昔の北関東の路線バス
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バス、JRバス関東については専用のスレがありますのでそちらをお使いください。 北関東はカンテラの宝庫だったなあ 東野の自家用上がりのMR好きだった 東武や栃木県だけでなく日立電鉄にもあったような<カンテラ >>212 日立電鉄にもいたね RVは撮影したわ。お隣の常磐交通には居なかったね。 >>209 関東自動車のデッカーの1176号車のことかな?
あれは、カンテラ車だったけど日大専用で使ってたはず。 >>211 自家用あがりのMR?
MRでカンテラ車なんて、東野にあったっけ?
どこの営業所にあった?
黒磯にあった栃木22う19号車じゃないよね? >>210
関鉄土浦のK-CDM410は川重が社番1220、1226、1248、1253、1254の4台、北村が社番1211の1台が在籍してました。
だが、どれも新製配置時は土浦ではなく、社番1220、1248は石岡から、1226は江戸崎から、1253は田伏から、1254は波崎から、1211はつくば北からの転属車です。
1226はうなぎ屋さんの側面車体広告が目立ってましたね。 >>218
この中で土浦で最後までいたやつは1248TCだったかな。
1253TCも割とCDM末期まで残っていたけど。 関自のカンテラRV730Pは栃22あ550や555とかがいたな。
他に日光の東武バスなんかもカンテラが多かった。 >>219
正解。
1248は石岡がグリーン移管時に土浦に転属してきましたが、わずか半年後に京成中古第3弾の代替で廃車されました。
1253は同型の1248が土浦に来た時に玉突きで廃車されました。
K-CDM410が本体で最後まで残ってたのは竜ヶ崎の社番1252。グループ全体では鉾田(当時はメロン)の社番1246が最後の1台でした。 1252RGスクール運用に入っていた事もあったね。
モノコックのいすゞ中型車は最初で最後の乗車だったけど、川崎ボデー車であまりにも天井低くて馬力無くて驚いたわ。あの頃の中型はいち早くスケルトンに移行した日野がシェア高かったみたいね。 >>221
1246M懐かしいな。
廃車1ヶ月くらい前に鉾田→水戸を乗ったが内装も新車のようにピカピカだった。 >>220 その世代のカンテラ車は、佐野にあった栃22あ561号車が最後の1台だったかな? >>222
いすゞの低床車は81年のK-CCM410の時期からありましたよ。
谷田部に入った社番1131と、柿岡に入った社番1132が最初の川重いすゞCCMの低床車。
日野はつくば北のK-RJ172AAの社番1258が京成中古第3弾の9180TKに置き換えられるまで走っていた。 東武バスだと岩井の7355がカンテラ車だった。
あと、足利にも7338のカンテラ車がいた。 >>223
1246Mは廃車される1年半前に2度目の車体更生を受けたので廃車されるまで良い状態を保ってました。
かつては古参車が多数いた鉾田も現在は廃車が進み、関東鉄道時代からの生え抜きはわずか3台(メロンバス経験車は2台)、生え抜きの新製配置車も97年式が最古参となってしまいましたね。 >>229
フロントガラスの下に正方形の幕でしたね。
茨城交通の特集本にこのタイプのバスの写真がある。 >>226 1178は、ワンマン改造した時、肌色に赤線3本の旧塗装で、佐野じゃなかった?
小山は、1179で観光シーズン中は、KDDDの送迎によく充当されてた。
1179も旧塗装で、新塗装のカンテラ車は栃木の1176が唯一だったはず。 >>227 栃木大町にも、カンテラ1台だけあった。
吉水駅〜日大高校専用で、一般路線には滅多に出て来なかった。
>>228 東武宇都宮〜下館八丁台と、東武宇都宮〜真岡東野車庫の系統を東野と共同運行してた頃、東武の下館八丁台車庫にあったカンテラが、よく東武宇都宮に来てた。
確か、ナンバーが1000だった気がする。
その1000号車は、下館八丁台〜小山駅西口の系統にも充当されてたので、小山駅西口でも見かけることもあった。 >>230
CDMと同時期に入れた三菱+呉羽のK-MKは廃車が早かったね。
安ボデーだったせいもあるけど。
>>233
土浦22あ1000のカンテラ車は東武バス下館の7415か。 >>214
亀ながらd
確か佐野車で日野のRVセミデッカーだったんでその個体でしょう
最初は路線で使う予定があったのかな・・・ >>234
鉾田の社番1255は不調により00年頭に社番1408に置き換わる形で廃車されました。
それよりも年式が古かった社番1212,1213も01年の初めに社番1361に置き換わる形で廃車されました。
三菱・呉羽のMKは土浦に配置されてた車も他の同年式に比べて早く廃車されました。 >>236
水戸の61年式のやつもそういえば万博LV全廃後程なくして廃車になったね。
茨交のは割と長持ちしていたけど。 >>234 土浦ナンバーの1000号車までは覚えてますが、会社コードまでは覚えてないです(>_<)
すみません。
でも、下館所属車だったのは間違いないので、多分そのコードナンバーだと思います。 >>235 どうしても路線のレギュラー車が都合つかない時に、路線で使うつもりだったと思います。
あと、当時の栃木営業所のダイヤは、日大と路線がミックスされていて、朝は日大、午後は大平や西山中に行くとかなってたから、そういうダイヤにも使えるようにと思われ。
でも、実際には日大のみのダイヤでしか運行されなかった気がする。 20年ぐらい前、東野が好きでよく宇都宮、黒磯、大田原の車庫に行ったんたが黒羽だけは行かなかった。当時はどんな車が居たんだろ かつて上毛電鉄に4R94の前後扉の中古がいて、よく西武の中古だって言われてるけど
仕様的には東急の中古にしか見えない。側面方向幕ないし。
それから富士重車体のツーマンRB120やワンマン改造(といわれている)RE120で
登録番号が不自然なのが何両かいたけど仕様的に東武出身としか考えられない。 関鉄の中型路線車が短命なのは昔からの伝統
しかし未だ新車購入し続けているんだよな >>241
ネ申というより狂った集団じゃねぇか(いい意味で)
ぜんぜんついていけねぇ >>243
上に挙げたように三菱の呉羽K-MKは不調で15年程度で廃車になったけど、近年は代替ペースが落ちたので20年は使用されてる事が多い。
昔は日野RLなんかも事故を除けば14〜15年でほとんどが廃車されてた。 14〜15年って犬や猫の10年代替に馴れてるトンキンからしたら
十二分に長生きなのだが >>240 ナロータイプの栃22あ1400番台のやつ。 >>239
最近の話だけど関鉄龍ヶ崎営業所の9333RGも同じだね。 >>248 やっぱスクールと路線を併用で使ってるの?
昔、高根沢地区の小学生輸送を東野がやってた頃、黒磯から喜連川に転属してきた1168号車だっけな?
あれは、基本的にはスクールバスとして使用だったが、路線で使えるように方向幕も備え付けられてた。 >>245
関鉄は94年式中型が18年使用で何台もあぼーんになっている。 >>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 中型は大型に比べるとサスのへたりやエンジンやミッショントラブル起こるのが早いよ。 >>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 9255は常総学院送迎。
>>251
関鉄中型の18年使用は大体平均的じゃないのか。
前も86年中型が04年後期導入分の京成中古で代替されてるとこを見ると。
05年年明けの新車では89年LVまで代替されてるし。 >>255
89年LVは関鉄では万博車以来の大型。 >>255
関鉄の89年式大型は前期と後期に分けて入り、
前期は社番1432〜1443,後期は社番1463〜1472が入っています。
これらのグループで最初に廃車となったのはつくば中央の社番1440YTで、次に波崎の1469HSが廃車されました。 平成の頭ぐらいにテレ東の東京〜龍飛崎ローカル路線バス乗り継ぎの旅があったらほぼ東北本線沿線沿いで北上できた。 >>246
昔の15年はまあまあ長生き。
今なら売れないし寿命でもない一番無駄な使用年数。 日立電鉄がリバイバルカラーをすると薄緑とピンク、
関東自動車がリバイバルカラーをすると赤と茶色のが復活か。
どちらも今復活してもあんまし珍しくないか。 昭和41年4月で桐生〜赤城〜足尾(9往復/日)ってマジですか?
国鉄足尾線と完全に被ってる路線でそんな利用者有ったのだろうか。
ttp://ameblo.jp/unkomorizou/theme-10067155976.html 国鉄は貨物輸送がメインで旅客輸送はおまけだったから
バスの付け入る隙は少なからずあった。 >>269
当時の時刻表をみると,足尾の全盛期はすごいと思うが,日光とは4往復だけ
で,細尾峠経由なので恐ろしく時間かかっているな・・・・
今は6往復なので,この部分「だけ」は今が最盛期ということになるのか >>267
関東鉄道がリバイバルカラー復活させると車体下部にエンジラインが入るだけ。
どうせなら最近減りつつある側面ボディ広告復活だな。
茨急はリバイバルカラーだとクリームに水色ライン 現在、日光市営バスで運行してる鬼怒川〜女夫渕線、東武バスが運行してた頃は、12mのスケルトン車で運行してたって本当?
あの狭い道で、急カーブもあるところを12mのスケルトンとか信じられない! あれだけ古参車がいる会社の旧塗装車なのに、よりによってノンステというのが残念。
しかも車椅子マークとノンステ表記が邪魔。 関鉄バスの旧塗装
初代=ボディ表記が関東鉄道バス(手書き)裾に臙脂ライン
2代目=ボディ表記が関東鉄道(手書き)裾に臙脂ライン
3代目=ボディ表記が関東鉄道。現行塗装。 >>278
初代のやつは参宮及び常総から受け継いだ奴かな。
土浦、つくば、石岡の今昔っていう本にそれの写真が載っているけど。
まだ当時は車両番号すらなかった。 >>279
関鉄で車両番号(社番)を入れるようになったのは70年代前半。ナンバーが茨2から茨22に変わってからです。
初代塗装のやつは「関東鉄道70年史」の本にも写真があります。
その本の中で社番が確認できる最も古い車は社番0492 茨22あ・400です。 >>281
社史ネタきたか。
関鉄70年史は1993年発行だから、今年社史が発行されるなら90年史になるな。
茨交も30年史、40年史が発行されてる。
茨交のほうは国体の時に選手輸送、観覧客送迎に大量に新車入れたそうだが。 >>282
茨交の社史は巻頭の写真のページで全盛期の茨大前営業所を拝める。
まだバスが旧塗装の時代。 90年代初頭の地図だと未だ上水戸乗り入れしてるな。
ただ、笠間の桃山〜下館までの50号線は全くバス路線が無い。
下館からは小山まで路線が繋がっているが、川島橋だけ上下線系統が異なってる。 国道50号線を走る路線は今はもう途切れ途切れ状態。
水戸駅から西へ行っても杉崎十字路で止まってしまって笠間方面どころか市外にすら行けない。
さらに、笠間市内も平日運行の桃山線があるがそれも市外に出るまでに終点。
そこから先はなんと小山のおーバス5コースが走るとこまで路線が途切れる。
小山からも栃木・佐野方面には行けない。
その崎も途切れ途切れの区間があり、伊勢崎まで来れば1本のみしかないけど前橋まで行ける路線がある。 10年前の大子
水戸地区ではこの頃にはもうほとんど見られなくなってしまったK-の2つ目レインボーがまだ現役バリバリで走っていた。
たった10年で大子も車齡が若くなってしまった。 バスマガジン60号のCCMのページに51年CCMの関東鉄道の0858と日立電鉄の茨22あ1728、52年CCMの関東鉄道の0897、0903、日立電鉄の茨22あ1808の写真あり。 >>287
栃木はカンテラ王国だったが、茨城はCCM王国だったな。
川重が多かったが、北村もいた。 今から20年ぐらい前だと
大子から福島方面へバス乗り継ぎで抜けられたのかな? >>289
95年の時点で大子〜矢祭は路線が切れていて繋がらない。 カンテラ車って、普通は自社のデッカー車をワンマン改造して使うじゃないですか。
なのに東野だけは、わざわざ他社からデッカー車買ってきてワンマン改造して使ってたんだよな。
そんなことしたら金もかかるし、非効率的だと思った。
関東自動車とかは、昭和56年車までしかデッカーは無く、57年からスケルトンや準スケルトンみたいなハイデッカーを納入してた。
だから、関東は57年車からワンマン改造しなかった。
でも、東野なんて昭和57年車まで普通のデッカー有ったから、他社からデッカーなんて買わないで、57年のデッカーをさっさとワンマン改造すりゃ経費もかからなかったと思うんだがな。
東野って、金に余裕あったのか? >>287
社番0858(茨22あ1712)は竜ケ崎、社番0897(茨22あ1768)は石岡、社番0903(茨22あ1793)は水戸ですね。
社番0858は76年後期導入のいすゞBU10(社番0861〜0874),日野RE(社番0875〜0879)よりも少し遅れて登場しました。
社番0897,0903は77年前期導入の川重CCMで、15台余りが導入されております。
石岡にはこれ以外に社番0900,0901が、水戸にはこれ以外に社番0902がいました。
亀レスだが>>49
社番0922の現役時代の登録番号は茨22あ1811です。 >>291
茨交や日立電鉄も貸切から路線に落とした車もだいたいそこらへんの時代までだった。
貸切車が現カラーになってからは高速に落とした車が数台いるだけ。
関鉄は54年車以降は貸切落としの車は全て高速か特定に転用。 >>278
もうちょっと細かい点だと、49年前期までは中乗り小窓付き。
>>291
東野のカンテラならここにある。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/%257eiwate/vehicle/extra/scrap/tochigi_02.html >>294 東野の廃車体で、神奈中の富士ボデーが1784・1791と記載されてますが、1791は植竹商店に行った気がします。
だから、廃車体で留置されていたことはないかと。 >>289
唐竹久保〜上茗荷が繋がってたの?
今でも徒歩+数時間待ちで行けるけど、今の大子の車両でそこまでする気にならない。 日立駅〜大雄院〜東河内線
今じゃ凋落ぶりが半端無い 9255RGって東武のどこの営業所からから来たの? 25年位前の話だが、関東自動車の鹿沼駅〜上粕尾発光路線に乗った時のこと。
当時、栃木県ではあまり見ない、普通のナロータイプ幅が細いような1675ってナンバーのナロータイプが来た。
それで、上粕尾発光路の終点は、緩い坂道にあって、バスは一旦停車して、バス1台しか格納できない木造の車庫にバックで入って終点と言われた。
今では鹿沼市営リーバスになったから、上粕尾の車庫は使ってないのかな?
山の神とかいうところまで路線延長したみたいし。
それにしても、あの変なナロータイプ1675は、中古でどこかの会社から来たのかな? >>301
写真が無いので断言は出来ないが、京急のECMでは? >>302 なるほど、京急の中古ですか。
確かにナンバーが栃22あ1675では、1600番台の新車でナローは関東自動車には無かった気がするので、京急の中古もあり得ますね。 >>302
>>303
後面に幕装置がなかったり、前扉が4枚窓だったりと、京急とは仕様が違うような気がする
画像は栃木方面に詳しいサイトに載ってる(ヒント:BJ)
リンクを貼りたいが規制で貼れない・・・ >>304 1675号車だけは、謎が多い車輌だったんですよ。
もしかして、当時朝1番で上粕尾から鹿沼行きのバスは、早朝に鹿沼から回送してたわけじゃなく、前日夜に鹿沼から上粕尾行きで終着して、あの狭い上粕尾の木造車庫に翌朝まで一晩格納されてたのか? >>304
> 後面に幕装置がない
画像見たが、冷房も無さそうだし京急ぢゃないようだね。
しかし他にあの年式で川崎ナローのユーザーが思い浮かばん。
小田急狛江の主は富士重だし… >>200
平成5年頃前橋に行った事ががあるんだけど東武バスの前橋駅発群馬大学付属病院行きは、日中10分間隔だったのに
東武撤退後、この路線の本数は激減した。 伊奈付近にある廃車体
ttp://ameblo.jp/dd51-745/entry-10866693097.html >>299
道路の真ん中に一本杉があるとこ通る路線か。 東武の前橋撤退は99年だから、そのあたりから衰退か。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています