弓道総合スレ 四十二立目
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ゴム弓はもっとやりたいねえ
ほっそい人は弓が全然開かんよって
筋トレっつーか身体を動かすってところからやったげたいわ >>472
> うちは週2回2時間ずつで6回目で的前かな
> ただ中々居続けてくれる人いないんだよねえ…
1年間真面目に稽古したら、初段も夢じゃないのにね。 >>464
マッスルゥー!力が有り余って、何かバランスおかしくなってたり?
8割当たってた頃を追いかけても9割当たる先に繋がるとも限らんし、
今も別に気になってる穴がいっぱいあるなら、8割の頃は気にしなくてもいい気はするのだ >>473
そういう人もいるだろうけど俺なら的前で引く楽しさが優先だな。
そのモチベーションが解ればもう一回時間をかけて教えていけるし。
学生のように同世代と楽しくやったり、組織ってのを初めて知ったり
学校の一部だったり勝敗だったりというモチベが全くない状態で
基礎だ基礎だとこだわるのは指導者としてはどうかと思うよ。
書道を始めるにあたって墨するところから始める書道教室はないじゃろもん きのう徒手、ゴム弓をみっちりやってイメージをしっかり固めた
今日は12/20、15/20でなんとか6割5分。後半はかなり気持ちよく引けた。
やっぱりやるべきことをやってなかったと思う。無意識に頭から抜け落ちてたのかも。 >>477
あえて紙を作るところから始めるか(斜め上)
ビジョン共有できてるのかな
なんかこー向上してる感があれば、別に射的しなくても満足すると思うが 自分は地味な練習が嫌いじゃないタイプで逆にすぐ的前に立たされるのが怖かったけどな 個人的に、角見の働きと上押しの必要性は
1コマ使っても原理からちゃんと教えて欲しかった。
それで顔払ったりすると恐怖心でいろんな射癖につながる。
あと、初心者ってカケはやっぱり和帽子の方が感覚つかみやすいのかな。 初心者「手首が離れで折れちゃう!」
初心者「無理に顔向けするのが苦しい!」
初心者「正面で手の内がわからない!」
稲垣範士系統「ええんやで」
斜面打ち起こしって神では(kenさんのブログを読んだ感想) 正面やってんのに斜面でしか辻褄のあわん手の内教えられるのは浦上一門のせい(教本一巻巻末の図)
アレで多くの人が手の内の路頭に迷う 紅葉重ねは正面にいちおう応用できるって浦上範士がおっしゃってた(ような気がする)し、
いちおうそういう主義の指導者のもとで個人で日本一になった人いるし…
宝くじレベルの適合者のみ可能なのか、そのへんは知らん 正面→日置だけど応用は誰でもきくとおもうよ。
もちろん慣れは必要だし、道場師匠の反感を買うことはまでは責任取れんけど。
その中でも適正が悪い人を上げるなら
@打起しから絞り込むようにしてむっちゃ捻じってる人
A上押がきつくて弓手全体がつっかえ棒みたいにぎゅーぎゅーで引いてる人
はたぶんやっても意味がない。 何のための手の内か、だよな。
見た目ばかり整えても、働きが無いと意味無いし。
手先だけの事じゃないし。
打起し〜大三〜引分の間で弓手の親指離したり、動かしたり
離れの瞬間、弓手開いてジャンケンパーになっていたり
弓手の手首を振ったり、振り上げたり
残心でガッツリ矢摺籐の真ん中握ってるヤツとか
それで「的中が〜」とか、頭痛いわ。 >>486
大三〜引分の間親指(根?)を弓から離すことってできる?
掌根のみで押してる状態? >>490
中指と親指のことなのかなあと思った
横から口だすのはろくなことにならんが回答ないので予想をかいた うちの師匠も「綿所で押して親指は弓に触れない意識。ただ実際には触れてしまう」と言ってました。
本多流には、会で親指を3時に向けて離れで一気に的に押す、という人がいたと記憶してます。
だから、本多流の一派の手の内なのでは? あ、490しか見てなかった。流れ無視してしまいました。上のレスは無視してください。 >>492
いやそういうレスの方がありがたいのだが 親指で押す癖を矯正する過程でやってたなあ
大三でいったん弓から離すの
本多ではないが、人に説明する時に
親指で押せって教える人と
親指は添えるだけで、中指から小指を締めるって教える人の
2パターンがいるから、やってることが違うから
好きな方選んでねって言ってるな 手の内を個別の方向で考えてる奴ってこんなにいるの? だってお前真っ直ぐに押せって言うと捻り込もうとするじゃん 弓って会では若干的の方に傾いているから、
「まっすぐに」押すと上押し利かなくなるよね >>502
まっすぐに押すとうわ押しになるんじゃないの? 直心系使ってるならさておき上押し利かせる必要ってあるのかい? まっすぐ の解釈を間違えてるからじゃねーの?
まっすぐ=上押しじゃないっしょ 「弓(握り)に対して直角に、十文字に」を忠実にやろうとすると、
そもそも弓が会で垂直じゃないから、結果的に若干上押しになるよね、
っていう話じゃないの?
ttp://ecoecoman.com/kyudo/image/20070304_tenouchi.jpg まっすぐはまっすぐだろ
上から押しこむわけでもなく下から変におすわけでもなく
弓の傾きとか十文字とか関係ないと思うよ 上押しっていうのは弓を下向きに捻ることではなくて
左手握りこぶしの上の方に強い力がかかるということ。
会で弓が鉛直でないのは確かだけど、そこまで字義通りに考えないんじゃないかな。
左右対称っていうのだって、左肘を伸ばして右肘を曲げるのに、対称な訳がない。 執り弓の姿勢のときの弓と矢が対称というのも、
弓の末弭を体の中心の延長に持ってきて矢の延長線が末弭に向くなら、
弓は反っていて矢はまっすぐ延長する違いの分だけ、左右は非対称だよね。 五重十文字の1つは弓と手の内だけど、
他に弓と矢もでしょ
弓と矢は絶対に直角にならない 「十文字」とは言うけれど、「直角」とは言ってないからな。 十文字は見た目じゃなくて力の働きやで
とか言ってた人がいた気がする
正しいかはしらん >>513
五重十文字を会での形で考えるからや
働きで考えるとちょっと違ってくる
矢番えで弓と矢を十文字に結び、そのまま会へ運行していくと
離れで再び直角の位置へ戻り、飛んでいく
弓構えで手の内と弓を十文字に整え、そのまま会で働かせると
離れで弓の下側が押し出され、再び弓と手の内が十文字になって矢を真っ直ぐに飛ばす
故に残心では弓は垂直に立つ形になる 離れで下が出るのを抑えてるということは弓には的方向へ上押する力と
小指を締めるような形で手の内に梃の原理のように小さい力点支点がある。
これが離れた一瞬で脱力するわけはないのでその話で行けば
残心で垂直にならんと思うが。
それとも離れの瞬間に弓が垂直になる所で維持するように握りしめるか
全てのバランスがとれるほどのタイミングで手の内のエネルギーを無くすか。
正面の悪いところは技術論と理想論が哲学で繋がってるところだと思うんだが。 正面って一口に言うけど、礼射系の小笠原と武射系の本多があるからな。
斜面の人が正面を批判するなら、日置→竹林→本多っていう変遷を踏まえて言えよ 小笠原とか本田とかかんけーねよ。正面っていったら「日本弓道連盟流」だよ。
おまえらの大多数はこれ。
それとも系譜たどったり門人だったりするの?しないだろ?
少なくとも自分の指導者がどういう出所かを知ってる人なんてそんなにいない。 斜面だって流派直系のガチなヤツばっかりじゃないじゃん。 日本弓道連盟流ってなんだよ
みんなそれぞれあるだろうがよ >>522
関東の日置は大体たどれると思うよ。
本家格と筑波からの流れ。門人となると少ないけど指導者の立ち位置に
いる人は結構母校やら出身母体に里帰りして学びなおしをする人もいるし。
だからうちの先生は〇〇大で〇〇先生に師事、〇〇先生は××師範代に師事
って感じがつよいよ。
今は落ちぶれているけど筑波も最盛期は日置流の初心者への指導要綱を
つくってあって配布してた。その内容は完全に日置のもので正面との比較
をするようなものではなかったし。教本とは違って指導の仕方がのってたな。
>>523
そのそれぞれが曖昧な人大多数だよ。
実際俺は中学から弓道部がある地域の出身だが流派がなにに当たるのかは
まったく話題にも上らずに高校までやったしな。
大学まで行くと指導者がかなりの習熟者になるから
〇〇系っていうのがはっきりしてるけど、大学になるまで弓道やって
そのうえある程度上のクラスでやっている人となると思ったほどおおくないだろ。 >>525
それぞれっていうのは流派のことじゃなくて個人のことを指してるんだが >>526
個人それぞれ「 」だ。
なにがカッコにはいるの? 尾州流は正面?
正面でも変わった引き方ってどんなのあるかね >>528
斜面打ち起こしに分類はされると思うが
日弓連流というのは方便だけの話でそんなものは実在しない 聞きかじった指導者がフランケンシュタインみたいなツギハギ射法教えてる現状を揶揄してんだろ 日弓連の正面の原型は本多だったけど今では劣化コピーとも言い難いしな
あえて言うなら流派として独立していないけど「無争」が日弓連の正面の主流といったところか? じゃあ弓連の教本は何流なの?って話になるだろ?
〇〇流です。といったらその〇〇から反論されるしろものじゃないの? 足踏みと打ち起こしだけで「小笠原」、「日置」って雑に教えるやつもいるからな… 本多っぽいこと言うと邪竜扱いされる
ちょっとカッコイイ 事の始まりは全日弓連が教本作成時に射法を統一できないまま走ったことだろ。
射法統一できないなら、時期尚早として解散すべきだった。(射法統一の研究は続けるとして) べつに統一射法を決めずに連盟を続けてもよかったわけで別に解散する必要はないな。
ま、いまでも斜面を敵視してるような爺さんがいっぱいいるからな。
統一なんて夢のまたゆめ >>535
枠組みで日本の代表組織という感じができてるのはまあいいと思う
あとは地方分権というか、各地ですきにやれってのでいいと思うが
流派もあるし人の移動もあるから、各地=地連という枠が良いかは微妙だし、
大まかな枠組みだけ整えたら口出ししないのが逆にベターだと思うが
統一射法なぞとんでもない 射法を統一しろ、統一できないなら日弓連解散て、何を目指してるんだ?中間射法の人?
日弓連の誤算があるとすれば、教本作製当時と比較して
指導者クラスが流派門弟でない・理解もない人物が増えた事なんだろうな なんか来年度から昇段審査厳しくなるって聞いたんだが本当? >>538
普及しすぎた、という可能性はあるのかな
普通の学校の先生が初心者を教えるようになってしまった背景は? 統一しようとして中間射法やり始めるような悪夢はもういらないです >>540
エビデンスを提示できなくて申し訳ないが、教本3巻までが出た昭和20〜30年代より競技人口増えてると思う。
というか大抵のスポーツがそうか?
昭和46年のグラス直心含め、弓具面でのハードルは下がった一方、教育面では弓具程のブレイクスルーは無い。
となると裾野の広がりに指導者育成が追いつかないのは必然かも。 各派衰退かと思いきや、思いのほか粘るわ
時代がマイノリティ理解、かっこいいなんて
ながれで連盟創設時だいぶ違うんじゃね?
段審にいったら各流派の体配でも公平な審査を
求められかねない時代になったが、理解ある
高段者が居ないみたいな現状?
連盟はもっとアクティブであるべき。 初版の教本を編纂した頃は、戦後で弓道人口激減、
ちょっと聞きかじっただけの亜流師匠や自己流もあって
どこの流派も頭痛いだったと妄想。
流派の教えは各自で守り教え戴くとして
共通する基本を文字や形にして一般に広めないと
この先ヤバいと思った人が多かったんじゃないかな。
審査も、共通のスタイルでやってもらったほうが
誰が審査員になっても誤解が少ないからな。
時代の変化に合わせるなら、流派理解もだが、
ジェンダーフリーな考えを「理念」に持ち込めるか
というのがある。
男女の体格骨格の違いについては、以前はやかましく言われていたのが
最近は、少し変わってきたようだが。 派閥があったとして
同じ派閥だって骨格違えば引き方がかわってくるし
空手だって戦後にやたら流派増えてるし
太極拳だって、やってる人の数だけ流派がある、みたいに言われてるし
一つの流行みたいなんが絶対、みたいな流れにするほうが不自然ってもんだよ 骨格が違う程度の差異では流派にはならんし
太極拳の例でいえばそれはそれくらい個々の感覚の尊重がされているだけで
俺流が流派だというのはどう考えてもお世辞レベルの社交辞令。
とはいえ、統一流派を作る意味はあまりなくどうせ淘汰される過程で
いい部分は他流にパクられるわけだから不自然にまとめる必要は低い。
ただこれだけ平和な日本で歴史だ伝統だと行き過ぎた感がある国だから。
実のない、実力者がそろわない流派でも存続だけはしている感じもしないでもない。
なんつーてな >>544
最初の話がざっくりしてるから他人のブログで補足、内容の検証はしとらんからしらん
http://blog.goo.ne.jp/kyuudou-syugyounikki/e/97ed574ffd467866c6c0864e0d891826
最初の日弓連が解散した経緯がわからん、そんなきっちり調べてないが
適当に出版物を斜め読みしても話にあがってないのよね 流派対抗試合とかあればいいのにな
そういうの嫌いな流派もあるだろうけど >>547
GHQ統治下の戦後だからなんとなく予想ついたけど
大日本武徳会解散時、宇野要三郎は武徳会副会長という要職に就いており、武徳会がGHQにより強制解散させられた際に
追放(パージ)される。(旧)全日本弓道連盟結成後しばらくして、『パージされた者が会長を努めている「(旧)全日本弓道連盟」は
武徳会の延長である。』との趣旨の風説が司法界や文部省で囁かれ、国体から「弓道」が除外される懸念も出始め、
宇野会長は辞任、(旧)全日本弓道連盟も解散させる形をとった。
とうぃきにかいてあるな。 弓手肘の回内ってどうしてる?
回外したほうが下筋使える気がするし、肩から手の内まで力が伝わる気がする…
と思って調べたら結構回外する人多いのね。回内が実は間違いだって人もいるみたい。
ああやっぱり回外が正しいんだと思ってここ何回か練習で回外を試してるんだけど、いまいちうまくいかない。
馴れもあるんだろうけど、やっぱり回内のほうが押しが安定する
回内は疲れてきて弓手さぼっても何とかなるけど回外はちょっと緩むと一気に負けちゃってふわふわする。
うまくいけば回外のほうが良い気はするんだけどなぁ >>551
ありがとう、そんなの追加されてたんだな
武徳会の時の職か >>552
正面で四つ弽だけど弓構えから両肘の角度は変えないで会に持っていくイメージだから回内とか意識してない >>550
どこだよw
月刊秘伝にでも特集してもらうか >>555
無影心月流
一貫流は表に出てきてる方になるかな >>542
レスさんくす
地連が指導面で役に立てばいいのだが、馬があわないパターンが圧倒的だな
どっちが悪いかはあれだが
>>556
合気ニュースで2号続けて少しだけ特集されたことがあるな
武禅は読んだことないがどっかの人が収集してたな
一貫流は、某白髪の○○コ氏に存在を教えてもらったのだ >>559
名前がなくて、あなたはそれを何て呼んでるんです?
自称も他称もないのかな
もう少し教えてよ >>560
自己顕示欲のある人ばかりじゃないでしょうに 靴下の上に足袋履いても冷たい射場。。。
一立したらダッシュで矢取りしてガンガンに焚いてるストーブの前に。。。外-12度。。。 エスパーすると、563のいうのと同じかわからんが、
「○○先生を中心にした同門会、勉強会」って程度は流派ではないのでは?
と思ったが、仮に大流行したら、誰かが流派扱いするだろうから、そうなったら流派だろうとは思う >>561
別に具体的な個人名などをあげたくないならあげなくていいから、
でもさ、流派ってのは「俺らの流儀はこうです(あなたたちとは違うんです)」
って区別の要素は必ずあると思うんだけど
自称もしないし回りから名付けられもしない流派ってなんなの?そんなのあるの?区別どうやってしてるの?
という疑問がつきないのだが、それだけ教えてくれないか? かけまで作った「無争」は流派を名乗ってもよさそうな気はする 流派名乗った時点ていきなり胡散臭くなっちゃうからな。それが伝統なんだけど。
ネーミングも難しい。
中二病みたいなのはネタにしかならんしw 今新しい流派の名前をつけると、日弓連と反目する方向になりそう
対立は、日弓連に成り代わるところまでを目指さないと、
新流派を立てた方でもデメリットにしかならないと思うのよね
だから今のご時世やるなら、内部でシンパを増やして内側から乗っ取りがいいよね、
日弓連という看板も手にはいるし、というラノベとかなろう的妄想 オープン制の大会をやればいいと思うがな。賞金付けて。
大会が大規模になればなれるほど無視できなくなる。
そこで勝ち続ければおのずと「〇〇グループ」とか言われるだろうし。
弓具屋は儲けているところもあるだろうに「弓具を作ることが文化への貢献」みたいな
おべんちゃらみたいなことしてないで賞金スポンサーでもしたらいいと思うわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています