国民の義務は働く事なのだろうか?W
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働くもの(貪って金銭さえ得たらよいと思ふ者)食ふべからず。 昔法学の一般教養の授業できいた学説だと教育の義務同様、「労働環境を国家が適切に準備する義務」
なんだそうだ・・・判例は無い。だから学説のみだったんだが、しかし実際国家が職の面倒をみきること、
またはその逆の完全自己責任でこの複雑な現代社会でひとりで仕事を探して全うすべしの、いずれもムリな話じゃなかろうか。 受験勉強をするという事は学問に向き合わないという事では? >>4
人間が働くが為に損なう自然環境について考えた事がある。そもそも車動かすだけで大気汚れるしな。 でも君も1日黙っていても腹は減る。食を求るだろう?
そしたらどうするね。 >>9
受験自体が人を振り分け、落とす為の引っ掛かけ問題ばかりだからな。アレばかりだから国民の大半は学問嫌いになった。…そればかりだから子は腐る訳だよ。
あんなものは学問の本質では無い。学問は世を照らし人を幸せにするモノなんだが…それが伝わらない。 例えば托鉢とかでも食べ物を渡す人間が世俗的な心で渡していたらそれに感謝するのも世俗的なんじゃないのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています