昔の北関東の路線バス
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バス、JRバス関東については専用のスレがありますのでそちらをお使いください。 >>118
旧潮来営業所で最後まで残っていた路線車は社番1380,1382,1401,1478,1506,1511,1512,1610,1612,1669,1735,1743の12台でした。
そのうち北村MR3台は閉所に伴う減車で廃車となりました。
北村MRは路線用は86〜88年のみで、91年車は神栖のタウンストリーム号用でした。
フロントエンジンと、車内騒音がネックで早期廃車となりました(他の事業者でも同様の理由で早期廃車となっている)。 北村のMRは狭い道などで無理がきくなど長所はあるが、入口が狭い、エンジン音が大きい、ラッシュ時に向かないなどの短所が多かったのも早期廃車の一因。
現在、バス路線空白地帯は茨城は県西と鹿行、栃木は県南地域が目立っているね。 >>123 レトロは旅館の送迎でしたか。
運動公園で中高生のスポーツの大会がある時は、レトロが満員で乗りきれなくなり、市街地北部循環線にはちょっと不向きな車両かなと。
ブルーバスは、塗り替える前、足立ナンバーでしたよ。
エアサスだし、後ろ扉のステップが電動で車椅子を持ち上げられるから、予備車では勿体無い気が。
レギュラー車で使えばと思う。
ミャンマーは、最近日本のバス使わなくなってきたみたいね。
韓国のバスが増えたとか聞いた。
全盛期には、北関東のバス会社のバスも多数走ってたね。 >>126
ミャンマーは右側通行だからそりゃ韓国のバスの方が使いやすいわな
耐久性がどうかってのはあるだろうけど >>127 韓国のバスは、10年程度で廃車になってミャンマー入りするから、長年使えるのもメリットだと思う。 今じゃ関鉄も茨交も20年使用が当たり前の状態になってきた。
昔は12〜13年くらいで廃車していたのに。 285 名74系統 名無し野車庫行[] 投稿日:2008/02/26 22:12:17 ID:GHi2mxdZ(1)
両毛地区は結構人口も多そうだけど、ある意味あの広い平野に需要が分散しすぎて
いたのが、公共交通には厳しかったんだろうね。
東武が最大の原因なのは認めざる得ないが、群馬・栃木の他の事業者も似たような
もんだよね。栃木県南の関東バスなんかも縮小具合もすごいし、上毛電鉄は
自動車部門廃業だし・・。
東武を少し擁護すると、前橋より北側はかなり健闘していたと思う。
直営の頃も頑張っていたし、子会社に移管された今日でも幹線の
減便率もそれほど高くないし、よくやっているとは思う。 関東バスか…
1980年代の道路地図見てると栃木や小山、鹿沼でも多数の路線残ってる
栃木駅〜卒島〜小山駅
佐野〜岩舟〜静和駅
等々 地図出してみたが
小山駅〜間々田駅
小山駅〜小山送信所
小山駅〜作ノ谷フォーク団地
小山駅〜職業訓練短大
小山駅〜結城方面
小山駅〜小山工専
小山駅〜高岳北工場
小山駅〜富士通
小山駅〜小金井方面(小山遊園地経由有?)
小山駅〜壬生駅(小山遊園地経由有?)
小山駅〜扶桑団地(小山遊園地経由有?)
小山駅〜小山遊園地
小山駅〜栃木大町
小山駅発着でこれだけあったんだな >>124
潮来は佐原の路線バス部門廃止で一度は規模が大きくなったのに。 >>132
東武バスの小山駅〜榎本〜南小林
関東バスの小山駅〜福良、小山駅〜東野田小学校前ってのもありましたよ。 >>127
スレチだが沖縄は本土復帰後78年まで右側通行だった。
関鉄も6年前までは栃木県のちょい手前までは路線伸ばしていたが、県西地区の撤退は著しく早かった。 >>134
1988年の地図だからかそれは確認出来なかった
すでにこの頃だと太田駅〜足利駅や館林市内のバス路線は撤退してるしな… >136
小山遊園地・小山駅〜静和駅は1986年春辺りに廃止
因みに>>134上段はこれの折り返し系統
1986年旧盆に墓参りの為に静和から榎本へ行こうとしたら
東武バスの乗場が無いので関東バス(>>131下段)待ちの
客に訊いたら「廃止された」と言われて途方に暮れたorz
あと東武は小山駅〜古河駅っつーのもあった
国道4号には今でも当時のバス停跡地(バスベイ)が幾つか
残ってる >>137 かつては、古河〜間々田〜小山〜卒島〜栃木駅〜栃木大町って路線がありました。
それが、間々田〜栃木大町に縮小され、後に間々田〜小山と小山〜栃木大町に路線を分割。
東武バスの栃木大町車庫が撤退した後、間々田〜小山は廃止され、栃木駅〜小山駅を関東バスが運行。
そしたら、すぐに卒島〜小山駅に縮小され、終いには関東バスも小山地区を駅東循環線以外は廃止。
こうして、この路線は消滅しました。 東武の栃木車庫跡、廃止されてしばらく(割と近年まで?)「東武バス」だか何だか書かれたポールが残っていた記憶がある。
イエローハットに変わって久しい今は流石にないだろうが >>125
北村のMR(一般路線車)は86年式は社番1372〜1385の14台。
87年式は社番1396〜1402の7台。
88年式は社番1415〜1418の4台でした。
1418は96年に水海道に移動した後、一般路線には入らず、エルガミオが来るまで福祉循環バスとして運用されておりました。
>>133
潮来は全盛期の頃は玉造線、鹿島〜佐原線、繁昌線、鉾田線、麻生循環線と、各方面に路線を伸ばしておりました。更に大昔には土浦方面への急行バスもありました。
現在は一般路線は1本のみの与田浦佐原線となってしまい寂しい限りです。 >>140
その反面、水郷潮来の高速バス乗り場は大にぎわいなんだよな。
鉄道が貧弱な地域だから。 >>141
5往復/日あったあやめを1往復/日に追いやったぐらいだしな。
もう1本のあやめは旧・すいごうだし。 >>138
だが嬉しいことにコミュニティバスのおーバスが間々田駅や扶桑団地方面とかを未だ運行してる
やっぱり金は有るよな小山は なんで小山とか足利って都会の癖にバスの路線少ないの? >>144
共通する点は鉄道が4方向伸びてるから
後は、東武ががっぽりと路線を撤退したから。
茨城でも筑西なんかは東武が東西方向、茨急が南西部方向、関鉄が南東部方向に路線を伸ばしていた。
現在は全廃。高速バスすら走っていない。 >>144 小山は市営バスがいっぱい走ってるべ。
足利は、人口少しずつ減ってなかったかな。
それに都会じゃないし。
買い物とかも、足利住民は群馬県太田のイオンに行ってるぐらいだし、バスの需要がない。
それでも、4路線ぐらい市営バスがある。 土浦駅は、昭和40年代までは北関東一のバスターミナルだったらしい >>147
昔の土浦駅の写真見ると、関鉄、国鉄、茨観、東武が写っている。 昔の東武の本庄、深谷地区の路線や運転頻度がどれくらいだったか知ってますか? 平成元年頃だと、深谷駅〜寄居車庫は1〜2時間に1本ぐらいだったな
本庄駅〜寄居車庫はもっと本数が少なかったきがする >>148
50年前は下妻〜土浦は東武と常総筑波が交互で運行してましたよ。
http://www.eris.ais.ne.jp/~kunyu/toubu/toubus3805.htm 常磐高速バス 路線開業日
常総ルート 1999年2月1日
つくば号 1987年4月1日
ニューつくばね号 1991年4月1日
江戸崎線 2000年7月25日
あみPO、龍ヶ崎ニュータウン線 2012年7月11日
茨城空港線 2010年6月19日
笠間線 1999年2月1日
みと号 1988年4月27日
勝田・東海号 1996年12月20日
太田号 1989年10月11日
大宮・大子号 2001年4月1日
ひたち号 1988年6月1日
いわき号 1988年11月11日
ニューつくばね、江戸崎、笠間線は廃止。 >>152
常磐道はみと号用に岩間と内原に高速道併設バス停設けているけど、東北道は川口から下って最初の高速道併設のバス停は福島県の西郷になってしまう。
昔は白岡のバス停があったんだが。 JRバス関東と東北が共同で東名スーパーライナーの東北道バージョン作れば栃木県内の眠っている高速道併設バス停が使えるんだが。 >>152
こうやってリストを見て、笠間線があったのを思い出したよ。
となると、茨交の秋葉原−笠間は実質的には復活なんだね。 >>158
秋葉原‐笠間線と笠間‐東京線はルートが異なる。
笠間‐東京線は笠間〜友部〜岩間〜東京と結んでいた。
高速に乗るインターチェンジも当然異なる(笠間-秋葉原線は友部ICから。笠間-東京線は岩間ICから)。
他、TMライナー 開業日 1998年3月1日 東関東高速バス 路線開業日
かしま号 1989年4月4日
はさき号 1990年7月17日
あそう号 1990年7月17日 >>152
常総ルートは計画から開業まで10年余りを要しました。
開業当初は鹿島から社番1460,1461が転属し、程なくして水海道に社番1772,1773が新車として導入されました。
99/2の開業時は東京〜新守谷〜御所ヶ丘〜絹の台〜水海道駅のみで、同年10月には岩井線が開業。翌00年8月には新守谷線も開業しました。
TX開業後程なくして新守谷線が廃止。残りの路線も年々便数が減る一方となってしまい、かつての賑わいが薄れてきたのは寂しい限りです。 東武バスの東足利〜桐生天神町線の最後は、呆気なかったな。
20分に1本走ってたのが、その後3年ぐらいで本数激減していって、一気に廃止になったし。
あと、今では茨城県筑西市の小栗は、路線バス走ってなかったが、昭和40年位までは、下館駅〜小栗線と言ったら、東野バスのドル箱路線で毎日のように臨時が出てたと聞いた。 99〜00年頃の茨城のバスは関鉄も茨交も電鉄も新車は高速のみ。路線は中古しか入れてなかったな。 間もなく都市緑化祭グリーンフェア茨城から20年。
茨城交通委託のロンドンバス 水戸22あ1660、水戸22あ1661がシャトルバスとして運行されていたな。
南駐車場⇔徳川博物館⇔梅のゲート⇔大工町⇔泉町一丁目⇔水戸駅北口
のルートで。 >>163 定年退職した大昔に益子勤務してた整備士から聞いた。 >>165
正確には
竹のゲート⇔徳川博物館⇔梅のゲート⇔歴史館前⇔泉町一丁目⇔水戸駅北口
グリーンフェアのシャトル輸送は関鉄、茨交、オート、電鉄が担当しておりました。
関鉄は水戸だけではなく、土浦やつくば中央からも応援を呼んで当フェアの輸送を行っておりました。 巻き取り式の運賃表
スタンプ式整理券
2段式ステップ
木製の床
ローラー式方向幕
古き良き時代だったな。 >>168
関鉄のスタンプ式整理券、つくば中央は全滅しました。 >>168
関鉄でデジタル運賃表の導入は89年2月で、社番1432〜1443が導入された時に初めて登場しました。
その後、古い車両もデジタル運賃表に更新したため、初乗り130円時代になった90年11月にはほぼ全車デジタル式に変わりました。
この時から水戸ナンバー圏はレシップ製、土浦ナンバー圏は小田原製のを使っていましたが、レシップ製の初期はデザインが多少異なるタイプでした(後年、車体更新時に現行種に変更)。
巻き取り式の頃は土浦〜大学中央線は北部工業団地線と統一。阿見中央公民館線は短い系統だったため往復路連続でしたね。 巻き取り式の運賃表は時折狂ったり、表示が薄くなることが多くて不評だった。 >>172
国鉄バスの話がしたいなら
自分から話題出さないと 国鉄バスなら、昔は古河〜八日市場まで国鉄バスだけで乗り継いで行くことができた。 >>170
今は液晶画面運賃表に変わりつつあるな。 >>170
10系統の復路が昔中途半端なとこから始まってたのはこういうことだったのか。
今はなしから表示されてるけど。 >>170
阿見中央公民館線みたいに、整理券が往復連続しているのは茨交の東海駅〜亀下公民館線もそうだった。 >>159
TMライナーは運行開始から15年の間に3回経路変更しております。
◎初代(1998.3〜2000.11)
水戸駅北口-県自動車学校-岩間IC-桜土浦IC-並木大橋-つくばセンター
◎2代目(2000.11〜2010.4)
水戸駅北口-県自動車学校-茨城町東IC-土浦北IC-土浦駅東口-つくばセンター
◎3代目(2010.4〜)
偕楽園-水戸駅北口-水戸駅南口-県自動車学校-茨城町東IC-桜土浦IC-つくばセンター
初期は7往復運行で水戸と土浦が担当。
2003年の減便で土浦単独の運行となり、
2005年のTX開業で9往復と増便し水戸、土浦、グリーン石岡の3営業所担当となりましたが、水戸地区からTXへの交通連絡がほとんど活かされなかったことから2006年秋に減便となり、再び土浦単独に逆戻りとなりました。
最初水戸と土浦で共同運行していた頃は古い車が入っていましたが、2005年に水戸営業所の担当が1往復だけ復活した時にはTMライナーで1往復運行後、午後の「みと号」にも入っていたため比較的新しい車も入るようになりました。
この他、TX開業時に県北地区からTXへ乗り継ぎができるように守谷〜日立線、守谷〜常陸大子線の高速路線も開業しましたが、いずれも短期で廃止されました。 >>179
人知れず静かに終わったな。守谷〜那珂・常陸大子線。
石岡バス停下り線からも乗車可能だった。 守谷駅発の高速バスはみんなダメだったじゃん。
大子線、日立線、あみPO線と。 >>164
99年は常総ルート絡みで水海道に高速新車が配置されることが多かったな。
00年はみと号の県庁ルート新設や江戸崎線新設で水海道の他、水戸や江戸崎に高速新車がまとまって配置された。 >>171
余りにも薄くなって見ずらくなった場合は乗務員さんが運賃は○○円です。とアナウンスしている事もありました。中には、ペンで書きなおしたケースもありました。
余談ではありますが、レシップ製の初期は盤面が緑(普通は黒)、また鉾田車の一部に表示が69番までできる機能を搭載した車両がありますが、
90年代の初め頃に水戸=鹿島の直通バスの運行を計画していた事があってそのために69番まで表示できる表示器を導入したそうです(残念ながら実現はしませんでしたが)。 茨城観光は92年の頃もまだ巻き取り式の運賃表使っていたな。 >>175
古河〜土浦〜佐原〜八日市場
のルートですね。
他に20年前までは石岡〜羽鳥〜水戸とJRバスだけで行くことも可能だった。
93年の改正で羽鳥の遙か手前の飯沼までに短縮。95年の改正で更に手前の常陸高田まで短縮。晩年は朝に常陸高田〜赤塚〜水戸。
夕方に水戸〜赤塚〜常陸高田
という1往復運行になっていた。 古河辺りの国鉄バスの路線は今も昔も大して変わらないのかな? 水都東線
飯沼線
柿岡線(→関東鉄道→関鉄グリーンバス)
羽鳥線(廃止)
水戸南線(廃止)
涸沼線(廃止)
北常陸線(→椎名観光バス)
高萩線(→椎名観光バス)
南筑波線
霞ヶ浦線
君島線
山ノ荘線(廃止)
浮島線(→ブルーバス)
十余島線(→桜東バス) 関鉄は昔は水戸以南では、
友部〜北柏までの間の常磐線の駅全てに顔を出していた。
成田線も布佐、神崎、佐原、小見川、銚子と顔を出していた。 北関東3県各社の赤字路線はだいぶ淘汰され身軽になったように思える。
今やサーベラスが標的にしている埼玉の国際興業と西武の赤字路線が問題だよな。完全な空気輸送ではないのだが、比較的高賃金でありながら運賃設定の低さで収支合わない。 サーベラスは西武バスには何ら廃止対象を示していないが? >>188
現在は友部、岩間、天王台〜北柏への乗り入れは廃止されてますね。
岩間乗り入れは1983年頃に廃止されております。
当時関鉄は柿岡車庫〜林〜園部〜岩間駅、石岡駅〜堅倉〜大笹〜岩間駅の2路線がありました。
その他、岩間にはオート(当時は現在も残る奥ノ谷方面以外にも石岡、友部、水戸方面行きもあった)や国鉄バスも乗り入れてました。 中古バスを割と大事に使う事業者
・茨城交通
・日立電鉄
中古バスをすぐ廃車する事業者
・関東自動車
・東野交通
・関東鉄道 >>194
神奈中ブルは水戸のやつは10年使ってたな。
ノンステの入る少し前くらいまで。 京成バスの中古やノンステが入る前の土浦なんか凄かったな。
西武バス中古の5Eが黙々と黒煙出しながら走っていたりと。 >>196
関鉄での神奈中のブルは社番9001〜9005,9007〜9012の合計11台いました。
水戸に最初からいたのは社番9001〜9003の3台だけ。92年に社番9012が、94年に社番9004,9005,9007がそれぞれ土浦から転属しております。
水戸の9002,9003、土浦の9009が21世紀まで頑張っておりました。 今日で、
高速バスつくば号運行開始から丸26年。
東武バス群馬撤退から丸14年。
東武バス茨城撤退から丸11年。
茨交バス大減便ダイヤ改正から丸8年。
かしてつバス運行開始から丸6年。
関自の小山の大粛清から丸5年。
筑西市からバス路線撤退から丸5年。
関鉄観光バス田伏車庫閉鎖から丸4年。
桜川市からバス路線撤退から丸2年。
高速バス江戸崎線廃止から丸2年。 >>100
関鉄での都01中古は社番9075〜9077の3台在籍しており、1年で廃車となったのは9077TCでした。
昔聞いた話では致命的な故障があって想定外だったそうです。しばらく土浦車庫内に留置された後、千葉内陸バスの日野HTに代替され、残りの2台も98年に廃車されました。 >>202
TCの千葉内陸の長尺HTも懐かしいな。 その千葉内陸も今はブルリ低床の廃車が進んでいる。
後は、土浦には千葉海浜の3扉もいたな。 >>203
千葉内陸の日野HTは1992年に社番9067〜9069のグループが配置されたのを皮切りに、2000年に配置された社番9138まで毎年配置されました。
関鉄には59〜62年式までいましたが、60年式が一番多く、9台在籍しておりました(社番9068,9069,9081〜9087)。
>>204
海浜の3扉は1993年に83年式社番9070〜9072を購入し、鹿島、土浦共後扉締切で運用されてました。
鹿島に配置された1台は潮来閉鎖時に廃車。土浦の2台は京成中古の第1弾で代替となりました。
これを最後に関鉄で3扉車は運用されておりませんが、一時期、元年式、2年式自社発注、京成中古の置き換えに茜浜の3扉車の購入を検討していたこともありました。 YouTubeで1985年の宇都宮駅西口バスターミナルの映像あり。 >>207 カンテラ車は、平日に作新や宇学・宇女商が終わる時間に、長坂経由新鹿沼に来て、高校生が乗りきれないことがよくあった。
作新前の停留所にも、高校生が帰る時間に、大谷観音とか荒針経由新鹿沼系統の宇都宮行きがカンテラ車で来て、人数乗れない非効率ぶりを発揮してたな。
土曜日やテストなどで学校が早く終わる日は、昼間の本数が少ない時間帯にカンテラ車なんか来たら最悪だった。
当時は土曜日ダイヤが無かったから、10分に1本ぐらいしか来なかったから、積み残し常習犯。
カンテラ車は冷房車だというぐらいしかメリットがなかった。 カンテラ懐かしい
突然東野に中型ベースで出たのを最後に居なくなってしまったね
関東と言えば、現行観光カラーで巨大カンテラつけた車をバスファン誌で見た記憶があったが、これも驚き
あの姿で路線運行したことがあったのだろうか 関鉄の元千葉内陸車は混雑時も詰め込み出来てかなりいい車だった。おなじダイヤにK-CDM来た時は悲惨だった。 北関東はカンテラの宝庫だったなあ 東野の自家用上がりのMR好きだった 東武や栃木県だけでなく日立電鉄にもあったような<カンテラ >>212 日立電鉄にもいたね RVは撮影したわ。お隣の常磐交通には居なかったね。 >>209 関東自動車のデッカーの1176号車のことかな?
あれは、カンテラ車だったけど日大専用で使ってたはず。 >>211 自家用あがりのMR?
MRでカンテラ車なんて、東野にあったっけ?
どこの営業所にあった?
黒磯にあった栃木22う19号車じゃないよね? >>210
関鉄土浦のK-CDM410は川重が社番1220、1226、1248、1253、1254の4台、北村が社番1211の1台が在籍してました。
だが、どれも新製配置時は土浦ではなく、社番1220、1248は石岡から、1226は江戸崎から、1253は田伏から、1254は波崎から、1211はつくば北からの転属車です。
1226はうなぎ屋さんの側面車体広告が目立ってましたね。 >>218
この中で土浦で最後までいたやつは1248TCだったかな。
1253TCも割とCDM末期まで残っていたけど。 関自のカンテラRV730Pは栃22あ550や555とかがいたな。
他に日光の東武バスなんかもカンテラが多かった。 >>219
正解。
1248は石岡がグリーン移管時に土浦に転属してきましたが、わずか半年後に京成中古第3弾の代替で廃車されました。
1253は同型の1248が土浦に来た時に玉突きで廃車されました。
K-CDM410が本体で最後まで残ってたのは竜ヶ崎の社番1252。グループ全体では鉾田(当時はメロン)の社番1246が最後の1台でした。 1252RGスクール運用に入っていた事もあったね。
モノコックのいすゞ中型車は最初で最後の乗車だったけど、川崎ボデー車であまりにも天井低くて馬力無くて驚いたわ。あの頃の中型はいち早くスケルトンに移行した日野がシェア高かったみたいね。 >>221
1246M懐かしいな。
廃車1ヶ月くらい前に鉾田→水戸を乗ったが内装も新車のようにピカピカだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています