■ 道徳教育 ■
外観の道徳より先にネットマナーから学ばせろよ 顔も見えんおっさんや餓鬼共に暴言吐かれんのが1番腹立つんだが >>694
他スレにも同じコピペ貼り付けてたじゃん、5chに顔晒してるお前も相当ヤバい奴じゃん、自分のしてる行為が岩崎以下だとそろそろ気づけよ たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 >>694
岩崎さんみたいな教師がいるところの高校に働きたくないんですが… >>693
そこにあるのは液晶のシミにすぎないではないですか?
ほんとうはそれ以外なにもないのです。
他人のことばに頭に来る人は、快楽をもとめているだけです。
快楽の追求は、侘びしさの否定から来るのではないでしょうか?
侘びしさを否定なく受け入れるのなら、そこにあるものは、もはやわびしさではありません。
完全な静寂です。
あなたは快楽ではなく、それこそを求めて、永劫の時間を苦痛の中をさすらっていたこと実感することでしょう。
怒ったら他人にぶつけずに、ぜひそれそのものとしてあってください。完全に怒りを自身に統合してください。
そのエネルギーを完全に自身に受け止められるのなら、もはやそれは怒りではありません。
そのエネルギーに焼かれるものはエゴイズムです、
すべて焼かれたあとに残るものは愛です。 >>696
頭は生命のことを理解できません。
頭が理解できることは過去の出来事だけなのです。
しかし過去を呼び起こし、未来もそうであると結論ずけるそれ思考は、
快楽の追求とそれを失う恐怖として生きていくだけなのです。
実際に「生きているもの」と一緒にいる人はほぼいません、世界に4人もいればいいほうです。
きっと莫大なネットの情報はあなたをなにも満足させないでしょう。
皮肉なことに我々は莫大な情報におかれていて、その結果がわかるので不安しか生まないのです。 生命が生き生きとするにはどうたらいいのか?
こうしたらうまくいくという方法はありません、教義もありません、
むしろ人間が開発してきたそれらが型にはまることそのものであって、
生命が生き生きとすることの阻害なのです。
子供が何時間でも我を失って、
花をみています、あるいは昆虫や動物、あるいは空や星を
我を失って、ただひたすら見ている。
成績にはなんにも関係ないことなので大人はそれをやめさせます、
彼らは成績はあがるかもしれませんが、生きていることや美を実感できなくなることでしょう
これをどうしてやろうこうしてやろうとまったく想うことがなく、
ただ黙っていつまでも見ていられるものはありますか? 社会とは複雑怪奇でその力は
個人では変えられないものなのでしょうか?
人間は恐怖がないように生きようとして社会をつくりだしましたが、
その社会というシステムに人間が脅迫されていていまや自由がありません。
いまや恐怖のなかで息をしているのです。
とても馬鹿げています。
最初に恐怖ではく、「自由」を置かないからです、
最初にあるものが社会のすべての人が受け取る結果にすぎません。
権力を持ち抑制を狙う人たちは、
最初の恐怖を置いてシビリアンコントロールをすることでしょう
人間はいまだにそれしか知らないのです。
しかし社会の最初とはなんでしょうか?
それはあなたと私の二人の関係でしかありません、
怯えに染まった社会を変えることとは、ある一人の人間から恐怖がなくなることです。 しかし恐怖をなくそうとして葛藤しないでください、
恐怖がいうことを善悪の判断なくすべて聞くときそれは自然と威力を消していくのです。
ですので、なにも強がることがない謙虚な人は、かえって恐怖からは支配されません なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 ほんとうになにも知らなかったのなら、なにもわからないのなら
どれほど自由に動けただろうか?
どうしたら正しいのかと正解を教え続けると、
それは人から自由を剥奪します。
俺は、結果を知らん! なにもうまいやり方など知らん! というのが自由です 公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止し
クズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! この恐怖でがんじがらめの世間は、うまいやり方のhowto本で溢れている
思考は、善悪優劣と、あれとこれとにすべて分離させて、
自分で怖い世界にしてしまったので、秩序を取り戻そうと道徳や宗教を考えはしたが、
善のために悪をつくりだす構造は妬みでしかなく、社会道徳の正体とは、ただの妬みそねみである。
それで平和を得ることは当然無理なのです。
思考はあれとこれの分離なのであって、
愛、すなわち自他まったく一緒であるときにある理解がない、
いまや肌色の違いでさえ恐怖しているのは滑稽ではないでしょうか?
どこの世界にも突然変異はなく、同じ脳構造をしている同じ人間がいるだけなのに、
なにか違いを見つけて恐怖することに必死です。
これからも秩序は思考が無いところから生まれて、
無秩序は思考やあらゆる思想から生まれることでしょう。 宗教は死後が、ああだのこうだのといいます、死について知り得たその情報が死の恐怖なのです。
宗教の教義をよく味わうといいのです、死ぬ時にはこうすればいいということは、なにも一切役に立たない。
当然のこと、世界の全部が消えた時に、あなたにあるものは、あなたである、
しかし世界の人間のほとんどにとってそれは恐怖でしかないのです。
なぜなら、最後に残ったあなたでさえも消えるものでしかありえないのだから。
なので、悪いことはいわない、宗教の慰めが一切なく思いっきり死に恐怖しなさい。
死そのものとなってごらんなさい、死の恐怖そのものとなってごらんなさい、
まったく逃げずに、すべてが終わることと一体となるとそれはまったく違うものです。
そのときに死ぬものとは、人間の過去すべての歴史の重荷です。
「こうすればいい」というものは、まったくどこにも存在しないでしょう。
それはすべての人間にとって最も幸福なことです。
しかしあらゆる恐怖であるあなた方は、
怯えにしか同意できずに、それすら憎むことでしょう、
どうぞ社会的権威や宗教的権威から怯えをもらってください。
こうすればいいのだと 明日、どうやったら上手く生きられるのか?
考え尽くせばいいのです、考え尽くして、もううまいやり方が出てこなくなる限界まで
うまいやり方を考えれば考えるほど、
それすべてが不安や恐怖で終わるのです
怖がるあなたに人間社会は理想を与えるが、
生きるすべての時間が苦痛で終わることでしょう。
これからも無秩序や恐怖は思考や思想から生まれて、
真の秩序は、思考が無いところから生まれます。 もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 >>710
極論としてはそうなのです。
我々は恐怖なく生きたいのに、
誰よりも上手く生きようとして常に恐怖の原因をつくりだしているのです。
明日のことを考えてください、それ全てが不安で終わるのであって、実際にあることを受け入れられません。そして理想的人物になるように絶え間ない努力が推奨されるのです。
それが道徳教育なのです。
あなたと違う誰かになりなさいといつまでもやっているのですが、
それではいつもでも愛がないのです。
愛は最初になければ、最後までありません。 ある学者が森にいる鹿の数は捕食者であるオオカミが決めていると言った
個別にしかみれない学者の完全な間違いである。
彼は森に入ったのに、森にはいない。
森に無数にある樹木の根ではりめぐされたニューロンネットワークは
木の実を生み出す数によって鹿の数を調整できる。
そこには、一切脳も思考もない。
実際はまったく脳がないものが生命の秩序そのものなのである。
脳と、脳がないものは、どちらが先に生まれたのだろうか?
思考とは、それが宇宙にロケットを飛ばそうと、本来は脳がないものの道具なのではないのか
記憶の集合体であり明日のことを考えないでいられない脳とは、
膨大なニューロンネットワークから外れてしまって、古いことから更新できなくなったバグにすぎない
それは苦しみを生み出す壊れたレコードプレーヤーだ。 脳以上の叡智があるのである。
どこにか? 何万年も人々は探し続けて彷徨っている。
そして極少数の何人かは見つけたようだが、それはまったく人々には理解されたことがない。
完全に未知のなにかである。
無数にはりめぐされたニューロンネットワークは、どこにも探さないことである。
なにも探さないで、早朝の澄み切った空気のように、ただそこにあればいい。
考える必要もなく、何かをする必要もない、すべて放棄して、
眼をつぶらずに、ただただ早朝となって澄み切っていればいいのだ。
なにもしないことである
さて、ある経済学者や政治家が、富裕層を富ませれば、中間層を富ませれば、経済は富むという。
彼は、生命に触れたこともなく、叡智にも完全に見放されている、頭で考えた試みはすべて失敗するだろう。
その失敗のツケの払い方は、スクラップリビルドの戦争しかしらないようだ。
澄み切った早朝が終わると、人間が古くから抱える貧しさと苦悩がはじまる
生命は、生命を生かそうと彼らなにも持たないものが生きることができるレベルにまで
経済の水準を下げることも上げることもできるだろう。
それは、学者がどんな手をつかっても、デフレ経済になろうがおかまいなしに、
なにもいっさい持っていない貧しき彼の生命のために働くのだ。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 何をやってもいいし誰も止めることはできない。
そこから感情の自分の範囲を超えた暴走を抑制するバランス感覚がテクニック。
時にその枠を踏み越えざるを得ない時があるにせよ。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 >>56
そもそも、道徳は良い悪いではない。行動(行為)と結果であって、そのいくつかある結果の価値観の葛藤が道徳
いじめ指導は道徳教育の中の人権教育
ただし、いじめの結果としてその行為は犯罪行為となる為100%悪いとする指導になる。
実際の社会
犯罪行為は犯罪行為
いじめにおいて無関係な者は居ない。犯罪の被害者と犯罪の実行犯、共犯者、傍観者がいるだけ。
問題は犯罪者を完全に取り締まる事が出来ない事
故に、それぞれの能力に応じて、自分自身を守る為の行動を取っている。被害者が端っこ的存在としての行動を取っているのは、その被害者の能力的に自己防衛する能力がそういう行動しかできないから。
こんな感じ? 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 私は成功して偉大な何者にかに成らないといけない、親からも先生からもそう教わってきた。
だからこの自分であることには我慢ならず向上に力をつくすのだ。
しかしそれはたいてい自殺の原因となるのでしょう
そのスパルタ国の人たちは、他人とどのような関係を築くのでしょうか?
自他誰もそれでいいと認められない極度に自己中心的な閉じられた社会になることでしょう
たとえ強力な精神(実はただの極度に閉塞的な精神)や
強い軍事力を持っても自己閉塞的な関係のなかでは滅亡するのです。 脳みそは、全人類に一つだけとんでもない幻覚を見せています。
「自分がある」と思わせることです。
それはどこにあるのでしょうか?
指を差して確かめてください、実際に触ってみてください。
どこにもなく、
どれもただのなんでもない人間がいるだけです。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 優良企業で正社員の内定を貰うには素行調査をクリアしないとダメ
企業にとっては高い買い物、無能だけならともかく犯罪をされたら企業イメージが失墜する
心理学における行動学
人間性テストや統計で判断される
素行調査でパチンコ店に出入りしたり喫煙を確認した時点で即切り捨て確定
統計的にパチンコスロットをしない者や非喫煙者のほうが良質な仕事ぶり、だと調査結果が出ている
素行調査は採用後も節目節目にある
出世に影響するし、迫害にも繋がる 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 色々考えてまうんが人間ってもん。人間ってそういうもん。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 道徳の教科書使って、子供評価するとか
マジで頭おかしい
仕事無駄に増えただけ
今のおっさん連中の道徳とか
テレビ見せられて、寝る時間だったやろ 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 ○平成29年の自殺者数は21,321人となり、
対前年比576人(約2.6%)減。平成22年以降、8年連続の減少となっている。
民主党の悪政から自民党の安倍政権に移り、毎年「減少」しています。
こういう「ウソ」に騙されないように気をつけましょうね!
「左翼は平気でウソつく」ということです。 捏造大好き朝日新聞!! 覚えておきましょう! 立場が上のものが容易く弱みを見せるのは子供の為にもならない。
大人は間違っていても謝らないもの。
失点は行動で取り返すもの。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
ネガティブな感情から生まれる問題意識は、例えそれが解消するとしてもネガティブな結果しか生み出さない。
人間とはそういうもの。 少しくどかったね。ネガティブ云々はどうでもいいや。でもそういうこと。
喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。. いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 処世は自分の感覚だけが頼りだと自覚すること。
何を通そうが譲ろうが、感覚や感情そのものに手を加えることはできない。 上下関係の垣根をとっぱらうことで、立場に見合った責任の重みを自覚することから逃げる人間は信用できない。
立場が上の人間の為すことが必ずしも正しくないからこそ、上は下からの突き上げを真っ向から受け止め、
下は上が従うに足る人間であることを見定める必要がある。民主主義だのグローバルだのはその後の話だ。
世間に対抗する言葉が見つからないのなら無理に自分を合わせる必要はない。
ただ、個人の規範倫理としてそこを軽く扱うのには、
どこかに何かをごまかそうという心理が働いていることは押し付けるでもなく指摘しておく。 ま、よくよく考えたら俺には全く関りのないことだな。
多分俺の人生に全くかすりもしない問題。俺とは関係ない。この感覚は大事だな。
矢面に立たされる人は気の毒とは思うが、自己判断で動いてもらうしかないな。 あらゆる物事に白黒をつけようと躍起にならないこと。
世の中にはいい加減にしておいた方がいいこともある。
間断なくせきたててくる世間の要請は要請として、必死にならないこと。 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。
時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 こういう時代のこういう国に生まれ育ったことに有難みを感じつつ腹をくくること。
社会に何の違和感も感じないのであれば、特に言うことはない。 信頼とは共に積み上げ共有したものの高さによって決まる。
自分を守るのは人との距離感のみ。 何を信じ何を遠ざけるかの判断は受け身の関係性からは生まれない。
相手の腹の中を自分からまさぐっていかないと、上っ面の好悪、立場を超えた関係は見つからない。 世の中はきれいごとだけでは回らない。
目先の損得勘定に優先する理想の存在も含めて、長期的視野に立った老獪な戦略性の必要。 後悔は萎縮、反省は改善。
自分の心の深くに根差した感覚は、誰がどう言おうと曲げないこと。 自分の中のドロドロした醜悪さを、まずは受け入れ許すこと。
あるものはあるものとして認め、先に進むしかない。 舌足らずで申し訳ない。許したところでそれが消えるわけではない。
やり場のない怒りは何かにぶつけ表現することでしか解消しない。生きるというのは面倒くさいものだね。
自分のやっていることの罪深さは自覚しているつもりだ。
だが俺は基本的に人生に取り返しのつかないことというのはないと思っている。
言うべきことがなくなればやめるまで。俺みたいな最下等の人間でも人生に何の疑いも持たずに生きている。. 怒りとは、湧き上がるそれに
これは「怒り」と名付けて、ゴミを散らかすように周囲に撒き散らかすことである。
自身で受け止めないことには、たえまない「分離」が起きるにすぎない。
自身と怒りを切り離して「怒っている私」をつくりあげることが葛藤の原因である。
実際は「怒り」だけが純然とあるのみであって、
「怒る私」は存在しない。それはあとから自身が生み出したイメージにすぎない。
「あいつが憎い、どうにかしなければ気が収まらない」
あなたはあいつのイメージをつくりあげつづけて、自分のなかに生まれたそのイメージを攻撃する。
なにしたって、無理である。撒き散らしたものが収まることはない。葛藤はイメージを作り出し続けるあなたにある。
「怒り」そのものに入り込み誰にも向けずに分離せずに、
その湧きだしてくるエネルギーと一体となるしか葛藤が止むことはない
「人生に疑いを持たず」それはただの信念への依存ではないだろうか?
宗教的でも国家的でも哲学でも思想でも、
信念を必要とする人は、実は慰めを必要としているのである
慰めを必要とするような「虚しさ」は、「虚しさ」と一体となり分離しないことである。 どんなつまらない人生でも、その人間なりに歩んできた道のりの重みがある。
ということを認めること。 過去をおろそかにしないこと。
自分を構成するものは様々な人に支えられて成り立っている。
生きているのではなく生かされているという自覚が持てるかどうか。 舞い上がった気持ちを抑えきれない向きは、一度吐き出すだけ吐き出して、
行く所まで行った方がいいのかもしれんな。
中途半端に押さえつけるのは心の健康に良くないのかもしれん。。 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない。
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 大事であれ小事であれ気負わず淡々と。
どんなに力み返っても壁にぶち当たる時は当たるもの。
その時は嫌でも悩むんだから。 物事を大仰に受け止めないこと。
どんな想定を超える状況に立ち至っても、結果はプロセスの一つの通過点に過ぎない。
自分の想定と現実の間に落差をつくらないこと。 どんなに切羽詰まった状況が見えてきても張りつめないこと。
これは原因を外部に求め取り除くことで解消するのではなく、ひとえに自分の心のありようの問題。
どんな状況でも心に緩みを持たせ、遊び心を忘れないこと。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 何か問題にあたる時は、自分の動機・プロセスをある程度筋道立てて言語化しておくこと。
人間は全て理詰めで動く生き物ではないが、心に整理された言葉があれば
状況・気分に一方的に流されることはなくなる。 困難な状況に向かう時は自分をドラマチックに演出しないこと。 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 どうしても人に悪意を向けざるを得ない時は正面から。
相手から反撃される可能性を奪わないこと。 弱みを見せることは恥ずかしいことではないよ。
あるものをないものとして扱うことはできない。
人間突っ張って生きていてもしょうがない。 もっとはっきり言えば、自信なんてもんが要らんねん。
そんなものにすがるから人間は自分が道を踏み外すことにも気づかへん。
努力や積み重ねは必要だとしても、一瞬で崩れ去るものと自覚すべきだな。 世の中の全てが自分の思い通りに動くというのは幸せなことではないよ。 その場その場で自分にできることに最善を尽くすこと。
失敗はあって当たり前。勝ちたいのも誰しも同じ。
勝つことにこだわり過ぎないこと。 あんまり楽々と越えられても困るってこと。
普通の人間がそこにたどり着くのには、どれ程の葛藤と闘わなければならないことか。
人生はそんなにお手軽なもんじゃないからね。 いつでもここに戻ってこれるように逃げ道を作っておくこと。 暗さ、弱さ、醜さ、それを認めることのできない自分を受け入れること。 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。
先生「道徳の授業を始めます。みなさん副読本の『アリとキリギリス』は読んで来ましたね?それでは廊下側の一番前の席のAさんから順番に感想を言って下さい。」
生徒A「はい、わたしは真面目にコツコツ働くのが大切なんだなと思いました。キリギリスみたいに働かずに歌って遊んでいてはいけない、アリのようにコツコツ働いて蓄えなければいけないんだなと思いました」
先生「はい、ありがとう。素晴らしい感想でした。みなさんAさんに拍手をしてあげましょう」
(拍手の音)〈パチ パ チパチ パチ パ チパチ〉
先生「はい、次はBさん」
生徒B「……わたしは毎日歌って暮らすことが悪いことだとは思いません。非効率的に肉体労働をしているアリを立派だとも思いません。
―――きっと、先生はお忘れなのでしょう、だから『アリとキリギリス』で道徳の授業をするのでしょう。
―――わたしの父は声楽家です。でも音楽ではとても生活費は稼げません。それどころかいろいろと経費が掛かるので持ち出しになっていることも多いです。
一家の生活費は祖父が残してくれた財産、不動産の賃貸料や株の配当金などで賄っています。
たとえ父の歌で得られる収入は少なくても、わたしは小さい頃から聞いていた父の綺麗な歌声が大好きで、わたしも将来は父のような声楽家になりたいと思っています。
でも、世間ではそんな父の歌を「金持ちの道楽」だの「稼げないならプロじゃ無い」だのと陰口を叩く人がいるのもわたしは知っています。
こう言うと「キリギリスは財産も無いのに働かずに歌っていたのが悪いのであって、財産があるなら自由にやって構わないんですよ」とおっしゃるかもしれません。
しかし私の父が最も嫌悪する共産主義者は「ただ金持ちの家に生まれたというだけで何不自由なく暮らす者がいて一方、貧しい家に生まれたというだけで代々資本家に搾取される労働者がいる。そんな不平等な社会は間違っている」と言います。
父はそんな不満を言う労働者を「怠け者だ」と言いました。「怠けて勉強しなかったから肉体を酷使する仕事にしか就けなかったんだ。我が家は祖父と父が学問を修め、知力を振り絞って築き上げた財産がある。それを子供や孫が受け継ぐのは当然の権利だ」と言いました。
――先生、怠け者はアリとキリギリスのどちらですか?」」 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。。 めんどくさいけど付き合っていかなあかんにゃなあ。やれやれ。,. 俺はやることはやるよ。どんなに風当たりがきつくてもな。
今の世の中、何かをやったつもりになってる奴ばっかりだ。. 俺の思うがままwそろそろ終わりが見えてきたな。やってられへんわ。; 通すべき筋さえ通せば、後は何やってもいいよ。
誰も自分を否定することはできない。 後は分からんことを分かったつもりにならないこと。それだけ。. めんどくさいことごちゃごちゃ考えずに生きたいように生きればいいんだよ。
そら色んなことあるわ。' 自分と他人の間に明確な一線を引くこと。
自分の問題は自分の問題。他人の問題は他人の問題。
揺れ動かない。 誰が何と言おうが今ある自分が自分。
無理に足掻かない。 人を奴隷として扱う者こそ、奴隷として扱われるにふさわしい。
生きものを物として扱う者こそ、物として扱われるにふさわしい。 上級国民のやりたい放題が道徳の日本、
こんな腐った国が改憲なんかしたら軍需産業を儲けさせるために真っ先に戦争、
高学歴の上級国民だけが良い思いをして、下級国民は前線で苦しむの見え見えだわさ。
こないだゴミ売り巨人軍の澤村拓一の暴行事件が話題になったが
同じ沢村でも不憫なんが沢村栄治やね。京都商業学校卒業後には慶應義塾大学への推薦入学がほぼ決まってたけど
ゴミ売りの正力松太郎が強引に口説いて同校を中退させて巨人入りさせた。正力は「一生面倒をみる」とまで言ったいう。
しかし、巨人は戦地から負傷(前線で手榴弾を多投させられた為の肩の負傷)して帰った沢村を解雇して約束は守らんかった。
NHKEテレで放送された「先人たちの底力知恵泉・選「野球が愛されるわけ 沢村栄治の挑戦」」によると
法律で学生が日米野球に参加できなかったため中退したとしてる。
また、2度も召集を受けたのは学歴が中等学校(旧制)中退であったからという説をとれば、
中等学校を中退しての巨人入りは沢村のその後の運命を左右してしまったと言える。
沢村は巨人から解雇を告げられた際、さすがに気落ちして父親に「大投手などと煽てられていい気になっていた、わしがアホやったんや」語ったが、
自分を責めるだけで正力や巨人に対する恨みごとは言わず、入営時には笑顔を見せてたらしい。
また、父親である沢村賢治は、戦後のインタビューで「栄治は中等学校中退だから。もし、卒業していたら、慶大に行っていたら、
こんなに3度も(召集が)こなかった。すべては私のせいです。」と涙ながらに繰り返したな。
https://youtu.be/OsWssJFAl44
https://youtu.be/oO5_FJEfi3I
http://buzz-plus.com/article/2019/05/08/otsu-ikebukuro-jiko-news/
https://outidesigoto.com/archives/24149
事故を起こして真っ先に息子に電話してフェイスブックのアカウントと携帯電話の解約をさせていたのに
「証拠隠滅の恐れがないので逮捕しませんでした」は無理がありすぎる。
事故処理よりも自分の個人情報の隠滅を優先するような人間は逮捕していいはずだ。
こんな腐った国から差別やイジメは無くならない。
https://entert.jyuusya-yoshiko.com/idu-taihosarenai/ 底辺ロリコンのスレ、ロリロリ、ロリロリ、ロリロリしたい底辺ロリコンのスレ、ロリロリ、ロリロリ、ロリロリしたい底辺ロリコンのスレ、ロリロリ、ロリロリ、ロリロリしたい底辺ロリコンのスレwwwwwwww 上級国民だけの秘密 武田邦彦
www.youtube.com/watch?v=sTpDm6icm_E http://e-freetext.net/hoshinokun_niruida.txt
道徳の教材に使われる『星野君の二塁打』。
道徳の授業では「監督の言い分が正しい。自己犠牲の精神を持つべきだ」という結論に持っていくのがセオリーらしいが
この話で監督の言い分で正しいのは、
「バントで山本君を二壘へ送る。これがあのときティームできめた作戰だつた。
星野くんは不服らしかつたが、とにかくそれを承知したのだ。いつたん承知しておきながら、勝手にヒッティングに出た。
小さくいえば、ぼくとの約束をやぶり、大きくいえば、ティームの統制をみだしたことになる。」
ここだけだと思う。「約束を破った。だからペナルティとしてもう試合には出さない」これだけなら完全に軍配は監督にあがる。
だが監督は余計なことを言い過ぎている。自己犠牲は尊いが、それは自主的に行うから尊いのであって、自己犠牲の精神を持っていないからと言って罰するようなものではない。自己犠牲を強いるのは"不道徳"に他ならない。
自己犠牲の尊さを教える方法は一つしかない。模範を示して「自分もこういうことができる人間になりたい」と思わせるしかない。
(でも、そういう意図をもって模範を見せて自己犠牲へ誘導するのは、意図があるということ自体がすでに道徳に反している)
それに星野君には打てないという監督の判断は結果的には間違っていたわけで、監督自身も「面白くない」と言っているし、どうにも面目を潰された腹いせが入っているように見える。
つまりこの話の教訓は「偉い人のメンツを潰してはいけない」ということになるように思う。 日本は残酷な国である
そしてそれを促してきたのが学校教育だ
協調が大事と言いながら個性を認めず出る杭を叩く教育=いじめの温床
戦時中は特攻隊員として国の為にたった一つしかない命を捧げることを強要し
生きて帰ってきただけで恥晒しの非国民
国に疑問を持つ者は治安維持法で迫害、虐待、虐殺
江戸時代には獄門や市中引き回しもやってた国が日本という国である
年間3万人の自殺者が依然出るのも日本が残酷な国だからである
この現実を直視し、それを元に日本から残酷慣習を廃して新しい国を作るべきである 中学時代は生きづらさのかたまりだった。
誰とも噛み合わない会話や、集団行動への嫌悪感からは、自分の社会性のなさを突きつけられるようだった。
学校も地獄、きっと大人になってからも私は社会で生きていけない人間なのだろう。
あの頃の恐怖は、大人になって居場所を見つけてからも拭いきれない。私は手放しで安心することはないし、何年も文章にすらすることができなかった。
中学生の時、なにもかもすべてがダメ、という感じだった。誰だって多かれ少なかれそうだったのかもしれないし、「そんなことない、楽しかった」という人もいるのかもしれない。
私にとって学校生活をそつなく送れる子たちは少し変で、ものすごく特別に見えた。
その子たちも、本当のところは何を思っていたのかわからないけど、もし本心は辛かったのだとしたら、私には辛抱強さが足らないのだと思う。
いずれにせよ、誰かと中学時代の話をすることはないので、私はいまだに少しだけ孤独だ。
●姫乃たま
1993年2月12日、下北沢生まれの地下アイドル/ライター。
アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。
16才よりフリーランスで地下アイドル活動を始め、ライブイベントへの出演を中心に、文筆業も営む。
そのほか司会、DJとしても活動。音楽作品に『First Order』『僕とジョルジュ』、著書に『潜行〜地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)がある。
7インチレコード「恋のすゝめ」「おんぶにダッコちゃん」をリリース。 ひろゆきが「本当に"頭"が貧相だなと思う」今どきの人物 日本の道徳教育を真に受ける人
https://president.jp/articles/-/51560?cx_referrertype=yahoo&yhref=20211108-00051561-president-soci
道徳の授業でも「悪い人」が存在することを前提にすべきです。 男子生徒だけ短髪 男女不平等
服装規制 人権侵害
誰にも迷惑かけない無意味なルールを強制するほうが人間的に道徳的に問題あるだろ 道徳教育なんかやってるのは日中韓だけ
やめちまえ道徳教育 太平洋戦争 敗戦
https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022120077_00000
>日本は帝国主義、占領政策を日本の自衛東アジア東南アジアを含めた大東亜共栄圏の建設により欧米の植民地から開放することとしていました。
>しかし実態は違いました。戦争継続に必要な資材供給地として占領地を支配、現地の人に過酷な労働を強制しました。
>そのため各地で日本に対する抵抗運動が起きました。 NHK高校講座 歴史総合
イスラエルとアラブ諸国との争い
https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022120154_00000
「でもさ、このアラブ諸国との争いと冷戦ってのはどういう関係があるの?」
「冷戦以降イスラエルがある役割を果たしている。
アラブ諸国がアメリカを中心とする資本主義国にとって都合の悪い政策を取り始めると、
それを叩くためにイスラエルが参戦する。まるで別働隊みたいにね」
「そっか、イスラエルはアメリカから支援を受けているからたくさん武器を持っているはずだよね。」
「うん。核兵器も保有していると言われている。イスラエルはそれを否定していないし、
アメリカは表向きは非難しているけど実は黙認してるんじゃないかって専門家もいるんだよ」 【悲報】教師ワイ、生徒たちに千羽鶴をおらせることに
tps://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1704207458/
1 名前:風吹けば名無し 投稿日:2024/01/02(火) 23:57:38.58 ID:owuwAJiA0
校長から学年主任に連絡があったことを今学年主任から聞いた
2 名前:風吹けば名無し 投稿日:2024/01/02(火) 23:59:09.35 ID:zgCTgWYY0
https://i.imgur.com/p1dwdCt.jpg
18 名前:風吹けば名無し 投稿日:2024/01/03(水) 00:05:18.45 ID:B2GE3arA0
学年主任から返信きた「文句があるなら5日の職員会議で自分で言いなさい」だってさ
36 名前:風吹けば名無し[sage] 投稿日:2024/01/03(水) 00:10:15.06 ID:B2GE3arA0
>>34
中学や
42 名前:風吹けば名無し[sage] 投稿日:2024/01/03(水) 00:13:17.15 ID:B2GE3arA0
>>37
絶対そんな感じの反論される
道徳の教科書に「千羽鶴に勇気をもらいました!」的な題材の物語が未だに掲載されとるからな NHK高校講座 歴史総合
第二次世界大戦
https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022120152_00000
>「ベトナムやフィリピンでは日本への抵抗組織が作られたり、快く思ってない人もたくさんいたの」
>「へぇ、そうだったんだ」
>「アジアの開放のためっていうのは大義名分で、戦争に必要な資源の確保をしたくて支配地域を広げていった」
>「日本の勝手な都合だよね」
>「そうだね。うーん。じゃあさ、日本には資源が少なかったの?」
>「そうね、アメリカが石油の輸出を禁止しちゃったこともあるからね」 【社会】日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482754278/
1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日本兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり食料強奪をしたりする事態を我慢できず、別の日本兵がその日本兵を殺害する出来事があった。
当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。
45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日本海軍兵や周辺住民から「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。
その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。
ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹による「悪行を目撃」した。「見るに堪えない。もう限界だ。同じ日本の兵隊として許せねえ」と殺意が湧いた。
海軍兵に「このまま見て見ぬふりできねえ。島民が殺されているんだぜ。やつさえいなければ皆なんとかしのげる。水も飲める」と殺意を明かした。
飯田さんは米軍との戦闘前、那覇市の住民宅で寝泊まりし、沖縄の人々から温かくしてもらったことへの「恩義」もあって「住民を殺す日本兵が許せなかった」と言う。ある晩、井戸で住民に嫌がらせをしている佐々木を見つけた。
人影がなくなったのを見計らい、軍服を引き裂いた布で拳銃を隠し持って近づき、水を飲んでいる佐々木の後頭部に銃を近づけ引き金を引いたという。
飯田さんは「全ては島民のためと思ってやったが、私自らの手で日本人をあやめてしまった。70年余たっても忘れられない」と話し、今でもつらい思いが残っていることを吐露した。
本島南部の激戦時、食料が尽きて飢えた日本兵が夜、米軍の陣地に忍び込んで食料を盗み、その帰りを待ち伏せた日本兵がそれを奪い、殺し合う事態も「よくあった」という。
「戦場では人間が人間ではなくなってしまう」と振り返る。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-417850.html 埼玉でクルド人排斥がエスカレート デモに住民抗議「ヘイトに罰則条例を」
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1057764.html
2024年2月19日(月) 05:40
外国人差別を各地で繰り返す卑劣なレイシスト集団「日の丸街宣倶楽部」が18日、
埼玉県のJR蕨駅近くでヘイトデモを行い、駅周辺の川口市や蕨市に多く暮らすクルド人を「出ていけ」と排斥した。