昔の北関東の路線バス
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バス、JRバス関東については専用のスレがありますのでそちらをお使いください。 25年位前の話だが、関東自動車の鹿沼駅〜上粕尾発光路線に乗った時のこと。
当時、栃木県ではあまり見ない、普通のナロータイプ幅が細いような1675ってナンバーのナロータイプが来た。
それで、上粕尾発光路の終点は、緩い坂道にあって、バスは一旦停車して、バス1台しか格納できない木造の車庫にバックで入って終点と言われた。
今では鹿沼市営リーバスになったから、上粕尾の車庫は使ってないのかな?
山の神とかいうところまで路線延長したみたいし。
それにしても、あの変なナロータイプ1675は、中古でどこかの会社から来たのかな? >>301
写真が無いので断言は出来ないが、京急のECMでは? >>302 なるほど、京急の中古ですか。
確かにナンバーが栃22あ1675では、1600番台の新車でナローは関東自動車には無かった気がするので、京急の中古もあり得ますね。 >>302
>>303
後面に幕装置がなかったり、前扉が4枚窓だったりと、京急とは仕様が違うような気がする
画像は栃木方面に詳しいサイトに載ってる(ヒント:BJ)
リンクを貼りたいが規制で貼れない・・・ >>304 1675号車だけは、謎が多い車輌だったんですよ。
もしかして、当時朝1番で上粕尾から鹿沼行きのバスは、早朝に鹿沼から回送してたわけじゃなく、前日夜に鹿沼から上粕尾行きで終着して、あの狭い上粕尾の木造車庫に翌朝まで一晩格納されてたのか? >>304
> 後面に幕装置がない
画像見たが、冷房も無さそうだし京急ぢゃないようだね。
しかし他にあの年式で川崎ナローのユーザーが思い浮かばん。
小田急狛江の主は富士重だし… >>200
平成5年頃前橋に行った事ががあるんだけど東武バスの前橋駅発群馬大学付属病院行きは、日中10分間隔だったのに
東武撤退後、この路線の本数は激減した。 伊奈付近にある廃車体
ttp://ameblo.jp/dd51-745/entry-10866693097.html >>299
道路の真ん中に一本杉があるとこ通る路線か。 東武の前橋撤退は99年だから、そのあたりから衰退か。 >>306 川崎のナローって小山にいたLTじゃなくて?モノコックだけどLTの >>308
高浜駅前にも関東鉄道バスの社番0598の廃車体がありますよ。
今は保線管理事務所が建って常磐線車内からは見えにくくなってしまいましたが。
これの1番違いの社番0599は晩年は水戸におり、「水戸22あ・184」と、水戸ナンバーで運用されていました。この代あたりの車はCDMの頃に置き換えられました。 >>311 小山に居たのは、321と322でしょ?
321は、最初の配属は富岡。
322は、栃木だった。
それが、栃木や佐野のダイヤ激減により、小山に転属されて、主に石橋駅〜小山に使われていた。 >>298
当時の日立電鉄バスにあってテープの音声案内に唯一薄くBGMが入ってた(茨交はなし)他、長距離各停の為か片道でテープを1本使う仕様になってた
>>299
今ではチョロQかポンチョ2運用路線の1つに >>316
あの路線、20年前で日立〜水戸全区間乗り通すだけで1150円くらいかかった。
笠松あたりでもう800円超えてたし。 >>316 東野交通も、片道25kmを超えるような路線では、放送テープ片道で1本だった。 >>316の続き
この路線においては一時期ワンロマ車限定運用だったし、日立電鉄では通常整理券番号が29番までしかない運賃幕に対し39番仕様が使われた程多区間過ぎ。 関東鉄道も巻き取り式運賃時代は35番までしか無かった。 日立電鉄において、巻き取り式運賃幕の時代は数系統が同じコマを使う様な場合『○○(停名) ×(数字)段下』の文字が隅に書いてあったり、
あと途中始まりの路線では整理券なしからではなくある程度の番号から進んでったり、更に整理券番号・運賃幕・音声案内テープのどれか又は全てがズレてた事もあった。 >>321
関鉄の場合、巻き取り式の場合は色々と制約が多すぎたな。
水戸市内循環なんか全部1本に纏めていたし。 阿見中央公民館の整理券6番なんかが今はそれの名残だろう。 日立電鉄のCJMあたりはオタ席無しの車があったな。
太田〜馬場八幡線で乗車したことがある。 >>324
茨交61系統水戸・大宮線の水戸駅始発整理券3番も然り。
>>325
記憶が曖昧だが当時の太田営所属となると、サブ冷付きの350(同仕様は神峰に351〜353もあったが)あたりかな?
それとも南になってからのカナ中古(1250、1256、1262)かな? >>326
石塚・御前山方面は2番から表示だった希ガス。
運賃表ですごいのは竜ケ崎→取手線だろう。
18番から始まるから上2段が見事に空欄(ちなみになしは江戸崎車庫)。
これも幕式のときはなしから表示していた。 >>327
18番始まりは凄い!
しかしその前の0〜17番はどこ始発を想定してたのだろうか? >>328
元々は江戸崎〜新利根〜戸張〜竜ヶ崎〜藤代〜光風台〜取手
の区間便だから。
取手〜江戸崎の通し運行も10年前の路線大改編の時に廃止。
同じような表示方法だと、筑波山口→土浦駅も11番からスタートしているな。
真壁から起点としている関係で。
因みに、途中の高岡からの区間便は8番からスタート。 >>329
そう考えると、勝手な想像かも知れないけどJRバスにかつて存在した土浦・佐原線の区間便といえる、土浦・江戸崎線の江戸崎発もそうだったりして。
今はオートガイドシステムとかデジタル運賃表、LED方向幕等メモリ容量が増えたので途中始まりは少なくなってる希ガス。 日立電鉄なら昔から自社発注の4折戸車の導入に積極的だった。 >>331
朝晩の工場輸送を得意としてたから4折戸車(大半が富士重工で後は川崎。記憶が確かならば日野は1台のみ)が必要だったんだろうね(81〜91年新製分の一部。けど同社は固定運用ではなく担当車制の為全てが工場輸送に当たるとは限らなかった)。
でもIC整理券になった時に片側は無用の長物と化したけど。 >>327
空欄ならまだいい。
使わない部分まで表示されてる会社もある。
始発から乗ったから最高額を払えばいいと思ってると痛い目にあう。 >>333
>>326前段も0から表示があった様な(浜田営始発を想定と思われる) 谷田部四つ角→筑波駅
今も残っていたら研究学園乗り入れしてそうだな。 >>335 それって日祭日に1往復しか運行されてなかったやつ?
なんか、意味不明に運休して筑波に来ない日があったよね?
乗りに行ったマニアが嘆いてたことあったし。 30年前は日立〜水戸系統は日立電鉄、茨交2社合わせて34往復運行されていた。
現在でも東海村内の国道6号には、かつて日立〜水戸線のバス停があった跡が残っている。
他に茨交の日立市内乗り入れは35系統が日立港まで。38系統が久慈浜まで乗り入れてた。
現在は太田〜小中が西端をわずかに通るだけ。 >>336
そうだよ。
日祝の昼間片道1便のみ運行。
晩年は土曜日も運行していた。
つくばマラソンの日は日曜でも運休。
普段はLRが入ってたが、区間便があった頃はおけいはんのRCも入っていた。 >>338 あの系統、片道1本だけだったんですか?
すると、YTとTKどちらが運行担当してたんですか?
当時の筑波駅から発車して、帰りはどこに回送? >>339
おけいはんのRCとある時点でYT。
TKにおけいはんの中古は過去1台も在籍したことは無い。
これは確か、午前中にセンターから荒川沖方面を運行してから筑波山口(当時は筑波駅)まで回送して四つ角行きに入って谷田部に回送するコースだった。
最後の半年は四つ角から筑波駅の逆ルート。
現在でもルート後半部分はつくバス北部シャトルの走るルートになっている(桜川の橋を渡るとこ)。 >>340 なるほど、詳しくありがとうございます。
谷田部のバスが筑波駅に乗り入れる唯一の路線だったんですね。 YTのおけいはんRCは普段は谷田部〜取手線、谷田部〜牛久線に多く入っていた。
稀に専用車点検時にはつくばシャトルにも入っていた。
谷田部〜取手線もおけいはんRCが走っていた時は現在とは違うルートだった。 ずっと昔は筑波駅→谷田部四つ角線は平日の運行もあった。
他につくば市内でマイナー路線は筑波駅〜水海道駅(小貝川沿いの水田地帯を走っていた)、筑波駅〜下妻駅って路線もあった。
関鉄のおけいはん中古に関しては>>110に詳しくあるね。 >>337
10年くらい前まで茨交38系統は下土木内から水戸駅までの路線があったよ。
現在は茨交38系統はサッカー輸送時のみの運行。
他に一度廃止されて後年復活した茨交の系統は52系統がある(昔は水戸駅〜大竹海岸線に使用していた。)。 >>335
経路は、
谷田部四つ角-谷田部中央-谷田部坂町-谷田部台町-台町北-谷田部中学校前-横場-谷城-
ナイルス工場前-柳橋-柳橋小学校前-新井-山中-西岡-保育園前-西大橋-宮本入口-古屋敷-
篠-下平塚南-下平塚中-集会場前-西平塚三叉路-西平塚入口-東平塚十字路-東平塚中央-
東平塚-大学会館-第一学群-第三学群-猿壁十字路-給食センター-一の矢交差点-一の矢-
玉取-玉取四ツ塚-大曽根下宿-大曽根中宿-常陸大曽根-若森-佐村-君島-君島入口-北条病院前-
筑波高校前-北条-北条内町-北条三叉路-杉木-大貫-西川面-群道橋南-群道橋-馬場-沼田-筑波駅 >>29
初期のみと号
水戸駅-大工町-自由が丘-石川3丁目-東京駅
のルート。
関鉄は社番1239MT,1271MT,1275MT,1276MT(いずれも貸切落とし)
茨交は水戸22あ745,水戸22あ768,水戸22あ770,水戸22あ772(いずれも貸切落とし)
が運用。
のちに1344MT,1356MTも高速に転用された。 >>346
東平塚から大学会館ってどうやってループの中入ったんだろう >>346
平日もあった頃だね。
晩年は大学病院のほうを回って大学構内に入っていた。 >>343 つくば市じゃないけど、水海道〜石下とか石下〜下妻とか、マイナーな路線あったな。 >>350
石下〜下妻は、冬季のみ運行。
水海道〜石下は、鬼怒中から石下方面のみ存続。 googleマップで谷田部四つ角→筑波駅線辿ったら、見事に篠付近、路線が切れてた。
四つ角線と同時廃止はこれだけあったかな。
水戸駅 - 小吹新道 - 植物公園
水戸駅 - 新道 - 見川一本松
土浦駅 - 桜ヶ丘 - 小岩田 - 補給処 - 摩利山 - 小岩田 - 土浦駅(補給処循環)
土浦駅 - 荒川沖駅 - 牛久駅
新治村役場 - 大畑 - 土浦駅
竜ヶ崎駅 - 長竿 - 角崎 - 松山 - 江戸崎車庫
竜ヶ崎駅 - 根町 - 富士見住宅
土浦 - 荒川沖 - 牛久線は運行最終日にエルガが入ってた。 >>353
小吹新道経由植物公園線は昭和末期で既に1本に減らされてた。
市立競技場(現・ケーズデンキスタジアム水戸)開設時に木工団地経由に移行。
新治役場線は常名の水田地帯を走るルートもあったね。 >>344
茨交で復活系統といえば7系統もそうだね。
水戸駅−国立病院−茨大 から
水戸駅−水高スクエア−赤塚駅 と変わったけど。 浜田の貸切格下げ車
ttp://jnr103.at.webry.info/201307/article_3.html
>>355
茨交は9系統も復活。平日のみだが。
昔使ってて今使ってない番号は、
6,13,14,15,18,30,33,42,44,46,51,54,72,80かな。
72系統は短命で終わった。 >>356
画像のあるページを見たけど使用系統が60・61とあるだけで36の記載がないね。
36系統、日立乗り入れ末期こそ一般路線車になっちゃったけど。
9系統ってどこ線だっけ?
当方日立電鉄エリアなので昔の系統番号には疎いが。 >>357
下市循環。
今の9は旧、買い物バスが定期路線に昇格したもの。
茨城交通は長距離線のみで市内路線には入らなかったけど、日立電鉄の貸切格下げ車は日立〜小木津などの高萩線の区間便にも入っていた。 >>358 サンクス。
日立電鉄の日立市内2営業所では伝統的に担当車制である為、貸切格下げ車は30系統や4系統等南営管轄の市内主要路線にもバンバン入ってた。
多くは標準床だが一部富士重工R1(乗車歴あり)のハイデッカーもあって狭幅中扉と併せお年寄りには大変そうだった。
フロントガラスから飛び出た幅広方向幕も印象的だった。 水戸地区で貸切格下げ路線車が見られたのは東武の笠間車庫行きもだな。
笠間も末期は7000番台後半のP-HTがメインになってしまったけど。
貸切格下げでは無いが、茨城交通の35系統はよく日野スケルトンの水戸22あ・600が運用に入っていた。 貸切格下げ路線車が出た背景には時期的にいすゞ標準ボディの製造所移転(岐阜→宇都宮)による生産能力低下と関係があったりして。
茨城県内にも中古車(日立電鉄では神奈中車が最初)が出始まったのもこの時期だし。 バスマガジン vol.51に浜田に置いてある同型の現役時代の写真が掲載されてるね。
茨22あ17-57 77年式日野RV
>>360
東武笠間の格下げ車は7290と7302と7419がいた。 関鉄の貸切格下げは土浦の補給処経由荒川沖線とか、取手の井野団地線に主に入ってた。
土浦には社番0741が、取手には社番0792がいた。 1980年代中頃、当方が乗った茨交36系統に充てられた浜田所属、日野の貸切格下げ車の車番は「茨22あ」の確か1900番台だった希ガス。
>>362前段と同じ1977年式といえば日立電鉄ではサブ冷ワンロマ車(その一部には屋根上に高さ数十cmの全周広告付き。当方は小学校時代の遠足のバスとしても何度か当たった)が導入されていた。 >>364
日立電鉄は川重BUも屋根に広告枠付けてた。
日立電鉄バス 太田営業所 1987年
ttp://blogs.yahoo.co.jp/toribasutom6425/8061504.html
左端には4E・RMの水戸22あ・・54が写ってるね。 >>365
当方の記憶が確かならば日立電鉄の屋根上全周広告付き車両はいすゞBUが3台、日デU30が1台、日野RCが2台。
画像のコメントでCLMかCJMとあったけどその当時同社ではCLMはない筈。
54懐かしいね。
あのロットの中には川重CCMのオートマ車(ナンバーは同61と62)もあった。
丁度広幅方向幕に切り替わった頃のロット。 >>363
関鉄土浦管内では団地線にも入っていたね。貸切格下げ車
後は、鹿行地区にもいた。 格下車ってあまりにも混雑する路線には使えなかっただろうし、現代の中型車と比較して燃費はかなり悪かったんだろうな。 >>366
日立電鉄のCLMは中古だけじゃなかったか?
ここにCLMの画像あるけどナンバー新しいから中古だし。
ttp://www27.tok2.com/home/piukarailandbus/kawasakicjm2.htm
逆に関鉄は自社のCJMはいなかったね。>>89にある通り3EのCLMを大量に入れてた。1085の事故廃車は可哀相だったが。
中古では鶴見臨港のやつを6台入れただけ。 >>369
関鉄のCLMも懐かしいな。
鶴見臨港の1台は日観に移動したね。 >>369
日立電鉄のCLMは都営中古のみ。
富士重工3Eの1台を除き川重だった。 関自の貸切格下げ車
ttp://club.riverside-traffic.com/kantozidousya.html
東野の貸切格下げ車
ttp://nekoaruki.sakura.ne.jp/michinokubus/busetc/toya1.htm >>372 写真の東野19号車は、中古で納車当時、東野で唯一の四菱車でした。
次に四菱車が入ったのは、鬼怒川車庫に配属された日本鋼管中古の480号車。
その次は、新車で納車された652世代の4台。
東野交通も東武バスも関東自動車も、当時はカンテラ王国だったな。
関東自動車の佐野なんて、乗合車全部カンテラになってた時期あったし。
当時は日大高校の送迎が主な仕事で、路線なんて静和〜足利、冨岡車庫〜赤見温泉、冨岡車庫〜石塚団地しか無かったからな。
赤見はマイクロ44号車で運行されてたし。
赤見が休廃止になってからは、完全なカンテラ王国だったからな。
その後、321号車が入って唯一の路線仕様の車両だった。 >>371の続き
しかもK-代当時のいすゞは2本スポーク+丸形センターパッドのハンドルが標準なのにこの都営中古は1世代前の3本スポークハンドルが付いていた。
(CLM+3Eは神峰の他高萩にもあったから計2台。スマソ) >>353
見川線は一度路線休止したな。
偕楽園の駐車場から曲がって徳川博物館の前を通って行くルートでオートのタクシーのあるとこで折り返していた。
晩年は休日のみ運行で地元民からも存在感が薄かった。
他に今年廃止になった。吉沢車庫〜畑中〜新道払沢〜水戸駅線も一度休止している。
ここはみなみ団地経由ができる前は1時間に2〜3本運行していた。 >>375
そういうのが所謂「免許維持路線」だったのかな?
日立電鉄でいえば既に廃止された15系統「日立駅−旧国道−南高野団地」線も10系統水戸線が廃止されてからは一日1往復の状態が続いて終いには21系統(起終点が同一の大学通り経由)に吸収された。 >>375
畑中経由吉沢線は植物公園線の区間便として運用されてたな。
もっと前は鉾田営業所も1便担当していた。
他に関鉄水戸管内では10年くらい前までは御茶園循環、水戸駅南口経由柏渕、古宿経由吉沢車庫(払沢線の延長線)、中石崎(けやき台団地の延長線)、中山行きなんかもあった。 日立電鉄は朝晩の工場輸送に強みがあったけど、南営管轄ではここ10〜15年の間に
32系統 神峰営−塙山−大甕工場
37系統 日立駅−中央線−大甕工場
38系統 神峰営−海岸−大沼工場
がなくなっちゃったなぁ(これらは30又は35系統に吸収)。
後、中型専用の24系統・多賀駅−久慈割山線も(これには水戸22あ、の一桁ナンバー車がよく充てられた)。 >>335
昔(1980年代)そのバスに乗って通学していた。
廃止直前期に乗ったら、運転手が経路間違えて運転していたので、オタ席から正しい道順を案内したことも、今となってはいい思いです。 茨城交通が、水戸駅〜宇都宮東武まで走ってたのは、昭和何年までですか?
40年代ってのは聞いたことあるけど、詳細が解らないもので。
ちなみに経路は、水戸駅〜野口までは、現在の経路と同じかな? >>380
54年。
北関東ライナー開設時に水戸と宇都宮は30年ぶりに繋がった。 こうやって見ると懐かしい顔ぶれがいっぱいだなぁ。
ttp://blog.goo.ne.jp/yoichiro1221_train223kei/e/1b274594a011b16718f7eec6af8e8a66
>>382
>>73に書いてある。
水戸200か・・19〜30が元土浦にいた貸切車。 >>382-383
神立とは言っても旧・千代田町(現在のかすみがうら市)だけどね。 >>383
勘助行きとか懐かしいな。
昔はそれよりも先にも行ってた。
水海道の万博車は幕回してると既に廃止になった路線とか色々と出てきた。
「平松」「一言主神社」「筑波駅」「石下駅」
などの幕もあった。
水海道〜守谷〜取手線は294号を外れて野々井の集落の道を走っていたな。
この集落の道が狭くて中型限定運用だった。 最後の万博車がまだ割と残っていて、土浦には元内陸の長尺車がゴロゴロ。
もう10年になるのか。 土浦市教育委員会の昔のバスってどんなバスでしたか? 日立電鉄には万博車はなかったけど茨交の万博車は三菱こそなかったものの、他3メーカーの富士重工車があり、日野富士を最初に見たのも万博車だったな。 >>381 有難う御座います。
54年まであったんですね。
水戸〜宇都宮とか、高速バス以外では長い距離走る路線バスだと思いました。 茂木まで繋がってる頃なら宇都宮まで乗り継ぎできたよ。 >>393 長倉から茂木の区間、バス走ってましたっけ? 6年半前までは、水戸→石塚→茂木
と乗り継いで行けた。
石塚→茂木はRB専属路線。 >>395 水戸から宇都宮が走ってた頃、水戸から茂木までは、そのルート走ってたのかな? >>397
レインボーだが車格的にはリエッセの前モデルに当たる。 どーもスレ的に日野RBっつーとREの前世代を思い出すw >>396
宇都宮まで繋がってたのは御前山回るルート。
石塚〜茂木線はローカル線
その前には友部〜笠間〜茂木線もあった。
95年に笠間〜茂木が廃止になって、08年に笠間〜友部が廃止。
笠間〜茂木は焼き物ライナーで復活。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています