、
終盤のブラックとド・フェランの驚くべきバトルを目にした観客が興奮さめやらず会場を後にする様を見て
ナイジェル・ルーバックとジャビー・クロンバックが「まるであのディジョンだな」「あぁ…」というやりとりを交わしたとか…。 >>300-301
悪夢の'78年、当時中学生だった俺は朝日新聞のスポーツ欄に超大きく載った「ピーターソン事故死」の記事にまったく信じられなく…。
人生初めての経験だったわ!本気で「これは誤報だろう」と思ったのは。「だって事故写真では手を上げてピーターソンは生きてるだろうに…」と。
そのサイドウェイ!ロニーの葬儀で、何とか棺を担ごうとするニルソンの姿に(担ぐどころでない痩せ細って立つのがやっとで)、
皆んな見ていられなかったと、オートスポーツ誌の記事を読んで、大ショックを受け暗く沈んだのが、ついこの前のように思い出しますわ。 ロニー亡き後、No.55を付けてラスト2戦、J・P・ジャリエがブラックビューティ・JPSロータス79を走らせたけど、やっぱり速かったね!
最終戦はポールからブッチでトップを走らせながらマシントラブルでリタイヤしてしまったけど。
超速いのに1回も勝てなかったドライバーに、俺はC・エイモンとJ・P・ジャリエを上げる。
'78年は、マリオとロニーのコンビじゃなく、ロニーとジャン・ピエールのコンビだったら更に強烈だったろうなぁ〜と当時思ったっけ。 >>314
ジャリエは確かに勿体無い逸材だったと思う。
’90年代初頭くらいまでは何乗っけても一級線の速さを持ってたと思うんだけど、日本での認知度は著しく低いんだわな。
エイモン全盛期は知らんけど、特徴的なヘルメットで’60後半〜’70前半のレース・シーンを象徴するアイコン的存在。
だから勝って無くてもあんまり悲壮感は感じないんだよねw GCに出たことも>ジャリエ
ガキの頃、「ジャンパー」ジャリエの意味がわからなかった・・・ >>315
実は俺もエイモンの全盛期は知らないんだけど…。後から色々分かって、速かったのは間違いなさそうなんで!?(^^;
F-1に興味持ったのは'74年の途中からで(AS誌等により)、'75年から完全にハマった!まだ小学生だったけどね。
だからフェラーリ312TとN・ラウダは最初に最強と思ったF-1レーサー。1番のファンはレガおじさんで…。
ジャリエは'75年開幕から2連続ポール(UOPシャドウ)だったが、マシントラブルでスタート出来ずだったような?
結局ポールは、5勝して26歳で初チャンプになったラウダが年間9回で最多(当時は9回が最多タイで他にピーターソン等)。
他にもスピードは十分あるのに1度も勝てなかったドライバーはいますが…。
特に下のクラス(F-2/F3000)の速さからして、F-1に行ったらチャンプ争いするだろうと思わせたレーサーは多々。
B・ジャコメリなんかもそうだし、D・ワーウィックもマシンの巡り合わせ悪く。
結局F-1に行けなかったけど、日本人にもお馴染みのJ・リースなんかは、
当時イギリスで最も期待されてたし(ほんとはN・マンセルではなくJ・リースのハズだった)。
でも後から色々映像見て最も速くカッコいいのは、フジTVの川井ちゃんじゃないけど、
やっぱり'73年ロータス72D&EのR・ピーターソンですね!そう「世界最速はスウェーデンのパン屋の息子」ってやつです。 自分的にはG.リースよりもB.ヘントンかな>英国期待の星
個人的にはR.キーガンに期待してましたけど。
C.セラの不遇っぷりはガチ
S.サウスはもっと・・・ ヘントンはF2に長居しすぎましたな。
ラルトでチャンピオンになり損ねたのが痛かったのでは? >>317
リースは78〜82年にF1経験有り(通算出走5回)。
ほとんどが下位チームからの参戦で予選落ちばかりだったが、ティレルでスポット参戦した79年ドイツGPではまずまずの7位。 このスレは平和でいいなぁ〜オッサンには・・・
下のクラスではテオ・ファビの弟コラード・ファビはその後どうなってしまったんだか?
ずっと後になるけど、デレック・ワーウィックの弟とポール・ワーウィックの事故死は衝撃だった。
ステファン・ベロフの事故死もそうだけどね。
そういえば我がF1の師ビル大友さんが、AS誌か何かで
かつてヨーロッパでは「彼はロニー・ピーターソンかどうか分らないけど」
って表現がよく使われていたと書いてるのを読んだ覚えがある。
要するに、天才肌の代名詞として・・・ この時期、FAt.からF1行ったのはビルヌーブとK.コーガンくらいかな?
ウルフでF1走ったB.レイホール(ラハール)はヨーロッパF2やF3やってたからFAt.はやってないか??
D.サリバンがティレル乗ったりもしたなあ >>322
ケケも乗ってませんでした?
ジルの伝記で読んだような? >>323
ケケは銭稼ぎのバイトで、色んなのに乗ってたな (^^) ソレっぽいことを言われたけど
やっぱりコイツとは会話が成立しないな
ヒメアノール ジルの事故死のあとにタンベイが選ばれたのは何故?
そこそこ速かったのは理解できるけどいきなりフェラーリってほどでもないような。
他に適度に速いドライバーがいなかっただけ?
あと86年ロータスのダンフリーズも疑問。 セナがワーウィックは速いから嫌だって言って格下のダンフリーズだったっけ? 70年代には2ペダル式がもう採用されてたんだな
オートスポーツの一説によると
チームロータスでは、トップのコーリンチャップマンがコーナリング性能と操縦性能向上で勝てるマシンを理想とする一方で
クラッチ操作を必要としないマシンも求めていた。
そこにレーシングカーと出身のロニー・ピーターソンが、右足はスロットル操作だけで、左足でブレーキングするドライビングの利点を説いた。
今でこそ、標準的なF1マシンの操縦方法だが、当時は異例な走法だった。
それでも、ロータスはこの考えを推し進め、75年にはロータス76で電磁式のクラッチを採用。
スタートのみ左足でクラッチペダルを操作したが、走行中はシフトレバーについたスイッチを押すことでクラッチが切れるため
左足でブレーキ操作ができた。
ブレーキペダルはY字型のアームの先に付けることで、左右どちらの足でも操作できるようにしていた。
しかし、これは不具合が多く、結局通常のギアボックスに戻された。 ダンフリーズ、84年のF3時代、セナを上回る記録出してたから (勝率だったか勝利数か忘れた)
そんなにへたれとは思ってなかったよ
タンベイもマクラ-レンのNo.2時代はそこそこ評価されてた気がします。 P・タンベイはG・ビルヌーブと特に仲が良かったと思った。フェラーリがビルヌーブの後はそのタンベイに…。
A・セナ(ダ・シルバ)は、チームがD・ワーウィックを入れようとしてたことに大反対したのは有名。
ワーウィックは速いから、チームの力が自分だけに集中されなく分散するのを嫌がった…からじゃなかっけ。
'93年にA・プロストがセナをチームメイトにしない条件でウィリアムズで復帰したことに対して、
セナがよくよく怒っていたけど、セナもロータス時代既に同じことをやっているとは、当時よく言われてたね。
ロータス76(JPSマークUだっけ?)、ロータス得意の画期的なマシンだが上手く機能せず。
しかし当時はそのJPSカラーとあいまって、抜群にカッコ良かったと思う。 ケケ・ロズベルグは、F-2時代にウィングカーのマーチ??2に乗ってから、なんか急に速くなったような印象がありました。 引退したワトソンが85年に1戦だけラウダの代走したでしょ?
ゼッケン何番付けていたのかと思って調べたら、そのまんまラウダの1番で走ったんだね。
チャンピオンナンバーのまま代走ってOKなんだと初めて知った。 ヴィルヌーブはエンツォ(フェラーリ創立者)へのモナコ勝利報告で次のメッセージを贈ってる
「76周の間、私はあなたのドライブシャフトをどうにかして壊してやろうと頑張ったんだが、成功しなかった。本当にどうもありがとう」と ニキラウダがロイテマンのことを冷たい男と言ってたな 昔はレースによってカラーリングを変えてたりしたよね。
マクラーレンの赤色が、黄色や水色になったり。
今はそういうのはアウトなのかな >>338
赤牛とか、レースによって代えたりしてるだろ。 結果は抜きにして、真の日本コンストラクターは今でもマキだけだと思うんだ。 「真の日本コンストラクター」と言えるのは60年代のホンダだと思う。 ウルフのWR1で画像を検索したらこういうのを見つけたんだけど
俺の記憶ではコックピット前のカウルは断面が丸くてロールバーも丸かったと思う
この仕様のカウルとロールバーのマシンは実際に出走したのかな?
http://www.motorsport.com/vintage/photo/main-gallery/peter-wuensch-wolf-7/?i=12170&id=873433&sz=1&s=2
それとも今のオーナーの改変? >>344
今のオーナーが安全を考えて改造したんじゃないかな
ノーマルのロールバーだとヘルメットが飛び出しちゃうんだろう BT55より低いと聞いて…。
ttp://get.nifty.com/cs/catalog/get_topics/catalog_282142_1.htm
奥のマイクロバスの年代物っぷりからどこの発展途上国の自由すぎる金持ちの道楽かと思ったら
日本の学校とかw >>344->>345だった
すんませんorz・・ あるいは最近のヒストリックF1競技で使う場合に
さすがに最新のレーシングカー並みとはいかないまでも
常識的な最低限の安全基準を満たす必要があって、そのための改造は認められる
(というか必要とされる)みたいな感じなのかも?
いくらオリジナルを保てっていっても例えば富士に出た仕様のままKE007に乗れっていったら
それこそ死ねっていうようなもんだしw 83年型のTG183Bはバーンイズムが溢れていてかなり好きなんだぜ
ラジエターがフロントウイング内にあるけど、冷却水配管はモノコック内を貫通してたのかな?
結構熱そうなんだけど… そもそもが昔のフロントラジエーターが当たり前だった時代のクルマが
どういう取り回しだったのかという問題かも。
モノコックが外皮一体型になるのは確か84年のATSあたりが最初だから
そうなるとモノコックとカウルの隙間をギリギリで通り抜ける構造だったのかもね。 >>350-351
三栄書房の名車列伝Vol.6にTG83Bが取り上げられているが、
確かにラジエーターの配管はFサスのアームの間を抜けて
モノコック側面の中に消えてる。TG183Bはオス型モノコック
だからモノコックの外側に配管を這わせてその外側にもう
一枚パネルを付けてるんだろう。 >>351-352
ありがとうございます
名車列伝にフロント周りのショットがあるんですね
今度見てみます
ネット上にはウイング内部の構造がわかる画像ってのがなくって冷却系構造疑問だったんですよ
TG184で随分と普通(多少変だけど)になっちゃって残念
ところで415Tのモノブロック構造って燃焼室加工とかバルブのセットとかってどうやってるんでしょうか?
どこかで読んだ覚えがあったけど忘れちゃった ジェームスハント引退声明
引退の一番の理由は自分自身を守りたいってことだけど
もう一つの理由はF1がドライバーの手腕ではなくマシンの性能によって支配される時代を迎えてしまったからだ。
俺はただマシンに乗って勝利に関係なく走るのは嫌だよ。
もっと自分の運命を自分でコントロールできる状態が欲しかったんだ。
俺はコンペチターだよ。挑戦して勝ちたい。最初から勝てないと分かってマシンに乗るのは嫌だよ。 ハントはよくWolfに行ったな
勝てそうな見込みがあったのか ウルフはチーム初年度にタイトル争いしてたチームだからな モーターレーシングから引退することはある日簡単に決められるものじゃない。
僕の場合、次第次第考えが固まっていったんだ。
僕がレースを始めたとき、本当にワクワクしていたよ
レーシングカーを動かすのが好きで勝つために本当に努力した。
実際、多くのレースに勝ち、レースから学んだ。
その学ぶべきことがなくなってしまったとしたら、そうするとレースは普通の仕事になり
マシンをドライブする楽しさも薄れてしまったんだ。
やる気がなくなり、ある朝目覚めたら終わりにしようと思った。
すべての人々を知り、すべての国とサーキットを知り、マシンのすべてを知ってしまったら
もう、自分にやる気を起こすものがなくなった。
トップにいてレースを勝ち続ける。それが一番だけど
もう自分のココロと頭をそういう状態にもっていけなくなった。
普通のドライバーになって中団や後方にいるのは耐えられないね。
楽しみがなくなった後に残る、危険とハードな仕事。二週間ごとに毎年いつもの国に行くのはもう退屈なことさ。
引退の時というのは自分自身に対してレースの世界が楽しいかどうか思い始めた時に自ずと決まってくると思う。
もう楽しみを見いだせないから僕は家に帰ったほうがいいと思った。 ブラバムってジャックブラバムはオーストラリア人だと思うんだけどコンストラクラーはイギリスでエントリーしてたのかな? >>364
もちろんイギリス。
ブルース・マクラーレンだってニュージーランド人だけど、チームはずっと英国籍コンストラクターだろ。 何が「もちろん」か知らんけどw
同じチームでもエントリー国籍はコロコロ変わるからね。
例えば
トールマン(イギリス)→ベネトン(イギリス)→ベネトン(イタリア)→ルノー(フランス)→ロータス・ルノーGP(イギリス)
特に規定はないんだろうね。 あとは
BAR(イギリス)→ホンダ(日本)→ブラウン(イギリス)→メルセデス(ドイツ)
とか
(心情的にティレル→BARは認められないので意図的に外した。国籍数には影響ないしね)
4国籍のチームってあるかな? 本拠地所在地かと思いきや
フットワークは確か日本のチーム扱いをしていたことがある
(レイトンは確か違う)はずだし…。
「登記上の本社所在地」みたいなもんでいいのかな。 緊迫感の演出か、富士のストレートがえらく狭く表現されてるな。 そもそも日本で上映するかという問題
このスレに居るようなオサーン(失礼)には大ウケだろうからやって欲しいなあ。 日本の配給会社がすでに買付済みなことが報道されている。
ただ、どうやら日本公開は2014年らしい。 ttps://www.youtube.com/watch?v=iO4jKXIbxvM しかし、似てるなぁ。ニキのしゃべりとか。ニキの奥さんも似てる。
おそらくプロモーションでライコネンと組むのは間違い無いなw ラウダとハントの映画って、ちょっと日本では厳しいんじゃない?
還暦マンセルとピケがレースしているフォードCMが世代としてギリでは 書籍とミニカーとつべで見た映像ぐらいでしか知らないセナプロ世代けど
日本でもやってくれたら嬉しいな
映画館行くわ これ、有名監督の作品でレースを題材にしているけど、ドラマ性の高い一般映画というプロモーションをしてくると思うよ。 ガキんときに見に行ったな
あの頃はグラチャンとか色々あって楽しかった
暴走族みたいな奴らがたくさん来てたのを覚えている
曲を大音量で流していた輩もいたな 40代〜50代前半なら、いわゆる「スーパーカー&サーキットの狼 世代」だから、ここらへんがメインだろうね。
しかし312T2がニュルのジャンピングスポットで飛ぶシーンがいいな!
マシンも当時のやつを集めたようだし。でも、さすがに76年式のタイレル6輪車は無理みたいだったなw 77年のはサラブレッドGPによく出てだけどね。
タイヤはみんなエイボンにグッドイヤーロゴ吹付けかねw 逆にいえば当時のやつはそうやって割と簡単に動態復帰出来るからいいな。
当時の最新テクノロジーで作られた部品でも同等以上の機能のものを今作るのは難しくないし
「燃料が当時と同じ物が無い」っていわれてもDFVならチューナーレベルでも手直しできるし。
90年代半ば以降の電子機器の塊みたいな車となると
マシンによってはそもそも動態保存車が皆無なんてことも起こりうるし
抜かれてる複雑な専用部品全てとエンジンを用意出来るか、といわれたら
それは数十年後の技術でも非常に難しいものになりそう。 映画撮影程度のエンジンならF3000用の改造DFVとかいっぱいありそうだしね。 日本にあるウルフだかロータスだかの1台が
「片山右京がF3000でチャンピオン取った時に積んでた松浦DFVそのもの」を積んでるっていう
ダブルで貴重な個体だったのを思い出した。
例のレストアKE007もF3000用の中古だったはず。
一方ヒストリックカーレース用に普通に需要があるとかで
最近またコスワース自身がコンプリートエンジンそのものやパーツ作るようになったんじゃなかったっけか。 やっぱりメーター類はアナログがいいな
タコの針が跳ね上がる様こそロマン レースシーンとかCGじゃないのか、コレ。富士のシーンで星野のタイレルとか
長谷見のコジマとかムリか… CGもあるんだろうけど現存車をちゃんと当時の外観に倣って走らせている。
シーズン序盤のハイ・インダクション状態のシーンもあるし、312T2も76年の大き目なNACAダクト・インテーク車 >>391
コジマは所有者の人から借りてくれば走行出来る個体は存在するし
「富士のあの異例の展開」ってやつを制作者が描写したければ(もしくは日本の観客向けにサービスしたければ)
それは可能だったんじゃないかな。
予選1回目辺りで「何?ジャパニーズにやられたぞ!」とかトップランカー達がどよめくシーンぐらいの感じで。
…事故って潰れるシーンは思い切ってドリブンくさいハリボテカーでw。
星野さんとかのタイレル勢は(確か国内にクニさんの個体だったかは現存してたと思うけど)
どうしてもということなら欧州に残ってる他の個体にスペアカウルを作って塗り替えれば済むだろうし。 やっぱりロータス79が一番カッコいいな
JPSカラーがスゴく渋くてカッコいい ここに当時から楽しんでた人いるのかな?
親父がグループ5をリアルタイムで楽しんでたのが羨ましい 欧州のグループ5のレースって当時は日本で放送あったのかね?スーパーシルエットはGCの放送の時に
ダイジェスト的に流れた? >>397
おそらく皆無。
あってもニュースで何秒か・・・
スーパーシルエットはMSDで83年はやってた。
GC放送時は81年に何秒レベル この頃の時はチームロータスに働かなければ一流のメカニック、技術屋とは言われなかった >>404
ソースは?
ロータス以外にも一流どころのチームはあったように思えるが チャップマン時代なら確かに先進性で頭ひとつ抜けていたとは言えるのかも…。
マクラーレンと並んで初のカーボンモノコックを投入してきた、なんて辺りまではね。 当時の雑誌は「中島悟」だったり「中嶋悟」だったりいい加減だったな。 新聞の漢字表記規定みたいなやつでは
「社会面では嶋の字は使えない」とかあったような…。 >>397
なかったけど海外の本とか当時のシルエットフォーミュラの本買ってたらしい グループ5は結構人気あったな。やっぱ「サーキットの狼」の影響かな、俺は。
マルイのプラモのカレラRSRターボとかタミヤの935とか買ったもんなぁ。
あとランチア・ストラトス・ターボもGETしたなぁ。
風吹裕也仕様のデカールは当時手に入らなかったけどね。
マルイのプラモはムギ球仕込めば、ライト点灯できたんだよ。当時のモケイ少年にストライク!!な構成だったw >>403
ブーツェンっぽいね
畑川の参戦はのどかと言うか何と言うか… >>411
ランチア・ストラトス・ターボのプラモは、風吹裕矢のマシンのように完成即
クラッシュさせてしまった苦い思い出が・・・(^^;) 中国GPのオグたん実況情報によると、「RUSH」監督から高原のステッカーについて、えらい細かい質問があったらしいな。 す、すげぇ・・・なんてリアルなF1マンガなんだ。チッキショー興奮してきたぜぇ・・・ バンディーニとは、こりゃまたシブい所を持ってきたね、さすがすがや先生、と言うべきかw
続きも頼むw ニフティのモタスポフォーラムのシスオペやってたね、すがやみつる 昔F1情報得ようとしてモタスポフォーラムでCompuServeのアクセス方法聞いたら
あっちはアメリカレースのネタが中心でF1はあんまねーよ
と、すがやさんから返されたなぁ アメリカの情報はクロスノフが教えてくれたとか言ってたなぁ…すがやさん。 クロスノフ死んじゃったな
全日本F3000でチーバーとヴァイドラーとクロスノフ好きだった ttp://www.buyf1merchandise.co.uk/product_images/retro-gp-durex-surtees-t-shirt-white.jpg 「後出しじゃんけん」という慎重な天皇一族
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/48/315.html
江戸時代の「偽装・鎖国」が、その「後出しじゃんけん」の一つだ。 トドロキスペシャル
ルーベンカイザー
マシンハヤブサ
スーパーカーブームって偉大だったんだなー GPCarヒストリーのロータス97T買いました。
カッコよさは78,79に引けをとらないと思うね。 お、新しい号出てたのか。
俺も買ってこよう。情報サンクス あんまし内容の無い本だった。。。
マシンじっくり見たいならF1MODELINGの方が上ですな F1モデリングは判型がな…あと新車は要らん
俺的にはブラバムBT55を扱って欲しい GPカーヒストリーのロータス97T、思ったより
エリオ・デ・アンジェリスの事にも触れてあって
良かった。
エリオが生きていたら80年代終盤の殺伐とした
セナプロ対決も少し変わっていたのかなーと
思わないでもないが、この人が87年以降もトップ
チームの椅子に座れたとも思えないしなあ… 日本の名レース100選age
レーシングオンも今号は(・∀・)イイ
桂木氏=AT誌尾崎編集長ですよね。 上がってなかったorz
>>440
フォローありがとうございます。
気が付くの遅くて一昨日楽天で注文。まだ届いてないorz マキやコジマのような「真の日本F1」登場きぼん。
ムンクラや童夢はもうそんな気無いのか? >>442
虚業家が大金出してくれるとかでないとだめなんじゃない。
既存のコンスラクター買収して拠点は向こうの方が安上がりということななると思うけど。
http://www.italian.sakura.ne.jp/bad_toys/cosworth/index2.html
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S53/S53HO101.html
無限連鎖講の防止に関する法律は昭和53年にできたようだけど、
エムズブレインはどのくらいの規模の会社だったのでしょうか?
ねずみ講といえば天下一家の会が有名だけど。 M`Sブレイン、GCに清水正智(マーチBMW)で参戦会見したりしてたね。 >>443
それ何て言うレイトン&フットワーク?
いやトヨタもホンダもスーパーアグリも同じだったな。 マキさんは今も現役で色々たくらんでいるのか!?何歳の人なんだ 84年はトールマンの件もあって
ミシュランとピレリの勢力関係はなんとなく解るんだけど
GYはどの位の競争力あったのかしら?
後追いだとこういう所がよくわからない やっと規制解除された
GY=Miな感じだったよ
共にトップチームに供給してて83年まではチャンピオン争いしてたし、性能差はほとんどなかったような
84年は燃料規制でMiのマクラーレン&TAGポルシェが独走しちゃったし、ピケ2勝もMiでGYは
アルボレートのベルギー1勝しかなかったけど、だからといってMiより劣るという感じはしなかった
んでMiが撤退してマクラーレンが85年のMP4/2BにGY履いた時に勝率が落ちたからMiより相性が
良くないのかなぁって思ったりもしたけど
Piも特定条件下(暑い)だとGYよりも性能を発揮する事もあって、85年の暑いポールリカールで
ブラバムBT54&ピケがPiで勝ったりしたから、86年のフランスGPはリジェ・ルノー+ピレリ+
アルヌー&ラフィが優勝候補だったり 気温が低くてダメだったけど ベネトンの「メキシコの奇跡」は
あれは暑かったんじゃなくて路面がダスティだったらしいけど、
それじゃ「熱が入りにくいタイヤなおかげで、低グリップな路面でタイヤに優しい走りをすれば無交換でももつ」
的な理由でいけた? アステカスタジアムでの5人抜き、神の手ゴールなら覚えている あの大会のスポンサーだったキャメルは「サッカーよりF1のほうが露出度高い」とロータスに接近したらしい >>449
おお、回答ありがとうございます
Miだけが抜けてた訳じゃないんですね
便乗して先輩方にもうひとつ質問
今ならFW09はフニャフニャアルミシャシーにドッカンターボの
ひどい代物(誇張有)という評価でいいと思いますが
当時はどんな車と認識されていました?
お暇があれば返答お願いします 83年中盤にホンダとウイリアムズの提携が発表された。
噂は以前からあったけど、正式発表されてすげ〜ワクワクしたもんだった。
なにせスピリットは あのレベルならF2では良かったかもしれんけど、Fサスなんかロッキングアームで
F1では周りと比べると明らかに見劣りしてたし。 で、83年後半戦に間に合わすべく突貫でデザインされたFW09 見た目は・・・「カッコ悪い」
ロータスやマクラーレンは2年前からはカーボンモノコックだし、グスタフ・ブルナーがデザインした
ATS・D6なんて初めての曲面メス型モノコック・カーボン地むき出しで涙が出るほどのカッコ良さ。
それに比べてFW09は単純な面構成の古くさい角々のアルミモノコック。
空力も角々でボテっとしてて、ノーズ先端もなんで四角なのかと思ってたらHONDAのエンブレム
貼るための四角だったとは。 (規制?でリンク貼れないorz) アルミモノコックはそろそろ時代遅れの感が漂ってたけど、フェラーリもシーズン序盤C2Bはアルミだったし、
カーボンモノコックへの過渡期だったから まだそれほど問題視されてなかった。
っていうか、ウイリアムズはまだアルミモノコックか 堅実だな、 FW08・DFVは戦闘力低下で全く冴えなかったから
最終戦によく間に合わせた さすがパトリック・ヘッド ってな感じ。
そんで5位入賞した事で84年は期待大になった。 で、いざ84年シーズンが開けてみればマクラーレン+TAGポルシェの独走でウイリアムズ+HONDAは
全く光る所がなく期待外れ。
ケケが「HONDAはパワーはあるけど、その出方が唐突過ぎる」とか愚痴こぼしてたのは見たけど、
この年は220Lの燃料規制で途中踏み過ぎると最後ガス欠になるからっていって、パワーを抑えた
耐久レースの様な展開か多かったし、モノコックがパワーに負けて捩れる事でハンドリングに悪影響を
及ぼす様な事は当時まだほとんど言われてなかった気がする。
449でケケのダラスの勝利入れるのすっかり忘れてた FW09についてはパトリック・ヘッドが何処かの書籍で
「DFVのパワーはたかが知れてるから、モノコックなんてこの程度のアルミ構造で十分。
その証拠にFW06〜FW08ではモノコックの捩れ剛性試験なんてやった事なかった。
でも、FW09はHONDAのピークパワーに対して捩れ剛性が足りなかった。
出力特性も最悪だったし、なにせHONDAからはエンジンが届くだけでインタークーラーや冷却系なんかの
データーは全くなかった。
我々が苦労して補計器類を開発してやっと勝てるレベルに達したら、そのパッケージは「標準品」として
ロータスにそのまま丸ごと贈呈された。」ってグチってた。 別の話だけどパトリック・ヘッドがその書籍で名車FW07にも語ってて
「あれはロータス79を真似たもの。他もほとんど同じように真似ていた。
仮にロータス79を「A」とすると、他はそこから究極の「Z」を目指した。
でも、うちは中間の「M」か「N」辺りを目指して作った。」って。面白くない堅実派。
454〜458だけど、忍者修行中とかでリンク貼れないし長文撥ねられるし
仕方なしで連投したらサルって言われるし で読みにくくなってごめんなさい。 地上の夢なんか読むと、ホンダの躍進にウィリアムズの古臭い体制がついてこられなかった
みたいに書いてあったけど、目に見えない苦労は当たり前だがしてたんだろうな。 ロータス97Tのディフレクターはステアに連動して動く構造とか書いてあったけど、
空力的可動付加物に問われなかったの?
アップライト付近とどう結合してんのかもいまいちよくわからん
モノコックからの支持方法見ると確かに動きそうな気はするが >>457
ホンダの1994年のエンジンのボアはF2用と同じ90mm。
当時のホンダの現場の人が書いた本を読むと、体制が整うまで90mmのボアのエンジンで
やれるでけやって勝てる体制が整ったらスモールボアのエンジンを投入したいという感じ。
1984年のV6エンジンのボア
TAG 82mm フェラーリ 81mm ルノー 86mm ホンダ 90mm ホンダもルノーもBMWもF2の2リッターエンジンがベースだったからね つまりはカーボンになる前とか混成モノコック時代のウィリアムズって
まだレイナードやダラーラと互角以上に渡り合っていられた頃のラルトのF3みたいな感じだったのか…。
違ったのはその後まで旧弊な設計を引っ張ってあっという間に時代に置いていかれたか
ニューウィ加入まで確かに保守的とは言われつつも、一応は「時代に沿った保守」として進化していたかで。 >>459
ティレルも、「青いロータス79」と呼ばれるほどそっくりだったなw
一方、未来的なアローズやロータス80は、模型マニアを喜ばせただけで、大失敗に終わった・・・ アロウズといえば最初の車(あのシャドウそっくりなやつ)は
カーグラの檜垣さんの連載では「破壊あるいは裁判所に没収された」とかいわれてたけど
没収分の1台ぐらいは破棄されずに現存してる個体とかあるのかしら…。 ロータス79=A
A2=Z
FW07=M
009=a FW09の件ありがとうございます
俺はその辺の知識は地上の夢がベースなんで
リアルタイムの方々の意見は貴重でした
便乗してさらに質問
85年のホンダ新エンジン投入は当時の日本にも伝わってきたのでしょうか?
お暇があれば返答お願いします >>468
TBSのダイジェスト(グラチャン中継の中でやってた)で間瀬さんが報告してたよ。
確か、その前年にホンダの監督の交代もあったんじゃないかな。土師から桜井に。 1985 F1 GP 前半戦 1/3
ttp://www.youtube.com/watch?v=N-zYnqZVvLk
10:00〜で言及してるね
あの舗装がボコボコでキャンセルされたスパに間に合ってたのか
ナカサンもマンちゃんも若いのう >>453
ルノーのエンジンのシリンダーブロックは1980年代に鋳鉄からアルミになった。
1985年のV6エンジンのボア
TAG 82mm フェラーリ 81mm ホンダ 90mm(前半) 82mm(後半)
985年のV6エンジンのボア
TAG 82mm フェラーリ 81mm ホンダ 79mm
http://www.gurneyflap.com/renaultef15.html
このサイトによるとルノーの1985年、1986年のボアは80.1mm
どこも80mm前後なのが興味深い >>472
RA163E系のボアはパねえな
↑との対比でEスペックのスモールボア、ロングストロークが強調されるが
他と同じ位になったって事なんだね
Eスペック以降の本当の肝は冷却系なんだろうな どっかんターボ以前の非力なDFV全盛時代なら体力乏しい中嶋悟も
もう少しやれただろうと思う その頃はウィングカーだろうから余計やばいんじゃないかと…。
タミヤのキットだとフロントウィング無い仕様で製品化されてるピケのブラバムなんて
あのナリで充分なダウンフォース得られたうえにターボカーだとか完全に狂ってるとしかw
インディカー的なカミソリウィングすら必要としなかったってのは
よっぽど当時的にいうとダウンフォース発生量が高かったのか、もしくは凄いオーバーステアだったのか…。 フロア下のサクションで吸い付く上にガチガチサスだからなぁ
当時のF2もウイングカーだったのかな? >>475
フロントウイングを付けると気流が跳ね上がりベンチュリーに流れる気流がむしろ減り
ダウンフォースは寧ろ減るケースもあった。
ただ、フロントウイング無しだと、荷重バランスがとりにくく微調整的に申し訳程度のフロントウイングを
付けるマシンも少なくなかった。が F2じゃなくGCだが、1983年に松本恵二がひっくり返って死にそうになったり、高橋徹が
死んだのはウィングカーだったよな、確か。 >>476
F2は792辺りから『ウィングカー』だろ
>>478
当時のGCカーはF2にカウルを被せたモノだし ただし元々オープンホイールの車体に合わせて作ったアンダーパネルだろうから
カウルを載せた時には改めてアンダーパネル作り直す必要はあったと思う。
マーチ832用のMCS4だったかな?はそれに合わせて設計したきっちりウィングカーGCだと記憶してるけど。
>>477
つまりその時代に誰かが所謂アンヘドラルウィングとか、
もしくはチャンプカー・レイナードのオーバル用や一頃のラルトF3みたいな斜め下がりタイプとかを考案してたら
それはそれは恐ろしいことに…。
92年のインディカーのトゥルースポーツが
ウィングカー+アンヘドラルウィング+横置きミッションという厨二心いっぱいのスーパーセットなのに
さっぱり速くなかった(翌年レイホールが開発引き継いでも全くダメだった)ってのは
結局あれは何がダメだったんだろう。 GC、初期のF2流用シングルシーター、ロイスとかは マーチ782同様の空洞サイドポンツーン方式で
アンダーパネルが無い。
高橋徹の事故車はGC用独自設計のウイングカー式のアンダーパネルが付いている。 >>480
当時のGCカーは前年モデルのF2にMCSカウルを乗せるのが普通。
ちなみに83年用MCSWはマーチ822専用だったと思うが。 >>483
あとから長谷見ラルトRT4やG.リースマーチ802等色々。
SSRや健二さんはMCSIIIにアンダーボディ入れてましたね。
MCSIVは徹事故映像に、裏側が映っててフルカバーされてるのがわかる・・・
希望は現存してないのかな。
由良ボディをじっくり見てみたい。
そういやサンダーはF2にしたときサイドポンツーンが新造されてたけど
詳細ご存知の人居りますか? >>483
サンダーはGC仕様だとタイヤハウスを後付追加した感じで、サイドポンツーンのベンチュエリー部分は
F2、GCともに共用じゃない? >>484
下面は共通ですかね。
鴻池さんだったかが、ラジエーターの配置やヴェンチュリの形状に疑義出してたんで
変えたかなと思ってました。上面はパネル貼られたり変化アリ
https://www.youtube.com/enhance?video_referrer=watch&v=IG2RYbPPTCg
一瞬ですが NOVA.Splってのもあったよな。森脇サンの黒歴史wたしかランチア・マルティニ風の空力で >>485
F2版に取ってつけたようなフェンダーですが、実際にはF2での出走って1979年最終戦だけみたいですね。
画像もほとんど見かけないので判断がつきませんねえ。
シーズン後半には取ってつけたようなフェンダー部分が手直しされて割と洗練された感じに。
http://yurataku-ya.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/f20-331f.html
翌年、MCS的なボディに改修されて一応入賞歴があるみたいですね。 お礼遅れました
ホンダ新エンジンの件、回答ありがとうございました
地上の夢では桜井氏がTV番組で今年(85年)はあと二つ勝つ
と公言した、との事ですがこれは何の番組だったのでしょうか?
もしお知りの方がいれば回答いただけると嬉しいです >>490
カーグラTVでしたか
素早い返答ありがとうございました タイレルP34
すげ〜モノコック低いな
実際のところ上半身剥き出しで乗ってるようなもんだろ
恐ろしくなかったのか 97T本読んでたらラウダが
「アランに勝てず、ロンにもうんざりしてルノー獲得に失敗して熱意を失って引退」
みたいな事をインタビューに答えてました
86年に向けてなんでラウダがルノーを欲しがってたんですか? ブラバムで走るかどうかって話しはあったけどな、パルマラートは1984までメインスポンサーだったし。
ルノーもラウダも1985シーズン途中での撤退・引退発表だったけど。 ワークス継続を、ラウダ獲得でアピールしたかったんじゃね? 国営ルノー公団時代だから撤退したいの丸出しだったよね。
ジェラール・ラルースとミシェル・テツはリジェに放逐されてたし。
フランスラテンとラウダのドイツ・オーストリア勢力は接点なかったと思う、イタリア勢力とは
交流がさかんだったけど。 正確には「ルノー・エンジンを手に入れる為の交渉も失敗に終わって」
となってました。
マクラーレンがポルシェを切ってルノーを欲しがった、又は
ラウダが移籍先のチームでルノーを乗せる計画だった
と捉えたのですがどちらにしても初耳だったので
一瞬思考がとまってしまいました 当時のルノーって本隊撤退でロータスが実質ワークス
リジェとティレルがカスタマーって感じだから、
実現してたら93年のフォードワークス奪い合いみたいなことになってたのかな チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば
チャイニーズ高校野球権利団体ワイパー 沖縄海焼きそば 本日限定
Dビデオ(NTTドコモ)
http://pc.video.dmkt-sp.jp/
にて映画RUSH 試写会
ニキ・ラウダVSジェームス・ハント 1976の激闘 >>502
見た
なかなか良かった
シーズン前半・後半のインダクションポッドの違いやF1インJAPANの「たいれる」表示など
細かい所も再現してる
最後のクレジットで長谷見の名前出てくるけど画中では確認できなかった
ラウダ役の演技力は最高クラス 仕草やしゃべり方とか
最後は本当にラウダかと思うくらい
ただハントとの確執は今まで知ってるのとずいぶん違ったので、脚色が強いのかなと思ったり 76年のGPて親父が高3の時だなぁ
当時のオートスポーツや日本GPのレコードwwが今でも有るぞ
F-1なんてTVで見れなかったから「ワンバイワン栄光の男たち」とか
もう少し経ってからだけど「ポールポジション」とか
F-1の映画見に行くしかF-1の雰囲気は味わえなかったらしい
だから76年と77年の日本GPはTVで見れて良かったとか。
で、プレイヤーも無いのにレコードなんて持ってても仕方が無いのに
思い出がとか言って昔の雑誌もレコードも捨てられないんだとw その頃は、土曜日昼0時15分頃からやってたNHK海外ニュースの中で、1か月遅れ
くらいでF1レースのニュースを流してたんだよな、当時はビデオも無い訳で、それを
見たさに走って家に帰ってたよw セナ・プロどうこうでなく、当時を知る人だけでなく、F-1ファン/マニアなら、この本は読むことを是非お勧めする。
まぁ'80年代最初から詳しく知る人なら、最初の1/4〜1/3読むだけでも感傷に浸れる。
ビルヌーブ、ピローニ、プロスト、そもそもは仲の良かったこの3人。そして元々は雨のレースは得意だったプロスト・・・
殆どの人はここまでは知らなかったと思う当時の話が、色々書かれている。
『セナvsプロスト=|史上最速の“悪魔”は誰を愛したのか!?- [著]マルコム・フォリー』
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/4639170.html
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704551.html
http://mutt.blogzine.jp/blog/2010/08/post_ae9e.html 312T5はなんであそこまでダメだったの?
ぶっちゃけT4の方が速かったりしなかったのかしら 幅広の水平対向エンジンでグランドエフェクトが不十分だったらしい。
そんでターボの方に開発主体が移行した。 T4から出来るだけ改良したT5だけど、それがダメだったというより
他がベンチュリー+スライディングスカートを理解して速くなって
T5が取り残された って感じ? 確かに、他チームの進歩にフェラーリが置いて行かれたって感じだ、アルファから
DFVに代えていきなりチャンピオン争いをしたブラバムとかなw そう考えると
79→80の飛躍度は凄そうね
FW07もこと年デビューだっけ? T4もテクニカルコースが良かったんじゃなかったっけ? T4は最終段階の性能を迎えたフラット12エンジンのアドバンテージに
微妙なレベルとはいえウイングカー+ミシュランタイヤの総合力が成
長過程のDFV+ウイングカーをぎりぎり上回った感じかね
で、水平対向エンジンウイングカーの性能限界は既にT4時点で到達していた感じとか 「白いロータス79」ことFW07は1979年中盤にデビューしていきなり爆発的に
勝利を重ねたが、この年は変則的なシーズンで、シーズン前半と後半で有効
得点が分けられていた為、後半戦だけ活躍のウィリアムズは惜しくもタイトルに
届かず。
同じようにスタートダッシュを決めたリジェも、後半戦は失速してしまい
シーズンを通してコンスタントに走ったフェラーリがチャンプ獲得、という
流れだった。 ウイリアムズは全戦から上位8レース分のポイント合計でもチャンピオンというわけではなかったんじゃない? Tシリーズの問題点は、エンジン以上にタブ=モノコックにあると思う。
312B3以来、悪しき伝統の鋼管フレームの似非モノコック。フォルギェリの固執が全て。
これは81年まで継続され、結局、ハーベイ招集でイギリス式「真モノコック」の製造でやっとこさ解決したという苦難の道が・・・ >>508
ターボ車(CX)にリソースとられて、T5は卓上理論だけで横縦広げて∩( ・ω・)∩ばんじゃいしちゃった。
ブラウンボベリのプレッシャー・ウェーブ・スーパーチャージャーとKKKターボの2種類のシステムをテストしていたから(SN.049/049B)
同じ理由でシーズン中もT5に手が回らず∩( ・ω・)∩ばんじゃい。
SN.042〜SN.048の中では、SN.048(ジル車)が一番調子良かったと思ふ。
たまにモントレーのヒストリックカーイベントに出てくるゼッケン2番は、実はシェクターがモナコで走ったSN.046(ゼッケン1)。 【補足】
SN.042〜SN.048のうち、SN.047は126CX
それ以外がT5
でも80年9月のイタリア(この年だけイモラ)に持ち込んだのは047でなく049だった気がする
CKにアップデートされて翌年ピローニが長くドライブしたクルマだ 79年のロータスも80が失敗作で慌てて79を引っ張り出してきたけど、
78年より戦闘力がガタ落ちだったのは80ばかりに開発を優先させたから
なのかな?
マルティニストライプのロータスもデザインとしてはありだと思うのに DビデオでRUSHの常時上映来たよ
今なら7日間無料キャンペーン中(ドコモユーザーだけかな?)
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1402/03/news024.html
ちなみにPCでも閲覧可能 >>521
つか、廻りが一気にロータス79に追いつき追い抜いちゃった、ってトコじゃね?
チャップマンが78年シーズンに、79を自慢して他チームに見せまくってたのが敗因だと思うw >>521
79自体の戦闘力は78年時より上がっているが、他のマシンが既に更にそれを凌駕した。
79を引っ張り出してきても80をすぐに完全に諦めたわけでもなかったので、どっちつかずに
なった。
>>523
ティレルがタミヤ経由で設計図を入手したって噂もあったなw タミヤはロータス79、当時はプラモ出してないだが。 タミヤのラジコン79は1979年型がベースで発売時期が遅くティレル009向けに
タミヤからティレルヘ情報流出ってのは相当の妄想 009をデザインしたモーリス・フィリップって人は、元々ロータスでチャップマンと49とか72造った手練なんだ
チャップマンの破天荒なアイデアをまとめていたのがモーリス・フィリップだね
無論時代が何年も違うのだけれど、「おおよそこんなのを造ったんだろ?」みたいなのは形からわかったんだと思う
あと、ラスト2戦にJ.P.ジャリエがロータス79をドライブしているでしょ? ジャリエのフィードバックも重要だったはず
009は「コーリン、こんな感じだよな?(藁」みたいなシャレが利いてて楽しいよな >>525
確かにそっくりだったな、「青いロータス79」って呼ばれてたw が、1979年には時代遅れになりかけた79のコピー以上のものでなかったから成績は微妙。
シーズン中、壁のようなフィン、衝立が追加されてどんどん醜くなっていた。
そして1980年の010はは前年最速のFW07のコピー 当時模型化交渉窓口をティレルが引き受けているとこから出た噂
ロータス→タミヤ→ティレルじゃなくて
タータス→ティレル→タミヤ >>529
ずっと噂信じてたよ
考えてみれば78の時、取材に苦労したのに
79が無防備ってのも不自然な話だよな 一応近年、タミヤがロータスをプラモ化した際に、当時、フェラーリやブラバムの取材を
兼ねてイギリスGPで取材をしていたことが公表されているけどね。 そういや今宮純だったかが、ティレルはプラモの版権ビジネスで稼いだ小金じゃ、到底
現代F1で戦えないだろうって書いてたな、1989年か90年頃w 債権の先送りの自転車操業で、バーニーが肩代わりしながらBARに参戦権を売ることで
終了したティレル。 チャイニーズシリア空気プレン 沖縄海数の子焼きそば
チャイニーズ空気プレン 沖縄海数の子焼きそば レディオスペシャル
チャイニーズ空気プレン 沖縄海数の子焼きそば
チャイニーズ空気プレン 沖縄海数の子焼きそば カーグラTV、おっさんどもの話なんか無しでずっと映像流してて欲しかったな。 なんか急に伸びてる フジテレビの番組の影響
なんちゃらヒーロー >>517
古い木軸の住宅に構造用合板を張りつけて耐震補強する方法があるが、
それみたいのものでしょうかね。 フェラーリ312Tのフレーム。
設計に時間があまりかからない、設計変更しやすいというメリットはあったのかな。 密航チャイニーズ光金空気警察プレン 沖縄海局員うどんそば
密航チャイニーズ交通混乱空気オレオレプレン 沖縄海局員マー君焼きそば
チャイニーズ交通混乱空気オレオレ警察プレン 沖縄海局員マー君焼きそば
チャイニーズ交通混乱空気オレオレ警察プレン 沖縄海局員マー君焼きそば GRAND PRIX HEROESはなんでハッキネンが混じってんのだろう?
オールドF1が見たいのに ラッシュ見てきた。
最後のエンドロールに「HASEMI」と出てきた。長谷見さん役は確認できなかったが(コジマも)。 チャイニーズ光金オレオレ空気オリンピックプレン 沖縄海マー君焼きそば
チャイニーズ強制家宅捜索オレオレ編集者オリンピック空気プレン 沖縄海密航マー君焼きそば
チャイニーズ強制家宅捜索オレオレ編集者オリンピック空気プレン 沖縄海密航マー君焼きそば
チャイニーズ厚生家宅捜索オレオレ編集者オリンピック空気プレン 沖縄海密航マー君焼きそば >>546
RUSHは主役二人以外にもドライバーは結構似てる人が出てたね。マスとかレガッツォーニも
似ててワロタ 76年も最終戦ダブルポイントだったらラウダも棄権しなかったし映画化もされなかった ハント役は有名俳優だけど、ラウダは無名の人?
その他も、リアリティを出すために似てる人をチョイスしたんだろうなw ラウダ役はドイツで有名だと思う
グッバイレーニンとかデビュー作は日本でもけっこう話題になったはず
ハリウッドでもちらほら見かける ハント役がまったく似てない件。
70年台ヒッピーの薄汚い雰囲気が弱いわ。 ラッシュ見てきた。
まぁまぁかな?
今の時代、ハントみたいなドライバーっていないよね。
飛行機の中でスチュワーデスさんとやっちゃうとかすごいな。 A・セナの映画のようなドキュメンタリー映画ではないのね
ドキュメンタリー映画かと思っていた。 フジの旧コース(建物とか看板とか)も上手く撮ってるよね。CGかな? フィクションのようでいて、現実の方が映画より過激なので抑え気味なところもあるとかなんとか 基本的には本物を使って部分部分でCGじゃないかな?
レースがメインの映画じゃないと思うからレースシーンとかはサラッと流す感じだったね。
それでもタイレル6輪はあまり映らなくても存在感があるね。 ヒストリックカーレースのオーナーから借りたりしてたらしい。
ヒストリックカーのレースに出てこの映画でもスタントドライバーとして走った人が交通事故で亡くなったとニュースになった。 シーン・エドワーズの事かと思ったら、もう一人ドライバーが亡くなったのね… スタントドライバーが実車でクラッシュ寸前のスピンとかやったと聞いたよ。
値段付かない超貴重車ばっかりだったから、失敗したら取り返しつかないよね。
さっき観て来たけど、ちょっと不満だったのはラウダ事故時の消化活動をしたのが、
クラッシュに巻き込まれたドライバーだけっぽい描写だったことだけだな。
実際には、何人も自主的にレースを捨てて車載消火器持ち寄ってたのに。 後はラウダのヘルメット・メーカーが違うってことだな。まぁ「大人の事情」なんだけどさw
当時のヘルメットを再現してくれたBELLに感謝だけど。 RUSH観てきた
ラウダとハントのバトル面白かった
次はセナとプロストで映画やってほしいな セナとプロストの映画なんて面白くないよ。
ラウダとハントは強烈な個性とヒーローアニメのような史実があったからこそ絵になるんだ。
1984年、ラウダから速さだけではなく強さも必要なんだと教え込まれたプロストの苦悩の方が面白い。
ヒーローと言えば「ポールポジション」も実質ジルの映画だったな。 ヒーローといえば「グッバイヒーロー」でしょ。
ラウダが中嶋にインタビューするシーンがあるよね。
なぜか音楽担当が矢沢永吉 ウイニングランも含めてあの辺の映画はどれも映像使いまわしで飽きる チャイニーズケイキ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズケイキ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズケイキ光金強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズ光金気ブラックジャックオレオレプレン 沖縄海マー君捜査焼きそば 『RUSH』観てきた。
訳者は「fifty」と「fifteen」の聞き分けが出来ないという事が分かった。
訳していておかしいと気付かないのかな。 グランプリのTV日本語版なんて
ブランズハッチをフランス・ハッチサーキットと訳してたw
まあ許してやろうぜ。 訳者がモタスポ素人ってのは別にいいだろうけど、専門家がチェックするとかしないのかね?
「イーストロンドンで行われた南アフリカGP」を
「ロンドン東部で行われた南アフリカGP」
と誤訳してる本もあった 明らかにおかしいのにw 「アウト・ウニオン」が「連合の車」と訳された本(007)がある。
「ヘアピンカープ」が「髪止めの曲がり」と訳された本もある。
そりゃそうだけどさ。 誤訳は割りと笑って許せるけど、某2輪映画のようにホッケンハイムの1コーナーを曲がった先がゾルダーになってるとかww
陳腐なモタスポ映画にありがちな、いい加減なシーン構成のほうがファンにとっては衰えるんじゃないか?
RUSHはまだ観てないけど、そういう検証の甘さは少なそうに思えるんだが実際どうなの? うるさいオタ以外気づかんし問題なかろ。作品、物語の出来不出来に比べりゃ些細な問題。 映画の前半の方でクラッシュして事故死したのってティレルのセベールだよね? >>575
RUSHでも場面と走ってるサーキットが違う事はあるけど、それは撮影上の理由だしそもそも実在しないコースもあるから仕方ない メインとなるニュル北が本物なのと、車が実車なのとで充分だと思ったよ。
ラウダのダクト付きメットがカッコよくて好きなので、それが再現されてないのは
ちょっと残念だったけど。 >>576 >>578
おっしゃる通りだな、反省します。 >>573
昔、ソニー出版から出てる奴は滅茶苦茶だったな、監修・赤井邦彦とかだったけどw >>577
そうだよ・・・(´・ω・`)
最終戦のFISCO、実際はレース後半は日が差してたよね?(うろ覚え) 俺の中で一番F1F1してたのが1976だな
グランドエフェクトカーになって興味半減した
ま、化け物ターボカーになって又興味出てきたけど 70年代は1モデルの改良で複数年使ってたからな
ロータス72、マクラーレンM23、フェラーリ314T等、タイレルは違ったか
76年だと73〜74年くらいのマシンの最終時期か新型が出て来たのかな
この頃からロータスが火を付けたグランドエフェクトカーの時代に成って行くんだね。
親父の買ってたAS、AT、CGに田宮ニュース見まくりながら田宮のF−1模型作ってたなぁ タイレルと言えば"ミスター・シックスホイーラー"パトリック・デパイユだね
およそ30代には見えない老けたツラでいつもタバコをふかしていたが開発能力は高かった。
タイレルもリジェもデパイユが消えた後は失速したな。
アルファロメオの戦闘力が格段に上がって、やっぱデパイユは凄いなぁ...
...と思っていたらASに訃報が載っていた。 >>564
実はあれは数年前くらいから売っててですね…。
ttp://www.bellracing.jp/2014/__star_classic.html
最近になってバリエーション増えてたw
ttp://www.bellracing.jp/2014/_classic_type.html >>585
グランドエフェクトカーとしてロータス78が投入されたのが77年途中。
でも、時代を動かしたのは翌78年のロータス79だから、猫も杓子も
となったのは79年からだね。
その数年後にはターボパワーに取って変わられちゃうけど。
タミヤのプラモ懐かしい。
当時は1/24は1000円しないで買えた記憶があるんだけど、こないだ模型売り場に
行ったら4000円とかしてビビった。昔の1/12の値段じゃん。 >>588
タミヤは1/20
今調べたら色々再販してるんだな
細かいところのディティールUPしてるし。 RUSH未見だけど、ピーターソンがどんな扱いなのかが気になる。
この時はマーチに復帰したばかりでマーチに最後の勝利をもたらしたけど、
マーチ761って当時どんな評価だったんだろう? >>593
うあぁ、間違えてましたか。申し訳ない。
あの頃は、カウル外したときに車内がたくさん見えるのが好きだったから、
キットとしてロータス78は満足度が薄かったんだよなー。
(他の車種はモノコックじゃなかったから、カウル外すと運転席の足元まで見れた)
実家に、発売時に親にクリスマスプレゼントで買ってもらって未開封の1/12ルノーターボがあるわ。
もう30年以上経つから、パーツと包装材のビニールが癒着してる心配があるな。 未開封のまま取っておくなら別として、もし今から作るとして
今なら製作関係のマテリアルも沢山揃ってるから
包装のビニールのひっつき跡ぐらいなら軽く研いでサフェーサー吹いて、とかで平気なのかも。
それよかデカールが一番心配ですが…。ロードバージョン化したりしてw >>579
AGVのエアシステムは雨の時にそのまま被ると
天辺の穴から雨水が入ってくるでござる。 あれ最近のベンチレーション付きヘルメットと違って
入り口はあるけど出口がなさそうな…。
後のsetaの潜望鏡みたいなエアインテークが生えてるタイプを彷彿とさせる。 確かにアウトレット無いな。
下に排出しているのでは? つまりレーシングスーツの襟元から中に入って上半身まで涼しい!Σc(゚Д゚ )c 当時、そんなに深く考えてない。
フルフェースは暑い、蒸れる(禿げる)‥で、どうするか、上に穴開ければ良い、ついでに
外膨らませたら通りもよいぞ‥で膨らみに沿って流れる、雨粒も入る、髪もぐしょ濡れ。
大枚はたいて買った奴「腹立ったから返品!」ゆえに残念ながら実物は拝見できず。
知り合った当時、GPAのギロチンヘル持ってたので色々ヘルメットの話が出た時聞いた話。
確かブランビラも、日本では高原敬武さんあたりがちょっとだけ使ってたはず。
エアの取り入れ、流れを本格的に考えたのはGPAやシンプソン辺りからじゃないかと。
それでも思ったほど旨くいかないので当時はフェイスマスクで対応となった。 いま携帯から閲覧できないからじゃね
あとアフィ潰しとか運営変わってやってるらしいから
荒らしも少なくて丁度いいきもする このスレへ資料を見なくて詳細を書き込める人は相当なF1通だと思うわ。
尊敬しますわ。 いや、そうじゃなくてよく覚えてるねって言いたいんだと思うんだけど F1 GRAND PRIX HEROES(GREAT GRAND PRIX RACING HEROES)
03/12(水)
12:00〜13:00 #1ジェームス・ハント
13:00〜14:00 #2ジャッキー・スチュワート
14:00〜15:00 #3ニキ・ラウダ
15:00〜16:00 #4マリオ・アンドレッティ
16:00〜17:00 #5ジョディ・シェクター
17:00〜18:00 #6フランク・ウィリアムズ-アラン・ジョーンズ
03/13(木)
12:00〜13:00 #7エマーソン・フィッティパルディ
13:00〜14:00 #8ピーター・レブソン
14:00〜15:00 #9クレイ・レガツォーニ
15:00〜16:00 #10ロニー・ピーターソン
16:00〜17:00 #11ミカ・ハッキネン
17:00〜18:00 #12エンツォ・フェラーリ
フジテレビNEXT ライブ・プレミアムで放送 日本カンナムのP.レブソンは格好良かったな。
M.ドナヒューがおっさん臭かったので、余計に。
二人とも、数少ない70年代のアメリカ人F1優勝者だね。
二人とも事故で亡くなったが。 二人ともアメリカのニコルズおじさんの”シャドウ”でキャリアを終えた事が皮肉。
既にドナヒューは引退同然だったのにねえ‥。
ウェールズ出のプライス含めると3人‥10年ちょっとの間存在したチームだったが
1勝してるのが慰めか。 間違った、ドナヒューはぺん助さんだったか‥どっちもアメリカだけど。 >>607
このスレタイでもそうだが、ハッキネンだけの場違い感半端ない ブラジル人F−1レーサーと言えばピケ、セナよりE、フィッバルディを連想する私はおっさん
燃えるブラジリアン、フィッティの黒に赤のラインのヘルメットがカッコ良かったんだよなぁ。 当時フィッバルディ仲間のインゴ・ホフマンさんと
日本で「I`m Sorry」な目に2回も遭ったアレックス・リベイロさんも
思い出してあげてください‥おお!じーざすせーぶす。
ついでに”ボビーデアフィールド”のパチーノの影武者、公開直前頃に亡くなった
パーチェさんも。 ”‥ティ‥”忘れた‥コピペで済ませた祟りだ‥おお!じーざす。 >>611
んじゃ誰が代わりにとなると
ジャッキーイクス辺りが妥当かな ジル・ビルヌーブはちょっと新しいかな
ドパイエは地味か 一時”だらけ”だった仏人が確かに居ない。
ラフィー、ジャブイユ、デパイエ、アルヌー、タンベイ、ジャリエ‥
まとめてでも良いわ‥てか、このシリーズの人選、モスの趣味でしょう。
そのうち年度ごとのハイライトとかやりそうね、制作会社のHP見てると‥ 仏人ドライバーと言えば、ルマンで勝ったジョッソーさんも含め
ジャンピエール○○さんが多かったですね
あ、F−1だとベルトワーズさん忘れてたw 確か戦前にジャン・ピエール・ウィミーユってのもいたな
かなりの名手だったそうだが 二度チャンピオンの故ジャン・ピエール・サルティも。 そういやあの時代ではフランス人チャンプは20年の先取りなんだよな それと”ジョーダン”(BRMにこれはなかろうて)‥なんてアイリッシュ系の
チームがこの頃から存在してたならば、デイリーや”あの!”バーンなんかも
少しは活躍できてたかもしれませぬ、惜しい事したね。
EジョーダンがF−3にチーム作って出てきたのを見た時は「なんじゃ、そりゃ?」 ジャン・ピエールと聞くと20年くらい前のサッカー選手思い出した >>619
ピローニ「..俺も同時...お..俺も」 >>617
ジル
印象が強烈なのでまだこのスレにしては新しい世代かと思いきや
77年の2回目の日本GPに来てるんだな
そういやセナ没20年か 俺エロいもおっさんになるわけだ >>628
ジルは富士の観客死亡事故の当事者だぞ。
事故自体は死亡した観客自身の愚かな行為に起因するものだが、当時のマスゴミのレース批判は酷いものだったし
正直、しばらくはジルは危険なドライバーだと俺なぞ思ってたからな。 フェラーリが棄権したレースって、ジルの逝った'82ゾルダー以外にあったっけか? >>629
いや、当時不定期にやっていたF1中継見てても、ジルは危険にしか見えなかった。
絶対にF1の事故で逝ってしまうだろうと思ったよ。 あまり話題にあがらないけど、あのエンツォが...って思うと、やっぱジルって別格なんだろうな でもエンツォが一番高く評価してるのはヌヴォラーリとモスじゃなかったか? >>627
ピロちゃん御免な。
日本のF−2で型落ちあてがわれても、雨の中ではぶっちぎりだったの君だったかなあ。
コマンダトーレが”息子”発言してたのも頷けるわ。
あと身内だったかジョゼ・ドレムと仲良くやっとるか? 1986年は毎週月曜の朝AS編集部に電凸してF1の結果聞いてたな。 ピローニはGCに参加してるのが(・∀・)イイ
ガリガのピンチヒッターらしいけど・・・
ジルは77日本GPの時、生沢さんが走り見て全然すごいと思わなかったと。
精彩をかいていた?
>>620
ペスカロロ・・・ ぺスカロロはジャン・ピエールじゃないだろw
石油危機の煽りを受けて74年の東京レーシングカーショーだっけ、中止になったが
ぺスカロロ氏の仲介で展示予定だったマトラMS670が日本で見れなかったのが残念だったね。 こうやって見てるとフランス人って変な名前ばっかだな >>643
アンリって男の名前なんだよな。
杏里・・・w >>646
綴りは「Henri」、英語だと「ヘンリー」
有名なアンリ4世など、由緒ある名前だw ジルもフランス語圏だからジル・アンリ・ヴィルヌーヴだしな。
話は変わるがイタリアのRai3って局でジルの特集(没後30周年?)やったんだな
http://www.youtube.com/watch?v=FI3BWY5UHC8
ドアップで映ったルパード・キーガンのヘルメットがすぐにわかった。 ヘンリっていってどんなのが出てくるかと思ったら
石原良純みたいな顔のやつだったり… グッドイヤーがラジアル化したのっていつですか
81年に一時撤退したとき? >>653
グッドイヤーは84年から、ミシュランはもっと前からだよ。 >>654
ありがd 意外と後なんですね
ミシュランは77年からですね 日本版Wikiでピローニのフルネームが「ディディエ・ジョゼフ=ロヴィ・ピローニ」ってなってるけど
ミドルネームはたぶんジョゼフ=ロヴィ(Joseph-Lovis)じゃなくてジョゼフ=ルイ(Joseph-Louis)だよな・・・Louisのuとvを間違えたんだろうか >>655
うん。
あの時代のバイアスじゃルノーターボのパワー云々言われていたけれど、単にフランスの一大プロジェクトとして
ラジアル履かせたかったんだろうね。
ちょうどドライバーが話題になってるけれど、あの時代はマシンもタイヤもフランスが元気だったね。 規則には有ったけど、何処も手を付けなかった1,5Lターボを
不利を承知の上でルノーは開発したんだよな。
あの時ルノーが手を付けなかったら80年代からのターボ時代は無かったか
遅れていたかだろね。 ストレートのみはたら速いけどコーナーは遅く、そのパターンだと後続はなかなか抜けないから、すぐにルノーターボ・レーシングスクール状態になってた。
特に'77イギリスGPから途中参戦した訳だけど、その年は厳しかったわね。
だから'79フランスGP(ディジョン・プレノア)での初優勝はほんとに感動的だった。2位争い凄まじくて(例のビルヌーブvsアルヌー)、今でもF-1歴代最高のレースに上げる人は多いですね!
ルノーはパイオニア的なことを(技術)かなり試していて、ニューマチックバルブもそうだし、感心する。 ルノーは復帰時、1.5V6ターボになったけど
案としては3リッターW9もあったそうな・・・
ちょっと見てみたかった
チラ裏
ホンダもナカサンの本に3リッターV10で行きそうな時に
KKKとか案内してターボに改宗させたとか。
三菱でもR39とかやってる頃に、3リッターH12だったか図面書いたらしい。
メーカーにはアマチュア的技術ロマンがあって欲しい(NRとか) >メーカーにはアマチュア的技術ロマンがあって欲しい(NRとか)
その中村氏が自著(グランプリ)の中でDFVと比べて
アマチュア的とかロマンはプロじゃ無いとか言って無かったかw ルノーV6ターボは耐久でポルシェを
梃子摺った末に倒してからの
F1参入なんだけど
ロマンとかじゃないんじゃね
ロマンでやっちゃったのがスバルでしょ
誰も得しなかったけど >>661
>3L・V10
1.5L・V10にターボを合わせる積もりで1.5L・NAエンジンの設計、試作を川本氏がした話しもなかった?
後年、CGに写真付の記事が掲載された記憶が有るのだが。 .>>664
87年のCG誌に載ってましたね。
あれは1.5Lでしたが、ナカサンは3.0Lでのことを書いていたようでした。
川本さんのV10、CG誌ではベンチで回して260ぐらい出たとかありましたけど
レーオンで取り上げられた時は、ベンチうんぬんの話はなかった。
ほんとに回したのかな
NRはレースの現場の人は否定するでしょうね。
未完のメカでしたから・・・
RC誌のネモケンさんは当時直4で18000位回せる仕様のエンジンなら
いいとこ行けると思ってて、実際出てきたのがあのV4・・・
あのNRはバルブのはさみ角が広くて当時としても古臭く見えた。
ダックワースがはさみ角を狭くした始祖みたいな風潮でホンダも追随した?
て言われていたけど、川本さんがうちは2輪で前からやってたから
それ違う!てな記事見たから、あのNRはえっ と思った
>アマチュア的とかロマンはプロじゃ無いとか言って無かったかw
それはもっともなんだけど、それだと部外者はつまらない >>665
NRの主設計は入交氏で、その下には後の社長の福井氏が居たんだよね。
入交氏はNRエンジンのネックはバルブスプリングに有って、
ルノーのニューマチックバルブのアイデアが自分達に有ったら、
と回想したいた。
四輪は川本氏で二輪は入交氏がそれぞれ統括していた様だが、技術的な交流はどの程度有ったのだろう。 後年の3.5LV10でもアウディ5気筒からヒントを得たとかなんとかの
バランサーで振動消した位難儀なのに
よくあの頃に10気筒なんか試そうと思ったな >>667
ホンダは60年代に125cc直5エンジンを造っていたよ。 むしろ現代MotoGPのRC21x系のV5エンジンのほうが
よほど訳わからないというか…。
それとてNS/RS500(およびストリート用のNS400RやMVX250)で
3気筒だってやってるんだから前後バンクでシリンダー数違うことの
メリットデメリット、さらに解決策とかいうのはノウハウ持ってたのかもしれないが。 60年代は50cc2cylや3cyl、250cc直6、1.5L・VやF12、3L・H16等、変態エンジンが花盛りだな。
上に出てくる1.5L・V10の260馬力(試作初期とはいえ)はRA270Eにも劣りそうな値だし、
NRエンジンの試作初期馬力も60年代のRCエンジンと較べると全然大した事がない。
70年代はF1のエンジン開発が余り進まない、熟成期の印象がある。
それだけDFVとフェラーリF12の完成度が高かったのだろう。
その分、80年代のエンジン開発(ターボ・電子制御等)の進化は猛烈だったが。 H16はマトラだっけ?もうなんか完全に創造を絶してるw
それは水平対向の手持ちがあれば急造できるという以外に何のメリットがあるのかと
(2ストロークの2軸Vやタンデム/スクエア配置は構造上クランクケース容量を必要とする、で理解できる)。
それだったらライフのあのW12のほうが、
「一方のバンクが中央バンクと吸気側で隣り合う(通常のV型的な)配置になるなら
反対側は排気側で隣り合わせて、床に近い側に付けたエアボックスから吸い上げる」
というようにでもすれば、エアボックスのレイアウトこそ複雑になっても熱害には悩まされずに成立したかも。
航空機用の星形エンジンとか、一部のレーシングモーターサイクル(確かNSR500の一部年式とかにあった)の
「V型というより前に開いた『く』の字の配置」、さらにはカワサキX-09の「への字配置(=さかさまV型)」
とかの例を考えると、低重心やら排気系の取り回しやらという「自動車のエンジンの積み方の常識」を無視して、
かつクランクケースの潤滑がどうにかなるなら、2基のV型をクランクシャフト中心の上下合わせにして
「X型」というのもできる?
…というか航空機の星形エンジンってのは、あれは潤滑システムどうなってるんでしょ。 >>672
H16はBRM製。
そんなエンジンでも、ロータスが載せてクラークが一勝した。
BRMは50年代にも1.5L・V16(タービン式スーパーチャージャー?付き)という変態失敗エンジンを造っていたから、
変態プリの伝統かもしれない。 そういえばオレ様烈伝で見たような覚えがあるなと思ったら…
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/BRM
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BBDFV%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3
チャップマンがH型エンジンのあまりのアレ加減に失望した結果として
(…と、それに加えてコスティンとダックワースがBRMから独立したことで)
DFVが出来るきっかけとなった、というわけですね。
後にはそのコスワースからイリエンとモーガンが独立してイルモアを立ち上げ
ロジャー・ペンスキーとシボレーの依頼でインディ用エンジンを仕立てる、と
まぁ歴史は繰り返す的な。 >>671
自己レス
>上に出てくる1.5L・V10の260馬力(試作初期とはいえ)はRA270Eにも劣りそうな値だし、
ゴメンなさい、大嘘でした。
最終型のRA272Eで230馬力以上という値だから、初期試作でも約一割は向上している。 >>674
天才ジム・クラークがあの糞エンジンを使ってたと思うと胸熱 (^^;) >>672
イギリスは大戦中にH24のネイピアセイバーを実用化してるから免疫があったのかもね
X型エンジンも航空機用では存在しましたが成功例は少ない模様
星型エンジンはクランクシャフトにオイルライン導いてやれば遠心力で勝手に潤滑されます >>670
V5使ってたのはRC211Vだけで、2007年以降はV4 V5はロマンじゃなくて抜け道
2気筒から6気筒まで混走できるレギュに
真面目に考えれば出来たはずなんだが ヲタやマニアほど複雑な機構や独創性の有る装備の方が上とか
ロマンが有るとか言い出すんだよなぁw 個人的にはBMW M12/13(直立型)最強という評価を…。
横倒型は出力的にマージンのある状況でレイアウトを優先したい場合(例:初代エスティマとか)ならともかく
限界を追求するにはそれはねーだろとw。
昔ミニチャンの1/18ベネトンB186を持ってたけど
内部構造がまるでカーボンモノコック黎明期のF3みたいで面白かった…。
同じエンジンがアルミモノコックのウィングカーに載ってた時代のブラバム
(タミヤGPコレクションのあれとか)となると
それはもう漢の乗り物とかそういうレベルじゃねーだろと思うけど。 そりゃ当事者じゃないのがヲタやマニアの特権だからな
肴にして好き勝手言って楽しんでりゃいいのさ
やってる連中はこちら素人の眼や意見なんざ眼中ないから問題ない 全盛期のレイナード辺りの
各部の互換性をうまいこと維持したまま着せ替えモジュール的に少しずつ変わっていくから
新車を買えないチームは変更部分だけ買って組み替えてもとりあえずの戦闘力を確保出来る、
去年のスペアパーツ類も丸ごとゴミにはならない(=共通部分や細かい消耗品は使える)、
部分的に初期トラブルが出たらそこだけ去年のパーツに取っ替えて、とか出来るような
実利的な設計思想ってのも地味は地味だけど好きだけどな。
そしてフラットボトム末期のフォーミュラニッポンとか
世界中の中古F3000級をかき集めて行われていたオーストラリアのフォーミュラホールデンとかでは
色々混じっちゃって一見しただけでは年式特定不可能なマシンがちらほら…。
ノーズ低いから92Dか93Dだと思うのにサイドポンツーン短いぞ、とかねw。 おまいら詳しすぎw
当方1975年からのリアルタイムファンですが付いていけません
プロの方ですか 古い話でスマン。
>>203
コローニが2戦だけのスポット参戦が許されたのは、1988年からのフル参戦が決定し、そのテスト参戦として許可されたと記憶している。
> 「1カーチームの場合は選手権ポイントが認められないだけで2台目を追加してもいい」みたいな例外規定
そういうことですね。追加のエントリーはできたはず。
2台チームの3台目というのもある。たしかヴィルヌーヴのデビューはマクラーレンの3台目だったでしょ?
追加エントリーの車両にポイントが認めらなくなったのがいつからかは覚えてない。 >>305
決定してたよ。
エクレストンのハングマン(首つり)イラストでGP終了を非難するバナーが客席出てたw。 >>667
ホンダの試作F1用V10 80度 ベルト駆動 偶力バランサーなし
あのころのV10で偶力バランサーつきはホンダくらい
ルノー、プジョー、トヨタ、イルモア、ジャッド ないし
V8と比較すれば全然いいし。 >>665
1989年ごろにF1、F3000、スポーツプロトのシリンダーの断面のカタチが指定されたが、
ピストンリングどうなのかなぁ〜 と。
レギュレーションの抜け穴狙って奇形かなぁ。 ニコ動で86スペインとハンガリーをレジェンド版で見た
セナは若いのに中々やる
ピケは上手い
マンちゃんはまだまだだったね NHKビデオ金銭ミルクGALコンチネンタル中東パクキン沖縄海焼きそば 西村ニューヨーク反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題
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NHKビデオ金銭ミルクGALコンチネンタル中東パクキン沖縄海焼きそば 西村ニューヨーク反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題 今回のレーシングオンは「ターボF1の時代」
この世代ど真ん中の特集だよ >>691
本屋で見つけて速攻で買ってきたわ。
勿体無いからまだ読まない。 過疎ってるなぁ。。。
この前のもてぎSF予選で、HONDA勢の何人かが、インタークーラー
前にドライアイスを入れて冷却して、タイム無効にされてたけど、
それって1978年のルノーターボ(RS01)が、同じ様なことしてたなー
って、ふと思い出したw ルノーは氷だったらしいけどね インタークーラーに水噴射はやってたな
禁止になった? エンジンに冷却用水噴射と称して炭化水素水を噴射してたチームもあったなwww ジルやラウダの残り香でズルズルとな、いい歳して未だにF1が好きなおじさんだけれど
今のグランプリにどんなスペクタルがあるのかさっぱり
ぶちかましただけでペナルティとか審議って、もうレーシングじゃないような気がする
それだけ、悪意のあるアタッカーが多いって事なんだろうか?
だとすると、もうスポーツじゃないよね
エンターテイメントの部分だけが生き残ったから、金と政治の話題しかないのかもしれないけれど
それはそれで、また寂しいよな
日本人だから、バブル期の日本がF1をおかしくしたと思っている
あれは、ちょうどこのスレタイの翌年だったよな 今のF1がおかしいとするなら
メーカーワークス祭りの後遺症だよ
まホンダやトヨタも関係してるけど
いわゆるバブル期のそれでは絶対にないな ラウダ対ハントのころからF1がテレビ用のソフトとして注目されるようになったと
ディスカバリーチャンネルの番組でやっていた。
自動車レースは生で見るのがいい テレビであまり見たいとは思わないな ケケの息子がモナコで3連覇したのが棚ぼただとか叩かれていたけれどさ
実社会でもそうだけれど、今の子らは結果より過程を評価して欲しいみたいなゆとりが多いな
どちらにも逃げられる、そういう曖昧なポジションに身を置く事を好むよね
何事もそうだけど、結果が評価されなければ順位なんてつけなくいいわけだし、競争する必要も無いわけだ
草食が多いはずだよな 俺、MP4/2シリーズ好きなんだよね。
あのボテッとしたリア周りの丸みとフロントセクションの重厚感とのバランス。
比較するとMP4/4は貧相。 >>702
その2つのハイブリッド的な4/3はどう? MP4/3は冗長というか平べったい感じでイマイチ。
MP4/2はかなりカッコいいと思う。 >>701
「ゆとり」って・・・・
若い奴に小ばかにされて、「ゆとりのくせによ〜」とか言っている馬鹿なおっさんか。 ドゥカルージュも死去しているしなぁ
リジェはJS11からJS11/16のあたりがピークだったね リジェ氏はRA302で事故死したシュレッサーの友人だった縁も有って
ホンダがF-1復帰した時にエンジン供給を打診されたのに断ったんでしたね リジェと組んでたら
ジョー・シュレッサー○○ホンダだもんなあ ルマンのリジェ JS ホンダ…
無限ホンダでモナコ勝っているけど すみませんがにわかな僕にこの時代のF1を知る術を教えてはくれませんか…
スレ汚し本当にすみません 久しぶりにネタが
ブラジルのメディアは5日、同国出身の伝説的レーサーであるエマーソン・フィッティパルディ氏が、
数百万ドルの借金を抱え、年代物のマシンを含む財産が差し押さえられたと報じた。
(中略)
裁判所は先週、フィッティパルディ氏が1976-77シーズンにF1で使用したマシンと、1989年にインディ500で優勝したマシンを差し押さえている。
AFP=時事 4月6日(水)15時52分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160406-00000025-jij_afp-moto
写真
http://lpt.c.yimg.jp/amd/20160406-00000025-jij_afp-000-view.jpg コパスカーとペンスキーか。どれくらいの価値があるのだろう。
WEC誘致が命取りとはね。 とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
WOEFD ツベに上がってる
1984年イタリアGP見た
ラウダ凄いね
面白かった 鎖国時代、情報がなかなか入ってこなかった頃に、国内物だけじゃ面白くないので
洋書屋でペラペラなのに高い雑誌とか買ってきて、英語大嫌いなくせに「この単語は何だったか‥。」
とか言いながら時間かけて読んでた頃の方がワクワクだったという‥。
今は、しょうも無いゴシップ雑誌ネタみたいなのが多くてわけ分らんです‥年寄りには。 >>458
OASなんかはウィリアムズが試作してホンダに渡してたからね。 >>458
スピリットで走らせてたのに
データが全くないって事はないだろ >>458
最近読んだF1関係の雑誌で、パリトリックヘッドがインタビューされていた。
FW07でコンストラクターズチャンピオンになれた勝因として、シャーシの剛性の高さを挙げていた。
ヘッド曰く、(グランドエフェクトカーとして成功した)LOTUSのシャーシは単なるアルミ板でリ
ベットも穴の中で回ってしまうほどお粗末な物だったのに対し、FW07はF1で初めてアルミハニカム
を用いてシャーシを製作。それは、グランドエフェクトを受け止めるのにシャーシの剛性が不可欠
だと気が付いたから。だそうで。
その後のターボエンジンのパワーはDFVの比ではないが、シャーシの剛性に気を配っていないという
のは違うと思うよ。 >>726
勢いでレス付けてしまったけど、4年半も前のにつけたんだ。失敬。 〉FW07はF1で初めてアルミハニカムを用いてシャーシを製作
もっと前から使ってたやろ‥ウィリアムズでなら分からんでもないが。
中のハニカム素材が他の物だったとか? ビルヌーブみたいな危険なドライバーが評価されてるのが解せない
亡くなったことは気の毒だけど... 単独で無茶な事はするが、
今のぶつけ合いみたいな事はせんかっただろう‥危険な感じはしなかったぞ。 伝説のF1レーサーが肺移植手術
14年に公開された米映画「ラッシュ/プライドと友情」の実在モデルである伝説のF1レーサー、ニキ・ラウダ氏(69)が肺の移植手術を受けたことが分かった。手術を行ったオーストリア・ウィーンの病院の発表を受け、ESPNなどが報じた。
ラウダ氏はウィーン出身。報道によれば、スペイン・イビサ島での休暇中に肺感染症が悪化したため、急きょ地元の病院へ。病院側は2日、手術を今週前半に行い、順調に回復していることを明かした。
メディアは、回復ぶりは「現役レーサー時のようなスピード」と伝えている。
ラウダ氏は現役時代に25回優勝。現在、F1王者メルセデスAMGで非常勤会長を務めている。チーム責任者のトト・ヴォルフ氏は、一家を気遣うコメントを発表した。
私生活では08年8月に30歳年下のブリジットさんと再婚。翌09年9月に双子が誕生して話題になった。 どなたかKE009帰国の話、詳しく教えてください! 84年ティレルの水タンク事件についての詳細って案外無いんだな
ブランドルとベロフの成績抹消くらいで。 ザウバーの名義変更という形でアルファロメオが復活するとはな ウイングカー特集面白かったなあ
特にずっと信じていたロータス79>78の図式
マリオ自身が78のパッケージを評価してたとはなあ
子どものころは空気抜きのためのインボード化なんて当然優れていると思ってたけど
そりゃ確かに冷却の問題とか出るよなー 1982年のF1世界選手権
・開幕戦でドライバーの契約問題からストライキが決行される
・FISAとFOCAの対立が原因で第2戦に開催予定だったアルゼンチンGPがキャンセル
・第2戦では優勝と2位が車両重量違反(いわゆるブレーキ冷却水タンク事件)
・これに反発したFOCA系チームがサンマリノGPをボイコット
・そのサンマリノGPでフェラーリに歴史的チームオーダー事件勃発
・続くベルギーGPの予選中にG・ビルヌーブ(フェラーリ)が事故死
・カナダGPではD・ピローニ(フェラーリ)に追突したR・パレッティ(オゼッラ)が死亡
・ドイツGPではこの時点でポイント首位のピローニがA・プロスト(ルノー)に追突して再起不能に
・前年の王者N・ピケ(ブラバム)はこの年から搭載したBMWターボの初期トラブルに悩まされ不調
・前年2位のC・ロイテマン(ウイリアムズ)はフォークランド紛争の余波で引退
・チャンピオン争いは優勝者11名、うち初優勝5名と歴史的混戦になる(3勝以上のドライバー不在)
・ちなみに初優勝はR・パトレーゼ(ブラバム)、P・タンベイ(フェラーリ)、E・デ・アンジェリス(ロータス)、K・ロズベルグ(ウイリアムズ)、M・アルボレート(ティレル)
・タイトル争いに残ったのは、2勝のJ・ワトソン(マクラーレン)と1勝のK・ロズベルグの二人
・結局、地道にポイント獲得を重ね続けたK・ロズベルグがスイスGPの1勝でドライバーズタイトルを獲得
・コンストラクターズタイトルはシーズン終盤、M・アンドレッティが搭乗したフェラーリに戴冠
(M・アンドレッティはC・ロイテマンの代走として第3戦にも出場)
・なお、この年N・ラウダが2シーズンぶりにマクラーレンからカムバックしている
・シーズン終了後にはロータスの総帥・C・チャップマンが54歳の若さで逝去
・FISAが翌年からのフラットボトム規定導入を発表、グラウンド・エフェクト・カー時代の終焉
ここで問題です。ストライキにボイコット、失格騒ぎに開催キャンセル、死亡者2名・重傷者1名、
チャンピオンチームのフェラーリのドライバーは開幕戦と最終戦で二人共異なっているという
このシーズンを、最近のチーム、ドライバーに例えるなどして平成のF1ファンにわかりやすく説明して下さい。 白い巨塔の東教授で寺尾聰が出てたから、そういえば昔、寺尾聰3曲ベストテン入りとかあったな、
ルビーの指輪以外は覚えていないけど、と思ってググったら、3曲の中の1曲とニキ・ラウダでヨコハマタイヤのCMやってたんだね
https://www.youtube.com/watch?v=p0wJeblhUqo
81年だからラウダの浪人時代か 当時のタイヤ屋さんは良いCM多いわね。
ヨコハマはユーロF-3とかR・ハードとかまで出してきたり。
ブリジストンは欧州F-2や若い頃の故J・ガートナーとかね。
‥車屋はもっと前の川越ベンツのサーティースや悪魔の梯子段のアンダーソン位しか知らん。 超今更ラッシュ/プライドと友情のBDを借りたが、レースシーン短めなんだね
クライマックスであるフジのレースシーン、CGの出来がレトロゲームみたいで残念 四天王のことで、切れ目が難しいのか、1986年以前のことでも「1987年〜1993年」のほうで語られていることが多いのでアゲてみました。
四天王のことではありませんが、1983年のパトレーゼ(ブラバム)は、どうしてあんなにリタイアが多くて、結果が残せていないのかどなたかご存じですか?
待遇に差があっただろうことはわかりますが、チームメイトのピケはドライバーズチャンピオンになったチームなのに… ピケのためのチーム、ピケのための車‥な上に不運の年。
登り調子であろう時期に、シャドウ‐アローズに長居しすぎたのかも(サウスゲートとのお付き合い?)。
”鉄人”と言われても”地味に粘り強く不調の車を騙しながら上位でゴール”とか”荒れたレースに強い”でなく、
かと言って”ここ一発の速さ”な人でも無いので、まあしょうがない‥としか。
そのかわり長期、それなりのとこ(ユーロアルファ辺りは除く)でそこそこの成績残して
大きなケガも無く去ってゆく‥なんで、それで良しとするしか。 かたやチャンプ、かたや…のケースだと
85年ラウダが真っ先に頭をよぎる >>749
ポニーキャニオン1983年総集編ではピットでデ・チェザリスに頭をどつかれていたw>パトレーゼ
イモラでは優勝目前で自爆
ブランズハッチではスタートからトップ走行も11周目、デ・アンジェリスに突かれて大きく後退 >>752
イモラは確か、トップでのファイナルラップでクラッシュしたとかいうやつですかね。
「1987年〜1993年」のほうでも、さんざん言われてることだけど、パトレーゼって、単に持ってないとか、噛み合ってないわけでもないよね。 保守ついでに77年のピーターソン仕様が来日してた
【F1】”6輪F1”ティレルP34が鈴鹿を走行 サウンド・オブ・エンジンが開催
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1573993346/ ↑ちょっと曰く付きタイプのプロジェクト34ですな。 この頃の事、詳しく書いてほしかったわね‥この後、解説で忙しくなったんかね、純ちゃんは。 >>758
ピエロルイジマルティニはですねー
実はジャンカルロミナルディの甥っ子なんですねーぐふふ
みたいな感じですかね 今日の鈴鹿のF2第4戦は中嶋が勝利。今季3勝目。まじF1行って欲しいな。日本人にはF1無理なのかなあ…。
今季からホンダエンジンの星野の不振が気になるが。
同日開催のF3、勝てなかったけど鈴木亜久里と片山右京応援してるんだ。今日は亜久里4位だったが。スカイラインRSの日産FJ20エンジン使ってるんで応援してる。珍しい名前だし二人ともハンサムだし。
何の根拠も無いけどこの二人将来はF1行くと確信してるんだ…。笑わば笑え。 当時はF1に行く、ということも現実味がなかったよね
月に行くようなもの コンストラクターやメーカーはともかく
ドライバーなんて想像だにしなかったというか、変に身近になった様な気がして
夢の世界から現実に戻されたと言うか、素直に喜んでいいのか妙な複雑な思いが‥の世界。 最近ずっと家にいて、最近全然見なくなったF1の昔の映像をようつべで見て懐かしんでここに辿り着いた。
以前は一部しか映像で見た事がなかった70年代後半から80年代のレースをフルで見られるのはいいね。
何かこのスレ過疎ってるみたいだけど、87年〜93年も合わせて書き込んで行くよ。 >>760
星野は開幕戦でトラブル出るまでぶっちぎり、今回はフリー走行で全損クラッシュだから不運には違いないけど、特にスランプという訳でもなかろう。
そもそも去年から中嶋は何故かスタートがド下手になってるし、次にノートラブルだったら星野が勝つだろw
それとFJ20はF3用には重過ぎだけど、定番2T-Gはもう旧式だから、タイトル狙うなら今年が最初で最後のチャンスだな。
亜久里や右京以外にも去年最多勝wの山田とかカート上がりの佐野も居るから日産勢には期待か。 84年をリアルタイムで見てた人いる?
ラウダは予選ではプロストに殆ど負けていて、ポールもゼロ、プロストは3回なのにチャンピオンになるんだから凄い。
ピケなんて9回もポール取ってるのに、車が壊れまくってポイントは全然だし。
この当時は不確定要素が多く、特にターボは良く壊れるしガス欠も時々あって、完走率も低くて面白い。
マクラーレンはこの時も後のセナプロ時代もクソみたいなチームオーダー出さないのがいいね。
しかしプロスト、81年は前半リタイア続きで仕方ないにしても、82、83、84は十分に可能性はあったね。 ↑TBSでハイライトの時代じゃリアルタイムは大変やな、現地行くとかでもしないと。
日本じゃ米基地向けのスポーツニュースで取り上げてはいたが。
当時は本場英仏で欧州ラウンドをTVで全て見る‥だけでも大変なはず。 1984年、TBSは結構取り上げてたと思う。ダラスでホンダ勝ったし。
デトロイトGPに休暇を使って石井アナが見に行ったりしてた。
録画テープ有ったんだけどね。ダラスの時、間瀬さんがセナ(つかダ・シルバ)に一瞬触れて絶賛してた。
個人的には84年は2輪のGP/全日本にのめってた。500も良かったけど、250が熱くてそこで踏ん張る福田さん応援してた。 (えんとん・せんな‥とか言って無かったと‥)
後にTV解説で‥そのまま悪声だら喋りでF-1のずんちゃん、ボイストレーニングして臨んだらしいFIM-GPの福田照夫。
まあ勝負になりませんわなあ‥青年誌ではボロクソ言われてたりして‥そして2019の最後までそのままだったと言う‥。 1985年6月16日
今日筑波でやったレースにマッチが出たんですよ。「日本一速い男」星野一義と組んで日産ワークスのスカイラインで。
で星野かスタートからぶっちぎってリードしてマッチに交代したら3周でリタイア。まあマッチ出す時点で日産にも本気で勝つ気は無かっただろうが。優勝はBMW。マッチの追っかけギャルで筑波サーキット開設以来の大混雑。テレビ局のカメラも来てたな。夕方のニュースでやったのかな?
前座レースのF3に鈴木亜久里と言う選手と片山右京と言う選手が出てて、2位と5位に。この二人将来F1行くぜ。俺が保証する。 >>567
F1映画で面白かったのは1971年モナコグランプリのジャッキースチュワートに密着して撮影したドキュメンタリーのウィークエンドチャンピオンだな。
ホームビデオでもいいから誰か他に似たような映像撮ってる人いたら編集して映画にしてくれないかなぁ? >>765
大藪春彦「アスファルトの虎(タイガー)」を読んでみるといい
開幕戦でPPのデ・アンジェリスは景品として子豚をもらっていたとか
まだまだ牧歌的な時代だったんだな 0837 神様仏様名無し様 2020/07/01 21:31:48
日産も耐久本気だぞ。V6ターボ投入。今月カリフォルニアのリバーサイドでシェイクダウン。星野も渡米してテストするそうた。打倒ポルシェが実現するか?28日の富士500マイルでデビュー。
ホンダのF1エンジン積んだウィリアムズも先月デトロイトで勝ったし、トヨタもル・マンで初出場初完走したし、日本のメーカーもモータースポーツ力入れてきたな。
ヤマハも松本恵二にF2エンジン供給するしな。
あ、そうそう、月末の8耐。平がキングロバーツと組んで参戦するが、スポンサーが資生堂テック21だってな。かっこ良さそう。 0878 神様仏様名無し様 2020/07/07 21:34:34
今日の鈴鹿F2で星野今季初勝利!星野のホンダ初勝利でもある。ここから中嶋に逆襲して欲しいな。
週明けにはアメリカのリバーサイドに渡って日産の耐久用V6ターボテスト。忙しいね。
月末の富士500マイルでデビュー予定。このレースの前座にマッチも出る予定。
同じ日の8耐も平/ロバーツのテック21ヤマハ、期待だな。カラーリングすっげカッコいい。とんねるずより平だよ。
ジョニー・ダンフリーズ死去 飛び去るマ〜シンと〜煙の中に〜♪
あの頃の〜セナが〜いた〜♪
オ〜オ〜ジョニー♪
君は今〜♪
オォ〜オ〜ジョ〜ニー♪
天国にいるの〜か〜♪
https://www.youtube.com/watch?v=une4_l14MJI 何となくブレンドン・ハートレイと同じように優しそうで
生存競争が厳しいF1では生き残れそうにない顔してるなw
https://formula.hu/uploads/oufhtoyhvuf78o1fpmyk.jpg 御貴族様の子息だしね
でもヘルメット見てわかるようにスコットランド系なんでワイルドな面もあると思う
イタリアならアンジェリスみたいなもん。 ルノーが挑戦しなくてもどこかが排気量半分のスーパーチャージャーに挑戦しただろうか
それとも3リッターNAがずっと主流ままだったんだろうか? 70年代後半にターボチャージャー付エンジンでGr5や6に挑戦していたのがルノーとポルシェとBMWくらいだしね… とあるレース漫画でポルシェ935ターボがストレートでF1のタイレルP34を
ぶち抜いたという話が紹介されていてポルシェターボ凄いな〜と思ったら
最終回辺りでF2王者の飛鳥ミノルと共にポルシェがF1にターボマシンで
参戦してデビュー戦でいきなりトップを走ってたのを見てビックリした ルノーがターボマシンでF1に参戦した当初はエンジントラブルで
バルサンしてたからイエローポットとか言われて笑われてたな >>784
とあるレース漫画とぼかしてるんだから主人公の義兄とかにしなさいよ
最終回は79年のGPだからターボが初優勝する年ではあるんだよな 自然吸気エンジンは3000ccなのに過給エンジンは1500ccというF1の過酷なルールを
恐れず技術者魂を燃やして茨の道を選び二年間の苦闘の末に優勝したルノーは偉い ルノーのターボマシンが初優勝した時に一番注目を集めて賞賛されたのが
もう一台のルノーと死闘の末に二位に入賞したフェラーリだった・・・ 挑戦したのが偉いのではなくて、勝つ見込みを計算出来たのが偉いのだよ
見込みなしに挑戦するのはドン・キホーテだからさ
おそらく勝つ見込みを立てられた会社はいくつかあるだろうけど、莫大な予算がかかを投入できたのはルノーだけだったんだろうね 5をミッドシップにしてラリーに出たり、エスパスにF-1の載っけてみたりする会社だから‥
それも公社時代に ルノーがF1に参戦する時、NA W9型も考慮していたとAT誌1979-10号に記述あり。 ウイングカーに普通のV8エンジン乗せれば簡単に優勝出来たのに ロータス79は78年途中で投入されて79年はもう周りについて行けなくなってたからそんな簡単なものじゃないだろう 簡単に優勝出来るウイングカーを作る方法
サイドポンツーンにスカートを付けてシールドして
マシン後部に排気ファンを付けてマシン下部の空気
を吸い出して後ろに吐き出すようにする(走る掃除機) ロータス79は成功したけどその後が失敗続きだったな 優勝も82年まで遠ざかるんだっけ
もし88が実戦投入されていたらどうだったろうか? Pヘッドのインタビューだとウイングカーについて深く理解していない仕上がり具合と、車両の工作精度が酷いとか言ってるのを読んだ記憶 まあブレーキやらシャーシ剛性の問題もあったんじゃないかな 俺はウルフWR1がコンパクトなスタイルで好きだったな ロータス79は現在の空力F1マシンの基礎を築いた歴史的名車として
また美しい姿からブラック・ビューティーと称賛されたし圧倒的な
速さを誇ったが決して完璧なマシンでは無く致命的な弱点もあった
ロータス78はモノコックにアルミハニカムを使って剛性を高めてたが
ロータス79は空力重視で細長いモノコックにする為にアルミハニカム
は一部だけ使い殆どはアルミの一枚板で作られた為に車体剛性が低下
また車体後部がボディワークで覆われていた為に各部の温度が上がり
エキゾーストパイプが破損したりブレーキキャリパーの温度も上がり
ブレーキフルードに気泡が入ってブレーキが効かなくなる事もあった ロータス79をコピーして尚且つ問題箇所も改良して
完璧なマシンにしたのがウィリアムズFW07 本来ならCチャップマンがやるべき仕事をPヘッドがやってちゃっかり成功した ヘッド→堅実なテクニカルディレクター
チャップマン→マッドサイエンティスト チャップマンより実戦的なマッドサイエンティストがゴードン・マレー チャップマンのウイングカーよりマレーのウイングカーの方が凄かった マレーはファンだったりハイドロ車高システムなどあれだけアイディアを出したのに
83年以降グラウンドエフェクトの追及をパタッととやめるんだよな 83年はグラウンドエフェクトカーが禁止されたから
ダウンフォースの発生は前後のウイングのみに頼った
そしてウインドトンネルを確保する必要が無くなった為
サイドポンツーンは殆ど無くして空気抵抗を減らした
見た目がまるで矢のようなのでアローシェイプとか
何となくイカっぽいのでイカボディとか言われてたなw
https://pbs.twimg.com/media/E0GZWVHUcAYE3Fg.jpg チャップマンは79のアップデートよりも80の開発の方を最優先して
理想に邁進しすぎた80が結局使い物にならないと判断するのが遅かったのも フラットボトムルールでもグラウンドエフェクトが稼げるとわかった84年以降も消極的だった
86年のBT55でもディフューザーついてないんだぜ >>806
Ronのブラバム特集を見てたら、BT-44BはF1で最初のベンチュリ−カーだとマレーさんが言ってるな 間違えた グランドエフェクトを取り入れた最初の車 だった。 グランドエフェクトを取り入れた最初の車はロータス78
というのが世間一般の認識なんだな。 >>811
と言われてもどこを指してベンチュリーカーだと言ってるのかさっぱり見当も付かないけどな >>811
マレー直筆の図解が載ってたな
個人的には元々はリフトを嫌って入り込んでしまう空気対策が負圧を生んだんじゃないかと推測してるのだが >>813
アンドレッティによるとエンジントラブルに足を引っ張られなければ
ロータス78で世界チャンピオンを獲る事が出来たらしいな。 85年もリアルタイムだったら終盤にかけて盛り上がったんじゃないかな
あと86年ドイツもリアルタイムで見てみたかった >>816
ロータスのDFVはコスワースチューンで攻めまくったチューニングエンジンとか
正直F1チームのDFVはワークスチューンかどこのチューナーかGPCarやRonでも触れてほしいよね >>816
普通のDFVを搭載してたらロータス78でマリオが世界チャンピオンになって
史上初のグランドエフェクトカーであるロータス78は歴史的名車として
輝いていたのに美味しい所をロータス79に持って行かれたのねw 速さはロータス78+アンドレッティが1番だったがチャンピオンになったのは
ロータス78より遅いが信頼性が高いフェラーリ312T2+ラウダだった ロータス79もチャップマンは攻めたギアボックス積もうとしてたけどアンドレッティが反対してコンサバ路線でいったとかなんとか
ここでアンドレッティが反対してなかったら72がロータス最後のチャンプマシンだった可能性もあったかも 凄いなこんなスレあるんだ
ここの爺さんなら知ってそうだから聞くが海外製作で日本でもどこか多分NHKで放送されたマクラーレン時代のニキ・ラウダの特集みたいなのって見た人いる?
うろ覚えなんどさだがラウダと若手ドライバーの走りを比較してラウダを持ち上げる内容なんだがその時の若手ってアラン・プロストですかね?
見てた人居たら教えて欲しいな チャップマンの辞書にはコンサバという言葉は存在しないんだろうな
普通は成功したロータス79の弱点を直した発展型としてロータス80
を開発するはずなのに変な方向に突き進んで自滅してしまったw チャップマン生存説が流れた頃カーマガジンだかに載ってた記事で
亡くなるころにはもうF1への関心が無くなっていて、他のビジネスへ移るつもりでいたとか書かれてたね。
デロリアンへの出資も生存していたら訴訟されていたかもしれないとか、晩年ネタも色々豊富なCチャップマン 体感、ツインカム6
チャップマンが亡くなる前にロータスとトヨタが提携してトヨタの
高級スポーツカーのCMにチャップマンが起用されたりトヨタの車の
部品をロータスの車が多数採用したりトヨタの高級スポーツカーの
足回りのセッティングをロータスのスタッフが担当していたらしい
https://i.pinimg.com/originals/77/cc/b2/77ccb2c52fb8c4432e77e3d3d5822ffb.jpg >>826
こういう仕事はスゲー適当にやってる感じもあるw ハンドリング・バイ・ロータスはジェミニのZZで
セリカのスタイリッシュクーペはTTEでWRC
適当な仕事といえば、その名前と違って宅配便がやけに遅かったフットワークで
その金を当時、財政悪化の穴埋めにした?”P”‥という事で。 F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
https://www.youtube.com/watch?v=HFiH6w1rCBw
F1マシンでも言える事だが高性能な車であるほど
正確な思想がなくてはならない。
170馬力を完全にコントロール出来るセリカには
その見事な凝縮がある。
全開ツインカム6スーパー・グランド・スポーツ
セリカ・ダブルエックス。 F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
今、新セリカと語り合う(プロトタイプ)
https://www.youtube.com/watch?v=n1-xgyAzJEs
英国ノーフォーク・ロータステストコース
体感ツインカム-6 CERICA XX
スーパー・グランド・スポーツ誕生
コングラチュレーションズトヨタ
ワールド・スーパー・スペシャルティーズ
世界、新CELICA
発表会は7/11土12日 この変貌を誰が予想したか?F1の神と呼ばれる男コーリン・チャップマン
彼が新セリカと最初に語り合ったラッキーな男だった
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1230438644671926272/pu/vid/720x540/SX6NigJWdUMLR0H1.mp4
体感ツインカム-6 CERICA XX
スーパー・グランド・スポーツ誕生
コングラチュレーションズトヨタ
ワールド・スーパー・スペシャルティーズ
世界、新CELICA
時代はTOYOTA だが角田のキャラと若さで応援はめっちゃしてるしおまえらもしてやれよ温かい目で
中の色々があるのかもしれんなはたから想像する以上に
が通用するのも残り数戦までだ
中盤あたりでもこの感じなら何も言うことはねーわ 1970年台に欧州で年数戦行われてたノンタイトル戦が面白そうだよね
MAKIF1も完走したというDFV搭載車祭りで、時にはF5000も混走とか。 セオドールでケケが勝ったり、アゴスティーニが出たり。
オーロラシリーズにはティフ・ニーデルがシェブロン唯一のF1 B41で走ってた。 >>823
日本のタレントが数千万円ぐらいだから同じくらいだろう サーキットの狼F1編を読み返したら「ジャックラフィー開幕から二連勝」てバーンと描かれておった
ラフィーがいちばん輝いていた時だ(この年2勝止まり) JS11かあ デパイユが足骨折しなかったらまだ勝ててたとも言われてるけどねぇ メカにも強く、開発にはうってつけ‥だったラフィーが車仕上げられなかったという事よ
グランドエフェクトカーの時代だった‥もあるかもしれん
デパイエはその辺り超一流だったしね、レースじゃ無茶な事結構するんだけど。 オートスポーツに掲載されたラフィー1986年初頭の翻訳インタビュー記事で、不調だったウィリアム時代について「ケケは変な車でも乗っちゃう」と語っていた
何のことかというと、早めにステアリングを切るラフィーが、超オーバーステア好みのロズベルグに合わせた車に乗せられて苦労したという話 >>823
トヨタは太っ腹だから一億円ぐらい払ったをじゃないかな >>826
チャップマンとオベ・アンダーソンのコラボってかなり豪華だな
アンダーも後年トヨタでF1に関わるし 1970年代前半にT.T.E.つくった(トヨタがつくらせた)のO・アンダーソンだから、結構古いんよ。
日本でも80年代前半位か?スターレットで悪魔の梯子段のCMが有名
(後は川越ベンツのサーティースとか) ラフィーも1年だけ乗ったウイリアムズが全然ダメだったね
後にリジェイに復帰して両足複雑骨折した時に、保険屋に二度とF1に復帰しませんという署名をさせられた話は泣ける… FW09B+ドッカンホンダターボはF1の歴史上ケケじゃないと扱えない説
またはジルも含む ロズベルグはこの後マクラーレンに移籍してラフィーみたいにスムーズにコーナーを曲がるプロストとチームメイトになり、プロスト向きの車に乗せられて不満を抱くわけだ ロズベルグはオーストラリアGPでプロストにチャンピオンを獲らせる為に
ウィリアムズの二人をオーバーペースに巻き込んで潰してやろうと目論み
後先考えず飛ばしトップを快走するがタイヤが持たずバーストしてしまう
そしてリタイアしてマシンから降りた自分の前をプロストが通り過ぎる際
にグッドラックと親指を立てて奇跡の逆転優勝を狙うプロストを応援した ダブルタイトルを逃してホンダは悔しかったことだろう >>826
チャップマンがトヨタのツインカム・エンジンに深い関心を持ったという話が本当なら
彼が生きていればF1でロータスにトヨタがエンジンを供給する事もあったのだろうか?
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/002/764/265/...
チャップマン「高性能なクルマには、高性能な思想がある」新技術-時代はTOYOTA
モータースポーツの頂点F1のレーシングカーでも言える事だが、ハイパワーの
追求以上にそれを支えるマシンづくりが大事だ。サスペンション、フォルム、
シートなど車を構成する全てのファクターがパワーを生かす為に結集する。
それが真のスポーツカーを誕生させる為の欠かせない要素だ。170馬力
を完全にコントロール出来るセリカには、その見事な凝縮がある。言わば
「170馬力の思想」を持った車と言えるだろう。私は一人のレーシングマシン
設計者として、セリカのこの高性能な思想に限りない拍手と熱い称賛を贈りたい。
170馬力の思想。WORLD SUPER SPECIALTIES SUPER GRAND SPORT TWINCAM 6 CELICA XX 本当にチャップマンがトヨタのエンジンなんかに興味を持ったのかな? まかり間違えばロータス・ホンダではなくロータス・トヨタになっていたのかな? チャップマンが死んだ後だけどロータス・エリーゼは一時期トヨタエンジンだったな >>852
最近の記事だとトヨタの偉い人達がOKを出さなかったという風に書かれているね F-3が一時、ノバの2TGだらけだったんでどのチームでも興味は持つやろ‥ってヤマハか トヨタのツインカムエンジンと言えばヤマハ
ヤマハと言えばトヨタのツインカムエンジン
トヨタとヤマハは同じ東海地方企業で仲良し タイミングベルトのカバーとかに普通にYAMAHAのロゴ付いてるしね、隠そうともしてない 名車トヨタ2000GTもヤマハの企画にトヨタが乗った合作
トヨタアンチはヤマハ2000GTと呼んでいるらしいw トヨタがヘクトール・レバークからロータス78を買って自製の1.5リッターターボエンジン載せて
当時レース浪人のガンさんが東富士のテストコースで走らせてた・・・・・・
そんな話が当時はまことしやかに・・・・・・。 ロイテマンが消化器出血を患って入院してたんだけどとうとう集中治療室に移ったね ”鷹の眼を持つドライバー”ロイテマンもピンチか‥。 >>852
新聞にも広告を出した体感、ツインカム6
F1の神と呼ばれる男を擁して、セリカは世界へ発進する。
現代F1マシンの天才的設計者、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン。
世界のモータースポーツ界に今も大いなる啓示を与えてやまない、この「F1の神」が
新セリカのエンジニアリングに、熱い賞賛を送った事をまず報告したい。エンジン、
サスペンション、シート、そしてスタイリング。それらセリカを構成するパーツの
一つ一つに、このF1設計者の鋭い視線が注がれたのだ。「コングラチュレーションズ」
新セリカを体感した、この彼の言葉にスーパー・グランド・スポーツの魅力の全てが
あると言っていいだろう。「F1の神」を擁して今、新セリカは世界へ発進する。
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/014/813/408/44564da99a.jpg
体感、ツインカム6。 精悍スーパー・グランド・スポーツSELICA XX 世界へ発進。 >>863
X SELICA XX
〇 CELICA XX >>852
世界のモータースポーツシーンで活躍するTOYOTAツインカムに
チャップマンの心が動きパワーソースとしての完成度を見た。3レースは
オーバーホール不要という不朽のツインカムに強い関心を持ったのだ、だってさ。
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0204/users/
8699ececa311dcf1dca96fc567762b41b874f8df/i-img1200x883-1618275423gugckt1468.jpg 市販車でもトヨタはラッシュアジャスター付きツインカムでメンテナンスフリーにしとな。 三菱もトヨタの真似してDOHCエンジンにラッシュアジャスターを
付けたまでは良かったが異音がするとクレームを受けてた >>870
ディスカバリーチャンネルでやってる名車再生でディーラーのマイクが
入手した199年式三菱GTOのレストアを元F1メカニックのアントに依頼
したらやはり不具合箇所の一つにラッシュアジャスターの異音があった
そこでアントは三菱が作った改良パーツを早速手に入れて交換してたな GTOが発売されてすぐにエンジンからカチカチ異音がするとクレームがあったらしい インテークマニホールドを外すと三菱製ラッシュアジャスター付き24バルブDOHCエンジンが現れる
ロッカーカバーを開けるとロッカーアームの下に小さなパーツがありコレがカチカチ音を出す原因
専用の工具をカムシャフトに引っ掛けて力を加えバルブスプリングを押さえるとロッカーアームを
簡単に外せるし24本のラッシュアジャスターも取り出せるし問題点の先端の小さな穴も確認出来る
小さな穴にカーボンが溜まり固着しオイルの流れが制限されロッカーアームが降りた際にカチカチ
音がするので三菱は穴を大きくしてオイルの流れ制限されないようにしオイルの膜で異音を防いだ
アントは改良版ラッシュアジャスターを一晩オイルに漬けたのでスムーズに取り付ける事が出来た 子供の頃にGTOを見たアントはイタリアのスーパーカーだと思ったらしい フェラーリの出来損ないというかパチモンにしか見えない 中身は横置きFFベースの4WDだもんな、ボディのフォルムはフェラーリみたいでも横から見ると
タイヤとフェンダーの隙間が大きく最低地上高も高いんでなんちゃってだと分かる フェラーリ348tbを参考にしてデザインしたのかな? リトラクタブル・ヘッドライトはどんどん消えてしまったな 余計な物は省いた方が良いシンプル・イズ・ベストだから 対人衝突で飛び出してるライトが人を引っ掛けるんで安全性が問題視されていたのと
HIDやLEDライトでライトユニットを小さくできるようになったのとで使われなくなった
今はもう法規で禁止されてるから生産車に採用されることは無い それに夜間走行する時に空力的に障害になり得るってのもあるな。 絶滅させられたリトラクタブル・ヘッドライト車が怒りの逆襲
憎っくき固定式ヘッドライト車に八つ当たりの目潰し攻撃
クィーン
リトラクタブル〈注〉のヘッドランプかい・・・
カエルの目玉みてえなのを出しやがって
カチッうっまぶしいライトを上向きにしやがったな
うわあーっへ ヘイユー!こ こいつ・・・・・・!
https://www.sukima.me/bv/t/gomabooks0000180/v/3/s/2/p/18
〈注〉リトラクタブル・ヘッドランプ=開閉式の前照燈のこと モーターが故障したらライトが出て来なくなって夜間危ないな。 子供の頃マセラティ・ボーラの運転席に座らせてもらった事があるけどライトの開け閉めは
モーターじゃなくてダッシュボード下にあるレバーをガッコンと引いて持ち上げる仕掛けだったw シトロエン傘下だったのでLHMという専用油圧システムを搭載ブレーキサーボやシート高上下
やペダルの位置調整やリトラクタブルヘッドライトの開閉にこの油圧システムが用いられていた
https://kuruma-news.jp/vague/wp-content/uploads/2020/09/c20200916_maserati_bora_012.jpg そしてハイドロ車トラブルの定番オイル漏れが唯一の弱点になった。 ボラは通常のラック・アンド・ピニオン式ステアリングだが
カムシンやメラクなどは油圧式パワーステアリングだった。 信頼性が低いハイドロ機構が嫌な人は買わない方が無難だな。 1975年に親会社がデトマソになり信頼性が低いハイドロ機構を止め
コンベンショナルな方式に変更した車を買った方が賢明だな。 シトロエンのハイドロ機構とシトロエンSMのエンジンを搭載したメラクは
ヤバそうだけど普通の機構にしてエンジンをパワーアップさせて改良した
メラクSSは良さそうだからか知らんが池沢さとしも一時期乗っていたな マセラティはフィアット傘下に入るまでとにかくぶっ壊れる車の代表格って印象が強い
今なお細かいトラブルは壊れた内に入らないそうだし >>902
レプリカでもティレル公認だとシリアルナンバーも続きになるだろうから高値が付くだろうね ロータスがサイドポッド内で路面に吸い付けてるって世間にバレたのはいつ頃?
79年には79フォロワーが出てるから78年には大抵の事が知られてた事になるよね? >>891
デトマソ時代に発売したマセラティビトゥルボは高性能で豪華な内装を誇る
スポーティクーペとして大ヒットしたがやはり信頼性が低かったらしいな >>904
ティレルがLotus 79を製造した外注工場からデーターを買ってTyrrell 009を作ったね >>904
周りはすぐに気づいてたよ。
トラックから車体降ろすときなんか、カメラマンが下に潜ってバシバシ写真撮ってたし、
その光景を見ていたチャップマンはニンマリご満悦の様子だった。 77年にロータスは既にベンチュリーカーを参戦させてたからな サイドポンツーン内の仕掛けにまず気付いたのはウルフで、WR5で
同じように
ウイング状にしていたが、完全には理解してなく結果はイマイチだった。
ブラバムは別のアプローチでシャパラルがやっていたファンカーを導入(BT46B)したのは
エンジンがアルファロメオのボクサー12気筒なためサイドの気流面で不利だったためか 1977年に登場したF1界初のウイングカーであるロータス78は速いマシンで
アンドレッティによるとエンジンの信頼性に足を引っ張られなければ
チャンピオンを獲れる戦闘力があったのに勿体なかったそうな 早く気付いた、でも今一つだったH・ポスルスウェイト
‥どうかはしらんが、面倒そうだしインチキ覚悟で手っ取り早い方法、サクションカーを選んだG・マレー
最後まで曲解して2枚構造にまでして失敗のT・サウスゲート
アローズ低迷だけでなくシャドウ、社長死んでいなくなったシェブロン、そのF-2に乗ってキャリアつぶしたB・レイホール
が餌食となる
安上がりの方法‥サイドに底面とっぱらったがらんどうの箱くっ付けただけで僅かながら効果得たのはマーチのR・ハード
デザイナーそれぞれの性格の違いが出てて面白い。 ドゥカルージュがデザインしたリジェJS11はJラフイーが何戦か勝った成功作だったね ウイングカーを作る際に重要なのは適切なウインドトンネルを設ける事と
それをシールするサイドスカートなのだがエンジンがウインドトンネルの
邪魔にならないV型である事も重要でコスワースDFVはちょうど良かった
ボクサーエンジンのアルファロメオを使うブラバムはウインドトンネルが
設けられないので仕方なく排気ファンマシンで優勝したが1戦だけで禁止
ところが同じボクサーエンジンのフェラーリは何とデザイナーが無理矢理
ウインドトンネルを設けて強引にウイングカーを作りチャンピオン獲得w 排気ファンカーを禁止されたブラバムは翌年アルファロメオに頼んでエンジンを
水平対向からV型に変えて貰い普通のウイングカーを作るがエンジンの大きさや
重さやポーパシングに悩まされて低迷し終盤にはアルファロメオとの関係も破局
アルファロメオのV型12気筒エンジンからコスワースのV型8気筒エンジンに変更
するが逆にこれで戦闘力が上がり翌年はウイリアムズとチャンピオン争いを展開
その翌年はハイドロニューマチックサスペンションの威力でチャンピオンを獲得 >>912
ありゃちょっと微妙〜な車、デザインも他所と違って仏ぽい?って言えばそうだし、カラーリングもシンプルでなかなか良い‥
でも、デパイエ離脱したとはいえ、ラフィーも車の仕上げに関しては評価高かったのにね‥急降下でして。
開幕直ぐの感じじゃぶっちぎりでタイトル取っても不思議じゃなかったのに。 それだけドゥパイエの開発能力が高かったとも評価できるわな。
ミシュランvsGYのタイヤ戦争のとばっちりで戦闘力ガタ落ちになった
タイレルP34(77年仕様)を何とか持ちこたえさせたり、翌80年に移籍したアルファロメオでも
序盤は予選で下位だったのをトップ10あたりにまで
引っ張り上げてた。 ティレルの6輪車の公認レプリカいいな。
コスワース搭載車ならいくらでも作れるね。
90年代にカーグラフィックでコジマF1の再生記事があったけど、あれも
ロールバーとペダルの前の隔壁だけ再利用して、モノコックは新造してたな。 >>917
近年だとローラT70やデイトナコブラにジャガーDとか再生産扱いでFIA公認のヒストリックカーレースに出場できるから良いよね リジェはマトラの糞重たいV型12気筒エンジンから軽量なコスワースの
V型8気筒DFVエンジンに変更した事で30sも軽量化されて戦闘力が
アップしたらしい(ブラバムと全く同じ)がロータスの真似をして
ウイングカーにした為強烈なダウンフォースが車体にかかり
徐々にリベットが緩んで車体剛性が落ちていったそうな 背中に”リジェと言えばマトラV12と‥”なエスカルゴ背負ったら、11の車体よりそっちの方が大きかったりして
>リベットが緩んで
そうなるわなあ‥新品用意したらまた早くなったりして‥ちっこくてシンプルで綺麗な車だったのに、
もったいない残念な2シーズンでした。 中矢さんがフランスのコンストラクターの造った車は
イギリスのコンストラクターのと比べると明らかに見劣りするって言ってたね。
特にリジェはドラシャにクロスジョイント使ってるの腐してた。 フランスのコンストラクターと言えばルノーだな
1977年にシャシーもエンジンもガソリンもオイルも
タイヤもドライバーもスポンサーも全てフランスだらけ
オールフレンチ体制で参戦したがレギュレーションで不利
なターボエンジンで参戦した為トラブルでリタイアし捲った
1979年のフランスでGPでジャブイーユが初優勝したが2位を
争ったアルヌーとヴィルヌーブの方が注目を集めてしまったw アルヌーとヴィルヌーブのバトルはF1史上最高のバトルだと
高く評価されF1ファンの間では今も語り草となっている。 F1の歴史に残る壮絶なバトルを繰り広げたアルヌーとヴィルヌーブはマシンから
降りると攻撃的な走りとはイメージが違い二人共に小柄で優しそうな青年だった。
https://i.pinimg.com/originals/6e/56/70/6e56706357d0c0fca6e144ff403e274c.jpg 女性問題でエンッオの怒りを買いフェラーリを首にされたけど、
エンッオ死後のフェラーリ創設60周年記念の式典では、しっかりと呼ばれてるから関係は修復してるんだよな。
プロストが参加しなかったから、出席したのかもしれないけど。 優勝者が悲しそうな顔で後に妖怪通せんぼ爺と日本限定で
呼ばれる事になる3位の人が嬉しそうな顔してる表彰台
https://pbs.twimg.com/media/D-YzvrkXkAAtjJ2.jpg 優勝した自分より2位や3位の奴の方が注目を集めたら悲しいわな。 >>927
アルヌーとプロストの遺恨話は中々面白いな
アルヌーのフェラーリ離脱で搭乗できる車の差が開く一方で、通せんぼおやじなるのは必然だったな >>922
1977年から1979年まで2年間ターボ・エンジンが
ぶっ壊れバルサンし捲りイエロー・ティーポットと
バカにされてたが母国で遂にポール・トゥ・ウィン!
残念ながら2位は派手なバトルの末にフェラーリに
奪われてワンツー・フィニッシュとはいかなかったが
3位に甘んじたルノーのドライバーは満足気に笑顔だった
https://www.youtube.com/watch?v=HZ4jDAMCduQ ルノーは前戦のモナコからギャレット製シングルターボから
KKK製ツインターボに変えてターボラグを改善した事が
功を奏してフランスでの好走に繋がったんだろうな しかもアルヌーにとって初ポイントと表彰台がこの79年フランス このフランス以降の8レースでのアルヌーはオーストリアとオランダの
予選でポールポジションを獲りフランスで3位イギリスとアメリカで
2位オーストリアで6位と活躍する一方リタイアが4回と多かった この頃ルノーの1500ccのV6ターボエンジンはフェラーリの
3000ccフラット12エンジンと互角の510馬力に達していた ジャブイーユは仏人ぽくない謙虚な人だから‥
パニスやコマスはその系譜 そういえば一部の例外を除いてフランス人F1ドライバーは性格に問題がある人が多いな このスレ的に言うとPタンペイは良い話しか聞かなかったね >>940
え?オンナ癖の悪さには定評があったけどw
まあピケには敵わないか 80年代以降の問題児フランス人F1ドライバー
ピローニ:ビルヌーブを裏切り事故死の一因となる
アルヌー:80年代後半に妖怪通せんぼジジイに劣化
プロスト:ホンダを批判し日本人ドライバーも差別
ガショー:タクシードライバーに催涙スプレー攻撃
グロージャン:マシンに乗ると人間ミサイルに豹変
オコン:メルセデス援護の為に他車をミサイル攻撃 >>940
結構ワンマン‥っての書いてあった記憶がある、雑誌名は忘れた >>942
ジャブイユ、タンベイ、デパイエ、ラフィー、ジャリエはまあそうやろ
ピローニはまだ若すぎの時期、アルヌーはチビ そういえばTAGというとマクラーレンのイメージがあるが最初にスポンサーとして付いたのは
ウィリアムズだったっけ。
ウィリアムズのツイートに黙祷文とか出ると御大のことかと思ってあせるんだがw
個人的にはテクニーク・ダバンギャルドと聞くとスペースシェリフギャバンを思い出すが サウジアラビア航空繋がりでウィリアムスが最初
(でもそれ以前どこかに、小さなステッカー一枚位のスポンサーとしてついてたような気もする、ドライバーの個人スポンサーかも)
まあTAGも要は仲介業みたいなもんだし、武器屋さんだった創業者の隠れ蓑みたいなもんでしょ。 TAGエンジンを制作したポルシェが所有しているF1用ターボエンジンがポルシェの社内展示用の1基しかないとなんかで見た
それもRデニスから感謝の意味で後に送られてきた個体だそうで
その辺りの契約が厳格に行われた模様 >>947
TAGが付く前のホイヤー(時計メーカー)じゃねそれは?
それならジョー・シフェールが個人スポンサーとして最初に持ち込んだらしい。 ホイヤ、モータースポーツとは古〜くからの関係で、広告看板なんかじゃ下手するとファンジオが走ってた頃からなんで
‥レガさんのティソとかスイスのドライバーは時計メーカーと縁が深いけど‥TAGだけホイヤだけ時代は違うと思うわ
>>948 当時、エンジニアのJ・バース(バルト)だったかがインタビュー記事で
「ウチが請け負ったけど、ありゃ正式にはTAGターボ」‥使用後も結構無関心だったのね、本人達。
3代目?宇宙刑事シャイダー‥アニーにお任せ‥ 質問ですが、ラウダとプロストの走りは似ていると聞きますが唯一違いってありますか?(チームメイト同士のトラブルは除いて) 中東スポンサーを獲得した新興弱小チームがロータス79を
研究した末コピーに留まらず欠点を直した完全版ロータス
79で連勝して2位に躍進し翌年チャンピオンチームとなる
https://pbs.twimg.com/media/EflO3JcWsAARk99.jpg >>951
プロストは晩年でもフランスグランプだけは予選からリスクを負う走りをしたとか
マクラーレン時代のラウダにオーストリアGPでリスクを負った走りをした話は聞かないからその辺りか違いかも >>952
FW07が特別美しいなんて言われてないからJPSカラーは偉大だな >>954
ホンダ第2期F1活動総監督だった桜井氏がホンダ本社の最高意思決定機関である
専務会の場でF1エンジンの2チーム供給を上申した際にロータスの監督が用意
したJPS・ロータス・ホンダの予想図を見せたら大好評で承認されたらしい ブラック&ゴールドのカラーリングなんて今でも通じるし、ロータス以外似合わないよね。 >>951
ラウダは’75〜’76前半なんか、ジャーナリスト連中が「あいつは水の上も歩けるんじゃないか」言う位早かったらしい
でも基本、ライバルは仲良い知り合いや弟子(無類の女好きが多い)、違うのはフィッティパルディ(実際どんなのかよく知らん)と
何考えてるか分からんが早いマンセル?←この手のはやり易かったかも
後、同チームのドライバーに嫌われんよね、助けてもらう方が多い位だし
プロストはその点ライバル、チームメイトが自身と同じような”性格難であり早い”の人だったから、後期ラウダみたいな
”しぶとく生き残って点を取っていく”は分っててもできんかったかも
チームやチームメイトから嫌われる事も多かったし。
走りの違いなんて分からんよね、こちとら素人だし、雑誌でも読むのが一番早い‥特に当時の。 >>955
これを見せられたホンダの首脳陣がカッコいいと
喜び予算を倍増し2チーム供給を即承認したんだな
ホンダは第1期F1活動でロータスにエンジン供給を
ドタキャンされ急遽シャシーも自作する事になった
遺恨があったがそれがどうでも良くなる程カッコいい
https://pbs.twimg.com/media/C223EtFUAAAHDDj.jpg >>962
スポンサーにオリンパスがいれば完璧だった オリンパスはサイドポンツーンのDeLonghiの部分に85年まで付いてたね。 >>951
プロストはかたくなに飛ばしシフトでシフトダウンするけどラウダはどうだっただろうか? >>963
ブラックビューティーを愛するオールドファンとしては
やはりオリンパスのステッカーが無いと物足りないな
https://pbs.twimg.com/media/Ef3uou1WkAEhHHR.jpg カラーリングだけでお腹一杯。カラーだけでロータスって分かるから。マクラーレンだって世間的にまだマルボロカラーのイメージ付いてるし。 オリンパスと来たら次はキャノンだろうと思ってたら
ウィリアムズにキャノンが付いて日本のカメラ対決
と思ったらオリンパスが居なくなってしまった
日本のカメラ対決は僅か一年で終了した その後フジカラーがジョーダンだっけ?カメラ関係だと。 オリンパスも1978年はロータス78-79とヘスケス308Eに付いてたけど、
欧州の子会社のか本社主導なのかどちらがスポンサーを始めたんだろ? >>963
似たデザインとカラーリングとオリンパスのステッカー
どう見てもロータスのパチモンに見えるのは俺だけか?
https://pbs.twimg.com/media/CjeUBVkUoAAMmF3.jpg この頃はラウダやハントやフィッティパルディやシェクターなど
世界チャンピオン達が遅いマシンに失望して引退してたな 昔は命の危険性もあったし給料も安かったからな
アロンソやライコネンが40過ぎて下位チームで走っている現代とは違う グッドイヤーがエイボンの親会社のクーパータイヤを買収。
旧車イベント用タイヤもグッドイヤーロゴにしてくれ >>969
タバコ吸わないけどJPSのパッケージだけ欲しくて買ったことがある
中味は喫煙する友人にあげた >>962
70年代に日本人オーナーのチームがJPSをスポンサーにして日本のエンジンと
日本人ドライバーをF1にデビューさせてたらカッコ良かっただろうと妄想w
JPS・Team Ikuzawa・MUGEN HONDAに乗って日本のF2チャンピオン
がF1参戦ブラック&ゴールドマシンと日本人ドライバーカッコいいw
https://pbs.twimg.com/media/EljgnhkU0AEq9f5.jpg 日本のF1ファンでJPSカラーのF1マシンを見た人はほとんど居ないんだろうな ヒストリックカーイベントで、近年
JPS MK.3 ロータス78 とか ロータス 91 走っているハズですよ。
https://f1-stinger2.com/f1_news/78_2 イベントで何となくダラダラ走ってる姿を見ても何かイマイチなんだよな
JPSカラーの格好いいロータスが実際にレースで走ってる姿を見た人というと
スーパーカーブームに熱狂してた頃の日本で初めてF1が開催された時だろうか?
雨の富士でロータス77に乗るアンドレッティがポール・トゥ・ウィンを果たし
翌年の今度は晴れの富士でロータス78に乗るアンドレッティがまたポールを獲るが
決勝は出遅れクラッシュしフェラーリのヴィルヌーブも・・ってのをTBSが放送してた
https://i.pinimg.com/originals/f5/25/8c/f5258cec5597fc7e701921fc3d841593.jpg >>991
サイドスカート外さないとサーキットで走らせてもらえないから全開は無理 鈴鹿でやったやつ
Fia Masters historic formula one championship
じゃなかったんだな 何かのデモ走行か何かで佐藤琢磨がロータス78を走らせてたな 佐藤はロータスの大昔のマシンをクラッシュさせた前歴があったから
もう乗せてもらえないんじゃないかなと思ったがそうでもないのか 佐藤はロータス49Bに乗ってモナコのヒストリックGPに出場してたな CORNSに回すなって言われてたのに412T2をオーバーレブさせてた このスレッドは1000を超えました。
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