>>844
>空手でもなんとなく怪我しないように受ける程度で練習してたんじゃね

やってる人は個人的にやってたかもね。ただ、>>830にあるように
中国拳法が伝わって唐手になったという線が絶望的となってしまった今では
中国拳法という「技術の担保」が消えてしまった訳で、じゃあ中国拳法に頼らず
琉球の人間の手で技術を作ろう、という選択肢しか残されてないけど、肝心の
その琉球の人たちが対人稽古をやらずに作ったのが型で、さらにその型を
対人稽古をやらない人達が代々伝えていったのが唐手の正体だから
対人系をやってない以上は型に大層な技術を込めて作ることなんて出来ないし
その意味のない動作の集合体(型)を伝えていった人たちも対人稽古してないから
ロクなものをこじつけれず現在に至る、

古い手は目や喉元をエグるだの、ひざ関節の攻撃だの、投げられたときに受身だの
夢は膨らみますが、そもそもそれ以前の問題、それが出来るようにしてきたの?という
問いに対する答えが、みんなの道場に大した技術が伝わっていない、という現実なわけです。

だから、おそらくこうしてたんだろう、と思うのは良いのですが、現実にそうだったかというと
それは違って。だからこそ現実になるようみんなで今からこじつけていけばいいという話でしたとさ。