ジム・クラーク
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70年代の拡大路線でコスワースだけでメンテナンスが出来ない状況になると、
下請けのチューナーによって回るエンジンとそうでない物の差がついたのは事実だが
きちんと支払えるコンストラクターにはコスワース謹製、貧乏チームは下請けの・・・ってのはあったはずだが
意図的にクラークだけ専用だったってのは聞いたことがないな〜 チャップマンが独善的だったってのは確かにあるが、当時60年代のF1ってのはチーム間の仲間意識も強固なんだよ。
DFV初登場の時だっけか?中村良夫がチャップマンやクラークの目の前でDFVの排気管の長さをメジャーで測ったりしてる(本人談w)
それを見たチャップマンは怒るどころか「どうだいこのエンジンは?」と聞いてきて、中村良夫が「排気管はまだ検討の余地はあるね」と返したってよ。
ロータス79の時も隠すどころか見たい奴にはひけらかしてる。
ブラバムのファンカーも同様・・・隠す方が当時は珍しかった
>>142
>>111のマーレーみたいな「別格」という評価もあるわけだが、
時代が違って、マシンのレベルも違うから、
なかなか比べにくいのは事実だろうね。
同時代のドライバーでも、
たとえばピケ、プロスト、セナあたりでも評価は分かれるし、
それが時代も違うとなればなおさら難しいだろうなあ。
クラークとシューなら、両方とも間近で見た人はいるよね。
たとえばスチュワートあたりはどう評価するんだろうか。
>>141
反対したけど押し切られたのかもよ。よく知らないが。 >>144
中村サンに見せたってのは
「これはウチが独占だから」と安心してたから、
という考え方もできるわなw
・・・ていうか、見てきたようなことを言うね、あんた。
実際に見たり聞いたりしてるなら、
生の情報をいっぱい書いてほしいw DFVの供給拡大をチャップマンがあっさり承認したのは有名なエピソードなんだが・・・ >>あっさり承認
裏で「おまえんとこには特別なのを回すからさ」とか
密約があったりしてw 糞コテが正しいことを書いてるかどうかは怪しいんだが、
本に書いてある話も必ずしも正しくはなかったりするんだよね。
「○×氏がこう述べた」とか言っても本音とは限らないし。
別に「チャップマンが承認した」を疑ってるとかじゃないけどさ。
で、「現場で生で見たの聞いたの?」と聞いたわけw
揶揄じゃなく、
生で見た人ならいっぱい教えてくださいよという意味です。
別に絡んでるわけじゃないので誤解しないでねw 現場で見てるわけないですよ(見てるとはカキコしてないですけどね、念のためw)
それが何か?ソースは、各種記録映像や「DFV」「グランプリ1・2」「レーシングエンジンの過去・現在・未来」他多数としておきましょう。
大体のものは目を通しましたね。でも「チャップマンが猛反対した」というのは一つもなかったですね。 なるほど。
もし生で見た人がいたら、すごくいろいろ聞きたいw
クソコテの情報は細かい中に大間違いが紛れてたりで要注意だが、
もし中村サンが言ってるのが正しいとすれば裏事情もあるのかなと。
もちろん中村サンの見解にも間違いはありうるけどね。
つーのは、レースに限らないけど、
外から見てると(どんなに細かく調べても)絶対に分からないのに、
中から見ると一発で分かっちゃう事実があったりするからさ。
この板でよく話題になる「長谷見サンvs星野サン」ってのも、
ファンの目で外から見てたら星野>長谷見って感じもするんだが、
少しだけレース業界の人と知り合っただけで、
もう明確に才能は長谷見>星野と分かっちゃったんだよね。
オレ個人はどっちかつーと星野サンの人柄が好きだけど、
乗り手としての才能は長谷見サンのが上って、
知ってる限り誰もが同じことを言うんだよなあ。。。
前スレではコジマF1の頃の関係者サンらしい人が出てきて、
やっぱ同じようなこと言ったしさ。(スレ違いスマンです)
クラークの凄さってのがどういう意味(内容)なのか、
腹を割って話してくれる関係者がいたら話を聞いてみたいなあ。
表に出てない話もいろいろあるかも知れないし。 >>151
いや、やはり才能も星野さんの方が上だろ。
90年には、当時すでに四十を超えていた星野さんに、
F1の準トップチームのベネトンからスポット参戦のオファーがあった。
こんなことは長谷見ではありえないことだ。
星野さんは男だから2000万円の持ち込みを嫌って断ったが、もし参戦していれば大活躍してただろう。
予選20番手くらいからグングン順位を上げ、
130Rではマンセルにサイド・バイ・サイドの勝負を挑み、
ポール・トゥ・ウィンで勝ったに違いない。
なにせ星野さんだもの。 >>152
予選が20番手で、どうやってポール・トゥ・ウィンを決められるんだw
Mr.長谷見にはテデイ.イップ率いるセオドールRからUS-GP出場の噂が
出たことが有るよ❤。 >>152は釣りだろうけど、
そうとしか思えない奴が多いのも無理ないよね。
オレもそうだったからw
でも関係者の話を聞くほどに長谷見>星野なんだよなあ。
で、クラークの実像ってのを聞いてみたいんだよねえ。
もうクラークもチャップマンも中村サンもいないから、
なかなか難しい話だろうが。。。 >>ID:TKGO3USB0
別にあんたを否定してる訳じゃないので、
情報あったらいろいろ教えてください。
自分語りが長くてごめんなさい。 つっこみだけでは申し訳ないので、ちょっとネタを。
ジムクラークのエンジンが高出力だったというのは、私も雑誌で読んだことがある。
ただし、1.5リッターF1時代の、コヴェントリー・クライマックスエンジンの話だけど。
普通のコヴェントリー・クライマックスが220馬力前後なのに対して、クラークの
使っていたのは240馬力くらい出てたとか。
今wikiを見たら、クライマックスエンジンには2ヴァルヴと4ヴァルヴがあり、クラーク
は4ヴァルヴを使っていたと書いてあったので、あるいはこの差が20馬力になったの
かもしれないが、当時小学生の私では詳細は不明。
その記事は、クラークが死んで15〜20年くらい経ってから、名前は忘れたが
外人記者が書いたと思う。むろんクラークを非難するとかじゃなくて、DFVは
基本的に同一仕様という話の中で、クライマックスエンジンはこうだったと引き
合いに出していただけ。
すべて、昔の話だなあw
クライマックスの1.5リッターFWMVは、ホンダを凌ぐ240馬力も出てないだろ。
4バルブのFWMVは、65年にクラークとJ・ブラバムが使ったユニット。 >>145
どう評価するってw知らないの?
モスやスチュワートは
あちこちのインタビューでシューマッハは史上最も「成功」したドライバー
シューマッハの時代では間違いなく最高のドライバーだがオールタイムで
最高のドライバーだとは思わないとキッパリ言ってるよ
モスなんか「シューマッハの実力に疑問」とか言ってるっしょ
モスが最高に挙げるドライバーは
ヌボラーリ、ファンジオ、クラーク、セナ
スチュワートは
ヌボラーリ、ファンジオ、クラーク、プロスト、セナ
>>159
知らなかったよ。
モスもスチュワートも話したことも会ったこともないから。
で、モスやスチュワートにはいつどこで会ったの? >>158
そうか。そのへんは記憶違いがあるかも知れない。200馬力が220馬力だったかな。
なんだか20馬力ぐらいの差というのは、うっすら覚えてるんだが、肝心の雑誌は、もう
残って無いだろうなあ。
>>160
ブックオフにでもいってさがしたら
2ちゃん専門の人 自分の意見に反論食らうと「見てたのかよ」「会ったのかよ」じゃね・・・
リアル厨房臭が充満しとるなw さてさてネタを投下
クラークといえばロータスだけど、当初、F1デビューはアストン・マーティンからの予定だったみたいね。
これはちょっと意外だった マニアさん、そんなの聞いたこともない。
クラークとチャップマンはもともと仲良しコンビだったんじゃないか。
いや、俺も聞いたことある>アストンデビュー
はっきり記憶してないんだが、クラークはF1デビュー前はアストンで活躍してたんじゃないかな? >>165
実は、俺も最近知ったw
59年、アストンの監督レグ・パーネル(30~50年代の名ドライバー)が、草レースで活躍していたクラークに目を付けて60年のF1シーズンに向け契約。
しかしアストンの参戦計画は最初から遅れっぱなしで、結局クラークは一度も起用されないまま放出され、アストン自体もF1から撤退。
一方クラークは、アストンが出てこない間もロータスでF2に参戦しており、アストンの話が流れたためにそのままロータスでF1デビュー、という経緯だったようだ。
今ちょっと調べてみたら、このサイト(英語)にも少し載ってたから見てみて。
http://www.f1-grandprixhistory.net/Clark.html 大昔、『死の24時間レース』って本を読んだ人は居るかな。
アストンのワークス撤退後に、ディーラーチームとしてDBR1でル・マンに参戦する話しなんだけど、
その主人公が多分、クラークをモデルにしていそうだった。
(あと、車好きの妹が居る所はモスも)
子供向けの本だが、さすがに英国本場のものだけあって、
独特の挿絵を含め、すごく面白かった。
クラーク自身も60・61年にDBR1でル・マンに出ているよね。
('60は三位だったかと) >>124
80年代位までは伝説のドライバーの代表みたいな感じだったな。
ドライバーが自分を売り込むとき、「私は未来のジム・クラークです」って
例えを使われてた位だし。
>>126
クラークが事故死したホッケンハイムのF2レースは雨じゃなかっただろ。
>>151
>ファンの目で外から見てたら星野>長谷見って感じもするんだが
長谷見さんのシフトダウンの下手さはダントツでした・・と関係者から
聞いたのだが。
欧州のF2の成績を見ればチーム力を補正後で、星野さんは抜きん
出ていたでしょ。
Mr.星野の欧州F-2でのリザルトはBSタイヤの功績大。
MR.長谷見はマカオGPにFPで1戦エントリーした位じゃね?。 >>168
子供向けでそのタイトルとはw
耐久レースのイメージはあまりないけど、59年ル・マン24時間でもロータス・エリートで10位に入ってたり、60年ニュルブルクリンク1000Kmにも出場してるね。
>>169
雨でいいんじゃないの? 映画「グランプリ」で描かれた人物像が意外と合っている
と云われたが、どうなんでしょう。
ところで、皆さんはこちらでポール奪取率とかのDATAは
確認済みで議論されているんですよね。
つttp://www.f1-data.jp/script/db/stats/driver.php?field=pp_races&sortby=2 さすがに>>168を読んだ人は此処にも居ないのか。残念。
巻末には、これまたモタスポファンには堪らない、ヌヴォラーリの短編も付いているんだけどな。
あの本を読んで以来(多分、オレが8才、73年頃)、ヌヴォラーリは僕の最大のアイドルだよ。
因みに、某漫画に出て来るヘッドライトを消して云々なんて話しは、
この本で四十年近く前に知っていたし、
もっと凄い話しも一杯のっていたよ。
スレチではあるが、ヌヴォラーリって本当に伝説(都市伝説)の人だよね。
スロットルケーブルが切れたから、ナビのズボンのベルトをケーブル代わりにしてナビに操作させたとか、
(これはカンクネンもやっていた)
ギブスだらけでレースに出た(お前は赤馬研かよ)とか、
ステアリングホイールがとれて、シャフトを無理矢理掴んでクルマを停めただとか。
ドイツGPでの奇跡の勝利と、その後の国歌のレコードの話しとか。
話し半分、都市伝説に近い話しも沢山有るのだろうけど、
それにしても凄いよなぁ。
本で知った知識でしたり顔で語るヌボラーリやビルヌーヴのファンは痛い。
見た事も無いのに共通のエピソードで盛り上がる。
まるで戦国武将を教科書で学習してるみたいで引く。 彼が死んだ旧ホッケンは何故かJAPANESEドライバーの活躍が目立つ
4輪では生沢、風戸、鈴木、片山等
何故?
富士(FISCO)でのスリップの経験が効いているからw?。 >>162
つまり伝聞ねw
伝聞専門の人
>>170
それは「星野サン偉い」バイアスがかかってるからだろうなあw
ちゅーかスレ違いな話題ですまんかったw >>178
当時の走りの映像など、YouTubeやヒストリーチャンネルで見れるのに
なに寝ぼけたこと言ってるんだよ よっぽどのドライバーでなければ都市伝説もうまれない
伝説になるほどの裏付けがあってのもの
単に素晴らしいだけのドライバー程度では嘘であれ本当であれ「伝説」はうまれません
へぼドライバーのマヌケな伝説は除く ファンの間では皆知ってる事なのだろうが、クラークは来日時、俳優の田宮二郎氏と
握手した事実を最近知って驚いた。
俺はグランドスラム通算8回、という記録に一番惹かれる。 >>182
クラークは現役時代にすでに伝説になっていたらしい。 また話がでかくなったw
まあ「セナは現役時代にすでに伝説」とか
そういう言い方をされる場合もあるんだろうけど
「現役時代にすでに伝説」ってのは不自然だよなあ ID:bD+Nx54z0の考える伝説とは
安達ヶ原の鬼婆レベルだろうから相手にしないほうがいい >>182
クラークの伝説は色々あるよね。
63年の豪雨のスパで、予選8位からオープニングラップでトップに立って2位に5分差付けて優勝。
65年のイギリスGPで、オーバーヒート状態からコーナーでエンジンを切って優勝。
67年のオランダGPで、フォードDFVのトラブルの出やすい回転数を使わずに優勝。
挙げていくと切りがないな。
>>185
イチャモン付ける位なら、わざわざこのスレに来なければいいのに。 墓碑の一番上にFARMERって書かれているんですよね。
もし生きていたら74歳、スコットランドの牧場でのんびりと悠々自適の生活を
送っていたんでしょうね… 1963年の優勝回数は7で有効ポイントはベスト6戦。
優勝を1回捨てているのか・・・ >>189
無敵艦隊にも程があるなw
11戦有効ポイントで12勝するようなもの? >>190
当時は年間10戦だったから、まさにそれに近い感じだな。 >>188
生きていたら取り巻きの連中がどっかのGPに連れて行ってそうだなw しっかし63年てドライバーもコンストラクターもイギリス勢が
圧倒的に強いな。 >>193
60年代はまさにイギリスの時代だったな。
ドライバーで言えば、クラーク、モス、ヒル、サーティース、スチュワート、etc・・・
コンストラクターはロータスとBRMが強かった。
>>193
62年イギリスGPから64年ベルギーGPまで、イギリス人ドライバーが18連勝(クラーク11勝、ヒル6勝、サーティース1勝)。
>>195
付き合っていた相手はいたようだが、結婚はしなかった。 1960 ジャック・ブラバム(オーストラリア) クーパー
1961 フィル・ヒル(アメリカ) フェラーリ
1962 グレアム・ヒル(イギリス) BRM
1963 ジム・クラーク(イギリス) ロータス
1964 ジョン・サーティース(イギリス) フェラーリ
1965 ジム・クラーク(イギリス) ロータス
1966 ジャック・ブラバム(オーストラリア) ブラバム
1967 デニス・ハルム(ニュージーランド) ブラバム
1968 グレアム・ヒル(イギリス) ロータス
1969 ジャッキー・スチュアート(イギリス) マトラ ムムッ。全て英語圏のドライバー!
でも70年のリントはドイツ語圏? BRMが強かったって?!
BRMが本当に強くなったのはP.ロドリゲスがトライブした頃じゃねぇ?。 >>199
イギリス。
ちなみに自動車メーカーではなく、消防ポンプなどに使われる汎用エンジンのメーカー。
>>200
どう考えてもヒルの頃が最盛期。
ロドリゲスは、不振から脱出して一時的に復調した時期でしょ。 j.サーテイーズがHONDAからBRMに移籍したころは絶望的に遅かったけど
P.ロドリゲスはそれまで低迷していたBRMに久々の勝利をもたらしたよ。 ヒルはBRMでチャンピオンになったけどロドリゲスはなってない。
>>197
イギリス勢凄いね。
10年で6回もタイトルを取っているのか。
J.スチワートをイギリスにすることは無理が有る。
彼はスコットランド。 >>195
チャップマンとのウホッ説も・・・
>>197
チームを見てもイギリス系が7タイトル取ってるね
レース=経済力だってのがよく分かる >レース=経済力だってのがよく分かる
?当時でもアメリカの方が経済では強かったはず。
レース=技術力の方が適切では。 アメリカには既にインディがあったんだし、ヨーロッパ文化のF1に積極的だっけか?
フィル・ヒルみたいな人もいたけどね。 そうそう
アメリカはアメリカ
イギリスはヨーロッパ最強(最悪w)の覇権国家
F1ってのは事実上ヨーロッパ選手権+αだもん
アメリカだってイギリスの分家みたいなもんだしね もっというと「技術力」ってのも
結局は「経済力」の裏付けがあってのものだからね
技術とか才能とかいっても金がないと勝てない
ドライバーも育ってこない
ファンにしてみれば夢のない話になってしまうがw アメリカンドライバーがF1に積極的なのは70年代前半だね
ダナヒュー、レヴソン、フォルマーらをF1で長く見たかった
スレ違いだけど 当時のドライバーの収入はレースの賞金ベースだからな。インディのほうが圧倒的に儲かったってのもある。
ロータスがインディに挑戦したのも屋台骨が傾いたからだ。 なるほど。モナコよりインディを優先したのはそのせいか。 アメ車なんてバカしか買わない
インディーもバカしか見ないと思う
>>214みたいに思ってる子供も多いだろうけど、
F1が今みたいに派手になったのは'70年代後半以降だからね。
エクレストン(FOCA)がのしてから。
それまでは田舎のサーカスだったんだよ。
山師(エクレストン)が大がかりな仕掛けをやったおかげで
今みたいに派手になったんであってさ。
'70年代以前は、
むしろアメリカのレース界の方がよっぽどゴージャスだった。
F1=至上の物、みたいなイメージは
'60年代ホンダやカーグラあたりからの洗脳だね。
とどめは'87以降のフジTVのF1放送w アメ車は中身は大した事ないんだろうけど、欲しくなるのもあるのよ。
日本人はスペック厨が大半だからアメ車が受けないのも分かるけど。 >>209
1950年代に、インディ500がグランプリの1戦に組み込まれていたけど、ほとんどヨーロッパから参加しなかったもんな。
世界選手権の名目上入れてただけみたいな感じだった。
当時の移動手段の問題もあっただろうけど・・・ >>217
明らかに無理のあるスケジュールだったし、FIA自体インディ500に参戦するチームがあるとは想定してなかったと思う。
ヨーロッパ勢のインディ500参戦は、10〜20年代や60年代の方がずっと積極的だったね。 アメリカの田舎レースと本場自動車発祥の地ヨーロッパのレースどうしても一緒にしたい知ったかアイビールック禿
戦前のグランプリカーでもしらべてから物言え 昔から5〜6月は世界3大レースのインデイ500、最中GP、ル.マン24Hが有ったからね。 知ったかオヤジは子供の頃唯一テレビで見れるインディー夢中になったインディ博士だったんだろw
精々60年代のホンダ知ってるぐらいで有頂天
アウトウニオンとかメルセデス、ブガッティーとかベントレーとか創世記も潜ってこい 漏れはオーバル、エスケープエリア無し、コーションでSC導入即コーションの
アメリカンは嫌いなんだょ。 :知ったか太郎 ◆5.l4uPu/Ng :2010/12/15(水) 13:53:21 ID:mKlAp0dk0
カナダとUSA西海岸には逝ったことが有りますけど何か>>606?。
(CAN-AMシリーズだwww。)
ふ〜ん、別スレじゃこんな事言ってるのに
ほんとあんたの言う事は支離滅裂でいい加減だね カナダとUSA西海岸には逝ったことが〜
↑
これは漏れのスイ〜トハネム〜ンで逝った時だわなwww。 >>219みたいに考えてる子供も多いだろうけど
F1で日本の子供を洗脳したンダは
アメリカで大儲けして延命できたんだけどなw
いや、ンダに限らず、日本の自動車メーカーの大半がそう
F1が至上のものだなんて、つい最近のことだから このバカID:wWpGJGxW0
インディ版のスリックか?
なんか一人でブツブツ
>F1が至上のものだなんて、つい最近のことだから
このバカ自動車やレースの起源しらないらしい
>>226みたいに考えてる子供も多いだろうけど
動いてる金の額は
アメリカ>>>ヨーロッパ
だったからね。
'70年代前半までのF1は田舎のサーカスだった。
今みたいに化けたのはエクレストンの手腕。
ヨーロッパ選手権+αを「世界選手権」と言ってしまうのが
ヨーロッパの連中の不遜なところだよ。
それに踊らされてる>>226みたいな奴が今でもいると。
アメリカ国内決定戦を「ワールドシリーズ」と言ったりもするがw むかしから自国の中だけで満足してるのがアメリカ人なんだがな
何でもオラが一番って思ってる脳天気な国民
70年代しか知らないバカは黙ってろ
1906年で潜れニワカ
>>229みたいに洗脳されてるヤツも多いんだが
F1も長いことグッドイヤーに助けられてたし
コスワースDFVもフォードの金で作られたものだし
ヨーロッパのレースがアメリカより上なんてことは別にないんだよ
アメリカの資金が入ってなかったらF1は終わってたかもね それよか実質的にアメリカ最高峰インディー終ってるのに、菜にいってんだか
ナスカーなんてぇレースが人気のアメリカンバカにいわれたくないよぅ
>洗脳されてるヤツも多いんだが
TBSとかアメ車に洗脳されてるやつってアメリカングラフティー脳で今でもロカベリーでゴーゴー踊ってるバカだろw
アメ車ヲタ見て見ろw
族を卒業したバカばっかり
センスが田舎アメリカ人と似ている
アメリカ人でも洗練された奴らの車の趣味はヨーロピアン >>219=226=229=231=233=洗脳されている子供w 自分が大人と思っているんだったら
>で、モスやスチュワートにはいつどこで会ったの?
なんて言って八つ当たりすんなw でID:HstG1FlH0は何に洗脳されたんだろ?
チョコレート?
ギブミーちょっこれーっと この前wowwowで『グラン・プリ』をやってたが、ちらっと本名で出てたな。
ヒルは役名セリフ付きで出てたし、他にもボニエ、ガーニー、ブラバムetcの顔もあった。
レースシーンの替え玉はエイモン、サーティース、ギンサー、ステュワート、バンディーニ。 懐かしい名前が有るね。
J.ボニエか。ルマンでローラ.DFVで出走中クラッシュ死亡したのかな。
HONDAのRA-301をレンタルして入賞もしているね。 ちょっとスレちだが、『栄光への5000キロ』、DVD化されないかなぁ。
確かに映画は、「劇場のでかいスクリーンで観るもの」という、
裕次郎の気持ちはよく判るのだが、当時とは家庭のAV環境も違うしね。
あの映画が今後、劇場公開される見込みも無く、このまま死蔵されてしまうのは残念過ぎる。
あのオープニングの、モンテの断崖絶壁を走るアルピーヌだけでも観たいよ。
『黒部の太陽』もそうだが、炊き出しも良いけどお願いしますよ、石原プロさん。
>>240
ちょっとどころかえらくスレ違いですがw「黒部の太陽」と「栄光への5000キロ」
などがDVD化されるようですね。
石原プロ50周年で「黒部の太陽」等DVD化へ
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110512-OHT1T00029.htm ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています