野村監督みたいな学校の先生

ダラダラと板書してそれを時間をかけて選手にダラダラ写させて、「ハイ、ウチはこんなに字を書かせてます。ノートをたくさん使いました。アタマいいでしょ? アタマ使ってますから」
などと、高卒のヒガミを野球のミーティングでしたように、
中学や高校の国語(古典)や社会科(歴史・倫理)の教師として「野村の考え」の国語バージョンや社会科バージョンが炸裂。

しかし、今の中学生や高校生はゆとり教育に伴う学力低下がひどくなっており、またノートの取り方や板書事項の写し方を小学校の頃からロクに教えてもらってないため、野村先生がダラダラと黒板に字を書いても、
書く作業に慣れてなく、年々書く技術も衰えている生徒たちに、野村先生が書くスピードに生徒らは追いつかずに写しきれずじまい。
プロ野球監督時代に得意だった「ハイ、ウチはこんなに字を書かせてます。ノートをたくさん使いました。アタマいいでしょ? アタマ使ってますから」
をやろうと思っても、今の学校の授業では思うように事が運ばず、野村先生はイライラ。
一方で、携帯でメールを打つのは早いが、字を書くのは遅いから、ダラダラと書き写す作業に対し、活字離れとキレる・ムカつくが重なっている世代ゆえ、野村先生への授業に今どきの生徒たちの不満が炸裂。

野村がヤクルト監督に就任した頃の中学・高校は中年教師(昭和1桁など戦前生まれ)が多く、授業も野村のミーティング同様に、どの座学教科でも教師が黒板に書いた内容を生徒らが必死にノートに写していくのが主流だった。
勿論、管理教育により生徒が教師に逆らったり授業に不満をぶつけたりすのはご法度とされていた時代である。
しかし、95(平成7)年頃を境に、中学や高校での学校教育は次第に変化していき、野村が阪神に行った頃には、浦島太郎の状態に陥ってしまう図式となる。

したがって、「野村再生工場」の野村監督は、学校教師として現代っ子の生徒の学力を再生できずに終わる。
野村は、教師として阪神時代と同じ目に遭い「ヤクルト組の生徒は大人だったが、阪神学級の生徒は子供だった」とボヤき、「名監督イコール名教師あらず」などと皮肉られて学校を後にした。

※最近の生徒は、黒板の字をノートに写すスピードなどが年々落ちている事実、嘘だと思うなら、現場の学校の先生に訊いてみてください。