評論家の宇野常寛さん

「95年とか97年にどうやって現実に回帰するかとか人類補完計画とかどうやって人と繋がるかって話がシリアスだったのはよく分かるんだけど、今はもう人と人が繋がりすぎてるじゃん。どう考えても主題になり得ないんですよ。
四六時中ラインやってみんな接続されまくりなんだから、どうやって手を離すかの方がよっぽど現代的なテーマなのに25年前のテーマでそのままやってる。
最後にシンジとマリがお世辞にも栄えてるとは言えない山口県宇部の駅に降り立ってイチャイチャして終わるんだけど、たとえば坂元裕二だったら宇部の駅に降り立った二人ってのは第一話なんだよね。
あのあと2人は郊外の建売住宅を買って、イオンを往復してるうちにギクシャクし始めて、そっちの方が問題なわけじゃん。
この25年間に作られた物語っていうのはそういうことを描いてきたはずだったんだよ。
それを全部無かったことにして、作品の薄っぺらさをソーシャルな評価によって埋め合わせようとしてる」

「これって露骨に庵野秀明の私小説であることをアピールしてるじゃん。
結果的にそれが出てしまったとかではなくて、私小説として読ませることをかなり誘導してる。
庵野さんじゃなくて周りの人達がやってることかもしれないけど。
NHKのプロフェッショナルもそうなんだよ。
『庵野さん、鬱治ってよかったね』『エヴァ完結してよかったね』
『だから、シンエヴァンゲリオンは傑作なんだ』って評価がマジョリティの意見になってる。
でも、それって現実の評価じゃん。アニメの評価じゃないんだよ。
ソーシャルメディア内の好感度獲得ゲームに勝ってるだけで、テラスハウスと同じなんだよ。
テラスハウスはディレクションに失敗して悲劇的な結末になってしまったわけなんだけど、これは周到に情報統制とか文脈作りによってまんまと成功しているわけね。
アニメとしては面白くないのに」

//youtu.be/05jLINMFiZU