レ、レ、レ、レタッチマン!今が出番だ!
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いや、出番はないんだが・・・、どこへ行ったレタッチマン! フィルム。文字で書くとこうだけど、みんな「ふいるむ」と発音してた。 フィルムにも様々な種類があったな。合成用。返し用。キモリス。ストリップ。
あとオートポジの使い方がイマイチ分からなかった。本来は色調直しに使う物
だけど、そこまでするなら再スキャン頼んだ方がいいし、専らかげ文字の
台紙用に使用してた。勿体無や〜。 入社した日だけ定時で帰り、次の日にはいきなり駅まで走ってなんとか終電で
帰ったのを覚えてる。
半年1回だけ定時で帰れて、あまりの嬉しさに駅までくるくる廻りながら歩いて
周りの人に笑われた。ひさびさに早く帰れるが何しようかと色々考えたが、
結局は普通にメシ食ってテレビ見てゲームして風呂入って少し早めに寝た。 ちょっとアニメに興味あって、アニメで使う小型ライトボックスが家にあるので、
こっそり分解ネガを返して複版し、見当合わせを楽しんだ。 入社するまでは昼寝なんてめったにしなかったのに、毎日毎日8時から12時まで
働かされ、いつしか昼寝が日課になってしまった。 真にすまん。8時から24時までだ。
ついでに言うと昼寝はガチでみんな枕と毛布を持参して机の引き出しにしまっていた。
無い人は古くなった原稿管理のビニール袋にプチプチとか詰めて簡易枕作ってた。 何回も手直しで色調直して駄目だしされると「レタッ恥」と言われて罵倒された。 初校はともかく、再校はやり過ぎなくらいがいいと思う。
それをちょっとずつやっても、なかなかゴールにたどりつけない。
行き過ぎて戻る方が結局は早いと思う。 製版機械(スキャナーとか)のカタログがテーブルの上に置いてあったのでチラっと
拝見したら、ポジフィルムの面付けの自動見当合わせ貼り込み機みたいなのがあったのを
覚えてる。どんなのか知ってる人いますか? でも、そんなのよっぽどの大手じゃないと
使わないだろうし基本人力でやるよなー・・・ ネーム台紙のネガをセットする時微妙なサイズだと四つ切りと尺二にするか迷った。
同様にBサイズとAサイズも迷った。 プリンタで合成する時間違えないように各フィルムに色丸シールを貼ってたが、
DTPになりその必要性も無くなりメーカーは売り上げは急降下になり賞与も減った
ことであろう。 初めてAGFAゲバルトフィルムを見た時は驚いた。ベース面が紫、膜面が青緑。
ちょっと感動した。
あれって単に科学薬品の色なのかな。 絵柄の点数が多いと画像貼りの効率をよくするため「デュープ」をリバーサルから
起こして作成してたが、切り抜きだとほとんどトリミングが合わなかったため、
切り張りするので全く意味が無かった。それにプラスして色調もオリジより少し
劣化するため、結局再分解時にオリジからスキャンし直し切り抜きし直しで
散々だった。 昼ご食べる時にストリップコート(赤ストとも呼んでた)に挟んであった
薄い紙をライトテーブルに敷いて大活躍してた。課によってはコピー紙の
代用にして経費削減してた。
あと、床掃除の時にヤレベースかフイルムをテープで貼ると埃が集めやすく
チリトリよりこっちの方がデフォだった。 ここはマッキントッシュに負けた「オヤジたちの戦後」スレですか?
というのは冗談ですが、わたしも1つ。
1985年に東京に震度5の地震があった。
そのとき、自動現像機の現像液と定着液が混ざったのではないかと、
ビル内の各所で大騒ぎになった。
結局多少混ざったかもしれないが、ちゃんと現像できるので
レタッチャーは早く帰りたいので、フィルムを流し始めてしまい、
チェックを担当したやつらはだんまりを決めた。 でーにほんの委託で働いていた。
所属は写真製版第一課。
刑事ドラマの捜査一課みたいでかっこいいと思った。 委託っていわゆる「受け取り」とは違うんですか?
受け取りさんって、80年代前半は月100万くらい稼いでいたけど、
90年代は仕事なくなったはず。 委託と受け取りは違います。でーにほんに設備(フィルムなどの資材)を全て借りて
製版代だけを要求するシステム。今は分からないけど昔はほとんど委託だった。
さらに画像部門と組版部門と製版部門が分業されていた。 ネットでいんさ〜つ!プリントパック
の社長は、製版切り捨てて、
アイデア大量生産と投資をしながら、
売上をすごい上げたんですね。
Googleブックで
「気軽な印刷を提供するプリントパック」
で検索。 >>434
俺は射精四課にいた。
同じフロアーに中国人が何十人もいた。
彼らの仕事ぶりを見て、中国人が大嫌いになった。 ごく、たまにだがが、○×は何処ですか? と訊かれることがあったが、自分の課と
食堂とプルーフ校正の場所以外は知らなかった。 今でこそデジコンだけどDTP初期のころまでスパコン(手動式コンセ)だったので、
初校出校はピン穴なくていちいち見当合わせにゃいかんし、下阪時も全てポジ貼り
だった。でーにほんには原版管理倉庫があるがまだ稼動してんのかな? コンセンサスなんて20年ぶりに聞いた言葉だ。
で、でーにほんの方は、いま何やってるの? でもデジコンだってデジタルコンセンサスの略でしょ。 「愛という名のもとに」のチョロの上司役の人って、
もうこの世にいないんですね。
DTPやる前よく観ていた。 市ヶ谷にいたときに、MPSていうのがあった。
写真と地アミが貼り込まれたのがネガで出力されて来て
後は文字台紙の色分けをするだけというやつ。
あれで請負の単価が随分と下がってしまった。 MPSはミスが多かったなあ。うちではミスがある時は伝票出して単価訂正してたよ。
角版と平アミは組むけど切り抜きはやってくれないのがズルいよなー。
あと、アミ伏せ専用のチントエースってものあったね。 >>445
チントのおかげでマトメが随分と楽になった。
それまではマスターの平網を返して使ってたけれど
ゴミやムラで苦労した。 そのMPSはフロントエンドがマックにとって変わられる前か後のことか。
いずれにしても、昼間っから書いてる良い齢になっているはずのおじさん、
いや先輩がたは、今どうなさっていらっさいますか?
その世代でDTPオペレーターに移れたのは、ごく一部と思われ。 セパネガレタッチ時代からの人にはPCはキツいよね。
うちは主にポジ出しの面付け張り込みと検査。手が空いたら切り抜きだけやるとか。
当然CTP主体の現在ではそんなに仕事はなく週2とか完全バイト扱い。 今の子は青のマジックで版下原稿の上からずけずけと書き込んだらビビりまくるぞ!
もうこの知識はオッサーンとオバハーンの照明になった。 印刷会社にいない人は、
もう版下って目にしないと思いますけどね。
CMYKのうちの2版のフィルムつかって、
2色をどちらも特色指定で印刷するのも、
どうやるかや、仕上がりを見たことないから
初めての場合説明たいへん。 モノクロとカラーの違いは(製版で)最初戸惑った。
4色でアミフセをしても、色がついてるからカラーではないんだね。
それはモノクロ4色だって。
高校の時、対数なんて何の役に立つんだと思ったけれど、
「濃度」って対数なんだね。 DTPになってから色玉はCMYKがほとんどだけど、会社によっては藍・紅・黄・墨
だったりしたなあ。 両面テープはなぜか「りゃんめんテープ」と呼んでいた。
これってマージャン用語なの?
でもグループ編成変更の時に対面をトイメンと言ったり、メンバーじゃなくて
メンツって言ったりしてたしなー。
気分の問題かなー・・・と。 減力液。これの読み方知ってる若い人はおらんやろな〜。 洗い過ぎたポジを「肉盛りが無い」とほざいてた俺。本当は肉のりなのに。でも、ロットリングをドットリングと知ったかには負ける。 抜き版とかインデックス貼って標示してたが、資材が切れると赤ストの切れ端で代用されてた。中には猫のシッポやタケノコみたく切ってた女子もいた。 足立区在住の漫画家志望者。売れないイラストレーター
人体を資料見ないで描くのにこだわるアラフォー童貞のバカ
ネットウォッチ板
【アラフォー漫画家志望】犬面犬ウォッチスレ【ひきこもり】4
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/net/1462425337/ 自分の席のすぐ後ろにプリンターがある奴が羨ましかった。 スキャナーの機種でSG750とかDC3500とかあるけど、ふざけてベテランのおっちゃんならOYG4040(オヤジーよれよれ)とかくだらん会話がとびかってた、あのころ‥ ストリップフィルム貼って、それがアミ点にかかっているとき
フィルムの表面溶かす液体をフィルムに塗って表面だけとかして薄くし、
乾いたら最後にブルーコロジオン塗ってたよね。
あの溶かす「液体」の名前がどうしても思い出せない。 俺のいた会社ではアミ点ある部分にストリップは使用禁止だった。ストリップセメントには修正した所が分かるように、ブルーコールタールを混ぜていた。バリを取るだけならアルコール液さっとひと拭きしたけど。 小どものころはコミックスの初版とかには拘らなかったが、レタッチの仕事覚えてからは、初版以降は見当ずれが酷くなることを知って、必ず初版を手に入れるように心掛けた。今現在はCTPだから問題無いけどね。 >>460
「酢酸イソアミル」じゃなかったっけ?
あの匂いが好きだった。 素晴らしい〜 Y・M・C・K! と歌ってたあの頃‥ ルミラーベースのサイズが四つ切り・尺二・B・A・C・D・コマンチになってた。コマンチって何なんだ。ふざけてコマネチとかコマンコとかたまに言ってたけど‥ 自転車やバイクのキリヌキは鬼門だった。俺がいた会社はかなり大手だったので、他部署に切り抜き依頼を出していた。M版のポジで頼むのだが、それをストリップコートでマスクを切り抜いた状態で戻ってくる。が!‥ 流石に極細な箇所は切り抜けないのでロットリングで引いてあった。しかし、ロットリングだとどうしても線が太くなるため、バックが白地なら問題無いが、全面キンアカとかだかすれた白フチになるのでベースはさんで食い込ますのが大変だった。みんなの所はどうしてた? うちの会社は雑誌の表紙沢山やってるけど、某有名アイドルの色調赤字で「鼻毛トル」を見た時はショックで眠れなかった。まだ二十歳の頃の蒼い傷跡。 自原の廃液がいっぱいになると、近くの人が当番に交換してねコールを知らせるために「鳴ってるよー!」とさけぶ掟があった。そんな感じの雰囲気の会社なので、朝礼もやる前に「やるよぉ〜っ!」と大声で叫んでた。 B2とかのポスターで滅多に使わない特大の金定規。会社で1本しかないので壁に掛けてある。重量感あるので戦国時代の武将になった気分。 切手サイズの分解ネガをひたすら200点張り込んでた時は、爪を伸ばしていた。大体が人差し指て親指+中指で微調整するが、極小サイズは両手人差し指の爪で合わせていた。 芸能人が表紙になる雑誌は大抵キリヌキなので、世の中で七三分けやスキンヘッドが流行れば助かると常々思ってた。 レタッチでは無いのだけども、校正刷りをまとめてPS版に焼き付けるため、デカいベースに見当合わせするけど、○×校正とか○×プルーフだった人あますか。 唐突だがピルティックとフォトマスクはどう違うの? 俺がレタッチに従事してた時はフォトマスクって呼んでたが、バイクで事故った先輩はピルティックと呼んでた。メーカーの違いなん? 滑舌が悪く、「棒ルーペ」貸してと言ったら、「ボールペン」を渡された。( ´△`) 製版会社に入社して初日に、「この世界は網点で出来ている」と教わった。 晴れた夏の背景が嫌いだった。かなりの確立で合成したポジにムラが出て焼き直しになるから。 凸版は活版、凹版はアミグラ、平版はオフセットって研修の頃に教わったけど。オフセットじゃない平版って何かあるの? 同僚は中ピンで自分のフトモモをペチペチ叩く癖があるので、いっしょにいて恥ずかしかった。酔っぱらいが焼き鳥の串でグラス叩くのといっしょやね。 合成焼き付けの専門の社員があた。朝来るとプリンタの棚の上には合成材料が山盛りになっていた。少しでも早く・大量にさばこうと、四つ切り尺二サイズは1台の上に2点並べて合成してた。使用するプリンタが2台なので1回につき4台合成できた。 しかし、それだと初校で右端で焼いたのが責了で赤・黄だけ色ネームの直しが入った場合、2版だけ焼直しになり、それが左端で焼かれたら見当が悪くなり危険だ。ほどなく彼はクビになり、やがて会社自体も事故多発で崩壊した。 残版整理の時、四面付け物や折り込みなどの長物の合成材料を背負い投げで叩き付けてストレス発散したった。 レタッチすらこなせないで営業に転向した野田君元気? 今でこそDTPソフトが充実してるが、ずっと昔は一文字一文字写植を組んでたんじゃね。始まってすぐに文選するシーンがある。 http://m.youtube.com/watch?v=t8VeKjHTXTs 分解ネガの貼りを少しでも早く進めようと、マスター版を裏焼きして返してた。少し太るから合わせやすい。実際の見当精度は落ちるが。 M版のネガを貼ってからピンで返すつー手もあるが、いかんせん抜き版もズレまくってる俺には無理だった。他力本願というか自らの技術を磨くのではなく、アイテムに頼り過ぎる未熟者であった。 手製版時代は何を切るのもカッターだったが、DTPになりポジフィルムはほとんど出ないし、デジコンはスライド式カッターでカットするから、カッター使わないなあ。お土産のデコポン堅いから使うくらいかなあ。 ダイレクトスキャナーの前は有階調ネガにして、それをトライマスクつーので修正。それをコンタクトスクリーンで網掛けでポジに。書籍でしか見たことないので現物見たかった。 ここ最近ですが物撮りカメラマンしてたころレタッチなしの1発撮りにこだわるアートディレクターさんとか多かった気がするんだけど
フィルム時代でも結局化粧品の広告物撮りとかは本体と蓋を別にライティングしたものをレタッチマンが切り抜きして合成してたんですよね?その時代の頃はアシスタントすらしてないから分からないのですが 普通のレタッチ加工で切り抜くには2種類しかなくて。一つはフォトショでいうパスでなぞってく方法。もう一つは2、4版を合成反転してマスク(チャンネルミキサー風)しかない。無理な場合はレイアウトスキャナで処理して貰ってた。 考えてみれば全員がカッターを常に装備している。怖いよな‥ あなたのコーデ(装備)はどんな感じですか? 私は作業着が上着だけで左胸にポケット。両腹にポケット。あと左腕にペンケースが付いています。さて、装備品は?というと。 休みの日にはお気に入りのハサミを探しに出掛けたものだ。ちな。愛用の道具に名前を付けてた。カッターはハースニール、ハサミはブルーインパルス。休みの前の日は家に持ち帰ってた。同僚に勝手に使われる場合があるので。 もしも、イラレやクオクやインデザが世に出ること無かったら、今もせっせと見当合わせに苦戦して、忙しい日は夜中まで作業者→終電無くなる→床に白ダンボー敷いて仮眠みたいな事やってたんだろうな〜。 >>495
DTPになってもレタッチあがりの人は腰にそれぶら下げたまま出社してたわ
自分達は普通なんだろうけど
あれで電車に乗って来るなんて変だわ レタッチマンの魂とも言えるカッター。新人が指切って指定の病院から帰ってくると「おめでとう。みんな、そうやって上達していくんだよ」と声を掛けるのが仕来りというか習わしだった。 まだカエシガエシ、やってる所あるの
なんか発生しそうで、やばいんだが。 最近まで勤めてたとこは再版物のガイドブックは結構あった。プリンタはあるし、ネーム訂正はデータからネガ出力。一番のネックはフィルムなんだよね。DTP用のポジ出力機のロールのフィルム暗室(単なる電灯消すだけ)でカットして、自現部分に突っ込んで事なきを得たとさ。 >>504
結構やるんだよ。
初心者はとかく力を入れ過ぎる。
何人病院に連れて行ったか。 テープカット台に、カッターの刃を使ってた時、
よく血だらけになってた奴がいて
これがその時のテープだよ。と赤テープを見せて
新人の女の子をビビらせた思い出。 俺が製版してた頃はピンバーは3点ピンだったが、もっと昔は5点ピンだったらしい。誰かご存じですか? >>506
同じくテープカッターで指切って出血。指定書に血溜り着いて乾燥したら茶色になったら、出校時に工務から「作業中にチョコレート食べないで下さい!指定書も大切な先方の原稿ですので」とお説教喰らった! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています