過去のJRバス 2
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国鉄がメーカーに作らせたハイウェイバス専用型式ほどのことではないが、
一般車でいすゞに日野車体製のボディを載せさせたというのもすごいよな。 旧瀬戸南線の康生町バス停、ドリーム号の経路変更により廃止の貼り紙が悲しいな。 JRバス関東のHPのドリームなごや号減便状況一覧がダイヤ改正のお知らせのPDF時刻表に
運休を表示するようになったが、おかげで>>22の間違いが修正されたな。 >>25
60年代までは民営でも結構あったいすゞ+帝国の組合せの名残で
奈良交のボンネット辺りが有名所かと。 >>29
帝国と日野って呉羽と三菱のような関係だと思ってたが、
帝国も富士のように各メーカーに架装してたんだね。 国鉄末期は職員の勤務態度がとやかくいわれていたが、名神高速線の
P−MS735SAで左足の靴を脱いで踵をシートにのせたまま右足で
エンジン回転数を合わせてギヤチェンジしながら本線上のバスストップに
出入りさせた運転士がいた。 >>32
それを何げにやってしまうほどの運転職人が当時はいたんだよね。 >>36
国鉄時代どころか、鉄道省時代でもOKだよ。 国鉄時代に名神高速線のMS504Qで降車客がいないのに名神一宮で停車したと思ったら、
運転士がタコメーターを見ながらエキゾーストブレーキのスイッチをON・OFF。
「これ(スイッチ)カチャカチャやって」と言いながら点検ハンマーを持って降りていったので
操作すると、当時のふそう独特のエキゾーストブレーキを開けた時の“ぷしゅぅん”って音がして
正常なアイドリング回転数に。 商号にアルファベットを使用できるようになって、JRバスでは九州が
2012年7月1日にジェイアール九州バスからJR九州バスになった
だけなんだな。 ドリームなごや号が名鉄東岡崎駅の近くで正規のルートを外れ、
線路下をくぐる手前のゲートにぶつけたらしい。 P‐MS735SAは国鉄専用型式でありながら運転席周りはエアロバスと同じになったが、
エキゾーストブレーキスイッチのON・OFFが市販車とは逆で他社と同じsageがONで、
表示灯も市販車はスイッチON時点灯なのが動作時点灯だった。 古河〜下妻〜土浦〜江戸崎〜佐原〜八日市場の乗継やってみたかった >>43
それ昔やったことあるけど、全般的に平坦な田園風景の中を淡々と走るだけなので、
はっきり言って飽きるぞ。
もっと昔なら
渋川〜長野原〜草津温泉〜上田〜下諏訪〜茅野〜伊那市
高萩〜常陸大子〜烏山〜塩原温泉〜鬼怒川温泉
水窪〜遠江二俣〜浜松〜豊橋〜安城〜名古屋〜金沢〜穴水〜珠洲
こんなのもできたと思う。当然一日では無理だが。 国鉄は高速バスで大排気量NAエンジンとかアメ車みたいなバス作ってたが燃費が非常に悪かったのか?
オイルショックに翻弄されてそう >>45
ふそうB906Rが搭載していた12DC2は20ℓV12で350psという
当時としてはとんでもないエンジンだったが、その分燃費がバカ悪だったらしい。
現行のエアロエースの6S10(T2)は7.7ℓ直6ターボで381psだから、
技術の進化を感じる。 300PSオーバーはキハ40系よりも強力だな
当時の気動車より強力だったとか凄すぎ
メガライナーは巨体であるが故に530PSとかキハ181系よりも強力なエンジンを積んでる 国鉄はターボをイマイチ信用してなくてNA必須にしてたので巨大なエンジンになった
今のやつはダウンサイジングでほぼ99%ターボ付き 中国高速線が姫新線の急行を滅多打ちにしたのはまずかった
姫新線側も重軌条化やキハ181系投入でテコ入れしてれば相乗効果でWin-Winの関係になっただろうが労使関係ゴタゴタでそんな余裕はなかった
姫新線高速化は21世紀になってから いまでこそ名神ハイウェイバス大阪線はけっこう本数があるが、かつて1日に数本しか
なかった頃は桜橋口の乗り場で名古屋行を待ってるとこっちは数人しか並んでないのに、
中国高速線の方は続々とお客さんが並んでて大盛況だったな。 いくら発祥と言っても今も続いてなければ意味がないね。
でも今の調子だと関東も中国も発祥の地から消える日もそう遠くないだろう。 民営化時に継承した路線で最も開業が早いのを各社の発祥の路線とするならば、
西日本JRバスは発祥の地から消滅してるな。 >>25
爺にはいすゞ帝国はそんなに珍しくなかった、でもRBタイプのボデーは多かったが
REタイプは国鉄、関鉄、プラスアルファくらいか
流石に80年代過ぎた日野車体はとてもめずらしく感じた 国鉄バス→JRバスは国会議員用無料パスの対象だったっけ? >>57
JRバス各社は日本バス協会発行のバス優待証での対応だったが
民鉄乗車証とともに廃止になったはず。
JR鉄道線と航空優待には衆院から助成金が億単位の予算で組まれて
いるが、バスと民鉄はそれぞれの協会が助成金ももらわず完全に
政治的意図でタダ乗りさせてた形。そりゃ廃止もやむを得んわな、 昨日のブラタモリの収録場所の江戸東京博物館の土地、
国鉄東京自動車営業所だった場所だね。 岡崎でJR東海バスの一般路線が走っていた頃、いすゞP‐MR112Dが来て
これを見た女性客が「かわいいバスねぇ」って言ってた。 国鉄最末期にバス単体の自立経営を目指していたけど、それでも僻地の路線は多く残っていたんだな
今のJRバスは国鉄バス当時の主要幹線が残っているだけで、それも利用者は都市部除いたら少ないしね 国鉄末期はこれだけ走っていたらしいが、本当に信じられん
20〜30分ヘッドで頻発していたとは
西那須野〜塩原温泉 27往復
磐城棚倉〜白河 37.5往復
土浦〜江戸崎 42往復(君島経由含む)
水戸〜双葉台 37往復
長野原〜草津温泉 36.5往復
館山〜安房白浜 56往復(豊房経由含む)
千倉〜安房白浜 30往復
館山〜伊戸 35往復 人の往来が公共交通にそれだけ依存してたんだなぁ
今や足腰立たん爺ちゃん婆ちゃんでも、何かというと
クルマで移動だから。 昔は路線バスは鉄道駅からのラストワンマイル輸送がメインだったのに高速道路網の発達で都市間輸送にシフトして鉄道と主従逆転したな
襟裳岬に行くときは昔は日高本線様似駅からバスだったが今や札幌から直接バスで行くのがメイン
日高本線は廃線になったし高速道路が出来た
ラストワンマイルの方が運転手の労働時間が短く済むはず 昔は路線で経験積んでから、腕のいい運転士が選抜されて
高速路線に乗務する花形職だった。
今や高速バスドラなんて(とくに夜行)キツイ行路を契約社員
の身分でやらされるブラック職だよな。まあバス業界全般に
言えるが。 >>69
給料は安いが、福利厚生がしっかりしてるので食うには困らず
低層庶民にとっては堅い就職先、間違いない結婚相手とされた。 国鉄時代のドリーム号は高速道路を走行するためベテランを選抜してて尚且つ深夜手当が付いて高給取りだっただろうな
今のバス業界は悲惨すぎ 昔、鉄道雑誌の特集で高速バス同乗記を読んだ。
近鉄の夜行だったと思うが、運転士は2人乗務で
一般路線で経験を積んだ腕のいい選抜組との事。
脂の乗り切った30代前半と初老のいかにもベテラン
二人組だった。
反面、最近見たJR某社の運転士募集案内では
高速バスの運転士として紹介されてるのが軒並み
他職種からの転職組で、誰にでもできる簡単な
お仕事です的な紹介で愕然とした。 >>74
まさにその会社ww
東海北陸道を運転してたら牛が見えたとか、広島便の
楽しみはお好み焼き(ソースが違う!らしいw)だとか書いてあったな。 もうほとんど居ないと思うが、国鉄採用なJR本体からの出向者はプロパーの給与とは大違い
まあ国鉄それも専用型式の車なんかでは運転が大変だから、昔と今ではレベルが違うだろう 特別な訓練された人じゃないとアメ車みたいな大出力の暴れ馬を乗りこなすのは大変だろうな
免許取り立てが運転すると加減速が強すぎてシートベルト着用とはいえ乗客全員乗り物酔いしてしまいそう バブル絶頂期はドリーム号の運転手は年収1000万超だったのか?
長距離トラックも凄かった
一般路線バスも1000万行ってたんじゃないかとか話もある 800万の相鉄で安すぎるという話だったから
大手のベテランはみな超えていただろう 地元の某私鉄系バス会社の契約社員募集の広告に自給1300円と書かれていて、
他人の命を預かる仕事なのに安いなぁと思った。(現在は最初から正社員採用) 国鉄バスだとハイウェイバスの運転手は新幹線の運転士みたいにエリートだっただろうな
優秀な人材から選抜してるのが共通してる 明け方早朝の東名上りは連続追い越し車線走行140kmが日常だったわ。
嶋本のトラックも早かった。早いな33年って・・・ 芦原湯町駅は大野営業所の管轄だったそうですが
今もJR東海が権利を持っているのですか。 中部自動車局エリアでも小浜や亀山は西日本、伊那は東日本と
いったように整理されたので、もし大野自営が存続していれば
JR転換時に西日本に移管されたでしょうね。
大野自営がJRに引き継がれず廃止され、残存の大野線の一部
九頭竜湖〜美濃白鳥間が東海の白鳥自営に移管されたので
大野=JR東海というイメージがあるかもしれませんが。 国鉄バスでスローガンを落書きした「アジ電」ならぬ「アジバス」が走った事ある? 自動車部でも闘争はさかんだったはずだが、そういや
落書きとかビラ貼った「アジバス」の話は聞かないねぇ。
街中を走るから、アピール効果抜群と思うのだが。 予備校で政治経済の講師が黒板に書いてた漢字、
当時の貨車にペイントされてたやつだったわ。 国鉄ハイウェイバスは新幹線と同じ無線機を積んでたとか凄すぎ
運用が広範囲にわたるので鉄道用のを流用した 所々に基地局を設置して有線で結ぶスタイルだから
本当に鉄道無線システムと同様。当時の国鉄在来線
のシステムより上等。
ターミナル事務室にあった無線端末は黒電話型だったような。 しかもその無線システムは一般の公衆電話回線とも接続可能だったので、
道路上に何か障害物が落下していたら、バスから直接道路公団へ連絡していたのを思い出す。
しかし、この無線も民営化からバス会社分離の時にあっさり廃止してしまったね。
代わりに自動車電話が普及したというのもあるけど、
そういった広大なシステムは国鉄ゆえに出来たものだと思う。
JRバスになって、バブルが弾けてからは、ただひたすら経費削減の縮小均衡まっしぐらですな。
いずれ日本の公共交通は他の交通インフラに取って代わる時代が来てしまうだろうね。 結構贅沢に設備投資してたな
しかし国鉄のバス部門は一度も黒字になった事が無かった 自動車も鉄道もそれでよかったし、それを許す国や国民の体力があった。
国有鉄道は国が国民に対して行うサービスであるとともに、国土開発の
礎、国力維持の動脈でもある訳だから、採算至上主義は本来なじまない
考え方である。
まーこれだけ道路が整備され自家用車もバンバン走るようになれば
徐々にあり方が変わってくるのも致し方ないことかもしれない。 国鉄バスは黒字化しなかったけど、昭和50年代から収支均衡を目指すべく、ワンマン化や末端ローカル系統の廃止を進めていったね
昭和60年度までに国庫補助対象系統を除いて収支均衡させる目標だったはず 0046 名無しさん 〜君の性差〜 2008/08/08 20:43:48
ニュース24時:高速バスで強制わいせつ容疑の大学生逮捕 /静岡
7日、神戸市北区北五葉5の大学生(24)を強制わいせつ容疑で現行犯逮捕。
同日午前3時半ごろ、愛知県内の東名高速道上りを走行中の高速バス「京阪神ドリーム静岡号」車内で、
京都市の女性店員(28)の胸などを触った疑い。女性から被害を訴える電子メールを受信した知人が
110番通報し、停車予定のJR浜松駅バス停に署員が駆けつけ逮捕した。「知らない」と
容疑を否認しているという。(浜松中央署) 昔あったボルボ・アステローペは後部が2階建てになってるが大型トラックに追突されたらやばい事にならないか?
希少なミッドシップエンジンかつボタン式ATでもあった 4席が向かい合わせで互いの脚がぶつからないように微妙に斜め向き
後ろ向きの2席に当たったから最悪だったわ 今だったらサロンシートは床面が低いのを活かし車椅子用乗降口を設けて車椅子スペースに出来そうだな
エアロキングとアストロメガは1階に車椅子スペースがあるが滅多に使われないはず 東名高速線開通時の車両が当初から循環式だったとか在来線よりもトイレ黄害対策が早かった
路上に糞尿を撒き散らすわけにいかず新幹線と同じタイプにしてる そりゃあそうだろ垂れ流し式を公道でやったら道交法違反で
しょっ引かれるぞ 国鉄バスも順法闘争やってたのか?
ただノロノロ運転したら一般車に迷惑をかける >>91
無線システムは新幹線がUHFの多重無線、ハイウェイバスがVHFの複信式で別モノ。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/bus/1258284117/
これの35・40・45を参照 名金線の特集「北陸東海 桜紀行」で 効果的に使われている
ニコラ デ アンジェリスのQuelques Notes pour annaだけど
この録音版にはバックアレンジの有無があって、
いちおう広く紹介されてるのは アレンジ有りのほうみたいだけど
特集のやつはアレンジが無いほう。
当初は深く判別できず、 オクでLPまで買ってしまったけど、
結局ネットで 無いほうバージョンばかり聴いてる。 >>106
旅客鉄道時代の東名・名神高速線は国鉄時代の運用をそのまま引き継いでたんだっけか?
(午後の名古屋駅→京都駅の便がJR東日本の車両など) >>108
確か車両運用と乗務員運用がごっちゃ
JR東日本の車両にJR東海の乗務員やJR東海の車両にJR東日本の乗務員の組合せがざらに有ったと聞く。
当時の運輸省や陸運局が早々に問題視して分離子会社時に是正した。
余談だけどバス停の時刻表も分離時に担当会社を示す関東の「関」、東海の「海」の表示が各便の時刻に付いたのもこの頃かと。時、分、担当会社と細かく丁寧にシール貼りされていて(ダイヤ変更の時は面倒くさそうだろうな)と思ったものでした。 >>110
現在は首都圏〜近畿圏のドリーム号が
JRバス関東↔西日本JRバスの間で
業務委託してるが、当時はそういった
契約とか無しでやってたんだな。 TBSラジオではとバスが都営バスの一部を運営してるってCMが流れてるけど、
JRバスグループで公営バスの業務委託を受けてるって会社ある? 京都市交通局(西日本JRバス)と仙台市交通局(JRバス東北)ね 国鉄自動車部はバスだけでなくトラックで貨物輸送もしてた
自動車で貨物輸送はJR貨物に承継されず
コンテナならばそのまま積み替えられる JRになるとほぼ同時ぐらいに個人の宅配貨物が全国的になったからね JR以降直前には、既に国鉄自動車のトラック貨物輸送は
全廃ではなかったか。
へき地で乗り合いバスに郵袋や新聞、小荷物の輸送くらいは
あったかもしれないが。 お召し列車ならぬお召しバスはやってないな
プリンスロイヤルがあったので意味ない 昔鉄道と自動車で1枚の切符で乗継乗車券作れたのに出来なくなってる 国鉄時代は「同じ会社」だったのと、国鉄バスが鉄道線の
補完や先行・短絡といった役割があったので通し計算は必然だった。
民営化でバスが旅客鉄道会社から分社されたので、連絡運輸も
無くなった。西日本の倉敷~茶屋町は何故か結構後まで連絡運輸
対象だったのと、九州は確かバスが分社されてなかったので
通し計算ができた。
嬉野温泉のバス駅で武雄温泉乗り換え佐世保まで補充券の乗車券を
作ってもらったことがある。 >>120
なるほど。国鉄ハイウェイバスの上り東京駅到着前のテープ音声に
「鉄道線への通し切符をお持ちの方はお見せ願います」の文言はそういう事だった訳なんですね。 旅行会社だと以前は鉄道と同じマルス券だったが現在は船車券になるはず ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています