モリサワにとっては写植は手段であって目的ではなかったってだけ。
書体を提供することが目的なので個人で出力できるDTPは理想だったんだろう。

研修を行い(写研が考える)正しい組版が出来ることを求めた写研には
組版を提供することが目的なので個人が出力できるDTPは悪夢だったんだろう。