>>713
お返事ありがとう
少しずつ違うけど同じ気持ちを共有できる方がいて何か言ってくれることがどんなに有難いか
たぶん私の方がもっともっと子供でどうしようもなくて
準備なんて何にもなくて、これからのことも問題山積のままでどうなるのかわからないダメな状態です
それこそ葬儀やら入院費用やらを捻出できるのかさえ、この期に及んで不透明なくらいなんですから
そういう状態に陥ることは想定しつつも、そこに向けて準備をしたりするのが
亡くすことを容認するような気がして逃げていました
最期に向かっていることを医師に告げられてから、まだ本人の希望を確認できる段階でも
言葉にすることができなかった
今、父に向かい感情や情緒に流されながらも100%ではなく
どこかでそういう心配が大きく心を覆っているような体たらくです
これから一人で(祖母と猫はいますが見送る立場)どうなるのか不安だらけ
父には頑張ると言いながらこれからも気持ちの上でいっぱいいっぱい頼ることでしょう
父がはっきり返答をしなくなってからしか感謝だとかお詫びだとかを口にできなかった
父にはずっと「元気になって」「治ろうね」「長生きして」と言い続けていた
「なれるものならな」「できるものならな」と答えられてもっと前向きな発言を強要したりもした
うちは原発のものを取ってから回復して再発や転移の可能性はわかっていながら
楽観的に「治った」かのようなつもりになってしまいその日常を限られた貴重なものとできなかった
脳転移が見つかってからはもう流されるまま乱高下を繰り返してあっという間にここに来てしまった
だから今の日常を貴重なものと理解されている分、きっとたくさん残るものはあるはずだと思います
特別な思い出を作ろうとしなくてもその日常が何より大事な思い出になると思います
一緒に歩いてる意識自体が何より貴重なもの
私も父の手を握りながら「ずっと手を繋ごうね」「ちょっとの間、手が離れたり同じ質量で繋げなくても気持ちでは繋いでようね」「そしてまた同じところで手を繋ごうね」と半分強要しています

少しおかしな気持ちを書きます
子供の頃からずっとこの時を何より恐れてきました
具体性なんてない頃からずっと、いつか来るだろうこの時が本当に恐怖だった
そして今、それに向き合ってしまいましたが
もしこれを越えたらもうこの恐怖からは解放されるんだなと少し安堵のような気持ちすらある
もちろん悲しみに暮れて絶望するかもしれないけどそれとは別にして少なくともこの最大の恐怖には怯えることはないんだなと