伝統空手とフルコン空手どっち派? ★3
>>36
>>39
ま、本来の唐手を知らない人間の妄想なんてこんなものでしょう
素手オンリーの武術なんて
本来この世にないという事が心底理解できないという哀れさ
皆がやってるのが正しい、形骸化した世間に流通した姿が正しい
テレビやマスコミの表面的な知識が正しい
という思い込みの世界を生きる浅はかさ >>41
だから、武器を使って剣術に勝てる空手の流派・団体名を早よ。 合気道や柔道ですら元は武器が前提だからな
古い映像見てりゃすぐにわかる >>36
一心流空手
武器術に合わせて引手を縦拳にしてるほどだよ 黒帯ワールド見て空手を理解した気になってる人もかなりアレだと思うが・・・ 唐手は棒の手と言って両手に棒を持った形から始まる
というか、両手に棒を持った動きが唐手の原理。
受け技のどれを取っても武器術から派生した事ぐらい解かりそうなもの
棒や刀、ヌンチャクやトンファー、サイぐらいは
日頃から普通に修練していて当たり前
それが唐手。 空手家の武器術は剣術家の体術と一緒であくまでサブとしての技術でしょ。
空手の投げ技もそう。打撃に混ぜて投げをやるって事だから、投げの本職の柔道家やレスラーと正面から組み合って投げられる物じゃ無い。 >>39
何かにつけて
銃が強いとか
小学生の喧嘩みたいだなwww
ブーメラン恥ずかしくないのかな?w >>49
違う。実戦は武器あり。
武器術が主。素手が副。 >>50
ヤクザやマフィアがナイフでは戦わないだろ
銃相手に素手やナイフでは逃げるしかない 生きるか死ぬかの戦いなら武器を使うのが当然だと思うけど、日本に住んでて日常生活を送っている人間にとってはそういうシチュエーションはちょっと想定しづらいかな。
自分の考えとしては空手なら伝統でもフルコンでも良いからやって、それにプラスしてスポチャンでもやればとりあえずは日常で遭遇しうるトラブルには対処出来るかなと。
銃にどう対処するかという話になってくるともう空手つか個人で対応出来るレベルを超えてるので、警察にお任せしましょうって話になると思います。 空手やってて言うのも何だけど、空手は決して万能ではないので出来ない事もあるって自覚するのも必要だと思うよ。
俺は93年の第一回UFC見て最強とか目指すのは辞めたwあんな試合は俺絶対無理ww 万能ではない事は否定しないけど、自分ができないから空手にはできないみたいな理屈はおかしいと思う つーか空手は最強なんか目指してない
自分や自分の大切な人を守れればそれでいい 空手が最強目指すっておかしいだろ
最強目指すのは人だろうに >>55
前スレでも書いたけど、野球の練習を死ぬかもしれない位ハードにやってもサッカーが上手くなる訳じゃないので。
最強ってのがキックやMMAと戦って勝つって事ならそのルールで勝つ為の練習を死ぬ程やらなきゃ駄目でしょ。
突きや蹴りを何千本やっても寝技に対応出来るようにはならないから。 MMAがまだどういうモノか分からなかった頃はそれぞれの格闘技の人が手探り状態で勝つ方法を考えてたけど、今はアマチュアのMMAの大会も開催される位には普及してるので、一つの格闘技に固執する必要も無い事はわかってきたと思うけどね。 >>58
それ空手でトップになってもMMAでトップになれないってだけの話だろ
そもそも競技はどんな競技だろうがその競技に特化するからこそその競技で強いってだけだから
逆にMMAでトップになってもフルコンじゃトップになれないっていうのと変わらんのよ
おまえさんのいう最強ってその程度のもんなんか? >>53
空手がしっかりと身に就いたなら
スポチャンをわざわざ学ばなくても
空手の動きと理で
武器の操作法を追求すればいいだけでは?
とは言え、現状は武器をやってない空手の方が多いかも知れないけど
それは空手としては退化でしかないから
自分ができないから空手にはできないみたいな理屈はもっての外 >>62
使う力学だけで間合いの概念がお前にはないのか…
ゆっくり宮澤かよ 単純に頭が悪いガバガバだから突っ込まれてるだけなんだよなあ >>60
空手でMMAやキックに勝つのを最強とするならって仮定して言ってるんだけど?>>58にも書いてるからもう一度読み返して貰える?
つか、あなたのいう最強って空手で何を目指している訳ですか?
>>62
空手の動きと理?で武器が使えるようになった人っているの?空手の練習やって竹刀を手にして剣道家と試合出来るレベルまで成れんの?日本刀を使えるように成れんの?
あなたは自分が出来そうなニュアンスで書いてるけど、それなら是非動画でも挙げてみてよ。 >>65
どこまでやれば最強なのかはその人次第だkら一概にこれが最強だなんてもんはないだろ
ただ、小学生に勝てれば最強だでもいいけどそれってショボいよねっていうだけの話で
俺がレスしてるのはそういう話で、俺が空手で最強を目指してるなんて話は最初からしてないんだよなあ MMAやキックに空手で勝つには・・・という仮定の話をしていたが、それはあなたにとってショボいって事ですか?まあ、個人の考えだから別に良いですが。
だとしたら空手で何をしたいのか?どうなりたいのか?って事が分からなかったんだけど、具体的に目指している所はなに? そりゃ、「最強目指す」ってのが、「MMAやキックに勝つ」に矮小化してりゃショボくもなるだろうに
まぁその辺の要点が乖離してたり、それを無理やりゴチャ混ぜたりしてるから話がとっ散らかるんだろうけども あと、「MMAやキックに勝つ」ことと、「MMAやキックで勝つ」のじゃ全然話が違ってくるからな?
そういうとこちゃんと自分で明確にして書かないと話がどんどんブレてくぞ いや、他の格闘技と戦って勝つのが矮小ならば、空手をやってどうなりたいのか?とお尋ねしてるんだが? >>69
MMAやキックと戦いたいなら相手のルールに合わせるのが普通でしょ?相手に空手のルールで戦おう!って言っても乗ってくるわけ無いでしょ。
ルール無しの戦いとか言うなら武器の使用も有りって事だから、空手やMMAやキックとか関係なく如何に殺傷力の有る武器を手にするかが勝敗分けるんじゃない?(合法か否かは別として) それに>>66でどこまでやれば最強かはその人次第って自分で書いててその後すぐにショボいとか書いてるけど、結局何を言いたいかが全くわからないが? 空手で他の格闘技を倒して最強を目指す→最近を目指すってそんなショボい事ですか?→じゃあ空手をやってどうなりたい?何を目指している?→「」
という状態で「」の中の具体的な答えが知りたいだけなんだが?別に空手やる目的は人それぞれだし否定をするつもりもないけど、答えもなく人の意見に突っかかるだけじゃ話にもならないだろ。 相手のルールの中でも空手で勝てたら最高なんだが、難しいだろうなぁ
それは逆もまた同じであって 極端な話、ストライカーがグラウンドに持ち込まれる時点でそのストライカーの打撃が雑魚ってだけの話では? >>78
でもそれこそがストライカーがストライカーとして勝つ理想として目指すべきところじゃね? >>79
それは理想でも現実は一線級の寝技師にグラウンドに持ち込まれるのが普通だから。まんがのようにはいかない 普通出来るかどうかで考えるようじゃそりゃ無理だろうさ
詩文が出来るかどうかの問題であって、理想として今の自分には不可能でも、将来の自分には可能とそれを求める事が強くなるという事じゃないだろうか? >>76
本来、空手には投げ、関節技があったのだが柔道との差別化のために
打撃だけになったとか。
柔道も本来は打撃があるのだが危険で練習できないから
打撃なしの練習になってしまった。 実戦は武器あり。素手最強を目指すのは間違い。
空手家は武器を持った時に本領を発揮する。
空手には関節技も投げもあった。
K1に出た空手家は皆空手をやめボクシングの
パンチを練習した。
空手の引き手って良くないのだろうか?
ボクシングと空手どっち派?
と言う議論もできる。 寝技というのは相手が複数の場合、ボコボコに
蹴られるだろう。
ナイフ一本持っていればタックルなんて簡単に
防げる。 空手の意味は危機に遭遇した時に生存確率を
あげることができるということだろう。
自衛能力をアップする 武器持ってる奴が強いよ
それと無敵状態の人
こういうの相手にするなら逃走しかない 自分の都合の良い展開ばかり能書き垂れるようなやつは、何を持っても殺されるぞ?w 本来ナイフなどなくても空手はMMAにも余裕で勝てる
指先や剣先手刀を鍛えるから
タックルに来た相手を生涯、不具にもできる
ただルールがある試合でそれはやってはいけないので
空手本来の持ち味が潰されてしまう
それで素手がどうこう言われても流石に不公平
そこに武器を持てば更に空手は強くなるし
それが古い空手の本来の姿
何処で人は空手を誤解してしまったんだろうな?? 武器って凶器だけじゃない
近距離から細かい砂掛けられたら負ける >>88
薩摩藩の琉球侵攻の時は琉球の軍はボロ負けだったけどな。
「武器を持っても強い空手家」はその時何をやってたんだ?
戦闘キ○ガイの薩摩は相手が悪かった? >>92
そのアホタレじゃないけど
その頃にはまだ現行の空手はなく極一部が福建少林拳やってるに過ぎないし
実態としては金欠で武具殆どないタイミングで無抵抗に近かったらしい 琉球侵攻って一ヶ月位で終わってて、薩摩にまともに抵抗したのは徳之島の島民位だったって話だけど。
沖縄本島の軍って何やってたのかな?
薩摩藩と戦って苦しめた琉球の武人・・・みたいな方達の話も聞かないし。
結局琉球侵攻があったのは1609年だから、その頃は空手や琉球の武器術?って存在してなかったって事かな?あんまり歴史詳しく無いけど。 >>94
大して戦闘もせず一ヶ月位で降伏(敗戦)してるから、フォローのしようが無いですよ。 薩摩藩と戦って苦しめた琉球の武人って話は
時々聞くけど? >>98
具体的にお名前わかりますか?
煽りとかじゃなくてマジに知らないんで・・・ >>95
金欠でまともに装備品なかったから抵抗のしようがない
>>101
そいつのは捏造だろうけど、いた話はあるからいたんだろうなとは思うよ
まあそんなの闇討ち前提だから名前なんか残る訳もないが そもそも空手家という個人と薩摩軍という軍で比べる時点で論点ムチャクチャなんだよなあ >>103
いやいや個人じゃなくて琉球王国の武士達は空手や武器術をやっていた、と俺は思っていたんだけど?
空手は素手でも武器を持っても強いと主張するから「そんなに強い空手家が揃っていたならなんで薩摩の軍勢に無抵抗で降伏したの?」っていう疑問を投げかけたんだが? だから琉球侵攻があった1609年には空手が完成していなかったのか、それとも琉球の武士の武芸は空手も含めて大した事はなかったのか、判断が出来ないと思って聞いたんだけど。 >>104
琉球の武士が個人で空手やってたとして、それはあくまでも個人の武術的な話でしかなく
集団戦闘技術が要の軍と比べる事がムチャクチャな事には変わりないんよなあ
空手に集団戦闘の技術や戦術があるはずだっていう主張ならまだ話は通じるだろうけども
まあ、琉球侵攻で薩摩の鉄砲隊相手に2~30人ハチの巣にされながら、こん棒や竹やりで10数人の被害与えただけ琉球の空手かなんか知らんけど武力は捨てたもんじゃないだろうよ
でも対集団における個人武力なんて、どんだけ脅威でもそんなもんでしかないって話なんよね >>105
記録などで判明してるのは江戸時代初期(琉球王国)初期の戦時用の主武器は弓が主軸の和式の武術
独立した空手や中華武器の古武道の痕跡は見当たらず、白鶴拳の書籍があったことから士族の愛好者がやってた程度だと思われる
現行の空手に繋がりそうなのは1700年代まで出てこない
武器庫がスカスカだった理由は不明のままだが
時期的に琉球統一からインフラ整備の資金で底をついたタイミングとかかもな >>102
>いた話はあるからいたんだろうなとは思うよ
天狗とか河童とか八岐大蛇とかも昔に居たって話はありますけど
もしかしてそれだけで頭から信じちゃうレベルの人ですか? >>106
ん~~~という事は、琉球王国には個人の武芸はあっても集団として動く兵法?はなかったって事かね?
薩摩の方は個人の武芸はもちろんやってて、その上で集団での戦い方も研究してた・・・つかバリバリの戦国時代だから琉球とは戦争の経験値が違いすぎたんだろうな。 >>107
>白鶴拳の書籍があったことから士族の愛好者がやってた程度だと思われる
興味深いですね。その白鶴拳の書籍というのは何のことを指していて
具体的にどれくらいの年代に存在が明確に確認されているものですか? >>109
琉球の武士だって武士なんだから雑兵統率して戦う事はできるだろう
でもそれは空手家が武装して戦う事と別の話ってだけ
そういうとこの区別が付いてないからトンチンカンな比較しちゃうんだぞっていう話だよ >>111
まあ宮本武蔵だって戦場(島原の乱)では一兵卒で戦ってたから、やはり集団を指揮して戦うのと一対一で戦うのは別の能力が要るんだろうな、とは理解している。
空手も一対一の武技であって、武器を使ったとしても集団同士での戦いにはあまり役に立たない個人の為の護身術として発展してきたと改めて思った次第。 比較するのが意味ないってだけで個人の武芸が意味ないっていう話じゃないんだよなあ
それ、空手だけじゃなく武士がやってる武芸も個人の為の護身術だって言ってるのと変わらんと分かってるんか? どうでもいい話だが宮本武蔵の「枕をおさえる」って教えを見るたび
遠まわしな表現に思えるんだよなぁ
あれ本当は弟子が写本する時かもしくは本人が書くときに腕をおさえる、を
単に間違って枕をおさえるって書いちゃっただけなんじゃねーかな?とも思うんだが >>113
個人の武芸が意味ないとかは一言も言って無い。個人の武芸と集団を動かす能力は別とは言ったが?
剣術も槍術も弓術も自分が生き残る為のスキルだから護身術じゃないのかね?護身術って言葉を貴方と私で違う意味で使ってるのかな? あぁ、意味がないって言ったのは指揮して戦う事に対してで、武芸については集団戦であまり役に立たないって言ってたね
あと控えめに言っても弓術を護身術だ言うのはマジ意味分からん
あんな遠距離から一方的に撃ち殺す武器使って護身もクソもないだろうに >>116
敵も弓を使ってるなら別に気にしないでも良くね?
普通の市民生活で弓を使ったら過剰防衛だとは思うけど。
琉球侵攻の話に戻って悪いけど、刀や槍が現役の武器だった時代だから個人でも武勇に優れた豪傑ってのが琉球王国にいたなら、それなりに活躍して名前も残ってて良さそうなモノだけど、そういう方の記録は確認出来てなかったんで解せぬなと・・・ 一方的に撃ち殺せる武器を相手が持ってたらそもそも敵に回したくはないわな
その時点で充分護身の役割を果たしてるかと それより士族がやってたとかいうのの元になった白鶴拳の書籍
ってのがなんの事なのか非常に気になるんだが >>119
それ私も気になる。
今で言うような技術書が当時もあったのか、どこの系統の白鶴拳だったのか
。武備志の事?だったのか。 いや〜〜、東恩納や宮城が中国に行って持ち帰ったとかいう武備志だとか
中国から沖縄にやってきた呉賢貴が持っていた武備志だとか
いやいや首里手の大家の糸州が所持していたものを写本した武備志だとか
時系列も入手系等も無茶苦茶のバラバラなのに何故だか中身は一緒とかいう不可思議で
胡散臭くて1934年以前には歴史にその名が確認できない伝書なんかじゃなくて
きっと由緒ある白鶴拳の伝書(それも練習できるほどの内容)なのでしょう。多分。
士族がやっていた、という根拠も合わせて是非とも詳しくお聞きしたいですな。 よくわからんが、同じ本なら内容が同じなのは不思議でも何でもなくね? >>122
前回りすら出来ない荒らしのアスペ猿田には触れないほうが良いぞ
猿田の脳内設定に合わないのは文字資料以外全てゴミが基点の出禁モンスターだから >>122
茅元儀が編纂した武備志の方ではなく、いわゆる沖縄伝武備志(誌)の話だが
内容があまりに雑駁すぎて整合性がなく一門の伝書というにはとても呼べない
お粗末なシロモノ。書店で量産されてる訳でもなければ一門などの共同体で
複数の人間が写筆していたものという訳でもなく、中国に住む誰かが個人的に
集めていた資料をまとめて冊子にした、というのが一番似つかわしいかな。
そんな個人の冊子が大昔何かの拍子で沖縄に流れ着いて長い年月の間糸州など
士族の間で代々写本されていたまではまあいいんだが、糸州が没した10年後に
たまたま沖縄にやってきた中国人がたまたまその個人的な冊子を持っていたり
唐手の源流の拳法が分からないけど中国に行ったらたまたま同じ内容の冊子を
手に入れて持ち帰ったという偶然の一致。そして肝心なことに中国現地でこの
冊子が歴史上確認できない上に現在でも存在していない。
そっからさらに10年以上経った1934年に今度は沖縄で代々写筆されてきた武備志とやらが
世に公開されたけど、それもたまたま内容は同じで、そして前にも書いたように1934以前には
歴史上その名が確認できない。肝心の中国に原本も記録も時点で詰んでる。そんな状態なのに
時代をまたいで別々の人間が都合よく同一のものを別々に入手してる時点でやはり無理が出る。 >>126
そうか、武備志の話より猿田は前回り覚えるのが先だな つまり沖縄という狭い範囲の中「のみ」で何かがやりとりされるなら話は通るんだが
中国とか別の国を絡めて持ち帰るだのもたらされただの、とかなるから現実的に考えて
無理な矛盾や破綻がおきる。ここら辺は武備志ではなく型に話を置き換えても同じだな。
沖縄で代々伝えられていた型があるんだけど、そんなのとは別にたまたま中国に行ったら
たまたま同じ名前でたまたまよく似た構成の動作の套路を持ち帰りました、とかね。
そして代々伝えられてきた型も持ち帰った套路も何故か中国では同一のものが確認できません
そんな不思議な話。そこを不思議と思えない人が世の中に居るのが実は一番不思議なのかもな。 中国で存在確認できませんって、文革あった中国なら普通にありえる話じゃね
武術家も随分と弾圧されてそれこそ白鶴拳とかみんな台湾に逃げちゃってるし
国内じゃ雑に扱われてたものが国外で評価高まって大事に残ってるなんて話も曜変天目とか浮世絵とか割と思いつくけど
そんなの絶対ありえないって単なる妄想じゃね? 空手ってカポエラみたいなもんでしょ
とりあえず相手の意表を突いて反撃
だけども武器もつ相手には無理
そんなもんだよ
強くなりたいならムエタイ習いなさい
打たれて強さもムエタイのが上 >>130
ムエタイってカポエラみたいなもんでしょ
とりあえず試合前に八百長の相談仕掛けて相手に意表を突いて反撃
だけども武器もつ相手どころかムエタイルール試合以外には無理
そんなもんだよ
強くなりたいならムエタイ習うのは止めなさい
打たれて強さもムエタイ以外のが上
ムエタイジムでムエタイルールでボコボコにされた上で丁寧に返されムエタイに媚びうる猿田のトラウマなんて知らねえよ これは>>129に一票
>>126=>>128は歴史考察としては浅い
文献に残ってるものしか見えない、見ようとしないのは
生きた歴史を見ていない
そういう錯誤を侵している >>131
長文お疲れ!誰も駄文読まないから
ムエタイ強い、寸止め、腹ポコ弱い!!空手は立ち技最弱 ムエタイだろうが空手だろうがMMAだろうがそのスタイル事態に最強なんてねーんだよなあ
結局はそれをやってるその人が強いっていうだけの問題
まあ、重量級をボッコボコにできるような軽量級が居るってんならハッキリ言ってその格闘技強すぎね?ってなるんだろうけどありえないじゃん? さて、今夜も武備誌について語ってみましょうかね。
もし変なところで投稿が止まったら、まあ規制食らったと思ってくれ。
じゃあ始めよう。前提知識↓
宮城が中国に行ったとされる年 1917年 1915年 1936年
呉賢貴が中国から沖縄にやってきた年1926年
摩文仁賢和が十八の研究という空手の本を出版、付録に武備誌初登場
出版した年は1934年で、由来は巻末に糸州が支那の武備誌という拳法の
書籍を写したものを拝借して自分も写し保管していたが、友人の勧めもあり
本邦初公開とのこと。摩文仁がいつごろ写筆したのかは不明だが、糸州の没年は
1915年なので、少なくとも1915年以前に沖縄に存在していたことになる)
この武備誌、いったいどこからやってきたのでしょう?
まず宮城が1915年〜1917年に持ち帰ったとするなら、それ以降の都市である1926年に
呉賢貴が持参して沖縄に来るのは不可能になる。では逆に呉賢貴が中国から持参した場合
それ以前の年に宮城が持ち帰るのは不可能になる。どちらかがウソをついているのですが、
実は宮城が持ち帰っただの呉賢貴が持ち込んだだのは、当事者が亡くなった後世に高弟達が
言い出したことで、2人が沖縄に持たらした明確な記録も証拠もありません。言うなれば
持って帰った帰った詐欺ですな。ついでに言えば2人が生前に武備誌について言及した記録もなし。 では、呉賢貴にしろ宮城にしろ、中国から持ち帰ったのではなく摩文仁が所持
していた武備誌を後世中国拳法との関連を強めたい一部の高弟達が目をつけて
その武備誌は宮城先生が持って帰った、あるいは宮城とツルんでいた呉賢貴が
持って帰った、と言い出した。こういう展開になりますが、問題はじゃあその
摩文仁が糸州から借りて写本したという武備誌は本当に糸州が持っていたものを
写本したのか?というと、前にも書いたように1934年以前の記録がまったく存在
しません。1934年は摩文仁が「十八の研究」という型の本を出版した年で
その本の付録として武備誌は初めて世の中に登場しました。
で、ここでちょっと面白いのが、1934年に出版された十八の研究には、武備誌は
確かに付録として掲載されているのですが、問題はその武備誌の全頁どこを探しても
羅漢拳の掲載は無く、まして白鶴拳なんてものも登場していません(笑)
この時点ではこれら2つの拳法とはまったく接点がなく無関係となっております。 十八の研究は現在復刻されていて、ちょっと大きめの本屋か図書館に行けば
閲覧できるので自分の目で確かめたい人は是非どうぞw
で、十八の研究とは別に現在では武備誌を翻訳した本も存在します。
そして興味深いことに戦前の1934年に出版された十八の研究の武備誌には無かった
白鶴拳や羅漢拳の名称や技名やその他諸々が多数登場、大増頁で情報がてんこ盛り。
不思議なことがあるものです。はてさて、こんな無かった内容を誰が盛ったのでしょうねえ?
ああ、そういえば戦後に開祖の宮城亡き後、高弟たちによる実質の後継者争いの中で
宮城先生から賜りし武備誌を所持している俺こそが正統なる伝承者だ、みたいなことを
言い出したある一派がありました。私はこの一派の人たちが怪しいと睨んでおります。 まとめると、
戦前の時点では、宮城も呉賢貴も武備誌なんか知ったこっちゃなく、摩文仁が本の付録
として武備誌を初公開した(この時点で白鶴拳や羅漢拳などの記載はなし)
戦後開祖格の唐手家が亡くなってから、宮城の師匠である東恩納は中国でルールーコーに
習ったのがどうこうとか宮城は白鶴拳にぞっこんだったとか、戦前にルールーさんも白鶴拳も
名称まったく出なかったのに、急に高弟たちが言い出して中国拳法との関係を強調し出す。
同時期に後継者争いも勃発。そもそも宮城の時代から組手をロクにやってないんだから
どの高弟たちも似たり寄ったりの腕前なので、腕っ節が強いやつが正統、という訳にはいかず
ドングリの背比べで膠着状態。ならば免許皆伝のような証があればいいということで、戦前に
出版された付録の武備誌に白羽の矢が! ついでに白鶴拳とか羅漢拳とか中国拳法との関係も
こじつけちゃえってことで、ページ増し増し。
現在に至る、と。 >>129
>そんなの絶対ありえないって単なる妄想じゃね?
そんなの絶対ありえない、なんていつ言ったんですか?
不可思議で胡散臭い本だと言ってるだけですよ
>中国で存在確認できませんって、文革あった中国なら普通にありえる話じゃね
>国内じゃ雑に扱われてたものが国外で評価高まって大事に残ってるなんて話も曜変天目とか浮世絵とか割と思いつくけど
雑に扱われはすれど現物はありますよね?
例えば浮世絵なんて握り飯包む紙代わりに使われてたともいわれてますが
握り飯を包んでシワになった浮世絵自体は別に消滅していません。茶碗も同じで
中国で陶片が見つかっております。雑に扱われるるが現物や破片が存在する絵や碗と
痕跡がまったく存在しない武備誌を一緒にしないでくださいな。
この世から痕跡を完全に消すのは思いのほか難しい。
武備誌はその冊子自体が中国に存在せず、また冊子ではなく中身である
古法大剛論章や解脱法など中国語で書かれたものがありますが、これらも
同様に中国で同じものが見つかっておりません。冊子全体ではなく、中身の
断片的な情報すら各地で見つかっていない。おそらく他の六気手や約束組手の
ような図も同様でしょうね。茶碗でいえば破片すら見つかっていないという有様。
文革でも、さすがに地面を全部掘っくり返して茶碗の破片をひとつひとつ探して始末する
なんて事はさすがに出来なかったみたいですね。この世から完全に痕跡を無くすのは難しい。
でも何故だか武備誌だけはそれが出来たみたいでw >>132
>文献に残ってるものしか見えない、見ようとしないのは
>生きた歴史を見ていない
生きた歴史ですかあ。それを言うなら、じゃあそもそも糸州が所持していたという武備誌を
摩文仁以外の誰が写筆したというんでしょうね? 摩文仁だけなんですよ。
糸州は摩文仁以外に高弟は他にもいたし、弟子の数だけでいうなら自宅でも学校でも多数
教えていたけど、誰も武備誌を写本してないんですよねえ。別に唐手関係者に限らず、
糸州は役人だったんだから顔は広いはずだし郷土や中国の研究職に着いてる知人は居ただろうに
やはり武備誌を借りて写本したなんていう人はいない。写本ではなく、糸州に閲覧だけでも
させてもらったとか、あるいは糸州はそういうのを所持しているだとか、そういう伝聞や記録も
もちろん残っていません。不思議ですねえ。
あー、なんか既視感あると思ったらあれだ。夫婦手を本部のみがあるある言ってたときと同じだ。
本部にとっての夫婦手が、摩文仁にとっての武備誌なのかもしれませんな。同じ穴のムジナです。 あ、浮世絵の話が出たのでちょうど良いから話すけど
あまり知られてない話だけど浮世絵のルーツは沖縄だよ
いわゆる琉球絵画というやつ
例えば浮世絵で有名な作品、寛政三美人とか見返り美人とか
あるいは美南見十二候や、それこそ冨嶽三十六景なんかも実は
全部これらが書かれるもっと前の時代に沖縄ですでに同じ構図の
琉球絵画が存在している。本土の人たちはこれらの作品を見て
影響されたりパクったりしたんだろうねえ。
ちなみに中国の水墨画もルーツをたどると琉球絵画に行き着く。
琉球絵画の技術をまとめた冊子が昔の中国で大流行してさ
中国の有名な絵師たちはみんなこぞってその本読んで真似したんだよね。
まあ、中国は文革で、日本は戦争で、痕跡が全部無くなっちゃったけど
本当なんだよ、存在したんだよ浮世絵の元になった絵も、技術書もぜ〜んぶ。
だけど文革と戦争のせいでねえ・・・いや〜まいったまいった(笑)
だから存在が確認できません、でも普通にありえる話でしょ?w おわり