ファインアート系
今年、高三でファインアート系の大学に進みたいんですが、
お勧めの大学や、
逆にやめた方が良い大学があったら教えてくらせぇ 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 『日本の芸術』
ゴッホの死がしばしばヒロイックに語られるように
破滅的な人生を送った芸術家が礼賛されるのは
キリスト教的な信仰に身を捧げた殉教者への礼賛に近い
今でいうところの、いわゆる「芸術」の概念は19世紀頃から広まったもので
Artの本来的な意味は「技術」であり
ダ・ヴィンチが軍事技術者を自称していたように、ルネサンス時代のいわゆる「芸術家」は、優れた技術者という認識であった
西欧における政教分離の歴史的過程で、近代国家が民を纏める宗教の代替物として体系化していったものの一例が歴史や芸術であり、その芸術宗教の教会や神殿が美術館にあたる
芸術崇拝は、近代国家にとって国民教育の使える道具として出てきたのである
そしてそれは日本にも、西欧の近代国家の体系を模倣する過程で伝わった
今なお義務教育の美術科目でなぜか西欧美術の歴史を学ぶのはその名残である
敗戦を経て近代国家への役割が薄れつつあった日本の芸術は、
その本来の宗教構造により、同時期の新興宗教に似ていく
世俗にも権力にも反発し、芸術に身を捧げ、生きる
そういう自由な生き方ができるかもしれないという
甘い香りに当時の若者は吸い寄せられていった そして21世紀に入り、ネットの発達で情報共有されるようになり、
上から降りてくる公金を既得権益で確保しつつ、
一方で絵画教室や美大生などの新しい信者を獲得し、教職という牧師となり布教し、
下から会費を徴収して生計を保つ業界だということが露呈し始めた
個展の年一回開催や、公募展や表彰制度等の、身内内部での芸術家認証制度が、業界において当たり前になるなど、
芸術家としての信仰に身を捧げた死を期待するような、盲目な信仰は今の時代ではほぼ冷めた
芸術は西欧の啓蒙主義に根差しており、権威には対抗的であるが、一方で近代国家に守られている矛盾をはらんでいる
今なお続く近代国家としてのシステム、とりわけ美術館・ミュージアムによる収蔵や、消して売りには出さない国宝指定が芸術の価値を吊り上げ、
芸術崇拝を生み出す根本的な仕組みである
芸術は太古からあるものではなく、近代国家による制度によって神秘が生じている
日本の現代芸術はもしかしたら粗大ゴミなのかもしれない、という疑いを
この先さらに多くの人が持つことになるのだろう たとえば留学するなら英国とかどうかな。
グラスゴーの美大なかなか著名な人を輩出してるようです。
グラスゴー芸術学校からの出身者
トーマス・ジョシュア・クーパー、アラステア・マクドナルド、ポール・アンダーソン、ティム・シャープ、アイリーン・マクアラ=マクウィリアム、ケン・ニール、ジョニー・ロジャー、松本良多、クリストファー・プラット、須田洋史、ブライアン・エヴァンズ 宮内庁もコムロさんのウソ報告書で
対応むずかしくなったな。