昔の神奈川中央交通 2
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>>83
あれはフロントエンジンのジャーニーQのパネルを利用したリアエンジン車ね。
型式はよく知らないが、CCMとかより小さかったはず? >>84
ttps://ameblo.jp/hbk0225/image-12350952154-14127180104.html
これのこと。
魔改造というわけではないみたいだけど、明らかにCCM410くらいの車。
時代を先取りしすぎたのかもだけどね >>86
よく見るとなまずと旧来の車体両方の特徴を残しているんだよね。
中ドア以降の車掌窓+狭幅窓4枚構成は非冷房の北村車の特徴だからね。
車体断面とかは一切不明だけど、この車体ベースでCJM500にも架装出来ていれば
もしかしたら大手(神奈中とか京成とか)を引き止められていたかもしれないね。
ただ北村旧車体のLTとかが存在したくらいだから、やはり大型断面の開発はダメだったのかもね。
神奈中にもし1台でも導入されていたら伝説の車両になれたかもしれなかったのが惜しい。 北村製作所のボディーは神奈川だと新車で入れてたのは東急バス、横浜市営の4Rくらい?で、マイナーだったけだ、神奈中では、いすゞの営業所では珍しくなく、末期も秦野や茅ヶ崎、町田あたりまで顔出してたんだね。 日野のマイクロで、いろんな営業所回ったうえに、岩手に売却されたあと東日本大震災の津波受けた車がいるらしいですね? >>88
神奈中で北村車が配属されたことがある営業所(新車転属問わず)⇒横浜・茅ヶ崎・秦野・厚木・津久井・相模原・大和・町田
これ以外にあったら教えて下さい。 いすゞメインだったところにはだいたいはいってた気がします。 北村CJMは80年下期でも非冷房車が投入され続けていたから、冷房車は貴重。
最後まで運用されたのはやはり秦野の冷房CJMなのかな…
平塚最後の3Eが引退した後も平成元年の冬くらいまで平塚駅で見かけることがあった。 北村CJMは非冷房のやつはBU と同じ車体だった。
87 年の完全冷房化で消えたけど、その1年後くらいに冷房車も廃車になったような。最後は秦野と町田にいた記憶。 >>88
相鉄。あと神奈中の中古が箱根登山にいた。 ごく短期間だけど、町田車が定期運用で戸塚駅東口まで来ていた1960年代終盤。 最近ADG-RAの廃車が続いているけど、今のキッズ達にとって西工がかつての北村のように扱われる日が
果たしてくるのだろうか・・・? 続くんだ
ttps://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=580136 北村車体の元神奈中が岩手県交通に譲渡されていたな。 昔の新車って、なんか独特の匂いがしてた。例えようがないけど、新車だってわかる香り。 >>105
それはただの溶剤・接着剤・ゴムの臭い。要するに有害物質なw >>106
お客は乗って降りるからいいけど、
一日中、その匂いの中で仕事する運ちゃん…
始終点では表に出るだろうし、窓開ければ大丈夫か >>107
古くなっても床の油の臭いからは解放されないし…
そもそも、密封性が無かったからそこまで気にならなかったかと? 北村や呉羽といった純正より古くさい丸みを帯びたデザインが神奈中らしかった。エアロスターがMにモデルチェンジしたときは、ショックだったな。 北村や呉羽のボディは、神奈川ではメジャーな存在だったな 同じRE100でも帝国と金産で細かな違いがあったのが思い出される… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています