■ 道徳教育 ■
教員不正採用、食品偽装、裏金問題・・・
腐敗した世の中
生徒に道徳を説きましょう
大いに語りましょう
公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! 勝っても負けても自然体を貫くこと。
失敗は悔やむでもなく静かに省みること。
自分のスタイルはその中から形作られる。 勝ち組も負け組も死ぬことに変わりはない。
幸や不幸を墓の向こうに持っていけるわけではない。
であるなら与えられた条件をどう生きたかだけがその人間の価値を決めるのだろう。 人間は存在理由を求めます、あるいは存在価値です、
しかしそれを考えつく思考とはまったく存在しないのです。
はたして存在に理由など、必要なのでしょうか?
あなたの目の前にあるすべてのものに理由だの価値だのつけていくのでしょうか?
その人生は戦い以外にはないでしょう。
存在することに、理由を必要とすることは、どこから来ているのでしょうか?
それを多くの人は、宗教や国家や会社への献身度で測っているのです。
それはなぜなのでしょうか?
あなた方の文化でいうところの存在価値とは、
実は、どれもただの利用価値にすぎないのです。
そして利用価値が高い人ほど自殺するのです。 勢いに乗ってる時は強気一辺倒でいいのだろうが、
それだと不調に陥った時に自分の中の落差に対応できなくなる。
負けを織り込みながら調子を整えることを考える事が必要な時もある。
気持ちで押し切ることができる時とできない時があるということ。 あなた方の人間関係、私たちの人間関係とはなんなのでしょうか?
実際には、それは利用価値があるかないかにすぎないのではないか?
あなたの子供が画家になりたいと言ったらどうしますか?
あるは音楽家、あるいはそれがブッタやキリストで彼が知恵の実の破壊することを決意したのなら?
それは全力で止めなけれななりません、あなたの老後は無茶苦茶です。
なにがなんでも彼を公務員にしなければならなくなります。
で、なければ、家族には利用価値がないのです。
そもそも道ではない教師が教えているいまの道徳とはこれになるでしょう。
家族とは利用価値の関係になるのです。
ええ、あなた方はやはり死を避けれません。
利用価値の高い人間は無数にでましたが、
泡のように終わる人生の、その先の扉を開ける人が誰ひとりもいなかったのですw
彼はめでたく公務員にはなりましたが
どこを見ても「美」も「愛」も存在しない世界でうんざりすることでしょう。
腐敗の種は彼からでたものではなく、もっと前にありました。 愛国者の青年が障害者の施設に入って皆殺しにしょうとする事件がありました。
犯行におよんだ彼は特別変なわけではありません。
愛国者の頭のなかにあるものとは、なんなのでしょうか?
これも利用価値なのです。
そして愛国者は、自らの利用価値を上げるために非常に攻撃的になるのです
そこには彼の恐怖があります、彼は他人よりも利用価値があるように振る舞いをつづけなければなりません。
でなければ彼はいらない人となるのです。
愛国者とは、一体なにを愛しているのでしょうか?
それは人間ではないことは確かなのです。
ですから、あなたの頭がお国のためにと言っているときの思考の全過程をよく見てください。
それはあなたの恐怖にいわされているのです。あなたはその恐怖から狂った行動に移るのです。
愛国精神は、恐怖をなくしてはくれないでしょう。人間ではなく他の概念を愛するとき、それ自体が恐怖なのです。
お国のトップの一人いがいに、
人間関係を恐怖からはじめることになんの意味があるのでしょうか? >>646
虚しさを間近にみないように努力することが、混乱そのものなのです、
そこに問題があって虚しさが発生したのであれば解決しません。
怒りをあなたのものとして間近にみないようにすることが、混乱そのものなのです。
あなたは怒りそのものとしてありつづけ更にそこに溶け込み、他人にぶつけないことです。
それが怒りの終わりです。
嫉妬を間近にみないようにすることが、発狂的な混乱そのものなのです。
あなたは嫉妬そのものとしてあってそのもの自体になり、他人にぶつけないことです。
そこにクリエイティブなひらめきはあることでしょう。
生老病死、人間の悲しさを自分のものとして間近にみることが慈悲です。
それが生存問題の最終的な解決なのです。
あなたになにか間違った感情があるわけではなく、
それから逃げて違うものにしょうとするときに問題がおきます。
死には心底怯えてください、それが死の解決です。
もしユートピアを持ってくるのなら死んでも献金しつづけなけれないような恐怖がつきまとうことでしょう。 訓練によって、修行によって、権力を持ち他人を脅かすことによって
「恐怖を克服した」などと決していわないでください。
それが恐怖であることを悟るまで、恐怖それしかない中にいることになるでしょう。
努力によって恐怖を克服することはさらなる深い恐怖に落とし入れることなのです、
国家の正しい人、精神カウンセラーや宗教家やスピリチュアルリスト、教師がやっていることは、これなのです。
努力による解決は、決して善ではありません。 生み出すものは恐怖なのです。
なぜ日本人は自殺しつづけ、子供をつくらないのか?
それが絶え間ない努力の結果なのです。ですから、さらなる努力による解決はありません。
これが事実であることがわかるのなら、それが自殺や少子化や経済の解決でもあります。
ですが、専門家は、ユートピアを持ってきて死んでも献金しつづけなけれないような恐怖につきあわせることでしょう。 愛国者は、国を愛する前に、
人間を愛せる人でなければなりません。
俺が愛国者で、あとは愚かな人間だとは言ってはいけないのです。
その人は、人間を愛せません。
かえって、人間への憎しみから、神や国を愛しているのです。
そして概念への従属や強制があり、生きるものの自由を奪うことに尽力を尽くすのです。
愛国者は愛する順序が逆なので、残虐非道になるのです。
愚かな人間とは、なにがあなたと違うのですか?
どれも人間の歴史の結果なのであってその因果の現れなのです。
一切違うものはいません。
自身のなかみの残虐さに気づいているか、
国や神や成功者の概念によって自身の残虐さにまったく気づけないか
それだけです。 権力者は、国民の精神の標準化を行おうとします。
民主主義国家でありながら、政府は、道徳教育を通して、
あなたはこうあるべです、こうなりなさいと強要することになるでしょう。
民主主義は共産主義とまったく同じで、権威主義に堕落するのです。
権威によって、我々は機械的で限定された思考を持つことになります。
そして歴史が繰り返すように先進国でありながらその思考は行き詰まるのです、また愚かで自滅的な戦争に走るかもしれません。
ただ私達はこの限定に慣れています、この限定の繰り返しを「旧来の古い脳」は安全だというのです。
脳は現実とかかわらずに蓄積された古いイメージと交信しているので、そもそもが現実的ではないのです。
政府や教育者がいう、まともな人間になるというのはなんのことなのでしょうか?
精神の標準化によって、なにが起きるのでしょうか?
私たちは権威に対して「否」といわないのです、「否」といえないように教育されるのです、
ですので、すでに知っていることのうち側でしか思考は機能しなくなります。
すべての権威とは、過去の模倣を他人に強制させることで発生するのであって、新しいことのまっこうからの否定なのです。
ですから私たちは先進国に住みながらも新しくありません、
非常に古い人間を模倣することに専念しそれを善とするのです、
そして子供にそれを継続させることに人生をかけなさいというのです。
子供は、すぐに古いことで脳を埋め尽くすでしょう。
彼は世間的にいい子ですが、なにも発見しません。権威へ「否」といえないことは自殺の芽なのです。
それは家でも会社でも国家でも民族でも同じことでしょう。
精神の標準化による弊害を知らないことは破滅の道です。 言うまでもないことだが、好不調の波は感覚でつかむもので頭でどうにかするものではない。
常に100%の状態をキープすることなど不可能だということ。
勝負に勝つためのモチベーションもかける手間暇も、そういう認識に立てばまた違ったものになるのだろう。 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。
これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。
これは15歳までに起こります。
15歳までに知識を詰め込むのではない時間があることは非常に大事なことではないでしょうか?
これの発生に全国民と莫大な国家予算をかけて必死になっている国家も数知れずありますが、
恣意的なものはかえって成功しないのでしょう。そこに希望や理想があってはならないからです。
親や教師という身近な大人との人間関係や社会というあなたの外をみながら、あなたの中身にあるものにも注意していると、
人間の外面とその中身はまったく逆のものであることをみることでしょう。大人の外面的な強さとは、内面の精神の怯えによってです。
希望や理想を掲げる教師や親も、あなた方子供と同様に恐怖しています。
大人はいまや脅迫観念の塊と化していて彼らには恐怖を原因とした行為しかありません。
子供は、彼らの永らく求めている安全には、安全などまったく存在しないことを悟ることでしょう。
学校や世間、社会は競争していますが、あなたの外で起きているありとあらゆる暴力がその優劣の比較によるものであり、
人間を暴力から遠ざけようと努力するありとあらゆる思想や宗教でさえも、そのどれもが、「対立するものをつくりだしておいて排除する運動でしかない」ことを見抜くでしょう。思考とはそれだけなのかもしれません。そして服従の関係があるのです。そのどれもが暴力です。
その善悪優劣の対立するものをつくりだす思考の愚かさをみるとき思考は止みます。
この思考の絶望には、二元性の終わりがあるです。
思考は「明日への安全の希求で発生するもの」ではありますが、
その思考活動自身が不安や恐怖そのものなのであり限界を悟るので、数万年の思考の運動が一気に終わります。
安全への希求は完全に止むことでしょう。
恐怖から逃げるのではなく恐怖に直面することによって恐怖が消えると、
「あなた」と「私」との2つに分離するシステムはありません。あなたが消えると恐怖も消えます。 あなたが消えたそこには、以前のいくつかの文明もこの人類の文明も含む多重構造の言語情報に沿って、
受動的な量子的な振る舞いをする無数の微細な粒ではあるが、ただひとつの性質のものしかありません。
物質の存在性やリアリティは、それを観測するものの存在性と不可分なのであり、同質なのです。
絵に描いた餅にすぎないのか、よく味わえる餅であるのかは、それを観測するものの存在にかかっています。
現象がAIやスマホのなかのような二元的な情報にすぎないのか、生命をもちえるリアリティがあるのかは、観測するものの存在によります。
リアルに存在するとき、古いあなたと古い世界は同時に消滅することになります。
このすべての古い印象の消滅は、それ以前の因果との完全な決別です。
それがすべてであるものを見たのなら、あなたは死に招かれるのです。 もし生きているうちに
死そのものからその中にを招き入れられたのなら、
人間がひたすら蓄えてきたイメージをみます。
なかには中東の言葉をしゃっべていることもあるでしょう、肌色も性も違うでしょう、
しかし何千という生存を一望し、どれか永続したものはあったでしょうか?
どれも破断を免れない端切れのような断片でしかありません。
魂という永続する精神体はなく、それは死に耐えられない精神が恐怖から生み出した妄想でしかありません。
ただ全体として存在するものであるのか、それが見つめる泡と消える断片であるのかだけです。
無時間において、発生しては消える人間のそのすべてを一望したらいいのです、それを見ているのはエゴではありません。
あなたが自分の社会的な安全のために、見ないようにしてきた他人の不幸ですら、
あなたはそのすべてを完全になにも一切逃さずにみているのです。あなたの根本にある苦しみや恐怖とは、自分に快楽を与えることでは解消できません。
悲痛を見ないようにすることが、人間の苦しみなのです。
人間が死においてこのようなものをみるのは、
あなたの脳が、あなた一代で突然つくられたものではなく、
あたりまえのことですが脳とは歴代の人間たちの歴史の産物だからです。
なので、かえって、脳とは、どれも個性的であるとはいえません。脳に新種はなく、どれも同じなのです。
その中身はすでに死んだものがつくった古い抽象的なイメージでいっぱいであり、
古いことの繰り返ししかできません。
あなたにこうあるべきだと条件付けを告げるあなたの知性とは、
いま現に生存しているあなたのものであるとはいえないのです。
それは人間の快楽と不快の感情の記憶によって吹き出す隠れた過去であることでしょう。
それを自尊心とよんで闘争しますがそれはあなたのものではありません、名誉とは死人のものです。 いま現に存在するものとは、知識ではなく、権威ではなく、時間ではなく、
それらすべての絶滅によって、蘇ってくる生命です。
それは「なにも知りません」、それはなにも「あるべき解答」を持っていないので、解脱といわれています。
死を免れない原因である知恵の実もありません、こうあるべきというものがないのです。
あなたは、もう思考することをやめてしまうかもしれませんし、再び周囲をみて、そこに慈悲がもしわくのなら
ただのいち人間として、誰でもない人間そのものを最後の一回生きるかもしれません。
本来のあなたとは、なにも知らないので、
どれも、はじめから尋ねなければなりません。
ーーとは、なんだろうか?と
「こうあるべき」という善悪の対立ではなく、
まっこうから真剣に「問うこと」、
それが真の善性です。
権威から与えられる答えの模倣をやめて、まっこうから真剣に問わなければなりません。
なにか答えをほしがるのではなく、じいっと観察するのです、
まるであなたが見ているものになってしまうくらいにです
なにも知らない無垢なこどもがそうするように グダグダ言って現実逃避してないで、
毎週1時間ずつ確実に「特別の教科 道徳」をやっていけよ。
評価材料集めておけよ。 道徳とは善悪ではない。賞罰でもない。考えるそれ以前にある。 学校において道徳をおしえることで、イジメはなくなるのか?
ありえない。
教師は理想的フロンティアを妄想するのではなく
なぜ暴力をみないのだろうか?
暴力をみて暴力に語らせるのなら、そこには劣等感がある、劣等感を慰めるべき葛藤として様々な暴力がある
劣等感とはいつ生まれるのかといえば、「比較」によってである。
イジメの原因をつくっているのが、学校なのである。
不登校とは比較の場である学校からの自己防衛にすぎない。
ゆえに学校は、イジメも不登校も不良も自殺も無くせない。
ならば成績をつけることをやめるのか?
これもありえないだろう。
なぜなら教師や大人とは、そのすべてが恐怖しているのだ、
「自分の」人生を、将来を、老後を、子どもたちよりも更に深く深く恐怖している。
教師や大人は、理想の正体が実は恐怖であることをつきとめなければならないだろう。
明日を教えるあなた方とは、ただの強迫観念にすぎない。
子供は比較でおきる世間の無様なありようをありありと観察せねばならない、
人間の解消できずに世界中に混乱を撒き散らしている「みじめさ」とは、一体どこから来ているのか?
すぐに悟ることだろう。
そのときに、もう賞罰や比較は必要なくなる、
コンテストでトップになることにまったく意味はなく
あなたはもう現実とは戦わない。 私を誰だと思っているのだ?と叫ぶ人たちがいる
政治家や権威や権力者などなど
力を周囲に誇示しようとする君は一体誰のなのか?
その正体は「傷」だ。君は無数の「傷」による反発なのである。
あなたの欲しがっている強固な立場とは、「傷」をさらに深くすることであろう。
あなたが民族主義におちいると、さらに「傷」つつきやすくなるその防護は暴力になるだろう
あなたが民族主義的政治家になると、さらにさらに「傷」つつきやすくなる
あなたが民族主義的聖人的政治家になると、さらにさらにさらにさらに「傷」つつきやすくなる
あなたに肩書や権威があるほど、とても鈍感である。
隠す傷があまりに多すぎて、もう他人の痛みなどまったく理解できないだろう。
学校でもそれは同じだ。
人間はどうやったら「傷つかないでいられるのか?」
これは大事なことである。
鈍感でなければ務まらないような職務にいる人にとっても
彼らに傷つけられる子供たちにとっても
どこの「誰でもないこと」である。それは傷つけようがない
どこの「誰でもない」なら、あらゆることは自然に匠にやれるだろう
色即是空 空即是色 だが政治家は、あなた方に誰かであることを強制するだろう
彼らの一番の恐怖とは、「誰でもないこと」なのだ。
他国に自分の国を売り飛ばしてでも
権威ある誰かでありたい人たちであり、
権威ある人たちはもっとも国民が気をつけるべき人である。 独裁者というのは、いままで独りもいたことがない。
むしろ完全に独りで立っている精神ならばそこには愛がある。
独裁者はどこにもいないのだ。
権威を利用しようとする国民が多いときに
そこは独裁国家になるのである。
敗戦などで傷があり、傷を隠すようにプライドを求めるとき、
痛みのわかららない者に支配され従属することはめになるだろう。
痛みつけられることになる国民が、わざわざつくっているのが独裁者である。 鹿児島市下田町の森口病院の森口すすむは昨日も思考盗聴による電流攻撃をしました
心臓に痛みが走り非常に怖い感じがしました
これは傷害事件ではないでしょうか?
ラサール卒業生の森口すすむは思考盗聴により病院を隆盛させました
このことにラサールの同志はどう感じてるのでしょうか? 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止し
クズどもを皆殺しにすべきだ!!今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! 人との争いを避ける人間が必ずしも他人に寛容とは限らない。
そういう人は争うことへの免疫ができていないから、些細なことで争いに巻き込まれる。
心のキャパシティを広げる為にはまず争いを否定しないこと。 若干訂正
争いを否定しない→争うことを否定しない
人は実際に人に迷惑をかけていかないと人の心の痛みも分からない。 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 こう生きていないと幸せにはなりません
こうやって理想を与えられると子供は心を閉ざすのではないか
まったくそれは窒息しそうな話である。
成功方法を教えることとは、昔はこうだったから未来はこうであると限定することであり、
可能性の否定に従属させることである。
その幸せになる方法や根拠を語る道徳家や教師という人たちとは、
実は、自分が許容できないもので囲われていて、みじめさと恐怖の持ち主なのではないだろうか?
生き方などの強い信念を語る人にはまったく愛がなく、彼にあるものとは利用価値の無いものの排除だけである。
道徳的な彼は、すべての人間が、国民というとても「利用価値がある人物」にならないと、誰もが生命を脅されることになるという。
理想的な良き国民であろうとすればするほど、いついかなるときでも不安がつきまとい、強い指導者を欲しがることになるのだろう。
だが、外面的に強い彼の内面は、強者の精神ではなく、実際はあらゆることへの恐怖なのである。
人間の表面と内面の精神は、完全に真逆だ。強制的な彼によって、すべての生が更に恐怖にさらされることになるのである。
さあ愛国心を持ち給え、あるいは、私を誰だと思っているのかと周囲に吹聴し給え、
そのプライドというものを持った途端に、それは傷がつき、お互いに傷つけ合うものとして働くのだ。
あらゆるものや知識を集積して、あなたのプライドを満たし、あなたのイメージを守ろうとするものを
知性と呼ぶのだが、それをよく見れば、それはただの欲望であって、あなたの欲求不満を美化したものが、知性である。
人間の真実のありのままのあり方よりも、国家が重要な社会では、個人の生を認める多様性はなく、多様性がないのでどこの誰にとってもここという居場所はなく、
スマホのなかにだけ人生の居場所があって、外の実際の関係には心を閉ざした自殺的な社会であることだろう。
結局のところ国民的な人間関係とは、愛ではなく利用価値の関係でしかない。
社会の恐怖をつくりだしているのは、実のところ本当は誰なのだろうか? 君に素晴らしい理想を与えよう、絶え間ない成長だ。
だが、その絶え間ない戦いの果てに、君は自殺することになるだろう。
自殺とは、それも理想が生み出すものである。
なぜそうなるのだろうか? 生きることとは、
どこかいつかの遠くの偉人になるために葛藤することではなく、
いまいる君自身に落ち着き、ゆっくりとくつろぐことだからだ。
いまや死なないと、咲いている花でさえ見られることはなく、
いまや死なないと、まったく自分が許容できないもので周囲は囲われたままだ
どうしたらいいのか? 答えが一個もでなくなる限界まで悩みたまえ。
その苦しみは他人から与えれた答えや結果が原因だろう。
ところで、君は愛国者なのだろうか非国民なのだろうか? あるいはキリスト教徒か仏教徒か?
どちらかを選択したのなら、どちらかを排除しようとやっきになることだろう。
君が、「どこの誰でもないときにだけ」、
君はまるで風のようで無傷でいられる。まったく自然なそれが、正しい死だ。
私を誰だと思っているのか? と周囲にいう、
君は誰なのだと根掘り葉掘り絶え間なく個人情報を収集する、
社会でやっているこれら古いことの集積はすべて自殺的なことであって、
まったく新しい生命の息吹や、完全に未知なものや、創造性には接することができない。
あなたは、そもそも誰でもない
誰でもないので、傷つくものも傷つけるものも、はじめは一つも持っていなかったのだ。
どこの誰でもないときに、はじめて、他人との関係に愛がある。
それが死ぬことである。 自分がまともな生活ができるだけの金があればそれでいい。
身の程を弁えない幸運は精神のバランスを崩し必ずしも幸せが保証されるものでもない。
自分がその幸運を手に入れるに足る人間かどうかは自省する必要があるだろう。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 文部科学省はバカの集まり。全員処刑しろ!
いじめ相談員wwスクールカウンセラーww
こんなの無駄!!この世から公立学校を無くせ!!
クソ公務員による道徳教育が大間違い!!
ゆとり教育も公僕が楽をする為にやったこと!!
公務員に道徳教育は絶対にできないww
公立学校はクズどもの集まり、いまの日本の教育システムを
ブッ潰し教育に効率の良い学校システムへつくり変えよう!!
税収入の為のキズナwwみせかけ福祉ww偽善教育の得意技!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!! 勝ちだの負けだのないんです、
それは理想のなかにあるだけです。理想にはすべての人間が負けることでしょう。
死にすら理想を抱いている始末で、すべての死には恐怖しかありません。
人間みんな幸福になりたいんです。
でもそれは理想や希望のなかにはないでしょう、そこには葛藤があるだけです
なのにきっと大人からは、それを乗り越える努力をしなさいと幸福はないといわれることでしょう
さあみてください、その理想があって、葛藤があって、死ぬまで努力する世界を、
腐敗と混乱と暴力が日々を覆っているのではないでしょうか?
その世間が、なぜ努力がいることを推奨するのでしょうか?
大人は、いまやただの強迫観念の塊です。世界中の大人がです。
思考とは、安全への希求から生まれました、
ですが、明日どうしたら安全に生きられるのか考えてみてください、
その結果に得るものは「不安」のみです。
強迫観念は努力だの敵だのを生み出しますが、それはまったく破壊的なものでしかりません。
社会はいまや空前絶後のカオスです。
ここでは、いまいる君自身に落ち着き、ゆっくりとくつろぐことはできないでしょうか?
完全に落ちつているときの君の思考は、明日への不安のなかで動き続けることをやめて
本来の思考のあるべき場所に戻るのではないでしょうか?
すなわち思考には、脅迫観念で頭がいっぱいになり働き場所をなくしてしまうのではなく、
本来の場所にあるならば、宇宙へロケットを飛ばし火星で未知のものを探すという偉業でさえ可能なのです。 私達には理想が必要なのか?
すべての人間の、各々のなかに、恐怖なく落ち着く場所が必要なのかはあきらかなのです。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 なぜ成功することから逆算して、いまの自分を罰しなければならないのでしょうか?
それが教育なら教育とは変なシステムだと思いませんか?
それをさせているのは恐怖であり、
自発的に物事を考えるのではなくすべての関係を萎縮させます。
一億人のなかで数人が総理大臣になって周囲に権力を振るう、
あるいは経営者と成功し財を成したとします。
それで最後の最後に、その成功者たちは
為すべきは為したといえるのでしょうか?
彼らは死ぬときに、完全に死とは無縁のものとはまだ一度も出逢えていないのです。
むしろ「誰でもなくなること」を最も恐れているのは、彼ら宗教的にも社会的にも成功者なのです。
彼らの死は恐怖のなかです。それとしか付き合ってこなかったのです。
さて「誰でもない」ときにあったものとは何でしょうか?
自由、情熱、絶え間なく事実のみを観察すること、まったく新しいことの創造に必要なものばかりです。
成功することから逆算して、いまの自分を罰することは、これらの否定ではないでしょうか? こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。 常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 軍師 「地震 対策」
土砂くずれの前兆→
@小石がふるA異常な音がするB地鳴りがする!
C水がふきだす!!
これらがおこると必ず土砂くずれがおきます!
はやく、逃げてください!はやく、避難(ひなん)してください!!
カンタン・トイレ →便器に大きなゴミ袋をおき、中に「新聞紙」
や猫砂(ねこずな)をいれる!!
【スマートフォン・ケイタイ】
スマホの明かりを暗くする!A電気をこまめにきる!(節電)
Bスマホを「機内(きない)モード」にする!!
C車のシガーソケットでスマホの充電(じゅうでん)をする!
Dみんなで、スマートフォンの充電できる場所を教えあってください!
軍師 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと 制服をアルマーニにして貧乏人の子供は小学校にも入れなくすること
制服を買えないような父母を責めて、その地域にも居られなくすること
これが日本の道徳教育なのです。
ですが彼ら民族主義者は最後に安住の地に入れるのでしょうか?
最後に一片も残らないように粉砕されるべきものがなにかまったく知らないのではないでしょうか
汝己を知れと生まれてきて
誰でもない人は幸運です。死すべきものがありません。
誰でもない人には、あれとこれに分ける差別がありません、愛があります。
誰でもないそれは、ただのありふれたひとりの人間ですが、それが全体なのです。
私を誰だと思っているんだ? と偉い人たちがいいます。
思考がなけれな思考者はいないのです。ですからそもそも「私」は存在しえません。
「私」がいないときに、はじめてリアルに存在するものとして在るのです。
それはどこの誰でもないってことです。 >>690
あるアスリートが理想的な精神状態になるために集中をするというのです
ある僧侶は理想的な精神状態になるために厳しい修行をするというのです
しかし実際は、なにをやっているんでしょうか?
一点を見つめて、彼は、
その他のことを除外しているだけなのです。それは不注意であって、かえってすべてに鈍感になることなのです。
最高度に研ぎ澄まされている精神とは、
正直に自分が眠いとか、いまは不注意であるとか、いまは疲れているとか、正直に気づいていることです。
鈴虫が鳴いています、雨が降ってきます、秋の風が吹いてきます、すべてあなたに染み渡ります
なにもいっさい除外しないで、なにもしないで、すべてが流れるままでいてください
いま起きつつある全体的な流れのままであることが
最高度に鋭敏な精神ではないでしょうか
精神には力も集中もいりません、それら不自然なことはいらないのです。
それらは全体でいることの妨害であり緊張し萎縮するだけです。
まず、くつろいでください 外観の道徳より先にネットマナーから学ばせろよ 顔も見えんおっさんや餓鬼共に暴言吐かれんのが1番腹立つんだが >>694
他スレにも同じコピペ貼り付けてたじゃん、5chに顔晒してるお前も相当ヤバい奴じゃん、自分のしてる行為が岩崎以下だとそろそろ気づけよ たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 >>694
岩崎さんみたいな教師がいるところの高校に働きたくないんですが… >>693
そこにあるのは液晶のシミにすぎないではないですか?
ほんとうはそれ以外なにもないのです。
他人のことばに頭に来る人は、快楽をもとめているだけです。
快楽の追求は、侘びしさの否定から来るのではないでしょうか?
侘びしさを否定なく受け入れるのなら、そこにあるものは、もはやわびしさではありません。
完全な静寂です。
あなたは快楽ではなく、それこそを求めて、永劫の時間を苦痛の中をさすらっていたこと実感することでしょう。
怒ったら他人にぶつけずに、ぜひそれそのものとしてあってください。完全に怒りを自身に統合してください。
そのエネルギーを完全に自身に受け止められるのなら、もはやそれは怒りではありません。
そのエネルギーに焼かれるものはエゴイズムです、
すべて焼かれたあとに残るものは愛です。 >>696
頭は生命のことを理解できません。
頭が理解できることは過去の出来事だけなのです。
しかし過去を呼び起こし、未来もそうであると結論ずけるそれ思考は、
快楽の追求とそれを失う恐怖として生きていくだけなのです。
実際に「生きているもの」と一緒にいる人はほぼいません、世界に4人もいればいいほうです。
きっと莫大なネットの情報はあなたをなにも満足させないでしょう。
皮肉なことに我々は莫大な情報におかれていて、その結果がわかるので不安しか生まないのです。 生命が生き生きとするにはどうたらいいのか?
こうしたらうまくいくという方法はありません、教義もありません、
むしろ人間が開発してきたそれらが型にはまることそのものであって、
生命が生き生きとすることの阻害なのです。
子供が何時間でも我を失って、
花をみています、あるいは昆虫や動物、あるいは空や星を
我を失って、ただひたすら見ている。
成績にはなんにも関係ないことなので大人はそれをやめさせます、
彼らは成績はあがるかもしれませんが、生きていることや美を実感できなくなることでしょう
これをどうしてやろうこうしてやろうとまったく想うことがなく、
ただ黙っていつまでも見ていられるものはありますか? 社会とは複雑怪奇でその力は
個人では変えられないものなのでしょうか?
人間は恐怖がないように生きようとして社会をつくりだしましたが、
その社会というシステムに人間が脅迫されていていまや自由がありません。
いまや恐怖のなかで息をしているのです。
とても馬鹿げています。
最初に恐怖ではく、「自由」を置かないからです、
最初にあるものが社会のすべての人が受け取る結果にすぎません。
権力を持ち抑制を狙う人たちは、
最初の恐怖を置いてシビリアンコントロールをすることでしょう
人間はいまだにそれしか知らないのです。
しかし社会の最初とはなんでしょうか?
それはあなたと私の二人の関係でしかありません、
怯えに染まった社会を変えることとは、ある一人の人間から恐怖がなくなることです。 しかし恐怖をなくそうとして葛藤しないでください、
恐怖がいうことを善悪の判断なくすべて聞くときそれは自然と威力を消していくのです。
ですので、なにも強がることがない謙虚な人は、かえって恐怖からは支配されません なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 ほんとうになにも知らなかったのなら、なにもわからないのなら
どれほど自由に動けただろうか?
どうしたら正しいのかと正解を教え続けると、
それは人から自由を剥奪します。
俺は、結果を知らん! なにもうまいやり方など知らん! というのが自由です 公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止し
クズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! この恐怖でがんじがらめの世間は、うまいやり方のhowto本で溢れている
思考は、善悪優劣と、あれとこれとにすべて分離させて、
自分で怖い世界にしてしまったので、秩序を取り戻そうと道徳や宗教を考えはしたが、
善のために悪をつくりだす構造は妬みでしかなく、社会道徳の正体とは、ただの妬みそねみである。
それで平和を得ることは当然無理なのです。
思考はあれとこれの分離なのであって、
愛、すなわち自他まったく一緒であるときにある理解がない、
いまや肌色の違いでさえ恐怖しているのは滑稽ではないでしょうか?
どこの世界にも突然変異はなく、同じ脳構造をしている同じ人間がいるだけなのに、
なにか違いを見つけて恐怖することに必死です。
これからも秩序は思考が無いところから生まれて、
無秩序は思考やあらゆる思想から生まれることでしょう。 宗教は死後が、ああだのこうだのといいます、死について知り得たその情報が死の恐怖なのです。
宗教の教義をよく味わうといいのです、死ぬ時にはこうすればいいということは、なにも一切役に立たない。
当然のこと、世界の全部が消えた時に、あなたにあるものは、あなたである、
しかし世界の人間のほとんどにとってそれは恐怖でしかないのです。
なぜなら、最後に残ったあなたでさえも消えるものでしかありえないのだから。
なので、悪いことはいわない、宗教の慰めが一切なく思いっきり死に恐怖しなさい。
死そのものとなってごらんなさい、死の恐怖そのものとなってごらんなさい、
まったく逃げずに、すべてが終わることと一体となるとそれはまったく違うものです。
そのときに死ぬものとは、人間の過去すべての歴史の重荷です。
「こうすればいい」というものは、まったくどこにも存在しないでしょう。
それはすべての人間にとって最も幸福なことです。
しかしあらゆる恐怖であるあなた方は、
怯えにしか同意できずに、それすら憎むことでしょう、
どうぞ社会的権威や宗教的権威から怯えをもらってください。
こうすればいいのだと 明日、どうやったら上手く生きられるのか?
考え尽くせばいいのです、考え尽くして、もううまいやり方が出てこなくなる限界まで
うまいやり方を考えれば考えるほど、
それすべてが不安や恐怖で終わるのです
怖がるあなたに人間社会は理想を与えるが、
生きるすべての時間が苦痛で終わることでしょう。
これからも無秩序や恐怖は思考や思想から生まれて、
真の秩序は、思考が無いところから生まれます。 もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 >>710
極論としてはそうなのです。
我々は恐怖なく生きたいのに、
誰よりも上手く生きようとして常に恐怖の原因をつくりだしているのです。
明日のことを考えてください、それ全てが不安で終わるのであって、実際にあることを受け入れられません。そして理想的人物になるように絶え間ない努力が推奨されるのです。
それが道徳教育なのです。
あなたと違う誰かになりなさいといつまでもやっているのですが、
それではいつもでも愛がないのです。
愛は最初になければ、最後までありません。 ある学者が森にいる鹿の数は捕食者であるオオカミが決めていると言った
個別にしかみれない学者の完全な間違いである。
彼は森に入ったのに、森にはいない。
森に無数にある樹木の根ではりめぐされたニューロンネットワークは
木の実を生み出す数によって鹿の数を調整できる。
そこには、一切脳も思考もない。
実際はまったく脳がないものが生命の秩序そのものなのである。
脳と、脳がないものは、どちらが先に生まれたのだろうか?
思考とは、それが宇宙にロケットを飛ばそうと、本来は脳がないものの道具なのではないのか
記憶の集合体であり明日のことを考えないでいられない脳とは、
膨大なニューロンネットワークから外れてしまって、古いことから更新できなくなったバグにすぎない
それは苦しみを生み出す壊れたレコードプレーヤーだ。 脳以上の叡智があるのである。
どこにか? 何万年も人々は探し続けて彷徨っている。
そして極少数の何人かは見つけたようだが、それはまったく人々には理解されたことがない。
完全に未知のなにかである。
無数にはりめぐされたニューロンネットワークは、どこにも探さないことである。
なにも探さないで、早朝の澄み切った空気のように、ただそこにあればいい。
考える必要もなく、何かをする必要もない、すべて放棄して、
眼をつぶらずに、ただただ早朝となって澄み切っていればいいのだ。
なにもしないことである
さて、ある経済学者や政治家が、富裕層を富ませれば、中間層を富ませれば、経済は富むという。
彼は、生命に触れたこともなく、叡智にも完全に見放されている、頭で考えた試みはすべて失敗するだろう。
その失敗のツケの払い方は、スクラップリビルドの戦争しかしらないようだ。
澄み切った早朝が終わると、人間が古くから抱える貧しさと苦悩がはじまる
生命は、生命を生かそうと彼らなにも持たないものが生きることができるレベルにまで
経済の水準を下げることも上げることもできるだろう。
それは、学者がどんな手をつかっても、デフレ経済になろうがおかまいなしに、
なにもいっさい持っていない貧しき彼の生命のために働くのだ。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 何をやってもいいし誰も止めることはできない。
そこから感情の自分の範囲を超えた暴走を抑制するバランス感覚がテクニック。
時にその枠を踏み越えざるを得ない時があるにせよ。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 >>56
そもそも、道徳は良い悪いではない。行動(行為)と結果であって、そのいくつかある結果の価値観の葛藤が道徳
いじめ指導は道徳教育の中の人権教育
ただし、いじめの結果としてその行為は犯罪行為となる為100%悪いとする指導になる。
実際の社会
犯罪行為は犯罪行為
いじめにおいて無関係な者は居ない。犯罪の被害者と犯罪の実行犯、共犯者、傍観者がいるだけ。
問題は犯罪者を完全に取り締まる事が出来ない事
故に、それぞれの能力に応じて、自分自身を守る為の行動を取っている。被害者が端っこ的存在としての行動を取っているのは、その被害者の能力的に自己防衛する能力がそういう行動しかできないから。
こんな感じ? 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 私は成功して偉大な何者にかに成らないといけない、親からも先生からもそう教わってきた。
だからこの自分であることには我慢ならず向上に力をつくすのだ。
しかしそれはたいてい自殺の原因となるのでしょう
そのスパルタ国の人たちは、他人とどのような関係を築くのでしょうか?
自他誰もそれでいいと認められない極度に自己中心的な閉じられた社会になることでしょう
たとえ強力な精神(実はただの極度に閉塞的な精神)や
強い軍事力を持っても自己閉塞的な関係のなかでは滅亡するのです。 脳みそは、全人類に一つだけとんでもない幻覚を見せています。
「自分がある」と思わせることです。
それはどこにあるのでしょうか?
指を差して確かめてください、実際に触ってみてください。
どこにもなく、
どれもただのなんでもない人間がいるだけです。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 優良企業で正社員の内定を貰うには素行調査をクリアしないとダメ
企業にとっては高い買い物、無能だけならともかく犯罪をされたら企業イメージが失墜する
心理学における行動学
人間性テストや統計で判断される
素行調査でパチンコ店に出入りしたり喫煙を確認した時点で即切り捨て確定
統計的にパチンコスロットをしない者や非喫煙者のほうが良質な仕事ぶり、だと調査結果が出ている
素行調査は採用後も節目節目にある
出世に影響するし、迫害にも繋がる 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 色々考えてまうんが人間ってもん。人間ってそういうもん。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。