校則に合理性は必要ない。

校則に合理性が必要なら、どの学校の校則も同じようなものになるはずであるが、
実際には、灘、甲陽学院、東大寺学園、
関東なら筑波大学付属駒場、麻布、武蔵、筑波大学付属。
愛知なら旭丘など超エリート校ほど校則は緩く、
問題児が多い底辺校や成り上がり校になればなるほど校則が厳しい。

つまり、校則は、校則自体に意味があるのではなく、特に知力が弱い生徒に対して、
せめて社会のルールくらいは守ることができる人間になるようにするための
教育のための道具。

ルールを守ることが出来るようになるための教育のための道具ならば
むしろ、校則は理不尽なものほど意味があることになる。
合理的すぎて全ての生徒が当然に守るような校則では教育上の意味が無い。