かつて藤沢にいすゞ車が増えだしたのは、藤沢市の施策でいすゞ車購入の補助金があったためだと記憶しているけど違うかな?
70年代終盤から80年代初期は、茅ヶ崎、平塚、厚木、秦野あたりにBU10Dが集中していたので、それこそ平塚駅がBUで埋め尽くされる光景が
広がっていたなんて想像もできないと思う。(川重が多く、FHIも北村(秦野と転属で茅ヶ崎も)もいた。

んで、CJMになって長尺のCJM550登場とあいまって藤沢に一気にCJMの投入が開始されたものの、道路事情が当時はまだ悪く、
北部丘陵を走破するにはエンジンも非力(冷房の影響)でどうにもマッチしないことから、すぐに冷房CJM550と他営業所のBU10Dと交換することになった訳。

そんなわけで主に平塚と秦野に存在していた76,77年式の川重BU10Dと藤沢の冷房CJMがトレードになった。
平塚のCJMのうち、CJM500で導入されたひ51,70,72あたりは平塚向けの新車だけど、ひ121,122,123,124のCJM550グループは藤沢からの転属車なのよね。
後年のひ26,ひ13(戸袋窓が縦方向に大きくなった最終型)も確か転属車のはず。