昔の北関東の路線バス
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バス、JRバス関東については専用のスレがありますのでそちらをお使いください。 >>214
亀ながらd
確か佐野車で日野のRVセミデッカーだったんでその個体でしょう
最初は路線で使う予定があったのかな・・・ >>234
鉾田の社番1255は不調により00年頭に社番1408に置き換わる形で廃車されました。
それよりも年式が古かった社番1212,1213も01年の初めに社番1361に置き換わる形で廃車されました。
三菱・呉羽のMKは土浦に配置されてた車も他の同年式に比べて早く廃車されました。 >>236
水戸の61年式のやつもそういえば万博LV全廃後程なくして廃車になったね。
茨交のは割と長持ちしていたけど。 >>234 土浦ナンバーの1000号車までは覚えてますが、会社コードまでは覚えてないです(>_<)
すみません。
でも、下館所属車だったのは間違いないので、多分そのコードナンバーだと思います。 >>235 どうしても路線のレギュラー車が都合つかない時に、路線で使うつもりだったと思います。
あと、当時の栃木営業所のダイヤは、日大と路線がミックスされていて、朝は日大、午後は大平や西山中に行くとかなってたから、そういうダイヤにも使えるようにと思われ。
でも、実際には日大のみのダイヤでしか運行されなかった気がする。 20年ぐらい前、東野が好きでよく宇都宮、黒磯、大田原の車庫に行ったんたが黒羽だけは行かなかった。当時はどんな車が居たんだろ かつて上毛電鉄に4R94の前後扉の中古がいて、よく西武の中古だって言われてるけど
仕様的には東急の中古にしか見えない。側面方向幕ないし。
それから富士重車体のツーマンRB120やワンマン改造(といわれている)RE120で
登録番号が不自然なのが何両かいたけど仕様的に東武出身としか考えられない。 関鉄の中型路線車が短命なのは昔からの伝統
しかし未だ新車購入し続けているんだよな >>241
ネ申というより狂った集団じゃねぇか(いい意味で)
ぜんぜんついていけねぇ >>243
上に挙げたように三菱の呉羽K-MKは不調で15年程度で廃車になったけど、近年は代替ペースが落ちたので20年は使用されてる事が多い。
昔は日野RLなんかも事故を除けば14〜15年でほとんどが廃車されてた。 14〜15年って犬や猫の10年代替に馴れてるトンキンからしたら
十二分に長生きなのだが >>240 ナロータイプの栃22あ1400番台のやつ。 >>239
最近の話だけど関鉄龍ヶ崎営業所の9333RGも同じだね。 >>248 やっぱスクールと路線を併用で使ってるの?
昔、高根沢地区の小学生輸送を東野がやってた頃、黒磯から喜連川に転属してきた1168号車だっけな?
あれは、基本的にはスクールバスとして使用だったが、路線で使えるように方向幕も備え付けられてた。 >>245
関鉄は94年式中型が18年使用で何台もあぼーんになっている。 >>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 中型は大型に比べるとサスのへたりやエンジンやミッショントラブル起こるのが早いよ。 >>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 9255は常総学院送迎。
>>251
関鉄中型の18年使用は大体平均的じゃないのか。
前も86年中型が04年後期導入分の京成中古で代替されてるとこを見ると。
05年年明けの新車では89年LVまで代替されてるし。 >>255
89年LVは関鉄では万博車以来の大型。 >>255
関鉄の89年式大型は前期と後期に分けて入り、
前期は社番1432〜1443,後期は社番1463〜1472が入っています。
これらのグループで最初に廃車となったのはつくば中央の社番1440YTで、次に波崎の1469HSが廃車されました。 平成の頭ぐらいにテレ東の東京〜龍飛崎ローカル路線バス乗り継ぎの旅があったらほぼ東北本線沿線沿いで北上できた。 >>246
昔の15年はまあまあ長生き。
今なら売れないし寿命でもない一番無駄な使用年数。 日立電鉄がリバイバルカラーをすると薄緑とピンク、
関東自動車がリバイバルカラーをすると赤と茶色のが復活か。
どちらも今復活してもあんまし珍しくないか。 昭和41年4月で桐生〜赤城〜足尾(9往復/日)ってマジですか?
国鉄足尾線と完全に被ってる路線でそんな利用者有ったのだろうか。
ttp://ameblo.jp/unkomorizou/theme-10067155976.html 国鉄は貨物輸送がメインで旅客輸送はおまけだったから
バスの付け入る隙は少なからずあった。 >>269
当時の時刻表をみると,足尾の全盛期はすごいと思うが,日光とは4往復だけ
で,細尾峠経由なので恐ろしく時間かかっているな・・・・
今は6往復なので,この部分「だけ」は今が最盛期ということになるのか >>267
関東鉄道がリバイバルカラー復活させると車体下部にエンジラインが入るだけ。
どうせなら最近減りつつある側面ボディ広告復活だな。
茨急はリバイバルカラーだとクリームに水色ライン 現在、日光市営バスで運行してる鬼怒川〜女夫渕線、東武バスが運行してた頃は、12mのスケルトン車で運行してたって本当?
あの狭い道で、急カーブもあるところを12mのスケルトンとか信じられない! あれだけ古参車がいる会社の旧塗装車なのに、よりによってノンステというのが残念。
しかも車椅子マークとノンステ表記が邪魔。 関鉄バスの旧塗装
初代=ボディ表記が関東鉄道バス(手書き)裾に臙脂ライン
2代目=ボディ表記が関東鉄道(手書き)裾に臙脂ライン
3代目=ボディ表記が関東鉄道。現行塗装。 >>278
初代のやつは参宮及び常総から受け継いだ奴かな。
土浦、つくば、石岡の今昔っていう本にそれの写真が載っているけど。
まだ当時は車両番号すらなかった。 >>279
関鉄で車両番号(社番)を入れるようになったのは70年代前半。ナンバーが茨2から茨22に変わってからです。
初代塗装のやつは「関東鉄道70年史」の本にも写真があります。
その本の中で社番が確認できる最も古い車は社番0492 茨22あ・400です。 >>281
社史ネタきたか。
関鉄70年史は1993年発行だから、今年社史が発行されるなら90年史になるな。
茨交も30年史、40年史が発行されてる。
茨交のほうは国体の時に選手輸送、観覧客送迎に大量に新車入れたそうだが。 >>282
茨交の社史は巻頭の写真のページで全盛期の茨大前営業所を拝める。
まだバスが旧塗装の時代。 90年代初頭の地図だと未だ上水戸乗り入れしてるな。
ただ、笠間の桃山〜下館までの50号線は全くバス路線が無い。
下館からは小山まで路線が繋がっているが、川島橋だけ上下線系統が異なってる。 国道50号線を走る路線は今はもう途切れ途切れ状態。
水戸駅から西へ行っても杉崎十字路で止まってしまって笠間方面どころか市外にすら行けない。
さらに、笠間市内も平日運行の桃山線があるがそれも市外に出るまでに終点。
そこから先はなんと小山のおーバス5コースが走るとこまで路線が途切れる。
小山からも栃木・佐野方面には行けない。
その崎も途切れ途切れの区間があり、伊勢崎まで来れば1本のみしかないけど前橋まで行ける路線がある。 10年前の大子
水戸地区ではこの頃にはもうほとんど見られなくなってしまったK-の2つ目レインボーがまだ現役バリバリで走っていた。
たった10年で大子も車齡が若くなってしまった。 バスマガジン60号のCCMのページに51年CCMの関東鉄道の0858と日立電鉄の茨22あ1728、52年CCMの関東鉄道の0897、0903、日立電鉄の茨22あ1808の写真あり。 >>287
栃木はカンテラ王国だったが、茨城はCCM王国だったな。
川重が多かったが、北村もいた。 今から20年ぐらい前だと
大子から福島方面へバス乗り継ぎで抜けられたのかな? >>289
95年の時点で大子〜矢祭は路線が切れていて繋がらない。 カンテラ車って、普通は自社のデッカー車をワンマン改造して使うじゃないですか。
なのに東野だけは、わざわざ他社からデッカー車買ってきてワンマン改造して使ってたんだよな。
そんなことしたら金もかかるし、非効率的だと思った。
関東自動車とかは、昭和56年車までしかデッカーは無く、57年からスケルトンや準スケルトンみたいなハイデッカーを納入してた。
だから、関東は57年車からワンマン改造しなかった。
でも、東野なんて昭和57年車まで普通のデッカー有ったから、他社からデッカーなんて買わないで、57年のデッカーをさっさとワンマン改造すりゃ経費もかからなかったと思うんだがな。
東野って、金に余裕あったのか? >>287
社番0858(茨22あ1712)は竜ケ崎、社番0897(茨22あ1768)は石岡、社番0903(茨22あ1793)は水戸ですね。
社番0858は76年後期導入のいすゞBU10(社番0861〜0874),日野RE(社番0875〜0879)よりも少し遅れて登場しました。
社番0897,0903は77年前期導入の川重CCMで、15台余りが導入されております。
石岡にはこれ以外に社番0900,0901が、水戸にはこれ以外に社番0902がいました。
亀レスだが>>49
社番0922の現役時代の登録番号は茨22あ1811です。 >>291
茨交や日立電鉄も貸切から路線に落とした車もだいたいそこらへんの時代までだった。
貸切車が現カラーになってからは高速に落とした車が数台いるだけ。
関鉄は54年車以降は貸切落としの車は全て高速か特定に転用。 >>278
もうちょっと細かい点だと、49年前期までは中乗り小窓付き。
>>291
東野のカンテラならここにある。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/%257eiwate/vehicle/extra/scrap/tochigi_02.html >>294 東野の廃車体で、神奈中の富士ボデーが1784・1791と記載されてますが、1791は植竹商店に行った気がします。
だから、廃車体で留置されていたことはないかと。 >>289
唐竹久保〜上茗荷が繋がってたの?
今でも徒歩+数時間待ちで行けるけど、今の大子の車両でそこまでする気にならない。 日立駅〜大雄院〜東河内線
今じゃ凋落ぶりが半端無い 9255RGって東武のどこの営業所からから来たの? 25年位前の話だが、関東自動車の鹿沼駅〜上粕尾発光路線に乗った時のこと。
当時、栃木県ではあまり見ない、普通のナロータイプ幅が細いような1675ってナンバーのナロータイプが来た。
それで、上粕尾発光路の終点は、緩い坂道にあって、バスは一旦停車して、バス1台しか格納できない木造の車庫にバックで入って終点と言われた。
今では鹿沼市営リーバスになったから、上粕尾の車庫は使ってないのかな?
山の神とかいうところまで路線延長したみたいし。
それにしても、あの変なナロータイプ1675は、中古でどこかの会社から来たのかな? >>301
写真が無いので断言は出来ないが、京急のECMでは? >>302 なるほど、京急の中古ですか。
確かにナンバーが栃22あ1675では、1600番台の新車でナローは関東自動車には無かった気がするので、京急の中古もあり得ますね。 >>302
>>303
後面に幕装置がなかったり、前扉が4枚窓だったりと、京急とは仕様が違うような気がする
画像は栃木方面に詳しいサイトに載ってる(ヒント:BJ)
リンクを貼りたいが規制で貼れない・・・ >>304 1675号車だけは、謎が多い車輌だったんですよ。
もしかして、当時朝1番で上粕尾から鹿沼行きのバスは、早朝に鹿沼から回送してたわけじゃなく、前日夜に鹿沼から上粕尾行きで終着して、あの狭い上粕尾の木造車庫に翌朝まで一晩格納されてたのか? >>304
> 後面に幕装置がない
画像見たが、冷房も無さそうだし京急ぢゃないようだね。
しかし他にあの年式で川崎ナローのユーザーが思い浮かばん。
小田急狛江の主は富士重だし… >>200
平成5年頃前橋に行った事ががあるんだけど東武バスの前橋駅発群馬大学付属病院行きは、日中10分間隔だったのに
東武撤退後、この路線の本数は激減した。 伊奈付近にある廃車体
ttp://ameblo.jp/dd51-745/entry-10866693097.html >>299
道路の真ん中に一本杉があるとこ通る路線か。 東武の前橋撤退は99年だから、そのあたりから衰退か。 >>306 川崎のナローって小山にいたLTじゃなくて?モノコックだけどLTの >>308
高浜駅前にも関東鉄道バスの社番0598の廃車体がありますよ。
今は保線管理事務所が建って常磐線車内からは見えにくくなってしまいましたが。
これの1番違いの社番0599は晩年は水戸におり、「水戸22あ・184」と、水戸ナンバーで運用されていました。この代あたりの車はCDMの頃に置き換えられました。 >>311 小山に居たのは、321と322でしょ?
321は、最初の配属は富岡。
322は、栃木だった。
それが、栃木や佐野のダイヤ激減により、小山に転属されて、主に石橋駅〜小山に使われていた。 >>298
当時の日立電鉄バスにあってテープの音声案内に唯一薄くBGMが入ってた(茨交はなし)他、長距離各停の為か片道でテープを1本使う仕様になってた
>>299
今ではチョロQかポンチョ2運用路線の1つに >>316
あの路線、20年前で日立〜水戸全区間乗り通すだけで1150円くらいかかった。
笠松あたりでもう800円超えてたし。 >>316 東野交通も、片道25kmを超えるような路線では、放送テープ片道で1本だった。 >>316の続き
この路線においては一時期ワンロマ車限定運用だったし、日立電鉄では通常整理券番号が29番までしかない運賃幕に対し39番仕様が使われた程多区間過ぎ。 関東鉄道も巻き取り式運賃時代は35番までしか無かった。 日立電鉄において、巻き取り式運賃幕の時代は数系統が同じコマを使う様な場合『○○(停名) ×(数字)段下』の文字が隅に書いてあったり、
あと途中始まりの路線では整理券なしからではなくある程度の番号から進んでったり、更に整理券番号・運賃幕・音声案内テープのどれか又は全てがズレてた事もあった。 >>321
関鉄の場合、巻き取り式の場合は色々と制約が多すぎたな。
水戸市内循環なんか全部1本に纏めていたし。 阿見中央公民館の整理券6番なんかが今はそれの名残だろう。 日立電鉄のCJMあたりはオタ席無しの車があったな。
太田〜馬場八幡線で乗車したことがある。 >>324
茨交61系統水戸・大宮線の水戸駅始発整理券3番も然り。
>>325
記憶が曖昧だが当時の太田営所属となると、サブ冷付きの350(同仕様は神峰に351〜353もあったが)あたりかな?
それとも南になってからのカナ中古(1250、1256、1262)かな? >>326
石塚・御前山方面は2番から表示だった希ガス。
運賃表ですごいのは竜ケ崎→取手線だろう。
18番から始まるから上2段が見事に空欄(ちなみになしは江戸崎車庫)。
これも幕式のときはなしから表示していた。 >>327
18番始まりは凄い!
しかしその前の0〜17番はどこ始発を想定してたのだろうか? >>328
元々は江戸崎〜新利根〜戸張〜竜ヶ崎〜藤代〜光風台〜取手
の区間便だから。
取手〜江戸崎の通し運行も10年前の路線大改編の時に廃止。
同じような表示方法だと、筑波山口→土浦駅も11番からスタートしているな。
真壁から起点としている関係で。
因みに、途中の高岡からの区間便は8番からスタート。 >>329
そう考えると、勝手な想像かも知れないけどJRバスにかつて存在した土浦・佐原線の区間便といえる、土浦・江戸崎線の江戸崎発もそうだったりして。
今はオートガイドシステムとかデジタル運賃表、LED方向幕等メモリ容量が増えたので途中始まりは少なくなってる希ガス。 日立電鉄なら昔から自社発注の4折戸車の導入に積極的だった。 >>331
朝晩の工場輸送を得意としてたから4折戸車(大半が富士重工で後は川崎。記憶が確かならば日野は1台のみ)が必要だったんだろうね(81〜91年新製分の一部。けど同社は固定運用ではなく担当車制の為全てが工場輸送に当たるとは限らなかった)。
でもIC整理券になった時に片側は無用の長物と化したけど。 >>327
空欄ならまだいい。
使わない部分まで表示されてる会社もある。
始発から乗ったから最高額を払えばいいと思ってると痛い目にあう。 >>333
>>326前段も0から表示があった様な(浜田営始発を想定と思われる) 谷田部四つ角→筑波駅
今も残っていたら研究学園乗り入れしてそうだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています