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愛媛県史 地誌U(東予東部)(昭和63年2月29日発行)
二 新居浜市の陸上交通
 バス交通の歩みttp://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/32/view/4612

 大正一〇年(一九二一)七月国鉄が新居浜まで開通すると、新居浜駅を起点として、新居郡泉川村の合田槌之亟が
惣開・住鉄土橋駅・角野村山根に乗用型六人乗りのバスを運行した。
このため客馬車、人力車への脅威著しく常に激しく対抗し、車夫組合代表の泉川村合田兼助がこれに複数競合し、
のち加藤平太に譲渡した。
昭和五年加藤平太は合田槌之亟と同事業を併合して愛新自動車鰍設立し、社長は角野村の石川昇平が当たった。
その後、昭和一六年東新自動車組合に譲渡した。
 昭和六年五月中萩村藤原要助が中萩自動車を設立して、土橋・中萩・新居浜間を自動車三台を以て運行した。
また、高津村小野只七が神郷村(国鉄新居浜駅)から惣開までバスを運行していたので、
これらを買収して昭和一○年新居浜町・金子村外川東四か村組合の東新自動車交通組合(組合長白石誉二郎新居浜町長)を設立し、
のち泉川村外上部三か村の組合加盟があり、さらに一六年には愛新自動車鰍買収して地方交通に尽くした。
 これより先の昭和八年には新居浜・西条両町組合の公営新居自動車交通組合(組合長白石誉二郎新居浜町長)が設立され、
翌九年一二月から両町を結ぶ一五・八五kmに二四人乗りの大型乗合自動車を配し運輸を開始した。
両組物とも、バス事業の統合を推進する戦時体制下の国策に沿って、一八年に瀬戸内運輸鰍ノ統合された。
 新居浜市は昭和二三年に再び市営バス事業を開始するが瀬戸内運輸鰍ノ再び買収された。