ジム・クラーク
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>>489
マシンがプロスト好みにばっちり決まればプロストが一番速いよ
でも毎回そう上手くは仕上がらないけどね、
とはジョーラミレスの弁
>>490
MP4/4はもうクラシカルな車でしょハンドルのボタンも2つだし
サーキット1周ならブーストもマキシマム固定でいいし
「行く!」と決めた時のケケはクラーク以上かも、とは
中村良夫氏の弁
という事でケケ最強説を俺はとる 「行く!」と決めてないときでも速い気がするんだな>クラーク
後半流すセナと違って、ファステストラップが多いし。 まぁアイルトンでしょうな。
イクオールコンデイション(ラルト+2T-G+コントロールタイヤ)の中で世界一の激戦英国F-3を
圧倒的な強さで制した彼は同じマシンを与えられると飛び出る筈。 >>493
セナの2T-Gはチューナーのスペシャルだった筈だが。
まさか全部同レベルの性能だと思ってないよな??? ノヴァモーター製2T-Gのリビルトを担当する別チューナーショップの貝?
そんなのスペシャルと言わないよ。 25回も優勝しているのに、どうして2位が1回しかないのだろう? 多分チームオーダーでチームメートは彼の前で走行することを
許されなかったのでしょうな。 >496
バトルが下手だったので、トップで逃げるレースをやる。
華奢なロータスで無理すれば当然リタイア。
ノントラブルで完走という条件なら3位以下も少ないはず。 クラークは、3位には6回なってる。これも25回の優勝と比べると少ないと
言えば少ないが、なんで2位には1回しかなっていないんだろう? >>498
ガス欠で3位に終わった1967年イタリアGPで、パンクで周回遅れになりながら、
猛追撃でトップに返り咲いたのを見ると、バトルにも強かったのでは? >>500
62年ドイツGPで、スタートで30秒出遅れ、追い上げて4位というのもあった。
>>501
晩年といっても、モスの引退はほぼ全盛期の32歳。
モス自身は引退後のインタビューで、クラークは現在最高の天才と評価している。 >>502
よく御存知で。
英文のクラークの伝記でもお持ちですか? >>438
超遅レスですが、
「ホンダのV12はV6+V62つのV6エンジンの真ん中でカム駆動、パワー取り出しだから<略>フェラーリはどうだっただろう?」
ジョー・ホンダ写真集「MONACO Grand Prix 1967」を見ると、ホンダ以外のV12つまりフェラーリ、マセラティとイーグルは吸気ラムパイプが片バンク6本ずつ等間隔で並んでいるので、クランク後端からパワーを取り出す一般的な方式かと思います。 >>504
良い写真集を持ってるね。
バンディーニの絶筆となった「出来る準備は全てやった云々」のカードは、
この写真集を撮影中に書いて貰ったんだろうな。 >>505
遅レスになりました。この本は模型製作の資料集という位置づけのようですが、ドライバーの写真も多く、楽しめます。コメントには少々疑問が残るところもありますが、45年も前ですのでそこはご愛嬌ということで)^o^(
ジョー・ホンダさん、モナコを頑張って歩き回っています。当時のタイヤや車の性能、公道ということもあるでしょうが、大カウンターステアで立ち上がっていく写真が何枚(クラークさんも)かあり、興味深いです。
クラークさん、33では最後の出走ですが、序盤にコースアウト、最下位から猛烈に追い上げ中にクラッシュ、リタイアとなってしまいました。 英語版Wikiの67年モナコGPの項目
http://en.wikipedia.org/wiki/1967_Monaco_Grand_Prix
によると、クラークはクラッシュというより、サスペンション破損で
リタイアしたらしい。 >>507
ジョー・ホンダさんの写真集でも「サスペンションの破損が原因でクラッシュ」と書かれています。
事故後の写真を見ると、右後輪があっち向いてホイ状態、左前のサスペンションが歪んでいるように見えるのとノーズカウルの左側が大きく破損しています。
緩い左カーブでコース右端に後ろ向きで止まっているので、(想像ですが)右のリヤサスペンションが壊れてスピン、右前部をガードレールか壁にぶつけたということでしょうか。
クラークさんは予選5位、2周目にコースアウトして最下位近く(巻末のラップチャートでは下から3番目の13位)に落ち、29周目に4位まで上がり、42周でリタイアとなっています。 >>508
リタイアの原因はサスペンション破損ですか。
クラークの頃のロータスは、やはり華奢だったのですかね。
しかし3Lエンジン車も走る中、2Lエンジン車でファステストラップを記録し、
13位から4位までポジションを上げるとは、同年のイタリアGP並みの追い上げ
を見せていたのですかね。
ところでこのモナコGP、同じチーム・ロータスでクラーク車がクライマックス
エンジンを使い、ヒル車がBRMエンジンを使っていたのは何故でしょうか? >>510
エンジンサプライヤーとの契約の問題があるから、そう単純とも思えない
のですが。 67年モナコだとBRMエンジンはH16かな?
やはりクラークが嫌がったじゃない。当時は今ほど契約の縛りがきつくないだろうし。
67モナコのヒルさんの車はシャシーNo R11、BRMの2リッターV8付きType33で、66年にロータスNo2のピーター・アランデルさんが乗っていた車です。
66年の主力になるはずだったBRMのH16付きType43はこの年1台しかなく、序盤の2戦のみアランデルさん、後半イタリアからクラークさんが乗りました。
同年中盤は43を引っ込めてアランデルをType33+BRM(クラークが序盤に乗った車のエンジンを換装)に乗せていました。
67年初戦の南アはクラークさん、ヒルさんともに43で出走、次のオランダで49のデビューが決まっていましたので、モナコには新たな車や装備を準備することなく、前年型33BRMを最後の奉公として引っ張り出したのだろうと推測します。
ちなみにモナコでクラークさんが使ったのは前年中盤にクラークさん自身が使っていた車です。 ロータスが66年(及び67年序盤)にクライマックスとBRMの2種類の2リッターエンジンを使った理由は不明ですが、H16の不調に対する代替としてBRMから提供受けあるいは安価で購入したと推測しています。
クライマックス社は65年限りでグランプリエンジンの新造をやめてしまい新エンジンの入手はできませんから、ロータスとしてもクライマックス付き33を2台走らせるほど手持ちエンジンの余裕がなかったのかもしれませんが。 凄く詳しく、有難うございます。
BRMのV8を引っ張り出していたのですか。
何年前に生産されたエンジン何だろう。
BRM2リッターV8は65年までの1.5リッター時代のエンジンの排気量拡大版です。bou_ckさんの「誰得」ブログ ttp://blogs.yahoo.co.jp/bou_ck/2001111.htmlにわかりやすく解説されています。1.5リッターのP56、新造2リッターのP60、P56からの改造版P60があるようです。
チーム・ロータスがBRMV8を使ったのは66と67年で、英語版wikiでは66年がP56 2リッター、67年がP60 2.1リッターと書かれています。67年モナコでのヒル車の写真を見ると、Vバンク内吸気ですから市販用ということでしょう。中古エンジンを調達した可能性はありますね。
ちなみに67モナコでのBRMワークスカーはバンク内排気、マクラーレンのF2ベース車はバンク内吸気でした。 >>512
>当時は今ほど契約の縛りがきつくないだろうし。
でもクラークは、ファイアストンとの契約上の義務で、68年4月8日にホッケンハイム
で開催されたF2レースに出場している。
この日に開催されたレースとしては、BOAC 1000km スポーツカー・レースの方が
ビッグイベントだったのに。こっちに出場していたら、事故死しなかったかも
しれない。 506さん、色々と詳しく有り難うございます。
資料は何をお持ちなのですか。 血波にBOAC1000kmレースのBOACとは
ブリテッシュ オーバーシーズ エアーウエ-ズ コーポレーションの略で御座居ます。
老婆心ながらwww。 >>513
もしかして「相当逝ってる」っていうコテの人?
>>519
BOACというと、グランプリドライバー/戦闘機パイロットのホイットニー・ストレートが代表を務めた会社だな。 漏れのカキコを観てクグッたのでしょ>>520www?。 >>518
ほぼ日本語版限定で、あれこれと買い集め読んできたつもりなのですが、転居を繰り返すうちに散逸してしまい、手元にあるのは、ジョーホンダさんの写真集数冊、クラシックチームロータスのカタログ?本、中村良夫さんの著作ぐらいです。
雑誌では66年ベルギーGPが載っていた号以降のオートスポーツ誌は78年頃までをすべて読んだはずですが、全部散逸してしまいました。従って曖昧な記憶を引っ張り出しながらWebをさまよっている次第です。 >>520
私はコテハンではありません、次にご本人らしき方が出ているので誤解は解けていますよね(^_^;) >>511
66〜67年のBRMエンジンに関して、ロータスとBRMはどういう関係だったんでしょうね。
1.5リッター時代はエンジンを作らないチームは代金を支払ってエンジンを買う顧客と思います。66年のH16及び2リッターV8搭載に関して、ロータスがフリーハンドを持つ顧客だったのか、拘束されるような契約があったのかはよくわかりません。
地元イギリス文献だとそういう話題が載っていそうな気もしますが、当方の能力では入手そのもの及び入手後の読解に問題がありそうです。 Wikiの日本語版に、運命のホッケンハイムのレースで、
>決勝直前、左後輪のダメージとエンジンのミスファイアを抱えていたため
とあるんだけど、それなら左後輪タイヤを交換してそうなもんじゃない?
>事故原因は左後輪タイヤのスローパンクチャーといわれている
というのにさ。 Wikiに書込む奴っていったい何様のつもりなんだ
間違いなくきちんと書込まれたものなんてほとんど存在しない
知恵袋とたいして変わりないのに信頼性が高いと錯覚してる奴大杉
まだアホ丸出しの知恵袋の方が良心的 ジム・クラークと同じ1936年生まれの母が、クラークの45回目の命日に当たる
今週の4月7日に亡くなったよ。 >>449
クラークは、トラブルの出やすい8000回転付近をなるべく使わずに走りきったとホンダの中村良夫氏は回顧していたと思う。 46回目の命日age。
ジム・クラークと同じ1936年生まれの母の一周忌… ロータス・エキシージ・クラークエディションとか出ないかな… 「天駆けるスコットランド人 ジム・クラーク物語」って本
内容知ってる人はいる? HEY GUYS
彼の伝記だろ。
国立国会図書館へ逝け。
観れるぞw。
COMING SOON。 伝記ではなく、自伝だよ。もちろんゴーストライターがいるのだろうが。
俺はお茶の水の古本屋で500円くらいで買ったが、
Amazonを見たら2万3000円の値段が付いていてビックリした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています