0572名74系統 名無し野車庫行 (ワッチョイ 6b1a-MOYc)
2018/03/21(水) 23:36:49.60ID:Qx9E/zE4070年代終盤から80年代初期は、茅ヶ崎、平塚、厚木、秦野あたりにBU10Dが集中していたので、それこそ平塚駅がBUで埋め尽くされる光景が
広がっていたなんて想像もできないと思う。(川重が多く、FHIも北村(秦野と転属で茅ヶ崎も)もいた。
んで、CJMになって長尺のCJM550登場とあいまって藤沢に一気にCJMの投入が開始されたものの、道路事情が当時はまだ悪く、
北部丘陵を走破するにはエンジンも非力(冷房の影響)でどうにもマッチしないことから、すぐに冷房CJM550と他営業所のBU10Dと交換することになった訳。
そんなわけで主に平塚と秦野に存在していた76,77年式の川重BU10Dと藤沢の冷房CJMがトレードになった。
平塚のCJMのうち、CJM500で導入されたひ51,70,72あたりは平塚向けの新車だけど、ひ121,122,123,124のCJM550グループは藤沢からの転属車なのよね。
後年のひ26,ひ13(戸袋窓が縦方向に大きくなった最終型)も確か転属車のはず。